アダルトゲーム分野における伝奇要素の扱われ方についての雑感。
【 はじめに:問題関心とそのきっかけ 】
00年代のアダルトゲーム(と同人ゲーム)で、伝奇ものが流行ったのは、他分野では伝奇が描けなかったから流入してきたのだ、といった趣旨の主張を見かけたけど、うーん、本当だろうか? 疑問はいくつかあって、「流行っていたと言えるのか」、「作品は実際に多かったのか」、「制作者たちが伝奇ものが好きだったからか」、「伝奇好きな人材の流入はあったのか」、「他分野での伝奇ものは本当に沈滞していたのか」、「もしもそうだとして、時期は合っているか」、「アダルトゲーム分野は伝奇表現に適しているのか」、等々、それぞれが立ち止まって検討し直す必要のある論点になる。私には、安易に「そうそう、たぶんそうだったよねー」と賛同はできない。以下、暫定的な私見を述べておこう。
【 伝奇ものは人気だったか 】
どの範囲を「伝奇もの」と捉えるかにもよるが、アダルトゲーム分野では、伝奇ものが流行した時期は無い。たしかに、『痕』(1996)から『アトラク=ナクア』(1997)、『顔のない月』(2000)、『果てしなく青い、この空の下で…』(2000)、『AYAKASHI』(2005)、『るいは智を呼ぶ』(2008) のように、アダルトゲーム史上のマイルストーンとなるような有名作品の中に、本格派の伝奇ものや伝奇要素を前面に押し出したタイトルはいくつも含まれているし、カジュアルなファンタジー表現としての伝奇要素も、ありふれたものになっている。
しかし、ユーザー側が伝奇要素を特に求めてきたという雰囲気は感じられない。あったとしても、伝奇好きというよりは、「『痕』っぽいものが欲しい」「『顔月』っぽい雰囲気が好き」といったような、アダルトゲーム分野の中での再生産要求だったように思う。アダルトゲーマーの中に、菊地秀行や夢枕獏、あるいは柳田國男や水木しげるに興味を持っていたユーザーはけっして多くはなかっただろう。最も広い意味で、つまり、「昔から継承されている(とされる)、どちらかと言えば非正統的でミステリアスな伝承や神話を、作中のモティーフの一つとして、なんらかの形で取り上げている」という形式的な意味で、(主に現代オタク文化における用語としての)「伝奇」概念を扱うしかないだろう。
作り手の側でも、伝奇/オカルト/ホラー好きなクリエイターがそんなにいたのかというのは、かなり疑わしい。アダルトゲームでは、ブランドのカラーをはっきりさせるために作風をある程度絞り込むのが通例だが、伝奇路線に特化したブランドはほとんど無い。伝奇ものオンリーで3作品以上続けているのは、暁WORKSくらいではなかろうか。CYC、Lass、SkyFish、MOONSTONE、キャラメルBOXなども散発的に伝奇系タイトルを発売しているが、それほど優勢ではなかった。その事実は、裏を返せば、「伝奇ものに熱心な(継続制作する)クリエイターがいなかったこと」、「ユーザーが伝奇ものを好まなかった(買い支えなかった)こと」の表れだろう。内容面で見ても、伝奇要素のあるタイトルの中に、実在の民俗学上の伝承や、オカルト方面の該博な知識を投入したものほとんど存在しなかった。
90年代末から00年代初頭に掛けて、アダルトゲーム分野には様々な人材が大量に流入した。その中には、伝奇好きな人材が表現の場を求めてアダルトゲーム分野に来たというパターンもあっただろう。しかし、それは人数としてはおそらくごく僅かであり、実際には本格的な伝奇ものを制作することは少なく、制作してもそれほど売れもせず、そしてこの分野に定着することも無かった。例えば、伝奇系小説家がアダルトゲーム分野に脚本家として参入して活躍したなどといった話は、ほとんど聞いたことが無い(――稀少な例外として、2010年代のxuseは『久遠の絆』の脚本家や『女神転生』シリーズの脚本家を起用したが、リリースされた作品の評判は奮わなかったようだ)。
【 伝奇要素の取り込まれ方 】
ただし、先に述べたように、伝奇要素がアダルトゲーム分野に広く浸透したことは確かだ。しかしそれはおそらく、伝奇もの人気のためではない。私見では、1)巫女(和風)ブーム、2)異種族もの、3)カジュアルなファンタジー要素の導入、4)超常バトル、という要請から導入されたものであって、伝奇要素それ自体がクリエイターやユーザーに望まれていたというわけではない。
