2019/07/04

アダルトゲーム市場の今昔

  アダルトゲーム市場についての雑文。


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  ものすごくストレートな問いかけだなあ。

  商業アダルトゲーム分野に往時の勢いが無いというのは確かだが、セールスは下げ止まって安定しているようなので、あまりネガティヴな見方ばかりをするのは公平を欠くということも重々留意すべきだ。
  しかし、ここ十年で縮小したというのは否定できない。原因としてはPC普及率の低下が最も大きいと思うが、若年層を取り込む方策が乏しかったのもあるだろう。内容面では、「ゴージャスで精緻なカラーCG」「アダルト要素」のアドヴァンテージが相対的に失われたのが痛い。90年代末からの勢いは、10年代初頭までは続いていたと思うが、それ以降はスマートフォンの普及、オンラインアダルトゲームやダウンロード同人販売、SNSへの食い込みの無策、同人市場の整備、といった環境要因とともに、他分野の伸張にずいぶん押されている。趣味娯楽がどんどん多様化していく中で、既存分野が相対的にセールス低下するのはやむを得ないことだろう。

  むしろ、最盛期のアダルトゲームがすごすぎたという話でもある。
  【相対的優位】:90年代末から00年代前半のオタク界隈は、アニメは迷走しており(※深夜アニメ枠も未成立)、LNも沈滞していたし(※後から見れば胎動期だった)、漫画は商業誌乱立で玉石混淆(※18禁コミックもまだ低品質だった)、同人市場もまだ全然未整備(※規模としては急拡大中)、ネットの小説投稿サイトもほとんど無い(※ただし、大量のエヴァSSや、「りーふ図書館」のような二次創作小説投稿掲示板はあった)、という状況だったのだ。そうした中で、当時大いに注目を集めていた最新の媒体であるWindowsパソコンに直結しつつ、クオリティとマニアックさを両立させたフルカラーの性表現を堂々と押し出していたのがアダルトPCゲームだった。ハイクオリティな二次元美少女を――そして彼女等のセックスシーンを――享受できる分野として、ほとんど唯一無二の貴重さがあったのだ。今でこそ、カラー彩色の二次元美少女のイラスト(性表現を含む)は大量に溢れているが、当時はほとんどオンリーワンの存在だったのだ。
  【PC環境】:90年代後半にすでに自前のパソコンを持ってネットに接続していた先進的なオタクたちは、まっすぐアダルトゲームにもアクセスして流入してきたし、彼等がウェブサイトを開設してオピニオンリーダーになり、アダルトゲームの知名度を上げていった。「パソコン(動作媒体)」と「ネット(話題性)」の双方を抑えていたわけだ。そうして、当時のアダルトゲームは、まさに(男性向け)オタク界の最先端と言うべき存在感を発揮しており、ネットの(主に男性の)オタクたちの共通言語、基本教養のような地位を占めていた。また、ネットが情報交換の主戦場だったということは、地域差などが無く、あらゆるオタクに平等なアクセス機会があったということをも意味する。TVアニメのような地域差もなく、即売会のような時限販売でもない。パッケージソフト一本を買いさえすれば、誰でも平等に会話に参加することができた。
  【作り手。萌えの最前線】:内容面でも、ネットで活発にイラストや二次創作小説を書くような最先端の若手オタクたちがどんどんアダルトゲーム業界に飛び込んでデビューしていき、彼等の野心的な活動がさらにアダルトゲームをきらびやかなものにしていった。参入の敷居が低かったこともあり、他の上品な分野には見られないような、徹底的にオタク向けの先鋭化した萌えキャラたちを堂々と作り出していけたというのもある。あざとさに開き直り、臆面もない人工的な人物造形の萌えキャラたちを大量に生み出していった。その意味でも、当時の「萌え」文化の代表者だった。そしてその萌えキャラ主導の文化は、2019年現在にもまっすぐつながっている。それは、バックグラウンドの無い若手クリエイターたちによる、読み物AVGという媒体を好機とした果敢な挑戦が生み出した、豊かな果実だ。
  こういったもろもろの事情が噛み合って、当時のアダルトゲームの華々しい活況が形成されていった。歴史のタイミングの妙と言うべき奇跡的な状況であったわけで、さすがにあの絶頂期と比べればどんな時期も色褪せて見えるのは仕方ない。

