2019/07/31

2019年7月の雑記

  2019年7月の雑記。(→8月6月

めーがね、めがね♪な今月の一枚。ALTER「マシュ」


  07/30(Tue)

  このまま徹夜してゲームに打ち興じていたいが、なかなかそうもいかぬ。


  【 『姫と穢欲のサクリファイス』雑感 】
  能力強化を実行できる機会は限られているので、できるだけ「再契約」を優先。ただし、ゲームを円滑に進めるぶんには、全てのコマンドを習得するのでなくてもよい。ステータスアップは、余った時に適当に埋めていく程度でよいかと思う。
  調教パートは、「通常」コマンドで群衆の感情ストックを貯めて、適当なところで「能力」コマンドで回収していくのが基本。感情ストックの残りは次回に半分ほど持ち越されるが、無駄の無いように回収していきたい。「召喚」コマンドは、効果が限られるので、私はあまり使わなかった。
  絶頂回数はあまり気にしなくてよいが、どのコマンドで絶頂させたかによってそれぞれテキスト差分があるので、テキスト読破を狙う場合はちょっと手間が掛かる。
  心壊レベルごとに、各コマンド実行時のテキストが異なってくるという凝りよう。調教パートの全テキスト制覇は多少手間が掛かる。要するに、「各調教コマンド×心壊レベル×(1回目、2回目、絶頂)」の差分変化が存在する。Escu:deではこのくらいはまだマイルドな方。
  各段階ごとに目標値を達成できなかった場合のゲームオーバーイベントも回収。フィアナルートの心壊レベル未達成は、ちょっと調整が難しいかも。

  調教ノルマは、適当にやっているだけでは達成できないが、上記のような仕組みを理解していれば余裕を持てるので、多少は自分の好みを入れたプレイスタイルを選べる。目標追求と多様性のバランスは、ちょうど良い感じ。
  (『悪魔聖女』の制限プレイの方がよほどハードだった……。)

  アンリは、「これぞEscu:deのメイド」という感じ。

  脚本のバランスも良い。ヒロインたちは総じて直情的で、(コメディの範囲内で)粗忽なところもあるのだが、けっして愚かではない。つまり、愚かなミスによって物語を動かすということが無く、むしろ状況に対して合理的に取り組んで問題解決を図っている。不利になる行動をとっている場合も、そうせざるを得なかった心理的な背景がきちんと描写されている。だから、興醒めせず、出来事の推移を正面から受け止めて楽しむことができる。

  これまでのEscu:deのSLG作品は、システムが複雑すぎて見通せないほどだったり、ボリュームが大きすぎて食べきれないほどだったりしたし、脚本面が残念なことも多かった。しかし今作では、コンセプトとシステムと難易度とボリュームがうまくまとまっているし、脚本も読むに堪えるし、グラフィック面でも十分な見応えがある。本当に良い作品を作ってくれた。
  もっとも、その一方で、『ヒメゴト・マスカレイド』のややこしさとか、『乙女恋心プリスター』の歯応えとか、『英雄×魔王』のハードさとか、『ふぃぎゅ@メイト』の大変さとか、『Re;Lord』の結構な難易度のような、天才的な暴走タイトル群も、やはりEscu:deらしくて好きだけど。



  07/28(Sun)

  ゲーマー、モデラー、リスナー。(格好をつけた自己紹介っぽく)


  アニメなどでバストサイズの大小をネタにするシーンは苦手、というか、嫌い。
1) 一種の下ネタであり、コメディとしてきわめて質が低い。
2) たいていの場合、紋切り型の表現であり、著しく創造性に欠ける。
3) キャラクターのコンプレックスをいじるという意味でも卑しい行為(の描写)である。
4) しかもキャラクターの身体的特徴を貶める方向性での笑いである。
どう考えても、褒められる要素がまるで無い。にもかかわらず、10年代現在では、比較的上品に作られているアニメですら、平気でこのネタを持ち込んでくる。せっかく良い雰囲気に作られていても、いきなりこの種のネタが入ってくると、おそろしく品が下がる。

  同様の理由で、無遠慮に他人の胸を揉みたがるキャラクター(老若男女問わず)も嫌。端的に質の低い笑いだから。あるいは、お色気表現の観点ですら、今時こんなものを描かれても困るという、出来の悪い陳腐な表現だから。制作者がもしも本気でそういう表現が好きであるのならば、それはそれで追求して構わないが、カジュアルなキャラ付けとして用いるには、もうきついだろう。例えば「スカートめくり」表現が、みっともなさすぎて前世紀のうちに死滅したのと同じようにして、そういうセンスは早々に衰滅してほしい。


  完全フルコンプ完了し終える。
- コンプリート: なんらかの要素を完遂する(例:全エンディング到達や全ヒロイン攻略)。
- フルコンプ: 目標とされた全ての要素を完遂する(例:CG欄と回想欄まで全て埋める)。
- 完全フルコンプ: あらゆる要素を達成する(例:全テキスト読破やLv99育成をも含む)。
- 完全フルコンプ完了: 「完全フルコンプ」を完遂する(未遂や途中とは異なる)。
- 完全フルコンプ完了し終える: 以上を達成したので満足して終わりにする。


  Escu:deは次作で40タイトルか……。
  ちなみにソフトハウスキャラは28本(本家25本と、「チーム++」が3本)。次の『カリンちゃん』は別枠扱いだろうから、29作目はおそらく来年になる。


  冷房は27度設定だと「ここまで涼しくなくてもいいかな」と感じるくらいだが、かといって28度設定だと実際の室温は30度になってしまうこともあり、ちょっと蒸し暑い。


  90年代末からのアダルトPCゲーム制作の隆盛を、ロマンポルノ映画に喩えて説明する人たちがいるが、私見では双方は事情が大きく異なり、喩えとして適切ではない。先日も述べたように、1)当時のPCは最先端の魅力あるメディアであり、2)急速に拡大しつつある市場でありながら、3)参入がきわめて容易だったという点が特徴的だ。性表現を扱えたことは、要因としてそれほど大きくはなかったと考えている。もしかしたら、性表現を含まない全年齢PCギャルゲー文化が花開いていた可能性もあっただろう。ただし、その一方で、制作者たちが比較的若い年代であることもあり、とりわけ黒箱系に見られるように、性表現を扱うことに関しても非常に肯定的だった。つまり、けっして「性表現をエクスキューズにした隠れ家」などではなかったということでもある。

  例えば、もしも10年代現在の同人市場の隆盛を、同様に「ロマンポルノのように『性表現があればなんでもあり』だったからだ」と説明されたら、おかしいと思うだろう。性表現を含まない全年齢の同人誌も多いし、参入の敷居も低くなっており、技術習得の機会も増えており、同人書店や情報発信手段などのインフラも整備されて裾野を広げているからであって、性表現を餌にして顧客を誘引しているわけではない。


  [ j-mag.org/2019/07/22/china-culture-news-7/ ]
  アニメ文化史から制作体制まで博覧強記であり、文章それ自体も凄味のある記事だ。



  07/25(Thu)

  「プララジ」第33回。今回は『BB』『BB2』特集。
  『BB3』では、青山氏は獣神族「カーシャ」やサブキャラ天使「ミレーヌ」などを演じていた。
  「また生存報告に来るよ」、信じて待ちます。

  WFでエカテーのフィギュアが販売されていたとは……この方か。かなりのクオリティ。
  [ bronzecircus.web.fc2.com/0000kakosaku001.htm ]


  ローグ系が好みでないこともあり、『神楽黎明記』シリーズはプレイしていなかった。
  蒼依氏主演の「紫の章」あたりから買ってみようかな。


  『吉永さん家のガーゴイル』を最終話まで視聴した。映像演出もメリハリの利いた運動表現が楽しいし、キャスト陣も聴き応えがあって、たいへん良い作品だった。ガーゴイルが瞬間移動できるキャラクターだという設定が、アニメのコンテ(カメラ切り替え)のレベルでユーモラスに取り込まれているのも面白かった。今月はたまたまアニメ月間になっていて、新旧8本(8クール分)のタイトルを視聴していたが、その最後を飾るのに相応しい一本になった。ありがたい。
  園崎氏が隣家の老人役を演じていたり、デビュー間もない藤田咲氏が様々なキャラクターを担当していたりするのも楽しい。主演の若本氏も説得力ある芝居を披露している。

  来月の余暇はどうしようかな。さしあたり、新作PCゲームに時間を掛けられたらと思う。



  07/24(Wed)

  「魔法少女」「魔法使い」よりも、「魔女」呼ばわりして怖がられているキャラの方が好き。


  [tw: 1153244281382903809 ]
  キンタ氏が『英雄*戦姫WW』に参加されているのか。いいなあ……。
  頭部のコロンとした感じ、重さと軽みを兼備した頭髪表現、ほどよいツリ目、均整の取れた身体、愛嬌とダイナミズムのあるポージングと、以前から好きなイラストレーターさん。


  考えてみたら、adobeほどの大企業としては、500万円はそんなにたいした額ではない。いや、その篤志の素晴らしさを否定する趣旨ではないのだが、目を剥いて驚くほど滅茶苦茶な大金というわけでもないよねという話。一般的な企業メセナやセレブチャリティでは、その一桁上、あるいは場合によっては二桁上の金額だってあるわけだから。


  漫画『アルテ』は良い作品だけど、街の雑踏や貴族の館の雰囲気があってこその作品だし、それをアニメで表現するのはかなりコストが高くつく(そこまできちんと作られなければ、映像化する意味が無い)。しかも主演は、ちょっと苦手な方だし……。
  主人公は、明るくて頑張り屋で、子供っぽすぎず、芯の強いキャラクターなので、あの声優さんの声質や芝居のスタイルは、まあ、わりとフィットしているだろうとは思う。漫画版読者の私にも、どんな声のどんな芝居になるかは想像しやすい。また、主演をやりきれるだけの存在感もあると思う。ただし、芝居が落ち着きすぎていて、あのキャラクターのアグレッシブな不安定さや感情の明暗の変化をうまく表現してくれるのだろうかという懸念がある。

  継続中の漫画やLNを原作にしてアニメを作ると、1クール分または2クールなり分の長さで強制的に断ち切られてしまい、物語としてのきちんとした結末が得られないままになってしまう。そういうのは、視聴するのに気が進まない。日常コメディがずっと続くタイプの原作ならばまだしも、筋道立ったストーリーが展開されている作品をアニメ化すると、どうしても中途半端なものになってしまう。作品の構成やコンセプトが商業的事情のせいで歪められるのには、付き合いたくないのよ……。メディアミックスに乗せられて、引き延ばしのための機構をあからさまに植え付けられてロボットのように生き続けるコンテンツなんてものは見たくないのよ……。
  もちろん、アニメ作品はストーリー要素だけで成り立っているわけではなく、映像美や視聴覚演出やキャラ萌えなど、様々な側面で鑑賞され評価され得る。また、何が何でも原作どおりにすればよいというものではなく、別媒体で翻案制作するのならばそれに合わせた変更は為されてしかるべきだし、翻案制作者による独自性が発揮されることも、それはそれで構わない。しかし、ここで特に問題にしているのは、形式的な媒体の変化(例えば文字表現から映像表現へ)や翻案制作者の美的創造性(キャラデザの変更や独自エピソードの追加など)ではなく、商業的な理由によるブツ切りのことだ。

