2025年10月に読んだ漫画の雑感。主に単行本新刊について。
●新規作品。
秦愛武(はた・あいむ)『ニーハオ! 猫猫(マオマオ)留学生』第1巻(小学館スピリッツ、1-6話)。作者自身が中国からの留学生とのことだが、自伝的要素がどのくらいあるかは不明。舞台はおそらく京都精華大学(作中では京都東華大学)で、猫一匹を連れて単身日本に留学してきた主人公が、日中の文物の違いに驚いたり、キャンパスで友人たちと交流したりする。絵はやや簡素だが、他国生活で感じたことのリアリティを上手く掬い取って描いており、予想以上に読ませる出来だった。
笹乃さい『ブループランター』第1巻(小学館ゲッサン、0-3話)。宇宙での農業事業開発に取り組む高校での話。SFやバイオテクノロジー方面の掘り下げは、今のところは控えめで、宇宙飛行士になれなかった男性主人公(実習助手)と、その幼馴染だった年下少女(学生)の間の優しくも複雑な関係に焦点を当てている。絵柄は、一昔前の少女漫画のようにおっとりして柔和だが、ヒロインの太腿造形が妙に色っぽいような気もする。作者は『味噌汁でカンパイ!』(全14巻)に続く2つめの連載とのこと。
高岸かも『勇者の旅の裏側で』第1巻(ドリコム、原作あり、1-5話)。非常に強いが「勇者」として選ばれなかった女性冒険者に対して、女性神官(もう一人の主人公)が、勇者チームを陰からサポートするように依頼するという話。神官の健気な頑張りと、冒険者が滲ませている不気味な背景事情が、物語を引っ張っていくようだ。絵はまずまずの出来だが、もう一味欲しいかな……。
ツナマサ『DOG MATIC』第1巻(ヤンマガ、1-7話)。強力な肉食獣人と草食獣人が上位階層であり、人類は下層階級であるという架空社会で、主人公の人間女性はたまたま獣のパワーを身につけて、奴隷として売られた弟妹たちを探しに行くという話。主人公はわりと無思慮に暴力路線で突き進み、インパクトのある紙面構成がそれを印象的に彩っていく。迫害と抵抗の物語でもあり、爽快感のある冒険譚にもなりそうな、パワフルな作品。創作系同人っぽい雰囲気だが、作者はこれが商業第1作のようだ。ページあたりのコマ数が少なめなのも特徴的。言い換えれば、一コマ一コマに凝集力のある意味づけを持たせつつ、コマ組み進行をギリギリまで整理しているということで、紙面にはスムーズさと緊張感がずっと漂っている。
うみハル『ブラディクト(Blood-addict)』第1巻(スクエニ、1-4話)。90年代以来の古式ゆかしき「魔物ヒロインに眷属化される」ストーリーに、現代風の退魔組織ものを絡めたような路線で(※退魔組織ものも、80年代以前の伝奇小説からある流れだけど)、主人公の元気良い暴走ぶりに、ヒロインの妖気ある表情、そして周囲の人間関係のデリカシーも含めて、なかなか良い感じ。作者は『異世界通販』の漫画化(全8巻)を続けておられた方で、そちらも良い出来だった。
夕凪ショウ『ひみつのともだち』(単巻、18禁、9月末発売)。子供向け漫画のようなおっとりして可愛いキャラデザで、触手や魔法を使ったアダルト描写を展開するという珍しい路線の作品。コマ絵も精緻で生き生きと描かれているし、コマ組み構成もきちんとしていてクオリティが高い。あとがきの、バストには「用事がない」発言や、剥き出しのバストを表紙に載せるのはアダルトコミックであることを示す「暖簾」なのだという編集者の発言も、妙に面白かった。
柴田康平『魔女とくゅらす』第1巻(小学館、1-7話)。「ゅ」が小書きなのは、「くゆらす」と「くらす(暮らす)」のダブルミーニングのためだろう。数百年を生きる魔女が、現代日本に隠れ住んでいる日常コメディだが、とにかく絵が凄い。一コマ一コマが、まるでイラスト単体のように洗練された構図と精緻に描き込まれた迫力で作られていて、それでいてコマの流れも抑揚がありつつスムーズだし、魔法を交えたスラップスティックネタも独創性があって切れ味が良い。下ネタも多めなのだが、それと同時に魔女迫害を巡る深刻なトラウマのエピソードも正面から描かれるという、重層的な厚みがあり、そのヘヴィさを絵がしっかり受け止めている。作者の柴田氏はこれまで2つの商業連載があるようなので、買い揃えて読みたい。
