【 はじめに 】
珍しく四コマ漫画誌を買ってみた。作品によってコマの大きさやレイアウトがいろいろ違っているのがちょっと面白かったので、気づいたことを簡単に書きまとめてみる。
この記事で示している数値は、雑誌掲載時点のものである。単行本サイズに縮小されれば、また数値は変化するし、読者が受ける印象も変化するだろう。
【 コマとスペースのサイズを測定する 】
まず、コマとコマの間のスペースの幅について、本誌掲載の各作家のレイアウトを見ると、以下のようになっている。定規で目測したので、あまり厳密なものではない。また、同一の作家でも、ページによって(あるいは作品によって)違いがある可能性がある。
●「左右幅」欄は、左右のコマを区切る枠線の間隔(スペース)の幅の長さ(ミリメートル)。
●「上下幅」欄は、上下のコマを区切る枠線の間隔(スペース)の幅の長さ(ミリメートル)。
●「縦横比」は、「左右幅」の長さを「上下幅」の長さで割ったもの。この「縦横比」が大きければ、左右のコマが大きく分かれているということであり、縦横比が1.0よりも小さければ、上下のスペースの方が大きく取られているということになる。
●配列は「縦横比」の降順。同じ値のものは順不同。
【 表1: コマの間のスペース 】
著者 | 左右幅(mm) | 上下幅(mm) | 縦横比 | 備考 |
ぬっく | 8.1 | 2.0 | 4.1 | - |
三上小又 | 9.0 | 3.0 | 3.0 | - |
篤見唯子 | 8.2 | 3.5 | 2.3 | - |
武シノブ | 7.2 | 3.5 | 2.1 | 枠線は細め。 |
湖西晶 | 7.8 | 4.0 | 2.0 | 枠線は太め。サブタイトルは余白部分に。 |
はりかも | 7.8 | 4.2 | 1.9 | - |
赤秩父 | 7.3 | 3.9 | 1.9 | 枠線は太め。 |
MIGCHIP | 7.4 | 4.0 | 1.9 | 枠線は太め。 |
鴻巣覚 | 7.3 | 4.0 | 1.9 | 枠線は太め。 |
荒井チェリー | 7.5 | 4.2 | 1.8 | - |
ねこうめ | 8.1 | 4.5 | 1.8 | 枠線がかなり細い。 |
柴崎しょうじ | 7.4 | 4.2 | 1.8 | - |
わらびもちきなこ | 7.2 | 4.0 | 1.8 | - |
ミナミト | 5.8 | 3.2 | 1.8 | - |
よぱん男爵 | 7.2 | 4.0 | 1.8 | サブタイトルは余白部分に。 |
ルッチーフ | 8.1 | 4.5 | 1.8 | 枠線は細め。 |
阿部かなり | 6.8 | 4.0 | 1.7 | サブタイトルが本文領域に入っている。 |
若鶏にこみ | 5.5 | 3.5 | 1.6 | - |
葵藍兎 | 5.9 | 4.3 | 1.4 | - |
川井マコト | 1.9 | 1.9 | 1.0 | サブタイトルは余白部分に。 |
異識 | 2.1 | 3.1 | 0.7 | - |
かきふらい | 2.5 | 4.5 | 0.6 | - |
きゆづきさとこ | ※7.0 | ※5.8 | ※1.2 | 黒背景なので枠線の幅が識別できない。あくまで参考程度に。 |
平均 | 6.64 | 3.73 | 1.85 | きゆづきさとこは除外している。 |
【表1】の、コマとコマの間のスペースの大きさについて、「左右幅」と「上下幅」を散布図にしたもの。きゆづきさとこは除外している。
左右のコマの間のスペースをどのくらい取るかは、作家ごとにかなり異なっている。最も小さいものは2mm以下で、左右が極端に接近している。それに対して、8mm以上も広く空けている作家もいる。全体としては、「2.5mm以下」のグループ(3名)、「5.5~5.9mm」のグループ(4名)、そして大多数は「7.2mm~8.1mm」(15名)、さらに「9.0mm」(1名)と、おおまかに4つのグループに分けられそうだ。面白いことに、2.6mm~5.4mmの幅を取っている漫画家は、この雑誌の掲載陣には一人もいなかった。
その一方で、上下のコマの間隔(スペース)も、作家によってかなり異なっている。最小1.9mmから最大4.5mmまで、二倍以上の開きがある。こちらは、3.1mmから4.5mm(最大値)までは満遍なく広がっているが、2.1mm~2.9mmの幅を取っている作家は一人もおらず、大きく飛んで2.0mmと1.9mmの二人がいるという、特異な分布を示している。