  私がディスクで全巻所持しているアニメを見ると、物語がきちんとした結末を迎えている作品は、約半数(※日常コメディを除く)。残り半数は、明確な終点を描いていない。原作付きタイトルは非完結率が高く、オリジナル作品は完結率が非常に高い。そして、きちんと終わらせているタイトルは、物語の見通しがクリアだし、それ以外の観点でも意欲的な作品が揃っている。2010年代の作品で見ても、『ソラノヲト』、『ピングドラム』(2クール)、『たまこまーけっと』、『プレアデス』等々、見事な粒揃いだ。『たまこまーけっと』は、後に続編(劇場版)も制作されたが、TVアニメ版は1年間の物語としてきれいに構成されていた。


  『姫と穢欲のサクリファイス』は明日発売。ただし通販は明後日(土曜)に指定している。
  発売前日ムービーによると、やっぱり野外(≒見せつけ)が中心なのね。見せつけシチュエーションは、同社の『花嫁と魔王』でも展開されていた。


  選択肢が「コンシューマゲーム」「アーケードゲーム」「スマホゲーム」だけとは……。ボードゲームやTRPGまで入れろとは言わないが、せめてPCゲームは入れてほしかった。


  語りのリズムが鈍かったり、強拍が重たかったり、声が濁っていたりする役者は、かなり苦手。要は、一本調子気味で洗練されていないということだが。その逆に、台詞に耳心地良い流れがあって、引き締まったクリアな声で、色彩感のある芝居をされる方は、総じて好きになる。個々の台詞でどのような表現を目指して何をどのようにコントロールしているかがはっきり見える(はっきり表出されている)芝居ということだ。
  もちろん、役の造形や表現の作り込み如何は、また別のレベルの問題になる。例えば「小器用ではないけれど一点突破の魅力で堂々と押し切っている」とか、「技巧の幅広さに関しては卓越している筈だがそのシーンの流れに即しておらず空転している」という場合も、無いわけではない。



  07/22(Mon)

  ゲームの中ならば「正気度」という用語は平気で使えるが、日常会話でこの言葉を使うと、かなり問題のある表現になる、あるいは、そう聞こえてしまいかねない。「正気度が低い人」といったら、そういう意味になってしまうからね……。

  というわけで「インスマス長屋」CDを聴いた。トラック2の「死神」の方が面白かったかな。


  【 チャリティの有効性と問題性 】
  立ち寄ったアニメイト某店で募金箱を探したが、見つからず。web上で検索すると、すでに設置されているようなので、見落としのようだ。店内を2周して探したのに……。まあ、急を要する話ではないので、次に足を運んだ際にでも。

  ただし、いささか思うところも無いではない。個人の善意による寄付は、それはそれで良いことだけど、そういうものに頼りきりになるのは、公正な社会としてはあまりにも危なっかしい。
  一つは、経済的キャパシティの問題。世の中には様々な災害や不幸に遭った人を挙げていけばきりがないのだし、我々一般人ひとりひとりの経済的余裕には限りがある。世間の話題にもならないまま、悲惨な困窮状態にある人々や組織は、この日本にも無数にいるわけだが、結局のところ、誰に慈善を施すべきかという選択の問題になってしまう。つまり、個々人の善意による支援は、十分なものになるとは限らないし、その一方で、話題になった特定の被害者ばかりに偏ってしまうという可能性もある。
  もう一つは、持続可能性の問題だ。寄付による救済は、現在たまたま世の中に存在している余剰分から、個々人の善意に基づいてたまたま出捐されるものだ。そして、世の中の余剰金は、使えば使うほど減っていくし、また、不景気であればそうした余剰はどんどん縮小していく。そうしたものに頼るのは非常に不安定だ。また、そうした小さな善意の機械的な累積による資金には、長期的な計画性が無い。使いきっては消えていくばかりだ。つまり、持続可能性の観点で、寄付による救済はきわめて脆く危ういのだ。もちろん、こうした寄付は、突然の災害に対する緊急の救済のために行われるならば一定の有効性はあるが、しかしそれだけでは十分な解決にはならない。同様のことは、クラウドファンディングにも言える。現在たまたま存在する余剰を消費し消尽し消耗させているだけなのではないか。CF文化も草の根チャリティも、一面では人々の経済的余裕を食い潰すものであり、そして、それを支える経済力が枯渇した瞬間に底が抜けて雲散霧消しかねない不安定なものだ。
  第三の視点は、「それでは何によって解決すべきか」ということだ。私なりの結論をまず述べるならば、それは政治であり、システムであるべきだ。突然の不幸に見舞われた者を可能なかぎり救済するのは、まさにそれこそは政治の仕事であり、社会制度の設計の問題だろう。もちろん今回の事件は、さしあたっては「あくまで一企業の問題」なので、公的機関による特別な優遇措置を設けるのは難しいが、長期的に見て、大きな被害を受けた者が救済されうるような仕組みをあらかじめ形成しておくのが、良い社会、良い国家というものだろう。
  補足的に、第四の論点。アニメオタクの大半は、あくまで個人(人間)であり、大半はとりたてて大きな資産を持っているわけでもないだろう。ならば、企業はどうか。そのアニメ会社と深く関わってきた企業や、あるいは比較的大きな資産を持っている筈の個人(例えば監督やプロデューサーや大物声優など?)が、率先して大口のチャリティをすべきではないのか。例えばあの阿漕なKADOKAWAあたりが多額の寄付をしたならば、ちょっとは見直すのだが。そういう寄付ならば、むしろ堂々と見せびらかしつつやってくれる方が、私としては嬉しい。
  アニメイトに足繁く通っているような10代~20代の有為の若者たちを悲しませ、彼等のそれほど豊かでもないであろう財布から善意のお金を絞り出させるよりも、それよりも先に行動すべきアクター、彼等よりもたくさんお金を出すべきアクター、もっと大きな資金的余裕のあるアクター、チャリティを強く期待されるべき立場にいるアクターは、他にもっといるではないか。
  もちろん私自身も、アニメイトの客層の平均よりはたぶん年齢も収入も多いであろう大人なので、真っ赤な懐事情に歯噛みしつつも彼等の前で恥ずかしくない程度の貢献を先んじて行うつもりではいる。しかし、私だってただの一個人にすぎず、経済的余裕などないし、あのアニメ会社とはべつにたいした関わりがあるわけでもないし、手を差し伸べられるならば差し伸べたい相手は他にも無数にいる。こんな脆くて薄くて弱くて乏しくて頼りない善意などではなくて、行動すべき主体はもっといるだろうにとも思う。

  阪神や東日本の震災でも、あるいは新潟なり熊本なり大阪なりの災害に際しても、個人の善意や公共精神や共感やチャリティ精神が発揮されたのは、もちろんうるわしく素晴らしいことだ。私も、阪神淡路大震災のことは憶えていないが、2011年の時にはいくらかの寄付をした(が、言い換えれば「しょせんそのくらいしかやっていない」「そのくらいしか出来なかった」とも言える)。しかし、そうした被害を受けた人々を元の生活に戻れるようにするのは、個人のボランティア的な支援だけでは足りないし、そんな余剰の善意や資金や人員は、いつか尽きてしまう。長期的に、確実に、公平に復興を行うのは、第一義的には政治の仕事である筈であり、――そして現状では「政治の怠慢」と呼ばれるべきではないのか。

  念のため補足しておくと、寄付せざる者をつるし上げて批判してはいけない。人それぞれに事情はあるものだし、この種の善意をどこで誰にどう行使するかは完全に個人の意志の自由の問題であるべきだからだ。他人のチャリティ行為に対するリアクションは、それを行った者がその度合いに応じて称賛されるというプラスの評価に限るべきであって、しない者を貶すというマイナスのリアクションであってはならないだろう。


  寄付は片面的な行為であるというのも、個人的に座り心地がよろしくない。等価交換のようなまっとうな相互性を欠如した経済作用であるという点。寄付(贈与)する側は完全に自発的な行為として行わねばならず、道徳的な決断を経由しなければならないという負担。受け取る側は、お返しをすることもできず、ただ恩恵を受けるだけの立場になってしまうという心理的な圧迫。そういった負担といびつさを社会の中に蓄積させてしまうことを、私はいささか不安視している。「私はただひたすら自分一人のために、好きなものを買う、そうすれば作り手側も、『結果的に』得をする」というくらいの風通しの良い関係の方が、安全だし、公平だし、負担が無いし、持続しやすいだろう。


  ある声優さんの誕生日を、私自身のあれこれのメアドやPWに拝借しており、日常的にその四桁数字を目にしているため、それを完全に「自分に関係する数字」として認識してしまっている。なので、何かの折にその四桁の数字を目にするとドキッとする。良いのか悪いのか……。
  ちなみに私の誕生日は、絶対にPWに使えない数字。「00月00日生まれ」が存在し得ない以上、PWに最も適さない誕生日と言えるだろう。だいたい365人に1人の割合でその日付に当たるので、そんなに珍しいわけでもない筈だが。生年月日を含む書類を提出する時に、クスッと笑われることもあるんだからな!(逆ギレ気味に)


  最近このブログの文章に、誤字(誤入力)が多すぎる。ちゃんと画面を見て入力しよう。


  遠くで雷っぽい音が……PCを閉じて、早めに寝よう。


  あるアニメについて、「そういえばあの方もこのアニメをお好きだったようだけど、この作品にどんな評価を下しておられただろうか」とSNSのログ検索をしてみたら、ゲーム系有害まとめブログへのリンク投稿がわんさか出てきて、つい爆笑してしまった。なんというか、やんちゃな悪ガキ時代の黒歴史を掘り起こしてしまったような気分で、笑えるやら申し訳ないやら。現在のその方は、そういう事柄に関してクリーンな方なので、その予想外のギャップが面白かったというのもある。
  ちなみに、その方の有害ブログ群への言及は2011年頃でふっつり途絶えており、その頃にポリシーを変えられたようだ。2011年だったら、ちょうどその種のサイトが深刻に問題視されるようになった時期か、あるいは多少早いくらいだったと思うので、ごくまっとうに良識ある対応をされたのだと思う。私自身は元々その手のサイトにはまったく近寄っていないので、それらに対する批判の動向もろくに憶えていないが、オタクたちの間でその種のサイトの有害性が決定的に強く意識されるようになったのは2013~2014年頃だったかと思う。

