『ぶるにゃんマン』には、BDSMのなんたるかについて、遅まきながらあらためて多少なりとも蒙を啓かれたという点でも感謝している。各キャラの首輪装着にわざわざCGを割いて、しかも複数の差分までしっかり描いたそのシークエンスには、ゾクッと来た。視覚的表現であって、しかもクリエイターがキャラクターもシチュエーションも構図もポージングも瞬間の選択もすべてを自由かつ完全にコントロールできるというイラスト媒体ならではの明晰さと、一枚絵という構造によって特定の要素(特定の瞬間、特定の行為)を文法的にハイライトしてみせることができるというAVGの特質を利用したそのインパクトの鮮やかさ、あの(針刺しや殴打をも含む、ダーク系美少女ゲームの中で見ても水準をはるかに上回る)過激さ。
しかし、美少女ゲーム一般でそれらがほとんど扱われていないというのは確かだし、そしてそれにはいくつもの事情があるだろう。
1)実のところ、現在の一般的な美少女ゲームは、たとえダーク系であっても、性行為への固着――行為の態様においても回数(シーン数)の要請においても――に強く拘束されているので、BDSM表現はどうしても優先順位を低く見積もられがちであり、それゆえなかなか正面切って取り組むのが難しいという側面があるように思われる。
2)また、この分野の「ダーク系」は、一方的な蹂躙の快楽を基盤にしているように思われる。言い換えれば、一本あたり20時間もの長さを伴っている(それは明らかな強みの筈である)にもかかわらず、関係的な活動としての側面は、あまり強調されていない。調教SLGにおいても――あるいはSLGであればこそ尚更というべきか――、性行為を所与としたうえでの嗜好分化ばかりが重視され、関係の継続という観点をうまく取り入れるには、イベント管理のための多大な労力が要求されるといった事情もあるのかもしれない。
3)さらに、すでに「美少女ゲーム的」「ギャルゲー的」文法という特定の文化が強固なものとして確立されている現在では、それ以外の文化的趣向を追加で上乗せするのは容易ではない(――下手に試みると、不純さの印象、あるいは二重焦点化によるコンセプトの混乱、あるいは食い合わせの悪さといった問題が生じる。美少女ゲームの外部にある特定の趣味嗜好を、ただ単に輸入すれば自動的かつ特権的になんらかの付加価値が生じるというようなことは無いのだ)。
4)美少女ゲームのメインユーザー層が属する若者オタク文化の全体的傾向としても、そのようなリアルな(現実的行為としての)場面で形成されがちな渋い嗜好はけっして身近なものではない、あるいは身近なものとして習熟する機会が比較的乏しいだろう。
もちろん、『女郎蜘蛛』『PigeonBlood』『DISCIPLINE』『夢幻廻廊』といった有名な(そして卓越した)作品は存在するのだが、数としてはかなりの少数にとどまっており、そして今後ともそうだろう。ApRicoTやソフトハウスキャラにはその可能性を感じるし、LassやLWもそれをやれたのではないかと思うのだが、現在にいたるまでそれらは具体化されていない。
自機兼主人公の「ダークぶるにゃんマン」がSTGの各ステージをクリアすると、蹂躙イベントが幕間に挿入される。首輪装着前-装着中-装着後の差分変化があり、またヒロインたちの目元が隠されているのも特徴的である。