縦横のスペースの長さで比を取ってみると、だいたい1.4倍から2.0倍程度のものが多い。つまり、上下のコマを区切るスペースよりも、左右を区切るスペースの方が、明らかに広い。ただし、左右のスペースが極端に広いものが2名(2作品)存在し、また、上下と左右のスペースが同じかまたは上下スペースの方が広いというタイプも3名(3作品)存在する。
ひとまず、コマとコマの間の間隔を測定してみただけでも、作家ごとにかなり特徴的なコマ間設計があることが見て取れる。こうしたレイアウトの違いは、当然ながら、作家ごとの紙面構成の違いを反映するものであり、そしてそれゆえ作品のありようや、読者が受ける印象をも左右している。
もう一つ、コマそれ自体のサイズを見てみよう。紙面サイズは同一なので、当然ながらスペースの幅はコマのサイズと連動する――ただし枠線の太さという第三の要因もあるので、単純に引き算の関係になるわけではない――が、それのみにとどまらず、別の特徴も見出せるかもしれない。以下の一覧は、枠線を含まない、コマの内部の各辺の長さを、定規で目視測定した。
●「左右幅」と「上下幅」の長さの単位はミリメートル。「コマ面積」は平方センチメートル。
●配列は、「コマ面積」の昇順。
【 表2: コマの縦横のサイズ 】
著者 | 左右幅(mm) | 上下幅(mm) | コマ面積(cm2) | 縦横比 | 備考 |
阿部かなり | 70.2 | 47.1 | 33.1 | 1.49 | サブタイトルが本文領域に入っている。 |
赤秩父 | 69.6 | 51.0 | 35.5 | 1.36 | 枠線は太め。 |
MIGCHIP | 69.6 | 51.2 | 35.6 | 1.36 | 枠線は太め。 |
鴻巣覚 | 69.7 | 51.2 | 35.7 | 1.36 | 枠線は太め。 |
柴崎しょうじ | 69.8 | 51.4 | 35.9 | 1.36 | - |
湖西晶 | 69.8 | 51.4 | 35.9 | 1.36 | 枠線は太め。サブタイトルは余白部分に。 |
よぱん男爵 | 69.7 | 51.5 | 35.9 | 1.35 | サブタイトルは余白部分に。 |
荒井チェリー | 69.9 | 51.7 | 36.1 | 1.35 | - |
ルッチーフ | 70.1 | 51.5 | 36.1 | 1.36 | 枠線は細め。 |
はりかも | 69.9 | 51.7 | 35.1 | 1.35 | - |
葵藍兎 | 70.4 | 51.3 | 35.1 | 1.37 | - |
ねこうめ | 70.0 | 51.8 | 36.3 | 1.35 | 枠線がかなり細い。 |
篤見唯子 | 69.8 | 52.2 | 36.4 | 1.34 | - |
わらびもちきなこ | 70.0 | 52.0 | 36.4 | 1.35 | - |
三上小又 | 69.0 | 52.9 | 36.5 | 1.30 | - |
きゆづきさとこ | 71.0 | 51.5 | 36.6 | 1.38 | コマの外部は黒紙面。 |
ミナミト | 70.6 | 52.1 | 36.8 | 1.36 | - |
武シノブ | 70.3 | 52.6 | 37.0 | 1.34 | 枠線は細め。 |
若鶏にこみ | 70.7 | 52.5 | 37.1 | 1.35 | - |
ぬっく | 69.5 | 53.6 | 37.3 | 1.30 | - |
異識 | 73.0 | 52.0 | 38.0 | 1.40 | - |
かきふらい | 74.0 | 51.5 | 38.1 | 1.44 | - |
川井マコト | 73.0 | 53.9 | 39.3 | 1.35 | サブタイトルは余白部分に。 |
平均 | 70.4 | 51.9 | 36.5 | 1.36 | 阿部かなりは除外している。 |
【表2】の、コマの縦と横の大きさについて、「左右幅」と「上下幅」を散布図にしたもの。