  念のため。ひとの過去を掘り返して批判するつもりは無い。そういう趣旨ではない。若気の至りというのは誰にだってあるものだし、現在それが正しい態度に変えられているならば、一々晒して言挙げするべきではない(※この文章も、どなたのことを指しているのかは分からないように書いている)。ただ単に、いくらか苦みの混じった個人的な笑い話として書き留めているだけだ。そして、その方はご自身の判断と意志でそういう有害コンテンツからきっぱり離脱されたわけだから、その振舞いは立派だと思うし、その方に対する信頼感が高まったくらいだ。

  ネットって怖いね。こんなにも大量の発言のログが残されてしまうのだから。

  私のログを漁らないでね。恥ずかしい発言を連発していた筈だから。
  (傍から見れば「今も量産中」なのかもしれないが、私自身は真面目なつもりなのだ。)


  アニメについては、誰の意見が参考になるかも分からない。先達として理想的なのは、「私自身の見方と通底するアプローチであり、なおかつ私よりも数歩先へ進んでおり、そして私が興味を持っている作品を視聴してくれているような人物」なのだが、もちろんそんな都合のよい存在はいない。オンライン/オフラインの知り合いにいたのは、「アニメに対する視座設定が私とはまったく異なる方」や、「アニメ表現に関する見識は深いが、個別タイトルの評価に関しては何故かことごとく私と食い違う方(そしてその相違の理由もよく分からなかった)」ばかりで、もどかしい思いをしていた。いや、オタクならば他人に頼らず自分の目を磨け、と言うべきだが。



  07/20(Sat)

  [tw: takawoyy/status/1151987239791894528 ]
  こんな情報があったので『吉永さん家のガーゴイル』を視聴中。
  斎藤千和氏の芝居の凄味を存分に味わえる。
  中國氏も、「パパ」役やモブ男性でいろいろ演じておられる。
  映像も見応えがあって楽しい。特にエンディングのSDキャラダンスがとても可愛い。
  そういえば、キャラデザは日向氏だった。そうそう、この感じ。


  いかなオタクでも、立候補者のファンアートを描く人はさすがにいないようだ。
  もしかしたら、私の目に触れていないだけで、応援イラストはあるかもしれないけど。

  そのようなアプローチは、オタクならではのアプローチであり、その意味では面白味があるかもしれないが、ただし問題もある。
  個人の趣味のレベルで言えば、そういうイラストはべつに見たくもない。政治家個々人は、絵のモティーフとしては、とりたてて面白いわけではないから。
  また、規範的なレベルでも、政治家をイラスト化して公表し、シェアすることが、はたして適切であるかどうかには疑問がある。1)実在存命個人を一方的に絵のモティーフとして消費することの問題。2)政治上の問題や政治に関わる人物を戯画化することは、政治のシリアスさを誤魔化したり、政治的判断を歪めたりする危険がある。一面的で偏った議論であっても、漫画風の構成にすることによって、その偏りが隠蔽されてしまうことがあるし、特定の人物を極端に邪悪化して描いたり特別に高尚な人物のように描いたりすることも出来てしまう(典型的には小林よしのり)。

  さらに、オタク側の問題として、オタク的な手法を政治運動に用いるのが良いことかどうかという問もある。対象をSDキャラ化したり萌え化したり女体化/男体化したりして描くのは、単なるニュートラルな技術の問題なのか、それとも、実質的なコミットメントをも含意してしまうのか。しばらく前にこの雑記欄で、リアル性産業の広告イラストを描くオタクイラストレーターについて、やや苦いコメントをしたことがあったが、それに近い危うさがある。


  オタクがみんな擬人化、女体化、受け攻め化を好きだと思うなよ。擬人化や女体化をしさえすれば、チョロくなんでもかんでもありがたがるなどと見くびるなよ。オタクというものを、擬人化あそびに還元したり代表させたりするなよ。
  そういうネタが普及し始めた00年代初頭(『行殺新撰組』『一騎当千』など)でも、あくまでネタとして斜に構えた捉え方をしていたのであって、けっしてベタに楽しんでいたわけではない。「関羽」という髭面武将の名前を冠しつつも肉感的な若年女性の姿であるという珍妙な状況を楽しむ精神は、物事を素朴に見るのではなく距離を置いて捉える姿勢や、皮肉を込めつつもそれを楽しむという多層的な認識に伴われていた。そうした知的な相対性を含んだ遊戯精神こそは、00年代の「オタク」のモデルだったと思う。少なくとも私は、そうした姿勢に立脚しようとしてきたし、今でもそういう意識がある。
  ただし、2019年現在から顧みてみれば、それはあくまで90年代から00年代に掛けての時代的傾向に過ぎなかったのかもしれない。00年代後半に『ヘタリア』『恋姫†無双』『ストライクウィッチーズ』などが制作された頃には、世間的にはそういう意識は薄れつつあったように思うし、10年代に入ってオンラインゲームにおけるキャラクター大量生産のための手法として多用(乱用)される頃には、「よくある形式」(つまり価値的な含意を払拭されたただの枠)になってしまった。それが良いことなのかどうかは分からない。


  昨日、変な姿勢で塗装作業をしていたら、今日になってお尻の筋肉が痛い。



  07/19(Fri)

  今日は、オタクショップで財布にとどめを刺してきた。
  (月末までどうしよう……。いや、貯金を崩すだけなのだけど。)


  【 Escu:de新作の期待 】
  『姫と穢欲のサクリファイス』。Esc:udeは、いったいどうやってこんな作品を練り上げたのだろうか。おそらくは、元々のコンセプトは「調教SLGにファンタジー要素(魔法と魔族)を持ち込む」というもので、つまり、魔族の超自然的な能力を使って、普通では出来ないような様々な趣向を導入したり、あるいは既存の行為を過激化したりするというものだろう。
  ただし、魔族主人公による調教SLG/AVGや魔法を使った調教描写は、既存の作品にも見出される。例えば『戦乙女ヴァルキリー』『冥色の隷姫』などは、典型的に洋風ファンタジー世界に立脚しつつ、反復的な調教(性行為)をシステマティックに取り込んでいると言える。Escu:de自身の前作『闇染Revenger』も、魔王主人公による戦闘調教ゲームだ。『VENUS BLOOD』シリーズもここに含めてよいだろうか。
  それらに対して本作の特徴は、要するに「個々の調教メニューをそれぞれ悪魔娘として擬人化した」という点にあると言えそうだ。ただしその処方は、結果として「魅力的な悪魔娘を5人も登場させる」という超贅沢で超レアな作品に結実した。これは、どこまで意図されたものだろうか。悪魔娘ブームを敏感に察知し、成算を持って狙い澄ましたのか。それとも、上手くいくかどうかは不確定的だとしても、新たな挑戦として行ったのか。あるいは、スタッフの中に悪魔娘好きがいるなどして、その趣味嗜好を披瀝しようとしているのか。もしくは、システムベースの発想がたまたま五悪魔という奇抜な作品になってしまっただけなのか。
  以前のEscu:de十周年ムックのスタッフトークを読むかぎりでは、趣味と勢いで企画を作ることもわりと多いようだ。市場動向を慎重に測ったうえで売れ筋に合わせるようなことは、それほど重視していないと感じられた。今回もおそらくそうだろう。ただし、悪魔娘好きかどうかは、よく分からない。近年のEscu:deは、2013年に『せんすいぶ!』をリリースして以降は、天使や魔族の登場する洋風ファンタジーものばかりを制作しており、今回の新作も(発売前時点の情報を見るかぎりでは)オーソドックスなファンタジー世界のように見えるからだ。だから、今回の新作は、「システム先行で五悪魔が位置づけられ、そしてそれがたまたま原画家の手腕によってやたら魅力的な造形になった」ということではないかと思う。製品版のシナリオでうまく掘り下げてくれたら嬉しいが、それに関してはどこまで期待できるか分からない。あるいは、もしかしたら、悪魔娘大好きなスタッフが企画を旗振りしていてくれたら……すごい作品になるかもしれない。『英雄×魔王』や『Re;Lord』シリーズでも、魔族女性キャラがメインヒロインだったので、そういう可能性はある。
  私自身はと言えば、最近までは、悪魔っ娘キャラは「そこそこ好き」という程度だった。しかし、この作品をプレイしたら本格的にスイッチが入ってしまいそうだ。一般的な意味での「魔族」キャラと言えば、角や翼が生えていたり魔法が使えたりするファンタジー風衣装を着込んでいたりする程度だが、「悪魔」というと白肌金眼で邪気のある感じになる(※現実のキリスト教の「悪魔」イメージとはちょっと違う)。「モンスター」よりは「死神」に近いだろうか。

  ソフトハウスキャラだと『アルフレッド学園』や『BUNNYBLACK』シリーズは魔族キャラだらけだが、上記の意味での悪魔キャラはほとんどいない。『DC』のリンテール(死神族)がややそれに近いくらいか。EGScapeの「悪魔娘」タグを見ても、たいていは一般的な「魔族」か、とりわけ「淫魔」ばかりで、狭義の悪魔キャラは非常に少ない。うーむ、悪魔娘萌えは、意外な盲点なのだろうか。それとも、世間的にはマイナーな(あまり好まれない)タイプなのだろうか。

  もちろん予約済みで、来週末を待つばかりだが、待ちきれない。


 某所の図書館に行ったら、おすすめの本がプラスチックスタンドで斜めに(つまり表紙が見えるように)展示されていて、文庫本やペーパーバックが軒並み歪んでひどい状態になっていた。司書さん、何やってるの……。本を傷めるようなことをしてどうするの……。


  フクイタクミ氏の連載は、単行本になったら買おう。
  相変わらず大柄豊満女性とショタの組み合わせのようだ。


  youtubeは開きたくないのよな……。かなりクリーンに使っているつもりだが、右のおすすめ欄にやばいものが頻繁に入っていてゾッとする。単なる声優ラジオを聴いているだけでも、人種的な敵意を煽るコンテンツが公然、頻繁に視界に入ってくるというのは、もはやまっとうな空間と言うのは難しい。ytはあらためてアングラ世界に突入しつつあるように思える。
  まったくランダムにお薦めが入ってくるわけではない筈だ。ということは、1)その声優ラジオを聴いているリスナーの中に、その種のコンテンツに頻繁にアクセスしている者がいるのか、それとも、2)世間一般にそういう類の言説が増えているからなのか、どちらか(またはその両方)なのだと思うが、どちらにしても悲しい事態だ。
  政治的立場が違うとか、政策上の評価が異なるという程度であれば、それは構わない。声優オタク全員が特定の政治的立場に立って一枚岩であるなどということはあり得ないし、自分とは異なった主義を持つ人々がいるのは当然だろう。ただし、その範囲を超えて絶対的にNGな領域はあり、私はそれを批判しているのだ。

