KOTOBUKIYA「レイキャシール:イエローブーズ」。スパッツキャラ目当てで買ったが、付属の狐キャラ(シャト)が可愛くて可愛くて。もうこの子しか目に入らない。
08/30(Fri)
今月の出費はもう終わりだと思っていたのに……またもや、いろいろ買い込んでしまった。これだと8月分の家計簿が悲惨な数字になってしまうから、よし、8月ではなく、9月-1日の支出ということにしよう。(朝三暮四的な誤魔化し)
『Warhammer』のスタートセット(スターターキット)を買ってみた。詳しくはこれから調べていくつもりだが、なるほど確かに面白そうだ。
- 集める(ハイディテールなキャラクタープラモが、そのままゲームの駒になる)
- 作る(質感豊かに塗装する)
- 遊ぶ(対戦ゲームをプレイする)
- 展示する(ゲームをすることが同時に空間的なディスプレイになる)
- 作中世界を楽しむ(遠未来の荒々しい世界設定)
といったように、いくつもの要素が詰まった包括的なホビー体験になる。
ゲームの骨格は、プレイヤーが敵味方に分かれてそれぞれ駒を配置し、マップ上で距離を測って動かしながら、攻撃と防御をダイスロールで判定し合うというもののようだ。このゲームのためにチューニングされた専用塗料があり、これを使って個々の駒を色彩豊かに塗装すると、ゲーム空間が素晴らしく迫真性を増す。メカメカマッチョな海兵隊(人類側)と、おどろおどろしいクリーチャー勢力があり、基本的には両者の間の戦闘行為になるようだ。
駒ごとにコスト設定があるとのことで、あらかじめ決められた総コストの範囲内で部隊編成を試行錯誤する余地がある(※要するに、弱い駒を大量に出すこともできるし、数を絞って強い駒を出すという戦い方もある)。
しかしこれは、きちんと取り組むとなると滅茶苦茶ハードだぞ……。
塗装に関しては、適切な塗料を準備していれば、駒一つあたり2時間前後で塗れるものらしいが、手先の器用さも求められるだろう。非常に複雑な造形なので、筆塗りするしかない。
『Warhammer』のミニチュア駒のランナー。ディテールはたいへん細やかで、バリなども無い。しかし、駒のサイズはかなり小さいし、これらを質感豊かに塗装するのはなかなか大変だろう。
シリーズとしては「Warhammer: age of Sigmar」と「Warhammer 40,000」の2系統があり、それぞれスタートセットとして5000円、1万円、2万円クラスの製品がある。最も安価なものでも最低限ゲームは遊べるようなツール一式が入っているとのことだが、5000円の製品は本当に最低限のみ、1万円のものでも枠組程度のルールブックなので、実践的なプレイのためには2万円のフルセット版を買うのが良いようだ(あるいはガイドブックを別途購入するか)。今回はお試しということで、1万円クラスの「WH 40,000: Know No Fear」を買ってみたが、これだけでもひとまずゲーム進行の概要は掴めたし、読むだけでも面白い。
1万円のセットは、大ランナー1枚と中ランナー4枚で、ざっと4000円相当。フルカラーのルールブック(96ページ)が3000円。さらに大判のマップ、ダイス、距離測定シートが合わせて2000円分くらい。輸入品が割高にならざるを得ないことを考えれば、価格相応の妥当な内容か。
[ www.youtube.com/watch?v=M3Q9hj80Jj4 ](03:05-)
『巣作りカリンちゃん』の紹介ムービー。モブキャラはSHC++のモンスターを流用するようだ。
Triangleのリリー役はまだあの人なのか。声優を辞めたというんだから、きっぱりキャスト交替すれば良かったのに。もっとも、桃組丸投げだと、あれよりさらに下のジャリ声優しか出てこなかったという可能性もあるけれど。
Triangleは、『セイクリッドリネージュ』(2015)とそのFD以降は、魔法戦士ものの続編ばかり制作していて、完全に既存固定客向けの商売になってしまっているから、そういうところにコストを掛けられなくなっているのだろうか。SLや『アークキャリバー』あたりは、新規世界のタイトルで出来も良かったし人気も出たようだから、さらなる新規タイトルで新規ユーザーを掴むような試みをしてもまだまだ勝算はあると思うのだけど……。TriangleとTriangleファンがもっと幸せになれるような道を見つけてほしい。
私自身は、最後に買ったのがSLで、それ以降は手を出していない。魔法戦士世界にいいかげん食傷したというのもあるが、さすがにあの大根キャスティングでは買えないのよ……。
【 現代アニメの悪習について 】
アニメ『女子無駄』の第8話がいきなりつまらなくなって驚いたが、どうやらアニメオリジナル脚本だったようだ。これまでの原作に則った話数が面白かったかどうかはともかく、8話はいかにもアニメアニメした陳腐な展開ばかりだったのが問題だろう。「水着回」、「お色気要素の投入」、「主要キャラ勢揃いと、均等の見せ場披露」といった、10年代アニメ特有の悪弊が噴出していた。キャラクターの動かし方も、キャラ設定通りの機械的なアクションを繰り返すばかりで新鮮味が無い。とはいえ、アニメという視聴覚媒体ならではの演出もありはしたのだが……それでも全体としては、まったく褒められない。あと、アバンパートでバイブ音をしつこく連発したり、フジツボ密集の絵が気持ち悪かったりといったマイナス要素もある。
「主要キャラ全員に、いちいち均等に見せ場を作る」のは、物語がだらしない反復に陥るし、「キャラ設定通りにお行儀良く、型に嵌まった行動を繰り返す」と、キャラクターが単なるロボットになる。本当に辛い。アニメーションの視聴覚演出がこれほど洗練されてきているのに、キャラクターの動かし方は前時代的なままなので、その落差の悲惨さが目立つ。