「阿部かなり」の作品のみが大きく外れた値を示しているが、これには事情がある。本誌掲載作品の中で、この阿部作品のみは、四コマ各話のサブタイトルを、しかも一つ枠を取って付記しているからだ。その分、四コマ本体のスペースが圧迫されて、縮められている。
このほかに湖西晶、よぱん男爵、川井マコトの3名もサブタイトルをつけているが、彼等はサブタイトルを枠外(上の柱部分)に置いているので、四コマ本体は他の作家と同じだけのスペースを使えている。
ともあれ、コマそれ自体のサイズは、作家ごとの相違はそれほど大きくないようだ。とりわけ、コマの縦幅(上下の長さ)は、ほとんどが51mm台から52mm台に収まっている。縦幅があまりに狭すぎるものは描きにくいのだろうか。その中でも、川井マコトのみは53.9mmと、極端に長くなっている。言い換えれば、上下のコマの間のスペースを極端に切り詰めている。
横幅(左右の広さ)も、大半の作家が69mm台から70mm台にレイアウトしている。ただし、異識、かきふらい、川井マコトの3名のみは73mm以上の幅を取っている。わずか3~4mmの違いでも、漫画のコマ絵を造形するうえでは無視できない機能的な相違があるだろう。詳しくは、次節で個別的に検討していく。
ほんの数ミリメートルの違いなど、誤差にすぎないだろうか? 左図は、コマの縦横比が最も大きくワイドなもの(かきふらい)と、縦横比が最も小さく正方形に近いもの(ぬっく)の数値を抜き出した模式図である(※人物とフキダシは同じサイズ)。人物とフキダシを同じように描き込むとしても、コマの内部のレイアウトやスペースの広がりがかなり異なっており、それとともに読者が受ける印象も変化するであろうことは看取されるだろう。
左記引用画像は、阿部かなり『みゃーこせんせえ』(「まんがタイムきらら」2018年9月号、52頁[以下同様])。現代日本の商業四コマ漫画では、四コマごとに一つ一つサブタイトルを付記するのは少数派のようである。ましてや、この阿部作品のようにサブタイトルを枠で囲って大きく表示するものは、かなり珍しい。
系列誌の「まんがタイムきららキャラット」(2018年9月号)でも、掲載作25タイトルの中で、サブタイトルを付けているのは黒田bb、浜弓場双、榊、伊藤いづもの4名であり、さらにサブタイトルを枠で囲っているのは「榊」の1名のみである。
サブタイトルの使用頻度の変遷については経時的に詳しく調査する意義があると思う。「きらら」系列のような現代の「萌え四コマ」分野では、例えば「萌え四コマでは、キャラの表情を大きく描きたい(=個々のコマを大きくしたい)という考えから、サブタイトルに枠を取らなくなった」といった要因があるかもしれない。また、「4コマ単位で話を切り上げていくスタイルとは異なって、萌え四コマや、いわゆるストーリー四コマでは、4コマの単位を超えてシチュエーションを続けていく傾向があり、そのため個別にサブタイトルを付ける意義が乏しくなっていった」という事情があるかもしれない。
【 作家個別の検討:四コマ漫画のコマ組み論 】
ここからは、おおまかに掲載順に沿って、各作家の誌面レイアウト(コマ組み)の特徴を検討していこう。もちろん、紙面の形式的なレイアウト設計は、漫画の実質的なコンセプト設計と連動しているので、個々の作品の物語や画風も引き合いに出しつつ、紙面レイアウトの表現効果を考えていくことになる。
左記引用画像は、川井マコト『甘えたい日はそばにいて。』(前掲書、10頁)。SF要素のあるセンチメンタルな物語が展開されており、画面構成こそ四コマ漫画であるものの、進行テンポはストーリー漫画に近い。
左記画像を見てのとおり、この作品では、縦枠と横枠の幅がほぼ同じであり、しかもコマの間の白部分がかなり狭い(※誌面実測でどちらも約1.9mm)。上の【表1】からも明らかなように、これはきわめて異例のレイアウトである。巻頭掲載タイトルにこのような特殊なレイアウトの作品を持ってくるというのは、なかなか挑戦的である。同じ作者の別の四コマ作品『幸腹グラフィティ』では一般的なサイズのコマを用いていることに鑑みても、本作の特異なレイアウトは、作品コンセプトに即して意識的に選び取られたものだと考えられる。
作者がどのような設計意図からこのレイアウトを採用したかは分からないが、実際の紙面からいくつかの効果が見て取れるだろう。1) 一つには、コマ絵とコマ絵の間が極端に切り詰められていることが、漫画(受容)の時間感覚にも影響を及ぼす。物語の進みが、圧縮されているかのような、それでいて引き留められているかのような、不思議な密度感が生じる。
