2018/08/31

2018年8月の雑記

  2018年8月の雑記。(→9月7月


  08/28(Tue)

あやなみ! あやなみ! かわいい! かわいいよぅ! ああ! かわいい!

ということでALTER「綾波レイ」を買ってきた。1/8スケールとやや小ぶりだが、たいへん素晴らしい出来で、深く満足している。ずっと机の上に置いておきたい。

  あまりに気に入ったので、さっそく写真も撮りまくった。いろいろなアングルで撮影するというのは、それ自体、フィギュアの魅力の可能性を探り出す行為でもある。例によって写真の出来は今一つだけど、フィギュア実物は私が自分の目でじっくり鑑賞できるのだから構うまい。(写真を見た訪問者も、良さそうなフィギュアだと思ったら、購入して実物を眺めるのが一番だろう。)
  というわけで新記事:「ALTER『綾波レイ』(1/8スケール)」。今回はただの写真集。

  ちなみに、横髪が頬に張り付いているので、眼鏡を掛けさせるのは不可能だった。

  サムネイルで見ると、ダメージを受けたシーンのようにも見えてドキッとする。昔の手塚漫画とかで、服を引き裂かれて「きゃあー!」と叫んでいるコマのような感じで。

  この時期に1万円の出費は、非常に痛かった(※元々は税抜定価5800円のところ、中古値上がりしていた)。でも、本当に欲しいものは、歯を食いしばってでも買わなきゃいけないんだ。身銭を切って、身を切って、それでもその出費に見合うだけの、あるいはそれ以上に素晴らしい価値のあるオタグッズ現代美術品を、手に入れたいんだ。そして、手に入れたものを自宅でゆっくり鑑賞できるのは、本当に嬉しいんだ。それらは心の必須栄養素なのだ。

座り込んだり、寝そべったり。リラックスした雰囲気が実に良い。ちなみに、この種の「立っていない」フィギュアだと、土管の枝垂ほたるが最高だと思う。ネタの大胆さ、レイアウトの面白さ、キャラクター性とユーモア、そして完成度、どれをとっても絶品の出来。


  [ hibiki-radio.jp/description/gfonpu/detail ](第143回、07:37-)
  門脇氏について、名塚氏からの評。「ほわんとしてますけど、しっかり屋さんなところはある。人に厳しくはないけれど、自分に厳しいなという印象。『あっ、そんなに、そこまで考えてたんだ』って思う」。現場で一緒に仕事をされる同業者から見ても、仕事に対する突き詰めた誠実さとストイシズムは、門脇氏の特筆すべき個性だと認識されているようだ。

  [10:10-]のトークも面白い。若い世代にとってはブルマは完全に過去のものなので、現世代が褌に驚くのと同じようなことになる、というのは確かにありそうな話だ。


  現在でも、コンシューマ系のゲームディレクターは大半が男性のようだし、アーケードゲームの「『○○』を作った人たち」のような記事の写真では男性4~6人が並んで写っていたりするし、ゲーム系カンファレンスに登壇するような、地位のあるクリエイターたちも9割が男性。その同質性の高さに、見ていてウェッとなることがある。ゲーム制作の分野でも――日本国内の他分野と同様に――、残念ながら男女格差は依然として激しいようだ。
  もっとも、ここ十年のうちに状況は変わってきたのかなと感じることはある。また、00年代のうちからも、BLゲーム&乙女ゲームや、(男性向けと目される)アダルトゲームでは、女性進出がかなり進んでいた(――例えばORBIT、e.go!/でぼ、Escu:de、Navelなどは女性が代表者)。それはそれで喜ばしいことだと思う。


  やっぱり"garden of dawn"とか、"(theとかmyとかを頭に付けて) garden at dawn"とか、あるいは"dawn in (the) garden"の方が、英語としては収まりが良いよなあ……とは思うものの、今更変えられない。仕様としてはブログタイトルもアドレスも任意に変更できるけど、アドレスを変えてしまったら既存のハイパーリンクが全滅するし、タイトルとアドレスで不整合が残ったらやはり不格好だし……ムニャムニャ。


  [tw: 1034269711230365696 , 1034271042900901889 , 1034272441244119040 ]
  たいへん喜ばしい話だ。フルに働いて月給5万円などといった極端な不正義(搾取)が、組織的慣例的に長年公然と行われており、改善される気配も無い。しかもそれでいて、私(たち)が視聴するアニメは、動きのある作画も背景美術もあまりにも美しく感動的なのだ。その感動を素朴に享受していてよいのか。この日本アニメ文化の一翼を担いながら、その中で行われている極端な不公正さに、私(たち)は目を瞑っていてよいのか。まさにこの方が述べているように、「人の生活の犠牲の上に成立している作品を手放しで評価していいものか」という意識は、ずっとつきまとっている。このブログでも、以前からこのことには言及してきたが、一視聴者としてはなかなかアクションを起こすこともできずにいた。
  私以外にも、そうしたアンビヴァレンツを抱えながらアニメを視聴している人も少なくないだろう。「社会的な不正義である」という客観的な評価だけでなく、「これほどの素晴らしい作品を作っているアニメーターたちは、その素晴らしい成果に相応しいだけの酬いを受けるべきだ」という意識においても、そして「単なる使い捨てではなく、持続可能なアニメ制作であるためにも、アニメーターの待遇改善は必要である」という損得の観点からも、報酬額から労働形態に至るまでのあらゆる側面で地位向上が為されるべきだし、そしてそのツケは――第一義的には製作企業側が引き受けねばならないが――私たち視聴者も部分的には負担する覚悟を持つべきだろう。

  この方が何者であるかは存じ上げないが、どうやら青木悠氏であるようだ。できれば、この方が携わっている作品には、できるだけお金を出せるようにしていきたい。
  ちなみに、tw投稿を遡って見ていくと、首を捻らざるを得ないようなズレた発言がたくさん出てきて、ちょっと心配になったことも付言しておく。二次創作と著作権に関するルール形成がネット民の主導で行われていくだろう(※法律を甘く見すぎ)とか、日曜朝の1時間にアニメ視聴している人たちのことを「休日に早く起きても他にする事が無い」呼ばわりする(※アニメという真剣な趣味に専心してるでしょ)とか、刺青嫌悪がケガレ思想である(※マフィアが怖いのだと思うよ)とかいうのは、さすがに違うんじゃないかなあ。ある分野では精力的に素晴らしい活動を行っている人物が、別の問題では頓珍漢な意見を持っているというギャップは、いかにも人間くさくて、それはそれで可愛らしいけれど。


  『まいてつ』は、ゲーム版よりも漫画版の絵の方が好みかも。ただし、これは媒体上の性質に由来するかもしれない。ゲームでは同じような汎用立ち絵がずっと表示されるのに対して、漫画では一コマ毎に新しいアングルの新しい表情がどんどん出てくるので。ゲーム版も、差分増量したり立ち絵アニメーションを追求したりといった対処をしているが、こうした局面では個人作業のアナログな描画の方が強い。


  欲望を自制できない私は、今日も物欲を抑えられずにたくさん散財してしまいましたとさ。
  もっとも、購入したのはどれも素晴らしい物だし、そして、「買いたいものがたくさんあること(つまり、興味を持てる対象がたくさんあること)」も良しとすべきだし、「良いものをいろいろ買える環境にあること」も本当にありがたいことだ。
  割高中古ではなく、まっとうな価格(しかも私自身の財布にとってもリーズナブルな価格)であり、なおかつ制作者に還元できるような形で購入するように努めている。ただし、中古購入を完全に封印するのは難しいけれど。中古売買はべつ違法ではないのだし、また、中古市場が存在するおかげで実物が失われずに趣味人たちの間を渡り歩いているという側面もある。


