2024/10/27

2024年10月の雑記

 2024年10月の雑記。

今月の一枚はVOLKS「ルピナス」。肩回転の自然さが素晴らしい。


 10/31(Thu)

 ホビーショップのモデルガンコーナーに、『エイリアン2』のM41Aパルスライフルが出ていて、しかもお安めの価格だったので、つい買ってしまいそうになったが……「購入しても、自宅で構えてせいぜい30分くらい『Let's Roooock!(ぶっ放せ!)』ごっこをするだけで終わっちゃうしなあ」と思い直して断念した。サバゲーに参加する機会も無いだろうし……。
 とはいえ、大型のモデルガン現物を手に取って構えたり操作したりするのも、いつか体験してみたくはある。サイズ感や重量感を知っておけば、今後さまざまな機会に役に立つだろう(※フィギュアに銃器を構えさせる時のポージングとか、具体的な取り回しの仕方とか)。

 関西にもサバゲーフィールドは多いが、その性質上、市街地から外れた山中などにあって、アクセスには自動車等が事実上必須なところが大半のようだ。参加はせずに、見学だけで一度見に行ってみたいと思うことはあるが、おそらく無理だろう(※見学そのものは、受け入れてくれる施設が多いようだ。下見の場合もあるだろうし、ゲーム本番のほかに試射エリアもある筈だし)。
 というわけで、サバゲーの現場の雰囲気についての私の認識は、ほとんどがアサウラ氏のLN『サバゲにGO!』に依拠している。(いいのか?)


GLITTER & GLAMOURS「橘美花莉」。珍しいことに紫色だった(何が?)。「実際に人間が着た状態の衣装を3Dスキャンし、リアルな服の質感・しわ感をフィギュア造形に落とし込」んだというが、このフィギュアに関しては、過剰な皺表現とのっぺりした部分の落差が大きすぎ、上手く行っていないように見える。
フリュー「レム:Bride's Maid」。花冠とブーケに加えて、衣装は白-青基調、そして丸顔で正面から穏やかに見つめる表情。このキャラのプライズフィギュアの中でも、とびぬけて清らかな雰囲気を湛えている。

 プライズフィギュアは、見栄えを引き出せるポテンシャルに限界があるので、結局はメーカー公式のサンプル写真が最も魅力的ということも多々ある。そうでなくとも、私の撮影は非常にベタなものばかりだが。最低限、「レイアウト(四方の端)をきれいにする」、「色調を整える」、「ピントを合わせる」、「見せどころが分かるようにする」、「キャラの視線を意識する」、「余計なものを映り込みさせない」くらいは考慮しているが、どうしても証明写真めいた説明的な撮影になってしまう。光源管理も、手鏡で光を当てて影を減らすだけ(※以前は、簡易的ながら撮影ブースを作っていたが、最近は横着している)。


 気温が下がってきて、食欲も増したし、冬期特有のストレスに対抗する目的もあって、多めに食べるようにしている。400kcal×4回=1600kcalならば、摂取カロリーも健康的な範囲内で収まる――むしろちょっと足りない――し、食事を一日4回も楽しめるのでお得(※ただし、料理および片付けの手間は考えないものとする)。要は、おやつや夜食をしっかり摂るということだが。
 室温はまだ20度を超えているが、掛け布団を出してぐっすり寝られるようにした。


 京大生には、「普通とは違うことをやってみる」という文化があるけれど、それは美大系の個性発揮やヤンキー的なやんちゃ趣味とはまた別物で、合理性をベースにしている向きがある。すなわち、「既存の慣行を無批判に踏襲するだけでは、新しいものが得られない。既存の価値観や思い込みをいったん無視して、できるかぎり自由に、根本から考え直してみる、そういう自由な実験と体験(試行錯誤)を積み重ねる中から、新たな知見が得られる可能性がある。こういった実験をやれるのは大学生という境遇ならではのメリットだから、それを最大限享受する」という感じ。
 つまり、「実験とフィードバック」という理工系的な精神性と、「物事を多面的に思考する訓練によって自身の思考を掘り下げ、他者を受け入れるキャパシティを拡張し、そして新たなアイデアを作り出す方法論を獲得する」という哲学的姿勢がそこにある。「○○だと言われているが、それは本当に正しいのか?」「○○というルールがあるが、それは妥当なのか?」といった疑問を堂々と提起し、その問に真剣に取り組んでいくのだ。
 中には、「おかしなことをやってみる」、「あえてバカなことを試みてみる」というのもあるが、それは型に嵌まった反応を脱して自分の思考を自由にさせていくための手段、あるいはウォーミングアップのようなものだ。あるいは、そういった愚行をお互いに定期的に繰り返すことで、大胆な実験をしても白眼視されず、安んじて受け入れられるような環境を形成しているとも言える。
 もちろん、単なるいいかげんな疑問の提起だけで終わってはいけない。問に対して、正面から全力で取り組んでいくのだ。東大系が華やかな空中戦とスピーディーな物量戦で議論を展開していくのに対して、京大系はしばしばクラシカルに、きわめて地道な精読と丹念な検証を重んじる。東大系の研究者が最先端の議論を最速で摂取し紹介し応用していくのに対して、京大系の研究者は精緻で堅固な議論によってそれを根本から問い返していく。「きっかけとなるアイデアは自由に、そして、その妥当性を確かめるのはロジカルに慎重に」というのが、こうした知的姿勢の理想的な形態だ。もっと言えば、「固定観念にあぐらをかくのではなく、物事を根本から考え尽くす」ということだ。
 タテカン(立て看板)や大学祭NFの統一テーマ(キャッチコピー)に見られるように、「バカをやる」「変なことをやってみる」という気風は確かにあるのだが、そういった姿勢が、ある種の学生文化として長く続けられているのは、その背景に合理的判断と知的誠実と実験精神があるからだ。
 ただし、そういったバックグラウンドは外部からは窺い知れない。それゆえ、「バカなことをして時間を空費している」とか「反社会的な言動で粋がっている」と見られてしまうのも仕方ないと思うし、そういった無理解を残念だと思う。

 そうした中で、私自身は――学部を卒業してかなり経つが――ずいぶん穏健な部類に属する。突飛で斬新なアイデアを着想するのは、けっして得意ではないし、懐の広いグランドセオリーを作り上げることもしていない。しかし、
・その都度の新しいフロンティア的ジャンルに取り組んで、
・他領域で蓄積されてきた知見の中から、有益な知識や視点を導入しつつ、
・それなりに時間を掛けて、穏健で妥当な体系的展望を跡付ける、
ということは、それなりにやれてきたかと思う。具体的には、美少女ゲームに対して演出論の視座を持ち込んだり、ガールプラモについては歴史的展望のための基礎資料を作ったり。つまり、ハイカルチャーの議論が及んでいない領域で、他の人があまりやっていない(アカデミックで地道な)アプローチを試みて、そして人々が利用できそうなツールやデータを提供するところまで進める。そういうことが多少なりとも実現できていたらと思うが、どこまで出来たかは分からない。