2) それはまた、映像フィルムをそのまま見ているかのような強い連続性の感覚を刺激するかもしれない。四コマごとにストーリーが仕切り直しされるのではなく、物語の雰囲気が途切れずに、ずっと連続していく。それは、上述のように、この作品の内容的進行(コマ絵の中身の進行)とも平仄を合わせている。四コマ目ごとにオチをつけるのではなく、一貫した雰囲気の下で物語が紡がれていく。ただし、その一方で、いささか奇妙なことに、四コマごとのサブタイトルが付けられている(≒四コマごとに一応の区切りが設けられている)のだが。ここではサブタイトルは、どちらかと言えばTV番組のテロップのような指示書きとして捉える方がよいのかもしれない。
(川井マコト、前掲書、16頁)
3) 第三に、空白部分が切り詰められているということは、一つ一つのコマが大きく取られているということを意味する。本作の画風は、丸っこい頭部とつぶらな瞳、そしてデリケートな頭髪描写を特徴としている。四コマ漫画の通念的イメージ「デフォルメされた絵柄と簡素な描き込みによるギャグ展開」の対極にある。こうした画風の漫画家が、その絵の魅力を最大化するために、コマをできるだけ大きく確保しようとするのは、理に適った設計だろう。
実際、本作では、人物一人の顔面だけを大写しにしているコマが非常に多い。例えば上記引用画像(10頁)でも、8コマ中4コマが単独人物のコマであるし、左記画像(16頁)では8コマ中7コマがバストアップ以上のクローズアップである。バストアップどころか、頭部だけのコマや、ほとんど顔面だけ、さらに目元だけ(!)を写したコマが何度も現れる。しかも、【表2】を見ても明らかなように、この川井作品は、四コマ漫画として実行しうるほとんど上限まで、コマのサイズを大きく取っているのである。この作品は、四コマ漫画どころかあらゆる漫画の中で、最も徹底的に、キャラクターの顔面(表情)に重きを置いている作風だと言えるだろう。
ただし、コマの間のスペースを詰めすぎると、読みづらさという問題が発生する。コマとコマの間が狭すぎるのは、読者にとっては窮屈に感じる。また、上下のスペースと左右のスペースが同じだと、漫画を(通常のストーリー漫画のように)横に読んでいったらよいのか、それとも(四コマ漫画らしく)縦に読んでいったらよいのかが直感的に判断しづらくなる。
以上をまとめると:四コマ漫画としての因習的なサブタイトルは付しているものの、全体としては軽妙なギャグ四コマとは対極の、息苦しいストーリー漫画の趣を示している。それに対応してか、一つ一つのコマが極限まで拡大され、登場人物の表情を繊細に描き出そうとしている。四コマ漫画としては特異なレイアウトであるが、巻頭掲載タイトルとして十分な説得力のある、個性的な作品であると言える。
かきふらい『けいおん!Shuffle』(前掲書、26頁)。この作品のコマ配置は、さらに特徴的である。縦の枠線(左右の区切り)の幅が極端に狭く、横の枠線(上下のコマの区切り)よりも狭いという点である。【表1】を見てのとおり、垂直のスペースよりも水平のスペースの方が広いという逆転現象を起こしている作品は、この雑誌の23タイトルの中でも、わずか2本のみである。
上記川井作品で起きつつあった問題が、本作ではさらにはっきり顕在化している。すなわち、漫画(とりわけ四コマ漫画)を読み慣れない読者は、読み進める順番にかなり戸惑う可能性がある。右上のコマから読み始めるのはよいとしても、次に左横のコマへと読み進めようとし、続いて二段目の右側、そして左へと読んでしまいかねない。上下のコマよりも左右のコマの方が距離が近い(空白部分が狭い)からだ。あるいは、むしろ漫画を読み慣れている読者の方が、コマ組みをぱっと見て目が横に滑ってしまいやすいかもしれない。
一般的なストーリー漫画でも、コマ組み進行を混乱させないような設計は常に意識されている。しかるに、この異例のレイアウトは、どうして採用されているのだろうか。いかなる(ポジティヴorネガティヴな)効果を持っているのだろうか。この作者は、『けいおん!』第1巻(2008年刊)から一貫してこのワイド型レイアウトを採用しているのだが、それはどのような紙面設計の下にあると考えられるだろうか。
