2023/08/24

漫画版『転生したら剣でした』(丸山朝ヲ)について

 漫画版『転生したら剣でした』(著:丸山朝ヲ、既刊13巻)の特質について。
 1)意欲的で挑戦的なキャラクター描写と、2)漫画表現としての洗練と巧緻さ、この2点を巡って紹介していく。(元になった文章は2022年10月、tw: 1582562053524684800)


 1) キャラクター描写について

 本作のメインヒロイン「フラン」は、猫系の獣人少女である。原作挿絵では、典型的な線の細い美少女キャラとして描かれているが、この漫画版では「小柄さ」が視覚的に強調されるとともに、「黒猫獣人族」としての野性味の側面がくっきり描き出されている。つまり、キャラデザと描写の次元で、漫画版独自の明確な表現姿勢が見て取れる。

まずは体格表現から見ていこう。引用画像は左上が3巻13話、左下が同15話、右は11巻55話。12歳の小柄な獣人少女と周囲の体格差。少女が大ぶりな剣(=主人公)を背負ったギャップ。そして少女が街を歩く風景の情緒。モブキャラたちがしっかり描かれているのも良い。
体格表現の意識的な追求は、コマ組みの次元にも反映されている。ロングショットの構図が多用され、広大な自然と小柄ヒロインの対比、激戦の最前線に突入していく速度感(左記引用画像は2巻10話)など、キャラクターが置かれている状況表現としっかり結びつけられた、優れた漫画表現になっている。
ヒロイン「フラン」は、黒猫族という獣人キャラでもある。原作小説版の挿絵ではすっきりした姿だが、漫画版には「黒ベタの頭髪」「入念な癖毛描写」「ケモ耳の毛並の描き込み」といった特徴が見出せる。
 
 a) まずは黒ベタ頭髪と癖毛の表現について(画像は10巻48話)。「黒」猫族という設定があるとはいえ、密度の高いモサモサの黒ベタ頭髪をここまで描き込むのは、現代漫画ではかなり珍しい(※黒髪もトーンで表現するのが主流である)。
 b) そして、ストレートヘアではなく、ややウェーブの掛かった癖毛であることが、ホワイトの描線によって入念に描き込まれている。
 c) さらに、ケモ耳の毛並の描き込みにも注目したい。耳の外周を覆う細やかな毛並が、丁寧なペンタッチで描き込まれている。現代漫画のケモ耳キャラでは、ストレートな描線で輪郭を取るだけであったり、あるいはせいぜい和毛の雰囲気を軽く描く程度で済ませるのが一般的である。その一方で、内側のモフ毛をほとんど描いていないのも、むしろストイックで好ましい。
 
なお、現代漫画には、『高度に発達した医学は魔法と区別がつかない』(画像は単行本2巻)のようなリアリスティックなケモ耳描写も存在するが、『剣でした』ともども、相当な例外である。
 
 現代のファンタジー系漫画ではケモ耳キャラもかなり増えてきたし、ケモ耳の描き方に関する指南本(イラストメイキング本)も刊行されているが、その中でも、この漫画版『剣でした』の描写はかなり特異なアプローチだと言える。


さらに、この漫画版では、アグレッシヴなバトルキャラとしての側面も正面から描いている。激戦に自ら身体を投じ、牙を剥き出しにして殺気に満ちた表情を見せる、意志と野性に満ちたキャラクターだ(2巻8話、3巻15話、同、7巻34話)。原作(小説版)でも第1巻当初から「獰猛」「好戦的」といった形容がなされているので、漫画版の描写は原作通りとも言えるが、漫画版は全てのページ、全てのコマにキャラクターの視覚的描写が発生するだけに、そのインパクトは大きい。
 本作は、作中世界そのものも非常に殺伐としたものであり、奴隷取引や政治的謀殺、そして強大な魔物たちが横行している。そういった世界に生きるキャラクターという観点でも、このフランの猛々しい描きぶりは、この漫画版全体のイメージを堂々と代表していると言える。