  そういうコンテンツは、遠慮なく「興味なし」に指定している。
  ついでに、芸人コンテンツも嫌いなので「興味なし」にしているが、それはまた別の話。


  女性声優が20代からせいぜい30代までしか所属していないような事務所ってどうなの?と思う。そういう異様な偏りが生じる原因は、個々の事務所の問題だけでなく、声優業界やアニメ業界や芸能界の全体の問題でもあるのだろうけど……。キャリアを重ねてランクが上がってくるといろいろ難しくなるという制度上の問題でもあるのかもしれない(※もちろん、声優の地位や収入を適切に確保するための制度なのだが)。
  もちろん、40代以上の女性声優を多数擁している事務所もある。また、一定以上の方々は、フリーランスになるパターンも多い(※特にナレーターや司会業でやっていける場合)。

  20代半ばくらいだと、まだまだ「芝居が浅い」と感じることが多い。アニメ監督や音響監督のコメントでも、「○○さんは一クールを通じて成長した」云々と語られることがあるが、裏を返せば、最初のうちは相当ひどかった(が、一クールの収録の中で多少は鍛えられた)ということだから。プロと呼ぶに値する十分な実力を発揮していたならば、「成長した」などとコメントするのは失礼に当たるので絶対に口に出来ない言葉の筈だ。そして、そういった、実力がまだ足りていない若手声優が起用されているということだ。
  長期的視点で考えれば、若手にも一定の出番を与え、本番の収録現場という鉄火場で成長の機会を与えるというのは――そうであるならば――、声優業界としても意味はあるだろう。しかし、出演声優が大量にいて一人一人にまで目が行き届かないような現場で、一話の収録にほんの2~3個しか台詞が無いような状況で、どれだけ「鍛えられている」と言えるだろうか? あるいは、若手のうちにちょっとした出番をもらえたという程度で、まるで使い捨てのようにどんどん世代交代していく状況は、本当に「成長させている」と言えるだろうか?
  声優志望者の多さや、アニメ制作本数の増大、あるいはアニメ制作の予算的な貧しさといった事情もあるとはいえ、声優業界のいびつさに対してけっして肯定的ではいられない。

  00年代のアダルトゲーム分野は、出演声優のあり方に関して言えば、新興の市場(新興の仕事)ということもあり、上記のようないびつさは現れていなかった(と思う)。もちろん、アダルト関係の仕事であるため、いわゆる「裏名義」を初めとして、様々な障壁や配慮や難しさがあったのは確かだし、当時すでに黄組桃組のようなアダルトゲーム系に特化した声優事務所も現れていた(そして、実力の足りない若手声優がセット売り込みでキャストに入ってくることもあったようだ)。しかしそれでも、窺い知られるかぎりでは、比較的健全な状況にあったと思う。

  10年代がすべて悪いというわけではない。例えば、アニメ系声優や一般ゲーム声優との分断は、00年代前半のうちはかなりはっきりしていたが、次第に敷居が下がってきて、比較的自由にアダルトゲームにも出演されるようになってきた。特にKプロとアイマス声優が先鞭を付けたと述べてよいかと思う(※ただし、当時の「アイマス声優」たちは、アニメ系でもそんなに活躍していたわけではないし、早いうちからアダルトゲーム系キャリアの比重が大きかった方もいる)。10年代では、PFを初めとして、マ、81、ヴィ、協などにも18禁ゲームに出演されている方が何人もいる。

  長いスパンで見れば、00年代前半の方が例外的だったと言うべきかもしれない。黎明期と言うべき90年代にはビッグネームがアダルトゲームに出演することがあったし、10年代現在の状況も、それに近い自由な状況になっている。むしろ00年代前半は、「アニメ系とカテゴライズされる声優が相対的に少なかった」のと、「アダルトゲーム中心の声優が量質ともに十分だったので、中途半端な参入が難しかった」という事情から、アニメ系からの越境が極端に乏しくなっていたと述べる方が妥当かもしれない。また、男性声優に関して言えば、BLドラマCDなどと同様に、かなりの有名声優も時折アダルトゲームに出演されている(※この状況は90年代から10年代末の現在まで、ずっと続いている。

  アダルト要素のあるゲームに出演するというのは、残念ながら、一定のリスクを伴うものであり、それでもなお出演されている方々はありがたい存在だ。だから、そういう方々にダメージを与えてしまわないように――潜在的なリスクをダメージとして顕在化されせてしまわないように――受け手の側は一定の配慮をしなければならない。だから、うーん、せめて、事務所名は濁して書いた。


  いや、さすがに自粛は無いよね……。
  あのアニメ会社に関わった人たちを挙げていったら、オタク界隈のものすごい範囲をカバーしてしまうだろう。そんな広い範囲で自粛なんかしたら、業界全体が潰れてしまう。つまり、第一には、経済の問題だ。
  それに、こういう時はむしろ積極的にお金を回すべきだと、我々はすでに知っているのではないか。「日本経済」のような大きな範囲ではなく、オタク界隈という、外延もつながりも比較的明確な範囲の話だから、お金を回す効果ははっきり現れるだろう。
  第二に、心の問題がある。不幸な事件のニュースは、人々の心にダメージを与えてしまうものだ。それは、負う必要のない、二次被害になってしまう。だから、心の負担を回避するためにも、不幸な事件に囚われすぎないように、あるいはむしろ「必要な時以外は忘れておいて自分の人生と仕事を楽しむ」くらいのつもりでいる方がよい。
  その一方で、よほど縁の深い関係者であれば、「事件を心の外に置いておく」ということができない場合はあるだろう。そういった、逃げようもなく悲しんでいる人がいるならば、ちゃんと休ませてあげるべきだ。例えば、そういう悲しみのせいでイベント登壇が難しいようならば、休んでもよいように配慮すべきだ。

  会社それ自体に関して言えば、おそらくは火災保険などでそれなりに救済されると期待したい。しかし、1)貴重な資料の滅失はあるし、2)被害に遭った個々のスタッフ(や遺族)への心理的経済的なケアは手が届きにくいので、いささか心配だ。いや、私が気持ちだけ心配してもどうにもならないので、明確に寄与できることがあれば何かしたい。アニメイト各店が募金を受け付けてくれるとのことで、最も手近な支援手段になりそうだ。悲しい気持ちになっている人々も、寄付という行動をすることで、悲しみや無力感を紛れさせることができる。
  [ www.animate.co.jp/info/278030/ ]

  アニメスタッフが置かれている不当な労働境遇を考えると、被害に遭った彼等がきちんと保護されるのかが心配になる。労災保険法上の業務災害には含まれないようだが、それ以外にどのような救済手段があるのかはよく知らない。たとえば、請負契約の扱いだから会社からは何もフォローされないといったようなことになったら可哀想だ(※この会社は、アニメ業界ではアニメーター待遇が比較的ましだと言われているようだが、どのくらいのものかは知らない)。


  [tw: 1152219846282633218 ]
  へー、こんなことが。私はどちらも知らないが(※未プレイ)、なるほど同一人物に見える。

  「ぢゃくそん」氏は松永雪希氏の出演作一覧を作っておられた方だが、サイトは10年代半ば頃に消滅してしまった。一応、Internet Archiveで閲覧することは可能だが、通常のweb検索ではヒットしなくなっているわけだから、もったいない。
  [ cross-channel.net/matsunaga-yuki/ ]

  私が松永氏の芝居をちゃんと聴いたのは、『巣作りドラゴン』のクーが初めてだったと思う。当時は「春野さつき」という人物が何者なのかも分からないまま、「新人さん?にしてはすごく旨味のある芝居をされるなあ」と聴き惚れていた。その後、『Dancing Crazies』『School Days』『アリスマチック』『ぶらばん!』『ふぃぎゅ@メイト』などでもたいへん楽しい芝居を披露されていたが、決定的だったのは『DAISOUNAN』『桜吹雪』『忍流』の2009年だった。(遅い)

  松永氏と青山氏は、良いコンビだと思う。芝居のリズムや声質など、聴いていてしっくり来る。『雪鬼屋温泉記』は、モブ仲居どうしながら、お二人の会話の流れがたいへん気持ち良かった。ただし、残念ながら、ヒロイン級どうしでの共演は多くはないし、ましてや二人の担当キャラどうしの会話シーンは非常に少ない。


  「プララジ」のゲストに何故?と思ったら、『カリンちゃん』関係とのこと。
  しかし、作品の情報もほとんど出ていないのに、呼んでしまって大丈夫なのだろうか?

  そしてコミケ期間に第2回懇談会か……。私はこういうイベントには気後れして行けない性質なので参加申込はしないが、懇談会をまた開催できるということは、第1回が上手くいったということだろうし、ファンクラブも順調だということだろうから、ニュースとしてはたいへん嬉しい。



  07/16(Tue)

  メチャ・ヘヤアッヅィ。(『たまこまーけっと』風に)

  今月の私はアニメ月間っぽい。

  とはいえ、アニメ視聴数は非常に少なくて、とてもアニメオタクとは名乗れないレベルだし、ディスクメディアで全巻持っているタイトルも100本に遠く及ばない。いや、100タイトル所持するというのは、初版購入と廉価版BOXを均すとしても、ざっと300万円になってしまうわけで、そこまで行けば相当なアニメオタクだと思うけど。50本としても150万円。中古購入をして節約するとしても100万円は下回らないだろう……って、あれ、そこまで計算すると、そこそこ常識的な出費に収まりそうな気がしてきたけど、いやいや、たぶんそれは錯覚だろう。

  仮に月平均4万円強を趣味生活に費やしていれば、年間で50万円になる。20歳から40歳までそのペースでいけば1000万円。60歳までだと2000万円になる。たいへんな金額と言うべきか、それとも、その程度の金額で何十年も楽しめると言うべきか。


  アニメは早見氏に主演を任せておけば100%成功するから簡単だ。
  (と言いたくなるくらいの信頼感。素晴らしい。)


  今月の趣味支出は、まだ月末のgetchu通販の数万円が残っておるのじゃぞ……。


  消費者集団としてのオタクには、いくつかの特徴がある。
  1) 日用品のように特定の製品をくりかえし購入する消費者ではない。特定のメーカーや特定のクリエイターを継続的に買っていたり、それどころか業界全体に対するユーザーであったりする。ただしそれは、個々のメーカーやクリエイターに対して情緒的な愛着を持つということでもある。だから、作り手どうしが顧客を取り合ったり反目し合ったりするのは不利になる。
  2) バラバラの消費者個人ではなく、情報をつうじてお互いに結びついている。web上の緩やかなつながりや、イベントでのコミュニケーションなど、「オタク」としての、あるいは「○○オタク」としての連帯感をそれなりに持っている。だから、良い情報も悪い情報も、きわめて迅速に伝播される。趣味分野の中でも、交流活動が強く広汎である。
  3) 多層的な関心を持っている。つまり、特定の関心や特定の利害だけで切り分けることができず、大きくひとまとめに捉えるしかない。例えば、「アニメオタク」や「フィギュアオタク」だけをそれ以外のものから分離することができない。ユーザー層がどこでどうつながっているかが見えにくく、しかしその割に予期せぬ波及効果が生じやすい。
  つまり、ネットワーク的に組織化されたしたたかな消費者集団であり、なおかつ、生産者に対して好意的であろうとする良い消費者でもあり、そして多様性に富んだ大規模のカテゴリーでもある。経済(学)的に見ても、なかなか面白い集団だろう。



  07/15(Mon)

  「プララジ」第32回。
  SHCが出るならば何が何でもイベント参加するという投稿者さんは、ファンの鑑だ。

  『王賊』のメインBGMは、プレイ中にかなり長く聴いていた曲で、すごく懐かしい。
  最小ターンクリアにもチャレンジしたが、攻略難易度はそれほど高くない。
  テキストもキャラも面白かったので10周くらいはプレイした。内藤氏の筆も乗っていた。
  ゲームパートに歯応えがあるというタイプではないが、SHC作品でも好きな一本。
  JORI氏はプログラマなので、システム面を紹介したり語ったりするにも適任だ。
  JORI氏「(制作が)超絶楽しかったです」というのは、ユーザーとしても嬉しい。
  綾音氏「キャラさんの男性はみんなイ○○ンだなあ」。その中でも本作が一番だと思う。

  内藤氏による青山氏のイメージは「姫キャラ」か……個人的には、ちょっと意外かも。
  どちらかと言えば、風花氏の仰るとおり、「気品ある知性派」という方がしっくり来る。

  そういえば、DL版には『俗王』とかのおまけムービーは収録されているんだろうか?

