2016/02/29

2016年2月の雑記

  2016年2月の雑記。(→3月1月


  02/27(Sat)
  馬宮くんちの五つ子事情……時子さん、馬宮くん、偽馬宮1、偽馬宮2、偽馬宮3?
  これではもう寝不足どころのさわぎではない。


  ミステリやSFのアプローチから派生した読み方や、90年代以降一般に知られるようになった裏読み志向の大きな問題は、作中世界を単一の整合的な実体のように見做すことによって、作品全体を平板に捉えてしまうという点にある。何かちょっとした遊びのような仕掛けがあっても、常にそれを作中世界の実体そのものだと硬直的に捉えて、それを整合的に組み込もうとする。あるいは、法則的に首尾一貫して成立している(ということは同一のものは常にあらゆる意味で――例えば物理的形状に至るまで――同一のままである)ような作中世界なるものが存在すると勝手に想定する。そして、そのような思い込みの整合性を所与として、不整合があれば失敗だ矛盾だと糾弾する。要するにそれは、作品が創作物であること、表現物であること、想像力の産物であることを無視し、そしてその創作性にこそ価値があるということを忘れ去って、ただべったりと広がった作中世界の架空の機械的整合性に奉仕させようとする見当違いにすぎない。
  他作品へのちょっとしたサービス的言及を、硬直的にクロスオーバーの証拠だと見做したり。あるいは、状況に応じた表現の変化を、つまりその都度の表現の質の違いを見ようとせず、「人物の等身が一貫していないからこの作者は絵が下手だ」などと断じたり。そういう種類の愚かさは、作品の受容を致命的に貧しくする。小説や映画でも、文体や修辞やレイアウトやライティングの妙味を無視して、ただ筋書きだけを追い、あるいは世界設定ばかりを探ろうとする姿勢は、もちろんきわめて一面的な姿勢だ。参加的-生成的なメディアであるゲーム分野では、幸いにもそうした悪弊を免れがちだが。
  また、表現の質に対する外在的意識が芽生える時でも、せいぜい制作事情がどうこうといった視点、つまり作品の実際の形姿から目を背けて陳腐なゴシップ的発想に還元するような発想ばかりが蔓延している。そのような愚行には、付き合う必要などまったく無い。
  「実は○○なんじゃないか」とか、「ここから○○になるんじゃないか」といった設定想像や展開予想も、それはそれでたしかに受け手側の楽しみ方の、取りうる一つの形態だ――とりわけ連載漫画やTVアニメはそれを活用しやすい――が、しかしそれは作品の質を評価する営みとはまったく別物だ。



  02/22(Mon)
  右の人差指が痛い……ゲームのしすぎだ。次の「チャンピオン」発売日までずっと家に籠もっていることも出来たのだが、気晴らしを兼ねて明日は買い物に行こう。


  アダルトPCゲームに対する私の注目は、おおまかにいえば、萌え→SS(二次創作小説)→攻略→声優→システム→コンセプト設計→立ち絵演出→画面デザインのように変化してきた、あるいはは、増えてきた。最近ではSSを探して読みあさるというようなことはしなくなっているけど。それぞれについて、はっきりした転機があったというわけではないが、Leafの産湯を使い、ソフトハウスキャラで育ち、桃組で目覚め、LWで言葉を獲得し、緑茶で自分の視野を獲得し、そしてEscu:deのおかげで今のような視点を持てるようになった。
  この分野は、現在は現在で豊かな世界だと思うが、例えば十年前(2006年)はどんな様子だったか……私個人に関して言えば、『グリンスヴァール』や『涼子ちゃん』を楽しんでいたから、今とあまり変わらない生活だったと言えるかもしれない。分野として見ると、平均的なユーザーのPCスペック上昇のおかげもあって、AVGの画面表現(とりわけCGワークとスクリプト演出)の水準が飛躍的に上がりつつあった。本格的には翌2007年に花開いたその一連の動きの先触れとなり、なおかつそれらに比しても傑出した存在であったのが、『ウィズ アニバーサリィー』だった。
  業界としては、十分な成果を挙げてきた人材が独立して効果的な宣伝によっていっそうの声名を獲得していくという近代的なモデルが用いられるようになった時期でもあったように思われる。まさに、Axl、Whirlpool、ゆずソフト、SkyFishがデビューした年でもある。


  『蒼海』シリーズ以来、やくり氏はPCゲーム原画家の中では十指、あるいはもしかしたら五指に入るくらい好きな方なんだけど――そして共同原画のみつき氏もわりと好きなんだけど――、肝心のゲーム本編がねえ……。100時間、200時間を消費させることを自慢するかのような悪しきハイカロリー志向。いろいろ頑張って実験していることは分かるが、成功していないゲームシステム設計。そして、「プレイの邪魔になるような悲惨なUIデザイン」という酷評にただ首肯するしかないインターフェイスデザイン。つらいよね……。



