2019/09/01

アイドルもの雑感

  10年代オタク界隈のアイドルものについて。


  (06/28)
  「アイドルとは何なのか」「アイドルとは何をする存在なのか」と考えると、その本質は歌ったり喋ったり演じたりするという個別的な行為の中には無くて、「人気を得ることそのもの」「人気商売をする存在」ということに還元されるのだろう。そのように定義されるならば、90年代末以降、キャラ萌え要素を前面に押し出すようになったオタク文化が、「アイドルであるキャラクター」「アイドルを職業とするキャラクター」たちをフィーチャーするに至ったのは、しごく当然のことだと言える。ただし私はそのトートロジー的なくどさ、露骨さがけっして好きにはなれないが。現実のユーザーたち(ファン)に好かれるようなキャラクターを提示しようとして、作品内でもファンに好かれることを目的(仕事)にしているキャラクターとして造形する。アイドルキャラがただひたすら愛嬌を振りまくのは、作品内でそれが彼等彼女等の仕事であるからという説明によって正当化されてしまう。アイドルキャラたちの媚びは、作中世界のファンたちに向けた行為であるとともに、作品を受容する現実のユーザーに向けた行為でもある。そしてさらには現実のユーザーたちも、オンラインゲームにおける人気投票の動員対象という形でゲーム世界に取り込まれてしまう。アイドルという状況設定を媒介して、虚実が融合して一体のものになってしまう。そういう不気味さには、私は近づきたくない。



  (09/01)
  以前に、「アイドル(であるキャラクター)は、特定の目的を持って行動するわけではなく、ただファンを得ることのみを目指している存在だ」という話を書いた。その時点では、「ファンを得ること、イコール、現実のファン(ユーザー)を獲得すること」を目的としているがゆえに、トートロジー的な無内容さと開き直った商売っ気が私には受け入れがたいという認識だった。
  しかしそれは、裏面から見れば、「ファン(=ユーザー)との間の一定の関係維持を崩さないかぎりは、キャラクターたちが何をするのも自由だ」ということでもある。つまり、アイドルキャラクターたちは、戦争してもいいし、戦争しなくてもいい。ステージで歌ってもいいが、ステージ上にいない場面でもアイドルであり続けることができる。アイドルたちの行動によってなんらかの物語を形成してもよいし、何のストーリーも無い描写であってもよい。とりわけフィクション作品のアイドルキャラクターは、ファンの存在しない世界でアイドルたちだけで好き勝手なことをしていても、アイドルとして成立するし作品としても成立する。
  もちろん、戦争ゲームや趣味活動漫画やコメディアニメのキャラクターにもそうした自由さはあるが、アイドルという定義――職業またはアイデンティティ――を与えられたキャラクターは、その自由を最も広汎かつ最も強靱に保有すると言えるのだろう。その意味では、アイドルキャラクターが好んで用いられるのは、理屈に合っている。
  なお、実在個人であるアイドルの場合は、かなり事情が異なる。簡単に言えば、架空のキャラクターのような自由さは、おそらくけっして享受し得ないだろう。
  とはいえ依然として、私自身はアイドルもののコンテンツに手を出すつもりは無い。



  アダルトゲーム分野では、00年代半ば頃まではアイドルヒロインはほとんど注目されていなかった。登場したとしてもせいぜい賑やかしのサブキャラであり、正面からのアイドルものはほぼ存在しなかった。『WHITE ALBUM』(1998)にしても、ブラウン管TVの時代のオールドファッションな文化としてのアイドル像を踏襲している。

  00年代後半になると、『Chu×Chuアイドる』(2007)や『ミンナノウタ』(2008)のようなアイドルヒロインものが現れた。ただし、前者は榊原ゆい氏が主演の吸血鬼アイドルもので、後者は新堂氏が企画主導したというアイドル育成もの。つまり、どちらも固有の特殊事情があって成立したものであり、流行を意識したものではないだろう。

  00年代末から10年代に掛けては、隣接諸分野でアイドルものやガールズバンドものの大規模メディアミックスコンテンツが次々に現れた。『アイドルマスター』(※知名度は2007年のXbox360版から?)、『ラブライブ!』(2012-)、『アイカツ!』(2012-)、『SHOW BY ROCK!!』(2013-)、『プリパラ』(2014-)、『BanG Dream!』(2015-)、等々。それとともに、アダルトゲーム分野では、主にダーク系や低価格帯でアイドルものが取り上げられるようになった。例えばLiLiMの『あい☆きゃん』(2009)は典型的な黒箱系タイトルだったし、定価税別2800円の『手垢塗れの天使』(2016)もダーク系。ただし、白箱系やピンク系では、アイドルヒロインが個別に登場することはあっても、作品全体がアイドルをフィーチャーしたタイトルはほとんど生まれていない。数少ない実例として、上記『ミンナノウタ』と同じ系列のブランドが発売した『ツゴウノイイアイドル』(2015)や、『炎の孕ませ乳ドルマイ★スター学園Z』(2014)がある。アトリエかぐやの『プレスタ!』(2013)も、アイドルがメインヒロインだったか。

  ただし、アダルトゲーム分野には、『Quartett!』(2004)、『ぶらばん!』(2006)、『キラ☆キラ』(2007)のように、音楽サークルやバンドものの流れが存在する。これが、2009年4月にアニメ化された『けいおん!』のブームと結びついて、ライトな音楽サークルものが何本もリリースされた。『ボクラはピアチェーレ』(2010)、『よついろ☆パッショナート!!』(2010)、『第二音楽室へようこそっ!!』(2012)あたりは、この影響圏内の存在とみてよいだろう。ただし、『すたーらいと☆アイドル』(2014)まで行くと、もはや音楽ものではなく現代オタク界隈のアイドルものに棹さすものと思われるが。いずれにせよ、現代世界でステージイベントを目指すという点で、「音楽ユニットもの」と「アイドルグループもの」の境界線は曖昧であり、広く見ればアダルトゲーム分野の音楽サークルものの潮流は、他分野のアイドルものに近いアプローチであったと言えるかもしれない。

  ……と、だいたいこんな感じの理解をしているのだが、真面目に考えたり調べたりしたことが無いので、多々遺漏があると思う。
  白箱系タイトルは物事を学園内で収めなければいけないので、世間的な露出機会を伴う「アイドル」よりも、学内での権威を発揮できる「学生会」の方が好んで用いられているという事情もあるだろうか。