  今回の「プララジ」を、もう4回も聴き返している。(たった4回だけ?とか言わない)

  長命ロリを表現するあの言葉は、2010年代に入ってからだろうか。言葉としては「のじゃロリ」の方が、00年代末頃から先行して存在していたと思う。もちろん、実態としてはそれらに該当するキャラは、もっと以前から作られていた。きっと高橋留美子か手塚治虫が描いていたに違いない。


  『巣作りカリンちゃん』に、既存のSHC作品のキャラは登場するのだろうか。すでに「ギュンギュスカー商会」が出されているので、SHC共通世界のネタが持ち込まれることは確定しているのだが、それ以上に踏み込んでくるかどうかは見当が付かない。
  極端な可能性としては、本物のSHC共通世界に、『恋姫†無双』キャラが放り込まれたという状況になることも考えられるが、まさかそこまではすまい。逆に、(少なくとも固有名詞のレベルでは)既存のSHCキャラクターを一切出さないという可能性もある。ありそうなのは、「NEXTONキャラたちが名前の酷似した別キャラであるのと同様に、SHC側からも名前のよく似た別キャラが登場する」というアプローチだ。「伊奈瀬晶」の代わりに「アキラ」といったような感じで。
  テクニカルな解決策として、SHC旧作をインストールしてあった場合にのみ、SHCキャラクターが『カリンちゃん』に登場するという方策も採りうる。実際に『BUNNYBLACK』シリーズで採用されたファンサービス的仕掛けだ。ただし、このやり方は、NEXTONユーザーには嫌がられるだろう。


  某オタクショップの店内で『ONE PIECE』の映像が流されていたのだが、「そんなもん、海賊じゃねえ!」と叫ぶキャラクター(ルフィ)の声が笹島氏のように聞こえてびっくりした。「胃~之煮」のどこかでも、そんな話をされていたような憶えがあるが、ああ、確かによく似ていた。ルフィの音声は、田中真弓氏とのこと。検索してみたら、「胃~之煮」あだち#13やア室#17で、笹島氏が憧れの声優として挙げておられた。


  色の薄い銀髪キャラが増えてきたのは、CG技術の発達やペインティングソフトの進歩のおかげもあるのかな。つまり、昔であれば銀髪を描こうとすると「のっぺりした」「色の無い」「面白味の無い」絵になってしまいがちだったが、2010年代の技術および環境の下では、白(薄いグレー)基調でもシックで複雑なグラデーション塗装をして、鑑賞に堪える銀髪をローコストに制作できるようになっている、という事情があるのかもしれない。
  もちろん00年代以前にも銀髪キャラはいたけれど、それが爆発的に増えたのは10年代に入ってからのことだ。以前にgetchuを浚ってみたとおり(※5月10日付雑記欄)、アダルトゲーム分野でも銀髪キャラの比率が高まっている。それには、なにかしらの文化的要因があったかもしれないが、同時に技術的環境的な要因もあるだろう。


  考えてみれば、ツリ目とかスリムとか小柄とか眼鏡とかいった好みは、キャラクター表現文法としては、ありがちな「母性」のコードとは正反対のものばかりだ。あー、たしかに私は「母性」的なあれこれにはまったく興味が無いし、男女問わず二次元キャラに包容力(のイメージ)を期待することも無い。あえて言うなら、戦いの最中に背中を預け合えるような信頼関係は好きかな。男性キャラの場合も、べつにステレオタイプなマッチョイズムに沿っている必要は無い。なんならお姫様抱っこされるくらいのキャラでもいい。(やけに具体的だな。)


  祇園祭は、自分から見に行くことはほとんど無いなあ。大学1回生の時に行ったくらいか。その時は、同級生たち大人数で連れ立って見物に行って、その後は四条通付近にマンションを借りていた一人(まあ、当時としても経済的余裕の大きい人だった)の部屋になだれ込んでダラダラお喋りしていた。要するに、結局のところ、祭それ自体は重要ではなかったわけだ。
  今年は宵山が投票日に被ってしまうが、まあ仕方ない。むしろ、多くの人にとっては、外出するきっかけになるくらいだろう。


  【 『無駄づかい』 】
  「女子高生の無駄づかい キルミー」の検索結果。
  やきそばパンを食べたり停電ポーズをしたりしているのは偶然だろうか。釘宮氏(=「没キャラ」役)を連想させる舌足らず芝居のアグレッシヴなキャラクターもいる。

  主演の赤﨑氏は十八番(?)のおバカキャラだし、総監督が演出巧者の高橋丈夫氏なので、聴きごたえも見ごたえも十分。一話分のたった二十数分間が、やたら長く(=濃く)感じられる。

  アニメ『キルミーベイベー』での赤﨑氏の台詞量は、相当なものではなかろうか。今世紀のアニメとしては珍しく、二人きりのコメディを延々続けるタイプであり、しかも赤﨑氏の演じる「折部やすな」は饒舌に相方を煽り続けるキャラクターなので。そう考えると、一クール分の台詞量としてはかなり上位に来るのではなかろうか。もちろん、一クールを超えた長期シリーズものを引き合いに出したら敵わないし、前世紀のアニメは登場人物が少なかったりワントップの主人公が喋り続けたりするものもあるけれど。
  そして、それだけのボリュームの芝居をやりきった赤﨑氏、そしてそれによってさらに演技を深めた赤﨑氏は、本当に聴きごたえのある役者さんになっている。しかも『キルミー』はギャグアニメだったので、台詞の表情付けにも自由度が高かったと思われ、そのぶん実験的な芝居も出来た(あるいはむしろ、大胆な芝居が期待された)だろう。

  [ cho-animedia.jp/anime/99816/ ]
  このインタヴューによれば、音声はプレスコ収録とのこと。しかも、台詞と台詞の間を詰める処理も施しているという(※『ギャグマンガ日和』などが行っていた手法)。さらには、台詞のニュアンスに合わせて絵の表情づけを調整するということまでやっている。演出面には相当気を遣って手間を掛けているということだ。


  一応は個人の好き嫌いの範疇の話として書くけれど、やはり女性キャラクターたちのバストが鬱陶しくデカデカと描かれていない方が、安心してアニメを鑑賞できる。特にギャグアニメでは、ストンとまっすぐ真っ平らの方がありがたい。


  [tw: 1149826929014407168 ]
  この発言を批判している人がいるけれど、私は上記発言は構わないと思う。発言者は、「私はできない」と述べているだけであって、タピオカやタピオカ好きな人々をバカにしているわけではない(※前後の発言を見ても、タピオカに対する侮蔑的、攻撃的な様子は一切見られない)。また、「5時間の使い方」という観点で見て、少なからぬ人々が同意するであろう。つまり、素朴に発せられ得る常識的な評価であって、けっして突飛な発言や賢しらな皮肉ではない。そのくらいの距離を置いた発言であれば、社会的に堂々と発せられてよいだろうし、それを封殺しようとする方がむしろ危険だと思う。
  仮に私が大好きな活動――ゲームであれ研究であれ――について、他人から「私はできない(その活動はそんなに時間を掛けられる価値があると思えない)」と言われたとしても、べつに何とも感じないだろう。人それぞれ、好きずきの問題にすぎないからだ。そしてそれと同様に、タピオカ好きな人々が上記発言を目にしたとしても、「好きじゃない人にはそんなものかもね」くらいにしか思われないだろう。それを第三者が傍から非難する方が、余計なお世話というものだ。


  私の友人に、愛嬌も愛想もなくて、人間関係の駆け引きをしようとするメンタリティも希薄で、徹頭徹尾生真面目で律儀で誠実で、そして知的で――知的誠実さも知的好奇心もあって――いつもなんとなく明るい雰囲気で人生を頑張っている、そういう女性がいる。私はその人のことが友人として大好きだし、もちろん尊敬しているし、人柄を信頼している。


  22時頃に早寝をすると、午前3時頃に目が覚めてしまい、二度寝もできず、結果的に睡眠時間が短くなってしまう。学生時代からずっとこんな体質。web検索すると、不眠の人にそういう傾向があるらしいのだけど、私の場合は「一般的な不眠症状は無い」、「疲労していない時でもこの現象が起きる」ので、関係は無さそう。また、高齢者に中途覚醒が起きるというweb記事もあるが、さすがにそんな年齢ではない。ただ単に夜型体質というだけかも。


  [ yatogame.nagoya/staff/ ]
  主要キャストのうち戸松氏(愛知)、若井氏(岐阜)、小松氏(三重)が中部圏出身のようだ。名古屋ネタの作品ならではのキャスティングと思われる。福岡ネタの『波打際のむろみさん』が福岡県出身の声優を大量に起用していたのと似たようなものか。また、十年以上前に『やっとかめ探偵団』というアニメがあり、これもキャストの大半は愛知県(と岐阜県)出身だった。中には浅井氏と後藤氏もいたのだが、私は視聴できずじまいだった。



  07/13(Sat)

  今月分の新作チェック。アダルトシーンのボリュームと、それに対するストーリー要素の少なさという点で、ピンク系をプレイするのはかなりきつい。好きな人は好きなのだろうけど。


  ここ最近、ディスク再生のトラブルが頻発している。特にDVDの映像再生がよく止まる。ゲームディスクは問題なくインストールできるので、ドライブの機械的原因というよりは、プログラム上の問題や相性問題かもしれない。さしあたり、普段とは別のアプリケーションを使ってやり過ごしている。