  02/20(Sat)
  うわあ……夢に安玖深氏が……。立ち居振舞いのきちんとした方で、そして夢の中の私は、恐懼恐縮しながら氏の人生がうまくいくように気を遣う立場だった……。夢の中に勝手に登場させてしまった失礼をとりあえず括弧に入れて考えると、これは幸せな夢だったと言っていいだろうか。


  最高度の専門家としてその発言を信用されやすい――もはや最近ではそうでもないけど――大学やその所属研究者が、医学や原子力工学や法学や経済学でデマを吹かしたら大変な悪影響があるけど、その点、哲学ならよっぽどの電波を振りまいても基本的には人畜無害のままで終わるから安心ですよねはっはっは。実際にはもちろん、哲学の分野に属する誤認識やデマが個人または社会に対して実害をもたらすことはある。


  雨天で頭痛がひどいので、おいしいケーキを食べてさっさと布団に潜り込む。
  (就寝前に歯磨きはしましょう)
  ちゃんとした出来のケーキは味がくどくないので、2個食べても大丈夫。なんなら3個でも。
  (問題はそこじゃない)


  このブログも、有害といえば有害だわな……。真に受けてどうなっても……ククク。
  どくいり きけん よんだら しぬで  かい人自称21歳
  (「グリ森」というと、世間的にはソフトハウスキャラのゲームではなく、あの事件なのだった)


  スキル関係の挙動の怪しい点を除けば、『勇者砲』Ver 1.10のゲームパートの最大の変更点は、強敵の攻撃力が3倍(2999)になったというところなので、自軍側の編成に関していえば回避系スキルのアドヴァンテージが増したということになる。それ以前は最大999ポイントダメージを確率で無効化できていたものが、最新ヴァージョンでは最大2999ダメージを確率で無効化できるようになったわけだから。同様に、割合減殺系の装備/スキルも、有用性が増した。
  育成方針でいえば、これまでは「攻撃力のカンスト(999)」「有用なスキルの継承取得」はわりと簡単に実現できたので、最終的には「HP上昇(できれば9999)」に注意を向ける必要があったのだが、HP9999到達と攻撃力2999到達とではおそらく後者の方がはるかに時間が掛かるので、育成効率の計算が大幅に変化したと言えるだろう。



  02/19(Fri)
  ゲーム世界の(というか二次元の)女の子たちは、肉の重たさから解放されていて良いなあ。現実だったらアレなファッションでも、作中世界では(そしてそれがまさにそのキャラを表す記号にもなっているおかげで)堂々としていられるのも、実に良い。しかも声まで素晴らしかったりする。


  空中氏、『戦国天使』(2011)以降、商業原画活動が途切れていて心配していたが、昨年の『ひまわり』に今年は『ISLAND』と、またそちらでの活動を再開されていて安心した(※どちらも全年齢)。


  『勇者砲』にパッチVer1.10か。これはゲームバランスが劇的に変わるな……。
  旧verでのsvdtが維持できるのは嬉しい。
  アップデートしてみたら、引退引継ぎの加算分はデータ上保持されていたようで、攻撃力が1300だの1800だのになっていた。幸運と突破/封鎖は最大999のままのようだ。
  ただし、フォーンとペグルが何故かLv98で「Lv Max」扱いになってしまっている。「Next EXP」欄もカンストの「-」表示。うーん、これはさすがに制作者の意図ともプレイヤーの期待とも異なるだろうし、ここにはさらなる修正を入れてほしいところ。
  「マナ補給」コマンドは、「ヒュウリ」が95に格下げされた代わりに「ハーレム」の補給量が100になった。妥当だろう。
  侵入者の装備アイテムが変わっている。特殊な白侵入者の上位に黒い侵入者たちが設定されたようだ。HP9999に攻撃力2999……これはきつい。
  「マジックアロー」は4フェイズ毎に攻撃力40%のダメージ。侵入者専用だろうか? ともあれ、これで前魔王様がかなり強化された。自軍サイドも、学炎生やラクリマの固有スキルがかなり強化されているが、「体力吸収」「エナジードレイン」がかなり弱体化しているので、全体として不利になっているようだ。
  クビキリメイド引退時の「メイドの守り」は入手可能になっている。
  一部ユニット(ティーナと固有魔物ユニット)が、他のユニットの専用スキルを装備できるようになっているが……いや、それどころか侵入者専用らしきスキルまで装備できるようになっているし、他にも「*840・超級」(スキル説明は「*」のみ)のようなおかしなスキルまで使えるようになっている……さすかにバグっぽいので、直前のsvdtをキープしておいて、しばらく進行保留しておこう。


  アイドルものは、ゲームでもアニメでも、曲はともかく歌唱の方がたいへんアレなので、聴くのは本当につらい。ただでさえキャストが十把一かr…こほん。元々歌手ではなく本業声優の方が多いのだから仕方ないのだけど。