1) 和風ブームと連動して。00年代初頭に、ちょっとした巫女ブームがあった。『すめらぎの巫女たち』(2002)、『巫女さんだーいすき』(2003)、『神楽』シリーズ(2003-)、『天巫女姫』(2003)、『巫女さん細腕繁盛記』(2004)、『巫女舞』(2004)など、巫女ヒロインズに特化したタイトルがいくつも制作されていた。そしてそれらは、神的/神秘的な超自然的要素を含んでいたり、あるいはダーク系では淫蕩な因習や空想的なモンスターとの交わりを描くものだった(――ちなみに、00年代半ば以降は、巫女ものは黒箱系が支配的になる)。ここでは、作品コンセプトの中核にあるのは、あくまで巫女ヒロインであって、伝奇要素を展開することは主眼ではない。
ただし、超常的要素は、伝奇ものにとって必然的なものではない。『碧ヶ淵』(2004)や『へルタースケルター』(2007)、『林間島』(2010)、『憑夜ノ村』(2014)のように、ファンタジー要素がほぼ存在しないタイトルもある。これらは、田舎の性的な因習をモティーフにしている。
2) 異種族もの。上記の巫女ものとオーバーラップするところも多いが、黒箱系の異種族ものや、白箱系の妖怪ヒロインものは、その状況設定をプレイヤーに対して説得するために、しばしば伝奇的な彩りを導入した。しかし、それらのタイトルでも、伝奇要素はそれほど大規模に展開されているわけではなく、伝奇的説明が詳しく述べられるわけでもない。
例えば、『淫妖蟲』シリーズ(2005-)と『対魔忍』シリーズ(2005-)は、黒箱伝奇系の代表的なシリーズものだが、どちらもきちんとした伝奇設定を構築しているというほどのものではなく、既知(実在)の伝承に絡めるようなものでもなく、超常的な邪悪存在をカジュアルに登場させているにすぎない。白箱寄りのタイトルでも、例えば『恋姫』(1995)は龍/座敷童/天狗/雪女といった有名な伝承上の存在をヒロインに据えており、また、『ちょこっと☆ばんぱいあ!』(2005)や『とり×とり』(2006)には西洋の魔族/吸血鬼/ゾンビ/獣人/人造人間などをヒロインとして登場させているが、それらの要素はそれほど掘り下げられているわけではない。
そもそもアダルトゲーム分野は、黒箱系では性描写、白箱系では恋愛描写が最も重視され、伝奇要素が前景化されることは少ない。そのような分野の性質からして、伝奇好きなクリエイター/ユーザーが伝奇要素を存分に楽しむには、あまり適していないだろう。
3) カジュアルなファンタジー要素。おそらく、これが最も多いだろう。フルプライスのアダルトゲームは、LNに換算して8冊~10冊ものテキスト規模になり、プレイ時間も20時間から30時間(特に大規模タイトルやSLG系作品では50時間以上になることも)、価格も定価8800円(+税)と、単体ではそれほど安い買い物ではない。したがって、大規模な物語世界を一貫したかたちで展開したり、あるいは特定のシチュエーションを成立させたりするために、作中世界の設定に関しても、特殊な仕掛けが求められる。
また、とりわけ学園恋愛系(白箱系)は、どうしても似通ってしまうところが多く、互いの競合が激しく生じる。そのため、他のタイトルと商品差別化するために、キャラクター設定だけでなく、状況設定についても、派手で非現実的な要素が導入されがちである。現代の白箱系AVGでは、超自然的要素をまったく含まないものは、かなりの少数派になっている(――ファンタジー要素を含まない恋愛ものとしては、戯画の『キス』シリーズやCUFFS系列がある)。その土地に固有の神秘的な伝承と学園恋愛AVGを結びつけたタイトルは多いが、多数の例に代えて、古典的な『D.C.』シリーズ(2002-)、『片恋いの月』(2007)、『桜吹雪』(2009)、そして近年の『カルマルカ*サークル』(2013)を挙げておく。
