2024/07/01

漫画雑話(2024年7月)

 2024年7月に読んだ漫画の雑感。主に単行本新刊について。


 吉川英朗『魔王様の街づくり!』(既刊11巻、原作あり)は、タイトルどおりの異世界+都市計画ものをベースにしつつ、さらに魔王同士の異能バトル(デスゲーム)の要素も取り込んでいる。吉川氏独特の切迫感のあるシチュエーション表現が好みで、ずっと読み続けている。また、様々な種族の美少女キャラたちが加入してくるハーレムものでもあって、これまた吉川氏らしく丸顔豊満で楽しげなキャラクターたちが作中世界を闊歩する。ストーリー面では、劇的な展開がいよいよ大動乱を引き起こしており、次巻あたりで完結しそうな様子。
 都市計画の側面も好ましい。ゲームマスターから与えられた異能スキル+現代文明知識のコンボで街をどんどん発展させていくのは、いささかご都合主義的ではあるが、それでも都市計画ジャンルの漫画で「横道に逸れずに主題をきちんと扱い続け」+「高水準の作画で」+「長く連載が続いている」というのはかなり稀少なので、ありがたく読んでいる。大雑把に喩えると、ソフトハウスキャラの都市計画SLGから18禁要素を抜いたような感じで楽しんでいる。
 吉川氏オリジナルの作品『魔王と俺の叛逆記』(全9巻)は、同じく異世界風の舞台設定で、異種族キャラたちがたくさん登場する楽しい作品だが、重苦しいディストピアSFの要素と激烈な異能バトル要素も取り込んでおり、個人的にはそちらの方が好みだった。


 たまにはお色気漫画の話も。ふじはん『不老不死少女の苗床旅行記』(既刊1巻、原作者あり)は、タイトルどおり、異種生物たちの苗床化に興味を持った魔法使いが、自らに不老不死の魔法を掛けて安全を確保したうえで、身をもって様々な異種生物の苗床化を体験していくという話(※触手型植物に始まり、スライム、巨大ハチ、巨大カエルなど)。あまりにもエキセントリックな性的趣向だが、漫画それ自体は隙のない完成度だし、銀髪ボクっ娘魔法使いの主人公が享楽的に苗床化のセルフ人体実験(実体験)をしているのも刺激的。苗床描写もきちんと掘り下げているし、ストーリーの見通しも明確だし、画風も20年代流の最先端で可愛らしい。人体作画はやけにどっしりした肉置き(ししおき)で存在感があり、苗床化という主題にも合致していると言える。シチュエーションの飛び道具っぷりと、(アダルト)コミックとしての正統派なクオリティの間のギャップが物凄い。
 18禁コミックでは、異種生物や戦闘ヒロインや低年齢のようなマイナーな趣向は往々にして絵が拙くて、メロブ店頭で見かけても残念な思いをさせられるのだが、本作はそうした懸念には及ばない。マイナージャンルは参入が少ないので、どうしても頂点が低くなってしまうのだが、異種繁殖オンリーというマニアックなネタでありながら高水準の漫画を連載するというのは、18禁コミックとして見ても、きわめて異例の事態だ。異種生物ものを受け入れられるのであれば――例えば、『神楽黎明記』シリーズのSLGを(性的に)楽しんでいるユーザーには――、読みごたえがある作品だろう。
 ただし本作は、驚くべきことに全年齢で刊行されている。青年誌レヴェルの隠蔽処理で、裸体と体液までは描くが、局部は一切描かないというアプローチで、一応OK扱いとしているようだ(例えば『パラレルパラダイス』『サタノファニ』などと同水準の描写)。もう一つの問題は、不買中のKADOKAWAという点。なので、店頭で買うことはせずにオンライン配信でひととおり閲覧して、代わりに同じ著者の18禁単行本にお金を落としておいた。
 その18禁コミック『とろとろレシピ♡』(2021年刊、各作品の初出は2019-2021年)は、教師に執着して襲いかかる女子の話や、天然キャラなシスター、剣道少女、幽霊少女、試験勉強中のカップル、お嬢様と、おおむねオーソドックスな日常舞台の短編が並んでいる。それだけに、この作者から苗床連載のような尖ったネタが出てくるのはかなり意外に映る(※同人誌では妊娠ものも描いているようだが)。ふじはん氏のプロフェッショナリズムの現れと取るべきだろうか。絵柄は、だにまる氏のような妖気のあるツリ目系で、たまに現れるコミカルデフォルメも可愛らしい。
 いずれにせよ、「自発的なモンスター苗床化遊戯」というとびっきりのイロモノな性的趣向の作品が、堂々たるハイクオリティの漫画として制作されて、しかも全年齢で刊行されるというのは、異例尽くしの事態だ。KADOKAWAのような、「倫理観は無いが資金と人脈はある」という企業だからこそ、このような作品が作られたという側面もあるだろう。そう考えると、けっして誉められたことではない。