  不良善行のバイアスが語られることがあるけど、あれこそはまさにフィクションの中でしか成立しないお話だと思う。実際には、最初に良い印象を持った相手は、のちに暗い部分を知っても「あらあらうふふ、まあ人間ってそんなものよね」で済ませられるし、第一印象がマイナスだと、のちになにか善い行為を聞かされても「ふうん、まあ、100%の悪人はそうそういないからね」でスルーされてしまう、というのが大多数だろう。少なくとも私自身は、おそらくそういう対応になる。べつに「第一」印象に限らず、「すでに持っている」認識乃至評価を転換することに対して、人はわりと消極的なものだろう。もちろん、現在持っている認識乃至評価が絶対的全面的に正しいわけではなく、新たな知識に応じて評価も適宜改めていく方が良いし、できるだけそうしていくべきだと思うけど、それを万人に高度に要求するのはかなり難しいようだ。



  02/16(Tue)
  ああ、なるほど……心底どうでもいいことでも、まったく気兼ねなく、気紛れに打鍵入力して、アウトプットする(形にする)ことで頭の中から流し去ってしまえるというのは、twの大きなメリットだったんだね。文字入力を厭わなくて(あるいはその身体動作を楽しむことすらできて)、いろいろな思考が脳裏を往来しているような人には、便利なストレス軽減メディアなのかもしれない(――もちろん、情報収集ツールとしての有用性もあるが)。ほんの数日間の滞在でも、そういう感覚が分かった、あるいは思い出せた。


  新記事:「『LEVEL JUSTICE』再説」は、あちらであれしたテキストをリライトしたもの。
  また、スタイルとしても、従来とは少し違った書き方を試している。うまくいっているだろうか。


  読まれているか/読まれたかでいえば、まあ、ほぼゼロと言っていいのだろうけど。一連の投稿の中で旧ブログの記事へのリンクを貼っていた(もちろん、関連のある議論として紹介しつつだ)が、「そういえば…」と後で見てみたらそのページへのtwからのアクセスはどうやら1つも無かったので、リンク先と一連の投稿どちらも、まともにはまったく読まれなかったのだろうと判断した。もちろん、ひとを試すつもりでリンクしたわけではないが、事実認識として、ああ、そうだったんだねーという話。もとよりそのくらいのつもりではあったけど。
  旧ブログでも、ある記事に対してどこぞのサイトからの大量のアクセスが生じたことがあったが、その際にその記事の文中でリンクを貼っていた別の記事(関連する議論としてリンクしていた)には、元記事の0.1%かそこらしかアクセスが無かった。つまり、本文をきちんと読んで、関連のある記事にまで目を通そうとするくらいまでの訪問者は、1000人に一人もいるかどうかということだ。アクセス数がいくらあっても、(一般的にどうなのかはともかく、少なくともこの私の文章に関していえば)ほとんどはろくに読まれていないものなのだなあという経験になった。
  というわけで、今後とも、観念的な「読まれうる世界」は想定するとしても現実の読者の存在は一切想定しない、完全なモノローグとしてこのブログは続けていくつもり。わざわざ読んで下さる奇特な仮想上乃至現実上の訪問者がいらっしゃるなら、それはそれでありがたいことだけど。
  そういえばとtw検索してみたら、旧ブログタイトルと同じ文字列のアカウントさん(韓国の方のようだ)がいらっしゃって、微笑ましいやら申し訳ないやら。いずれにせよ、あまり掘り返さない方が良さそうだが。現ブログの方は……うーん、まあいいか。gglであれtwであれ、画像検索をすると、本当に楽しいのだけど。「払暁の庭」「曙の庭」は、特に英語で検索すると、明るく静かで美しい風景写真がたくさん出てきてくれる。


  月末までの遊びの計画を立てる。


  今回の「艦船模型スペシャル」は、信濃の図面やおおなみの写真(2015年の比較的新しい写真)がいろいろ載っていたので、ニコニコしながらゆっくり読んでいる。オール筆塗りも久しぶりにやってみたくなった。しかし、「ふちんくうぼしなの」というと、どうしても『こみパDCE』のことが思い出されて、出オチ感が強まる……。
  それにしても、これだけのクオリティ(紙と印刷の質)の雑誌が、ほんの2000円かそこらで買えてしまうって本当に素晴らしい。実際には、広告費などが入っているおかげであって、個人での印刷所注文したり専門書を刷ったりするのとは訳が違うのだけど。


  ここ二日間ほど、両肩が凝っていた(※たぶん人生で初めて)が、寝ていたら治った。
  「肩が凝る」ってこういう状態なのね、とびっくりした。怖いなあ。


  先年――えーと、2011年か――のLAWSONまどかは、目を背けたくなるくらい似合っていなかったものだけど、今回のあれは幸いにもそれなりには似合っており、ファンアートの量によってもそれは推し量られる。問題は、コンビニ店員服が似合うというのがはたして褒め言葉になるのかどうか分からないところだが。