そうしたファンタジー要素は、なんの説明も根拠づけも無しに、初めから「この作品はそういうもの」として提示されることもあるが、「その世界では昔からそのような現象があった」という形で、伝奇的/伝承的/神話的な装いを与えられている場合もある。ただしそれらは大抵の場合、まったくのオリジナルな伝承であり、説明のための箔付け以上のものではない。恣意的に設えられたロマンティックでミステリアスな非現実的設定を、「ファンタジー」と「伝奇」で区別する意味は、ここにはほとんど無い。
また、とりわけ『Fate/sn』(2004)と『恋姫†無双』(2007)以来、伝説上のキャラクターや史実の有名人をヒロイン化する流れが出来ている。これらを「伝奇もの」概念に接続して取り上げることも一応可能かもしれないが、しかし実際には、00年代後半以降普及した「擬人化」「女体化」「キャラクター化」の流れであって、伝奇志向とは無関係だと捉える方が実情に即しているだろう。
4) 超常バトルものの箔付けとしての伝奇的装飾という路線もある。nitro+、Lass、propeller、lightなどがこの路線で取り組んできた。既存の(超自然的)体系をまったく参照しないものもあるが、陰陽道(『3days』[2004])、七つの大罪(『11eyes』[2008])、北欧神話(『白銀のソレイユ』シリーズ[2007-])、クトゥルフ神話(『ク・リトル・リトル』[2010])など、なんらかの形で既存の伝承/神話/オカルトに絡めているものも多い。伝奇的設定を最も濃密に表出しているのは、このジャンルだろう。とりわけ、読み物AVGというメディア形式は、アニメや漫画とは異なって、長い文章をゆっくり読ませることに長けており、それゆえ、伝奇ものの込み入った語りを展開する余裕があったというのも、好都合に作用しただろう。
現代日本でいう「伝奇」は、ゲーム分野に限らずしばしばバトル要素と結びついてきており、伝奇好きなクリエイターがアダルトゲーム分野の伝奇(異能)バトル路線に進んでいったというのは、なんら不思議なことではない。もちろん、発売されたタイトル数は非常に少なく、アダルトゲーム分野の中での「流行」と呼べるほどのものではないが、しかしながら、00年代の他分野(漫画やアニメ)では相対的に乏しかった伝奇(バトル)ものが、アダルトゲーム分野では比較的活況を呈していたと述べることはできそうだ。
ただし、他分野では伝奇ものが沈滞していたのかどうかは、これまた慎重な検討が必要になる。そのような包括的な議論は、さすがにここでは展開できない。しかし、同人分野でも、例えば『月姫』(2000)のフォロワーのような伝奇系は00年代初頭からそれなりにあったようだし、『ひぐらしのなく頃に』(2002-)はオカルト分野を賦活したかもしれない。LN分野でも、90年代まではファンタジー世界ものが支配的だったが、『灼眼のシャナ』(2002-)や『涼宮ハルヒ』(2003-)の頃から、現代の学園生活をベースにしつつファンタジー要素を柔軟に取り込むものが優勢になっていった。ウェットで陰惨な伝奇ものはLNでもアニメでも脚光を当てられることはほとんど無いが、00年代から10年代に掛けて、伝奇要素が自然に受け入れられるようにはなっているように見受けられる。全年齢ゲームでも、オカルト志向のタイトルは散発的に制作されている。
【 小括 】
以上、考えてきたところをまとめて整理する。アダルトゲーム分野における伝奇趣味は、第一義的には、異能バトルものにイマジネーションを提供するのに最も大きく寄与してきた。また、黒箱系では、和風触手ものなどの非現実的なシチュエーションを成立させるために、伝奇的意匠が多用される伝統がある。さらに、00年代後半以降の学園恋愛系でも、ファンタジー要素を導入する際に、伝奇風の装いが時折用いられてきた。
いずれも、伝奇要素は物語のための道具立てとしての性格が強いが、しかしそれでも、伝奇ものを楽しむ感性がアダルトゲーム分野の中にずっと培われてきているのは確かだろう。また、伝奇好きなクリエイターが、2000年前後のアダルトゲーム分野を避難地(あるいは新天地)として、そこで創作を続けることができたというのも、おそらくいくらかはあったのだろう。特にその時期のアダルトゲーム分野が、様々な才能を受け入れる懐の深い業界であったというのは確かだろうし、伝奇趣味もその恩恵を享受していただろう。