  アイコンDLというのは、どの範囲の利用が許可されているのだろうか。
- 「Twitterなどでお使いいただける」 → SNSは良いとして、それ以外は?
- 「ダウンロードしてお使いください」 → 直リン不可なのは分かる。
- 「画像の改変、二次配布はご遠慮ください」 → この「配布」の意味がよく分からない。
  古典的な「壁紙配布」であれば、個人のPC上で使ってねという意味で理解できるのだけど。有償(販売)と無償(譲渡)を問わず、第三者に手渡すのはNGという意味だろうか。個人ブログに画像を載せる(ヘッダー画像に使うなど)のもNGなのかな。元々「フォロワー限定」のものだから、全部を丸掲げするのは完全にNGだろう。あくまで個別的に、ちょっとした飾りとしてのみ使用するのであればOKなのかなあ。

  SHCへのCi-en「支援者」(※8月末日現在408アカウント)をざっと見てみたら、IRODORI(※『桜花裁き』のメーカー)が入っていて驚いた。さすがに胃~之煮ネームの人はいないようだ。もしもいらしたら、爆笑してしまうかも。実のところ、SHCとSTP/胃の両方のファンは私一人しかいないという可能性が高い。内容面でも、双方のつながりは全然無いし。
  Ci-enの「ゲーム」カテゴリーを見ると、Miel、Lose、Navel、Project L.A.、ANAGRAM、それから上記IRODORIもコンテンツ提供を行っている。ごぅる氏の「やきうぶ」もある。「声優」カテゴリーには、残念ながら見知ったお名前は無かった(※プロの声優さんがこのサイト上でお金を取る活動をするのは、現時点ではいささか憚られるかもしれない)。「イラスト」カテゴリーでは、アダルトゲーム関係のクリエイターさんは、かごのとり氏やMaruto!氏がいる。

  二次元系オタクには親しみが深いと思われるDLsite運営のわりに、Ci-en利用はあまり広まっていない様子(※サービスは今年4月に始まったばかりだが)。クラウドファンディングの一形態として、今後はこういったサービスがさらに普及していくのだろうか。
  SHCファンクラブは、企業アカウントで、プロ声優2人によるラジオを月3回も提供しており、しかも聴くだけならば無料でも聴けるように設定している。他のアカウントを見ても、かなり良心的な部類であり、しかも中身も充実していると言えそうだ。
  こうした集団的パトロネージ支援サービスの使い方には、おそらく二つのアプローチがある。一つは「有料会員にのみ潤沢なコンテンツを提供する、exclusiveでトップダウンの囲い込み型」であり、もう一つは「活動報告などのコミュニケーション要素を重視しつつ、カジュアルな支援金を集めていく、openで双方向志向のサポーター型」があるだろう。
  「SHCファンクラブ」は、後者の姿勢を取っている。今のところ、無料支援だけでも主要なコンテンツ(つまりラジオ)にはアクセスできるし、有料支援者になる旨味は乏しい。有料支援は、あくまで自発的な、好意によるサポーターを期待しているようだ。そもそも、このCi-enサービスそれ自体が、企業主体の大規模な集金や大型プロジェクトへのファンディングというよりは、ファンによる継続的支援および交流を想定しているようだし、このくらいで良いのだと思う。もっと大掛かりな集金を行いたいのであれば、Ci-en以外の場を利用する方が効果的だろうし。
  ちなみに、支援額のうち、サービス提供者(Ci-en自身)は10%を手数料等として取るようだ。相場はよく分からないが、支援額の9割がクリエイターに行くのであれば、まあ妥当かなと思う。Ci-enサイトには外部広告も一切出ないので、Ci-enそれ自体は、DLsiteのインフラの余裕を利用した副業くらいの位置づけなのかもしれない。クリエイターを掴まえておくためというには弱いし、DLsite本家への誘導も乏しいので、「クラウドファンディング等が今後拡大していくと予想して、人的・技術的・人脈的・知名度的な観点から実験を試みている」といったくらいのスタンスなのかも。



  08/25(Fri)

  「プララジ」第0回。
  のっけから「苦しんでる二次元の女の子が大好き」とは……大物なのか?
  BGMは、せっかくだから旧作ゲームのものを使ってくれたら嬉しいな。『LJ』や『南国』のBGMが流れてきたら、この上ないファンサービスになると思う。
  SLGからSL(蒸気機関車)の話になったくだりで、「有名な他社のゲーム」とは、やはり『まいてつ』のことだろうか。
  「SHCの作品に出演するのは、すごいことなんだよ」と言っていただけるのは、ファンとして嬉しいかぎり。もちろん、ユーザーとしては、ゲーム本編で綾音氏のクオリティの芝居を安心して聴けるのもありがたい。



  08/22(Wed)

ふと見たら、似たような路線のドールが並んでいた(ブルー=黒髪の長髪系)。他にも買っているから、このタイプばかりではないのだけど。ポージングは苦手(しなを作らせるのが好きじゃない)なので、適当な姿勢のまま陳列してしまうのだが、ルルディスさん、その珍妙な構えには何の意味があるんですか。

  置き場も取れないので、小さめのプラモやドールは、こんなふうに書棚の前面にずらりと並べている。背後のPCゲームがずいぶん古いが、ここに引っ越してきた時にゲームのパッケージをスチールラックに詰め込んで以来ずっとそのままだったので仕方ない(※それ以降に購入したパッケージは、別のところに詰めたり積んだり積んだり々々している。


  和風曲芸ってまだ活動中なんだ。ラジオは最初期(たぶん40回くらいまで)を聴いて離れてしまったけど、400回近くまで続いているとは。久しぶりに聴いてみたら、吉川氏は相変わらずお元気な様子で、懐かしくも嬉しくなった。


  『ヨヨハラ』単行本版は、わりと売れている(増刷が掛かっている)ようだ。優れた作品を制作された作者さんが、形のある客観的な実績と、セールスの精神的な手応えと、それに相応しい経済的な見返りを手に入れられたのであれば喜ばしい。眼鏡のレンズの屈折表現をしっかり描いておられる方だし。商業印刷されたフルカラー漫画で、レンズ屈折表現を鑑賞できるというのは、たいへんな御馳走だ。

  「眼鏡レンズによる像の屈折(の表現)」に対するアフェクションは、特定の形象の存在――具体的であれ観念的であれ――を価値表象そのものと見做して受容するという主観的な価値認識の態度であり、まさにフェティシズムの営みだ。
  ただし、それだけではない。受け手側の単なる一方的な思い入れではなく、レンズを介した像のズレという現象は、確かな迫真性を生み出している。その眼鏡が、確かに度が入っているのだということ。その眼鏡にちゃんとした厚みがあるのだという手応え。記号化されたフェティシズムに留まらず、そうしたリアリティが宿っている。
  さらには、クリエイターに対する信頼と今後の期待という観点もある。眼鏡にしっかりした注目を向けて、レンズの屈折による像の歪みというその特徴を適切に理解しているということ。なおかつ、それをイラストのディテールとして描き込むという労力を、眼鏡のために割いていること。つまり、そのクリエイターの(眼鏡好きとしての)信頼度を測る指標として、この上なく有力な手掛かりでもある。そのようなクリエイターには、今後とも期待していけるという確かな保証になる。