  延期については、私はほとんど批判的な考えを持っていない。むしろ、性急に発売するよりも、スクリプトの練り込みからバグフィクスに至るまで、メーカー自身が発売するに値すると思えるだけの内容的水準をきちんと確保したうえでリリースしてくれた方がよい。あくまでメーカー自身の判断で、しなければいけない状態なら当然延期してほしいし、あえて延期したい場合でも、それはそれでやってくれて構わない。
  そう考える理由は、いくつかある。1)ゲーム制作は、個人の才能/能力に大きく依存する創造的活動であって、機械のように定期的に出来てくるとは限らない。しかも、脚本や原画といった基幹部分がたった一人だったりするなど、ごく少数のスタッフで構成されており、しかも往々にして替えが利かないという難しさがある。2)私個人としては、必ずしも、新作をすぐにプレイするという習慣は持っていない。だから、延期されてもほとんど困らない。3)ただしSLG作品は基本的に発売=購入=即プレイを心掛けているが、SLG作品の場合はバグがあると致命的だし、パッチで既存のセーブデータとの互換が失われるのも困る。だから、発売時点でできるかぎり十全な状態にしておいてほしい。4)延期しても、損をするのはメーカーであり、したがって延期しないようにするというインセンティヴはある(――とはいえ、予約数が足りなければ延期するということもあるようだし、一概には言えないが)。5)問題になりうるのは、店頭での(予約)購入を予定している場合だが、私はほぼ完全に通販移行してしまったので、基本的に問題にならない。発売延期のせいで行動予定を余儀なくされて不快感を持つユーザーがいるであろうことは分かるが。
  もちろん、「さあ、来月末はこれをプレイするぞ!」という気持ちが挫かれるのは、悲しいといえば悲しいのだけど、そのくらいはたいして気にもならない。唯一懸念があるとすれば、「延期がはびこることで、がっかりしたユーザーがアダルトゲーム全般から離れていってしまわないか」という点だけは心配だ。そういう意味では、各メーカーには責任感を持ってもらいたいかな。


  やっぱり黒薔薇編はやたら面白い。



  02/14(Sun)
  というわけで、あちらの仮初めのイリュージョンはおしまい。原状に戻すために、数日中にもう一度だけログインすることになるが。気持ちのうえでも、もはやあの場所には愛着も未練も何も残っていないことが確かめられた――あそこで出会った方々への敬意は別として――ので、予定よりも早めに切り上げた。そして今後は本当に、二度とログインすることは無いだろう。アカウントを非公開のままにしておくか全体公開設定に戻すかは、ちょっと迷っているけれど。

  反省点としては、画像の見づらさがある。私自身にとっては、掲載した引用画像はすべて実際にプレイしたもので、だからプレイ中の体験全体がその認識と印象にかぶさってくるのだけど、他人の目には単なる場当たりのサンプル(見本品)にしか見えないだろうし、それゆえゲーム本編の面白さへの意識を促すことは困難だっただろう。また、投稿画像を表示する際に、画像の輪郭が分かりにくいデザインになっているのもマイナス点。かといってサムネイル画像では小さすぎる。非全画面背景の話題をするのは、良い選択ではなかった。
  それと、誤字率も高かったと思う。単発のつぶやきならまだしも、ひとまとまりの内容を想定した連続投稿をしていると、そこまで書いてきた内容を振り返りながらそれに続く内容を所定の文字数で綴っていかなければならないので、TLを読んでいられる余裕が無いだけでなく、投稿文面への細部への注意も逸れてしまいがちになった。修辞的表現ももっと行っていきたかったが、文字数制限のために、つまらない文面になってしまった。

  ざっと見て回って、あのアカウントがフォローしていた方々のうち、7割以上がいまだに活動中(今年に入ってからの投稿あり)だった。みなさん、4年も5年もよく続いているのだなあ。


  霧雨優兎(『空飛ぶ羊』)、兎波こころ(『恋愛フェイズ』)、兎山羽流(『さみだれ』)と、ウサギネームのキャラをすでに3つも演じておられるのか。さすがだ……。(名前キャスティング?)