ひとまずシンプルに考えて、左右のスペースが狭いということは、個々のコマが横広のレイアウトになっているということになる。ということは、一つのコマ絵に、左右に余裕のある広がりを持たせることができるということだ。実際、本作では、一つのコマに三人のキャラクターがフレームインしているものが非常に多いし、台詞を発している話し手とそれを受け止める聞き手の2人が描き込まれているコマも多い。これは、主要キャラクターが3人である(ようだ)この作品にとって、大きな強みだろう。一人一人がただ一方的に喋り続けるのではなく、台詞に対するリアクションもしっかり見せることができるからだ。実際、【表2】を見てのとおり、こ本作のコマの横幅は、約74mmと平均を大きく逸脱しており、四コマ漫画として極端な広がりを持っている。コマの縦横比1.44も、同誌掲載作品(平均1.36)の中で突出している。
このワイド型のレイアウトは、かきふらい作品における登場人物たちのデリケートな距離感表現や、ゆったりとした空間的感覚、そして会話劇の迫真性に、大きく寄与しているに違いない。漫画作品の魅力が、ネームの面白さや絵の可愛らしさといった個別的要素だけでなく、レイアウトという構造的要因によっても大きく規定されているということの、興味深い一例だろう。
かきふらい作品と川井マコト作品は、ともに左右のコマの隙間を極端に詰めるという珍しいレイアウトを採用している。ただし、その作用は大きく異なっている。川井が単独キャラクターの繊細な表情を大写しにするために、コマを縦横ともに極大化しているのに対して、かきふらいは二人以上のキャラクターたちが向き合っている会話シーンの臨場感を高めるために、コマをワイド化(横広化)している。
篤見唯子『スロウスタート』(前掲書、36頁)。前二者とはうって変わって、この三本目の漫画は、非常にオーソドックスな四コマ漫画のスタイルを踏襲していると言えそうだ。
垂直のスペース(左右の分割スペース)は、平均以上に大きくゆったりと取られ(約8.2mm)、それに対して水平の区切りはほどよい距離に詰められていて(約3.5mm)、非常に読みやすい。個々のコマ絵も、「比較的簡素な絵であり」、「トーンワークもシンプルであり」、「しばしばデフォルメされた絵になり」、「会話劇よりもコメディ展開が基調である」といった、いかにも四コマ漫画らしいスタイルで作られている。
とはいえ、本作が通俗的な作りのままであるということではない。篤見はキャリアの長い練達の漫画家であり、本作の中にも興味深い修辞的表現がいくつも見出される。例えば、32頁(冒頭)から34頁の途中まで、13コマに亘って台詞の無い進行を披露している。
また、キャラクターやフキダシがコマの枠線を自由闊達にハミ出している箇所も多い。しかもそれは、ただ単に遊戯的な逸脱にとどまらず、コマをつないだり、時間進行を整理したりする演出としても機能している。
さらに、写植のフォントも、いくつもの種類(10種類以上)が使い分けられて、個々の台詞の意味づけをよりいっそう明確なものにしている。絵そのものは一見かなり簡素なものであるが、全体としての表現効果はきちんとコントロールされているのが見て取れる。
巻中カラーを含む、きゆづきさとこ『棺担ぎのクロ。』(前掲書、46頁)は、コマ絵の周囲の空白部分がホワイトではなく、すべて黒ベタである。カラーページの滲みのある着彩も美しいし、背景部分もかなりしっかりと描き込まれている。ずり下がった大きな丸眼鏡も、愛嬌があって可愛らしい。鄙びた農村風景を舞台にしつつ、不穏な影の差す物語として、たいへん趣深い。ここでは四コマ漫画の体裁は、暗くミステリアスな雰囲気を柔和に包み込むパッケージとして機能しているようである。なお、同じ作者の『GA 芸術科アートデザインクラス』では、ごく標準的なレイアウトが採用されている。