  それらの当時の特別なアドヴァンテージが、現在では希釈されてしまっている。現在の最新かつ最もポピュラーな媒体であるスマートフォン環境に適していない。二次元の性表現のライバルは、クオリティを飛躍的に高めた商業アダルトコミックや、ネットの18禁イラスト同人DL販売、スマートフォン対応のオンライン18禁ゲームなど、爆発的に増えてきた。萌えキャラの魅力も、「ユーザーに身近なスマートフォンゲーム」と「メディアミックス展開をするアニメ/LN」といった強力な対抗勢力が現れている。

  内容に対して高価格だという所説には疑問がある。十分にリーズナブルだと思う。延期も、昔に比べればずいぶん減っているので、延期が多いというのはただの偏見だろう。低クオリティだの未完成だのという批判も的外れだと思う。一昔前に比べれば、大きなバグも滅多に無いし、悲惨な未完成品もほとんど無い(※未完成云々を言うなら、アニメや漫画にだってひどいものはある)。昔から進歩していないとか似たり寄ったりだという意見については、「ああ、そういう見当違いの先入観を持つような人が増えてしまったのだね」という感想しかない。事実に反するので。

  白箱系は、00年代風の因習的な学園恋愛もの一本槍を止めて、かなり柔軟なシチュエーション設定を行うようになっている。それはそれできちんと評価すべきだろう。最近のタイトルでも、味わい深く細やかなニュアンスに満ちた素晴らしい作品や、はっと驚かされるような面白い展開のある作品は、いくらでも存在する。ただし、その一方で黒箱系は、一般社会のあれこれの風潮もあって、10年代に入ると非常に辛い(作るのが難しい)状況になっているようだ。

  売り切りの商業アダルトゲームは、むしろクオリティ保障、満足保障があると言う方が正しいだろう。製品版一本を買いさえすえば、目当てのキャラクターに確実に出会えるのだし、ヒロインと明示されているキャラクターには必ず5~8時間規模の充実した専用シナリオと、3~6個程度の濃厚なベッドシーンが提供される。そして、連載の続きを待たされることも無く、ヒロイン専用のハッピーエンドに到達することができる。籤引きにうつつを抜かすこともないし、DLCに苛立たせられることも無い(※アダルトゲーム分野でも、2010年頃からDLCを付けるようなせこい売り方が現れてきたが、幸いにもそれほど広まらなかった)。

  声優に関しても、00年代は本当に凄かった。当時は「アニメ枠が非常に少ない(アニメ出演だけでは暮らしていけない)」のと、「いわゆる就職氷河期で多くの有為の若者がプールされていた」という事情、そして「アダルトゲームの音声収録は単価が非常に良い(アニメよりも割が良いので、90年代には大物アニメ声優まで参入していた)」という経済的要因もあって、能力の高い若手声優たちが大量にアダルトゲーム分野に入ってきた。彼女等は確実に、00年代アダルトゲームの魅力の一端を担っていた。

  8800円(※実売7000円台)を高い高いと言うけれど、そういう君たちはネット籤引きゲームに何十万円使ってきたんですかねと言い返したくもある。他人の趣味の支出に口出しするのはアレなのでお互い様ということになるが。

  商業的要因としては、10年代のメディアミックス手法に乗れなかったのは残念だ。アダルトゲームメーカーは「アダルト要素を扱う」「小規模企業」ばかりなので、大規模なメディアミックス展開を主導したりそこに食い込んだりすることが困難だからだ。娯楽の溢れる現代社会では広告広報展開が決定的に重要なので、メディアミックス広告戦略に乗れないのは辛い。

  Leafやnitro+が全年齢に逃げたのは、実に上手いタイミングの経営判断でしたね。まあ、皮肉を言いたい気持ちもあるけれど、私(たち)を楽しませてくれたクリエイターたちがより良い環境を見つけてそこに移住成功したならば、それはそれで言祝ぐべきことだと思う。
  そういえばageは今は何をやっているんだっけと公式サイトを見てみたら、やけに可愛らしい四コマ漫画を連載していた。作者はシオノヒロ氏。