 18禁マーク付きのコミックも、年間十数冊くらいは買っている。メロブは中身を一部読める見本を置いてくれていて、眼鏡度入りクリエイターを探すのにも好都合なので、月に数回はメロブの奥地にも立ち入っている。残念ながら、ハズレ(面白くない)率も高いのだけど、しっとりした情緒の短編集や、かなり風変わりな作品などもあり、現在でも活気のある漫画ジャンルの一つではある。
 ただし、「現代日本のティーンズ~20代くらいのハプニングラブ短編集」に大きく偏っているように見受けられる。言い換えれば、それ以外のシチュエーション(例えばファンタジーものやSFもの、低年齢/高年齢、ダーク系)はかなり少なく、そして絵柄などもかなり落差がある……有り体に言えば、洗練されないものが多い。このあたりはもったいないと思うが、まあ、仕方ないか。

 モンスター下ネタ漫画としては、元三大介『魔法医レクスの変態カルテ』(既刊1巻)もあるが、こちらもおすすめはしない。


 最近ふたたびループものorタイムリープものの恋愛漫画が増えてきたように感じる。まるで00年代のようなレトロ感だ……と思ったが、いや、00年代半ばからすでに20年が経っているわけで、つまり、ブームが一周して戻ってくるのに十分な年月が経過しているのか(※もちろんそれ以外でも、ループものは定期的に現れていた)。
 もちろん、それ以前からループものやタイムリープものは、日本の大衆文化の中に存在してきた(例えば『時をかける少女』)。また、00年代アダルトPCゲームのループネタは、「分岐展開のあるストーリーゲームを何度も再プレイすることの意味」、すなわちゲームシステムへの再考から取り組まれたという特殊性があった。だが、近年のストーリー漫画におけるループものが、どういう社会的-文化的コンテクストから生まれているのかは、よく分からない。
 LEEHYE『生まれ変わってもよろしく』(既刊1巻、原作あり)は、同名の韓国ドラマを漫画化したもののようだ。漫画それ自体としても、オンライン版では縦読みで一コマずつバラバラのトゥーンコミック形式だったものを、単行本に際して伝統的なコマ組み漫画に再編集しているようだ。縦読み版と紙版を読み比べてみると、フキダシに与えられている機能性や、各コマの演出的意味づけなど、まったく別物になっていてそれぞれに面白味がある。
 藤田丞『大人になれない僕らは』(既刊1巻)も新作。同じ一日を何千回もひたすらループしている高校生男女の物語。何をやってもまた同じ日付の朝に戻るので、ひたすらいろいろなことを試して遊んでいる(※少なくともこの単行本第1巻の範囲ではそうなっている)ので、『あそびあそばせ』系の日常タイトルのように見えるが、今後どのように展開されていくかは分からない。作者の前作『通学生日記』(全1巻)は、登下校シーンにフィーチャーした軽めの(ラブ)コメディだったようで(※シチュエーションそれ自体は川崎直孝『ちおちゃんの通学路』のような感じ?)、今回の連載も日常のまま進んでいくのかもしれない。

 暗森透『ケントゥリア』(既刊1巻)も新作。近世的な架空世界で、謎の海神から100人分の命と力を与えられた少年が、救った赤ん坊のために愛情と幸福を目指していく話のようだ。力強く凝集力のある物語と、ヤングアニマルあたりに載っていそうながっちりした作画で、読み応えがある。バトル要素も多めのようだが、たまにはこういうダーク&サバイバルファンタジーも読んでみよう。

 三卜二三(みうら・にぞう)『佐橋くんのあやかし日和』(※巻数表示が無いが、連載続行が決まったとのこと)。買ったヒヨコは火の鳥になり、同級生には人間とヘビの間の子がいて、教師にはタヌキ(が人間に変化している)といった、和風妖怪(というか異種族)たちに囲まれた小学生の物語。おっとりした雰囲気だが、キツネ女性の「私は 私が愛せる私を 貴方に愛してほしいの」は、なかなかの名台詞仰々しいオカルトでもなく、狭義の(伝統的な)妖怪ものでもなく、ドラマティックな物語で引っ張っていくファンタジーでもないという、程良くミニマルな幻想性の塩梅が楽しい。『ディスコミュニケーション』『蟲師』『もっけ』などの頃から連綿と続いている路線と言ってよいだろうか。