四コマ漫画文化では、コマ絵の背景を細かく描き込むのは少数派のようである。この雑誌の中では、荒井チェリー(『三者三葉』)、はりかも(『うらら迷路帖』)、わらびもちきなこ(『佐藤さんはPJK』)、赤秩父(『今どき流行りのシークレットワーク』)、鴻巣覚(『がんくつ荘の不夜城さん』)が、背景を描き込んでいる。 荒井作品では、自宅前風景が無地淡彩で描かれている(バンク?)。はりかも作品は、ドラマティックな和風ファンタジーの趣向があるため、ロケーションをきちんと描き出すことにも意味がある。わらびもちきなこの場合は、学園内外を走り回るコメディとして、背景描画の意義がある。赤秩父作品は、黒ベタも多く、かなり味付けの濃い紙面になっており、ストーリー漫画にしてもよさそうに見えるが、4コマごとにきちんと笑いのオチをつけており、ネームレベルではオーソドックスな四コマコメディとして作られているのが面白い。鴻巣覚作品は、古典的なアパート隣人もののようであり、丸眼鏡主人公を初めとして、多数のキャラクターが出入りする様子を描くうえで、背景作画の必要性が生じているものと思われる。
そもそも、四コマ漫画は一ページに8コマずつをみっちり詰め込むことが前提になっているので、コマの大きさには限界がある。また、四コマ単位でコマ進行がまとめられていく都合上、ストレートに話を進めるコマ以外のもの――風景描写など――を入れられる余地が少ない。さらに、大ゴマを使うこともイレギュラー扱いになってしまう。それゆえ、大ゴマの背景を描き込んだり、場面転換を示す風景コマ(映像作品のエスタブリッシング・ショットに相当するもの)を使ったりすることが難しい。さらに、「起承転結」的発想があったり、コメディ志向があったりするため、会話劇に傾斜しがちであり、広い風景に目を向ける必要性が薄い。四コマ漫画に背景作画が乏しいのは、一ページに3~8コマを柔軟に使えるストーリー漫画とは異なった、四コマ漫画に特有の事情だと考えられる。
荒井チェリー『三者三葉』は、四コマ漫画のレイアウトとしては非常にシンプルな作りのようである。コマのサイズやコマ間スペースは標準的であるし、コマの中身もおおむねバストアップの――つまり、胸部から頭部全体までを映した――キャラクターたちの会話が中心である。そして台詞も、けっして過激に走らない穏当なコメディが続く。さしあたりこの一回分を読むかきりでは、レイアウトにおいてもコメディにおいても、肩肘張らない穏健なアプローチの作品のようだ。
ちなみに、9月号なのに何故か初詣のシチュエーションを扱っている。作中に独自の時間経過を持っているのであろうか。
ねこうめ『こはる日和。』(前掲書、68頁)。本作は、コマのサイズは標準的であるが、コマの間のスペースはかなり大きく取られている(【表1】参照)。それは部分的には、枠線がかなり細く引かれていることに由来する。
四コマ漫画でもストーリー漫画でも、多くの漫画では、枠線はだいたい0.8mm程度の太さでくっきりと線が引かれている。ただし、少女漫画などでは、繊細なほっそりした枠線が使われることも多々ある。本誌の掲載作品では、この「ねこうめ」の枠線が最も細く、また、ルッチーフと武シノブの作品も細めである。
ねこうめ作品は、プールに入ったキャラクターたちが「温泉感」(67頁)を楽しむような、穏やかな雰囲気で描かれている。過激な盛り上がりを排除して、キャラクターたちが楽しく寛いでいる牧歌的なムードを重視するスタイルは、いわゆる「日常系」創作の中でもとりわけ四コマ漫画が得意としてきたものであり、本作もその流れに棹さすものと見てよいだろう。そして、そのような作品では、コマの輪郭を取る枠線も、過度に目立たないように細めに引くというのは、理に適った一つのアプローチだろう。コマの間のスペースが大きく取られているのは、どちらかといえば、細い枠線を引いたことの副次効果にすぎず、あまり大きな意味は無いのかもしれない。実際、0.8mm×2の枠線が0.5mm×2になっているものと仮定すれば、本作のコマ間スペースは平均的な数字になる。
雑誌の後半に掲載されているルッチーフ『奥さまは新妻ちゃん』も、枠線を細めに描いている。ただしルッチーフの場合は、コマ内部の絵も、ゆらぎのあるデリケートな画風になっている。色気のあるツリ目表現や、この雑誌の中では珍しく女性キャラクターのバストの膨らみを強調している描き方、そして台詞レベルでも性的な話題に言及するなど、この雑誌の中では風変わりな個性を見せている。
武シノブのゲスト読み切り漫画も、枠線は細めである。3頭身から5頭身程度にデフォルメされた絵柄で、一つのコマの中に2人または3人のキャクラターが描き込まれるという、賑やかな作風である。コマのレイアウトそれ自体は標準的。