  現代のオタクはハーレム状況を当然視しており、もはやゼロからの一対一恋愛の物語を求めてはいない、という指摘は面白い。なるほど、そういうこともあるかもしれない。以前にもこのブログで、一対一のウブなラブストーリーを描いているのはアダルトゲームの特徴だと書いたことがあるが、それは必ずしも強みではなく、むしろマイナー化しているのかもしれない。

  アダルトゲームが銀行融資を受けられないというのは、Laplacianのラジオでも語られていたので、事実なのだろうね。うーむ。






  【 アダルトゲームの隆盛について 】(2018/04/13)

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  うーん、本当かなあ? 最近の「オタクの地方格差」の話題に強引に引き寄せつつ、さらに10年代SNS的な「ネットで話題共有」のイメージを過去に遡って当てはめてしまうという記憶の改竄が行われているような……。歴史的説明としては、きわめて疑わしいと思う。

  この人が例に挙げている『Kanon』(1999)の頃は、まだいわゆる「ホームページ」時代であって、ごく少数のオピニオンリーダー的サイトからの口コミによって次第に話題が広がっていく傾向が強かったと思う。「都会でも地方でも発売日に同じタイミングでいっせいに盛り上がれてBBSやネットで話題を共有できた」というのは、皆無ではなかったにしても、けっして大きくはなかった。むしろ物語的感動体験を、あくまで事後的にネットで共有しあい、語りあうことの楽しさのこそが決定的だったというのが私の認識だ。SNS時代のような即時性、同時性なんてものは無かったし、話題を共有し合うためのwebサービスもまだほとんど存在しなかった。せいぜい公式サイトやファンサイトで旧来型のBBSサービスが散発的に展開されていた程度だ。ちなみに、無料レンタル掲示板サービスteacupは1997年に開始されていたとのこと。wkpdを見ると、2chのアダルトゲーム欄は1999年にはすでに存在していたとのことだが、べつに「十数万人のアダルトゲーマーたちが毎月末には2chに集合して、プレイ実況をし合いながら盛り上がった」などということは無かったはずだ。
  そもそも『Kanon』発売の時点でのkeyは、せいぜいのところ「マニアックな人気を博した『ONE』の制作陣による新規ブランド」という扱いであって、発売当日から一気に盛り上がるというような風潮ではなかったはずだ。また、Sofmapによる新作0時発売なども、この時期にはまだ行われていなかったと思う。

  『月姫』(完成版は2000年12月とのこと)は、同人ゲームだ。つまり、ビッグサイトに足を運んだ人(または伝手のある人)のみがプレイできるタイトルだ。けっして「都会でも地方でも発売日に同じタイミングでいっせいに盛り上がれて~」なんてものではなかった。それどころか、この作品は完成版の前から途中経過版を順次コミケ頒布していたものだから、みんなが同じ条件、同じタイミングでゲーム内容に触れるというものでもなかった。公表の過程からしても、明らかにこの人物の意見と相違する。
  発売形態だけでなく、作品が知られていく過程も違う。当時のTYPE-MOONは同人サークルだし、人気タイトルを発表した実績があるというわけでもなかった。発売後に、事後的に口コミで広まっていったタイトルの典型だろう。もちろん、当時は同人通販も未発達だったから、後から入手したユーザーは多かったはずだし、2003年の『月箱』版発売のあたりまで、ユーザーは継続的に増えていった。言い換えれば、大量のユーザーが同時に購入して一斉にプレイし、そしてすぐさま感想を述べ合うなとどいった状況ではなかった。そういう最速プレイができたユーザーは、比率としてはかなり小さかっただろう。なにしろ、ひととおりプレイするだけで50時間掛かるとか60時間掛かると言われたくらいの代物だ。そんなタイトルが即時に体験共有できるわけはない。