 こんなふうにして、完全な新作も定期的に買っている。ほとんどは店頭での表紙買い(カジュアル買い)だが、アタリに遭遇できることも多い。ちなみに、オンライン漫画はめったに読まない。


 川合円(かわい・まどか)『とつくにとうか 幕末通訳 森山栄之助』(3巻で完結した)。歴史上実在した通訳者(通詞)を主人公にした歴史ものの漫画。レギュラーキャラの江川英龍らも歴史上の人物で、きちんとした下調べの上で作品に取り組まれている。この第3巻では、「勧進帳」の同時通訳シーンでの二重写し演出や、終盤の対ペリー交渉など、読み応えのあるイベントをしっかり描ききっている。
 同じく史実ベースの漫画としては、熊谷雄太『チェルノブイリの祈り』第2巻も刊行された(原作あり。やや大きめのA5判)。悲惨なだけでなく、希望や祈りや善意も描こうとする姿勢に救われる。物語構成や画面演出、人物描写も良い。
 
 
 水辺チカ『悪食令嬢と狂血公爵』(既刊8巻、原作あり)。洋風ファンタジー舞台で、魔物肉でも構わず美食を追求する主人公が、美形公爵に嫁いだ物語。作品の骨格は少女漫画寄りだが、漫画表現としては一般青年漫画スタイルのストーリー漫画で、恋愛要素はかなり軽めに処理されているし、美食描写もきれいに(つまり、下品にならず、楽しそうに)描かれている。
 この作者はすでに4作(?)の連載を手掛けてきた実績のある漫画家。本作でも、状況ごとの実感を感じさせる演出も巧みだし、効果的なコマ組みの抑揚、描き込みのコントロール、ユーモラスな表情など、密度のある漫画作品を作り出している。
 美食漫画や食生活(日常)漫画はnot for meなので基本的に避けているが、少女漫画路線だと嫌味や汚さがなくて受け入れやすい。黒八『厨娘公主の美食外交録』(全3巻)や、以前言及した井山くらげ『後宮茶妃伝』(第4巻発売、次刊で完結?)など、ごく少数の作品をたまに買っているが、いずれも気持ち良く読めている。


 こんなにも新作単行本が溢れていると、続刊を読んでもキャラの名前を忘れていることが多い。さすがに主要キャラは分かるけれど、サブキャラの名前だけで言及されていると、どういう人物なのかが思い出せないというのは、たまにある。巻頭にキャラ一覧や粗筋紹介を設けておくような慣例が出来るとありがたいのだが……。


 山口譲司(まさかず)『江戸の不倫は死の香り』第2巻をカジュアル買いしてみた。山口氏は、実績も実力も傑出した一流漫画家で、キャラデザのヴァリエーションも抜群に豊富だし、背景作画も緻密に構築されて濃密な雰囲気を表出しているし、休むことなく精力的に活動を続けているのだが、それをマニアックな素材に傾注して空転することも多かった。
 例えば、その有り余る漫画表現スキルを注ぎ込んだ結果が、近年の長寿連載『不倫食堂』(全21巻)というチープな現代不倫エロのオムニバス集だった。それでもキャラデザの上手さやシチュエーションの個性、そして余裕のある艶笑もので、やたら読み応えがあったのだが、やはり不毛さは否めない(※ごく一部しか読んでいない)。『江戸川乱歩異人館』(全13巻)のようなオカルト表現では、そうした美質が存分に発揮されて、怪異の表現が物凄い迫真性とグロテスクさを生み出していたのだが……。
 そして今作もどうやら、その有り余るテクニックを全力投入して、美しくウェットな情緒に満ちた江戸の背景と、和服やお琴や道具屋のディテール、迫力とコミカルさを両立させたキャラデザの数々(美形男性から奇人僧侶、豊満な農村女性、野卑な下男、等々)、そして肉体表現の強烈な存在感を紙面に定着させている。そして密通ものとしては、キャラクターたちの濃厚な情欲や背徳的なシチュエーションを描きながら、それらを短編オムニバスのほんの一編としてどんどん切り捨てていく、そういう枯れた距離感も保っている。人間の情欲をストレートに取り扱いつつ、それをクールに突き放していくところは、秋山ジョージをちょっと連想させるところもあるが、やはり……これほど有り余る漫画表現力を持ちながら、ミニマルなお色気路線を続けているところがなんとも不思議だ。
 例えば、最初期の『太陽がいっぱい』(単巻)も、大学生の男性主人公が双子女性と同居する中で、きまぐれに片方と関係を結んでしまったが、双子のどちらだったのかが分からないまま悶々とするという、90年代らしい湘南シティボーイ幻想もろ出しの中に変態的なシチュエーションを盛り込んだ不思議なエロコメだったりしたので、まあ、ずっとそういうクリエイターなのだろう。「これほどの技量を持ちながら、どうしてこんなお色気エンタメ路線で執拗に描き続けるのか……」という困惑は、士郎正宗に対して「あれほどの実績と見識がありながら、どうしてこんな下品なお色気CGイラストを連載しているのか……」という感情に近い。