  やはり川澄氏には、「THE ヒロイン」というか、「THE 女性主人公」といった説得力がある。収まるべきところにきれいに収まって、そのうえでその先の物語世界を安心して見ていける。


  月曜日(7/15)は「プララジ」青山氏ゲスト回(その2)が公開されるが、所用のため、すぐには聴けない。良いものになるのは間違いないので、焦らず楽しみに待ちたい。


  [tw: 1150415723010805761 ]
  藍澤光さん、お元気だったのか。私がtwアカウントを使っていた時期(2011年頃)に話題になっていたのを憶えている。懐かしい……。キャラデザはtwID: @shinia氏。
  台湾で日本人キャラというのはびっくりしたが、考えてみれば「日本国内の施設やイベント等で、外国風(例えば西洋風)の名前のマスコットキャラクター」というのも当然存在するわけで、それと同じことなのだから、べつにおかしなことではない。

  [ nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1907/13/news028.html ]
  そして、その当時から8年を経た現在では、台湾は初音ミクと並べても遜色ないほどの魅力ある萌えキャラを作ったり、それどころか社会的露出の観点では日本の先を行くまでになっていたりする。萌えの文化は、オタク的な感性は、もはや日本固有のものなどではなく、ユニヴァーサルな文化の一つになっている。あるいは、オタク文化はその性質上、既存の社会制度や慣習や伝統的価値観から離れて自由に拡散できるポテンシャルを持っていると言うこともできる。

  とはいえ、現在のオタク文化のキャラクターイラストの文法は、大きな両目に彫りの浅い顔立ち、控えめな口と鼻筋、そして筋肉表現も控えめ、ほどほどの肌の色(けっして白人的な肌ではない)といった特徴からして、いかにも東アジア人らしいコードに満ちている。それに対して西洋文化の支配的慣例では、「目よりも口で感情表現をする」や「彫りの深い顔立ちで鼻梁もはっきりしている」といったコードが依然として優勢だろう。東南アジア~中近東や、ヒスパニック、アフリカ系なども、それぞれオタク的デフォルメ文法とは大きく乖離しているだろう。世界的に見ると、歴史的、文化的、人種的、等々の要因からして、オタク的表現に親和的な地域もあれば、親和性が高くなりにくい地域もあるだろう。そう考えると、完全にユニヴァーサルであると期待するのは難しいかもしれない。東アジア諸地域から、せいぜいフィリピンくらいまではオタク的な人体デフォルメ表現に馴染みやすいのではないかと思う。

  「オタク表現は、ぱっちりした両目を表現したり金髪を多用したりするので、西洋人をモデルにしているのだ」という所説が時折聞かれる(聞かれた)が、それは誤りだろう。上述のとおり、客観的にも西洋風の美意識を目指してはおらず、むしろ濃厚に東アジア的であるし、また主観的にも、オタクたちは欧米のあれこれに憧れているということは無いだろう。ファンタジー世界がしばしば西洋中世風イメージを下敷きにしているのも、1) RPGによって普及したフィクショナルな世界設定のセットであるに過ぎないか、あるいは、2) ファンタジーだからこそ現実の日本(またはアジア)の歴史や伝統とはいったん隔絶された雰囲気である方が望ましいという事情だろう。ましてや近年では、オタク的表現がいよいよ多様化しつつある中で、欧米風モティーフ群にこだわらず、様々なイメージやキャラクターが、ごく普通に用いられるようになっている。



  07/09(Tue)

  [ katsu-kami.com/ ]
  アニメ版『かつて神~』は、想像以上に良い出来。とにかくキャストは素晴らしくて聴きごたえがあるし、映像表現もかなり挑戦的。脚本面も、時系列を整理してアニメ向けにきちんと組み直しているし、台詞回しも語りすぎない節度がある。『黄昏乙女』とともに、めいびい氏はアニメ化に恵まれていて嬉しいかぎり。
  というか、擬神兵のキャストが異様なほど贅沢だ……。


  「胃~之煮」概要記事のレイアウトをちょっと整理。聴き返しは残り50回分ほど。


  [tw: 1148380447790915584 ]
  その主張はそれはそれとして理解できる指摘だが、その一方で、「政治目的のために文化の側は我慢せよ、文化は政治に傅け」という抑圧になりかねない。アニメは文化であり、アニメ作品に関わる解釈の正否は文化的価値に関わる問題だ。それは、「オタクムーブ」という言葉に矮小化されてはならない。ましてや、文化の次元で間違っていることに対して声を上げるな、常に政治目的の達成を優位に置け、というのは非常に危険な道だ。しかも、今回の場合は、政治と文化がたまたま接触したという事態ではなく、政治家がアニメ作品のコスチュームを意図的に引っ張り出した(つまり政治が文化を一方的に利用した)という状況なのだから、文化(アニメ)の側が遠慮しなければならない理由は無い。
  例えば、ゲーテ(権威ある文化)や聖書(宗教文化)の内容を致命的に誤解しつつ政治利用した事例であったならば、それにツッコミを入れることは完全に正当であり、政治目的達成以前の問題であるということが即座に理解できるだろう。ゲーテであれば文化的価値の問題だが、ガンダムであればオタクの問題にすぎない、といったような切り分けは正当化できない。

  ちなみに、アニメ側の指摘としては、ここで「キャスバル」と「ギレン」は同一の国家に属してはいるが、実は政治的に反目しているので、両者をストレートに結びつけるのはおかしい、という話だと思う(※ガンダムはよく知らない)。


  ジャージキャラやジャージ姿のイラストを、私はまったく楽しめないようだ。おそらく私は、ジャージというものを「ファッションに対する致命的な鈍感さ」のコードとして、つまり明確にネガティヴな要素として認識しているからだろう。現実には、良いデザインのジャージもあるだろうし、うまい着こなしに描いたイラストもあるのだろうけど……。


  バーゼラルド役の長江氏のお声は、聴いていて癖になる……。ちょっと舌足らずに聞こえる発声なのだけど、それが角のとれたまろやかな聴きごこちにつながっているし、ピッチも安定しているから聞きやすいし、なにより喋りのリズムがたいへん気持ち良い。それでいて、ところどころにグッと力を込めた台詞回しもあったりして面白い。


  [ hibiki-radio.jp/description/gfonpu/detail ]
  「ありあまる」、「あまりある」……なるほど。


  『蒼き狼』風のアダルトゲームといったら、『英雄×魔王』がある。というか、おそらくこれ以外の作品は作れない。他国を征服して姫とのベッドシーンを描くというだけならば他にも実例はある(『鬼畜王ランス』『王賊』など)が、繁殖要素をシステムとして組み込むのが難しい。
  『蒼き狼』では、実際に子供が生まれ、自国の王(≒プレイヤーキャラ)が死亡すると後継者にしていくことができるのだが、シナリオ要素の大きいアダルトゲームでは、主人公交替に対応するのは事実上不可能だろう。また、子供が育つまでの何十年もの年数経過を扱うのも難しい。かといって、ただ子供を出産して終わりというのでは面白味が無い。
  『英雄×魔王』のシステムは、以下のようになっている。
1) 魔族なのですぐに子供が成人する(※次ターンには成人している)。
2) 子供たちは兵隊として扱われる。システム上は、戦闘パートでの無名の駒になる。
3) ヒロイン毎に、生まれる子供の種類が異なる(=戦略性がある)。
4) 主人公は交替しない。子供は徹頭徹尾、駒のままである。
このようにファンタジー世界での魔族主人公の物語にすることによって、「時間経過」「子の地位」の問題を解決しつつ、他国制圧~性的蹂躙~多産繁殖のプロセスを、物語的にもシステム的にも表現することに成功している。

  『冥色の隷姫』もあったか。こちらも魔族もの。未プレイだが、娘や兵士を生ませることが出来るらしい。奇しくも『英雄×魔王』と同年の発売(2005年)。

  SLG系メーカーが長期間存続しているのは、どういう事情だろうか。alicesoftを筆頭に、Escu:de、e.go!/でぼの巣、ソフトハウスキャラ、Eushullyと、二十年前(2000年前後)にデビューしたSLG系ブランドがいずれも元気に活動している。00年代に入るとninetailも加わった。Littlewitch(tenco)やLiar-softも、ここに数えてよいかもしれない。xuseも存命のようだ(最新作は2017年発売)。アダルトゲームブランド全体の平均的な存続期間の短さを考えると、驚くべきことだ。SLG系タイトルは、しっかり買う固定客層が大きいのか、あるいは(世間的なイメージとは異なって)カジュアルに買われやすいのか、それとも寡占市場で安定しているのだろうか。
  もっとも、なくなったブランドもある。大きいところではLeaf(※全年齢に移行)、あるいはabogadopowersのような90年代からの古参もいなくなった。F&C(『Piaキャロ』シリーズなど)やCYCも、ブランドとしては存続しているがSLG系タイトルを作らなくなっている。pajamas softやtriangleも、興味深いSLG系タイトルを制作していた。それでもやはり、全体として見れば生存率の高いジャンルだと言えそうだ。

  Escu:deは、本格派のSLGとピンク系のAVGを取り混ぜて、近年でも大量の新作をリリースしている。ピンク系タイトルは、わりとしよーもない感じのものもあるが、原画に腕の良いクリエイターを起用しているし、一定のクオリティは保たれている。
  ただし、問題なのは脚本面で、残念なことに、本当に残念なことに、わりとひどいテキストも散見される。新作生産力の余裕はあるのだから、スキルのあるフリーランス脚本家と組んで企画を作ればもっと良いタイトルを作れると思うのだが……。例えば『紅蓮華』は、EGScapeを見てもそこそこのユーザー評価を得たようだが、セールス的に成功したのかどうかは知らない。
  アダルトゲーム分野で活動している人材の中から、企画を作れる脚本家と人気のある原画家をマッチングさせつつ、UI/BGM/CGに関してはEscu:deクオリティでどんどん新作を出していければ……って、それは福岡の某ブランドがやっていた戦略か。


  なんとか速報という類の無断転載サイトどもは見たくないし、間違ってもURLを踏みたくない。そういうのを有用な情報サイトとして見ている人も少なくないのだろうけど、私は絶対に嫌だし、客観的にもメーカー公式サイトへのアクセスを妨げている。
  naverなんとかも、ずいぶん前から、絶対に踏まないようにしている。運営ポリシーがまともになったという話も聞かないので、相変わらずだと判断している。


  前期の講義日程も終わりが見えてきたが、「ここまでは是非とも話しておきたい」という目標があったので、少しばかりペースを上げたら、講義に熱が入ってシャウトしまくって疲れた。
  そもそも、スピードを上げても学生がついて来られないようでは本末転倒なので、ギリギリのペースを見極める必要がある。とはいえ、理解の早い学生と、理解の遅い学生がいるので、適切なペースなどそもそも存在し得ないのだが。理論的位置づけの大枠と、それについて思考する際の基本原理やアプローチ手法、そしていくつかの要点の整理、参照すべき資料などをひととおり提示しておけば、後はなんとか自分で学習できるようになる筈なのだが……難しいよね。
  一応は、体系的な枠組に沿ってひととおり議論の筋道を説明するところまで行けたので、学生たちも一応は全体の展望を得られた筈。……ほんとうに「一応」だけど。


