2014/11/06

美少女ゲームにおける生徒会

  美少女ゲームにおける「生徒会」的組織についての概観。


  【 はじめに思うこと 】
  「妙に強大な権限を持った生徒会」という文化的機構は、美少女ゲームに限っていえば、実社会の歴史的思想的な負荷とは無縁のものだと思う。それが内発的に着想されたのか、それとも隣接分野等から伝播されたものなのかはともかくとしても。「中学」でもなく「高校」でもない、18歳以上のある若年層が年齢別に三年間在籍するという「学園」制度に依拠する美少女ゲームでは、「生徒会」という呼称が使われることはそれほど多くないし、しばしば「風紀委員」制度に取って代わられているが、その違いはここでは大きな問題ではないだろう。

  類似のものとして、「学内で隠然たる権力を振るう特別な学生」が登場する場合もある。学園内の正式な制度としての権限があるというわけではないが、学園経営者の一族であるとか、あるいは超資産家であるとかいった事情を背景にして、その人間性または人間関係において極端に権力的に(あるいはしばしば自己陶酔的に)振舞う特殊な学生は、遅くとも70年代の漫画においてすでによく知られていた古典的なキャラクター類型の一つであるが、美少女ゲーム分野においても、古くは『学園KING』(Alicesoft、1996)、『下級生』(elf、1996)、『こころナビ』(Q-X、2003)、『Maple Colors』(CROSSNET/ApRicoT、2003)、『LikeLife』(HOOK、2004)、『Festa!!』(Lass、2005)といった作品群以来、散発的ながらたびたび登場している。ただし、彼等/彼女等が、学園世界における権力的側面を代表すると同時に、しばしば学園生活の自由の一端を代表してきたという事実は看過されるべきではない。


  【 古典的な生徒会/生徒会メンバー像として 】
  「強大な権限を持った生徒会」は、現在の美少女ゲームにおいてはありふれたガジェットの一つであるが、当初は存在しなかったように思われる。上記『学園KING』あたりには、戯画化された存在としてのそれはあったかもしれないが、管見のかぎりではその種の「生徒会」のアイデアは、おそらく通用していなかった。生徒会や風紀委員会を登場させた最も早期の実例としては『アルフレッド学園魔物大隊』(ソフトハウスキャラ、2002年)がある。PBM『蓬莱学園』の影響下にあると思われるこの作品には、生徒会として「桜崎蘭華」(生徒会長)らが登場する。また、風紀委員会も登場するが、この自由な巨大学園においては忍者装束で気儘に調査を行う集団として描かれている。ただし、いずれもサブキャラ(脇筋イベント)のワンオブゼムにとどまるが。これらとやや類似するスラップスティック学園ものとして、『がくパラ!!』(studio e.go!、2003)にも生徒会が描かれているが、ここでは学園内の特殊な閉鎖的社会としての生徒会――つまり生徒会室における放恣な性的関係の有様――が描かれている。前記『Maple Colors』も、美少女ゲーム的「学園」の描写の中で「学生会」制度や組織的権力関係を前景化した比較的早期の実例に属する。『天使のいない12月』(Leaf、2003)や『月は東に日は西に』(AUGUST、2003)には、「クラス委員(長)」を務めるヒロインが登場し、彼女等はしばしば主人公たちの不行状を詰るが、これはこのキャラクターのパーソナリティ表現の一環としてのものであり、組織的権力関係を背景にした描写ではない。同種のものは『はるのあしおと』(minori、2004)にも存在する。

  その他、「生徒会」が登場する00年代前半のタイトルについての粗放な概観として、PCゲームにおける『学園』造形についての覚書を参照。私服で登校するという『傷モノの学園』(RaSeN、2001)のヒロインや、『Floralia』(xuse、2002)の才色兼備ヒロインを見ても、この時期の「生徒会長」キャラクターは、政治上の権力を行使する現実的側面よりも、学校生活における社会的名声(憧れの対象となる社会的ステータス)を象徴する肩書としての側面が強かったように見受けられる。それは、『処女はお姉さまに恋してる』(キャラメルBOX、2005)の特殊な「エルダー」慣習や、『プリンセスラバー!』(Ricotta、2008)のエリート的「社交部」にも引き継がれている。