コトヤマ『ファンフィクション』(単巻)。目標を持てずに悩んでいる剣道男子と、剣道の世界で対等に扱われない凄腕女子が出会う「ミナソコ」。コンプレックスや憤りや諦念や失望といった、言葉にしきれない屈折。こうした情念がひそかに解放される有様を、夜の野良試合のスピード感のある剣戟シーンがシンボリックに描いている。もう一編の「百鬼夜行実行委員会」は、アナログで描かれた緻密な妖怪たちの絵が楽しいが、筋立てはやや肩透かし気味。
●カジュアル買いなど。
行徒(ゆきと)『魔王様、世界が美味しすぎて滅ぼすのをやめる。』(小学館ヒーローズ)。新刊(第2巻、9-18話)を見かけて、「ガールプラモのキャラデザもしておられた方だなあ」と第1巻から買ってみた。シチュエーションは、埼玉の外食(主にチェーン店などの大衆レストラン)で魔王様を喜ばせるというベタなコメディで、キャラクターの掘り下げをするようなタイプではないが、行徒氏の端正かつ精緻な絵と、河田氏の細かなシュールネタの取り合わせで、なかなか読ませる。第1巻から買って読み直した。
粥川すず『大正學生愛妻家』第3巻(講談社モーニング、17-24話)。第一高等学校(後の東大教養部)に通う男子学生(18歳)と、その妻になった元・女中の年上主人公(24歳)の物語。目元の表現や頭髪の描き込みにウェットな色気があり、実際に色っぽいシーンもあるが、基本的には大正時代の温かなミニマル日常もの。作者は、同じく大正時代に取材した『エリートは學び足りない』に続いて、これが2つめの連載のようだ。既刊も買って、あらためて通読した。
ささきゆうちゃん『バトルミー』第1巻(小学館コロコロ、4月刊)。異能を授かったキャラクターたちがバトルするのだが、主人公の少女がホームレスになったり、増税に燃える総理大臣キャラと戦ったりと、コロコロらしからぬ――いや、らしく?――荒唐無稽でパワフルな描写が連続する。コロコロらしく、コマ組みもぎりぎりまで整理されているぶん、演出のインパクトも強く、外連味に満ちた怪作として結実している。
ユービック『メルヘン・ガール・ランズ!!!』第2巻(ガンガン、5-8話)。西洋の童話や民話のキャラクターたちが、現代日本の歓楽街に転移(?)してしまった話。童話設定によって縛られつつ、同時に現代の暗部(虐待や搾取)にも晒される少女たちというのは、スリリングを通り越してきわめて陰惨な物語なのだが、絵にも大きな魅力があるし、謎によるくすぐりも機能している。
というわけで第1巻も買って読んで見た。何の保護もなしに東京の歌○○町に投げ出された少女たちが必死で生き抜こうとするシリアスなドラマだ。ただし、白雪姫は母親から殺される悪夢につきまとわれ、シンデレラは王子様の幻影に囚われてホ○トに入れ込み、そして赤ずきんは母親を狼から助けようともがいているが当の赤ずきん自身は誰からも守られていない。そうした状況下で、自分たちの尊厳を取り戻そうとするエンパワーメントの物語と言ってよい。ただし、頻繁に拳で殴り合うのは少々突飛だけど、漫画的な味付けの範疇だろう。
小林俊彦『青の島とねこ一匹』第11巻(74-81話、6月刊行)。しまなみ海道近辺の島で、成人男性(高校教師)とその知り合いの高校生(女性)が訳あって同居している日々の生活……こう書くときもいけど、かなりきもいけど、物語は真面目に描かれている。昔のホームドラマのような路線だが。背景作画はいかにも写真加工っぽく、あまり好みではない。うーん。
こるせ『伽藍の姫』第3巻(14-21話、完結)。ポストアポカリプス遠未来の無秩序世界で、人造ボディ人間や、それに対する旧人類再生運動などが渦巻く物語。百合コンビが最終的に心身の合一に至るのは、こういうSF設定ならではのプロットだろう。それにしても、キャラクターたちのバストと太腿だけが肉感的に強調されているのは、全体の画風と物語のテイストに照らしてあまりにもミスマッチで、いささか困惑してしまう。