この第8話を例に取ると、フジツボやミジンコはこれまでのロボのネタのマニアックさに比べると捻りが無くて稚拙だし、ヤマイが木に登って降りられなくなるというのは以前とまったく同じシチュエーションの反復だし、マジョが夜間に降霊術を試みているのも発想が通俗的すぎる。こういったチープさについて、「作中の一キャラクターの妄想である」というエクスキューズが付くような仕組みにしているのも気にくわない。そんな言い訳は、「ネタのつまらなさ」というどうしようもない事実から救ってくれるわけではない。
しかも、よりにもよってこの作品でやらかしてしまったところに、問題の根深さがある。本作は登場人物たちの突飛な行動に特徴があるのだが、この第8話の脚本では、そうした突飛な言動――つまり視聴者が予想も出来ないようなもの――による笑いが一切起きない。全てが破綻無く、キャラ設定通りの定番芸だけできれいに収まる。つまり、作品の特質を踏みにじってまでも、アニメ的クリシェを押し通してしまった。悲しい。
ただし、遺憾ながら、現在のアニメ界隈の価値観や慣習はこれらを良しとしており、それに基づいて制作され視聴されているのだということも認識している。つまり、視聴者はそれぞれ「自分が特に好きなキャラクター」を持っており、それが作中に登場してくれるたびに素朴に喜ぶ。そして、「このキャラと言えばこれ」という定番台詞をちゃんと言ってくれれば、あるいは期待どおりのアクションをしてくれれば、「この脚本は分かってくれている、良い脚本だ」という評価を下す。つまり、視聴者は客観的な一つの創作世界に向き合うのではなく、自分(たち)自身のためのサービスを求めているのだろう。あるいは、新しく作られたアートを体験するというよりは、エンターテイナーの定番ギャグを楽しむようなメンタリティなのかもしれない(※パフォーマンスもアートの一種ではあるが)。そして制作者は、そうした期待に沿うように制作する。あるいは、そうした期待を誘発するような仕掛けを組み込んでいる。大衆芸能とはそういうものかもしれないが……。
こうしたものの背景にある10年代オタク的価値観の基盤は、キーワード的に羅列するならば、「知識優位または設定忠実性優位の価値観」、「受け手に対するサービスとしての娯楽作品」、「商業主義的な『推し』の文化」といったものだろう。一方では、「正確性」「リアリティ」というエクスキューズを優位を置くことによって、創作行為の射程を著しく狭め、想像力の可能性を縛ろうとする不毛さがあり――これらは「実在兵器」記事でも取り上げた――、他方では顧客(ユーザー)の歓心を買うことに汲々とするという、創作行為が商業主義を内面化してそれに開き直ってしまった貧しさがある。こうした10年代的風景は、私には受け入れがたい。
もっとも、希望を持てる要素を一つ挙げておくならば、そうやって商業的都合によってズタズタに切り刻まれた創作の中からでも、受け手たるオタクたちは、自分が愛着を持つようになったキャラクターの性格や思考や行動を想像して再構築し拡張していくことができる。オンラインのインフラ整備によって爆発的に普及し深く浸透した「ファンアート文化」と、商業制作(出版、アニメディスク、ゲーム)の沈滞および困窮に比して皮肉にも最高の隆盛を極めている「同人文化」、この二つは草の根のオタクたちの豊かな想像力とともにある。
『アリスマチック』。安玖深氏の長大な祝詞セリフは素晴らしかったが、どのような言葉で評したらよいか分からない。微塵も揺るがぬ完璧なテンポで、そのキャラクターの高度な精神的集中から紡がれてきた言葉であることがプレイヤーの耳にもはっきり感じられた。そして、神に伝えるための言葉でありながら、それでいてあくまで人間らしさを保った声であって、「あくまでこのキャラクターが発している言葉なのだということ」「人の声が何かをもたらそうとしている場面なのだということ」が鮮やかに表現されていた。祝詞がそのシーンの前面に押し出されている場面でも、あるいは祝詞を後景(バックグラウンド音声)にしつつ別の描写が展開される場面でも、冬芽の素朴さと玲瓏さと柔和さと確かさを併せ持った不思議な声は、その都度のシーンの意味づけを決定的に規定していた。安玖深氏の最高の芝居の一つだと思う。
『アリスマチック』は、そんな最高の安玖深氏を聴けるだけでなく、堂々たる正統派の夏野氏を、深い説得力のある理多氏を、いつもながらの強靱さのある深井氏を、特質を存分に生かした佐本氏を、珍しい役柄ながらキャスティングの妙を楽しめる松永氏の芝居を、そしてProf.紫龍の複雑な表現に至るまで、充実した芝居を聴ける素晴らしい作品だった。
08/25(Sun)
「VFG カイロス」を制作。写真などは以前の「ジークフリード」記事に追加する形で。
今月は、フルプライスをもう一本くらいクリアしておきたかったが、この分だと難しいか。コンプリートする本数よりも購入する本数の方が多いので、未プレイタイトルがどんどん増えていく。
好きなのは、「親友(百合)から託された(百合)剣(百合)」かな。
信頼関係(百合)に基づいて大切なものを預ける(百合)って美しい(百合)と思うの。
喘ぎ声が汚い男性主人公って、どうかと思うの……。現実の平均的な男子高校生なんてそんなものなのかもしれないが、さすがにフィクションのテキストでは多少は取り繕ってほしい。
『おにキス』は畳萌え。
【 ワイドディスプレイとゲーム画面のレイアウト 】
00年代末以降、つまりワイドディスプレイが一般化して以降は、キャラクター立ち絵を表示する時は真正面(中央)ではなく、右か左にずらして表示するスタイルも多い。メリットは、「真正面棒立ちという間の抜けたレイアウトを回避できる」、「背景画像がよく見える(まっすぐ見通せる)」。00年代の4:3画面とは異なった方法論が要求されるが、ワイド画面に先鞭を付けた『マブラヴ オルタネイティヴ』(2006)や『片恋いの月』(2007)の時点ですでに、そうしたレイアウトの刷新は試みられていた。