 アニメ『ネガポジアングラー』第5話。残念ながら、ハズレ回。顔アップでひたすら説明台詞を釣瓶打ちするので情緒が無いし、レイアウトにも美しさを感じない。顔を映さない後頭部のまま喋らせるという無策カットも散見されるし、不自然に絵が止まってしまう箇所もある。本当に上手いコンテであれば、引き締まったレイアウトで場面ごとのムードを鮮やかに表現したり、止め絵でも映像的な流れを維持するように構成できるのだが……。コンテ担当(室井氏)は、90年代からのキャリアのある方なのに、とにかく退屈で味気ない。ついでに、今回フィーチャーされたキャラクターの喋りも、甘ったるい媚びが強くて苦手(※声優は土屋氏)。
 第4話までは、コンテの洗練と遊び心、そして会話シーンでも間(ま)の取り方などが巧みで、映像作品として見応えがあっただけに、今回の安っぽさは本当にもったいない。次回以降は持ち直してくれることを願うばかり。
 良いところも指摘しておくと、中割りの作画はかなり意欲的に、面白い絵を入れている。そういう現場の情熱は、確かに見て取れる。ただし、コンテの拙さを作画で挽回するのは難しい。
 ストーリー面では、どのような位置づけになるだろうか。ポジティヴに「主人公が身銭を切って、趣味の世界で自分を誇れるもの(道具)を手に入れた」となるか、それともネガティヴに「主人公は趣味の世界でも、散財しつつ道具マウントで自分の価値を確保しようとする」となるのか。



 10/25(Tue)

 個別記事を作るほどのキットではないのだが、ちょっと面白い状況の写真を撮れてしまったので、せっかくだからと紹介記事っぽくした。橘猫工業そのものに対して好印象を抱いているのもある。もっと言えば、橘猫(オレンジキャット)のクオリティに対して信頼感を持っている。ただし、ガールプラモに関しては、わりと不可解なアプローチのキットを出してくるのだが、それはそれで愛嬌のうちだと受け止めている。
 SF小説『三体』に登場する宇宙船「自然選択号」をプラモデル化するという、大胆にして刺激的なキットも出してくれるし、自社オリジナルロボット「イクスクレア」ではユーザーの意見を取り入れて関節改修をしてくれたりする誠実さもある。たまにミスをすることもあるのだが、ミスを機敏にフォローしていくので、「頭の良いドジっ子」、「優秀だがたまにボケる」、「上海シティボーイのくせに、たまに抜けたところがあり、それでいて最終的にはスマートにリカバーする」という、たいへん魅力的なキャラクター(?)として認識している。


 アニメ『ネガポジアングラー』第4話。日常回にして、ヒロイン「鮎川ハナ」をフィーチャーした話で、終始リラックスした雰囲気で物語が進む。しかしこのヒロインは、髪型が記号的で、意志的な上向き鼻筋で、両目を大きく開いていて、堂々とした腕組み仁王立ちが似合うあたり、やはりGAINAXアニメでバトルをしていてもおかしくないキャラに見える。
 今回はOP(主題歌)を省略しており、尺の余裕を持った本編はゆったりとした時間感覚で進行している。その一方でED映像は、前回まではビル街の遠景を映していたのが、今回はキャラクターたちの生活風景を描いた素描の集まりになっている。この回だけの特殊な処理なのか、それとも第5話以降もこれで行くのかは分からないが、本編進行が周囲の人間関係に着地しつつあることを感じさせるという意味で、ちょうどタイミングの良いアレンジになっている。
 デフォルメ顔の多用や、動く猫耳(?)など、遊戯的なアニメ演出もふんだんに投入されている。情趣のあるギターBGMも、映像の抑揚に寄り添いつつ、時には遊び心を差し込んできて、たいへん心地良い。


 漫画版『第七王子』の石沢氏は、週刊連載なのにここ数回は30ページ超が続いていて、しかもフルカラー作画で、そのうえ細密武器を描きつつバトル展開とは……いったい何なの、何が起きているの……。アシスタントも無しの完全独力の作業とのことだが、ここまでやれるのか……。


 上で言及した宇宙船「自然選択号」のプラモデルを店頭で買ってきた(約6000円)。おお、これは良い……。小さくて細密なパーツがぎっしり詰まっている。後部噴射口にはLED発光ギミックも用意されているようだ。中国人作家の小説『三体』に登場する宇宙船なので、上海所在の橘猫工業にとっては「お国もの」コンテンツを出せるという嬉しさもあっただろう。
 ハイディテールなSFプラモデルは良いよね……。BANDAIがリリースしていた『STAR WARS』キットも、BANDAI全力の超細密モールドが凄まじい迫力だった。メビウスモデルの『2001年』関連プラモデルは、高額だったので購入を控えてしまったが。ガンダム関係ではMG「ボール」が、SFメカとしての側面を掬い上げた傑作キットだった(※内部のトラスフレームなどを組み込んだ3重構造が、あの球形の中にぎっしり詰まっていた)。
 この「自然選択号」も、サイズそのものは23cmとのことで、一般的な艦船模型よりも小さいくらいなのだが、ランナーのボリュームは並のシップモデルよりもはるかに多い。ディテールに手を加える余地は少なそうなので、丁寧に組んでからスミ入れで引き締めるくらいで十分かな。
 ちなみに、私が買ったのは、おそらく通常版。初回版(?)には認識票や特典冊子のようなおまけグッズが付属していたようだ。

 塗装予定のプラモデルは、まずはお風呂に入れる。つまり、離型剤を落とすために、ランナーのまま温水+食器洗剤で漬け置いてから、歯ブラシでひととおり洗浄する。現代のキットでは、あまり離型剤は使われていない(?)ようだが、特に海外キットはどのように製造されているかの情報が乏しいし、万一吹きつけが弾かれたときは大変なので、すべて洗浄することにしている。


「ソフィエラ」関係でいろいろ見て回っていて、大きなコウモリ羽根が欲しいという話をお見かけしたので。コウモリ(っぽい)パーツだと、私が知っているのはVOLKSのビルドパーツくらいかな……。写真は「ヴェルルッタ」「ドラセナ」への装着例。

 上記パーツは、VOLKSの「ブロッカーズ ビルドパーツセレクション02 D-ドラゴン[ウイングランナー](ブラックver.)」。一商品で片羽根だけなので、990円×2枚=1980円。市販の「コウモリっぽい」単独売りパーツは、管見の限りではこれしかない。ただし、難点も多い。
 1: そもそもコウモリ羽根ではなくドラゴンウイング。それゆえ、かなり武骨な造形で、ディテールも粗く、コウモリのようなミステリアスな優美さは無い。造形がシンプルすぎて、これ以上は手の加えようがないのも、いかにももどかしい。とはといえ、ドラセナの獰猛な雰囲気には似合っているし、「悪魔っ娘」キャラであればドラゴン寄りでも大丈夫かと思われる。このあたりは個人の許容度とコンセプト次第。
 2: 大きくて重い。羽根がかなり分厚くて重いので、ヴェルルッタだと自立できないほど。サイズもなかなかのもので、左右の羽根を最大まで広げると横幅30cmになる(※これはメリットとも言えるが)。30MS「イルシャナ」のような小柄キャラだと、本体が羽根の存在感に負けてしまう。黒一色の大きな平面なので、下手に使うとのっぺりした大味な印象になってしまうのも難しいところ。骨と皮を塗り分けても良いかも。下記写真のように、基部のワンパーツだけにして、小さめの羽根として使うのでも十分かも。
 3: 成形色は、VOLKSお得意のラメ入り。なので、キャライメージの想定によっては、ミスマッチになる可能性がある。場合によっては、塗り替えてしまった方が良いかも。
 4: これ単体では、取り付けが難しい。間に噛ませる接続ジョイントを別途入手しておく必要があるし、しかもVOLKS独自規格の4mm軸なので、削ったり変換軸を使ったりの手間も掛かる。また、背面に装着するので、ロングヘアのキャラクターには取り付け困難。
 5: VOLKS専売なので、入手性にも難あり。通販サイトAにも出ているようだけど、それ以外の一般模型店などで実物のクオリティを事前確認できないのは、あまり嬉しくない(※VOLKS実店舗も、店員さんの対応があまり良くないので、気が進まないのだけど……)。VOLKS店頭在庫は、現在でもたぶん潤沢にある筈(※発売は昨年7月)。

