【 左右半分での擬似的なヴィジュアルノヴェル 】
『めぐり、ひとひら。』(キャラメルBOX、2003)のスタイル、つまり画面を左or右の半分を使ってテキスト表示するというdemi-VN型表示様式は、「複数クリックにわたるテキストを表示し続けるという意味で、VNのように可読性余地を広げ」、かつ「通常のVNのように画面全体を遮蔽してしまわず、立ち絵等がよく見えるようにスペースを常時確保している」という意味で、一応理に適っている。それは、朱門優が企画した本作の美的-文体的コンセプトの一部として、例えば三人称的選択肢文言や複雑な伝奇的物語といった諸特徴とともに、この「エモーショナルノベル」(と自称している)の個性を作り上げている。
『めぐり、ひとひら。』
(c)2003 キャラメルBOX
(図1:)通常シーンでは、テキストは、いわば画面左右のいずれかに寄せたヴィジュアルノヴェルのような形で表示される。また、地の文と科白部分とを混合させつつ複数クリックに跨がってテキストが表示され続ける。行頭の一字下げをしていることも、ゲームテキストとしては特徴的である。
(図2:)一枚絵シーンでは、テキストを左/右に寄せることはあまり意味が無いので、中央部分に表示されていく。
しかし、同様のスタイルを採った『水平線まで何マイル?』(ABHAR、2008)に対しては、プレイヤーの感覚としては「読みにくい」という感想を持ってしまった。その理由は二つあり、一つは、『めぐひら』が複数クリック分のテキストを継続表示させているのに対して『水平線』は会話テキストに志向しつつ一クリック毎にテキストが更新される、つまりVNとしてのメリットを持っているわけではないということ。そして第二点として、『めぐひら』の1行17文字に対して、『水平線』はわずか13文字であること。『水平線』のアプローチは、「一般的な白箱系AVGの会話劇を尊重しつつ」、「テキストが立ち絵を遮蔽しないように最大限配慮した」ものであると考えられ、その限りではたしかに成功しているのだが、しかしそのためにAVGのもう一つの重要な要素「テキストの読みやすさ」が犠牲にされている。
『水平線まで何マイル?』
(c)2008 ABHAR
(図1:)テキストは横13文字。縦には一見余裕があるが、左記引用画像のように、下部には二人目のキャラクターの立ち絵(小)が入ってくることがある。 また、一クリック毎にテキスト表示はいったん消去してから更新される。
(図2:)一枚絵シーンでは、このようにテキスト表示形式が切り替わる。ここでも、画面外にいるキャラクターの台詞に際しては、顔窓相当の小型立ち絵が表示される。左記画像ではテキストに改行が含まれているが、クリック待ちを挟むものではなく、あくまで単一パラグラフである。
【 画面下半分での擬似的なヴィジュアルノヴェル 】
これとやや類似する手法として、BaseSonによる『ONE2』(2002)と『屍姫と羊と嗤う月』(2003)の試みがある。この作品では、テキスト表示エリア(メッセージウィンドウ)が、一般的なAVG作品よりも大きく、画面下部4割ほどを占める。その枠内に最大8行×27字のテキストが表示でき、複数クリックのテキストが画面内に保持される。できるかぎり多くのテキストが画面内に表示&保持されるようにしつつ、同時に立ち絵が遮蔽されないような仕組みになっているという意味で、これもまたVNの改良を志向するヴァリアントの一つと見做すことができる。ただし、行間がきわめて狭いという点で、難なしとしない。
『ONE2』 (c)2002 BaseSon
(図1:)テキスト表示は、通常の画面下部表示型AVGに似ているが、1)テキスト表示枠はほとんどデコレーションの無いグレーであり、2)縦8行分もの長さで、3)複数クリックにわたって、4)地の文と台詞部分とが混合して、表示されるという特徴があり、それゆえ機能的にはヴィジュアルノヴェルにきわめて近い。当然ながら、5)話者表示も存在しない。
(図2:)一枚絵シーンでも、同様に画面下部8行表示スタイルである。
『屍姫と羊と嗤う月』 (c)2003 BaseSon
『ONE2』では地の文の比率の高い内省的なテキストワークであったものが、この作品ではキャラクター科白の比率の高い作風に転換しているが、画面構成とテキスト表示形式はそのまま引き継がれている。
TOPCATの『果てしなく青い、この空の下で…。』(2000)と『アトリの空と真鍮の月』(2009)は、このような折衷的なスタイルを採用しつつ、さらにプレイヤーに縦書き表示と横書き表示の選択権をも提供している。上記のBaseSonと同様に最大8行×26文字の複数クリック表示であるが、話者表示を伴っている点が異なる。また、キャラクター台詞のパラグラフでは、テキスト色変更が行われている。このため、テキストのクリック進行は思ったよりも早く、視覚的にもヴィジュアルノヴェル的な特徴は比較的希薄である。
『アトリの空と真鍮の月』
(c)2009 TOPCAT