伝奇ものに限らず、アニメは新規参入のハードルが極めて高いし、漫画分野も受賞や雑誌の量的制約からデビューは非常に難しく、同人分野も当時はまだまだ未整備/未発達であり、小説分野は競争相手が多すぎるうえ個人で生計を立てられるレベルで売れるのは非常に難しい。家庭用ゲームも、2000年頃には参入面でも内容面でも制約が厳しくなっていた(NINTENDO64、DC、PS2の時代)。そうした中で、アダルトゲーム分野は、「自分が企画立案しつつ」「豊かな視聴覚素材を使用した」「完全新規タイトル」を制作することが、比較的容易だった。もちろん、それらの全てが順調に売れたというわけではないし、多くのブランドが2作目、3作目を作れずに泡沫ブランドで終わっていたのではあるが、それでも挑戦と成功の可能性が開かれているというのは、当時のクリエイターたちにとって、喜ばしい分野であったと想像される。
異能バトルもの以外にも、しっかりした作りの伝奇もののアダルトゲームはいくつも存在する。以下、私なりに、個性的な伝奇系作品や伝奇系に強いブランド/クリエイターを適当に挙げて紹介してみよう。
【 事例紹介:和風世界の伝奇/神話もの 】
例えば『とっぱら』(2008)は件(くだん)や橋姫、疫病神、河童といった妖怪ヒロインたちを登場させ、それぞれの妖怪について言い伝えられている性質――予言能力、長寿、厄災招来、性別未決定など――をストーリーの随所に折り込みながらドラマを展開している。ファッションに八卦デザインを取り入れているのも面白い。既存の(伝承等によってキャラクターとして世間的に知られている)日本妖怪が多数登場するタイトルは、『美少女妖怪調伏伝 ぬばたま』(2005)、『青空がっこのせんせい君』(2007)、『子作り妖怪H変化』(2011)、『ものべの』(2012)、『いんぴゅり』(2013)などもある。基本的には、白箱系/ピンク系のコンセプト特化系(異種族ヒロインもの)のスタイルだと言ってよいだろう。ただし、『神楽』シリーズのように、SLG作品の敵ユニットとして多数の妖怪が登場するタイトルもあるし、『あやかしコントラクト』(2015)のようにサブキャラとして妖怪たちが登場するタイプもある。
『九十九の奏』(2012)は、アダルトゲーム分野における本格的な和風伝奇ものとして傑出した作品の一つである。部分的には『里見八犬伝』を下敷きにしつつ、三申(さんざる)、仁木弾正、山立姫といった様々な物語/伝承/キャラクターイメージを織り込んで、複雑で神秘的な物語を紡ぎ上げている。『水月』(2002)も、「マヨイガ」、サンカ、巫女舞、涙石といった民俗学的乃至伝奇風の様々なモティーフを陰に陽に織り込みつつ、全体としては幻想的でロマンティックな物語を作り出した。
珍しい例として、『恋神』(2010)は、月詠命、稲荷神、木花咲耶姫といった日本神話の神々をヒロインに据えている。本編中ではそれぞれ神話上のエピソードに基づいた出来事がいくつも生じるし、幕間には「おしえて神様!」という解説コーナーも設けられている。日本神話の神々をヒロインに仕立てたタイトルとしては、『彼女は高天に祈らない』(2011)も非常に凝った作りである。七福神モティーフの『かみデレ』(2012)もあり、遡れば『きゃんきゃんバニー』シリーズ(1989-)にもスワティ(サラスヴァティー=弁財天)を初めとした七福神キャラクターが登場する。なお、『かみさまの宿っ!』(2006)や『かみのゆ』(2012)、『はるるみなもに!』(2017年発売予定)のように、既存の具体的神名を使わない和風「神様」もののタイトルもある。
個別の妖怪としては、とりわけ妖狐(九尾狐、玉藻前)キャラクターが好まれているようだ(――九尾狐だけでも、『ヤミと帽子と本の旅人』[2002]、『神楽』シリーズ、『あやかしびと』[2005]、『おキツネsummer』[2006]、『わんわん、もーもー、うさうさ、こーん!』[2007]、『とっぱら』、『よう∽ガク』[2010]、『神採りアルケミーマイスター』[2011]がある)。
【 西洋風の伝奇/オカルト 】
