2015/10/29

キャラデザとそのコスト

  各ゲーム分野は、キャラデザにはどのくらいコストを掛けているのだろうか、という話。


  近年(今世紀)のオタク文化-産業では、作品の魅力をキャラクター要素が牽引しているのだということがしばしば指摘されている。そして実際、近時のゲーム文化で最もめざましいソーシャルゲーム/携帯ゲーム/ブラウザゲームにおいても数十人あるいはそれ以上の規模のオリジナルキャラが大量投入されているのは確かにその説に沿った現象ではある。しかし、多数のキャラを制作すること(つまりキャラデザ)は、タダで出来るものではない筈だ。ましてや、人気の出るようなキャラクターを――言うなれば「質の良い」キャラクターを――作り出すには、それなりに慎重な準備が必要であり、それらを大量に制作するにはそれだけのコストが発生する筈だ。例えば、実力のある(有名な)イラストレーターに作画依頼したり、キャラ設定を詳細に作り込んだり、作品全体との間で入念にマッチングを図ったりと、様々な仕方でコスト(つまり金と手間と時間)を掛ける場面がある。

  これがアダルトゲームであれば、近年では制作規模を拡大しつつヒロイン数は絞り込む(昔は5-6人だったものが、近年ではフルプライスタイトルでも3-4人が標準化している)という品質重視路線に向かっており、ヒロインの造形に関してもおそらくキャラデザに相当な時間を掛けている(※関連する議論として拙稿「三属性によるキャラクターデザイン」、「キャラデザとファッションアイテム」など)。もちろんここには市場規模の縮小といったような外的要因などもありはするのだが、この姿勢それ自体は、キャラクター性重視の潮流に対して非常にオーソドックスな仕方での対処を試みていると評価することができるだろう。

  また、コンシューマゲーム分野も、基本的には高品質路線を採っているものと思われ、キャラデザに関してもアダルトゲームと同様の向き合い方をしていると思われる。なお、ゲームからは離れるが、LNも有名イラストレーターを起用するというアプローチで、キャラクター性重視の流れに棹さしている。

  それでは、ソーシャルゲーム等では、どのような手法でこの「キャラデザ重視」と「それに掛かるコスト」の間のバランスを取っているのだろうか。どのような制作過程で、いかなる役職が全体を指揮して、どのくらいコストを掛けているのだろうか。私個人がその実態について深く調べることはさしあたり困難なので、ここではいくつかのパターンを想定するにとどめておくが、おそらく以下のようなアプローチがあり得る。
  1)実際にコストを掛けている。サービス開始前にかなり慎重に準備をしている。
  2)「質よりも量」の戦略を採る、つまり、どれかが当たればいいという乱射を基本とする。
  3)初期投資ではそれほどコストを掛けない。好調な企画に対して、後からキャラ追加していく。
  4)キャラクター性ではなく射幸性などを重視しており、コストをほとんど掛けていない。
  5)すでに人気のあるキャラクターを使う。つまり、既存作品(アニメなど)のゲーム化。
  6)既存の知識体系を参照することによって、簡便なキャラデザの手掛かりとする。
思いつくのはこのあたりだろうか。もちろん、この他にもあり得るかもしれない。

  一点、とりわけソーシャルゲーム等に特徴的な構造的要因も考慮しておく必要があるだろう。この種のゲームは、その性質上、しばしば終わり(エンディング)の無いゲームであり、そのことと併せて、物語の無いゲームでもある。そのようなゲームにおいては、キャラデザのあり方も、旧来のゲームデザイン/キャラクターデザインとは異なったものになっているだろう。旧来のキャラデザ作業では、個々のキャラクターがその都度特有の仕方で道筋づけられたストーリー展開の中でどのように位置づけられどのような物語的役割を果たすかが、当然織り込まれている。しかし、この新しい分野は必ずしもそうではない。物語基軸のキャラクター造形は必須というわけではなく、汎用的に使われる比較的少数のメッセージテキストの中にアイキャッチ的な仕方でキャラクター個性が示唆されたり、あるいはゲーム内でいわば手札として使用される際の機能(ステータス)の中に個性が表れたりする。さらには、ユーザー間の交流の中からキャラクターのディテールが生成されていくことが期待されている。とりわけ、既存の知識体系を参照するという百科事典的な手法でのキャラクター大量生産は、まさにこの条件にフィットしている。

  もしかしたら、上で「旧来の」と述べたようなキャラデザの方が、ゲームとしては例外的なのかもしれない。あるいは、より広汎に捉えるならば、ゲーム作品のキャラデザはこれまで数十年間ずっと、常に様々な方向に変転し続けてきたのだと述べるべきなのかもしれない。例えば、(少なくとも当初の)マリオやゼビウスには、分厚いキャラクター設定などは存在しなかったし、また、ファミコン時代の頃から既存キャラ/既存タイトルの魅力に依存したキャラゲーは多数リリースされていた。また、実力のあるイラストレーターたちに数枚ずつのイラスト制作を委嘱するくらいならば、この現代日本オタク世界では、それほど難しいことではないのかもしれない(――もちろん、これまたしばしば指摘されているように、不当なまでの値切りを含めて、問題もあるようだが)。