  もっと遊びたいのに、ここに来て夏バテが来た。食欲も落ちている。


  先日の「四コマ漫画」記事。出来はあまり良くないが個人的に気に入ったので、少しでもマシになるようにちょこちょこと加筆した。もっとも、区々たる手直しばかり続けていても不毛なので、早々に切り上げて次の活動に移りたい。しかし、この夏の後半はいったい何をしていこうかな……。


  うちのPC環境で、「STP 轟け」の再生不具合が生じていてモヤモヤする。
- firefoxでは再生できない。ただし、STP以外のyt動画は、問題なく再生できる。
- 以前の回でも再生不具合はあったが、第277回から本格化(永続化)してしまった模様。
- 私のアクセスが個別的に弾かれているということではないと思う。
- 再読み込みなど、web検索で示唆されている対処を取っても解決していない。
- 別のブラウザ(IE)では再生できる。


  2002年の作品は、今世紀に入ってからの作品というカテゴリーでなんとなく現在との連続性があるように感じてしまいやすいが、16年前というのはかなり大きい時間的懸隔がある。「2018年現在に2002年のタイトルの話をする」ということは、例えば「2000年に、1984年発売タイトルの話をする」ことであり、「1990年に、1974年刊行の作品の話をする」のに等しい。もちろん、同じ16年でも、その分野の中での流行の変化が早かったり遅かったり、あるいは技術的なブレイクスルーがあったり停滞していたりといった違いがあったり、過去のデータにアクセスできる敷居が高かったり低かったりするから、一概に同じ距離感になるわけではない。文化や流行の推移変遷の速度は、むしろ近年の方が上がっていると言えるだろう。だから、「2018年現在に2002年のタイトルの話をする」ということは、もしかしたら、技術的には「2000年に、1974年発売タイトルの話をする」のだったり、「1990年に、1954年刊行の作品の話をする」ほどの大きな懸隔が生じているのかもしれない。その一方で、過去の作品へのアクセシビリティが上がっていることに鑑みて言えば、心理的にはむしろ「2000年に、1988年発売タイトルの話をする」ことや「1990年に、1982年刊行の作品の話をする」くらいの近さを感じるのかもしれない。


  大丈夫、大丈夫、わたしはまだドールにはハマってない。支出総額はまだ10万円にも届いていないし、本格的にのめり込んだら危険だというのはちゃんと分かってるし、たまにカタログや通販サイトを見て回って溜息をつくけどそこまでで踏み留まっているし、ドール友達とかもいないし、イベントに足を運んだりもしていないし、だいじょうぶ、うん、たぶん。


  アビスの深淵って、あらゆる趣味の深みみたいだなあと思った。深く潜れば潜るほど、見たこともない不思議で貴い宝物がどんどん手に入るし、ひとたびその魅力を取り憑かれた者はひたすら深く探窟していこうとする。ことによると自らの心身すら異形に変化しつつも、その深淵の奥底では同好の士のコミュニティが成立していたりもする。しかし、その深い穴を離れて普通の生活に戻ろうとすると、たいへんな負荷が掛かる。浅ければダメージも少ないが、深みから戻ろうとするほど、大きな苦痛を伴う。
  もっとも、趣味に限らず、恋愛だろうが信仰だろうが何だろうが、ひとが強い憧れを持って行う活動はたいていそういうものだと思うけど。


  【 妄想 】
  『巣作りドラゴン』をアニメ化したらきっと面白いのに、と常々考えている。おおまかに3周目の流れを追えば、だいたい1クール分の長さになりそうだし。例えばこんな感じ:

1 プロローグ。ユメとの戦い。クーとの交渉。
2 竜の生活。巣作りと街襲撃。
3 侵入者たち(罠発動、ワッフル作り、フェイ登場)。リュミス来訪。
4 最初の山場。フェイ捕獲。
5 巣の日常その1。マイト来訪(竜族文化とドゥエルナの情報)。
6 王城の政治。竜族に悩む国。ルクルとドゥエルナ。
7 王城からの侵入者増加。ルクル捕獲。
8 巣の日常その2。温泉。
9 戦闘激化(金銀銅)。マイトの危機。
10 ドゥエルナ捕獲。許嫁の話と、結婚への意識。
11 リュミスのこと。リュミスとユメの対決。
12 結婚。エンディング。

  12話分に脚本を詰め込むならば、だいたいこんな流れになるだろうか。「1~4話:対冒険者(序盤~フェイ戦)」「5~8話:対人類国家(ルクル戦)」「9~12話:竜族の問題(ドゥエルナ&リュミス)」と、三つのブロックにまとめられると思う。
  ただし、最近のアニメの感覚だと、序盤の山場はもう少し前倒しにして3話にしたい。また、「竜の居着いた国(人類)の側の危機感→王城からの侵入者増加→侵入者を抑制するために主人公が王族を捕獲する」という一連のシークエンスは、もっと時間の幅を長く取りたいところだ。また、原作はゲーム部分に多くを委ねているので、最後に脚本上のクライマックスを作りにくい。とりわけ、リュミスとユメを決闘させてしまうかどうかは、判断が難しい。脚本のボリュームに関していえば、巣のメイド魔族たちの日常や、リュミス視点のシーンや、ロベルト=カーロンたちの漫才などを入れていけば、十分足りると思う。OPとEDは、もちろん畑 亜貴氏による新規制作。
  あ、キャストは……クー役とルクル役とドゥエルナ役は、良い役者さんを当ててほしいなあ。主人公(ブラッド役)も難しい。


  [ ci-en.jp/creator/1736/article/17242 ]
  ソフトハウスキャラのラジオが開始。『悪魔娘』のサシィアーネは、『ブラウン通り』で言えばマーチェリッカに相当する真ヒロインの位置づけで、綾音氏はデビューしたばかりにもかかわらず、サシィの幼いながら気概のあるキャラクター個性をうまく掬い上げていた。
  概要記事は作ろうか、どうしようかなあ。有料部分に掛かるところは書きにくい(※少なくとも、公開されてすぐに記事に書いてしまうのは、差し控えた方がよいだろう)。しかし、バックナンバーは確保されるようだし、ソフトハウスキャラの活動記録の一部として書き残していく意義もあると思う。さしあたり、記事は作るつもりでいよう。
  メール投稿はしないつもりだけど、内容次第――特にゲスト出演者次第――では、ファンレター的に書いて送りたくなることがあるかもしれないという気持ちの覚悟だけはしておこう。
  ラジオの中のBGMは独自曲だろうか。せっかくだからSHC作品のBGMを使えばよいと思うのだが、ラジオの雰囲気に合わないこともあり得るし、作曲者との契約でゲーム以外には使えないという可能性もある。

  というわけで仮公開:「『プラスになるラジオ』各回の概要」。
  だいたいこんな枠組で書いていけばいいかな。
  お二人の声がうまく判別できないのは、私の耳が悪いせいだと思う。