全体として、この漫画版は「小柄で無愛想な黒猫娘」という描き方を徹底している。小説版挿絵や、もう一つの漫画版(外伝シリーズ)の「可憐で愛嬌のあるケモ耳キャラ」路線とは大きく異なる、この作者(丸山氏)独自の意識的な選択が、あらゆるコマにはっきり現れている。
 このアプローチは、カバーイラストにも反映されている。とりわけ最近の巻ではフランの描写がいよいよ迫力を増しており、作品コンセプトと美術的訴求力が噛み合ったヴィジュアル表現になっている。


 2) 画面構成(コンテ、コマ組み)について

 キャラクター造形だけではない。漫画描写それ自体も、非常に優れている。つまり、コマ組み、レイアウト、各種演出の側面だ(※ちなみに台詞回しなども、原作の文面を超えて自由に追加されている)。

例えば、小柄なヒロインが戦場を駆け回る高速戦闘の様子や、立体的に跳ね回る動きも、ダイナミックに描かれている。例えば、これは6巻29話の戦闘シーンだが、見開きで大胆な斜めコンテを敢行しつつ、剣戟表現や戦闘の駆け引き、そしてアクションの速度感を劇的に表現している。
この引用画像は7巻34話。こちらも、宙返りの瞬間を巧みに描いた1コマ目から、着地寸前に状況把握をする2コマ目、そしてすぐに相手に剣戟を回避するスピーディーな3コマ目へと、きれいにつながっている。バトル漫画としても非常に優れている。
時折用いられる黒ベタ演出も個性的だ(9巻44話)。シーンによってユーモラスだったり、劇的緊張を高めるものだったりと、用いられ方は様々だが、印象的な仕方でこの黒ベタ演出が用いられる。
荒々しいバトルシーンだけではない。引用画像(9巻43話)のように、花束の描写ひとつ取っても、細やかで美しい。説得力のある戦闘シーンは、こうした描写のデリカシーと技術力によっても支えられているのだ。

 
なかでも感心したのは、この引用画像(12巻56話)の画面構成だ。
 隠し通路から城内へ潜入するシーンだが、鉄枠を慎重に外す動き(上段の3コマ目)から、一人ずつ忍び出ていくる様子(中段の4コマ目)、そして遠くの扉を窺う下段の5コマ目。この3コマに凝縮整理したコマ組みは、瞬間の切り取り方も上手いし、無駄のないコマ組みの構築性という観点でも洗練されているし、息を詰めた緊張感のある時間表現という点でも卓越しているし、空間表現としても明晰に作られている。
 例えば、3コマ目から5コマ目に掛けては、カメラが一貫してズームアウトしていくのがきれいだし、意識のフォーカスの動きとも正確に対応している。つまり、「窓枠を慎重に外す→周囲を窺う→扉の方向へ意識を向ける」という流れが、漫画のレイアウトとして正確に掬い取られて、読者にクリアに伝わってくる。
 3~5コマ目は、時間経過としてはかなり大きくジャンプしているのだが、絵としての連続性がガッチリと確保されている。例えば、3コマ目で外された鉄枠が、4コマ目では地面に置かれており、それだけで位置関係は明快だし、また、4-5コマ目で赤髪キャラのポーズが同じままなのも、時間的-空間的な連続性を確保している。このシークエンスの表現は上手い! 激しいバトル描写だけでなく、こうした静かな進行をも巧みに表現できるのは、真に熟達した漫画家だと思う。

丸山朝ヲ氏の『転生したら剣でした』は、漫画としてたいへん読み応えがあるし、キャラ造形を初めとした原作への向き合い方という点でも興味深い。とりわけ第12巻はストーリー面でも演出面でも最高潮の出来映えで、とりわけ演説を背後に立ち去るラストシーンのロングショットが抜群に美しい(引用画像は12巻60話)。



 作者について追記。(tw: 1583411365863387136)

