2024年10月に読んだ漫画の雑感。主に単行本新刊について。
新規作品(第1巻)いろいろ。
九重すわ『踊町(おどろまち)コミックハウス』第1巻。生活苦の主人公とその旧友の二人が、不思議な安アパートに入居して、漫画を描いて家賃を支払っていこうとする話。そのアパートの周辺には、ときおり怪異存在が出没する(※大家も明らかに人間ではない)。風変わりな状況設定だが、やたら勢いよく、スピード感のあるイベントが展開されている。大雑把に喩えるなら、『NieA_7』のようなやさぐれた幻想的ドタバタ世界の中で『まんが道』のストーリーをやっているような感じで、妙に面白い。
朝倉亮介『アナスタシアの生きた9日間』第1巻。追い詰められた人類が「光の勇者」を召喚したが、その勇者は9日後に殺害されるという予言も生まれてしまったという状況の、切羽詰まったサスペンスファンタジー。予言された死の瞬間もあらかじめ描かれており、ツカミは万全。それ以上に、コマ組みがやたらきれいに整理されていて、見せ場のレイアウトも抜群に上手いし、敵側の魔物たちのキャラデザもオリジナリティと奇怪な迫力があって見応えがある。あざとさは感じるが、漫画としての完成度が非常に高いので、ひとまず買っていくつもり。作者の朝倉氏は、2010年代から3本の連載経験があるようだ。
秋重学『不倫ダイアリー』第1巻。女性主人公たちのオムニバスもの。00年代の『ニナライカ』の頃から秋重氏は、くっきりした描線と明確なコントラストで絵作りをしてこられたが、本作ではそうした視覚的な明晰さを維持しつつ、キャラクターの複雑な情緒を映し出す紙面に仕上げている。キャラデザのパターンが豊富なのも良い。ちなみに、不倫ものだが、ベッドシーンはごく控えめ。
三輪まこと『みどろ』第1巻。昭和初期の娼館界隈での連作風オムニバス。自分を娼館に売った幼馴染への愛憎や、娼館主の子息との間の非-恋愛的な交わりなど、ユニークな掘り下げがあり、画面演出(紙面構成)も卓抜で読み応えがある。
きただりょうま『魁の花巫女』第1巻。物語の骨格は、怪異に対抗する和風ファンタジーなのだが、きただ氏らしい洗練と鮮やかさがある。面白いのは擬音表現で、例えば、雑踏の場面では「雑話雑話 ざわざわ」、衝突時には「割木 ばぎい」、物を引きずるところでは「擦擦 ずるずる」と、漢字仮名併記で手書きエフェクトが書かれている。言葉のイメージを豊かに膨らませつつ、語呂合わせの面白味もあり、さらには和風バトルとしての雰囲気にも合わせている。これはほんの一例だが、きただ氏の創作に対しては、「何か新しいものを見せてくれる」という期待を持っている。実験性とエンタメ性の間でバランスを取りつつ、その都度その都度の新しいジャンルを試みていく姿勢は素晴らしい(※『エグゼロス』だけはダルそうで買わなかったし、KADOKAWAの作品も買っていないが、それ以外は『μ&i』からずっと買って読んでいるいる)。
カジュアル買いいろいろ。
押切蓮介『ハイスコアガール DASH』第6巻を、カバーイラストの妖気に釣られてカジュアル買いしてみた。この漫画が面白いのかどうか、分かるようで分からない……。
みやこかしわ『出会って5秒でバトル』第26巻。カバーイラストの褐色肌ガールに釣られてカジュアル買い。異能バトル+デスゲームというアイデアのようだ。この組み合わせは、いかにもありそうで、しかし案外珍しいニッチかもしれない(つまり、本作はフロンティアを切り開いたタイトルだったのかもしれない)。異能バトルのアイデアも、漫画的演出も、コマ絵そのものの魅力も優れていて、26巻も続いているのも納得できる。ところで、20巻以上続いている長期連載は、現在どのくらいあるのだろう?