  Picasa W.A.の更新停止に、自分はどう対応したらいいのだろうか。
  これまでblggrから投稿した画像のデータは今のところPcsWA上に置かれているようだが、すでにPcsWA上にあるデータは保持されるらしいので、既往に関してはさしあたり問題ないようだ。長期的にはどうなるか分からないが。
  私のGoogle Photosアカウント――ggl+アカウントに含まれている――はすでに(自動的に)作られているし、今後はGP上で管理されることになるのだろうか。ただし、公式告知によればPcsWA上のデータは自動的にGPへ移転されるとのことだが、私のアカウントではまだそうなっていない(「写真なし」のまま)。今後blggr経由で(あるいはblggrのために)画像をアップロードするのがどのような仕組みになっていくのかが問題だ。
  とにかく、データをなくさないように対処する必要がある。

  blggrをggl+に「移行」はしていないせいかな。あまり気が進まないが、ブログ内容の長期保存を重視してここを使っているのだから、試しに(安易)やってみよう……いや、待て、blggrネームがg+ネームに置き換わってしまうということは、旧ブログで表示されている投稿者名はどうなるんだ? 心配なので保留しておこう。g+ネームだと「姓+名」の形にせざるを得なくなるし。
  ついでにg+のプロフィール画像を付けておこうとしたら、250+250pxl以上の画像でなければいけないとか……何その制約。1KB(113*113pxl)のモンドリアン画像では不満だと申すか。

  試しにGPに画像をアップロードしてみたら、PcsWA側にも反映されていた……どういう仕様なんだ。私がしてほしいのは、GP→Pcsではなくてその逆なのだが。

  アプリとしてのPicasaは、初期設定で開くと、でぼ作品のSvdt画像を並べて表示するだけのおばか機能でしかなかった。いや、ちゃんと使えば便利なのは分かっているが。

  これまで二つのブログでアップロードしてきた画像は、800枚以上。控えめにしてきたつもりだが、ずいぶんいろいろやってきたものだ。



  02/13(Sat)
  ねえねえ、お兄ちゃん、今すぐ『野良猫ハート』をプレイしたくてしたくてたまらない気分なんだけど、どうしたらいい?

  長身な丁寧語キャラが二人もいるとか……。ちなみにヒロイン四人とも160cm以上。キャストも、前作はいかにも10年代前半を代表するような声優たちを見事に揃えてヒロイン級に投入してきたけど、今作は今作でかなりユニークな配役をしてきているし。絵もぐっと良くなって、とりわけ頭髪表現は、適度なボリューム感と、しっかりした重量を感じさせる存在感と、そして指で梳りたくなるような程良い乱れぶりが、もうたまらない。もはや期待感しかない。

  ああ、体験版をプレイすればいいのか。いや、製品版をきれいな気持ちで始めたいし……。

  シャチさん、ヘアスタイルが良く分からなかったけど、どうやら三つ編みを結い上げてお団子を作っているようだ(cf. [ harukaze-soft.com/nora/img/chara/shachi/8.png ])。だから、お風呂場のイベントCGでは長髪が腰まで垂れている。

  猫になるといえば、もちろん『パティシエなにゃんこ』もある。『マジカライド』(豚?)とか『メタモルファンタジー』(ネコ科ぬいぐるみ)とかも。『夢幻廻廊』のような趣向のタイトルも、動物になるといえばなる。『あおぞらマジカ!!』も、あるエンディングではヒロインの一人が動物化させられていた。逆に『ぶるにゃんマン』は、猫たちが人間化する。


  乳首の膨らみ(尖り)をはっきり表現するのは、わりと最近のスタイルだろうか。00年代末より前には、なかなか無かったと思う。『ヒメゴト・マスカレイド』では、一枚絵鑑賞モードに「NIPPLE」ボタンなるものがあって、押す度にその部分が凸になったり凹になったり差分変化する。しかも、みけおう原画の絵は、良くも悪くもこういうお下品さがよく似合うのだった。

  また、仰臥した男性主人公の局部を、(胸を剥き出しにした)ヒロインが手であれこれするというのも、かなり最近の――そして大きな――流行だろう。例えば今月発売タイトルのgetchuサンプルだけでも、こんなにある(※URLはアダルト注意)。
  [ www.getchu.com/brandnew/873508/c873508sample11.jpg ]
  [ www.getchu.com/brandnew/875507/c875507sample11.jpg ]
  [ www.getchu.com/brandnew/882467/c882467sample10.jpg ]
  [ www.getchu.com/brandnew/889008/c889008sample5.jpg ]

  この二つも、趣向としては似たようなものか。
  [ www.getchu.com/brandnew/841140/c841140sample3.jpg ]
  [ www.getchu.com/brandnew/876497/c876497sample3.jpg ]

  傾向としては、どうやら白箱系とピンク系に集中しており、黒箱系では依然として稀なようだ。



  02/10(Wed)
  PCから異音が……。HDDは正常に動いているようだし、たぶん原因はファンだと思うけど、騒音がつらいし、もちろん安定動作にも直結するので、修理したい……が、メインPCなのですぐには動かせない。新PCに切り替えたいが、それはそれで(金銭的負担を別論としても)主にゲーム方面で差し障りがある。春休み中なのが、不幸中の幸いか。もちろん(心理的/時間的/金銭的etc.の)ダメージは大きいが、講義期間中に講義資料や最新の研究資料が突然全滅するのは本当に致命的なので。とりあえず、何かあってもいいように、全体のバックアップはとっておこう。自作経験は一応あるけれど、ずいぶん昔のことなので、ファンの取り替えすら、独力でまっとうに出来るかどうかは疑わしい。