 馬(ば)かのこ『ディディアディクション(DD addiction)』第1巻。ちょっと妖しい雰囲気のパッケージでカジュアル買いしてみたら、中身はおねショタ漫画で、しかもおねショタ依存(addiction)漫画で、さらにはサイコ依存おねショタ漫画だったという……。ヒロインの精神構造から日常倫理の箍を外させてしまうのは、2020年代の現在でもやはり冒険的-挑戦的な試みだと思うので、とりあえず買ってみよう。ただし、おねショタとは言っても男性の方は小柄真面目メガネ高校生なので、正統派のショタ好きには要注意。
 この作者は、『終末の花嫁様』(3巻で先日完結したらしい)でも、超自然的要素を伴ったおねショタ漫画を描いているようだ。

 00年代以来の従来型のサイコキャラは、「ヤンデレ」(つまり恋愛感情ベースのキャラ)か、あるいはオカルト寄りの暴走キャラが主流だったが、それらとは異なった新しいサイコヒロイン路線が、近年広まりつつあるのかもしれない。きただりょうま氏の監禁キャラ漫画も、従来型のヤンデレの延長上のようでいて、それらとはどこか違っている(※ネット版だけは読んでいた)。
 ちなみに、きただ氏の作品は、わりと読んでいる。最初期の連載『μ&i みゅうあんどあい』(2014-2016年、全6巻)は、SFろりえろ漫画、『心にやさしいシリーズ』(単巻)はシチュエーション限定の切れ味の良いショートコント集、さらに『ユメオチ』(全4巻で先頃完結した)は、夢の中で高校生活に戻れるという、タイムリープと幻想ものをミックスしたような意欲的な構成で、とにかく多才なクリエイター。ただし、おいろけヒーロー漫画『エグゼロス』(全12巻)は、最初しか読んでいないのでよく知らない。

 ハミタ『宇宙人のかくしごと』(6月刊行の第3巻で完結)も、この流れに位置づけられるだろうか。男性高校生の主人公が告白した相手は、実は地球を調査するために変身潜入していた宇宙人だったという状況で、彼女は自身の秘密(正体)を守るために周囲の人間をあっさり殺害してしまう。主人公はその隠蔽作業をサポートすることになって、いろいろややこしいことになる。
 人類とは異なった思考を持つ知的生命体=他者との交流ドラマ。それによって揺さぶられる思春期の人間関係の軋みと、自己肯定の問と、生死に関わる深刻な懊悩。さらには、人類の存亡に関わる遠大なイマジネーション。それらを混じり合わせるベースが、宇宙人ヒロインのキャラクター性だ。すなわち、言葉は通じてまともな会話が成立するが、価値観と社会常識が大きく異なり、しかも行動の目的もかなり突飛なのだが、その一方でどうやら恋愛感情(?)のようなユニークなつながりを主人公との間に育んでいくという多面的な性格づけ。そういった他者とのコミュニケーションの問題でもあるし、同時にSFサスペンスとしての側面も持っている。


 木下いたる『ディノサン』(第6巻だけカジュアル買いした)。生きた恐竜たちを現代に再生させた世界での、恐竜動物園での話。作中では飼育恐竜たちの生態や、かれらへの医療行為なども具体的に描かれており、登場する恐竜たちは実在した種のようだが(※古生物学の研究者が監修している)、このようにフィクションが一部入り交じっている作品については、そのリアリティをどのように受け止めればよいか、ちょっと戸惑う。作品全体としては、設定構成、ストーリー設計、コマ組み構築、個々のコマ描画のいずれもきちんとしたクオリティで描かれているのだが……。ともあれ、表紙に描かれているトロオドンの幼体が可愛らしいというだけでも、十分買う価値はあった。
 追記:第1巻も買って読んだ。これは良い……。10mにも及ぶ恐竜たちの巨大感の表現、全身の動きの描写、考証的ディテールの緻密さが相俟って、強靱な手応えのある漫画になっている。人間たちも表情豊かだし、コマ割構成と演出も、その都度最善を目指して様々な技巧が用いられ、充実した説得力のある紙面になっている。