たみふる『付き合ってあげてもいいかな』第13巻。カバーイラストの開放的な雰囲気で表紙買い。大学生の女性どうしの同性(元)カップルとその周辺の物語で、恋愛ものというよりもむしろ、いったんはカップル解消した二人の間の関係の機微を描いているようだ。就職活動や性嫌悪に関する心情的屈折を丁寧に描きつつも、絵柄は明るく整理されているので、落ち着いて読める。ちなみに、次巻で完結するらしい。
御厨稔『大きくなったら女の子』第2巻。全ての人間が、最初は男性的身体として生まれるが、成長とともにその一部は女性になるという世界の物語。こういう設定は、アニメ『シムーン』あたりから何度か試みられており、近年でも『性別「モナリザ」の君へ。』(2018-2021年、全10巻で完結)もあり、さらには前近代の妖精イメージなどにも遡れるかと思うが、本作は現代的なジェンダー問題への示唆をとりわけ強く前景化している(※例えば、男性器のサイズを測定するシーンがあったり、男性グラビアの股間の盛り上がりを強調する場面があったりする)。とりあえず第1巻も買って、この作品のコンセプトと方向性をひととおり確かめておきたい。
シロサワ『水姫先輩の恋占い』(既刊5巻)。背表紙に何かピンと来てカジュアル買いしたら、個人的に大当たりだった。占い(予知)の得意な先輩ヒロインと、その後輩の男子学生の間の、両片思いめいたシチュエーション。ただし、ラブコメ要素よりもむしろ、先輩キャラのエキセントリックな言動やアイデアの面白さに醍醐味がある。台詞の応酬も、ライトノヴェルにありそうなくらいにテクニカルに捻りの利いた会話になっている(※だが、視覚的表現によってリードされているシチュエーションもあるので、LNではけっしてあり得ない、あくまで漫画媒体に特有の作品世界を作り上げている)。ストーリー面でも、ヒロインのオカルト的超能力の悲劇的側面が掘り下げられ、さらに第4巻以降は、それ以外の異能キャラクターも登場して、道満晴明のようなエッジの利いたシュールコントが展開される。
絵柄、とりわけ顔の造形はかなり個性的で、一見するとアンコントロラーブルに歪んで見えるが、描線そのものは迷いなく描かれているし、左右の平衡を大きく崩して描かれるヒロインの表情は非日常的な妖しさを感じさせるし、連載が進むにつれて安定していく。というわけで、フリーダムな雰囲気がわりと気に入ったので翌日全巻まとめ買いをしてきた。喩えるなら、米代恭を男性向けに柔らかくアレンジしたような感じ? ヤングアニマル誌の恋愛/ラブコメものは、『ゆびさきミルクティー』『うそつきパラドクス』『ナナとカオル』『変女』など、男性向けのお色気要素を適宜混ぜ込みつつも妙に尖った作品が多く、本作もその例に漏れない。
私にとっては、漫画の絵とは、基本的に、記号的-象徴的に創出された表現物であり、紙面全体、作品全体の中で達成されている表現効果によって評価される。だから、オリジナリティのある画風を追求したり、新規性のあるデフォルメ表現を試みたりする姿勢に対しては、総じて好意的に受け止めている。『銭ゲバ』のように、一見プリミティヴな絵だが強烈なインパクトのあるコマ組みによって読者を惹きつける作品は大好物だし、上記『水姫先輩』のような不安定さも、それが作品のムードと歩調を合わせることでどのような効果に結実しているかをもって捉えたい。上記『ハイスコアガール』のキャラクター作画が、いささか奇妙なプロポーションで描かれているのも(例えば、縦に潰されたような頭部のデフォルメ)、そこに横溢するユーモラスさと、ホラー漫画のような不気味さ、そして趣味に邁進する意志的な目つきの取り合わせの妙趣として味わうことができる。
言い換えれば、写実寄りに描かれる漫画は、作画そのものがどれだけ上手くても――あるいは、多少上手いという程度では――あまり評価できない。それは、世界の見え方に何か新しいものを付け加えようとする創造性が欠けているし、描画技術と表現効果の間の違いを軽視しているように思える。つまり、創作表現として退屈だ。もっと言えば、例えばキャラクターの表情を作るときに、写実の延長のような作画では、「実写に負ける」。つまり、現実に接する人間の表情の繊細さと比べて、絵で再現できる表情はあまりにぎこちなく平板なものにならざるを得ない。また、描ける表情の幅が乏しくなる(ナマの人間の物理的な顔面変化そのものは、ヴァリエーションに乏しいものだ)。それよりはむしろ、漫画の中の絵としての意味づけを読者に伝えるように、様々な演出技術(コマ組みやアングル、あるいは様々な漫符)を用いていく姿勢の方が、はるかに好ましい。