  【 権力あるエキセントリックな組織としての生徒会 】
  美少女ゲーム(というよりはオタク文化一般)に特有の奇妙な「生徒会」について、この分野の中で私が明確に指摘できる最初の例は、『To Heart2 X-RATED』(Leaf、2005)だ。傍若無人な前生徒会長とそれを支える生徒会長はユーザーの間でも人気を博し、作品自体の知名度と相俟って、美少女ゲームにおける「生徒会」への注目を後押ししたと思われる。ちょうどこの時期には、美少女ゲームの中で共有される文化的イメージとしての「学園」像がほぼ確立されつつあった。また、学園恋愛系美少女ゲームが大規模化する中で、描かれる人間関係の密度が上がっていた時期でもある。こうした潮流の中で、「権力ある組織としての生徒会」のイメージもまた、この分野の中で次第に普及していった。

  実例は枚挙に暇が無いが、エキセントリックな学内権力組織としての生徒会像は、『委員長は承認せず!』(Chien、2006)においてすでに戯画化されていたし、『ひのまるっ』(WHEEL、2010)においても明確に前景化された。また、厄介事を持ち込む権力集団(主にサブキャラグループとして)としての生徒会像は、『ピリオド』(Littlewitch、2007)や『桜吹雪』(Silver Bullet、2009)でも描かれた。学内秩序維持の責任を負うべき存在としての生徒会(長)像は、『かみぱに!』(Clochette、2008)においても描かれたし、積極的にリーダーシップをとる生徒会長像は、『てとてトライオン!』(PULLTOP、2008)や『Fairly Life』(HOOK、2008)、そして『ダイヤミック・デイズ』(Lump of Sugar、2011)においても描かれた。

  なかでも、規律的権力を持って部活動や学生生活に介入する組織としての生徒会(あるいは風紀委員会)像は多い。『水平線まで何マイル?』(ABHAR、2008)や『MapleColors2』(ApRicoT、2008)、『星空のメモリア』(Favorite、2009)、『催眠生活』(c:drive.、2010)、『恋色空模様』(すたじお緑茶、2010)、『恋と選挙とチョコレート』(sprite、2010)、『真夏の夜の雪物語』(EX-ONE、2011)などが存在する。ピンク系タイトルならではの形で生徒会や風紀委員が権力を行使する例としては、『Schoolぷろじぇくと』(アトリエかぐや、2006)や『ビッチ生徒会長のいけないお仕事』(softhouse-seal、2014)もある。


  【 00年代後半以降の生徒会表現のさまざまな現れ 】
  他方で、主人公たちと融和的な存在として描かれることも少なくない。物語の中心的話題が展開される場(サロン)としての生徒会室は、『はっぴぃ☆マーガレット!』(CROSSNET/Favorite、2007)や『来てね!魔法戦士の学園祭』(triangle、2009)、上記『恋色空模様』、『カルマルカ*サークル』(SAGA PLANETS、2013)などが取り上げているし、それと類似した「学園祭実行委員会」という形では上記『桜吹雪』も該当する。とりわけensembleは、デビュー作『花と乙女に祝福を』(2009)以来、『黙って私のムコになれ!』(2011)、『桜舞う乙女のロンド』(2013)、『Golden Marriage』(2014)、『彼女はエッチで淫らなヘンタイ』(2014[※ensemble SWEETブランド])でくりかえし物語の主舞台として生徒会を取り上げている。これらの作品においては、公的組織としての「生徒会」は、それ以外の私的な「部活」や「仲間内の活動」と同様に、確立されたコミュニティの人的物理的輪郭――物理的というのは生徒会室という特定の場所のことだが――の一つとして作用している。