古味慎也『空をまとって』第7巻(集英社、47-54話)。美大予備校の話だが、なにやらバトルもの少年漫画のように、「困難の発生→発見と解決と成長」が図式的に繰り返されるのがちょっとモヤモヤする。
●続刊等。
1) 現代ものやシリアス系。
眼亀『ミズダコちゃん~』第4巻(22-28話)。かなり調子を取り戻してきた感じ。ストーリーを進めるよりは、キャラクターの内面造形や、亜人キャラたちの個性と社会性、そしてかれらとの関わり合いに集中しており、そこにユニークな掘り下げがある(例えば5m級の巨人同級生や、夢を食べる獏キャラの欲望など)。さらに、単なるフレンドリーな亜人同居ものに終わらず、人類とは思考原理の異なる知的生命体の不気味さも常に示唆し続けている(※クトゥルフ的な暗示も忍び込ませているくらい)。視覚演出もダイナミックで意欲的な見せ方をしている。
LEEHYE『生まれ変わってもよろしく』第6巻(35-40話)。前巻に引き続き、前世の妹との関わりがクローズアップされている。さらに、前世の死亡事故の背景事情も出てきたが……。絵の表現は、主人公の描写はややあっさりしているが、駿くんの複雑な表情が良い感じになってきた。
増田英二『今日も揺られてます』第3巻(21-30話)。初心な学生どうしの微笑ましいすれ違いトーク。話し掛けることもできない両片思いから、ようやく会話のできる関係に進展した。周囲で見守る大人たちは少々しつこいが、このコメディ空間をドラマとして成立させるにはこれも必要な要素だろう。
小野寺こころ『スクールバック』第6巻(23-28話、完結)。思春期のデリケートな悩みをストレートに描きつつ、安易な解決や美談的な盛り上げを排して、柔らかくも誠実に扱っている。主役の伏見自身もけっしてスーパーマンではなく、内に様々な困難を抱えつつも大人として学生たちのために自分を作っているという複雑さが示唆されている。作者の小野寺氏が、次はどのようなモティーフで新作を展開していくかに期待したい。
雁木万里『妹は知っている』第4巻(28-36話)。ずいぶん風変わりな作風だが、コンセプトは明確で、物語進行も段階を追っている感じ。兄はラジオ投稿者たちの間で友人が出来たし、妹も話せる相手を増やしたりしている。絵は一見シンプルで、男性主人公も寡黙なのだが、心情のありようをはっきり伝えるようにコマ組み進行できちんと構築している。それにしても、各巻一回は裸のシーンを出しているようだが、これも全体構成の一環なのだろうか(※単行本化したときのまとまりを意識した不ストーリー構成にしている漫画家もいる)。
mmk『となりの席のヤツがそういう目で見てくる』第4巻(52-68話)。相変わらず好調。そして今巻は丸々全部が水着ネタ。目元に潤いのある最高級の眼鏡キャラに、犬系気質をいよいよ強めてきた慌て男子キャラの取り合わせが素晴らしい。
柚木N'『カレシがいるのに』第12巻(67-72話)。ヒロインたちの身体の厚みがそろそろ凄いことになってきたなあとか、作者は波飛沫のような演出が気に入ったのかなあとか。それにしても、純愛寄りからエロコメから不条理寄りまでいろいろ試みながら、この「彼氏がいるのに」シチュエーション一つで一話完結ネタをひたすら展開してきたのは、非常に個性的ではある。
阿久井真『青のオーケストラ』第13巻(79-85話)。国際コンクールの開始と、父親との再会。他国の演奏者たちなど、新キャラも出ているが、キャラクター造形をきちんとしているので説得力がある(※内面造形だけでなく、視覚的描写や演出でも)。実在の楽曲に即しながら、音楽演奏の迫真性を絵で表現するという難題を、今回も見事にやり遂げている。