 丸山朝ヲ(まるやま・ともを)氏は、キャリア最初期の『BLOODY ROAR ザ・ファング』(2001-2002年)から本格的な獣人バトルものを手掛けてきたし、『月輪に斬り咲く』(2011-2015年)も異能剣劇ものとして長期間連載していた。『転生したら剣でした』の特徴的な要素、すなわち「獣人キャラ」+「血飛沫満載のダークファンタジー」+「剣戟バトル」+「2人コンビで放浪旅」はすでにお手の物だったわけで、これほど適任の漫画家にはそうそう出会えまい。原作者はラッキーだし、仲介した編集者(?)も良い仕事をしたと思う。

丸山朝ヲ氏の既刊からいくつか。獣人族がフィーチャーされている作品がやけに多い。この他にも、原作付きの和風ミステリ『おしげりなんし』や、コメディ寄りの『円卓の姫士!』がある。


 丸山朝ヲ氏の前作『月輪に斬り咲く』(全7巻)は、一族に伝わる妖犬の魔物から妖力を借りて邪悪な妖犬たちを討伐して回る物語だった。これは、手塚治虫『どろろ』(呪いを解くため妖怪と戦い続ける)や、冬目景『黒鉄』(喋る剣とともに放浪する渡世人)、藤田和日郎『うしおととら』(妖虎と少年)、フクイタクミ『ケルベロス』(犬の魔物に憑かれた少年)などの、和風伝奇系の剣士放浪ものの流れに位置づけることもできるだろう。もちろん西洋の創作物にも、日本の(オタク系/非オタク系)フィクションの中にも、洋風の剣劇バトルものは存在するが、漫画版『剣でした』の荒々しく孤独の情趣に満ちた手触りは、前記のような和風伝奇系の諸作品と比較することによって、その個性と特質が評価しやすくなるかもしれない。『剣でした』もまさに、喋る魔剣とともに各地を放浪しながら剣の境地を極めていく物語であるが、丸山氏は以前からそうした王道路線のど真ん中を突き進んできた漫画家だと言える。あらためて漫画家自身のキャリアに照らして見れば、漫画版『剣でした』は、日本漫画の「和風」伝奇バトルの流れに棹さしつつ、それをJRPG風の「洋風」世界に換骨奪胎したものという捉え方もできるだろう。
 先に画像引用した『剣でした』12巻で、勝利の歓声に背を向けてひっそり一人立ち去る寂寥の叙情も、刀一本で孤独に生きる渡世人の刹那的ロマンティシズムにきわめて近いように感じられる。少なくとも、「ギルドの仲間と仲良く成長する」という(よくある西洋風異世界ものの)路線とは大きく異なるし、また、誰かに忠誠を預けて生きるというような組織ベース、秩序ベースの世界像とも大きく異なる。20年代現在の日本漫画シーンでは比較的珍しいアプローチだし、そしてそれはやはり、90年代以前の和風伝奇放浪ものの精神性に近いように思えるのだ(※――ただし、『剣でした』の主人公が定住的コミュニティ[洋風ギルド]からノマド的に距離を取っていく一方で、『月輪に斬り咲く』では呪いを封印し続けるための隠れ村の因習[和風伝奇]に縛られた主人公の苦しみが描かれる。なかなか一筋縄ではいかないが、こういう多面性も興味深い)。
 さらに先述のように、漫画そのもののレイアウト構成(コンテ)の巧みさ、全身運動的アクション表現のダイナミズム、妖気をまとった怪物たちを描き出す演出スキル、悲劇の情緒をきちんと描ききる感受性、等々、本当に良い漫画家さんだと思う。

 私事だが、この方は基本的にコミックBIRZ(バーズ)の作家さんで、私自身、元々この雑誌を読んで育った漫画好きなので、その意味でもたいへん嬉しい。そしてケモ率の高さも、とてもありがたい。ケモ/獣人ジャンルの漫画家としても傑出したクリエイターの一人だと思う。