  また、学園内の登場キャラクター数や人間関係表現の密度が上がるにつれて、「主人公たちとは異なる登場人物グループ(サブキャラ集団)としての生徒会」という表現も現れてきた。例えば、『Signal Heart』(Purple software、2009)、『初恋サクラメント』(Purple software、2010)、『Strawberry Nauts』(HOOKSOFT、2011)、『LOVELY QUEST』(HOOKSOFT、2012)などがある。また、実例は少ないが、イベントとしての生徒会長選挙が、前記『恋と選挙とチョコレート』や『恋色空模様』、『Little Little Election』(Liar-soft、2003)、『Hyper→Highspeed→Genius』(ういんどみる、2011)などで扱われている。

  伝統的な、「名声としての生徒会長(あるいは生徒総代)」像も、引き続き多用されている。例えば『さかしきひとにみるこころ』(light、2008)、『タユタマ』(Lump of Sugar、2008)、『FORTUNE ARTERIAL』(AUGUST、2008)、『天神乱漫』(ゆずソフト、2009)、『なないろ航路』(Journey、2010)、『CURE GIRL』(Noesis、2011)、『すぽコン!』(Astronauts、2012)、上記『Golden Marriage』、『PRIMAL×HEARTS』(ま~まれぇど、2014)など。ダーク系タイトルにも、この種のキャラクターは多数登場する。例えば『牝奴隷』(アトリエかぐや、2005)、『姦染』(SPEED、2006)、『輪罠II』(Guilty、2008)、『教育指導』(BISHOP、2009)、『凌成敗!』(Tinkerbell、2011)、『催眠術3』(筆柿そふと、2013)など。

  さらに近年では、以上のような特徴づけの類型には当てはまらない、新しいタイプの生徒会長像も現れてきている。例えば『彼女(あのコ)はオレからはなれない』(戯画、2012)、『キスベル』(戯画、2012)、『紅蓮華』(Escu:de、2012)、『なつくもゆるる』(すみっこソフト、2013)、『フラテルニテ』(CLOCKUP、2014)、『恋する姉妹の六重奏』(Peassoft、2014)、『バカ燃えハートに愛をこめて!』(プラリネ、2014)など。彼女等が特定の活動に向けたリーダーシップをとることはほとんど無く、また生徒会の存在や活動が物語の焦点に置かれるわけでもない。「優しいお姉さん的な生徒会長に見えるが、実は優等生キャラを演じているだけの超見栄っぱりな女の子」、「才色兼備からはほど遠いが、周囲の人間から愛されているため、生徒会長として当選した」、「生徒会長は誰もなりたがらない役職なので、無投票でなることができた」、「困っている人を見ると放っておけない、心優しい生徒会長」といったキャラクター紹介(いずれもgetchu.comより引用)からも窺われるとおり、従来型のハードな公権力的生徒会長像から脱して、単なる外形的属性としてではなくキャラクター造形の機微に触れる形での、いわば「柔らかい生徒会長」像を提示している。


  【 暫定的な展望 】
  ただし、総数としては、「権力ある生徒会」(あるいは風紀委員会など)は、美少女ゲームの中では、必ずしもメインストリームであったわけではない。これまで紹介してきたとおり、00年代後半以降の美少女ゲーム分野において、しばしば戯画的に、あるいは賑やかしとして、あるいはサロン的な場として、あるいは主人公たちの行動に対する障害の一つとして、さまざまな形で生徒会は登場しているが、それらは多くの場合、主人公たちの親密集団の中核部分に対しては外部存在(異物)として位置づけられている。すなわち、学園恋愛系AVGにとっては、トラブルを構成しうるワンオブゼムではあるが、必然的にその存在が要請されるというようなものではない。あくまで彼等にとって重要なのは、恋愛という私生活上の問題であって、学内の公共的問題ではない。また、ダーク系タイトルにおいては尚更、組織や場所としての生徒会が登場してくる余地は小さい。サロンとしての生徒会像も、当然ながら、それ以外のサークル(部活動)によって容易に代置されている。