(図1:)上記の諸事例とは異なって、メッセージウィンドウが明確に枠として区切られている。また、メッセージウィンドウ内で、括弧《》を用いた話者表示が施されている。さらに、キャラクター別テキスト色指定がなされている。このように、ヴィジュアルノヴェル的ではない諸特徴をも含んでいる。
(図2:)横書きモードを選択した場合は、このようなレイアウトになる。メッセージウィンドウ内には、複数クリック分のテキストが保持されるが、会話が続く場合は複数のパラグラフが隣接(連続)して表示されるのに対して、地の文と科白とが混在する場合には、左記画像のように一行空けて表示される。可読性に配慮した処理であろう。
【 フキダシ型テキスト表示との折衷 】
このように、通常のAVG形式と全画面テキスト形式の折衷は、言い換えれば、立ち絵の視認性確保とテキストの可読性配慮との間の緊張関係の解決は、様々な形で試みられてきた。さらに、技巧的なテキスト表示を、スクリプトワークの力業によって徹底していった一つの試みとして、『SWAN SONG』(Le.Chocolat、2005)がある。ここでは、過剰なまでに饒舌なテキストが、その都度さまざまな位置に表示される。多くのシーンでは、テキストは画面中段に表示されるが、その場で表示される画像との関係によって、あるいはテキスト内容や描かれている状況と連動した演出として、様々に変化する。例えば、遠くを見晴らすシーンでは画面上部にぼんやりと表示され、あるいは内省的なモノローグでは、画面下部に8行にもわたって一クリック分のテキストが一気に表示される。カットインが入ってきた場合は、それを避けるように中段左側(あるいは右側)にまとめて表示される。登場人物たちが顔を突き合わせて相談している場面では、キャラクターの顔画像が画面四隅に表示されつつ、テキストは中段に表示されていく。
ここでは、一般的な意味での可読性への考慮はほとんど放棄されているかのようである。もっとも、ここで実現されている特異な文字表現空間には、それと引き換えにするだけの価値があると制作者たちは判断したのかもしれないし、また、脚本家による放恣な長広舌は結果として(?)画面内をテキストが飛び回るペースを緩めることに寄与しているのではあるが。テキストの性質としてはヴィジュアルノヴェル的(というか小説的)であると言えるが、様式論/技術論としては、フキダシ型テキスト表示の自由さと比べて論じられるべきであろう。
『SWAN SONG』 (c)2005 Le.Chocolat
(図1:)テキストは、画面下段や中段に表示されることも多い。ただし、長大なテキストは途中に改行を挟むこともなく、また話者表示も伴わず、薄いグレーのスペースの上に表示される。いわばページ内改行(クリック待ち)のないヴィジュアルノヴェルのようなものである。話者(登場人物)を表示するため、自由な角度で区切られた顔窓がしばしば表示される。
(図2:)テキストは、特定の位置に寄せて表示されることもある。ここでは、画面右側が吹雪を描いた一種の背景画像であり、それに対して画面左側に一種のカットインとしてキャラクターたちの描かれた画像が表示されている。そしてテキストは、キャラクターの動作を遮蔽しないように、右下に寄せて表示されている。
(図3:)大地震によって潰れてしまったピアノを眼前にした、ピアニスト主人公の述懐。テキストは上段からぎっしりと埋められてピアノの画像を圧迫している。この12行×31文字のテキストは、本作でも最大級のものだが、しかしこれは例外ではなく、同規模のパラグラフが頻出する。
(図4:)本作では、「立ち絵」「背景」「一枚絵」といった区別はほぼ破棄されている。登場人物を表す顔(頭部)のカットインや、ロケーションを示す全画面背景などはあるが、それらはその都度融通無碍に組み合わされる。カットイン画像(と一応呼びうるもの)は、しばしば自由に、不規則に区切られており、その余白となる黒いスペースに、テキストが放り込まれる。とりわけ内省や回想のシーンでは、こうした黒い余白が多用される。
(図5:)図4から連続した状況。テキストは、画像の重要な部分を遮蔽しないような位置に置かれる。一枚絵(に分類されるであろう画像)のシーンでも、テキストは画面下部に表示されることが比較的多いが、固定的なものではなく、必要に応じて様々な位置――画面中段や上段、あるいは画面左上や右下など――に置かれる。
【 その他の諸事例 】
その他、縦書きや多層表示などの様々なテキスト表示については、演出技術論Ⅳ-4-3-αを参照。また、フキダシ型テキスト表示の典型としては、Littlewitchに関する同Ⅰ-1、すたじお緑茶に関する同Ⅰ-2、その他メッセージウィンドウに関してはⅢ-2-6も参照。整理されたフキダシ表現として、「『聖娼女』:絵とテキストとシステムの協働」も書いた。『かぜおと、ちりん。』(シーズウェア、1999)は画面下部テキストボックス表示とサブテキストウィンドウの併用という風変わりなスタイルを採った(gethcu.comのサンプル画像でも確認できる)し、『装甲悪鬼村正』(Nitro+、2009)は画面中央に縦書きのテキストボックスを表示するという奇手に出た。