  ひとまず音は止まったが、正常動作になっているのか、それとももしかして停止してしまっているのか、状況が見えない。こういうのは精神的なストレスの負荷が激しいし、いっそ買い換えてしまおう方が良いかもしれない。


  exciteメール、120日間ログインしなかったらデータ全削除(復旧できない)って、ひどすぎないか。無料メールとはいえ、これではサービスとして信頼できない。ほんの一シーズンのインターバルだけで、保持されなくなるというのはおそろしい。予備の連絡先とか私用メールとして持っておくという使い方が出来ないというのは、メールサービスとしてわりと致命的ではなかろうか。ひどい。


  事情があってtwのアレに何をソレしてきたが、すぐに飽きた。もちろん、あれが悪いというわけではなく、私の気質が合わない(あるいは合わなくなった)とか、あるいは関わりを持つ相手の取捨選択や人数(規模)などの問題とか、はたまたほんの偶然のタイミングの問題とか、いろいろな原因がありうるけれど、いずれにしても、やっぱり復帰はあり得ませんね。もちろん、個人個人としては、傾聴に値する方々はいらっしゃるけれど、媒体としてのアレは、私には合わないし楽しめない。とりあえず週末中(イコール採点作業中だ!)くらいはアレしたままにしてみるけど。

  学生(であった人たち)はほとんど意識していないだろうけど、大学の定期試験の採点は、担当教員本人がやっている。院生にアレさせているというアレな噂を耳にしたことはごにょごにょだけど、まともな教員は当然独力でやっている。中には教授会の最中に採点しているという話も聞く。で、標準的な専任教員は週6-8コマ程度を持っているもので、中には登録者100人を超える大講義室授業も稀ではない(資格に必要な科目だったりすると尚更)し、それに加えて他校非常勤をしていることもわりとある(私もしている)。ということは、半期毎に数百枚、場合によっては1000枚を優に超える分量を採点しなければならないわけで、仮に一枚あたり3分で処理できるとしても、ざっと40-50時間は掛かっている。論述式だとさらに長くなる。
  扇風機で答案を飛ばして採点するという冗談は、もちろん現実には実行しないただの冗談だが、そんな非現実的な冗談が作られるに至った背景を考えると、あまり笑えない。ちなみに、扇風機採点の基準は、たくさん書いてある答案は、書かれただけ塗料が紙に付着して重い、イコールあまり飛ばない筈だから、飛距離の短かった答案は高得点、よく飛んだ答案を低評価にするというものらしい。


  『THE GOD OF DEATH』の虫風呂は、アダルトゲーマーにはそこそこ有名なネタじゃないかな。


  そういえば、「孤独なレイニーデイ」は、ちゃんと聴いたことが無かったかも。


  柚花蓮氏、なんとなく聞き覚えのあるようなお声だが、えーと、えーと……。


  AVGであれば表現システムを、漫画であればコマ割りを。オタク的受容として見れば超少数派であるのは分かっているが、これが私なりの楽しみ方だし、そして、学としてはこれが最もオーソドックスなアプローチだと考えるからこうしているのだ。成り立ちを、仕組みを、目の前にあるものを、正確な言葉で記述し整理することだ。



  02/08(Mon)
  クリックしまくったり、キーボードを叩きまくったりするのに加えて、メタルパーツを切断する衝撃が何十回も手に伝わってくると、そろそろ腕が危ない。読書も、ページの多いハードカバーを持っていると疲れてくるし。その点、音楽(最近はモーツァルト)や映像(古典探訪中)は、目以外にはあまり負担が掛からないので助かる。

  というわけで、「おともだちとのろう!」 2時間弱で完成。
  関西で観覧車というと、天保山とか、梅田の赤いあれとか、ハーバーランドあたり?