立ち絵の位置を調整するのではなく、背景画像の方を調整するアプローチもある。1)一つは、立ち絵が正面表示されることを前提にして、背景画像の中央(正面)には重要なものを描かず、左右両脇にディテールの細かいものを置く。こうすることで、背景の空疎感を避ける。2)もう一つは、真正面パースを避けて、左右どちらかに傾けた斜めのアングルで背景を作画する。これにより、背景の奥行きを維持しつつ、レイアウトの平板さを避ける。もっとも、10年代のアダルトゲームでは、立ち絵のサイズを柔軟に変更してバストアップ拡大表示したり距離感表現として縮小表示したりすることも多く、あらゆる状況で完全にきれいなレイアウトになることは無い。
このくらいは、10年代のアダルトゲーム制作者には常識になっているだろう。
どのような表現が選ばれるかは、その都度の環境(ディスプレイ)や技術(拡大縮小)からも影響されている。もちろん、それらによって完全に規定されるというわけでもないが、個々の表現の性質や意味や原理を考えるうえでは無視できない。とりわけPCゲームは、こうした環境要因や技術要因の影響を受けやすい。美術でも画材の影響はあるし、写真もカメラそれ自体の機能如何が決定的だ。建築(風土、建材、建築技術)や音楽(楽器それ自体の発達)も同様。他方、小説では環境要因の影響は比較的小さいのではないかと思う。
10年代には、「白箱系の方がアダルトシーン一つ一つのボリュームが大きい」という逆転現象が起きているように思う。
00年代は「白箱系(学園恋愛系)はベッドシーンが量質ともに低く、黒箱系(ダーク系)はアダルトシーンに特化注力している」という構図で、とりわけ00年代前半までの白箱系ではベッドシーンのテキストは本当に短かった(※F&Cが典型的な「エロ薄」だったとされるが、10年代の水準から見ればそれ以外のブランドも大差ない淡泊さだ)。しかし00年代半ば頃から、風向きが変わってきた。白箱系タイトルがベッドシーンにも力を入れるようになってきた。特にWhirlpool、ゆずソフト、purple software、UNiSONSHIFT(_blossom)あたりがこの流れをリードした。さらに10年代に入る頃には、ピンク系(アトリエかぐやのような、非蹂躙的なアダルトシーン重視の萌え系コメディ作品)との融合が進み、この流れが完全に確立された。MOONSTONE(_cherry)、PULLTOP(_latte)、ぱれっと、emsemble(_sweet)、CUFFS(CUBE)などは、ピンク系のサブブランドを建てたほどだ。
そのような変化をもたらした要因はいくつも考えられる。
1) 大きいのは、ヒロイン人数の減少だろう。00年代前半頃までは5~7人のヒロインを並べてユーザーに食いつかせるというアプローチが多かったが、00年代半ば頃からは、ヒロイン人数を4人程度に絞り込んで丁寧に造形するようになった。それとともに、個々のベッドシーンに割けるコストも相対的に増加する。
なお、ヒロイン人数の減少は、脚本の精密化と軌を一にしていると思われる。ヒロイン人数が多すぎると、筋の通ったシナリオにするのが難しくなるからだ。00年代半ば以降、脚本のクオリティを上げようとしてきたアダルトゲーム(白箱系)にとって、ヒロイン人数の絞り込みはほとんど必然的な流れだっただろう。
2) また、恋愛系ならではの脚本上の事情もあるだろう。性表現要素を考慮に入れた恋愛ものタイトルでは、二人が初めて結ばれるシーンはきわめて重要なものであり、そのプロセスは丹念に描写される(なんだか嫌な話だな)。そして2回目以降のシーンでも、いきなりボリュームを減らすわけにはいかないから、それなりの長さのシーンになる。黒箱系には、そうしたインセンティヴは無い。
3) もちろん、作品全体のボリュームとの兼ね合いもある。白箱系では、ヒロイン一人あたりのベッドシーン4~6個で、ヒロイン4人とすれば全体で16~24シーン。それに対して黒箱系では、フルプラ一本につき、60~80個ものアダルトシーンがある。つまり、シーン数で見れば3倍かそこらの格差があり、それは作品全体の中で個々のシーンに割けるサイズの限界にも直結する。黒箱系では、一つ一つのシーンを長くするにも限界があり、それに対して白箱系ではベッドシーン一つを長くできる余裕がまだあったということだろう。
それにしても、延々20分ほども続くような濡れ場は、読んでいてへこたれる。しかも一対一で、動きの乏しいシーンだから尚更だ。
08/23(Fri)
DVDを再生していたら、雷に気づかず、PCが瞬殺された……。再起動してみて、ひとまず動作はしているし、ディスクチェックでも問題は出ていないが、やはり怖い。ひとまず、バックアップをもっとまめにしておこう。
さまざまなジャンルの漫画20冊を一気に読むのは、さすがに少々疲れる。
中身については、ほぼ全てが大当たりの出来で、大いに満足。
「プララジ」、今度は乃嶋氏がゲストか。贅沢なコンテンツになってきた。
ゲームショップでも『カリンちゃん』の広告が目立つし、NEXTON側も力を入れているようだ。
『錬金3級 まじかる?ぽか~ん』を再視聴していた。娯楽作品の範囲内でさまざまな演出上の横紙破りをしているのが実に楽しい。音響演出にも見るべきところがあるし、絵も肩肘張らない可愛らしさがある。
[ twitter.com/R_E_I_/status/1157958103108747264 ]
[ pbs.twimg.com/media/EBHkG1OU0AALpg4.jpg ]
REI氏の新刊に「お前が今感じている状態は精神性疾患の一種だ」というフレーズが出てきたのだが、有名な「おまえがいま感じている感情は精神的疾患の一種だ」のパロディなのか、それとも偶然似通っただけなのかは、判断がつかなかった。たぶん狙ってやっているのだと思うけど。
今週の「ドーラク」。
[ www.youtube.com/watch?v=YiMH7tBWxjE ]
「うやぁゎわぁわぁっっっ」
[ hibiki-radio.jp/description/gfonpu/detail ](第170回、11:40-)
人生ゲームが「デンジャラス」……?