 ヴェルルッタの羽根が小さくて寂しかったので取り付けたみたものの、「悪くはないけど、ちょっと大味でびみょー……」という感想になってしまい、結局すぐに仕舞い込むことになった。それ以外のガールプラモでも、似合いそうなのは上記「ドラセナ」「イルシャナ」と「ネヴィリア」(未購入)くらいで、使いどころは案外少ない。
 とはいえ、ド派手に広がるパーツはとてもキャッチーだし、全体のシルエットも劇的に変わるので、使い方次第ではうまくやれそうなポテンシャルは感じた。ブラックではなくホワイト版を買って任意の色で塗装したら、何かしら面白い視覚的効果を演出できるかも。

 ソフィエラに使うとしたら、コウモリ羽根よりもカラス羽根の方が似合うかも。同シリーズの「ビルドパーツセレクション10 G-フェニックス[ウイングランナー](ブラックver.)」は、税込1155円×2つ=2310円也。こちらの方は、あまり平板にならず、軽やかな装飾的効果も見込めると思う。あるいは、羽根だけならば、「エンジェモン」から毟ってくるなり(2750円で6枚)、「ルミティア」から頂戴するなり、将魂姫「諸葛亮」のを複製するなり、他にも調達手段はある。
 あるいは、ちょうどハロウィンの時期なので、百円ショップなどで適当なコウモリグッズを見繕ってくるという手もあるかも。ただし、ちょうど良い品に出会えるかどうかは分からないし、素材感の違いが出ないようにアレンジする必要がありそうだけど……。
 コウモリ羽根くらいであれば、自作も視野に入ってくる。骨組み部分は適当な余剰パーツなどから作り上げて、そこにプラ板を張り付けていけば、それっぽい形を作るのはそれほど難しくはないと思う。強度確保と左右対称に留意しておけば、なんとでもなる筈。

イルシャナ君に装着すると、明らかに「服に着られている」(装備パーツにキャラが負けている)感じになってしまう。小悪魔キャラの演出であれば、ヴェルルッタやソフィエラのような小さめのコウモリ羽根で十分だと思う。
 羽根は2パーツ構成なので、基部側の1パーツだけでも、羽根のシルエットとしては成立する(写真下側)。微妙に物足りないが、シルエットを変える目的であれば、このくらいで十分かも。

 ヴェルルッタ(2022年11月発売)は、金色パーツと宝石のところを部分塗装しただけだったかな。肩回転構造をキャラデザに組み込んだのは秀逸だし(※白い襟元パーツのところで回転する)、各部の造形も繊細なのだが、きれいにまとまり過ぎていて手を入れるところが乏しく、ただ組み立ててそれで終わりにしてしまった。あの巻き貝ランスを塗り分けても、あんまり面白くならないだろうし……。
 それに対して新作のソフィエラは、SNSでのモデラー評価などを見ていると、「造形の緻密さはそのままに、手を入れてクオリティを上げられる箇所が多くて抜群に面白い」という感じのようだ。大胆な色変え塗装を試みたり、金属色の質感表現をアピールしたり、要所に色を足して引き締めたりといった動きが、ヴェルルッタの時よりも多く、いろいろと参考になる(※しかしそれゆえに、上記のドラゴンウィングを背負わせたら、ディテールの落差が大きくて不格好になりそう……)。


 今日は、眼鏡度入り描写をしている漫画を2つも見つけた。善哉善哉。


 そろそろ来年の趣味生活も考えておきたい。今年は1/350艦船を作っていないので、来年は1隻以上完成させたい。『ゆのはな』の春日さんに敬意を表して、そろそろイタリア艦を手掛けるべきか……(※1/700では制作したことがあるが、カラーリングがちょっと面倒なので手を拱いている)。ガールプラモに関しては、
◎11月:セタリア (VOLKS)。軸問題の確認も含めてリトライ。
△11月:ラーニア リラックス(DA)。店頭で買えたら買う、くらいの気分で。
○01月:壱early (PLAMAX):たまには買って出来具合を確かめたい。
◎02月:hydra (chitocerium)。マンネリ気味だが、このシリーズにしかない雰囲気があるので。
○02月:ソウレイ (30MS):構造面の試行錯誤と進化が著しいシリーズなので、定期的に買う。
○02月:時雨改三 or トキ (PLAMATEA)。買ってみてクオリティを確かめたい。
△02月:プルツー (FRS)。店頭で買えたら買うかも。
このあたりは買うつもり。それ以外にも、店頭でカジュアル買いをしたり、海外キットを買ってみたりすることもあると思う。

 ガンダムシリーズは詳しくないが、プラモデル化するなら、シーマ様を出してくれないかな。軍服ガールは珍しいし(※すでにFRS「レーナ」もあるが)、体格の良さとゴージャスな迫力で、ガールプラモの中でもとびきりの存在感を発揮してくれるだろう。できればパイロットスーツ形態とのダブル素体、いや、「月にコロニー落としちゃうよ?」の私服姿も含めたトリプルボディで、そのうえMG「ゲルググマリーネ」を新規開発して同梱発売してくれたら嬉しい。(どこまで高望みするんだ……)



 10/19(Sat)

VOLKS「ルピナス」。今年発売のガールプラモの中で、キャラデザは一番好みかも。両肩の回転軸の構成も、ガールプラモ史上、最も洗練された解答だと思う。頭髪はパールコート、それ以外はツヤ消しコートのみ。
お供のオオカミメカ「リュカオン」とともに。ガール本体はトップコートのみ、ケモメカは全塗装で制作。

 実を言うと、オオカミメカは、トップコートを吹いたら盛大に白化してしまったので制作断念しかけていた。意を決して全塗装で取り組んで、完成させた次第。

 VOLKSのキットは、いずれも長所と短所がはっきりしているのだが、この「ルピナス」はそれが最も極端に出ていた。
 美点は多い。舌出しフェイスという目覚ましい個性。頭髪表現の完成度。両肩の回転軸をキャラデザに組み込んだ対処法。VOLKSとしては初めて(?)、例の「×」字接続穴を排除して、きれいな見栄えを実現してくれたのも嬉しい。健康美のあるショートパンツも、ガールプラモとしては初めてではなかろうか(※ただしスパッツキャラは、すでにいくつか存在する)。素体腕と武装腕の2種類が入っているのもありがたいし、足元部分が爪先と踵側の両方とも可動するというのも面白い。掌パーツの造形も、ガールプラモとしては桁違いにリアル(※この点はさすがのVOLKSクオリティ)。ランナー構成としても、一部にアンダーゲートを採用したり、これまで以上にスライド金型を利用したりして、モデラーへの配慮を頑張ってくれているのが見て取れる。
 お供メカも、「FIORE」シリーズとしては最高の出来映えだと思う。ただし、これまでは「巨大武器(※ローズ/リリィ)」、「SFメカ(コスモス)」、「エイリアン風(ドラセナ)」、「変形ロボ(アキレア/ロベリア)」と、大したものが無かったのもあるし、四つ足の獣タイプという、失敗しようのない無難なデザインのおかげでもあるが。各部の機能性や意味づけが明快でキャッチーだし、可動構造も(ぎこちないながら)ひとまず合格で、変形もさせやすい。