  『君望』(2001年8月)は、第1章を丸々収録した体験版を配布した。要するに、涼宮遙が交通事故に遭ったところまでを見せて、ユーザーたちをヤキモキさせるという、センセーショナルな体験版だった。ただし、2001年当時は、現在のような体験版のネット配布システムはほとんど成立していなかった。本作の体験版も、店頭配布や雑誌付録がメインだったと記憶する。そして、店頭配布の場所も、その当時はかなり限られていた。つまり、この2001年時点では、残念ながら、地域格差の問題を免れていたわけではない。
  そして、受け手側の環境も、そこまでソーシャル化してはいなかった。2001年時点でも、個人制作のプリミティヴな――ただし相対的には、当時としてはIT知識に長けたごく少数のマニアたちが開設していた――webサイトのレヴューサイトなどがメインであって、ネットにおける同時性の話題共有というのはやはり未発達だった。理工系の学生乃至院生とおぼしきゲーマーたちの個人サイトがまだ優勢だった時期だろう。

  この人物が挙げている3本は、たしかに1999~2001年頃の最も有名なアダルトゲームタイトルに属するだろうが、これらのタイトルですら、体験の同時性は存在しなかった。それどころか、体験の同時性がアダルトゲーム分野の魅力の大きな部分であったことは、歴史上ほとんど無いのではなかろうか。また、BBSなどの発展によってそのような側面が前世紀よりは強まっていたとしても、それはアダルトゲームに特有の武器ではない。そもそも、漫画だってアニメだってコンシューマゲームだって何だって、この時期には同じようにネット談義環境を享受していたわけだから、「エロゲが異様に流行った」ことについては、何も説明していないに等しい。
  あえて言えば、SLG系タイトルに関する攻略的探求に関しては、ユーザー同士の情報共有が急速に進展していった(例えば『巣作りドラゴン』なり『戦国ランス』なり)。ただし、そういう行動が普及し、そのためのノウハウとインフラが本格的に整備されていったのは、2003年から2004年あたりからだろう。読み物AVGに関しては、この時期はすでに高度な技術を持つ攻略サイトが複数存在しており、ファン同士が攻略で盛り上がるということはほとんど無かった(――例えば「愚者の館」は2001年開設とのこと)。

  もっと言えば、アダルトゲームが最も流行っていた時期のことを、この人物が「Kanon~月姫~君望~あたりの時代」だと限定しているのも、きわめて疑わしい。プロフィールを見ると「月姫世代」と自称しているが、さすがに自分一人の体験に引き寄せすぎなのでは……。
  私見では、アダルトゲームが爆発的に流行した時期は、もっと広い。つまり、1997年発売の『To Heart』の頃にはすでにネット上でファンアートやSS(ショートストーリー:二次創作小説)が多数公開されるくらいにはなっていて、ネット上の様々な場面で――アダルトゲームプロパーではない掲示板などでも――アダルトゲームの話題が頻繁に見られるようになっていた。ただしそれは、ごく少数のファンサイトと、大量の匿名的なROM層(つまり自分からは情報発信したり交流したりしないゲーマーたち)という関係であって、SNS的な話題共有とはまるで別物だったが。
  また、その巨大な流行は、少なくとも00年代半ばまでは認められるだろう。例えば、2005年発売の有名どころを挙げると、『Fate/ha』『プリっち』『夜明け前より』『智代アフター』『秋色恋華』『姉汁』『少女魔法学リトルウィッチロマネスク』『AYAKASHI』『To Heart X-RATED』『はぴねす!』『おとぼく』あたりがある。全盛期と呼ぶに十分値する、錚々たるラインアップではないか。ちなみに、その当時すでに違法コピーや違法共有の問題は深刻視されており、売上面での陰りの予感は兆していた。
  『鬼畜王ランス』(1996)、『同級生2[Win版]』(1997)、『臭作』(1998)、『こみっくパーティー』(1999)といった90年代後半の盛り上がりを無視することはできないし、00年代半ばの華々しい時代を無視することも適切ではない。「Kanon~月姫~君望~あたりの時代」というのは、時期的にもあまりにも狭いし、様式的にもいわゆる泣きゲーAVGに特化しすぎていて、偏りが強すぎる。
  むしろ、90年代後半のSLG系巨人時代と00年代半ばのシステム洗練化の狭間で、00年前後というのはかなり玉石混淆で、アダルトゲーム分野は進むべき方向性を見出せずに生彩を欠いていた時期だと言ってもいいくらいなのだが……。グラフィック面でも、DOS時代の巧緻な技術は失われ、その一方でhighcolor/truecolorへの移行(対応)がもたついていた、中途半端な過渡期だった。バグも多かったし、白箱系/黒箱系のノウハウも未整備、そしてヴォイス無しのタイトルもまだまだ多かった。公平に評しても、2000年前後の数年間は、けっして最盛期とは言えないと思う。