  結局のところ、美少女ゲームにおける生徒会は、1)プレスティージとしての生徒会長像は、長く続くキャラクターモデルの一つとして存在する。ただし、キャラクター属性としての側面が強く、実際の行動に結びつくことはそれほど多くはない。また、それほど多用されているわけではなく、ごく散発的な事例にとどまる。2)権力組織としての生徒会像は、『ToHeart2』以降、共通認識として浸透はしている。ただしこちらも、学内の人間模様を幅広く描こうとする場合やトラブルを持ち込むために散発的に用いられるにとどまっている。3)コミュニティとしての生徒会は、00年代後半以降、いくつかの作品で描かれており、それなりに野心的な試みではあるが、実例はごく小数にとどまっている。このように要約してよいように思われる。



  2014/11/15(追記)
  「生徒会」についていろいろ考え続けていて、かなり考えが変化した。エキセントリックな生徒会モデルは、おそらくは、美少女ゲーム分野の内発的で連続性のある発展などではない。美少女ゲームは、オールドファッションな(漫画やアナログゲーム由来の)「特別な卓越の証明としての生徒会」像と、最近の(主にLN界隈が文化的震源地と思われる)「特権的権力としての生徒会」像の二つを散発的に参照しつつも、実際にはそのどちらにも本気ではコミットしてこなかった。

  卓越の公共的制度的証明としての生徒会(の役員)の描写を、ただそれだけのために正面から導入することは、美少女ゲームのAVG表現にとってはしばしば高コストなものになる。それゆえ、1)それに耐えるだけの大作(例:『ToHeart2』)か、あるいは2)生徒会の人間関係全体を物語の主舞台の地位に引き上げてしまう(例:『カルマルカ』)かの、いずれかの路線を採るものが支配的であったと言うことができる。3)上述の「新しいタイプ」の生徒会(長)像は、そうしたコストの問題を回避しつつキャラクター設定に新たな側面を与えようとする処方の一つだと捉えることができる。

  他方で、異常な特権的権力を行使するエキセントリックな組織としての生徒会像は、1)そもそも極度にアイロニカルなパロディ的意識を伴って用いられることが多い(例:『がくパラ』『承認せず』『桜吹雪』)うえ、2)行使される特権的権限の主要なものは、しばしばその自律性(閉鎖性)に関わる防御的なものであるか、あるいは性的放縦のためのエクスキューズにとどまるものであった(例:『Schoolぷろじぇくと』)。3)攻撃的な規律権力としての生徒会(あるいは風紀委員)は、全体的にみれば、きわめて稀であると言うべきだろう。

  この分野が生徒会を活用してきたのは、しかもこの分野に特有の仕方で活用してきたのは、第三の道、すなわち登場人物の範囲を特権的に限定できる「特殊な制度的防護壁としての生徒会」だったのではないか。1)部分的には卓越としての生徒会像を利用しつつも、2)参加者の範囲を明白に、かつごく少数に、そして恣意的な仕方で限定することができ、しかも3)活動内容の自由度が高い組織である(それは活動内容の裁量の大きさという積極的側面だけでなく、特定の活動目的に拘束されないという消極的な自由でもある)という点で、生徒会制度は非常に有用なものだ。そしてこれはまさに美少女ゲームの内的価値に対応している。すなわち、1)攻略対象たるヒロインたちの価値を可能なかぎり高めることが推奨され、2)キャラデザや立ち絵素材制作に比較的大きなコストが掛かる表現形式であり、そして3)とりわけ白箱系(学園恋愛もの)においてはドラマティックな状況の表現よりも日常的な人間関係の密度こそが求められるという点で。「学園」という汎用的な教育制度を所与としつつも、その中にクローズドな人間関係を正統に構築するための手段として、生徒会という概念は有効に作用してきた。要するに、美少女ゲーム分野にとっての、「生徒会」制度の中心的な意義は、いうなれば「夢のあるサロン」であるという点に存するように思われる。