 それに対して欠点もあり、しかもかなり致命的だった。最大の問題は、パーツ精度。というか、各部の差し込みピンやジョイントのシャフト部分がいずれもギチギチに固くて難渋した。固いどころか、そのままでは差し込めないところも多く、パーツの径の設定を間違えたのではないかと訝りたくなるくらいで、ほぼ全ての軸をいちいち調整する羽目になった。この嵌め込みの異常さは、残念ながら、今世紀のガールプラモでも最悪クラスだと思う。公式ブログでは、組み立てに際していくつかの注意点を示唆しているが、そんなレベルではなくて、全てがひどかった。いったい、どうして……(※なお、私の場合は、受けの穴側を削るのではなく、差し込む棒側の側面をデザインナイフで適宜えぐって、四角柱や六角柱になるようにして、摩擦面を減らすようにしている)。
 また、パーツの嵌め込み、とりわけ股関節の隙間から素肌色が見えてしまうのは明らかにおかしい(※塗装すれば解消できるが)。ほんの少し屈めるだけで背中に大きな隙間が出来てしまうのも、FIOREシリーズの悪癖と言える。
 しかし、上述のとおり、キャラデザも新鮮味があるし、パーツ構成のアイデアも非常に良く出来ているので、軸調整の大失敗がとにかく惜しい、惜しい……。ヴァリエーションキット「セタリア」が来月に発売されるが、軸問題が修正されていたらいいな……いずれにしても買うつもりだけど。
 セタリアはセタリアで、ホットパンツから覗く褐色肌のヒップは、ガールプラモとしてはトップクラスにセクシーに見える。ルピナスが都会的にファッショナブルな「野性味」キャラなのに対して、セタリアは日焼けした本物の「野生児」キャラという感じだろうか。そして、やはりこれもおバカキャラ路線になりそう

 ジョイント部分などのパーツ精度は、「ドラセナ」が最も安定していた(※あくまで個人的な体感で、個体差や気温条件などによって異なる可能性がある)。それ以前はユルユルで、「コスモス」「ローズ」もグラつく箇所が多く、とりわけ最初期の「プリムラ」系統はポリキャップ使用もあって論外の低クオリティだった。もっとも、キャラクター性や表情の豊かさという意味では、どれも十分に魅力的で、総合的には満足のいくキットばかりだが。

 ルピナスのような「行動的なおバカ能天気キャラ」は、フィクションの中ではかなり好きな属性。個人的には、『あずまんが大王』の「神楽さん」あたりまで遡るキャラクター類型。
 関連しがちな特徴を挙げると、「外ハネのショート」。「スポーツが得意(だが、そちらに打ち込むほどではない)」。「フリーダムだが、無軌道というほどではない」。「行動的だが、リーダー気質というわけではない」。「周囲に対しては友好的で、基本的にお人好し」。「しばしば抜けているが、ボケキャラというほどでもない」。「少年のような精神構造」。「悪意が無く、享楽的な性格」。「色気も無いが、中性的というほどでもない」。尖った特徴に振り切れることが無く、そこそこバランスの取れた賑やかしサブキャラになりがちだが、嫌味がないし、見ていて気持ちの良いキャラ。


 ちょっと気が早いが、2024年のガールプラモ回顧を書いてみた(※リンク先記事の末尾)。さしあたり、
 1) 高額志向とコンパクト志向の二極化(1万円超えのキットも増えてきた)、
 2) キャラクタービジネスの本格進出(既存キャラのプラモデル化)、
 3) 海外キットの大サイズ化(これはまだ曖昧)、
 4) 小柄キャラと男性キャラ(単なる偶然かも)、
という4点を挙げてみたが、うーん、だいたいこんな感じかなあ。それ以外に、何か大きな論点はあるだろうか。
 2024年は、Dark Adventとchitoceriumの新作が出ていないのが寂しい(※DAは11月に「ラーニア:リラックス」、chitoceriumは来年1月に新作発売の見込みだが)。Aoshimaの「合体」シリーズも途絶えた……が、まあ、あれは仕方ないか。
 ガールプラモが1万円を超えたのは、VFG「クラン・クラン」(2020/12、税込10780円)が初めてかな。KOTOBUKIYAの「ガオガイガー」(2019/06)は、税込9900円とぎりぎり。その後、「兼志谷シタラ:ガネーシャ」(2021/04、税込16280円)、AOSHIMA「合体アトランジャー」(2021/05、9680円)、「朱羅:玉藻ノ前」(2021/07、10890円)、「金潟すぐみ」(2021/08、10450円)、「皇巫 スサノヲ」(2022/01、12100円)、VFG「ランカ・リー」(2022/06、10450円)などが続き、1万超えキットも普通のものになってきた。言い換えれば、大台超えはメガミデバイスとAOSHIMAばかりということだが。


 キャラクタービジネス化は、ガールプラモ分野にとっては、創作的観点でも商業的観点でも危険だと常々思っている。

 1: 創作的観点。これまでのガールプラモ界は、他に依存しないオリジナルキャラを作り出せることに強みがあった。典型的なのはメガミデバイスだが、FIOREも、chitoceriumも、Dark Adventも、Guilty Princessも、優れたイラストレーターを起用して、オリジナルデザインのキャラクターを創造してきた。意欲的な実験のできる、自由なフィールドであること。新しいものが出てくるという期待を持てる、最先端のフロンティアであること。そして時には、Nidy氏のように新たな才能を発見/発掘したこともあった。少なくとも私は、そうしたクリエイティヴな気風に、大きな魅力を見出してきた。
 だが、既存コンテンツのキャラクターをプラモデル化するとなると、審美的な評価よりも市場的な評価が優先されてしまうだろう。つまり、「優れたキャラデザであること」ではなく、「人気キャラであること」、あるいは「人気作品のメインキャラであること」。そういった無難志向の評価尺度が、多かれ少なかれ重視されてしまう。私は、そういう市場原理に屈従したくはない。市場ベースではなく、クオリティベース、魅力ベース(立体物造形において可愛らしさを引き出せること)、技術ベース(例えば可動ギミックに適したキャラデザ)であってほしい。

 1-a: 技術的観点。既存キャラをプラモデル化するという無難志向には、もう一つの問題がある。人気のあるキャラクターは、往々にしてアニメやゲーム出自のキャラクターになるが、アニメ版デザインをベースにしたキャラクターは、アニメの絵で動かせるために、どうしてもディテールが物足りなくなる(例えば、BANDAIの『水星』キャラのキットと、KOTOBUKIYA「マガツキ」やchoticerium「platinum」などを比べれば、そのディテール密度の落差は明らかだ)。
 さらに、組み立てプラモデルとしてのパーツ分割という条件がもまた、取り込めるディテールを制約する。例えば「めぐみん」を、完成品figma版とプラモデル版で見比べれば、衣服の皺表現の立体感や、スカートの模様の細やかさに、顕著な違いが見て取れる。つまり、他領域のキャラデザをそのままプラモデルに持ってくるのは必ずしも容易ではなく、プラモデル化のためのチューニングが必要になるのだ(※あるいは、ディテール省略したり、塗装済みパーツなどで高コスト化したりすることになる)。それは結局、立体物としての完成度を引き下げるリスクを生む。