  私は欲深いので、『巣作りカリンちゃん』に深井ヴォイスであろう「シュンラン」と、みるヴォイスであろう「ケイファ」が登場するだけでは飽き足らず、さらに木村ヴォイスの「ユエ」なるキャラクターが登場してほしいと切に切に切に願うのだった。


  声優さんの直筆サイン色紙は、全然持っていない。こみトレで、やなせ氏にいただいたものと、それから大橋氏(CDジャケット上のサイン)くらい……だったかな。印刷された色紙ならば、新作購入時の特典としていくらか貰っている。
  サイン色紙には興味は無い(所有欲は無い)が、サイン色紙の画像を見るのはちょっと面白い。「この声優さんは、意外に凝ったサインを書かれるんだなあ」とか、「この方はイラストも上手いのか」とか、「ずいぶんおおらかなサインだなあ」とか、「この名義でもちゃんとしたサインを作っておられるのか」とか。萌花ちょこ氏の猫型サインや桜川氏のウサギイラストは可愛らしいと思うし、一色氏のサインはたしか絵描き歌のような作りだった。安玖深氏は、芸能人っぽいオーソドックスなサイン。夏野氏のサインは個性的なグルグルで、ちょっと副島種臣を連想した。



  07/08(Mon)

  (※ページトップのフィギュア写真の話)
  その場の勢いで店頭買いしてきた。眼鏡とネクタイがチャーミング。服装は、襟付きワンピースの一種のようだ。パーカーのような上着を肘まで脱ぎかけにしている。盛り付けすぎなバストは好みではないが、おそらく原作由来のものなので文句は言えない。寄り掛かっている大きなパーツは「盾」であるらしいが、作品にはあまり興味が無いので、盾は仕舞っておいてキャラだけを机の上に寝かせておくつもり。なかなか可愛い。

  Mash(マッシュ)というと、モリモリ筋肉ダルマみたいな武道家キャラを連想するが、この少女はそういう路線ではないようだ。ネットイラストなどで見かけることがあり、後輩系のキャラであるらしいということしか知らない。二次創作同人誌も、たぶん一冊も持っていない。
  Kyrielightという姓にも驚いた。「キリエ(主よ)ライト(光を)」とはずいぶん仰々しい。

  念じて見つめれば男の子に見える……?

  原作の中の人は、種田氏と高橋氏とのこと。うーん、どちらもよく分からない。

  どうも私は、寝そべったり座ったりしているフィギュアばかり買っているような……。

  片目隠れは、以前は本当に苦手で、完全なNG要素だったが、ようやくまともに接することができるようになってきた。先日制作したあの片目隠れ不機嫌ショタプラモに、あらためて感謝しよう。

  うう……この風船みたいなバストを切り取ってすっきりさせてあげたい……。
  などと書くとあぶない人のようだが、あくまでフィギュアの話です。モデラーにとっては、立体物を自力でいろいろ加工するのは普通のことなんですしんじてください。

  写真の後景に映り込んでいるDVDパッケージは、色調を整えるための埋め草として適当に置いただけ。たまたまです、偶然です、他意はないんですしんじてください。

  上の写真は、ちょっと暗めに写してしまったうえ、瞳孔が眼鏡フレームで遮蔽されているので、やけに儚げに見えてしまう。「そうか、やっと楽になれる世界に行けたんだね、お休み……」とパートナーの手でそっと目を閉じられる感じの。(いきなりちゅーにもうそうですか)
  実は、風船バストをフレームアウトさせるような構図を採ったらこうなったというだけだが。
  それはともかく、さすがはハイエンドフィギュア、適当に撮ってもわりとムードのある写真になる。実物はもっと肌の血色が良いのだが、ちょうど良い色調で撮るのが難しかった。


  関西電力が、「大阪ガスと都市ガス契約をされているお客さまが対象です」という乗り換え勧誘DMを送ってきた。どこから私の情報を得てきたんだという疑いもあるし、こういう行為はめちゃくちゃ気持ち悪いので関西電力の印象は最悪になった。電気は現在関電と契約しているのだけど、向かっ腹が立ったので電気も関電と手切れして他に乗り換えようかな。
  [ nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1902/28/news091.html ]
そういえば、関電はこういうこともやらかす企業だったよね。いよいよもって最低だな。

  とはいえ、「私の名前と住所と、大阪ガスと契約しているという情報」は、大阪ガスしか持っていない筈なので、大阪ガス側が漏洩したのではないかという疑念もあるのよね。その件についても確認を取るつもりだけど。関電が消去法の当てずっぽうでDMを送ってきたという可能性もある。


  アニメ『FAG』は、作中世界の設定面でもずいぶんザルだった。FAGは試作段階の筈なのに、その世界ではすでにFAGが知られた存在になっていたり。冒頭では使用者が組み立てなければいけないという話になっていたのに、途中からは組み立て済みのキャラたちがどんどん登場してきたり。最初の話では、主人公のところのFAGが初起動という話だったのに、どうやらそれはちっとも大したことではないような感じになっていたり、感情を覚えていないという話が、二人目からいきなり感情豊かだったり。戦闘シーンのダメージゲージも、ほぼ無意味だったし。
  ……まあ、小さい自律美少女ロボたちのドタバタコメディを見て楽しむ販促アニメなのであって、世界設定や脚本の整合性は二の次、ということなのだろう。そして、そのかぎりでは、まあそこそこ楽しかったのは確かだから、悪印象は無いんだけど。しかし、基本設定からしてグズグズだよねと言われたら、うなずくしかない。


  大学1回生で一人暮らしを始めたばかりの頃に、近所にファストフード牛丼店があって、「こんなに安くて、しかも食事がすぐに提供されるなんてすごい!」と感心したことが……。おまえ(わたし)はどこの箱入りお嬢様だ。
  そんなことが我が身にあったので、アダルトゲームの「ファストフード牛丼の味に病みつきになる世間知らずなお嬢様ヒロイン」のことを笑えない、というか、そういうシチュエーションに対してフィクションとしての距離感を持つのがちょっと難しい。そんなところに感情移入してどうする、という話だが。


  『のんびり農家』第5巻をキャラ辞典に反映させる作業を、もう3ヶ月も放置してしまった。そろそろ取り組まねば……。
  それから週末までには、今月分のゲーム予約をする必要がある。ただし今月は少なめで、本命のEscu:deのほかは、フルプライス級だと『ワールドアクター』が気になるくらいか。来月は期待と安心のCabbit(※キャスト情報未公開)と、卯衣氏出演のLump of Sugarがある。


  南東北(みなみ・とうほく)という表現は、普段なかなか目にしないので新鮮。「西白河郡」や「西会津町」といった自治体名があるようなので、四方を全部含む呼称が一応成立する。秋田~山形を指して「西東北」と呼ぶ人もいるようなので、後は「南」が入れば完成。(何が?)
  関西だと、「阪急線西宮北口駅の南東口」(兵庫県西宮市)が有名だろうか。web検索すると、同じく兵庫県下に「加西市北条町東南」があるとのこと。



  07/05(Fri)

  [ ci-en.jp/creator/1736/article/72140 ]
  「『プラスになるラジオ』第31回は青山ゆかり様が降臨です」。ですよねー。
  という、まじか……まじだ……本物だ……。
  ツンデレでも可愛さは3割か……ツンかデレかの切り替えじゃなくて、ミックスなのね。
  そして今回もストレートに芝居の秘奥を尋ねていく後輩二人が微笑ましい。

  綾音氏の芝居は、ミックスとは逆に、なにか一つを100%徹底する潔さと純粋さと若さが武器なんだろうなあ。それはそれで大きな魅力なので、今のまま突き進んでもらいたい。


  [ nexton-net.jp/KarinProject/karinchan/ ](※アダルトゲームサイト注意) 
  『巣作りカリンちゃん』は、キャストが元キャラのままならば、乃嶋氏、海原氏(※SHCでは『BB』シリーズのラキア役など)、みる氏、深井氏、如月氏、風音氏(※『忍流』の祭花など)、北都氏(※『DC』の姫子など)、桃井氏、一色氏。す、すごい顔触れだ……。サブ原画も3人クレジットされているので、まだキャラクターは増えるだろう。「カロン」はオリジナルキャラだろうか。
  発売は12月。冬休みにゆっくり遊べたらいいな。
  ギュンギュスカー商会が出てくるのは、どう解釈したものか。要するに、SHC共通世界に含めるべきかどうかという問題が発生する。


  うう……ゲームに書籍に映像に音楽にフィギュアにプラモに……楽しいものがたくさんあるのはいいのだけど、それらを摂取する時間が全然足りない……。買ってきたフィギュアも、もっとじっくり鑑賞したいのだけどねえ。今週末は大型模型を一つ作るつもりで塗料などを準備していたのだが、そんな時間は取れそうにない。


  役者の平均的なクオリティで言えば現在ではアニメの方が上なのだが、一人一人の役者の芝居をじっくり聴こうと思ったらゲーム(アダルトゲーム)にもアドヴァンテージがある。あえて言うなら、男性声優の層が極端に薄いとか、一定以上のキャリアのベテラン声優がほとんど出てこないという側面はあるけれど。
  平均的なクオリティに関しても、十年前までは遜色ない水準だったのだけどね……。現在だと、アダルトゲーム作品で聴き応えのある芝居をされる人は双方掛け持ちにしている場合が多いし、アダルトゲーム専業だと桃やMjsのような安かろう悪かろう系が出しゃばりすぎている。


  『姫と穢欲のサクリファイス』体験版公開。私自身は購入確定しているので、体験版をプレイする必要が無い(ただの二度手間になってしまう)が、順調に制作が進んでいるようでなにより。


  2019年現在にアニメ『lain』を観直す意義はあるだろうか? いかにも90年代末の都会的なアングラ・サブカルの雰囲気を代表せんばかりの作品であり、後世に及ぼした文化的影響も大きいと思うが……。優れた古典は、後の時代に再読しても、新鮮な刺激を保持していたり、後の時代とは異なった当初の直截なコンセプトが示唆的だったり、初発の魅力に溢れていたり、大胆な挑戦性を湛えていたりするが、『lain』がそこまでの深みを持っていたかというと、うーむ、私にはそこまでの評価はできそうにない。あの作品が提示したイメージが二十年を経て十分に浸透したおかげでもあるし、「あの作品が取り込んだイメージには時代的な新しさがあったけれど、あの作品が表現したイメージはそれほど独創的でもなかった」ということかもしれない。今から初視聴したら、ずいぶん陳腐に見えてしまうのではないか。それは、歴史的役割を十分に果たしきったということでもあるが。