  「プララジ」にゲストとして出演されそうな――あるいは出演してほしい――声優さん。
  大波氏羽高氏は、早い時期からのSHC常連なので、期待したい。大波氏はラジオ経験がある。羽高氏のラジオ出演歴は存じ上げないが、キャストフリートークをされることはあるので、たぶん大丈夫だろう。春日氏は、『BB3』を最後に、最近はSHC作品に出演されていないが、ゲストに来られたら嬉しい。渋谷氏も、最初期の『真昼』からほぼ皆勤だが、『王賊』のネイ役以降、メイン級のキャラクターを担当されていないのがもったいない。
  桃組だと、結城氏は最新作『大樹』の主演と『魔剣』のヒロイン役があるので、ゲストの可能性が最も高い方だろう。八尋氏ありかわ氏もかなり有力。ゲームメーカーのラジオなのだから、作品について語れなければいけない、つまり、メイン級で関わっている出演作が複数あるようでなければ、話せるネタが無いということだから。
  出演してほしいけれど、無理だろうというのは、青山氏。AXLのラジオにすら出演されたことが無いからね……。ただし、音声フリートークを出されたことはある。松永氏や西田氏も、すでに引退されているようなので、残念ながら不可能だろう。
  有栖川氏、小倉氏、海原氏など、10年代初頭頃のタイトルによく出演されていた方々は、最近ではちょっと難しいかもしれない。萌花ちょこ氏は、『BB2』から最近の『領地貴族』まで、メイン級の良い役をたくさん演じておられるし、他のラジオに出演されたこともあるので、プララジにも期待したい。というか、この重用度合いは、SHC社内にも萌花ちょこファンがいらっしゃるに違いないから、ラジオにもきっと招聘されるだろう。ただ信じて待つのみ(※「○○さんを呼んで下さい」とメールを出すというアクションをすれば、出演の可能性はさらに高まると思うけど)。
  男性声優さんだと、原田氏と一条氏が挙がるだろう。どちらも、ラジオにも出てきていただければと思う。カーディルやキンウルを演じた蝦押丈氏が来られたら、さらに嬉しい。植木氏も常連だが、どんな方かはまったく存じ上げない。

  そんなことをいろいろ妄想していたら、また『悪魔娘』をプレイしたくなってきた。


  人形キャラというと、『ふぃぎゅ@メイト』のイフリナと『あかときっ!』のククリクが思い浮かぶ。他にも、『青空がっこ』(球体関節)や『SEVEN BRIDGE』(機械人形)など、いろいろいるけど。メイドロボなどのアンドロイドキャラも、人形といえば人形。


  外はまだ暑いので、ベッドの上でゴロゴロしながら読書して休日を過ごす。


  学生時代は対戦格闘もほんのちょっとばかり嗜んだけど、相手にとどめを刺せるフィニッシュコンボに入ったら、最後のボタン一押しを「ターン!」と入力して両手をボタン&レバーから離すという格好付けをたまにやっていた。うわっ、見事に中二スタイルだ! ちなみに、コンボ入力を失敗してとどめを刺せず、慌ててまたレバーに手を戻すという、さらに恥ずかしい事態になることもあった。


  あっ、今月の『零れ落ちる少女たち』の原画って、あの『せんせいあのね』の藤咲氏か。
  本格派じゃないか。


  今時分、月の明るい晩の午前2~3時頃に外に出て近所をふらふら歩き回ると、空気が気持ち良いし、心がきれいになったような気分になる。学生時代は自転車で伏見区の方まで走り回っていたが、最近は徒歩でちょっとだけ。もっとも、安全性という点では気をつけなければいけないけど。実際、下鴨付近で風変わりな雰囲気の人に誘われそうになったこともあったし、河原町などの街中は元気の良い(婉曲)若者が夜中まで騒いでいるのであまり近づきたくない。


  公式に許諾乃至許可がある場合を除いて、基本的に二次創作同人グッズはNGだというけど、プリントTシャツや抱き枕はたくさん作られているので、何が良くて何が良くないのかがどうも分からない。「キーホルダーのようなアクセサリー類は駄目だけど、Tシャツなどは同人イラストの延長上だからOK」という理屈なのかな? いや、それではあまり筋が通らないように思える。あるいは、コミケ的な「同人誌はOKだが同人グッズはNG」というのが正しいとも限らない。正当性を最終的に判断するのは、同人界隈ではなく著作権者側なのだし。



  08/17(Fri)

  この一週間でゲームは3本プレイした。どれも満足。

  金目鯛ぴんく氏こそは「THE アダルトゲーム原画家」と呼ばれるべきではないかと思う。90年代後半から10年代末の現在まで20年間に亘ってずっと活動し続けており、現代世界ものからファンタジーものまで幅広く手掛け、そのいずれにおいても色気と可憐さを併せ持ったキャラクターたちを十分な説得力を持って描いてきた。原画家として仕事をしたゲームブランドの数は、全原画家の中でおそらく最多だろう。
  もちろん、知名度の高さや代表作の存在、エポックメイキングな業績の存在、あるいはイラストの総合的なクオリティに関しては、他の原画家も挙げられるだろう。しかし、アダルトゲーム分野の生産的な活力と魅力を二十年間に亘って担い続けてきたという意味で、金目鯛氏の継続的な成果とその美しさには深く敬服している。


  ただの雑感メモだが、長くなったので単独記事にする:「四コマ漫画のレイアウト」。
  土日のうちに書き上げたいが、途中で飽きてきた。

  この記事では、四コマ漫画ではない一般的な漫画形式のことを大雑把に「ストーリー漫画」と総称する慣例に従っているが、個人的にはこの呼称にはあまり納得していない。特定の形式的枠組を持っているか否かという意味で、文芸でいう「韻文」と「散文」みたいなものだと思うが、だからといって「散文漫画」と命名するのはさすがに強引だし、一般に理解されづらいだろう。ばっさり割り切って「非-四コマの漫画」と呼ぶことも考えたが、おそらく読みにくいだろう。
  もっと視野を広げれば、「四コマ漫画/ストーリー漫画」という対概念だけではなく、「風刺画やネットイラストのような一コマ漫画」や、「絵巻物のような、コマ(枠線)の観念がそもそも存在しない漫画」も存在し、これらも漫画の一種としてカテゴライズされ得る。

  今回の記事はとても統計的(計量的)とは呼べない代物だけど、四コマ漫画を統計的に分析したら面白いかもしれないというポテンシャルは感じた。ひとまず共通のフォーマットを持ちつつ、内部的には多様性があり、しかも多数の作家のデータを比較的容易に収集できるので。場面転換の頻度とか、台詞密度とか、一コマあたりの人物数とかいった要素を抽出して漫画文体研究を試みることは十分可能だろう。というか、何かしらの研究の蓄積はすでにあるんじゃないかな。さっと検索したかぎりでは、日本語論文だと例えば:
  [ www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/thesis2/d1/D1005980.pdf ]
こんなのがあるようだけど、うーん、ずいぶん雑だなあ。

  「きららキャラット」誌も買ってみたけど、こちらはどの漫画も、ゴチャゴチャと無節操に描き込みすぎていて、誌面がとても暑苦しく見える。ただでさえ1ページに8コマずつ詰め込んでいるのに、その全てのコマをぎっしり描き込んだり、会話メインだからといって台詞をどっさり載せたりするのは、洗練されているとは言いがたい。系列誌同士でも、編集方針やセンスはけっこう違うのかなあ。