 2: 商業的観点。アニメマネーと関連グッズを中心としたメディアミックス戦略は、必ずしもプラモデル分野の生産構造や市場形態には適していない。
 一つには、プラモデル製造には、「企画立案>キャラデザ>原型制作>金型製造>大量生産>販売」の長大なプロセスを要する。つまり、販売までに時間が掛かるということであり、メディアミックスの「旬」に合わせるのがきわめて難しいということでもある。また、金型費用もかなりの負担になるようで、おいそれと簡単に作ることはできず、小回りが利かないというのもプラモデル製造に特有の事情と言える。つまり、プラモデル分野がメディアミックスに上手く乗っかるのは、おそらくかなり難しい。
 また、プラモデル市場そのものの特性もある。先述のように、プラモデル製造は多額の初期投資を求められるし、その一方で、店頭の占有競争もそれほど厳しくはない(※いや、競争はあるのだが、その都度の新作の数には限りがあって、例えば書籍のような回転の速さはない)。
 それゆえ、プラモデルは基本的にロングテールの売上を重視するだろう。言い換えれば、短期的な売れ筋になるだけではコスト回収できない虞がある。スケールモデルが典型的だが、それ以外のジャンルのプラモデルでも、オールドキットが長期間店頭に置かれて定期的に購入されていくのは、ごく普通の風景だ。
 ところが、既存コンテンツのメディアミックスに乗った商品は、ひとたび流行が退潮すると、まったく顧みられなくなる(※その場合は、悪い意味で、店頭に残り続けることになる)。そうしたリスクを考慮して、模型メーカーは、あえて原作の無いオリジナルプラモデルに取り組むことがある。その代表例が、KOTOBUKIYAの「フレームアームズ」「HEXAGEAR」シリーズや、BANDAIの「30 MINUTES」シリーズであり、そして2010年代ガールプラモシリーズの大半も、原作の無いオリジナルキャラ路線を進んできた(※BANDAIとHASEGAWAを除く)。とりわけガールプラモ分野は、ガールキャラの魅力そのものによって売れるので、この長期セールス戦略との親和性が高い(※あえて原作を付けないことによって、シリーズの盛り上がり維持するという戦略は、たしか30MMの企画インタヴューなどでもはっきり述べられていた筈)。
 それに対して、原作ありきのキャラクターになると、「原作ファンを取り込めるが、その層がひととおり購入した後は、途端に売れなくなる」ということになりがちだろう。原作を知らない者にとっては、「よく分からないキャラ演出パーツがある」「キャラクターイメージに特有の色が付いていて近寄りにくい」といった意識を持ちやすい。また、原作由来の思い入れブーストが無いので、キットのクオリティを冷静に評価し、出来が良くなければ手を出さないままに終わる。
 これらを解決するには、「旬のメディアミックス」ではなく、「人気の確立されたキャラクター」に向かうことになるだろう。実際、KADOKAWAプラモ(KPMS)の「めぐみん」の原作は2012年発、「御坂美琴」の原作は2004年に遡る。『とある』シリーズは現在も連載継続中ではあるが、それでもやはり、「20年前からの古いキャラ」であることに変わりはない。ガールプラモ分野は、10年代後半以降に興隆してきた最先端ジャンルであった筈なのに、それが昔ながらのキャラたちの懐かしリバイバルの舞台に変えられるというのは、なんとも微妙な気分にさせられる。……あっ、いえっ、御坂美琴は好きです。名優・佐藤利奈氏が演じていることもあるし。
 なお、原作ファンにとっても、「原作イラストに似ていない」という理由で敬遠される可能性がある。アクスタやクリアファイルであれば、イラストをそのまま流用したり、ほぼ同等のクオリティのイラストを使ったりすることができるが、それを立体物にするとなると、キャラクターの雰囲気を再現するハードルは非常に高くなる。前髪や鼻筋表現のように、二次元の嘘をどのように解決するかという問題も出てくる(例えばブラック・マジシャン・ガールの前髪の向き)。

 これらの一連の事情に鑑みて、私としては、ガールプラモ分野はオリジナルキャラ路線を維持する方がはるかに豊かに、そして高いクオリティのキットを提供できると考えている。それに対して既存キャラクターの立体化は市場的にも品質的にも大きなデメリットがあると考えられるので、近時のキャラクタービジネス化(メディアミックスへの取り込み)に対しては強い懸念を抱いている。

 個人的な予測としては、おそらく現在のガールプラモ市場は、潜在的なオタク顧客をほぼ取り尽くしており、既存キャラクターをプラモデル化しても、市場のパイはたいして拡大しない。その一方で、既存キャラのプラモデル化は、各キットを息の短いものにしてしまう(つまり、ブームの旬を過ぎたら売れなくなる)。それは市場を不安定なものにするだろう。もっと具体的に言えば、売れない在庫によって小売店がダメージを受けたり、ガールプラモコーナーが縮小したりするリスクがある。旧作キットの大量の店頭在庫が、ポジティヴな「ロングテールセールスを享受している商品」なのか、それともネガティヴな「旬を過ぎた不良在庫」であるのかは、一概には判断できないが……。
 なおかつ、クオリティ面で見ても、プラモデル化に適さないキャラが、ガールプラモとして中途半端にキット化されていく危険がある。実際にも、原作ポーズを再現するために作為的に太腿が折れ曲がるキットや、原作再現のための過剰な差分パーツを含んだキットが、すでにいくつも現れている。

 模型分野に限らず、現代オタクビジネスのメディアミックス戦略は、金に飽かせた原始的な宣伝攻勢アプローチにすぎず、往々にして考え無しの闇雲なコンテンツ取り込みのように映る。また、00年代以来の「推し」産業化の影響下にもあって、企業が消費者の行動をコントロールしようとするのにも辟易している。そういうものから逃れた、自由で創造的な趣味の領域であってほしい。


 アニメ『ネガポジアングラー』第3話。絵の動かし方がかなり好み。キャラクターを動かすときに、ブレのコマ(つまり残像のようなアレ)を中割で挟むのは、アニメの表現文法としてはちょっとレトロ感があるが、勢いがあって気持ち良い。キャラクターの身体をほどよくデフォルメで崩しつつ、全身運動の力感(あるいは脱力感)を表現していくところも上手い(とりわけ序盤の、電車に駆け込むまでのシークエンス)。ロングショットのカットも、空間性を強調したり、長回しで使ったり、大胆な真横レイアウトだったりしてユニーク。
 また、仕掛けを放り込む(投げる)ときの放物線の美しさや、魚が掛かったときの棹の複雑な力学的動作も、かなり難しい作画だと思われるが、私のような釣り素人にも雰囲気が鮮やかに伝わってくる。よっぽど上手く作画しなければ、なかなかこうは行かないだろう。ストーリーに関しては、今回のサブタイトル「心のこり」も、複雑な含蓄があって良い(※どうやら躑躅森のリールは、弟の形見の品のようだ)。
 [ https://natalie.mu/comic/pp/np-angler ]:この記事でも語られているとおり、東京のビル街を背景にした「大都会+釣り」というシチュエーションも、「自然+釣り」という通念をひっくり返していて視覚的な新鮮味があるし、都会夜景の情緒も取り込みつつ、近代的建築と深い海原とのコントラストが明確化されるという意味でも面白い効果を挙げている。釣り趣味は、「大都会の片隅で、世の中の上を見上げるのではなく足元に目を向けて、目の前の楽しさに心を傾けて純朴に暮らす人々」を表現する機能も担っているようだ。
 主演の岩中睦樹氏は、陰々滅々としたキャラクターを演じながら、愛嬌のあるところをわずかに滲ませてくるのが良い。相方の石川界人氏も、一見硬質な声色で、キャラクターの感情のはっきりした手応えを表出しつつ、同時に懐の広い柔らかさも兼ね備えている。ヒロイン役のファイルーズあい氏も、活きのよい感情をたっぷりと芝居に乗せつつ、全体としては非常に明晰なアニメ発声をしている。