ちなみに、姉妹雑誌「きららキャラット」では、険持ちよ、ウロ、カヅホ、うらの4名が、やや細めの枠線を引いている。険持ちよは、人物の瞳を細かく描き込むスタイル。ウロは、頭身の高い黒髪キャラクターたちが登場し、バトル要素のある作品。うら作品も、頭身の高い美少女キャラクターたちを描いている。それに対してカヅホは、3頭身程度のデフォルメキャラクターによる風通しの良いスラップスティックバイオレンス。
柴崎しょうじの新連載は、女子学生主人公もの。レイアウトは標準的であり、絵もバストアップ基調の会話劇である。4コマ目にツッコミが入る(オチがついている)が、全体の流れはストーリー漫画に近い。男性キャラクターが(しかも二人)登場しているのが目を引く。他には、きゆづき、異識、よぱん男爵(複数人)、ルッチーフ、湖西晶の作品も男性キャラクターを登場させている(23作品中6作品)。裏を返せば、この種のいわゆる「萌え四コマ」漫画は、登場人物のほとんどが若年日本人女性だということでもある。
はりかもは、先に述べたとおり、和風ファンタジーもののようである。形式的には四コマ漫画であるが、コンテはかなりストーリー漫画に接近している。場面演出の必要に応じて四コマの区切りを自由に崩しているのも特徴的である。
わらびもちきなこは、かなりノリの激しい女子学生主人公もの。
赤秩父は、黒ベタやトーンの面積も大きく、枠線も太めに見える。コマのサイズも、平均と比べてやや小さめである(【表2】参照)。ただし、人物の振り付けがしっかり描かれているので、実際にはかなり読みやすい。
MIGCHIPもコマのサイズは小さいが、絵がかなりシンプルなのでバランスは取れている。
鴻巣覚も、枠線がやや太めでコマがやや小さいタイプ。赤秩父からここまで、似たようなレイアウトの漫画が3本並んでいるが、偶然だろうか。基本路線はアパート隣人もののようであり、椅子や座布団に座ったキャラクターたちの会話シーンが中心である。キャクラターのTシャツのプリントまで細かく描いているのが面白い。
主人公は丸眼鏡の女性。眼鏡女性キャラクターは、この雑誌の中では、きゆづき作品とぬっく作品に一人ずつしかいない(※なお、異識作品には眼鏡男性キャラがいる)。眼鏡はキャラクターに個性を与え、外見上も識別しやすくさせる便利な小道具だが、四コマ漫画のコマサイズでは、キャラクターの顔面を遮蔽してしまうデメリットの方が大きいのかもしれない。実際、鴻巣作品ときゆづき作品の眼鏡キャラクターはどちらもズリ下げ丸眼鏡で、両目に極力干渉しないように描かれているし、ぬっく作品に至ってはほとんどフレームを描かず、鼻筋と両脇のわずかな輪郭だけが描かれるという体裁である。
ちなみに、姉妹雑誌「きららキャラット」でも、浜弓場双作品と榊作品に一人ずついるだけ。やはり眼鏡キャラクターは扱いづらいのだろうか?
若鶏にこみは、コマの間のスペースがやや狭め。人物の絵の大きさ(絵としてのサイズ)を、あまり変えないようにしているように見受けられる。ただし、コマによっては絵をかなりデフォルメして描いている。
つづくミナミトの新連載も、スペースがやや狭め。沖縄の海を舞台にしており、コメディ要素はあるものの、ストーリー漫画に近い作りである。ショートカットで日焼けしていて口調が荒っぽい「比屋定」は、男性ではなく女性キャラクターである。
異識『あっちこっち』(前掲書、149-150頁)は、かなり個性の強い作品である。先の【表1】【表2】を見てのとおり、コマ間スペースが非常に狭く、しかもコマの上下スペースの方が左右スペースよりも広いという、異例のレイアウトである(この逆転現象を起こしているのは、先述の「かきふらい」と異識の2名のみである)。
もう一つ、レイアウトに関して不思議な点がある。左右で、コマの高さが揃っていない箇所があるのだ。左記引用画像で、赤線を引いて示したとおり、ところどころでこの現象が生じている。作家はおそらく原稿をデジタル処理しているであろうし、線の引き間違いという可能性は低いだろう。コマの位置をずらしているのは、何か明確な理由があって、あえてそのように操作した筈だ。だが、それがどのような表現効果を目指したものなのかは、この紙面から読み取れない。コマの中身の絵を適切にトリミングするために、コマの幅を微調整しているのだろうか?