08/20(Tue)
しまった、眼鏡を掛けさせておきたいキャラが8人を超えた。
やはり全部買い占めておくべきだったか……。
店頭で必死に考えた甲斐あって、TYPE-Bさんはなかなか良い感じの服装にコーディネートできたと思う。うまくいかなかったら、以前購入してあったシスター服を着せてお茶を濁すつもりでいたのだが。そういえば、余っているシスター服は誰に着せようかな。
いささか不純で申し訳ないが、アニメ『女子高生の無駄づかい』に『キルミー』っぽいネタを探すのが楽しくなってきた。第6話は「ツチノコ探し」(トゥティノコ)と「ターゲット」。原作にあったネタなのかどうかは知らない。
これまでは焼き蕎麦パンやピロシキが出てきた。もちろん主演赤﨑氏つながりも。
『黒愛』がHDリマスター版発売か。初版は、えーと、2004年だったから、もう15年前か……。お口方面の名匠が勢揃いしているキャスティングということで、当時から有名だった。
ドールに眼鏡の着せ替えをしているだけで、あっという間に何時間も経ってしまう。ああ、楽しい。
八月の財布は二度悲鳴を上げる。(『郵便配達は二度ベルを鳴らす』風に)
英訳するなら"August wallet always rings twice."、よし、postとAugustで韻も踏めた。
というわけで、今日もたくさん買い込んできた。出費が嵩みすぎて、家計簿を付けるのが怖い。もちろん頭ではいくら使ったかを把握しているけれど、形にして(具体的な数字にして)確認してしまうのが怖い。
置換ものとヤクザものは、ほぼ100%拒絶反応が出る。そういうジャンルのフィクションを楽しむ人がいることは容認する(せざるを得ない)けれど、私自身は生理的嫌悪感の域で大嫌いだし、とりわけヤクザものは滅びてほしいと願っている。
近所の漫画店が、最近ヤクザもの漫画のCM音声を流すようになって、店内に荒々しい怒声が響いているのを耳にして、「うわあ、当分この店には入れないな」と思った。
上記2種以外は、たいていOKだと思う(※積極的に好むかどうかはともかく、少なくともNGではないという意味で)。寝取り寝取られ、バッドエンド、グロスカ、ナンセンスギャグ、ゲスキャラ、ジャンルずらし、パロディ、楽屋落ち、etc.、うん、どれも「それはそれ」として受け入れられる。まあ、ステレオタイプなゲイキャラ描写とか、先日言及したバストサイズのコンプレックス描写のような、「今時そんな陳腐なものを出されてもなあ」というものはあるけれど、それは個々の作品の「質」の問題であって、ジャンル選択の問題ではない。
『姫と穢欲のユースティア』……なんか混ざった。AUGUSTのリシア王女を調教するゲームか、それとも伍悪魔と天空都市でイチャイチャするゲームか。
どうでもいいが、「混ざる」だと複数の要素がだいたい同じくらい混ざり合う感じで(※自動詞っぽい)、「混じる」だと、あるものに別のものが少量混じり込む感じ(※他動詞っぽい)になるのか。言葉は難しい。
SHC公式サイトは、そろそろ『カリンちゃん』サイトへのリンクを貼ってあげて下さい。
『カリンちゃん』公式twアカウントが、キャストを順次公開している。
[ twitter.com/maokarinchan ]
秋蘭(シュウラン)は、如月氏ではなくて、あじ秋刀魚氏になっていたのか。
(『真・恋姫†夢想:革命』[2017-]の時点でキャスト交替していた模様。)
シュンラン(=春蘭)は、ひきつづき深井氏。ケイファも、みる氏のまま。嬉しい。
フウ(程昱)の海原氏とカリン役の乃嶋氏も、そのままのキャスト。
カロンは奏雨氏とのこと。ミダリは、ラジオによればたしか綾音氏という話だった。
オタク界隈で、「眼鏡」のことを片仮名で「メガネ」と書く人はわりと多い(例:「メガネっ娘」)。明らかに漢字ベースの語彙であり、それを片仮名で表記するのはかなり特殊な場合だけだと思うのだが。「眼鏡/メガネ」の場合は、とりたてて特殊なニュアンスを込めていない(と思われる)場合でも、片仮名で書かれることがある。何故だろう。
例えば、「眼鏡を着用した○○」「眼鏡を着用した姿の○○」という意味合いで「メガネ○○」と使っている場合ならば、納得できる。例えば「メガネキャラ」というのは、「眼鏡を掛けているキャラ」という意味だし、「メガネ好き」というのは、物理的な器具としての眼鏡が好きなのではなく、「眼鏡を掛けているキャラが好き」という意味だ。それならば分かる。しかし、そうでない場合にも「メガネ」と書いているのは好きではない。
個人的には、表記ゆれが検索の妨げになるのが困りもの。
Melon Booksの奥の方(婉曲)に入るのは恥ずかしいので、年にほんの何回か、意を決して足を踏み入れて買いたかったものをまとめて買うようにしているのだが、言い換えればその時は「18禁コンテンツばっかりを大量に購入するという、えろモティベーションがものすごく高い人」に見えてしまうわけで、それはそれで恥ずかしい。18禁同人を主戦場にしているイラストレーターさんも多いし、18禁コミックを一冊買えばそのクリエイターさんの活動をまとめて通観できるという場合もあって、どうしても18禁ものを買わざるを得ない場面は出てくるのだが。
メロブに限った話かもしれないが、18禁商業コミックの店頭在庫がかなり充実しているのには驚かされる。「気になったクリエイターさんの業績を調べたら18禁単行本を出していた」という場合でも、5年前くらいのものであれば店頭にちゃんと置いてある。アダルトコミックはかなりたくさん刷るらしい――少なくとも同人誌とは比較にならないくらい多い――と、昔に聞いたことがあるが、近年でもそうなのだろうか。
08/19(Mon)
昨年12月以来、9ヶ月ぶりの日本橋遠征。大阪の日中降水確率は50%で、実際、一時的に雨が降ったが、わりと気温も高くなくてそこそこ過ごしやすかった。平日なので人混みもマイルド。ただし、目当ての買い物だけを手早く済ませてしまったのは、反省すべきかもしれない。せっかくの機会なのだから、もっと時間を掛けていろいろなものを見て回れば良い経験になっただろう。
「川村楪」さんと「TYPE-B(ホワイト)」さん。まだ大丈夫だよ。まだ10人にも届いていないから。まだハマってないよ。まだ全然ドール趣味は本格化してないから。まだ大型の植毛ドールはカタログを見てるだけだから。まだ
エッチング眼鏡を4つも買ってしまってよいのかと1分ほど悩んだが、大丈夫だと判断した。
1) 店頭在庫はまだある(※少なくとも3枚はあった)から、他の客もまだまだ買える。
2) 5月に再生産したものがまだ残っていたのだから、競争的な買い占めではない。
3) 出血商品ではない(※製造コストは低い筈なので、メーカーに損をさせてはいない)。