 個々のアニメを見るかどうかは、まずキャストで選別している。優れた声優は、その芝居によって作品全体の航路をはっきりと指し示して、視聴者を的確に導いてくれる。個々の台詞に込められる情緒の深度やニュアンスの精度も、ピンキリで全然違っている。人気声優でも、残念ながら、平板で型通りのキャラクターパターンから一歩も出ていないものが少なくない。それに対して、本当に優れた役者は、台詞の細部の機微にまで神経が行き届いていて、言葉に深い説得力があるし、文字だけでは想像もできなかったような鮮やかな情緒や力強い意志を感得させてくれるし、キャラの台詞単体だけでなく状況全体の成り行きを踏まえた演技によって視聴者の理解をきれいにリードしてくれる。「この役者さんの芝居についていけば絶対に大丈夫だ」という信頼感のある声優が、私の中に何人もいる。


 上のルピナスについて、SNSで反応をいただいておりました。ありがとうございます。
 軸の固さは、ショットごとの個体差だった可能性もありますが、ほぼ全ての軸がきつかったので、例えば季節(気温)によってプラが微妙に膨張/収縮していたのかもしれません。軸の渋みさえ安定していれば、FIOREシリーズの最高傑作と言いたい出来映えですし、次のセタリアで再確認してみるつもりです。
 ちなみに私は、初回生産の通常版で買いました(※前のロベリア特別版ではクリアパーツが砕けそうになったので、恐れを成して……)。

 背中の胸部-腹部の隙間については、そもそも前屈できないガールプラモも多いので、あまり問題になっていないんですよね。特に30MSは、前後にはほとんど曲がりませんし、さらに「創彩」制服は上半身が一体構成ですし。ルピナスの場合は、なまじ柔軟に前屈できてしまうが故の隙間とも言えます(※ドラセナはバックルが干渉して、そもそも前屈できない)。Block2素体のBusterDollも、前屈を大きく曲げられて、隙間もはっきり露出します(下記写真)。
 AOSHIMAのVFGシリーズが初手から筒状パーツを噛ませて隙間を埋めてみせたのは、本当に慧眼だと思います(※のちに30MS「イルシャナ」も、同じアプローチで追従しました)。FAG最初期のキットは、凹型腹部の上にU字型胸部を差し込む形で、あれはあれで隙間が出なくて良いなと思っていたのですが、バーゼラルド以降は現行の被せタイプになりました。

FIORE「ルピナス」とMD「Buster Doll ナイト」を、最大限前屈させた状態。これらはさすがに、大きく曲げられるのが凄いと言うべきか……。ただし、ルピナスは上半身を垂直にしても、腹部をS字に突き出しておかなければ背中に隙間が出てしまうので、問題無しとは言いがたいです。
また、一つ前のFIORE「アキレア」「ロベリア」は、写真のように、胸部と腹部のラインがまるでつながっていないレベルで破綻していましたし、「ドラセナ」は上体を大きく反らせるために背中を抉り込んだりしていて、やはりパーツ設計がもったいない……せっかく可愛いのに……。
FAG「アーキテクト(Off White)」。胸部の下側が窄まって、腹部の受け口側に差し込む形にするのは、これはこれで良い解決法だと思うのですが、現在ではほぼ皆無ですね。胸部の下側を広げて、腹部に蓋をする方が、胸部を捻っても脇のラインがきれいに維持できるからでしょうか。


 BANDAIがアノマロカリスを立体化していたのは衝撃的だった(※プラ完成品)。


 昔のゲームをリメイクした場合に、グラフィックは桁違いに緻密でリアルになっているのに、BGMは昔ながらのシンプルなメロディのままというのにギャップを感じてしまう。ただ単に厚みのあるシンフォニックサウンドにアレンジするだけでは、レトロゲーム特有のコミカルなピコピコBGMの癖は解消できない。グラフィック面がCDドット絵からリアル志向の3Dになるのは抗いがたい流れなので、それに合わせてBGMも完全に一新してしまう方が、作品としての統一感や完成度は高まると思う。実際には、元タイトルの原曲をアレンジするのがほとんどと思われるが、そういう忠実性は、作品のクオリティという観点では、かえって足を引っ張るんじゃないかなあ……。


 実写化(TVドラマなり実写映画なり)が嫌われるのは、仕方ないところもあると思う。
 実写擁護論として、「成功した実写版も多い」、「実写化で原作にも利益が還元される」といった主張もあるのだが、個々の作品のファンは、「自分が好きなその作品が、みじめに歪曲される様を見たく(知りたく)はない」と思うだろう。つまり、マクロ(全体)レベルでの成功は、ミクロ(個別)レベルの失敗を埋め合わせるものではない。「自分が愛して止まない作品が、一定確率で汚されるサイコロを振ることになる」と考えれば、実写化を強く警戒するのは当然だろう。
 しかも、そうした冒瀆的歪曲が発生するのは、制作側の構造的事情――例えば「旬のアイドルを起用したい」――に発しており、それゆえ頻発する可能性が高い(※「実写化スタッフがたまたま不誠実だった」というよりも、はるかに悪質で、しかも再発リスクが高く、回避するのも難しい)。そのうえ、発言力(≒資金力)の格差からして、ファンの声で止めたり修正させたりすることはほぼ不可能だ。
 このような状況下であれば、アニメファンや漫画ファンは、「実写化は、最初から全て警戒or反発する」、「優れた実写化タイトルが他に存在しても、それは何の保障も提供してくれない」と考えることになるだろう。実のところ、これらはひとえにTV局側の制作体制に問題があるので、私としても、べつに擁護する気にはならない。
 とはいえ、私は『デビ○○ン』も『キャ○○ーン』も、何かの拍子に観たことがあって、映像美や振り付けなどに面白いところもいろいろあったし、今のところ「好きな作品が汚される」というような経験はしていないので、個人的には、実写化に対する心情的反発は持っていない。それに、特撮分野のように、実写媒体でありながら上手くバランスを取ってクリエイティヴにやれている領域もあるので、そのあたりのノウハウが普及していったり、あるいは二次元文化と三次元産業の間の断絶を架橋していけるような動きが出てくることを期待したい。



 10/14(Mon)