  ひとまず脱稿:「四コマ漫画のレイアウト」。約12000字。
  要するに、ゲームでも漫画でもアニメでも、きちんと客観化した文体論をやりたいのです。


  【 性的なイラストの表現技法とその流行 】
  一時期は、ネットのえろイラストなどで、女性の股間部分をやたらふっくらと盛り付けて描いたり、下着をぴっちり貼り付かせてクレヴァスの窪みを強調したりするのが流行していたけど、最近はそういうのはずいぶん落ち着いてきたように感じる。ピークは00年代末から10年代前半くらいだっただろうか。その一方で、今度は「着衣の上からでもヘソの窪みを強調する」という、よりいっそうマニアックな試みが――10年代半ば頃から?――出てきているが。股間盛り付けは、さすがに誇張が過ぎたのか、卑猥感が強すぎたのか、それとも飽きられたのか、あるいは下着のディテール表現の中に解消されていったのか、事情はよく分からないが、個人的にはホッとしている。

  似たようなセックスアピールの誇張表現として、着衣に突き出る(浮き出る)乳首というのもあった。中には、上着どころか中世ファンタジーの鎧にすら、バストの頂点の突起が造形されていて、「鋼鉄乳首」という揶揄がスラング的に広まっていたほどだ。これはアダルトゲームにもしばしば見られた表現で、00年代のうちにはすでに存在していたし、おそらくアニメや成人向け漫画などでも同様の表現は現れていたと思われる。しかしこれも――2012年か2013年頃からだろうか?――めっきり減っているように感じる。この傾向は、べつに客観性のある調査をしたわけではないから、「本当に事実である」のか、「私が見逃していたり認識がズレている」のか、あるいは「私の見ている範囲が偏っている」のか、自分では判断できないが。
  最近の男性向け18禁イラストなどでは、乳首表現に対する関心が薄れているようにも感じる。バストそれ自体については、とりわけ「大きいことは良いことだ」という方向で、大きく盛り付けて強調するような絵が増えているし、おそらく受け手の多くもそれをはっきり選好していると思われるのだが、乳首部分についてはかなりあっさりした描き込みだけでやり過ごしている傾向が強まっているように感じる。近年のネットの-オタク寄りの-比較的カジュアルな-デジタルイラストでは、素肌の肉付き表現やタイツの質感表現、下着の描き込み、腋やヘソのエロティシズムの発見、そして武装ディテールの追求、色彩コントロール、透けや濡れの塗り方の技術拡散、各種エフェクトの盛り付け、等々、さまざまな局面で技術開拓が大規模・高速・高品質に行われているのだが、そうした中で乳首描写はオールドファッションなままだったり簡素だったりしている。一時期のような、衣服を突き抜けてきそうなほどの堂々たる突起乳首が見られなくなると、それはそれで寂し…い、ということは、いや、別に無いけれど。私のような者でも気づくくらい、現代の(主に日本の)オタク系のセンシュアルな表現文化は日進月歩の速度でダイナミックに変化している。そして、もしかしたら、彼等の旺盛な好奇心がニプルに向かって、乳頭をハイディテールに描いたり創造的なデフォルメを施したりする新潮流が将来出現するかもしれない。

  ストレートな性表現だと、男性向け18禁同人では断面図が完全に浸透し(てしまっ)た。その種の表現がオタク文化にはっきり露出し始めた当初(00年代)は、グロくて悪趣味なギャグのようなものと捉えられていた――少なくとも私はそう感じた(し、今でもそう感じる)――のだが、10年代初頭のあたりにはすでに完全に定着していたように思う。件の『エロマンガ表現史』でも一章を割いて大きく扱われており(第4章)、1970年代から80年代の萌芽的表現ではギャグとしての性格が強いとされている。そして90年代までは散発的な実験として現れた程度だったようだ。(ところでこの本、ここでいきなり作家インタヴューに切り替わっていたりして、ずいぶん読みづらいな! 実例の引用画像はやたら多いけれど冗長だし、論述はずいぶん散漫でモヤモヤする。)  そして2003年から2004年頃の商業アダルトコミックを震源地として、断面図表現が一気に普及したということらしい。
  ちなみに、私としては、現在の18禁漫画におけるこの種の表現は、その描写のありようからして、「断面図」というよりも「体内透過(あるいは透視)表現」と呼ぶ方が適切ではないかと思う。単なる局部断面を超えて立体的に描かれていたり、あるいは局部クローズアップのコマではなく全身を描いた中でそのあたりの内部構造のみが透過的に描かれていたりすることも多いし、あるいは逆に、「断面」とは呼びにくいほどごく局所的なカットイン的描写である場合もあるからだ。
  アダルトゲームだと、遅くとも00年代半ば頃には、断面図カットインが出現していたと記憶する。特にTechArts系列――『炎の孕ませ転校生』(SQUEEZ、2005年)あたりから?――は、断面図の挿入アニメーションを早くから採用していたと思う。



  08/12(Sun)

  ハヤニエ、すごいよね……。しょくしゅが下から上までかんつうできてしまうというのは、分かるようで分からないようで分からなくもないけどやっぱり分からない。田宮氏の関わっている作品では高頻度で描かれているが、記憶のかぎり田宮氏の関わっている作品でしか見たことが無いという、きわめてレアなネタ。


  [ kaduho.cyber-ninja.jp/img/imoko1.png ](※虫イラスト注意
  クリーチャーの趣味が『フランケン・ふらん』第2話のあれと同じじゃないか。(歓喜)


  『ギャグマンガ日和』、最初はネタのチープさがちょっとつらかったけど、途中から(第1期下巻から)調子が出てきて、ネタを畳み掛ける勢いの良さが楽しめるようになってきた。
  その後で「アイチョ」ラジオを聴くと、これはこれでまた乙な味わいが。

  名塚氏の芝居があまりにも耳心地良くて、騒々しいコメディアニメなのに、ふと聴き惚れてしまう瞬間がある。声優怖い。


  PCゲームを初回起動するときは、ディスクを抜いてディスクレス起動できるかどうか判別できるようにしたうえで、起動メニューやブランドロゴなどのスクリーンショットを撮りながらひとまずタイトル画面まで行って、デフォルトのコンフィグ各項目まで撮ってからいったん終了させて、セーブフォルダの生成を確認するところまでがお定まりの手順。ただし、タイトル画面に行かずにいきなりプロローグが開始するタイプの作品もある。そうした時は戸惑いつつもひとまず進めていくが、どこまで続くのか分からないのでちょっと不安だったり。基本的には、プロローグはそんなに長いし、タイトル画面や回想モードで再閲覧することもできるのだが、そのまま本編に入っていってしまうタイプだとちょっと困る。


  真理が芸術を作る(現実に即しているかどうかが芸術的価値を左右する)というのは、けっして健全な状況ではないだろう。ハードSFやシミュレータゲームのような特殊事例はあるが、その分野特有のアプローチに関わっているという個別的事情のためだし。
  ただし、芸術表現の次元と我々の現実の次元とが完全には区分されないというのは、現代文化全体に広く普及した受容姿勢(かつ創作姿勢)なのかもしれない。例えばソーシャルゲームでも、作中世界の設定に沿った装いが何も施されないままに「ガチャ」と大書されたコマンドボタンが設置されていたりする(というタイトルもあるらしい)。そこには虚構表現の自律性や完結性は存在しない。ゲームのような参加的側面もある分野だけではなく、観客席まで映し込んだイベント映像なども、同じ発想に立つものだろう。近代美術の狭い枠を超えた参加的、体験的、共時的、遂行的なアートが、必ずしも共同生成的な特殊性を確保できるとは限らず、マスカルチャーにおいては受け手の現実認識(現実的な認識)にまで引き下げられてしまうというのは、いささか悲しい事態だ。