4) 衣服ではなくアクセサリーなので、店頭ラインアップが偏ることにはならない。
一般論として、メーカー側(販売側)としては、「特定の顧客だけが満足するのではなく、できるだけ多くの顧客の需要を満たす方が、長期的に利得になる」というスタンスの筈であり、特定の客だけが特定の商品を買い占めてしまうことは好まないだろう。また、特定の商品を払底させてしまい、店頭でのラインアップ(購入の選択肢)が減ることは、販売店としては好ましくない。ただし、「だぶつき気味の在庫をまとめて買っていってくれた」のであればむしろ歓迎するだろう。実際にだぶついていたかどうかは定かではないが、一応は常識の範囲内での買い物だったと考えたい。レジのお姉様は十分フレンドリーな対応をして下さったので、「良い客」として振舞えたと思いたい。
私がもっと独善的だったら、店頭にあった7つ全部を買っていたかもしれないが。
ともあれ、これで4×2=8人分の眼鏡を調達できたので、うぇっへへへへ。
スケールモデル分野のエッチング商品を考えると、正直に言えば500円くらいで販売してくれたらという思いもよぎる。個別キットのためのワンオフエッチングに比べて、ドール眼鏡はどのキャラにも汎用的に使える(=多くの客に売れる)のだし、考証にコストを掛ける必要も無い。単純に面積ベースで考えても、この10倍のサイズの艦船用エッチングシート一枚がほんの3000円程度で売られていたりする。しかし、「企画、製造、パッケージング、販売」のプロセスを含む商品を面積だけで考えるのは素朴に過ぎるし、なかなか代えの利かない商品だし、きれいに自作するのも少々難しいので、総合的に考えれば800円という値段も、まあ、妥当だと思う。
しかし、きれいにディスプレイしてあげられる場所がもう無い(それどころか、そもそも「置ける場所が無い」)ので、開封に二の足を踏んでいる。どうしたものか……。書籍やゲームのパッケージならば、適当なオタクタワーの上に積み重ねておけば済むのだが。
「未プレイのパッケージや未読の書籍を積んでおく」のと、「フィギュアやドールを未開封のまま積んでおく」のは、論理的には同じ状況であり、だから「どちらも、すぐには開封できなくても仕方ない」と結論づけることも一応は可能だ。しかし、重大な相違点もある。「ゲームや読書やプラモ制作には時間が掛かるが、フィギュアは開封して陳列しただけですぐさま効用を発揮し始めることができる」という点だ。つまり、ゲームや書籍はすぐには消化できなくても仕方ない(それが普通だと述べることができる)のだが、フィギュアやドールを開封すらせずにおくのは「通常ならば得ることの出来た筈の効用を発生させられずにいる」ということであり、明らかに期待を下回っている状況になってしまう。それが心理的な辛さを生んでいる。ここで「そういうこともあるさ、仕方ない」と思えるかどうかは、ひとによって異なるだろう。
もう一つ。ドールはデリケートな立体物であり、いいかげんに放置しておくと劣化の問題が出てくるが、それに対して読書(文字情報)やゲーム(デジタルコンテンツ)の場合は、基本的に劣化の問題が無い(※もっとも、ゲームの場合も、OS対応、期間限定コンテンツの期限切れ、パッチ喪失[公式サイト消滅など]といった問題がある)。
そういえば『BB3』のディスク崩壊事件なんてものもありましたね……(泣)。どうしたわけか、ほんの数ヶ月でディスクが急速に劣化して読み取れなくなるという……。メーカーはきちんと個別交換サービスを実施してくれたけれど……。
というわけで、もちろん財布は軽くなったのだが、まだ「コミケ合わせの同人誌新刊の書店購入」という出費の嵩む案件が残っているのよな……。
CDショップでいろいろ刺激を受けてきたので、今晩はクラシックを聴き漁りつつ過ごす。
「個々のフィギュアに合う曲」という妄想が湧いてきたが、実行はしない。「このフィギュアにはバッハのあのオルガン曲だよね」とか、「このドールにはシューマンのこの室内楽が似合う」とか。うん、このような「他人にはまったく伝わらない個人的なイマジネーション」のことを、普通は「妄想」と呼ぶんだ、わたし、しってる。
08/17(Sat)
kakao氏の舌表現について書いていたら興が乗ったので、ついでに過去の雑記欄テキストを適当に切り出して単独記事化していく。基準としては、「2000字以上の規模であること」、「趣味の話題であること」、「客観性のある議論であること」、「一応は裏を取ってあること」、「一定の意義があること」。言い換えれば、2000字に満たないくらいの小文や、現実的な話題、個人的な好みの話、無根拠な書き散らし、具体的な情報提供の無い文章などは、これまでどおり雑記欄に埋もれさせておく。そもそも雑記欄は、単独記事にするほどではない(=読む価値の乏しい)雑文の置きどころという位置づけにしている。
「デジタルアートのサイズ」(昨年5月)
「00年代アダルトゲームにおける悲劇要素」(昨年6月)
「原画家の塗りとグラフィッカーの塗り」(昨年9月)
「『悪魔娘の看板料理』周回時の最適行動メモ」(昨年9月)
「雑感:アダルトゲームのUI変遷」(昨年10月)
「擬人化を巡る雑感」(今年の1月7日)。
「鼻筋、頭髪色、舌の表現」(鼻筋の方は4月7日、頭髪色は5月10日、舌は今日)。
「『0083』の話をしてみる」(6月20日)。
「アダルトゲーム市場の今昔」(7月4日)
「ソフトハウスキャラ作品の進行分岐」(7月15日)
「アダルトゲームのデモムービー文化」(8月3日)
「『おまけコーナー』雑感」(8月16日)
「アニメ『ソラノヲト』雑感」(昨年の雑記も含む)
いずれも小規模なテキストだが、内容に鑑みて、単独記事にしてアクセシビリティを上げておいてもいいだろうと判断した。あまり出来の良くないものもあるが、まあ、いいだろう。
chamberの"a"は[ei]と発音するので、カタカナに転写するならば「チェインバー」または「チェンバー」とする方が妥当な筈だが、何故か「チャンバー」「チャンバ」と書く人が多い、あるいはそのように書く分野があるようだ。誤解に由来するのか、それともなんらかの理由(そう書くべき合理性)があるのだろうか。
そもそもchamberの発音の方が例外的だという事情もあるだろうか。例えばキャンプ(camp)、ダンパー(damper)、ギャンブル(gamble)、ラム(lamb)、サンバ(samba)などはすべて「ア」の発音だ。でも、「チャンバー」と書かれると子供っぽい発音間違いに見えてしまうのよな……。
例えば銃器界隈では、薬室のことを「チャンバー」と書く人が多いようだ。クラシック界隈では、室内楽(chamber music)を日本語で呼称する際には、「チェンバーミュージック」と表記したり発音したりする人が多数派だと思う。試しにggl検索してみると、