もちろん、大友克洋のように、写実志向-実写志向の漫画作りが大きなインパクトを持った事例は、漫画史上に確かに存在する。ただし、2020年代の現在でそういう路線を無批判に模倣反復するだけでは、そこにはもはや、新たな意味は生まれてこない。
こんなふうに表紙買いも頻繁にしているのだけど、漫画単行本の表紙作業料が、いまだに出版社から出ていないままというのは、本当にがっかりする。店舗特典イラストも、漫画家のただ働きなのが10年代後半くらいに指摘されて問題になっていたが、それらも全然改善されていないのだね……。これらは、単行本の売上を人質にした事実上の強制であって、ただ働きで宣材を提供させる搾取そのものだと思うので、そういう出版社の行動はけっして肯定できない。まあ、一消費者に何ができるかという話ではあるけれど。
以前にも書いたけど。単行本のオビで、「[有名人]、驚嘆!」とか、「[有名人]、感動!」といった類のは、本当に下品に見えるし、安っぽくて、買う気を失わせる。ああいう悪習は、早く滅びてほしいと常々願っている。一般書でも昔から使われていた手法だが、漫画分野で広まってきたのは10年代末からだろうか。
読み続けてきて、完結した作品いろいろ。
桜井亜都『幻狼潜戦』は第4巻で完結した。登場人物の多くが獣人という意欲的な世界像の上に、スパイもの、ミステリ的要素(犯人捜し)と復讐もの、政治(謀略)もの、兄弟の心情的結びつきなど、いくつもの要素を流し込んでいるが、全体はきれいにまとまっている。肉球モフ手の王女ヒロインをきっちり描いているのが微笑ましい。
仲邑エンジツ『おぼこい魔女はまじわりたい!』は第7巻で完結した。終盤の筋運びはありがちな展開だったが、日常に混じり込む魔女文化のユーモラスな雰囲気はわりと好みだった。喩えるなら、道満晴明氏の作風をマイルドにしたような感じ。同じ作者が並行連載している『同居人がこの世のモノじゃない』も、第1巻が刊行された。こちらもオカルトネタのおっとりした日常コメディで、男性主人公の鈍感な厚かましさがちょっと引っかかるが、出来は悪くない。男性主人公の名前を一切出さないままというのもユニーク。
舟本絵理歌『双影双書』は第4巻で完結した。少年影武者が、少年皇帝の代わりを務めるという、ショタどうしの精神的BL関係が匂い立つシチュエーションが心地良かった。ストーリーは王宮陰謀ものだが、誠実な情愛と強い意志によって導かれていくので、読後感はたいへん心地良い。単行本第1巻のカバーイラストでは、二人が背中合わせに立っていたのが、この最終巻では位置を変えてお互いに向き合う形になっているのが微笑ましい。
続刊ものなどのショートコメント。日常ものと、ファンタジー要素のあるものに分けて。
1) 現代日常ものから。
小野寺こころ『スクールバック』第5巻。飄々と人生を楽しんでいる高校用務員(女性)キャラクターを中心に、学生たちの悩みを細やかに描いていく(※オムニバス風に、その都度さまざまなキャラクターがフィーチャーされる)。この巻では、自由に過ごしている姉と比べ、父親から抑圧を受けている弟のエピソード(第14話)が、とりわけ劇的に掘り下げた物語を展開している。弟が姉に反発するのに対して、姉は自らが体験してきた実情を突きつける。弟の目には見えていなかったその人間関係の落差。姉は、ただの記号的な「嫌な身内」なのではなく、彼女自身が独自の内面と意志を持って生きており、弟には見えていなかった世界を持っているのだという、認識の大転換。しかも、身内の世界とはまったく違った人生を選び取ろうとしているという事実。父親が姉弟を不公平に扱っているのも、実際には「姉を優遇して、弟を抑圧してきた」のではなく、むしろ「姉は見放されており、そのうえで弟のための防波堤として父親の愚痴にずっと付き合っていた」という、さらに深刻な真相。そして姉弟がそれを共有したうえでも、状況は結局あまり改善されないという苦み。プロフィールによれば、作者は23歳とのことだが、複雑で繊細で力強く奥深い物語を作り上げている。
文川あや『その蒼を青とよばない』第2巻。色弱主人公が大学写真部に入って自分探しをする物語。この巻で描かれるイベントは、展示会や先輩との対決など、平均的なサークルもの漫画のままだが、主人公の特性に即した描写には、はっきりした個性と筋の通った展開がある。