 架空世界の医療というと、淺野のん『モモの医術史』(ネーム:楢本三羽[なおもと・さんば])も、第3巻で完結した。寡黙な天才ショタ医師が、伝説の医術書を求めて旅するという作品で、少女漫画分野ながら、人の生命を引き受けることに関する真率なドラマが描かれているし、血なまぐさい部分も含めて、少女漫画としてギリギリのところまで突き詰めている。さらに前近代的-オカルト的医療との衝突やミステリ要素など、かなり多彩な内容が含まれている。


 むちまろ『生徒会にも穴はある!』(既刊7巻)は、面白味が全然分からない……のだが、オタク界隈でわりとプッシュされがちなので、「現在流行の感性を掴むため」というつもりでひとまず読んでいる。自由で型破りな表現が様々に見出されるが、その一方でかなり陳腐で古臭い紋切り型キャラクターも平然と使用している。また、内輪受けしそうなオタクネタを頻繁に仕込んでいるのも、ネタとしての熱量と引き換えに、コメディの自由さを抑え込んでしまっている向きがある。例えば、ストーリー漫画式のコマ組みページと、四コマ漫画スタイルのページが柔軟に混在しているところも珍しいのだが、全体としては、かなり狭苦しい紙面に見えるのもちょっと苦手。
 というわけで、個人的には――あくまで個人的には――残念ながらコメディとしてはほとんど楽しめていないのだが、「こういうのを楽しむ人々もたくさんいるんだろうなあ」という気分で、いわばオタクアンテナをメンテナンスするつもりで読んでいるが、そろそろマンネリ化しているので、買うのを止める頃合いかな。
 上記『穴は~』のキャラ造形は意識的にあざとく狙っていると思うが、丸井まお『となりのフィギュア原型師』(既刊5巻)の方は、天然(あるいは本気)の嗜好のようで、そちらの方がスリリング。「ネタ出し目的の性格造形ガジェットや、キャラ人気狙いの性格づけならば、こんなエキセントリックな描写を持ち込む意味は無いのに、何故か平然とこんな描き方をしている」というところが、いかにも本物っぽくてゾクゾクする。


 女装男子ものの漫画が最近増えてきたように感じる。今回のブーム(?)は、自然発生的なものだろうか。どこかで特定のインパクトがあったという様子は無さそう。ゲーム『GUILTY GEAR STRIVE』のブリジットも3年前だし……。粉山カタ『不可解なぼくのすべてを』(全5巻)のように、明確にジェンダーアイデンティティの問題と絡めて描かれるようになったのは、近年の変化と言えるだろうか。
 しなぎれ『女装男子はスカートを脱ぎたい!』(第1巻)もこのジャンルに属する。女装することをストーリーの根幹に置きつつ、その状況がコメディになる必然性をきちんと構築している。絵も抜群に良くて、セーラー服の皺の影まで丁寧にトーンワークを施しているし、スカートも手書きトーンで横線を張り巡らせているし、瞳孔の輪郭線も大量のペンタッチでじんわりと形作っている。こういった濃厚な描き込みが、紙面全体に強烈な存在感を与えている。女装もの云々とは別に、ものすごい迫力のある漫画になっている。
 なお、作者は京都芸術大(旧:京都造形芸術大学)の出身――卒業したて?――とのこと。

上記『女装男子はスカートを脱ぎたい!』1巻50-51頁より。正面から見上げるギョロ目の魅力、恥じらいの表情のデリカシー、スカートの手書き影線がもたらす質感と立体感、そして左ページの大胆なレイアウトと、見どころの多い豊かな紙面になっている。


 『ルック~』は、原作漫画を読んだし、それ以外の短編集も読んだけど、あの漫画家はかなり苦手。作劇で強い情緒を引き出すために、読者の内心を素手でいじり回そうとするようなデリカシーの無さが……(特に『タコ~』)。創作が受け手の情緒や道徳感情や倫理観に訴えかけようとすることそれ自体は、もちろんあり得てよいのだが、それにしても、やり方とか限度があるよねと。あの痛ましい京アニ事件(2019)からほんの2年後に、それを強く連想させる描写を漫画に取り入れた無神経さも嫌だ(※無意識だとしたら鈍感すぎるし、意識的だったとしたら不誠実だ)。そういう厚かましいクリエイターは、避けるようにしている。