- 検索語"チェンバーミュージック"=390,000件
- 検索語"チャンバーミュージック"=1,600件
- 検索語"チェインバーミュージック"=40件
と、大きな隔たりがある。
舌の描き込みは、オタク界隈を広く見れば、それほど珍しいものではない。特に現代のネットイラストレーターたちは、カラーイラストの煽情性を徹底的に追求しており、舌表現もその一部に過ぎないと言える。しかし、これをアダルトゲーム分野に持ち込んだ功績は、10年代半ばのkakao氏と、氏を起用したすたじお緑茶に帰せられるべきだろう。clochetteやアトリエかぐやですら、口の中はフラットなままなのだから。
せっかくなので、ちょっと時間を割いて十年前のキャラクター頭髪色も調べて記事に反映させた。数字にしてみると、うーむ、ここまで銀髪が増えているとは……驚いた。
[ www.moon-stone.jp/product2/msc01/msc01_concept.html ](※18禁サイト注意)
断面図の描き込みもここまで行くとさすがにグロくないか?と吹き出してしまった。
よし、明日は
ドール用エッチング眼鏡の店頭在庫が残っていたら嬉しい。
あ、でも、9月8日のこみトレの後で行く可能性も高いしなあ……。
私は「銀髪キャラが好き」というわけではないけれど、メアも月読ウサギも銀髪なので、「銀髪なキャラたちが大好き」ではある。というか、杏子氏の銀髪キャラ率の高さよ……。ほとんどのキャラは頭髪色素が薄いんじゃないか。赤系(『カンパネラ』)や黒髪(『はつゆきさくら』)もいるけれど、例外的と言って差し支えないくらいだ。
08/16(Fri)
プレゼント交換会で自分自身のプレゼントが当たってしまう人が一人も出ない確率を求めるのは、ちょっと難しい。細かい場合分けが発生するので、高校文系数学の範疇で求めるのは現実的ではなさそう。数学的には「完全順列」と呼ばれるものに相当し、その総数を人数の階乗で除算すれば、「誰も自分自身のプレゼントが当たらない確率」になる。2人の場合は50%、3人の場合は33.3%、4人の場合は37.5%となり、人数を増やしていくと36.8%ほどの確率に収束する。言い換えれば、60%以上の確率で誰かが自分自身のプレゼントを引き当ててしまう。
現実的な対処としては、自分自身のプレゼントを引いてしまった者が複数いれば、その間で交換なり再抽選なりをすればいい。最も厄介なのは、あるいは最も可哀想なのは、「自分自身のプレゼントが当たってしまったのが1人だけ」だった場合。再抽選する相手がいないので、どうしようも無い。教師なり上司なりといった特別な存在がいればその者がフォローしてやればいいのだが、完全に対等なコミュニティで完全に公平なプレゼント分配のルールを作るのは少々ややこしい。
To do: 夏休みのうちに日本橋に行っておきたい。
08/11(Sat)
丸っこい狐キャラがあまりに可愛いので、ページトップの画像に差し替え。
カラーリングはどちらかと言えば秋向きだし、差し替え前の水着フィギュアの方がいかにも夏らしいのだが、季節感に囚われる必要もあるまい。
夏の日に『NieA_7』を視聴するのもまた趣深い。
漫画版の方も掘り出してきた。やけに激しくお下品なツッコミ漫才と、ハチャメチャな奇人キャラたち、そしてちょっとマニアックな小ネタをしれっと織り込んでいるあたりが、いかにも2000年前後の雰囲気を色濃く示していて、なにやら懐かしい。
08/08(Thu)
Griffon Enterprise「1/8 一色あかね」。このキャラクターのフィギュアは、どれもきれいにまとまっている。シルエットや表情など、特徴がはっきりしていて立体化しやすいデザインなのだろうか。写真では分かりにくいが、全身は前屈気味の姿勢をとっている。(※ページトップから下ろした)
[ www.youtube.com/watch?v=j59IAAuf05o ](19:00-)
アザラシに興奮とは……。
SHCの個々の作品に対して、私なりの評価はどのようになっているか。適当に数字にしてみた。以下のとおり。
「システム」は独創性(アイデアのユニークさ)、完成度(隙の無さやゲームバランス)、深み(作り込みやテキストとの協働)などの評価。シナリオは、キャラ立ての上手さ、エンターテインメントとしての面白味、テキストの切れ味など。
タイトル | システム | シナリオ |
葵屋 | 60 | 60 |
うえはぁす | 80 | 70 |
海賊王冠 | 80 | 75 |
真昼 | 75 | 70 |
アルフレッド | 60 | 65 |
ブラウン | 60 | 80 |
LJ | 55 | 85 |
巣作り | 75 | 80 |
南国 | 70 | 65 |
DC | 65 | 75 |
グリンスヴァール | 60 | 65 |
王賊 | 75 | 80 |
Climber | 75 | 70 |
DAISOUNAN | 60 『南国』の発展系だが、それほど良くなったわけではない。 | 60 シナリオの流れを作れないゲームシステムなので、面白味は発揮されていない。キャストは良い。 |
忍流 | 65 忍の人材派遣SLG。ちまちましているが、それなりに面白かった。 | 80 キャラは抜群に良い。久留滝家イベントは見どころ。 |
BB | 70 3DダンジョンRPG。トラップギミックはまずまずの出来。 | 80 ユーモアのあるテキストと、魔族たちの生活空間描写が、出色の出来。 |
雪鬼屋 | 65 マスクデータが多すぎて経営気分を味わいにくい。モード変化も鬱陶しい。 | 55 過去回想を多用しているが、どうにも情趣が無い。 |
BB2 | 70 ユニットメンバーは6人に減ったが、多層ダンジョンを踏破するのは楽しい。 | 75 アグレッシブな勢いがあり、展開もドラマティック。キャラ立ても良い。 |
門 | 60 『巣作り』よりも後退した。戦闘は単調だし、モード変化が鬱陶しい。交渉パートはちょっと面白かった。 | 55 過去回想がしつこい。即物的な下ネタ傾向もよろしくない。むしろサブキャライベントの方が面白かった。 |
BB3 | 75 資材収集要素や都市計画パートも組み込んで、システムが一気に拡大した。 | 75 天界と魔界の話は少々持て余したが、サブキャラたちのイベントは抜群に面白い。 |
アウトベジタブルズ | 80 歯応えのある怪盗SLG。カードデッキ構築も面白い。 | 55 イベント配置が散漫で、流れが悪い。キャラも薄い。無関係な学園生モブ会話を多用し始めたのも良くない。 |