松元こみかん『玉川さん 出てました?』第2巻(8-14話)。話が散漫になって、作品コンセプトの軸が分からなくなってきた。お色気要素は案外少ないし、エロネタコメディとしても切れ味は弱いし、正体探しもろくに進展がないのでサスペンスとしての面白味も乏しい。いろいろな要素を盛り込んだようでいて、実際にはどれも浅いままなので、1+1+1=3ではなく0.2+0.2+0.2=0.6くらいの食べ足りなさを覚える。絵が良いだけに、実にもったいない。
ガス山タンク『ペンと手錠と事実婚』第6巻(40-47話)。爆弾魔とのエピソードで、スピード感のある展開で、この緊張したシチュエーションを描ききった。花火での締め括りも、キャラクター個性と巧みに絡めた美しい演出が絶妙の味わいをもたらしてくれる。ヒロインの性質上、真正面顔がとにかく頻出するのだが、コマごとに非常に微妙な感情表現の違いが与えられており、同じような正面構図だからこそ、この無口な少女のデリケートな違いに読者の注意が向くようになっている(※たぶん、コマごとに完全新規で、つまりコピペ無しで描いているように見える。だからこそ、コマごとの意味づけに応じた微妙な変化も絵に表されている)。
史セツキ『日本の月はまるく見える』第3巻(12-18話、完結)。日本で商業連載を始めた中国人若者を描く、いくらかは自伝的(体験的)要素も含んでいるであろう作品。パスポート/ビザの扱い、国家的表現規制の違い、漫画創作への意識、BLの社会的-文化的受容の度合い、家族や地域コミュニティの描写(世代間の問題も含む)、日本語習得の努力、そして新型コロナが及ぼした影響など、多岐に亘る内容をぎっしり詰め込みつつ、ストーリー終盤は幼馴染とともにどちらの国で暮らしていくかを巡る悩みと解決のドラマとして展開され、そしてひとまず落ち着いた解決に到達した。絵柄やコマ組みは比較的簡素だが、読者に訴える力のある優れた漫画家漫画の一つに数えられるだろう。
三輪まこと『みどろ』第2巻(「一華」の章まで)。昭和初期の遊郭を巡る人間模様の、ビターな味わいの連作。性的表現は控えめで、姉妹間のすれ違いや少年のぎこちない恋愛感情など、心情の機微を掬い取る作風が、デリケートなペンタッチで描かれている。
2) ファンタジー世界やエンタメ寄り。
水辺チカ『悪食令嬢~』第11巻(51-55話)。領内の砦を治める首長たち――当然のように全員が美形男性だ――が来訪し、主人公を巡る社会状況が大きく拡大する。それに対する主人公の決意のスピーチも、誠実で説得力がある。作画については、デフォルメ絵を多めに使って雰囲気を和らげつつ、魔物食のちょいグロ要素も忘れないというバランス感覚。
宵野(しょうの)コタロー『滅国の宦官』第2巻(5-12話)。中近東風ハーレムでの連続殺人事件を追うサスペンス。後宮登場人物も増え、話が広がって、面白くなってきた。ストーリー展開も勢いがあるし、作画についてもポージングの力強さや表情のチャーミングさなど、大きな魅力がある。作者のアダルトコミックも買ってみたが(『たべごろバンビーナ』)、柔らかさとボリューム感を上手く表現していて、こちらもなかなかの良作だった。
椎橋寛『岩元先輩ノ推薦』第12巻(45-48話)。前巻の大ネタから一転して、この巻では単話完結のエピソードが続く。バトルシーンも無いが、透明化少女のエピソードを初めとして、おどろおどろしい怪奇譚の個性的なイマジネーションが展開される。
星樹(すてらぎ)スズカ『悪役令嬢の矜持』第3巻(11-15話)。サブキャラたちの処遇を含めた、後日談的なエピソード集の一巻。相変わらず、濃密な情熱を全力でじっくり展開していく表現力と胆力が素晴らしい。そして、次の第2幕からは、別の漫画家にタッチするとのこと。元々、第1幕までの契約条件だったのだろうか? 星樹氏はもう一つの連載『どうか君に暴かれたい』に注力していくのだろう。