  まとめよう。この人物の「持論」は、多くの点で事実に反するし、仮に事実だとしても説明が成立していない。あの当時を体験していたはずの方々でも、過去のことになるとずいぶん変なことを言うようになってきたなあ。いや、私の方が間違っている(認識が偏っている)という可能性もあるけれど、今あらためて経緯を確認しても、『月姫』や『君望』の件などはこの人物の述べていることはおかしいと思うし。

  とはいえ、大事なのは「誰が正しいか」ではなく、「何が正しいか(何が事実であるか)」 であり、そして、こうして様々な意見をぶつけ合わせて真偽を確かめていくのは、「何が正しいか」に迫るための道筋であり、けっして悪いことではない。あまりひどいデマでないかぎり、そしてみずから異論に対して開かれている姿勢を示すかぎり、暫定的な見解や不確かな仮説でも公にしていく実験主義は、健全な言論のあり方だと思う。

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  こちらのコメントは、ものの喩えとしてはあまり上手くないと思うけれど、主張のコア部分は私が以前から述べてきたことに近い。すなわち、実績の裏付けも無く大きな資力も無い若手クリエイターたちが、完全新規の商業タイトルを世に問うて、そしてわりとうまく収益を得ていくこともできた、そういう恵まれた分野であったという意味で。
  漫画やノヴェルは、雑誌紙面の量的制約が厳しく、ごく少数のクリエイターしか発表できない(=原稿料で暮らせない)。同人市場もまだ小さく、web上の発表機会も乏しい(――「Pixiv」は2007年にサービス開始。「Arcadia」は2000年、「「小説家になろう」は2004年とのこと)。コンシューマゲームは参入の敷居が高いし、ましてやアニメは参入至難。そうした中で、広範に普及したWindows(主にWin98からXPの時期)プラットフォームの上で自由に新作を作り出せるPCアダルトゲーム分野は、多くの(若手)クリエイターたちにとってたいへん魅力的だっただろう。そして実際、そこに大量のイラストレーターや脚本家がプールされ、そしてオタク界隈に供給されてきた。


  考え直してみても、アダルトゲーム分野にとっての1999~2001年は、他の時期と比べても特に豊作とは言えないと思う。EGScapeの高評価タイトルやビッグセールスを適当にピックアップすると、それぞれ以下のようなタイトルがある。
- 1999年:『加奈』『ママトト』『こみパ』『GREEN』『ロマ剣II』『とらハ2』など。
- 2000年:『AIR』『果て青』『銀色』『顔のない月』『CANVAS』『D+VINE[LUV]』など。
- 2001年:『大悪司』『月陽炎』『鬼作』『ぴあキャロ3』『魔法少女アイ』『はじるす』など。
もちろん重要な作品が多数リリースされているが、しかしそこまで凄いかというと……。さすがにこれが最盛期とは言えないのではないかなあ。

  2004~05年の方が、各ブランドの挑戦的な試みが技術面での底上げと結びついて堂々たる傑作に結実していたと思う。2004年は『Rance VI』『巣作りドラゴン』『MinDeaD BlooD』『Quartett!!』『はるのあしおと』『瀬里奈』『3days』『巫女さん細腕繁盛記』『六ツ星きらり』など、新奇性と完成度を両立させた秀作が多数現れたし、そして2005年は上述のとおり。

  [ www.sofurin.org/htm/about/results.htm ]
  セールス面については、ソフ倫の審査実績データが参考になる。メディ倫などもあったから、このデータだけでは全容を捉えられるわけではないが、おおまかな傾向は判断できるだろう。詳しい数字は2003年度以降しか分からないが、審査本数を見ると1999年度からタイトル数が飛躍的に増えてきて、2000~2005年度がピークになっている。2006~08年度のタイトル数は、ピーク時の約80%にまで急落している。1996年度もやたら多いが、これは何だろうか。Win95に刺激されたブームだろうか?