柚木N'(ゆずき・エヌダッシュ)『カレシがいるのに』第10巻。タイトルどおりの浮気or不倫もので、全年齢ながら性描写あり。オムニバス形式で、毎話登場する新規の主人公(女性)はきちんとした芯のあるキャラデザだし、中には30歳超えのヒロインもいて、大人びた成熟と若々しい愛嬌のバランスが良い。紙面構成および絵作りはきわめて明晰で、きれいに演出効果が出ているし、各話のシチュエーションもアイデア豊かで面白いし、オチも捻りが利いている。ベッドシーンはかなりパワフルだが、18禁コミックよりはコンパクトにまとめられている(※各話24ページのうち4~6ページ)。 胡原おみ『逢沢小春は死に急ぐ』第4巻。自発的安楽死を目指しているヒロインだが、周囲との様々な体験によって、その決意が揺らいでいく。言葉による説得よりも社会的体験の積み重ねを通じて、そして男性主人公の側からの距離を置いた見え方を通じて、その心情の動きをそっと示唆していく。次巻で完結予定とのこと。
うの花みゆき『雪と墨』第6巻。「こんな漫画がなんで受けているのかまるで分からないよね、私は好きだけど」枠(なんだそりゃ)。BL的ヒーローと少女漫画ヒロインをカップル化して青年漫画風にマイルドにしたような関係描写で、そのうえ奴隷もの、擬似歴史もの(19世紀ヨーロッパの北国くらいの世界に見える)、貴族もの(というか豪商)、経済もの、ホームドラマ(親族間のギスギス)、といった様々な要素が絡み合っていて、読み手ごとに様々な捉え方ができるだろう。なお、この巻には死神ものの読み切りも併録されている。
幾花にいろ『イマジナリー』第3巻。大学生たちのクールで屈折した恋愛もの。メイン二人が結ばれる過程に作者が苦労したことが、あとがきに書かれているが、なるほどたしかに、「この二人はくっつけないままで進行させても面白かったのでは?」という思いもある。
2) ファンタジー系など。
暗森透『ケントゥリア』第2巻。深い森に住まう凶悪な魔物たちや、人智では捉えがたい超自然的存在に満ち溢れた残酷なファンタジー世界像は、明らかに『ベルセルク』の流れにあるが、今のところは「家族的な情愛」という縦軸を設定しているところに独自性があり、単なるエピゴーネンに終わってはいない(※ちなみに主人公も怪奇の力を得ている)。
松浦だるま『太陽と月の鋼』第9巻。陰陽道ベースの和風伝奇ドラマで、最近は異能バトルシーンも増えてきた。とにかく美しい。コマ組みとレイアウトも抜群に巧みだし、個々のコマ絵も豊かなニュアンスで描かれている。なかでも縦長ゴマを効果的に使いこなしているのが凄い。
背川昇『どく・どく・もり・もり』第3巻。擬人化キノコキャラたちが北海道の森を放浪する物語。キッズ漫画のように丸々と可愛らしくデフォルメされたキャラクターたちを使って、殺伐とした空しい殺し合いを描いたり、人間性の限界を問い直そうとしたりする、不思議な作品。食用キノコたちの勢力と、毒キノコ(不食キノコ)たちの勢力が争っているのだが、「えっ? 食用って何?」「誰が何を食べるというの?」という疑問に対して、登場人物たちが向き合わせてもらえないという不気味な側面もあり、救いの無い世界の不条理ドラマとしての趣もある。 道満晴明『ビバリウムで朝食を』第3巻は、相変わらずの飄々としたオカルト寄りのスコシフシギジュヴナイル。動物園仮説のような箱庭世界ものは、LN『スクラップド・プリンセス』などにも見られるSFガジェットで、本作はどうやらそれを二重に組み込んでいるようなのだが(viva-rium=生体実験空間)、本作は藤子不二雄的なミニマルさの中で小学生の不思議体験談の体裁で物語進行していく。
椎橋寛『岩元先輩ノ推薦』第9巻。大正時代の軍学校を中心にしたオカルト(バトル)もの。異能のアイデアも個性的だし、外連味のあるコマ組みも絶妙で、この作品でしかお目にかかれないような斬新なコマ組みを体験できる。ストーリー面では、この巻は主人公の信条や来歴に近付いてきた。
山口貴由『劇光仮面』第6巻。女性の社会的自己実現の難しさと、それを抑圧したりそこに付け込んだりする周囲の悪意を描いているのは分かるのだが、出てくるシチュエーションがあまりにも通俗的でチープだし、この一巻を丸々「溜め」に使っているので緊張感がほどけて間延びしている。もったいない。
大久保圭『アルテ』第20巻および『大久保圭短編集』。短編作品はいずれも『アルテ』連載開始前のものだが、女性キャラクターが社会構造と支配体制に抗って堂々と自己実現を目指していくという姿勢が、『アルテ』よりもさらに率直に表出されていて気持ち良い。『アルテ』の方は、そろそろ物語の結着が近付いている。
9月刊行作品いろいろ(※先月中に読みきれなかった)。
丸山朝ヲ『転生したら剣でした』第16巻。この巻では、偉丈夫な武闘派キャラクターの激しいバトルが展開されており、作画もたいへんな迫力がある。また、主役の黒猫少女が援軍に現れる見せ場のシーンも、抜群の出来。
星野真『竜送りのイサギ』第3巻。コマ組みの演出はやや無難になってしまったが、キャラクターの掘り下げがかなり深められた。和風剣劇ものの漫画はそれほど多くないし、ひとまず買い続けてみる。