2017/04/11

ゲームCGと空気遠近法

  アダルトゲームCGと遠近法表現についてのちょっとした話。


  ゲームの背景画像には、空気遠近法を完全に無視したものがたまにある。特に大手ブランドにその傾向が強く、成金的にひたすら背景を描き込むせいで、背景画像としてのリアリティが無くなるし、人物画像(可愛らしくデフォルメされているのに)とのバランスが取れないし、余計なところにまで目が行ってしまうようにすらなる。これは00年代前半からの変わらぬ病弊であり、一見したゴージャスさと引き換えに、ユーザーに疲労感を与え続けている。

  雑駁にいえば、空気遠近法とは、「遠くにあるものほど、薄い色で見えるし、ディテールも緩くしか見えなくなる」という見え方のことであり、そしてそうした変化を絵に取り入れる技術のことだ。子供の科学でいう「遠くの山は薄青く見える」話もこれと関連している。人間の目で見た場合でも、デジカメ等で撮影した場合でも、この原理は変わらない。しかるに、ゲーム背景画像で、主人公の傍らにある立木も川向こうに見える民家の屋根も同じ色調で、すべてにピントが合ってくっきり見えるというのは、通常の人間の認識に反しており、そしてそれゆえ、おかしな像として受け止められるだろう。背景CGがどんなに精緻に、どんなに色鮮やかに描き込まれていても、むしろそれゆえにこそ、下手な絵だという評価になる。

  もちろん、この原理をCG制作においても的確に咀嚼して反映させているものはいくらでもある。おそらく低コストで制作されたのであろうタイトルの中にも、この原理を利用しつつ背景画像を程良く手抜きしてみせているものもあったりする。また、伝統的美術の諸前提からの離背はこれだけではない(が、そうした比較検討はまだあまり為されていないようだ)。



  ただし、もう少し多角的に考えてみると、これにもそれなりの意義があるかもしれない。アダルトゲーム分野においても、それが属するオタク分野全般においても、実に多くの表現が高度に記号的なレベルで行われている。それらが依拠している美意識は、伝統的美術が涵養してきたものとは大きく異なっている。それらを新たな美意識の発露だと捉える余地はあるだろう(――もちろん、本当にそれが認められるかどうかについては慎重な検討を要しようが)。

  また、現代のデジタル技術を所与として、高精細という要素は新たな価値原理として現れつつある。昔ながらのアナログな写真や映像であれば困難だったであろう表現が、デジタルの創作的(虚構的)作画であれば容易に実行できる。完璧なパンフォーカスも、絶妙の逆光コントロールも、CGであればどのようにだって処理できるのだ。そしてそれに伴って、高精細であることに価値を認める一般の風潮もいや増しに高まっている(価値観として普及している)と思われる。

  制作技術の次元では、デジタル作画ゆえに細部の拡大に慣れすぎてしまいがちで、ディテールの密度に注意が向けられにくくなっているという事情や、ストレートな3D空間においては空気の存在が考慮されない(もちろん現代の3Dゲームは[空気]遠近法を的確に処理できるようになっているが)といった側面もあるだろう。

  ゲームの表現は記号的な創作表現であり、 二次元オタク的な虚構趣味においては尚更その性格は顕著だろう。闇雲にハイディテールを追求した背景CGや、画像全体を過剰なまでに描き込んだブラウザゲームの褒賞CGが、単なる子供騙しの見苦しいゴテ塗りに終わ(らせ)るか、それとも独自の美意識の創出だとして評価されるかは、オタク文化全体の問題だろう。そして、制作サイドについて言うならば、その両義性の天秤をどちらに傾け(ることができ)るかは、制作者のセンスの洗練と、技術的な試行錯誤に掛かっている。


  アニメ作品でも、同様の表現はしばしば用いられている。しかも、興味深いことに、空気遠近法的効果はかなり極端に誇張されており、ほんの十数メートル程度でも背景部分が薄青く輪郭を滲ませていることがある。これはおそらく、写実的忠実性を重んじた描写ではなく、人物部分を背景から浮き上がらせるためのアニメ特有の演出処理だと解釈する方が妥当であろう。


『機械仕掛けのイヴ』 (c)2006 ninetail
甲板面は、物体としてはすべて同一のグレーであるはずだが、手前の甲板面は鮮やかなグレーであり、汚れすら視認できる。それに対して、遠くに見える艦橋付近の甲板面(100mほどの距離があるだろう)は、薄青く滲んで見える。空気遠近法の教科書的表現の一例である。
『Piaキャロットへようこそ!!3』
(c)2001 F&C
右側後景に見える木々は、葉々がやけに細かく描き込まれている。そのせいで、人物部分への集中が妨げられるし、距離感やサイズ感が混乱させられる(ミニチュアセットの中に巨人が座っているようにも見える)し、ブツブツがいささか気持ち悪い。
『プリズム・アーク』 (c)2006 pajamas soft
3Dを利用したとおぼしきこの背景画像では、水面のゆらぎすら正確に表現されており、それ以前のゲームCGでは享受されることの無かった驚嘆すべき緻密さと質感、そしてそれに伴う豊饒さを湛えている。高度に意匠化された人物部分との対比の面白さも含め、高精細CGのアプローチにおける洗練の可能性を示唆している。
『復讐の女神』 (c)2003 ぱれっと
コンピュータグラフィクスにおいては、空間性の表現は、画像の色調や筆遣いそれ自体によってではなく、出力段階でプログラム技術によって制御される場合もある。この画像では、ボカシによる距離感表現を、ゲームエンジンのレベルでコントロールしている。3Dゲームでも、リアルタイムレンダリングで遠近の見え方を調整するのが通例である。
『LEVEL JUSTICE』
(c)2003 ソフトハウスキャラ
創作表現において写実的忠実性は絶対の規範的要求というわけではないし、それはオタク分野においても同様である。特撮パロディの性格を持つ本作では、背景画像は人物画像との位置関係を無視して描かれ、ゲーム画面に対して外連味に満ちた劇的ダイナミズムを付与している。左記画像は、ビル街を真上に見上げている。
『蠅声の王』 (c)2006 LOST SCRIPT
背景画像を個性的なスタイルで制作しているタイトルもある。本作は、一般的なゲームCGらしい無難さを大胆に放棄しており、荒々しいタッチの下、ほとんど象徴的ですらある描き込みとレイアウトによって、遠未来世界の対吸血鬼バトルSLG(デジタライズド・ゲームブック)の世界を作り上げている。
『BUNNYBLACK3』
(c)2013 ソフトハウスキャラ
ゲーム作品の視覚表現は、美的鑑賞の対象であるばかりではなく、様々な情報を表示する機能的-抽象的-記号的なインターフェイスでもある。例えば、SLG作品のマップでは、遠近いずれのオブジェクトも同一サイズで表示される。