 新刊ではないが、面陳列でプッシュされていた田村隆平『COSMOS』(最新第3巻は5月発売)をまとめて買ってみた。様々な異星人たちが地球に移住している(※ただし、人間の姿に変身しており、一般人には知られていない)という状況で、かれらの生活を金銭的にフォローする企業(保険会社)が、物語の主軸にある。出来は良い。
 近年の小学館にありがちなアプローチでもある。例えば『ホテル・インヒューマンズ』『フリーレン』などを想定しているが、すなわち、「やや突飛なガジェットを最初に置く」+「傍観者的な男性キャラ(素人)と、超然としたヒロイン(プロ)のコンビ」+「一巻に1~3つのエピソードを並べていくオムニバス路線」+「ややビターな人情話で、たまにバトルシーンも描く」というもの。確かに堅実なアプローチだし、それでいて意欲的なところもあるし、個々の作品も出来は良いのだが、そういう保守的なお行儀の良さには、ちょっと飽き足らないものを感じもする。……いや、とても楽しいので、読み続けているのだが。
 似たようなシチュエーションの異星人入植ものとしては、渡辺アカ『擬態人A』は第7巻で完結した。超人的な能力を持つ異星人たちが、秘かに地球入植してきた話で、地球側対抗組織とのサスペンス的側面や、異星人管理の社会的側面もあり、異星人同士の間でも思想的対立から異能バトルをする側面もあり、さらには地球人少年との間のホームドラマ的要素もあって、やや雑然とした内容だったし、ストーリー展開や演出には拙いところもあったが、終盤(33話)の「行ってらっしゃい」の見開きで、「なんのかんので、この作品に付き合ってきて良かったな」という気分になれた。
 このページの上の方で言及した『宇宙人のかくしごと』も同様。地球に入り込んでいる宇宙人は、この作品では一個体だけだが、現代日本の高校生活というミニマルな状況下で、侵略的異星人の思考と行動を描いている。

 上記の小学館に対して、集英社だと、一芸ものがパターン化されているのが鼻につく。『アクタージュ』の頃(?)から最近の『あかね』あたりまで続いている作劇で、「主人公は特異な才能や経歴を持っているが、故あって既存の業界に入れない境遇だった。それが師匠の下に入れるようになり、兄弟子らと衝突しつつもコツを掴んで成長していき、そして若手総出演の大会に出場し……」というプロット。見通しが良くてドラマティックな成長描写もある王道ストーリーなのは分かるし、そういう定番パターンを用いて丁寧に物語を作っていくこと、(そしてとりわけ若い読者に読ませること)には大きな意義もあるのだが、何度も繰り返されるとさすがに飽きるし、型にはまった工業製品のように見えてしまう。

 同じく5月刊行の、ちょめ『室外機室』(単巻の短編集)。コミティア系の作家さんで、タイトルの「室外機室」は、サークル名でもあるようだ。この短編集も、おそらく同人誌からの再録。
 個々の作品も、いかにもティア系の雰囲気。ミニマルな日常描写をベースにしつつ、オリジナリティのある幻想的シチュエーションを拡げていくのは、例えば交通事故死して浮遊霊になった女性が街中を自由に飛び回る『21gの冒険』でも、架空世界(?)のラジオ番組がいきなり聞こえてくる『混信』でも、存分に味わえる。トーンワーク控えめで背景作画まで丁寧に構築していく画面の説得力は、『地下図書館冒険譚』でも活用されている。そして、注目させるべき決定的な画面に向けて描写を積み重ねていくところも良い。とりわけ『21gの冒険』では、爽快感のある空中浮遊コマの数々や、それとは対照的に水路に落ちた仰角コマの空間的迫力、そして見開きレイアウトを活用した電車上のコマなど、見どころが多い。


 恵広史(めぐみ・こうじ)『グリム組曲』(原作あり、上下巻)。グリム童話から大きく想像力を広げた自由なオムニバス集。例えば「小人の靴屋」では、現代日本の売れない小説家が寝てい他間に、机の上に傑作原稿が置かれており、それを出版して名声を博するが、作家はそれを自らの作品とは受け止められず懊悩する。「ブレーメンの音楽隊」は架空の西部劇風世界でのピカレスクものだし、「ハーメルンの笛吹き」も時空を超える苦い物語にアレンジされている。「ヘンゼルとグレーテル」は、宇宙を遠く探索する移民船を舞台にしている。漫画表現としても、巧みに構成されていて読み応えがある。上巻はネタの処理が今一つだったが、下巻の方はわりと好み。ちなみに、元は配信アニメで、この単行本では原作者=「Netflix」としてクレジットされている。
 作者の恵氏は、現在は『ゴールデンマン』(原作者あり、既刊1巻)という作品を連載している。そちらは、正体不明のヒーロー(※文字通りの意味で「正体不明」であって、正義のヒーローとして信用できる保障が無い!)を巡る、半ばシリアス、半ばコメディ的な作品になっているようだ。そちらも面白そう。
 アニメ『グリム組曲』の方を見てみたら……キャストの凄さに目を剥いた。福圓美里氏、田村睦心氏、そして根谷美智子氏……。
 ちょうど同じような趣向の作品が、他にもあるようだ。田島生野『アフターメルヘン』(上巻発売済み、下巻は来月刊行?)は、グリム童話の各エピソードをダークに再解釈する後日譚路線とのこと。