  でも、90年代末には、20年前のこの世界には、こんな希望やこんな豊かさやこんなパワーがあったのだよなあ。


  絵柄の変遷について。10年代後半のオタク界隈の支配的流儀をアダルトゲーム分野が明確に受け入れたのは、私見では2014年のastronauts作品だった。国産もやし氏原画の『付喪女・あおゑ』とRozea氏原画の『憑夜ノ村』の2本は、2019年現在のネットイラストや同人ファンアートでよく見られるような画風にまっすぐつながっていると感じられた。


  買うかどうか迷っているフィギュアが2つある。価格はどちらも当然のように1万円超で、原作は知らない(未読/未プレイ)のだが、フィギュアは十分魅力的に思える。できれば買いたいのだが、今月の懐具合は早くも真っ赤なので、なんとも苦しい。



  07/04(Thu)

  [ www.ninetail.tk/tn06/ ](※18禁ゲームサイト注意)
  ninetail新作は、ずいぶん面白い原画家を揃えてきた。XUSEで『Floralia』シリーズなどを作っていたあの「まさはる」氏が復活されたのは感慨深いし、CYC作品などで幅広く活動している椎咲氏とXERO系列作品でよく見かけたなるみ氏も参加している。キャストもなかなか。ゲームシステムは、いつものninetailクオリティだろう。


  ファンがクリエイター(または作品なりメーカーなり)に対してすべき貢献は、一にも二にも「買う」ことだ。もちろん新品購入に限る(※中古購入でも、間接的に作者の後押しになる可能性はあるが、微々たるものだ)。応援メッセージやイベント差し入れも励みにはなるだろうが、作者の境遇を上向かせることには寄与しない。SNSなどでのボランティア的宣伝は、この情報過多時代では誤差レベルであって、その分野でよほど影響力の大きい人物でなければ難しいだろう(※もちろん、しないよりはした方がはるかにましだが)。ベストなのは、クライアントとして仕事を回すこと――しかもきちんと形に残り、知名度も上げるような公表業績――だが、それを実行できる人はなかなかいない。つまり、ほとんど誰にでも実行できて、支援効果も現れるのは、やはり物を買うことだ。


  [ udon0531/status/1146350605918564352 ]
  えっ、何この超人的な速度……。3冊全部買うけど。


  選挙カーのあの中途半端に上擦ったような発声は、好きじゃないんだよね……。声に注意を向けさせ、また遠くまで声を届くようにするための発声法なのだろうけど、それは言い換えれば「耳障りで鬱陶しい」ということでもある。


  「南光坊天海春香」は、冗談で言うには憚りがあるかもしれないと危惧しつつweb検索してみると、わりとありがちなおバカネタのようでほっとした。どういうキャラなのかは知らないけど。


  [ www.youtube.com/watch?v=QlRU02-Jpz8 ]
  今週の「ドーラク」。なんだかキャンプデートに見えて微笑ましい。


  アダルトゲーム系のwebラジオで、たまに卑猥な内容の投稿を扱うことがあるけれど、私の中でOKと感じるものとNGと感じるものがある。どう違うのかと考えてみると:
  OK(一応聞くに堪える)なのは、投稿者が自分自身をネタにする、体を張った内容のもの。例えば「中目黒」ラジオや「ふ」ラジオが採用しているような、「性のお悩み相談」風の投稿はべつに構わない。そういう生々しい話は、実生活ではまず耳にしないので、いくらかは興味も持てるし。
  NGなのは、パーソナリティに卑猥な言葉を読み上げさせようとしていたり、下ネタ駄洒落を吹かしたりするもの。前者の理由は明白だ。パーソナリティという実在個人に性的関心を向けていること。パーソナリティの人格を軽視していること。私にはこうした投稿は絶対に受け入れられない。単なる「好き嫌い」の次元の問題ではなく、社会的規範的に「やってはいけない」ことだからだ。セクハラ人間たちと同レベルの行為だからだ。後者は、端的に質が低すぎるから。下ネタは、一般的に笑いの最底辺に位置づけられるものだし、その中でも駄洒落というのは一番きつい。なんでわざわざ時間を取ってえろがきどものゲスいセクハラ投稿や下らない駄洒落投稿を聞かねばならんのか。そういう投稿をちゃんと弾(はじ)くのはラジオディレクターの仕事だろう。


  そして今日も、寝床の確保に苦労するのだった。
  買ってきたものを手近で安全な場所(=ベッドの上)で開封したり、今日視聴するアニメディスク全巻を椅子の後ろ(=ベッド)に置いていたり、制作中のプラモのランナーを広い平面(=ベッド)の上に並べたりするから仕方ないのだけど。



  07/01(Mon)

  今月はどんな写真をページトップに掲載しておこうか。方針としては、
- 見応えがある。対象物のクオリティが鑑賞に堪えること。撮影の下手さはご容赦。
- できれば可愛いもの。萌えキャラのフィギュアならばたいてい該当する。
- 見飽きない。癖の強いものや、どぎついもの、一発ネタは避ける。
- えろぐろは避ける。そういうのがあってもいいのだが、一応クリーンにやるつもり。
- 可能ならば、原作を私が好きなもの。ただし、原作を知らないフィギュアも多かった。

  しょぼいものをくりかえし見るのは嫌だし、不快感を与えるものも一応避けるつもり。PCゲームの素晴らしいスクリーンショットを掲げておきたいが、残念ながら引用として正当化されないからNG。そういう条件で考えると、なかなか好適な写真が無い。
  スケールモデルの完成写真ならばそれなりに持っているが、特にミリタリー系(兵器類)の写真を毎日見るのは自分でも好きではないし、それに残念ながら私の作品はクオリティが高くないので何度も見る(見せる)ようなものではない。

  適当なものを思いついたら掲載するというくらいの気軽な感じで、席を空けておこう。


  今月の余暇は、第一にゲーム。未プレイが溜まりすぎているので、少しずつでも消化していきたい。暑くなると模型制作はしづらいが、一個くらいは大型プラモの全塗装制作をしたい。


  7月になった。ということは、7月分のお小遣いを使えるということであり、また、6月分の過剰支出を「済んだこと」にしてしまえるということであり、したがってさっそく意気揚々とオタクな買い物をしまくってきた。そして本業関係の文献もいろいろ……俗に言う「鞄が重いが心は軽い財布も軽い」そのままの状況であり、けっして後悔はしていない。


  [ www.kotobukiya.co.jp/event/fagirl-figure-voting/ ]
  [ www.kotobukiya.co.jp/wp-content/uploads/2019/03/7c523a7bf2fabfca9965df91ccd4ab1a0210fb07.jpg ]
  うーむ、『あずまんが大王』の神楽さんみたいだなあ。
  こういうタイプの系譜は、どのくらいまで遡れるのだろうか。わりとありがちなオーソドックスなキャラ造形だが、実例はあまり思い浮かばない。ベタすぎるので、一捻り入れなければ使えないくらいなのかもしれない。
  構成要素はショート、外ハネ(または癖毛)、青髪系、ツリ目、元気活発、陽気な賑やかしキャラ、善良、ウブ、おばか(直情的でサバサバ)、スポーツ好き、ややマイペース、犬系、ボーイッシュ(僕っ娘)、同級生、非攻略キャラといったあたり。『英雄*戦姫』でいえばアレキサンダー(外見だとボールス)。『下級生』だと緑谷麻紀さんが近いか。声優で言えば美月氏が演じそうなタイプ(例:『セルフレ』)。むしろショタ寄りかもしれない(『SEVEN-BRIDGE』のジョエル、『ひめしょ!』のヤガミ・コハル)。アニメだと、『プレアデス』のあおいちゃんを思い出した(※性格造形は違うけど)。

つまり、こういう可愛いキャラですね(※無塗装)。

  自社オリジナルキャラなのだから――つまり(設定画イラストレーターへの支払はともかく)他社版権を噛まさずに済むのだから――全キャラをフィギュア化すればいいのにと思う。しかし、キューポッシュでのFAGキャラは店頭でも余り気味なようだし(※あるいは作りすぎかもしれないが)、そもそも採算の見込みが取れなければ企画に乗せようもないだろう。とりあえず、上のフレズフィギュアは、発売されたら買ってみようかな。

  上で述べたキャラ造形を反転させると、ロング、ストレートヘア、赤髪系、タレ目(or糸目)、おっとり、寡黙、腹黒、したたか、知的、慎重でしつこい、場を操る、猫系、フェミニン(わたくし系)、年上or年下、攻略キャラ……うわあ。真ヒロインかラスボスの二択になりそうな、真っ黒なキャラクタータイプだった。

  どんなキャラタイプが好みかといってまず思いついたのは、誇り高くて義理堅いケモ耳キャラと、ちょっと幼めだけど真剣に頑張っているキャラ。……あー、『悪魔娘の看板料理』のクムとサシィアーネじゃないか。

  『看板娘の悪魔料理』。可愛いけれど悪食なキャラか……。
  『看板悪魔の娘料理』。悪魔というか、サトゥルヌス?


  ※※ぐろい体験談注意※※
  積んであった模型の箱を手に取って開封しようとしたら、ポロリと紙魚が膝の上に……。『キルミー』のソーニャよろしく、「んーーーーーーー!!!!!」と声にならない悲鳴を上げた。仕事柄、こいつを排除するのはなかなか難しいのよな……(泣)。ちなみに、きちんとティッシュで葬りました。


  レム&ラムの赤青双子鬼メイドに既視感があったのは、『シキガミ』のこれか。
  [ www.getchu.com/brandnew/690681/c690681charab26.jpg ]
  ちなみに、『シキガミ』(2011年発売)の方が『Reゼロ』(2012年-)よりも先。


  ゲームにせよアニメにせよ吹き替えにせよ、可能ならばプレイ/視聴する前にあらかじめ全ての登場人物の外見とキャストを正確にアイデンティファイして記憶した上で臨みたい。もちろん、そういう予断を抜きにして現にある芝居のすべてを真剣に聴くことも大事だが、私としては一人一人の芝居を識別する方が、確かな蓄積になって今後につながると考えている。
  というか、そうして準備しておかないと、「サブキャラっぽいけどなんだかすごい芝居をしている人がいるぞ。すさまじいまでの正確性と素晴らしい説得力と清潔感のあるリズム、いったい何者なんだ……(エンドロールを見る)えっ、あっ、あわわわ、サトサトトトトサトリナさんじゃないか!」と慌てふためく羽目になる。

  クリエイターや有名人に言及する時は、基本的には「○○氏」と呼び、ニックネームなどは使わないのだが、佐藤氏については「サトリナ(さん)」と書いてしまう。語感が良いからだろうか。音としての省略が少ないからだろうか。


  『ポケモン』メイのイラストをえがくひとは、こころがきよい。(思い込み)


  (→8月6月