 オリジナルアニメ『ネガポジアングラー』第2話。遊戯的なアニメーションがところどころ面白いし、釣りシーンの動画も美しさと力感を雄弁に表現している。脚本もきちんと筋が通っていて、カタルシスへの導きを上手く構成している。予想外に良い出来で、なかなか楽しい。
 劇伴も、まるでフィルムスコアリングのようにハマっている(※映像に合わせて、後から音楽を作曲すること)……と思ったら、本当に全話フィルムスコアリングで作っているようだ。劇伴担当は菊谷知樹氏で、今のところ、ほぼギター1本だけでBGMを押し通しているのも大胆。
 ただし、音楽に対して台詞の音量が小さくて埋もれがちになるのは、あまりいただけない。例えばヒロインが力強く喋っている場面でも、音声ボリュームが小さくてツヤが出ておらず、迫力に欠ける。明らかに音響監督の失敗だろう。
 作画については、鼻の穴を律儀に描いているのがちょっと珍しい。デフォルメの崩し方といい、「3」字型に唇を突き出す描き方といい、ちょっと昔風のレトロ感を狙ったものかと思われる。また、口パクがたまに合っていないが、このくらいは許容範囲内だろう。演出が充実しているからなのか、23分がやたら長く感じるのも珍しい体験だ。「えっ、これでやっとAパートが終わったの?」という感じ。


 木村氏が、小倉氏の配信にゲスト出演。
 木村さん、人格者だなあ……。礼儀正しい口調をきちんと維持されているし、いきなりのお色気心理テストでも、節度と上品さを保ちつつ、質問には正面から向き合っておられる。つまり、カマトトに逃げたり冗談で誤魔化したりするのでもなく、かといって無節操にえろとーくに乗っかるのでもない。これはなかなか出来ないことだ。懐が深くて、誠実で、それでいて下品さはきちんと避けている。そういう意味で、人格者なのだと思う。


 海外フィギュア「パンプキンプリンセス」(※左記リンクはamiami)がVOLKS店頭に出ていて、「あっ、かぼちゃスカートのデザインが『WAGA魔々かぷりちお』のメリッサ様みたいだ!」と思ったけど、今月は手元不如意なので購入断念した。
 というか、完成品フィギュアは、箱から出して一通り眺めたら、それで満足してしまうので、私としては割が良くない。「購入検討時+購入時+持ち帰る時のワクワク」と、「自宅で鑑賞する数十分」だけのために2万円前後を出すのは、さすがに少々もったいない。プラモデルであれば、ここに「制作プランの構築」と「実際の組み立て作業」が加わるので、完成状態に対する愛着がはるかに強いものになる(※これはプラモデルの強みでもあり、また重たさでもある)。
 とはいえ、トレンド把握の目的もあってたまに購入しているし、特に気に入ったものは机や棚の上に展示しておいて長く楽しむことがあるし、リーズナブルな海外キット(1万円台前半くらい)の場合はなおさら買いやすい。ガールプラモを検索していると、同等スケールの完成品フィギュアが視界に入ってくることも多く、隣接領域としての興味もある。


 新作の宣伝をSNSで告知するのは良いのだけど、その時は出版社(レーベル)も併記してほしい。漫画であれライトノヴェルであれ、レーベルから得られる情報はかなり多くて、価格帯、サイズ(判型)とページ数の見込み、価格帯、内容(お色気表現の度合い)、そして店頭での探しやすさにも直結する。特にライトノヴェルは、背表紙のカラーリングが統一されていることが多いので非常に見つけやすくなる。
 この情報が無いと、メモやブックマークをしておいても、事前に価格等を検索しておく手間が増えるし、発売当日になって店内をうろうろ探す羽目になる(そしてそれが面倒になると、買う気をなくす)。しかしレーベルがあらかじめ判っていれば、「あのコーナーに行けば置いてあるのね」と直行できるし、もちろん既刊も探しに行ける。レーベルを記載するだけの、ほんの数文字の違いで、大きな違いが生まれるのだけどなあ……。
 悪い例は、「○○なキャラの表紙が目印!」(イラスト添付)というもの。作者としては、その○○なキャラに愛着があるのだろうけど、未読の読者にとってはそうではない。そんな曖昧な記憶を頼りにするのはハードルが高すぎるし、しかも店頭で面陳列や平積みをしていないかぎり、表紙は見えないことも多い。PRのノウハウも蓄積している筈なのに、どうしていまだにそんな失敗宣伝をしでかすのよー!(悲)


 月間漫画感想ページの方は、わりと順調にいろいろ書けていて、ブログ運用が上手く行った感じ。ただし、メインの月間雑記(つまりここ)と並行して記事を置くのは、せいぜい1ジャンルだけに留めておきたい。そうでないと、運用上も面倒だし、あまり分散するとメイン雑記が薄くなりすぎるので。
 以前は模型雑記の月間ページを独立に開いていたが、更新ペースが定まらないのと、中身が散漫になりがちだったのとで、途中で止めた。このbloggerサーヴィスの仕様変更で、画像アップロードが面倒になったという事情もある。
 漫画の場合は、「毎月大量の新作があって、定期的に書くことがあり、習慣化しやすい」+「様々な作品を切り分けて個別に言及できる」+「第何巻まで読んだかの備忘録としても役立つ」という事情がアドヴァンテージになっている。今年に入ってから始めたスタイルだが、ひとまずは続けていけそう。裏を返せば、漫画の話をこのメイン雑記に持ち込むとボリュームが大きすぎるので、切り分けなければいけないということでもある。実を言うと、自分がどんな漫画を読んでいるかはおおっぴらにしたくない気質だったのだが、最近では「訪問者も少ないだろうし、まあいいかー」という気分になっている。

 アニメも、たまにしか見ないので、個別ページを作るほどではない。元々、私はまったくもってアニメオタクではない(私のアイデンティティの中に、「アニオタ」は含まれていない。実写を含めて映像趣味としては持っているが)。
 2010年前後に、主に声優目当てでいくらかアニメを見て回ったが、当時はアニメのオンライン配信など存在しなかったし、そこから十年ほどは、たまにDVDセットなどを買って視聴するくらいで、定期的な視聴はほぼ皆無だった。ちょうど魔法少女ものが大ブームになっていた時期で、それにうんざりしていたというのもある(ただし、門脇舞以氏主演の『幻影ヲ駆ケル太陽』[2013]とか、高森奈津美氏&大橋歩夕氏の『放課後のプレアデス』[2015]とか、早見沙織氏の皇女ヒロイン『終末のイゼッタ』[2016]とか、好きな作品もいろいろあったけど)。
 2020年代に入って、今度は異世界もののアニメ化が大ブームになってきた頃に、自分が読んでいた漫画作品のアニメ化が続いて、それをきっかけに、たまに摘まみ食い程度に配信視聴するようになった。『転生したら剣でした』(アニメ版:2022年)も、『異世界のんびり農家』(2023)も、『望まぬ不死の冒険者』(2024)も、『転生したら第七王子~』(2024)も、いずれもネット小説由来のアニメ化だ。
 TV/配信のアニメは、せいぜい週1回の話題になるくらいなので、この雑記ページを圧迫する虞も無い。今後とも、アニメに対しては適当に向き合っていくつもり。

 美少女PCゲームも、定期的にいろいろ買ってプレイしているが、あえて語るべきポイントがあまり出てこない。
 1) タイトル数が減って散発的になり、歴史的な位置づけが捉えにくくなってきた。
 2) ロープライス帯が優勢になっているので、どうしても感想も薄くなる(※とはいえ、ロープラはロープラで、コンセプトが先鋭化することもあるが)。
 3) 大まかな展望や細かな各論はこれまで十年以上を掛けていろいろ書いてきた。
 4) 演出技術などの点でも、大きな変化はあまり生まれていない(アトリエかぐやなどは、システム面もおそろしく古いままだったりする)。
 ただし、SLGの『神楽』シリーズだけは、新作が出るごとにプレイして、攻略記事にも反映させているし、この雑記ページにもその都度短い感想を書いている。