 ※追記:上記の『ゴールデンマン』を第2巻まで買った。ヒーローの正体に関する疑念を基軸にしつつ、ヴィランたちとのバトルが連続する。主人公たちの善良な信念と信頼、そしてヴィラン(悪役)たちとの異能バトル要素、一般人を救出するアイデアのユニークさ、架空都市の風景の広がり、そしてここぞという決めゴマの演出スキルに至るので、読みごたえがある。


 特撮ネタの漫画も、近年増えているように感じる。
・「変身ヒーロー」という基本設定が広く知られていること。
・ヒーローの特殊能力によって、独自性を出しやすいこと。
・ヒーローの活躍にはカタルシスがあり、また、敵/味方の間でドラマを作りやすいこと。
・SFからサスペンス、組織もの、恋愛まで、扱えるストーリーの幅が広いこと。
・日本国内でも特撮映像コンテンツが続いており、アメコミ映画も人気が高まっていること。
こういった事情から、特撮風のヒーローものに追い風が吹いているのかもしれない。


 異世界転生ものの漫画は、数年前に集中的に読んでみたが、最近はもうほとんど買っていない。一時期は実験的なシチュエーション設定がしばしば試みられていたが、そういうギミックの面白さはなりを潜めていき、異種族ヒロインとのハーレムものばかりが目立つようになったからだ。いや、現在でも創意ある状況設定のタイトルは現れているが、お色気ハーレムを前面に押し出すものが多すぎて、「当たりを引くのが難しいジャンルになった」(つまり、自分にとっての無駄が多く、情報収集コストが嵩んで、選択のリスクが高い)と言うべきだろうか。


 いけだたかし『旅に出るのは僕じゃない』(第3巻で完結)。2050年代の近未来で、ヴァーチャル旅行体験を販売するために世界各地を旅行している「旅行人」の物語(連作短編スタイル)。娯楽観光だけでなく、その国の生活文化や政治的-経済的事情にまで踏み込んでいるし、近未来SFとして見ても、様々な技術的なアイデアを盛り込んでいて、たいへん読み応えがある。
 例えば「モンゴル国」の回では、ロシアとの政治的関係、民族的な複雑性、遊牧生活、モンゴル現代文学(※実在の詩人ベグズィーン・ヤボーホランが引き合いに出されている)、そして通信技術も絡めながら、ひそやかなラブストーリーを素描する。
 また、「ペルー共和国」編でも、単なる観光紹介ではなく、遺産資源と先住民を巡る政治的問題を示唆し(※デモシーンも描かれる)、その一方で日系移民(日系ペルー人)の歴史にもやんわりと触れつつ、観光産業の実情にも目を向け、そしてそれらを高山病と雨天の詠嘆的情緒の中にまとめあげている。
 作者のいけだ氏は、90年代からのキャリアのある漫画家。視野の広さだけでなく、漫画的表現スキルも抜群に優れており、風景カットの情趣からコミカルシーンの崩し方、そして各部の描写をきちんと対応させて作品全体の見通しをきれいに構築する手腕まで含めて、漫画の面白さを堪能できる。


 鳥取砂丘『世界は終わっても生きるって楽しい』(既刊6巻)。ポストアポカリプス旅行ものは、10年代後半に流行し、現在でも新規タイトルが現れているが、本作はむしろ、SFのオーソドックスな流れに立った本格派の未来SFに分類すべきだろう。連載開始は2020年(?)。
 特徴としては、主人公たちが人類ではなく、ネズミサイズの生命体であること。そのため、現代文明(人類文明)との断絶がはっきりしているし、小動物サイズで廃墟を見上げる視覚的な面白さもあり、さらにはデフォルメ寄りのケモキャラ嗜好にも応えるものになっている。小さなキャラクターたちが、モルモットのような可愛らしい同伴動物たちとともに、危険に満ちた崩壊世界を踏破していくという、王道の冒険ものだ。
 こういった遠未来ポスト・ヒューマン世界は、SF界には長い歴史があり、19世紀の小説『タイム・マシン』から、1960年代の『地球の長い午後』、『猿の惑星』、アニメ『ナウシカ』、あるいは00年代の小説『新世界より』あたりまで含めて、様々に描かれてきた。そうした中でも、ポスト-人類の生物をkawaiiモフキャラに仕立てたのは、日本らしいと言うべきか。作者の鳥取氏は、美少女ゲーム分野でも活躍してきたクリエイターで、オタク的文化風土にも通暁されている人物だ。