  一昔前の美少女ゲームをプレイしたり、あるいは宣伝情報を見たりすると、キャラクターの等身や頭の大きさや立体感などに、歪さを見て取ってしまうことがある。もちろん現在最新のゲームでも、同じようなことは起きている(筈な)のだが、昔のタイトルであるほど、そのズレを強く意識してしまいやすい。
  考えられる一つの原因としては、実際に、時代によって人体の描き方やプロポーションの美意識やデフォルメの仕方に(ごく微細だが意外に影響の大きな)違いがあって、それを認識しているのかもしれない。少なくとも、デフォルメの様式や限界については、かなり時代的な変遷は大きいと思う。例えば、等身を下げた人体表現や路理らしさの表現については、ほんの数年規模のスパンでかなりドラスティックな流行の変化が不断に起きているように思われる。
  あるいは、もしかしたら輪郭の次元ではなく着彩の次元での違いが大きくて、現在の(つまり私がよく目にして馴染んでいる)スタイルではその違和感が宥められやすく、逆に昔のCGは塗りの違和感が造形の違和感をよりいっそう強調するようになってしまっている、といったことが生じているのかもしれないとも思う。もちろん、塗りと造形をきれいに分離切断することはできない。立体感やサイズ感や質感の表現はいずれも、原画レベルの描き込みだけで実現されるものではなく、塗りによって初めて成立しているという部分も少なくない。ここでの論点はそういう区分の問題ではなくて、塗りの流儀も変化しているのだということ、そしてその点に関する受け手の美意識の違いが影響しているのだろうということだ。
  いずれにせよ、オタク的スタイルで表現される美少女キャラクターの美学は、一見自由なようでいて、やはり大きな流行や流儀の移り変わりが常に生じているということが、上記のような経験の際にあらためて痛感される。


  「おおなみ」の作り込み、ようやく完成。近日中に写真掲載しておこう。



  02/05(Fri)

  【 流行り物のイラスト 】
  人気のあるキャラクターのファンアートを、絵描きたちが一斉に描くことについては、否定的な意見もある。批判の根拠としては、「1)流行り物に食いついているだけであって、ファンの絵ではない」「2)そうしたものは(思い入れが無く原作への理解も乏しいので)質が低い」「3)一度に多くを見すぎて飽きる」といったものがあるようだ。しかし私は、そうした流行り物イラストには肯定的だ。
  2)について。まず、質が低いというのは偏見であり、むしろ実力のあるイラストレーターが多数エントリーしているので、良い作品が出てくる可能性は高いくらいだろう。次に、1)について。ファンとしての意識があるかどうかはイラストの質には関係無いし、それは受け手の側がファンであるか否かにも影響されない。そもそもファンであるかどうか(あるいは、どのくらいファンであるか)を本人以外が判断できない場合も多いし、原作それ自体からして濃密に描き込まれて完結したキャラクターではない(つまり、どのようなキャラであることも出来る余地が大きい)場合も多い。そもそも、二次創作とは、原作の存在を所与としてそれに刺激されて成立しているものだが、それと同時に、その性質上、原作から外れた内容、原作には存在しない描写、原作から離脱した想像を作り出すものでもあるのだから、原典からの離背を咎めるのには相当の理由が必要である筈だ。最後に、3)については、詳しく論じる必要は無いだろう。飽きるかどうかは、端的に受け手個人の勝手な事情にすぎない。
  もしも、あらゆるところで常にごく少数の流行り物ばかりが描かれ、それ以外のものが脇に追いやられているような状況になるならば、それは好ましいことではない。しかし、現状はけっしてそのようなものではなく、むしろ最新アニメのキャラから30年前の漫画のキャラまで爆発的な広がりをもって大量のイラストが日々産出されている。上記の仮想的懸念は、杞憂にすぎない。
  多くのイラストレーターが、魅力あるキャラクターの出現に敏感に反応し、そのポテンシャルを最後の一滴まで汲み尽くそうとせんばかりに意欲的に取り組み、様々なスタイルで無数の実験を行い、しかもそれらはしばしば無料公開されている。そして、本当にポテンシャルのあるキャラクターはくりかえし描き続けられるし、逆にそれほどでもないと判明したものは早々に見捨てられて、絵描きたちは次なる鉱脈へと健啖に食いついていく。それは健全な淘汰の世界でもある。
  面白いのは、多くの絵描きに注目されたキャラクターの中でも、様々な画風の様々なシチュエーションによって原作でのイメージから大きく離れて自由に広がっていくことのできるキャラクターがいる一方で、原作どおりのイメージを比較的穏当に踏襲反復されることに終始したキャラクターもいるということだ。前者については、核となるキャラクターイメージはなんとか保持しつつも、大胆にそのポテンシャルが拡張されていくことに素直に感嘆すればいいが、後者についてはどのように考えればよいのだろうか。実際には、キャラクターイメージの拡張のテンションに堪え得ない浅薄なものであったという場合もあるだろうが、あまりにも明晰かつ斬新なキャラクターイメージを提示してそれを一息に確立してみせた秀逸さに賛嘆すべきであるという場合もあるだろう。


  今年の春休みは何をしようかなあ。例年であれば、春季休暇はゲームがたいへん捗っていたのだが、今年はちょっと忙しくなりそう。



  02/02(Tue)
  ハイスコアプレイ楽しいー。私のスキルには限界があって、とても世間的なハイスコアではないけれど、それでも自分の技量の限界までそれを追求して試行錯誤するのは面白い。
  逆に、ロースコアアタックも、ふだんとは異なる観点でゲームに向き合うことになるので、非常に面白い。ただし、パワーアップアイテムを取れなかったり、敵を撃破してはいけなくなったりするので、ACTやSTGではしばしばオールクリアすら困難になるのだが。