悪魔娘 | 65 食材入荷+料理開発SLG。無難。 | 70 キャラ立ては良い。ベッドシーン連発がやや退屈だが、アルテとサシィのシナリオは良い。 |
勇者砲 | 70 『巣作り』リファインとして成功。ただしゲームバランスは行き届かないところがある。 | 65 キャラは通俗的ながら、メインヒロインが可愛い。ただし、桃組キャストが……。 |
プラネット | 70 やりたかったことは分かるが……。機能増設の制約も理不尽。 | 65 いろいろ仕掛けは入っているのだが、どうも楽しめなかった。ハツユキの妄想ネタは残念すぎた。 |
魔剣 | 80 『巣作り』+『Climber』型のダンジョン探索SLG。基本骨格も、動作演出も、フラグ管理も、よく洗練されている。 | 75 共通システムからの分岐が面白い。キャラ立ても好印象。 |
領地貴族 | 65 街発展+政治交渉SLG。町の発展が見えにくいのは難。 | 70 政略ネタのテキストは冴えている。 |
大樹 | 70 連続戦闘システムは刺激的。 | 70 珍しくシリアス基調。また、ルートごとの展開の違いを楽しめる。 |
悪魔聖女 | 65 イベント探索のためのゲーム的ハードル。やりたかったことは分かる。ただし小規模。 | 45 下ネタに走る悪い癖が出た。 |
平均はシステム=68.2、シナリオ=69.1と、かなり控えめな評価。
思いつきで数字を並べてみたが、だいたい実感に合っている。
ただし、実際には音響面やコンセプトの面白味で印象が大きく上下するので、この数字がそのまま最終的な評価になるわけではない。例えば『悪魔娘』は、特別なオリジナリティがあるわけではないけれど、あの寛いだ雰囲気のBGMのおかげでとても好きな作品だし、逆に『アウトベジタブルズ』は良い作品だけれど、ハイスコア狙いできついプレイを繰り返していたせいで、再プレイするのはちょっと辛い。
08/06(Tue)
金髪ツインテ黒セーラー服キャラのイラストに、何か懐かしいものを感じた。
とはいえ、なにか具体的なキャラクターを思い出したという話ではない。黒セーラーそれ自体がきわめてレアだから(※ワンポイントではなく、黒ずくめのセーラー)。『アトラク=ナクア』『グリンスヴァールの森の中』『Hello, good-bye』『はるるみなもに』『ひとりのクオリア』あたりは真っ黒セーラー。『屍姫と羊と嗤う月』や『百合霊さん』にも黒セーラーキャラがいる。『クラ☆クラ』は黒基調だがセーラーではなくブレザー型。『Love Sweets』は、黒というよりは紺色のブレザー。『月と魔法と太陽と』は黒マントと三角帽子。
アニメだと『黄昏乙女×アムネジア』などがある。
比較的近いのは『愛妹恋愛』と『彼女×彼女×彼女』だが、前者はツインテールではないし、後者は黒ずくめではない。『恋色空模様』の冬服は黒セーラーだが、スカートはピンク色。『ノラとと』もちょっと違う。
[ www.getchu.com/brandnew/794013/c794013charab2.jpg ]
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『姫と穢欲のサクリファイス』
(c)2019 Escu:de
オレっ娘のウィレスがベッドシーンで「やばい(やべ)」と口走ったのに大笑いしてしまい、この言葉が出てくる度にボイス登録していたら、結局4回も言っていた。
黄組若手はまだまだなところもあるけれど、曲がりなりにも役を作る(芝居を成立させる)ところまでは出来ているので安心している。
それに対して桃組の芝居が桁違いにひどいのは、体制の問題と思われる。つまり、個々の役者の資質の問題ではなくて、事務所全体としての募集方針、教育内容、起用基準、録音技術が致命的にまずいのだろう。役者たちはむしろ被害者と言うべきかもしれない。例えば、桃組収録のヴォイスでリップノイズがベタベタに乗ったままだったりするのは、明らかに音響サイドの不手際だ。また、所属声優の大半が何年もトレーニングしていてあの程度というのは、役者個人の問題ではなく、そもそも教え方が悪いと考えざるを得ない。そして、未熟な役者たちでも、事務所丸投げキャスティングの中に平気で押し込んでくるのは、制作管理レベルのモラルの問題だろう。
そんな有様でも、丸投げ安売りでのさばっていて辛い。新作チェックの際にも、桃組十把一絡げキャスティングの時点でほぼまちがいなく購入対象から外しているのだが、残念ながら桃組キャストはかなり多いので、せっかくCGやコンセプトが魅力的でも、買う気になれないタイトルばかりになってしまう。……早く滅んでくれないかなあ。
08/03(Sat)
久しぶりの新記事「『姫と穢欲のサクリファイス』攻略補助情報」。
週末の夜中にちまちま書いていた。
超ハードなEscu:de作品群を易々とプレイする猛者(ファン)たちの前でこんな中途半端な記事を公開するのは、無謀と言うしかないのだが、あえて蛮勇を奮おう。
能力上昇傾向を見比べると面白い。カテナは懐柔のエキスパートだが、気力も運も弱い。逆にウィレスは気力の化け物で、懐柔はろくに顧みない。ティオは「影響」がやや得意だが、これといった特徴が無く、まさに器用貧乏めいている。ファケルは、意外なことに収集が得意。最後に登場するソニアムちゃんは、運がよく伸びるので終盤に大きく稼げる。
消費する「闇の糧」を見ると、カテナは総じて燃費が良く、主として人々の悲しみと恐怖を喰らう。その一方、ウィレスは憎悪と怒りが大好物で、悲しみは欲しがらない。ティオは恐怖、ファケルは悲しみ、ソニアムは憎悪と悲しみを大量に要求する。
もちろん、ゲームとしてのバランス取りのための調整でもあろうが、これらをキャラクター表現の一形態として見ると、これはこれでなかなか面白い。
私にとって、攻略記事を作る営みは、1)様々な角度から作品内容を検討することによって理解を深めるための行為であり、2)作品に耽溺するための愛の行為であり、3)再プレイのための口実であり、そして、4)メーカーやユーザーに寄与できていたらいいなと思う。
仮にも攻略を名乗るならば、各コマンドの効果(気力消費量やストック蓄積量)を検証して、データとして整理するところまで取り組むべきなのだが……。今回の記事が「攻略補助情報」という不明瞭なタイトルにしているのも、「これはきちんとした攻略記事の水準ではない」という認識から。
[ www.youtube.com/watch?v=nqM4Rm8Plqs ]
門脇さん、袖があざとい。