西洋ものでは、『エインズワースの魔物たち』(2008)はゾンビや幽霊、生き人形などの魔物キャラがヒロインであり、それぞれの属性や体質が物語の上で巧みに、そしてユーモラスに活用されている。例えば、幽霊ヒロインが作中で成仏してしまい、主人公たちは彼女を引き戻すべきかそれとも成仏できたのが彼女の幸せなのかと悩む。また、ゾンビヒロインはその性質上もはや死なないので、生きた人間の代役になって刺殺されたふりをするシーンがある。生き人形ヒロインは、その活力を失ってただの人形になってしまいそうになる。
西洋の魔物キャラクターとしては、吸血鬼ヒロインが最もポピュラーであり、『とらいあんぐるハート』(1998)や『Dearest Vampire』(1999)から、『くわいなしょっく!』(2003)、『MinDeaD BlooD』(2004)、『Chu×Chuアイドる』(2007)、『Magical Marriage Lunatics!!』(2013)に至るまで枚挙に暇がない。『です☆めた』(2004)や『ドラクリウス』(2007)のように、主人公が吸血鬼やその眷属になっているタイトルもある。このほか、西洋世界でよく知られた超常存在(神、魔族、怪物、神話的英雄など)をヒロインにしているタイトルは、『怪物くん』風の『ちょこっと☆ばんぱいあ!』(2006)および『俺の彼女(ツレ)はヒトでなし』(2010)、大悪魔や魔物たちの『とり×とり』(2006)や『魔王のくせに生イキだっ!』シリーズ(2012)、神話的女神たちの『めがちゅ!』(2006)、アーサー王伝説の『Knight Carnical!』(2010)など、多数存在する。白箱系の魔族ヒロインから黒箱系の女神蹂躙表現まで、幅広いジャンルに存在する。
とりわけクトゥルフ神話ものについては、『ネクロノミコン』(1994)や『黒の断章』シリーズ(1995)以来、アダルトゲーム分野はクトゥルフネタを取り上げてきた一大産地であり続けてきた。さすがに既存のクトゥルフキャラクターをヒロインにしたものは稀だが、作品の随所に明示的黙示的にクトゥルフ要素をちりばめたタイトルは多数存在する。『ソレイユ』シリーズや、『終末少女幻想アリスマチック』(2006、隠微に仕込まれている)、『アトラク=ナクア』(1997、タイトルのみ)、そして前記『ク・リトル・リトル』、『英雄*戦姫』(2012、ナイアラルトホテップがラスボス)、『クトゥルフ姦話』(2014、多数の邪神が登場)など、多数の作品がホラーやミステリアスな物語を彩るスパイスとして活用している。2010年代初頭オタク文化のクトゥルフブームに先駆けた、アダルトゲーム分野の先進性、柔軟性、マニアックさ、幅広さ、そして懐の深さを証立てる一側面だろう。
【 オリジナルの伝奇(風)作品の歴史的/分野的素描 】
現実に存在する既存の伝承を活用するのは、近年の女体化歴史ものと同様、既存の知識体系をネタのアーカイヴとして利用できるというアドヴァンテージがあるだろう。それに対して、完全に独自の「伝承」「神話」「都市伝説」を作中で設定するものもある。
例えば『斬死刃留』(2009)は、既存の陰陽道の作法や用語法を借用しつつ、全体としてはオリジナルの世界設定を展開している。陰陽道を取り上げたタイトルとしては、このほか、上記『シキガミ』や『3days』(2004)がある。『3days』を制作したLassは、各作品を共通世界としてリンクさせており、『11eyes』(2008)などにも陰陽師キャラクターを登場させている。その他、CYC、Meteor、Liar-soft、すたじおみりす、FC03/SkyFishも、該博な知識に裏打ちされた伝奇/オカルト/ホラー/怪異コンセプトの作品を多数制作している。
現代の都市伝説をモティーフとした『夕緋ノ向コウ側』(2004)を制作したBaseSonは、それに先立つ『屍姫と羊と嗤う月』(2003)と『ONE2』(2002)、さらには一部のスタッフがそれ以前に制作した『蒼刻ノ夜想曲』(1999)や『想い出の彼方』(2000)でも、現代日本を舞台にミステリアスな存在や事象が発生する物語をくりかえし印象的に描いてきた。project-μも、野心的な画面構成と外連味の強い演出で、ホラー作品の『ほとせなる呪(うた) ちとせなる詛(しるし)』(2002)や、陰惨なバトルものの『銀の蛇 黒の月』(2003)を制作していた。現代日本の都市生活に潜む怪異を扱ったタイトルとしては、『妖刀事件』(2006)や『都市伝説は人を喰う』(2009)もある。