  略称のカブりというとDDR。「明日はDDRに行こっか?」 
  今は亡き民主共和国の歌は、「我が栄光」の元ネタとして有名だろう。


  水崎氏は、まだもっとその先を期待していける方だと思う。
  まだまださらにそのポテンシャルを汲み出していけると思うのですよ。
  ……今のところ、その本領が私にはまだよく分かっていないということでもあるが。



  02/01(Mon)
  HARUKAZEは、前作(デビュー作)はいろいろと垢抜けない感じもしていたのだが、今回の新作は絵(原画)を初めとしてキャラデザ(設定を含めて)、塗り、シチュエーションとすべてが好転している感じ。キャスティングもなかなか挑戦的だし、あとはテキストが前作並の水準であれば十分だろう。今のところ、大成功の予感しかしない。

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  よし、これならテキストも良さそうだ。

  そういえば、昨年の秋から、小鳥居氏の出演が一気に増えている。しかも、わりと大手メーカーや元気の良いブランドに重要キャラとして釣瓶打ちで出ているという相当な勢い。それらの大役に見合っただけの技量はお持ちだと思うが、ただし個人的には、この方の演技の聴きどころがまだよく分かっていない。


  tamamo softは、ロボットの登場するダンジョン探索RPG……? 『アマネカ』とか『水スペ』みたいな方向性だろうか。[ www.getchu.com/brandnew/877152/SYS01.jpg ]:このとぼけた感じが気に入ったので、たぶん買ってプレイしてみることになるだろう。


  「八島」は白(新造時)か黒(後期)か、どちらで作ろうか。キットを2隻分購入して黒を「杏子」、白を「杏奈」にしようかとも思ったが、さすがにそこまでするほどこの艦が好きというわけではないし。


  MtU氏のあれは、素人には真似できない代物だろう。1)下手に挑戦しても真下からのアングルはそう簡単に描けるものではない。2)下着デザインも巧みに設定しているからこそ、あれほどの効果を持ちえている。布地の描き込みが、一見シンプルだがきちんと質感が表現されているのも重要。3)立位部分も、その都度シチュエーションを凝っているし、下半身部分ときちんと連動した描写になっている(――そのくらいしなければ、やはり退屈な窃視絵になりかねない)。4)テキストがキャプションとして適切に機能している。5)あの軽やかな質感と柔らかさを併せ持った画風でなければ、全体が下品になってしまうというのもある(――まあ、あえて下品にするという路線もありはありなのだろうけど)。6)もちろん、立位部分と下半身部分のバランスや色調の使い分けも重要で、よほど上手くコントロールしなければ「無関係な二つの絵をただ単に並べただけ」になったり、迫力のない仰角絵になったり、あるいは二つの絵がオーバーラップして見づらくなったりする。思いつくものをざっと挙げるだけでも、このくらいの要因が関わっている。
  もう少し細かな指摘をしてみよう。例えば、MtU氏自身はたいていの場合、スカートから掛かる影をきちんと描かれている。そのおかげで、立体感やサイズ感が際立っているし、また、イラスト全体としても、立位部分との分離(距離感や色調対比)がはっきりしている。氏の着彩流儀からして、薄墨のシェードを入れても、くどくならないばかりか、全体のトーンを程良く落ち着かせているし、過度の下品さをも免れている。しかし亜流の大部分はこれが出来ていないので、見づらくてリアリティも無くて平板な絵になってしまっている。こういうところに、イラストレーターとしての観察眼や表現力が現れるのだ。棒立ちの立ち絵の背後に、意味不明な肌色面積が二本横たわっていて、両者がともに濃いベタ塗りなので互いのシルエットがはっきりせずただ単にごちゃごちゃして見づらくなっている、というような不幸な実例はいくらでも見つかる。
  3Dモデリングでこのレイアウトを模倣するとたいていつまらなくなるのも、こうした一連の事情のためだ。光源の不明瞭さ、質感の欠如、遠近二重表現の(つまりピントコントロールの)難しさといった3D特有の性質が、あからさまにデメリットとして露呈しているからだ。
  だから、『きみはね』をパッケージ販売して下さい!


  投稿一覧ページを見ると、模型雑記の記事は他よりもアクセスがかなり少ない。これは、本来PCゲームが主題であるこのブログに、いわば「間違って」訪れてしまう方が少ないであろうということなので、歓迎すべき状況だ。他方で漫画雑記のページは、そろそろ例の着替え漫画の熱心なファン層に捕捉されてしまいそうな……。まあ、遠慮するのを止めて固有名詞をばんばか出しているので、やむを得ないのだが。