  可愛いフィギュア写真をページトップにずっと置いておきたいという気持ちもあるが、しかしその一方で、邪魔なものや用が済んだもの(すでに一度閲覧されたもの)を置いておくべきではないという判断もある。うちのブログのレイアウト方針は、「無駄な情報や夾雑物を置かず、できるだけシンプルにして、コンテンツの本体部分(テキストなど)に集中させたい」というものなので。
  サムネイル画像のように、個別記事のトップにアイキャッチ的な画像を一枚だけ見せておくというのも考えた。しかし、それだと記事単体として見た場合にきれいな形にならないので、あまり気が進まない。そもそも、このブログの訪問者の多くは検索エンジン経由でいきなり個別記事にアクセスするカジュアルな訪問者だと思われるので、サムネイルがサムネイルとして機能しにくいと思われる。いろいろ考えて、できるだけクリアな形にしたい。この段落のような、ほぼすべての訪問者にとって何の意味も見出せないであろうことをわざわざ書くのも、まさに邪魔なのかもしれないけど。
  ブログのアクセス統計欄を見てみたけど、「アクセス統計は当てにならない」ということは分かった。botやクローラーとおぼしきアクセスが多すぎて、ヒューマンアクセスの内訳が判断できない。こう言ってはなんだけど、例えばロシア在住の人間から毎日何十件もアクセスがあるというのはさすがに信じにくい。いや、もしかしてロシア人orロシア滞在中の熱心なアダルトゲーマーさんたちがいらっしゃるとしたら申し訳ないけど……たぶんそういうことは無いよなあ。
  ブラウザ統計はかなり変動していて、以前はfirefoxが1位だったのがかなり落ちて3位になり、それに対してChromeでのアクセスが1位になっていた(※2位はIE)。うちのブログのアクセス傾向がごく一般的(普通)なものだと想定すれば、ここ2年ほどの間にChromeユーザーがかなり増えたということになる。そんなものかなあ。


  『アーサー・ピューティー』と『ヘレンesp』はつながっていて、そして『フランケン・ふらん』と『開田さん』と『マーニー』も同一世界だと受け取れるようになった(※『兄妹』もだっけ?)。最初期の『おどろ』に関しては、まだクロスオーバー描写が無いと思う。
  ただし、これらは基本的には、ファンサービス的なお遊びか、あるいはスターシステム的なカジュアルな流用にすぎず、作品解釈を左右するようなものではないと捉えるべきだろう。「木々津ワールド」のようなものを実質的な作品解釈として想定してしまうのは適当ではないと思う。とはいえ、『アーサー・ピューティー』と『ヘレン』は、まさにあのヘレンの行動だったからこそ、あの事態を引き起こした皮肉が利いてくるという側面があるので、あまり無下に作品間関係を切断してしまうのも勿体ないのだが。



  08/07(Tue)

  そろそろ日本橋遠征に行きたい。学生(大学院)時代からだいたい年3回程度のペースで、買い出しや掘り出し物探しに行っている。もっと頻繁に行ってもよいくらいなのだけど。

  学部生の頃はクラシックばかり聴いていて、京都市内のCD店を毎月巡回していた。四条付近に知人が住んでいたこともあり、当初は四条烏丸JEUGIAがメインだった。河原町BALにあったVirgin Megastoreは、オペラのラインアップが充実しているなど、かなり味付けの濃い品揃えで、多大な刺激を受けた。閉店してしまったが、今でも感謝している。最終的に三条JEUGIAの常連になったが、付近に自転車を駐められるところが少なくて苦労した。CDを買った総額が一番大きいのは三条JEUGIAだが、学部1回生の頃から貧しい学生生活の身銭を切り続けた重みでいえば四条烏丸JEUGIAの方が大きな存在だ。

  来週になると、いわゆる「コミケ4日目」で混雑しそうなので、今週のうちに行っておこう。

  ちなみに、梅田MNDRKへの道順はよく迷う。阪急梅田駅を起点にすると、えーと、茶屋町側に出て南下し、阪急東交差点から左手(東)に渡って東通商店街をずっと行けばいいのか。そういえばアニメイト梅田店もオープンしているようだが、そこまでは行かなくていいかな。(というか、迷子になりそう。)

眼鏡のブロムシュテットさん(指揮者)と、眼鏡姿になったブロムシュテットさん(キャラ)。べっ、べつに、ドールにハマったわけでは……。たまたま眼鏡の似合いそうな立体物を買ったら、それがドールだったというだけのことだから、まだ大丈夫な筈だ。
「アサルトリリィ ルルディス・ブロムシュテット」。このキャラクターは眼がかなり大きく、しかも横髪が片方に流れているため、エッチング眼鏡を固定するのが難しい。この写真では、PLUMの「メガネ・アクセサリー」を使用している。
EXQ「緒方智絵里」にもプラ眼鏡を掛けさせてみた。可愛いけれど、このサイズだとブリッジ(中央部分)の太さがちょっと気になるので、後で削って細くしておこう。

  店頭では帽子姿の竹久さんにも心が動かされたが、今回は夏らしく、クールで涼しそうな服装のルルディスさんにした。サンプルCGを見るかぎりでは天野さんも可愛いと思うけど、2年近く前に発売された製品なので、店頭では出会えそうにない。

  [ www.azone-int.co.jp/?sid=hpc402&srs=134&jancd=4560120202921 ]
  50cm級(1/3スケール)のドールだと、これにもたいへん心惹かれたが、さすがに自宅に置いておける場所が無いので断念せざるを得なかった。このクラスの大きさになると、さすがにぞんざいに扱うわけにはいかない。

  KOTOBUKIYA日本橋店の「ロードランナー」サンプルが矢絣袴を着ていた。まったくの偶然だが、ちょうど私が着せたのと同じ着付けをしているのが面白かった。

  上の写真の緒方さんというキャラはまるで知らなかったのでweb検索してみたら、担当声優は大空氏とのこと。……あっ、『いなり、こんこん』で主演を務めた方だったのか。ともあれ、EXQフィギュアなので布地表現が素晴らしい。このフィギュアは、特にソックスの質感表現がとても良い。セーターも上腕や背中の皺寄り表現が良く出来ている。内股な脚部の造形も、脚立に腰掛けている微妙な緊張感を掬い取っているようだし、横髪の流れる様子も良い効果が出ている。EXQシリーズは、残念ながらキャラの顔立ちが不味いものが多い(特に両目の表情が死にがち)が、この製品はストレートな可愛らしさが表現されている。

  というわけで、梅田と日本橋でいろいろ買い込んできた。行きがけの財布には、念のため(あくまで予備として)4万円多めに追加しておいたのだが、自宅に帰り着いた時には財布の中には千円札一枚しか生き残っていなかった。こんな筈では……。
  『ギャグマンガ日和』のディスクが中古販売されていたので、つい買ってしまった。作品の方向性は私の趣味に合わないかもしれないが、せっかくの前田氏のレギュラー出演作なので、とりあえず視聴してみよう。

  ゲームの方も、買い逃していたものをいくつかフォローすることができた。さすがに、以前のように一日で20本も30本も買うというような真似はしなくなったが。(※レジでそのまま宅配依頼できる場合があるので助かっている。もちろん、そういうのを受け付けていないお店も多いが。)