【 クリエイター、ブランド単位での概観 】
クリエイター単位で見ると、とりわけ日野亘と朱門優が、現代型伝奇やオカルトストーリー、各地の実在神話の援用を積極的に行っている。
日野は、童話等をパロディ的に下敷きにした「本の世界」を巡る物語の『黒の図書館』(2003)に脚本家として参加した後、山村の食人伝承やをモティーフにした『雪影』(2006)を書き上げ、さらに代表作と目される『るいは智を呼ぶ』(2008)では、「呪い」の都市伝説を基軸にした物語を企画/執筆した。「呪い」に憑かれた者は、それぞれ「身体能力が強化されるが、約束をしてはならない」、「人の内心が読めるが、人に触れてはならない」といったように、特殊能力と行動禁則が与えられ、禁則を破ると呪いによって命を奪われるというルールがある。「呪い」に憑かれた若者たちが同盟を組んで、禁則を踏まないようにしつつ様々な困難を乗り越えていくという、知的なオカルト作品である。日野はさらに『桜吹雪』(2009)では不思議な桜伝説と前世の記憶を扱い、また『coμ』(2009)では現代日本を舞台にした世俗的異能バトルを描いた。
朱門は、幻想的なオムニバス風タイトル『蜜柑』(2001)に脚本参加した後、西洋風の異世界ファンタジー『黒と黒と黒の祭壇』(2002)、和風伝奇もの『めぐり、ひとひら。』(2003)、北欧神話もの『いつか、届く、あの空に。』(2007)、といった作品をたてつづけに企画制作していき、それぞれに凝った衒学的な装飾を施している。
このほか、SkyFishを主導する弘森魚(ひろもりさかな、『ソレイユ』シリーズなど)、大槻涼樹(『黒の断章』など)、幻咲也(『闇の声』シリーズ)、鷹取兵馬(『果て青』)、青山拓也(『蒼刻ノ夜想曲』)、呉(『サクラノモリ†ドリーマーズ』)、坂東真紅郎(『狗哭』)らが、伝奇系テキストを得意として数々の優れた作品に携わってきた。
近年のアダルトゲーム分野で、伝奇/オカルト/怪異ものを追求している際立った存在は、シルキーズプラスとMOONSTONEである。前者は、『なないろリンカネーション』(2014)およびそれと同一世界設定の『あけいろ怪奇譚』(2016)で好評を博している。後者は、『夏の色のノスタルジア』(2015)と『サクラノモリ†ドリーマーズ』(2016)で冷え冷えとしたホラーAVGに挑戦しているが、このブランドは脚本家呉を擁してその初期から『何処へ行くの、あの日』(2004)のようなミステリアスな物語を得意としていた。
【 おわりに 】
できるだけ実例に即しつつ、アダルトゲーム分野における伝奇要素について、私なりの展望を試し書きしてみた。ポピュラーな西洋中世風ファンタジーもよいものだが、世界中の様々な地域/時代の文化的蓄積やキャラクターモティーフを融通無碍に摂取し噛み砕いてみずからのネタとして利用できる自由さは、現代オタク文化の強みであろう。その放恣さは、オタク文化を単なる日本ローカルの内輪文化にとどまらせず、人類文化の豊かな果実とその多様な知的/美的刺激に接続させている。 しかもそれらは、オタク文化という現代の最先端の感性の下で解釈されることによって、さらに新たな側面に光を当てられ、これまでに無かったポテンシャルが開拓されている。
またその一方で、「伝奇」「神話」の外形のみを借用しつつ、 その作品独自の世界像の奥行きを広げていくという、したたかなアプローチを採っている作品/クリエイターもある。これもまた、オタク的エンターテインメントの一翼を担うアダルトゲーム分野が、読み物AVGというメディア形態の中で培ってきたテクニックの一つである。
さらに、アダルトゲームにおける流行の変遷や、人材の出入り、ブランドの個性などを考えるうえでも、今回のように「伝奇」という一要素を取り上げて注目することは、この分野の全体像に新たな光を当てて、私たちの認識を深めてくれる。