褐色肌メインヒロインの作品は非常に少ない。南国リゾートもの(日焼け肌)や低価格単独ヒロインものにいくつか存在する程度か。思い出せるところでは、『屍姫と羊と嗤う月』(異種族キャラ)があったし、『リトルウィッチロマネスク』もツートップヒロインの片方が(インド人っぽい)褐色肌少女だった。葵渚氏やCARNELIAN氏は褐色肌好きなように見受けられるが、それでも褐色肌のトップヒロインの作品は無かったと思う。
データ収集プレイ。気力消費や絶頂ゲージ増加の計算式がよく分からない。
ファケルが自分の作った道具のことを「この子」と呼んでいるのが可愛い。
「あくまで」(飽くまで/悪魔で)を記事中で連呼しようかと思ったが、さすがに駄洒落が過ぎるので慎んだ。
08/01(Thu)
綴りはAylwinだから、AYuLu(アユル)win……という駄洒落キャスティングなのでは。
カルド君が一人目に召喚したのが、比較的真面目なカテナでよかった……。最初にソニアムを召喚していたら、あの性格に翻弄されて計画立案どころではなくなっていたかもしれないと想像して、大笑いしてしまった。ただし、ソニアムの個体催眠能力では、そもそも戦争に勝てないけれど。
ちなみに、もしもウィレスが一人目だったら、戦場では活躍できても、復讐計画の方は難航しただろう。ティオならば、ドラゴン変化でもさせれば戦闘もいけるし、戦後の仇討ちに際しても情報収集などがずいぶん楽になっただろう。あの性格からして、復活計画にも意欲的に協力してくれただろうし。ファケルは、戦況を覆せるほどのオーパーツ的兵器を開発できたかもしれないし、戦後も豊富な知識を活用して役立ってくれただろう。そう考えると、カテナには能力面のアドヴァンテージは乏しいのだが、精神面でサポートできたのが大きかったようだ(※もっとも、そのサポートのせいでカルドは復讐心を維持できてしまったのだが)。いずれにせよ、ソニアムちゃんは性格も能力もピーキーすぎる。
データ周りも一覧化してこのブログで公開しようかと思ったが、「手xx」や「騎xx」といった卑猥ワードを具体的に記述せざるを得ないので断念。ただし、悪魔能力の要求値やゲーム進行のスケジュール(ノルマ)などは、そういうワードに触れずに書くことができるので、適当にまとめるかも。とはいえ、難易度は低いし、適当に引き継ぎしていけば嵩上げも容易なので、わざわざガイド情報を出す必要は無いと思う。
ゲームAに疲れたらゲームBを遊ぶことで疲労回復して、ゲームBに飽きたら今度はゲームAに戻ったりゲームCを始めたりするような生活をしていたい。
【 現実に向き合うSF 】
小川氏については、不思議なほど発言がウブに見えるのだよなあ。ほんの一時期、発言を追っていた時期があったが、辟易して離れていた。
SFが持ちうる一つの意義として、現在の現実とは異なる社会的文化的技術的自然的時空間的状況への想像力を作品の中心に置くことができるというものがある。しかもそれは放恣なファンタジーではなく、知的な(=科学的な)手法を用いることによって目指されるというのが、SF(サイエンス・フィクション)の定義的な特質だと言ってよいだろう。
そこには、この世界を構成する重要な要素たる「人間」のアイデンティティを思考実験によって吟味し拡張し、その多様性や可能性を広げてみせるというアプローチも含まれるし、それゆえ、個々人の性的アイデンティティや社会におけるセクシャリティ認識に関する先進的な可能性を追求するというアプローチもあり得るだろう。つまり、SFというジャンルは、単なる空想的なお話であるだけでなく、「目下の現実社会や常識のありようと向き合いつつ、それを超えた可能性を提示する」という目的が、多分に含まれる。言い換えれば、その観点であまりに鈍感であるような作品、つまり時代遅れの認識にあぐらをかいているような作品は、――古典SFならばいざ知らず――新作のSF作品としては欠けるところがあると考えるのは、けっしておかしなことではない。
とりわけ、ある団体がSF賞を与えようと検討する場合、選考の基準となるのは、エンターテインメントとしての「面白さ」だけではない。叙上のような「卓越」如何を問うのは、まったく妥当なことだ。つまり、新人賞の応募作品に対しては、「最低限このくらいまでは現状の認識水準を理解した上で、さらにその先へ進もうとしているのだよね? 人間の世界認識を先へ進めるような新たな刺激を提供できる能力を持っているのだよね?」ということが吟味されるのは当然のことだ。そして、フェミニズムが提起してきた刺激的な問いかけも、その一部として含まれうる。もちろん、SFにとってのフェミニズムは全面的な主題ではなく絶対的な基準でもないが、現代世界においてきわめて重要な問題圏の一つになっていることは確かであり、その限りにおいてあまりにも旧弊的な「性」認識に立脚しているような作品は、人間の認識の可能性を拡張するSFとしては、マイナス評価を下される要因となるのは妥当だろう。
例えば、「特に作品コンセプトとの関係も無いのに、昭和的セクハラ言動を――作者自身の無思慮によって――繰り返す男性主人公」のようなものを臆面もなく描いているような作品があったら、その失笑もののセンスは作品の大きな瑕疵と見做されるだろうし、どのような文学賞であっても、現代の新人賞としては到底採用されないだろう。もちろん、政治や経済に関する描写が古すぎたり、あるいはコンピュータ科学や宇宙論に関する知識が古すぎる場合でも、同じように欠陥と見做されるであろう。
以上のような話をできるだけ簡潔にまとめるならば、「SF分野は、既存の現実とは異なる可能性を示唆する知的刺激を重視している。2010年代の世界では、ジェンダーやセクシャリティの問題は大きな注目を集めている重要なテーマの一つであり、SF作品がそこから遅れているようでは話にならない」。
そういう趣旨であるならば良い。しかし、小川氏の発言は、表現が粗漏すぎる。
SF本質論の一つとして、いわゆる「センス・オブ・ワンダー」が挙げられるのも、そういうことだろうと考えている。つまり、今ある現実そのものや常識どおりの出来事ではなく、「現実とは異なった状況」や「まだ到来していない状況」を想像し、それをフィクションとして作り上げることは、驚きを伴う読書体験になる。そのようなロマンティックな意識作用を、自由なファンタジー(空想)として展開するのではなく、科学的知識を梃子にして思惟し展開することによって現実を超えた可能性を提示することができるのが、SF分野の特有の作用だ。そしてそれは、今ある社会構造を鵜呑みにするのではなく、別様の可能性、新たな可能性、様々な(豊かだったりひどかったりする)可能性を広げていくことにもつながる。その意味で、今ある通俗的で非科学的な偏見に寄り掛かったままの作品は、SFとしては欠点になるし、そしてそれは人間の性差に関する(科学的、社会的な)認識についても当てはまる。
(→9月/7月)