  Revellの1/350ティルピッツにも惹かれたが、「発送できるか分からない(※店員さんに訊けばよいが)」、「予算オーバーしかねない」、「買っても作れる時間があるか分からない」ので断念した。なにしろ、エッチングパーツから木甲板シートから金属砲身まで全部入っている豪華版で、値段も2万円超だったから。

  外国人がとても多かった。特に梅田には中国人の家族連れ(大陸か台湾かは分からない)が非常に多かったし、ポンバでも欧米からと思われる金髪(地毛)の人々を頻繁に見かけた。「私は日本以外の土地にいるんじゃなかろうか?」という不思議な錯覚が生まれそうになったくらい。国際化とはこういうものなのだけど。
  特に中国系の家族連れは、個人ではなく家族(つまり団体)でいるため、会話の量が多く、中国語とおぼしき言葉が頻繁に耳に入ってきた。中国系の方々は、おそらく大半が旅行客だが、どなたもずいぶんフランクな格好なので、見た目では地元民と識別できないのが面白い。実際、中には日本在住者もいるのだろうけど。外国から渡航してくるのであれば、大阪でも関東でもあまり変わらないと思われるし、そもそも外国在住者にとって「大阪」(しかも日本橋)はそんなに有名なのだろうか、そんなに魅力があるのだろうかと、ちょっと驚いた。
  欧米系の方々も、おそらくほとんどが外国人(国外在住者)だろう。家族連れもわりといたし(たぶん観光旅行)、若者のグループもいたし(オタクが多いのかな)、成人男性が慣れた様子で一人で買い物をしている風景もあった。それにしても、ポンバまで観光や買いものに来るディープな外国人がこんなにもいらっしゃるのかと、あらためて驚いた。
  京都は京都で海外からの旅行客がとても多いし、奈良の観光名所でも旅行客はわりと見かけるけれど、関西圏でも兵庫あたりになると外国人(特に欧米からの旅行者)や外国語に接する機会は激減するだろう。もっとも、神戸では南京町等に中華系の住民が多い(日本語も十分使えるレベルの方が多い)し、イスラム系の住民もそこそこいる。さすがは歴史ある港町だ。ただし、さすがにアフリカ系の人はなかなかいない。滋賀県あたりでも、外国人は相当稀だろう。


  『キルミー』の原作(漫画)とアニメ版の対照表は、以前に作ってあったので、確認のためにもう一度視聴してから公開しようかな。お色気要素がほぼゼロなので、ストレス無しに楽しめる。ただし、いわゆる「エログロナンセンス」のうち、残り2つの要素はかなり多めだが。

  というわけで簡単に公開:「『キルミーベイベー』漫画版とアニメ版の比較」。そういえば、ちょうど主演の声優さんにめでたい出来事があったそうで。[tw: 1027751414917881856]


  [tw: kadomaita/status/1027072751373176833 ]
  以前(5月31日付雑記)にも言及した映像の件。完成映像ではお互いの科白をぎりぎりまで食い(被せ)まくっているので、本当にこのテンポで一気に収録していたのであれば、さぞかしスリリングな現場だっただろうと思っていた。実際には、一つ一つ間を開けて収録して、それらを後でダビングする際に(※映像と音声を合わせるプロセス)調整していたのか。それはそれで、役者としては安心して芝居に集中できる環境になっただろう。

  『ギャグマンガ日和』も、台詞の間のブレス(息継ぎ)を全て切り詰めているという珍しいスタイルを採用していた。DVD上巻のスタッフインタヴュー映像でも、ブレスを切るのは「普通は絶対にやらない」、「タブー」、「プロの音響スタッフはびっくりしていました」と述べている。一人の台詞のブレスを切るのか、複数人の会話の間(ま)を詰めるのかという違いはあるものの、演出上の効果は共通している。すなわち、言葉の勢いによってどんどん視聴者が先へ引っ張られていくという音響的な推進力や、文字通り息の詰まるような迫真性、因習的な会話劇のテンポを抜け出してみせる新鮮さ、等々。
  ちなみに、台詞やブレスの間を事後的に切り詰めるということは、吹き替えのように映像のタイミングに合わせて声優が芝居をする必要が無いということだ。実際、『ギャグマンガ日和』と上記『へんたつ』は、どちらもプレスコ収録になっている。つまり、台本に沿って音声収録をしたうえで、音声素材と映像素材を摺り合わせするということだ。

  『ギャグマンガ日和』『だぶるじぇい』『ノラとと』と、5分制のアニメは実写を挟まねばならないという暗黙の了解があったりするのだろうかと妄想しそうになったが、『ワガママハイスペック』には実写要素は無かった。
  ショートアニメは、本編部分はほんの数分の内容を細切れに提供する形になるので、しかつめらしく物語を展開するのには適しておらず、したがってコメディ作品になりがちであり、しかもコストがあまり掛からない分、ゲリラ的に実験的、挑戦的、逸脱的な表現を試みられる余地が大きいと思われる。『ギャグマンガ日和』の意識的な実験性による口パク実写と、『だぶるじぇい』の破調の笑いに導かれたおおらかな実写インタヴューパートと、そして『ノラとと』のギャグセンスが存分に発揮されたアグレッシヴなヤギパートは、それぞれが作品全体の演出的個性と結びついている。



  08/01(Wed)

  【 背景CGとイベントCGの話 】
  AVGの背景美術については、「CGワーク」記事でもあまり踏み込んだ話ができなかった。背景画像の評価に際しても、様々な考慮要因がある。
- 場所:どのような立地を描いているか、
- 様式:どのようなタッチで描いているか、
- 品質:どれほどの品質で作られているか、
- 数量:一作品にどのくらいの枚数が用意されているか、
- 表現:作中でどのように使用されているか、
を、それぞれ考えなければいけない。さらに、例えば「時刻差分はどの項目で考えるべきか。数量のレベルで差分枚数を検討するか、それとも時刻変化という演出の枠内で捉えるべきか」といったような難しさもある。

  例えば『Forest』は、実在東京を写真取り込みで扱いつつ、幻想的な加工を施して、さらにしばしば非-全画面に切り取られたかたちで表示していた。『11eyes』は、異世界に紛れ込むシーンでは、通常の背景画像を赤く加工することによって、元の世界が異形化していることを明示していた。『ハピメア』にも似たような趣向があり、校舎内などに不思議な植物が繁茂するミステリアスな情景を背景美術でしっかりと描き出していた。Innocent Greyの重々しい背景も、ORBITの深みのある背景も、ういんどみるの開放的な背景も、それぞれ作品コンセプトと堅固に結びついたクオリティだ。