真木蛍五『ナキナギ』第2巻(6-13話)。丸々一巻を使って新たな人魚キャラが引っかき回す様子を描ききった。想像のできないトンデモキャラ&予想のできないトンデモ展開が続くのだが、「真木氏ならば信じて付いていって大丈夫だろう」という信頼感がある。崩壊していく人体や、溶けていくコマなど、視覚演出も抜群に素晴らしい。
窓口基『冒険には、武器が必要だ!』第3巻(11-15話)。才人・窓口氏によるアイデアのユニークさと、そこにリアルな説得力を与える緻密さは、今巻でも存分に味わえる。同時発売の単巻『ファーストコンタクト』も、メカニカルに突き詰めたSF的着想と、それを掘り下げる手腕、そしてそれをドラマとして見せる演出、いずれも抜群の切れ味。イマジネーションの豊かさは木々津氏に匹敵するが、木々津氏が一種の解剖学的ファンタジーをSF的社会諷刺とグロ趣味に結びつけて展開しているのに対して、窓口氏の場合は物理・工学系のアプローチをSFやファンタジーとして結実させている。未来世界におけるサイボーグと食文化や、フェイスモニターが一般化して人々が素顔を見せなくなった(ある意味とても自由な)社会など、ありそうでなかなか無かった切り口のSFネタを、みみっちく抱え込むこともせずにただの一発ネタ短編として大量に放出しまくっているのは、読んでいて痛快だ。今風に言えば、架空世界をイメージする解像度が桁違いの精密度で出来ていて、しかもそれがテクノロジーのレベルのみに留まらず、技術によって触発され変化した新文化や社会慣習、価値観の描写にまで及んでいる。
しばの番茶『隻眼・隻腕・隻脚の魔術師@COMIC』(23-29話)。一見シンプルな絵柄だが、レイアウトが効果的だし、デフォルメも大胆で読みごたえがある。ただしストーリーそれ自体は、さほど好みではない。
田村隆平『COSMOS』第7巻(25-28話)。芯が定まらずに迷走中。アクションサスペンスから、異種族間恋愛、怪談テイスト、そしてSF展開に、キャラクターのバックグラウンドエピソードと、なんともまとまりが無い。視覚的には、相変わらず黒ベタの使い方が大胆で目を引くが、それ以外は……うーん、紙面演出でもドラマでも面白味を上手く作れていないので、そろそろ飽きてきた。
あきま『人喰いダンジョンと大家のメゾン』第2巻(6-14話)。巨大建築物の構造や仕組みについて少しずつ情報を出しているが、今一つどこに進もうとしているのか分からない。しばらくは連載についていくつもりだけど。
イツカぬくもり『推しの妹に転生~』第2巻(6-10話)。うーん。第1巻はそれなりに切れ味のある演出をしていたのだが、序盤ストーリーが一段落付いて周囲に話が広がってきたら、なんだから普通のチープなヤンデレ主人公もの(しかも緩んだ笑いが多め)になってきた。キャラクターの表情もぼんやりしていてニュアンスの掘り下げが浅いし、残念だけどこれは無理かな……。
その他、雑感。
ファンタジー系漫画で、発動した魔法名をいちいちテロップのように大きくベタ書きするのはとてもダサいと常々思っているのだけど、私以外の読者は気にならないのかな……。
いや、必要な場合もあるし、その文字によって特有の演出効果を生んでいる場合も確かに存在するのだけど、しかしただ無策に、レイアウトもあまり考えずに、しかも味気ない太ゴシック体で、コマ絵の適当なところにアイスなんとか!とかフレイムなんとか!とベタベタ貼っているのは、洗練されないなあという印象を持ってしまう。非常に上手い漫画家さんでも、この悪弊に絡め取られていることがしばしばあり、ベターな代替手段はなかなか無いのだろうけど……。
テロップと言えば、レギュラーキャラですら、登場する度に名前表示するという作品も、たまに見かける。これはこれで、まあ分かる。新刊漫画が膨大に刊行されている現代では、キャラ名を覚えるのも大変だし、囲み枠の装飾がきれいだと雰囲気が出るので。ただしこれも、文字サイズが大きくて押しつけがましかったりすると、嫌気が差す場合がある。
結局のところ、こうしたガジェットはあくまで道具であって、紙面全体のレイアウトや演出を考えながら上手く使う必要がある。