何かを「知らない」ということは、どう扱われるべきだろうか。
知識の不足や認識能力の不足については、悪く言うべきではないという立場にとるに至っている。無知は、あるいは個人がその都度の時点で得られる知識の限界は、仕方のないことだし、ましてやそれを道徳的な悪であるかのように非難してはならない。年齢(若さ)、世代、辿ったキャリア、経済的条件、社会環境といった様々な要因によって、人々はそれぞれ様々な事柄について知らないままであるものだ。オタク分野に関しても、それ以外のどのような事柄でも、これは一般論として当てはまるだろう。
ただししかし、これにはいくつかの留保がある。
1)立場によっては、特定の事柄について無知であってはならない場合がある。典型的には専門家、あるいはその知識を売りものにしている立場が、その問題についてあまりに無知であれば、少なくとも当事者はそれを非難する資格があるし、第三者(オーディエンス)が当人を信用しなくなるという帰結が生じることもやむを得ないだろう。閣僚の所轄事項に関する無知なども、この範疇で扱われる。
2)虚言は責められるべきである。ただ単に「知識不足から事実に反する認識を述べた」というのではなく、意図的になされた場合。もっとも、両者の境界はそれほど明確ではないことも多いが、しかし明確に黒である領域も遺憾ながらきわめて大きい。
3)無知に基づいて他人に具体的な害悪を及ぼす場合には、当然非難される。とはいえこれは、基本的には無知であるか悪意(分かっていながら意図的に行った場合)であるかに左右されないが、偽科学問題のように、真偽(つまり正しい知識)のレベルで議論しなければ(少なくとも事態の一つの側面は)解決できないという場合もある。また、部分的には上記2)とも関連する。
4)教える義理は無い。知識の獲得には(時間や金銭などの)コストが掛かるというのは残念ながら事実だが、しかし他方で、社会的現実の中で実際にコストを掛けて獲得された知識(を持つ人、あるいはそのような知識を持っていることが保障されている立場)はそれなりに尊重されてよいし、そして、けっして過大でないコストを掛ければ知りうるような知識に関しては、無知に基づく帰結については本人の問題でしかなく、その無知に基づいて当人がなんらかのダメージ(経済的な損害であれ、不名誉という損害であれ)をしたorするかもしれないとしても、周囲はそれを救わねばならないわけではない。
実生活とネット上での経験から、だいたいこのような立場をとるようになった。
趣味分野では、1)はあまり問題にならない。具体的な(経済的)利害に直結することが少ないからだ。クリエイターが個人的な発言で自分が関わっている領域に関する見識の浅さをさらけ出すということが無いではないが。例えばクリエイターが、著作権に対する認識の低さ(無知と呼んでよいかどうかはともかく)から違法コラージュ画像を作成公表したりtw上でRTしたりするのは、一般人が同じことをする場合よりも、より重い非難に服するべきだろう。2)は、散発的に現れるし、目にすると腹が立つこともあるが、基本的には無視すればよい、あるいは端的に事実の誤りを指摘すればよい。 3)も、趣味の活動では具体的利害に直結することが少ないので、ほとんど問題にならないだろう。知識の浅い人が、その知識の浅さゆえに、ろくでもない(と大多数の人から見做されるような)作品を他人に薦めるというようなことはあるだろうが、それは仕方ないことだ。特定分野の現状に無知な人が「最近の○○って××だよね」などと的外れな否定的コメントを放言するというのもよくあることだが、しばしば2)と3)の複合状況だろう。4)のような状況もある。しかし、web検索という簡便な手段があるので、あまりに初歩的な無知や具体的事実に関する不明を晒すことは減っている(減らせる)だろう。このブログの記事群も、特定の情報を得たくて検索する人々に対して、少しでも手掛かりを提供したいがためにやっているようなものだ。