  ベッドシーンの一枚絵で、どのくらい差分変化を提供するかは、ブランドによって流儀がかなり異なる。何十種類も差分変化させるのは、さすがに鬱陶しいと感じる。たしかにベッドシーンは、アダルトゲームの華とも言うべき重要な部分だから、できるだけ贅沢に差分素材を投入するのは一応理に適っているし、また、比較的長時間の尺を特定の全画面CGだけで賄わなければいけないため単調になりやすく、それを少しでも解消するために差分変化で動きを付けるというのも分からないではない。
  しかし、あまりにも細かな変化を頻繁に挟まれると、プレイしていて気が散るし、「この一枚の美しさ」という貴重さの感覚が失われていくし、言い訳がましいと感じることすらある。通常の一枚絵の差分枚数と比べても、アダルトシーンの一枚絵の方がかなり差分枚数が多い筈だ(――体感では、平均的に見て2倍以上)。個人的には、一シーンに1枚であれば差分はせいぜい8種類まで、2枚使う場合も合わせて12~14パターンくらいにとどめておいてくれる方が、すっきりすると思う(※もちろん、シチュエーションやテキストの長さによって、妥当な数量は変化するだろう)。
  もっとも、CG作成サイドとしては、例えば「目元の変化が4パターン」×「局部の変化が3パターン」×「腕の変化が2パターン」といったように組み合わせで乗算していけば、大量の差分が簡単に作れるものだし、その豊かなリソースを使えるかぎり使ってしまおうというのは、分からないではない。しかし、一ユーザーとしては、これぞという絶妙の一枚が欲しいというロマンティックな希望もあったりする。
  一枚絵の一部分を拡大するのは、わりと便利で有効な手法だろう。顔の表情にズームインしたり胸部に注目させたりするのは、演出上も有効だし、技術的にもかなり簡単なスクリプト作業で実行できる筈だ。ただし、私が目にする実例は、大きくクローズアップしすぎていて、あまりきれいな画面になっていないものも多い。トリミングのような構図変化として認識させるくらいの方が、効果は大きいと思うのだが……。
  歴史を遡れば、90年代頃はむしろ一枚絵の差分変化が無いのが普通だったくらいだ。レイヤー分割によって簡単に差分制作できるような時代ではなかったというせいもあるだろうし、データ量の削減という考慮もあっただろう(※特にユーザーのHDD容量は、かなり厳しかった)。その中でも、『きゃんバニ プルミエール2』などは眼鏡の有無差分を設けたりしていたが。

  『呪いの魔剣』と『その大樹』で、アダルトシーンのイベントCGの差分枚数を数えてみると、ざっと以下のとおり(※主要ヒロインとの一対一のシーンに限定している。サブキャラや多人数シーンを入れるとややこしくなるので)。

差分『魔剣』『大樹』
3種31
4種131
5種612
6種84
7種33
8種12
9種03
10種00
11種20

  タイトルごとに傾向の違いはあるが、いずれも半分以上が差分4~6種類に収まっている。これでもプレイ中に不足を感じることは無かった。このくらいでいいんじゃないかなあ。もちろん、大量の差分をテキスト進行に合わせてうまく捌けるのであればどんどん活用してくれてよいのだけど、差分枚数の額面だけを増やしても必ずしも面白さが増すわけではない。

  『勇者砲』のイベントCGもざっとカウントしてみたが、こちらは差分14種類や差分16種類のものがたくさんあった。同一のブランド、同一のチームでも、作品ごとにかなり変動するようだ。もっとも、ソフトハウスキャラの場合は、その都度のゲームシステムに左右される向きもあるが。例えば汎用的に繰り返される一枚絵では時刻差分などのパターン変化が多くなるし、それに対して本筋イベントの中で発生するシーンでは、何枚もの絵を投入するぶん、個々の絵の差分変化は控えめになりやすいようだ。


  胃:MAX#36。「スケールモデラーは接着剤をあまり使わないから[プラモバトル漫画では]脆いんだ!」……あー、確かに。特に艦船模型は、甲板上の構造物などがグラつかずに固定できていればよいので、脆いといえば非常に脆い。デリケートな極小パーツがたくさん生えているので、そもそも完成模型に力が掛かるようなことがあってはならない。


  [ ci-en.jp/creator/1736 ]
  なんと、「ソフトハウスキャラファンクラブ」とは!
  しかもwebラジオも定期配信されるとは!
  DLSiteのアカウントを持つつもりは無かったけど、これは個人的信念の一部を曲げてでも加入すべきだろう。
  綾音氏をラジオパーソナリティに起用されるということは、今後の新作でも出演される見込みがあると期待してよいだろう。また、せっかくの機会だから、大波氏や萌花ちょこ氏や青山氏や春日氏や羽高氏や原田氏や蝦押丈氏がラジオゲストに(あるいはレギュラーに)来られることを期待しても、バチは当たらないだろう。

  [ www.youtube.com/watch?v=4bQXj6jan5I ]
  風花氏(&ありかわ氏)のラジオも試しに聴いてみた。こんな雰囲気のトークならば、ひとまず安心して聴けそうだ。


  正しくは『その大樹は魔界を喰らう!』なのだが、ファイル名やフォルダ名が「Majou」なせいで、ついつい「その魔城は」……えーと、あれ、「その魔城は大樹を喰らう?」、いや、「その魔城が魔界を喰らう?」とおかしなことになりかける。略称も『魔城』にしてしまいがちだが、タイトルのどこにも「城」という文字は入っていない。
  「魔界を喰らう大樹~成長する魔城~」とすると、なんだか『グリンスヴァールの森の中~成長する学園~』みたい…にはならないか。「おしろぐい~その大樹は今日も元気でした~」とか「魔界に踊るその大樹」とか「Dancing Trees」とかにすると、懐かしのおまけムービーっぽくなる。

  おまけムービーの最高傑作は「両国ドミニオン」だと思う。Temptation! それに次いで笑えるのは「グリンスヴァールの中の人」。本編の作中世界の豊かさをうまく換骨奪胎している。『巣作り』はEDムービーをおまけヴァージョンに差し替えできるようになっていたのが個性的だが、畑氏による楽曲が気持ち良すぎて聴き入ってしまう。
  ちゃんとしたOPムービーでは、『Dancing Crazies』が興味深い。階段を駆け上がる主人公や、ヒロインの流れる長髪など、2005年当時に2Dイラストをなんとかアニメーションさせようとする努力が見て取れる。そういう時代だったのだ。

  セル画アニメのような古典的な「アニメーションAVG」は90年代から存在したし、aviやmpgのような動画素材をそのままAVGに組み込もうとする動きもあった。それに対して、2D静止画をベースとしてなんとかその絵を動かそうとするアプローチも、00年代初頭から意識され、さまざまに試みられていた。
  ただし、00年代半ば頃までは、静止画を無理に動かそうとしても、ダイナミックな動きをつけることは出来ず、せいぜい局所的に触手などをウネウネ揺らめかせる程度であり、忌憚なく言えばかなりチープなものだった(※例えば、このブログでも何度か言及している『ANSWER DEAD』)。After Effectsのような市販ツールもすでに存在していたが、オタクイラストにうまくフィットさせるのは難しかったようで、結局のところ00年代のアダルトゲーム分野は、アニメーション化の可能性をずっと窺いつつも実際には手を出しあぐねていたと言えるだろう。数少ない成功例はMay-Be SOFT『モノごころ、モノむすめ。』の頃から)やelf『媚肉の香り』など)に見出されるが、基本的には局所的な使用――例えばインサートの瞬間を動画ファイルにする――に留まっていた。
  本格的な2Dアニメーションの実装は、10年代半ば――2013~2014年頃――を待たねばならなかった。例えばアトリエかぐやでは、どうやら『しゃぶら♥レンタル』(2014年4月発売)や『姪ドキッ!茶。』(2014年11月)、『姉と幼なじみは中がイイ!』(2015年7月)で散発的にアダルトシーン一枚絵のアニメーション化を導入し始めていたようだ。


  [ ayuruohashi.stores.jp/items/5aaa28e9122a7d43f4000025 ]
  8月8日(来週水曜)には新譜発売されるとのこと。


  (→9月7月