 ※補足的に。『タイム・マシン』では、数十万年後の未来世界で、とても人類には見えないような姿に変質した未来人が登場する。『新世界より』も、人類が超能力の有無によって2系統に分岐してしまった未来世界なので、厳密に言えば「人類」の延長ではあるが、外見は醜怪な姿に変わり果てている。
 超能力を獲得した一部の人間が既存人類を圧倒していくというシチュエーションは、小説『人間以上』や『2001年』、漫画『AKIRA』などにも見出されるもので、ポスト・ヒューマン(アフター・マン)ものとは別カテゴリーと言うべきかもしれない。いずれにしても、80年代のニュー・エイジ思想との親和性もありそうな発想で、現在の目で見るとオカルト進化論めいて映るかもしれない。

 「穏やかな終末世界を楽しむ」ジャンルは、日本では10年代以降に流行しているが、これは現代日本だけではない。世界的に見れば、いわゆる「快適なカタストロフ(心地良い破滅)」ものとして、一定の歴史が存在してきた。人類の黄昏時を、ただ穏やかにミニマルに楽しく生きるというアプローチは、日本でも芦奈野ひとし『ヨコハマ買い出し紀行』(1994-2006)が大きなマイルストーンと思われるが、これは、現実政治では冷戦時代(=核戦争による激しい破局の危機)がひとまず過ぎ去り、終わりの無い対テロ抗争の時代に入ったのと対応しているのかもしれない。
 同時期の高橋しん『最終兵器彼女』(2000-2001)やPCゲーム『終末の過ごし方』(abogado powers、1999年)も、カタストロフをもたらす原因は作中では一切示唆されず、しかしそれに脅かされながら、ただ主人公たちの小さな恋愛や悩みが描かれていく。これらはけっして「心地良い」ものではないが、世界を動かす大状況に手を出すことができないまま、ミニマルな私生活に籠もっていくという姿勢は共通している。


 以下、続刊ものなどのショートコメント(※作品それ自体は、以前に言及したものが多い)。
 緒里(いおり)たばさ『暗殺後宮』第6巻。前巻にも美しいシーンや劇的なシーンがあったが、この巻では物語の大状況がかなり変動した。ストーリー展開にはしっかり密度があって空転せず、キャラクター造形にもきちんとしたオリジナリティがあり、紙面構成と視覚演出も豊かに形作られている。登場人物がだいたい優秀で、状況の推移にも無理がないし、内面造形の点でもそれぞれ人生観を確立して(覚悟を決めて)いたり、倫理観の芯のあるキャラクターだったりするのは、読んでいて好印象(※言い換えれば、「下品で欲望まみれの悪人貴族」のようなバカキャラがいないので、読後感が気持ち良い)。 29話の対面見開きも、素晴らしい画面構成。
 冬目景『百木田家の古書暮らし』第5巻。古典邦画風のレトロでローカルなホームドラマ志向は、この作者がずっと追求してきた路線だが、今回はサブキャラたち(主人公の妹の友人や、主人公が気になっている男性の義妹)を描いて、物語の大枠に大きな衝撃が加えられている。
 いたち『負けヒロインが多すぎる!』(最新第3巻まで購入。原作あり)。洒落っ気のある柔軟な演出が、はち切れんばかりの勢いでぎっしり詰まっていてたいへん楽しい。紙面演出(例えば見開きの活用)も効果的だし、SD寸前の絵の崩し方も実に達者で気持ち良い。楽屋ネタすれすれの演出もある(例えばモノローグ台詞のフキダシを、キャラクター自身が両手に取る)がそもそも本作は「負けヒロイン」というメタ恋愛ネタを扱っている作品なので、こうした表現も作品の一部として上手くフィットしている。ただし、「負けヒロイン(振られたヒロイン)」という観念それ自体、あまり良いものではないのだが……。
 ジアナズ『異世界ありがとう』(既刊6巻)。異世界の女性キャラに転生(憑依)してしまった男性二人コンビの物語。ミニマルな悩みを丁寧に描きつつ、異世界描写にもオリジナリティがあるので、読み続けている。この巻はちょうどきれいなタイミングで終わったが、作品はまだ続いているようだ。