よぱん男爵は、程々にデフォルメされた可愛らしい画風。レイアウトはごく一般的なもので、サブタイトルが付されている点も含め、どことなくクラシカルな雰囲気がある。
葵藍兎は、ワインショップを舞台にしており、それに合わせてか、やや面長で頭身の高い画風。つややかな長髪のキャラクターが多く、大人びた美人たちが描かれている。コマ絵は、胸上または首上のクローズアップショットが多く、整った顔立ちの美形たちを強くアピールしている。その意味では、最初に述べた川井マコト作品と相通じる漫画文体であると言ってよい。ただし、ストーリー面ではまったく異質の路線である。
三上小又の作品は、両目が縦長に大きく描かれており、頬の輪郭には90年代風「ぷに絵」の痕跡器官のような突起表現がある。つまり、かなりデフォルメの濃いスタイルである。コンテは、三人の少女キャラクターたちが卓袱台を囲んでとりとめもないお喋りをするというもの。読者にとっては、気楽に付き合える作品だろう。紙面レイアウトは、左右を分けるスペースが非常に大きく(9.0mm)取られているが、デフォルメの利いたコマ絵が強力なアイキャッチになるおかげで、空白の空疎感を免れている。
湖西晶は、最終回とのこと。誌面では三上小又、武シノブに続いて、低頭身デフォルメの漫画が3本連続している。左右を分ける垂直のスペースがやや広いという程度で、コマのレイアウトはおおむね普通。
最後はぬっく『おとめサキュバス』(前掲書、206頁)。左記引用画像や【表1】を見てのとおり、上下のコマの間隔が非常に狭い。先述の川井マコトと並んで、平均を大きく外れた狭隘さである。その一方、左右のコマの間隔は8.1mmときわめて広い。そのため、縦横のスペースの比率が、突出してアンバランスになっている。それゆえ、コマの縦横比は1.3となっている。これは三上小又と並んで、最も小さい数字だ(――つまり、コマが最も正方形に近い。ちなみに、最も横広なのは「かきふらい」で、縦横比は1.44)。
このように、コマ配置に関してはかなり特異な数値を示しているのだが、四コマ漫画として読みづらいということは無い。本作のコマ絵は、人物1人をバストアップで描いているものが多く、一人ずつの台詞でストーリーが順々に進んでいく。コマが正方形に近いということから、一つのコマに複数人を描くのはやや難しくなるが、その分、縦(垂直方向)のサイズに余裕があるので、胸上カットのキャクラターをすらりときれいに描くことができる。実際、本作のキャラ絵は面長の顔立ちで、大きな黒目も縦長に描くという画風であり、おっとりした雰囲気の中にもキャラクターの内面性も感じられるような出来になっている。こうした画風は、コマをできるだけ縦長に取ったレイアウトと親和的だろう。
途中は駆け足になりながらも、この雑誌一冊に掲載された漫画群のレイアウトとストーリーを概観してきた。レイアウトという形式面と、ストーリーやコマ絵という実質面は、相互に影響を与えて、その表現効果を創出したり向上させたりする。あるいは、相互に連動することによって、一作品の文体を形成している。
四コマ漫画という共通の規格の下で、多数の作品を比較することによって、個々の作品のレイアウトの特徴を定量的に指摘することができるようになる。そしてそれは、個々の作品の解釈や文体研究という定性的なアプローチに援用することもできる。この散漫な記事は、そうした漫画文体研究に向かうための一つの小さな試みであった。
計量的手法に基づいて(四コマ)漫画を分析する取り組みは、四コマごとの文字数や、一コマに描かれる人物の数など、さまざまな形で展開することができる。それは、文学作品に対してすでに行われている計量的文体論と同じアプローチであり、それゆえ、それと同じだけのポテンシャルを持っている。