 というわけで今日もいろいろ漫画を買ってきた。毎週10冊読んでも、毎週15冊買っていれば、本は積まれるしかないのよ……。漫画だけでも毎月50冊ほど買っているが、これは、小さめサイズの段ボールで毎月1箱ずつ増えていくくらいの分量になru……えっ? まさか、いや、そんな。いやいや、そんなに買っていたら部屋の収納がすぐに破綻してしまうに決まtt……うぐぅ。もちろんそれ以外も、専門書から文庫本からプラモデルからゲームから映像ソフトからCDボックスまで買い込んでいるので、もうどうしようもないね……。

 今日のジュンク堂の店内BGMで、モーツァルトのピアノ協奏曲20番の中間楽章が流れていて、なんだか幸せな気分になれた。有名な映画『アマデウス』のエンドロールでも使われていて、穏やかな雰囲気の中に、控えめな可憐さと悲壮な中間部が交錯する楽章。


 声優が高齢になっても仕事を続けておられるのは、能力を維持しているという意味でも立派だし、活力を維持しているという意味でも驚くべきなのだが……でも、アニメの役はごく限られているのだし、80歳を超えたらさすがに、後進に道を譲ってあげるべきではないのかなあ……。
 その声優さんは超有名声優としてすでにたくさん稼いでおられる筈で、生活面の余裕はあると思われるし、彼女が手にしているビッグタイトルの役のいくつかを若手声優数人に分けてやれば、それで若き才能たちが何人も救われるだろうし……。たしかに87歳でも現役声優なのは素晴らしいことだし、クリエイター(アーティスト)が何歳になっても表現の最前線に立ち続けたいと欲するのも立派なことだけど、でも、あんまり手放しに賞賛することもできず、モヤモヤする。若手たちと競合して席を奪うことにはならないような仕方で、表現意欲を満足させていくことはできないものだろうか(例えば朗読劇とか、あるいは様々な社会貢献活動と協力していくとか)。



 10/09(Wed)

 今年に入ってから、「胃~之煮」をあまり聴かなくなっていた。以前は毎週必ず視聴していたのだが、その習慣が失われて、数回分まとめて聴くようになっている。
 理由/原因はいろいろあって、「onedriveの仕様変更で使いにくくなった」、「Youtubeがいよいよ嫌いになった」、「今期のタイトルにがっかり」、「宴会収録が完結するまで後回しにした時に、習慣が失われた」、「初回視聴でいきなり概要を書くようにした(=手間を増やしてしまった)」、等々、いくつもの事情が絡み合っている。
 とはいえ、内容(話題)そのものはむしろ昨年よりも面白くなっているくらいで、感心しつつありがたく聴いている。この良きコンテンツを定期的に楽しむ習慣を、なんとか取り戻していきたい。

 Youtubeは、できるかぎり開かないようにしている。どうしても観たいものがあるときは、やむを得ずそこで視聴することもあるが、「わしらもちょっとは火を使うがの」くらいの節制に努めている。
 YTは排外主義を初めとした邪悪な投稿に溢れていて、開くたびにげんなりする。もちろんそんなコンテンツは一切開かないのだが、それでもどんどん視界に入ってくる。人類史上最悪のゴミ溜めの一つと言ってよいのではないか。


1/700高雄型シリーズ。手前(右側)から、FUJIMI鳥海、AOSHIMA愛宕、AOSHINA高雄、PIT-ROAD高雄の筈。今回作ったのはAOSHIMA高雄(新艤装パーツ版)。摩耶も含めて、高雄型の制作は10隻目になる。
こちらもAOSHIMAの更新艤装版「1/700 山城」。機銃、射出機、艦載機/艦載艇などが精密化されているうえ、探照灯はクリアパーツになっている。本体は以前のままと思われるが、スライド金型によるトラス抜きなどの細かな配慮があり、スムーズに制作できた。

 艦船模型の制作比率は、今のところ戦艦33%、重巡23%、空母12%、軽巡9%、駆逐艦8%、現用艦5%、潜水艦4%、その他7%(民間船など)となっている。現用艦と民間船をもっと作りたいが、制作ノウハウが異なる=工程計画にも実作業にも手間が掛かる=積んでしまいやすい、という陥穽でもある。しかし、マンネリになるのも嫌だし、多少の積みプラモくらいは大して負担にならないので、できるだけ幅広いジャンルを意識しておきたい。
 縮尺ごとの制作数を見ると、1/700が8割弱で、それ以上(1/500、1/350、1/144など)が2割強。もとより1/350スケールはキット数が少ないうえ、制作時間が数倍になるので、このくらいのギャップは仕方ない(※私の場合、1/700キットだと、シンプルな塗装組み立てで十数時間、エッチング組み込みで20時間以上。1/350スケールだと、全塗装組み立てだけでも30~40時間ほど、エッチング込みだと70~80時間も掛かる)。


Robox Animation「白露 空戦型」をひとまず組み立て。作業時間は、ランナー塗装1時間、本体組み立て4時間半、武装組み立て2時間くらいかな。サイズは約23cmと、MGガンプラよりも一回り大きい。左記画像のとおり、やたら脚部が長く大きい。
 キャラデザは、白基調と足長ぶりからユニコーンガンダムを連想させるし、太腿のマッシヴな膨らみはエアリアルシリーズ、筋肉質な曲線的構成や頭部の鋭角的印象はバルバトスシリーズなどを想起させる。背面に装着する翼状フライトユニットは、SEED以来のオーソドックスな手法。ここ十数年のロボットデザインを上手く取り入れている感じかな。
 構造面では、「金属ダイキャスト(とPOM?)の骨格」+「内部フレーム表現(※MGの内部フレームのようなもの)+「外装パーツ」という3重構造を採用している。そこまですべきだったのかという疑問もあるが、亜鉛合金(zinc alloy)フレームを芯にしつつディテール面の説得力を確保するには、このくらいの構成は必要なのだろう。両肩は引き出し関節を含めて4重可動になっているし、股関節も左右独立に大きく引き出せる(※最近の「メガロマリア」のような構造)。胴体部分は、前屈や左右スイングができるが、背面に反らすことはできない。その他、胸部などには可動シリンダーも仕込まれている。

 ダイキャスト製フレームを使うのは、ロボットプラモとしてはおそらくきわめて珍しい。しかし、BANDAIの完成品「メタルビルド」シリーズのような合金関節のロボットトイ製品はすでに成立しているわけで、それを簡易化、あるいはプラモデルとのミックスアイテムにしたものと考えれば、しごくオーソドックスなアプローチだと言える。また、中国のロボットプラモには、本作の他にもダイキャストフレームを採用しているものが複数存在するようだ。
 また、関節があらかじめ組み立て済みというのも、KOTOBUKIYAの「フレームアームズ」シリーズ(2009-)やBANDAIの「リアルグレード」シリーズ(2010-)が、すでに存在する。
 しかし、この二つのアイデアを組み合わせて適用し、なおかつ、洗練されたデザインのオリジナル大型ロボットプラモとして結実させたのは、高い評価に値する……と思う。ロボットプラモ分野は詳しくないが、おそらくこういった評価が可能だろう。
 全体としては、大ぶりな肩装甲や、膝の連動可動、袴型装甲など、いかにもガンダムっぽいのが保守的で無難志向に見えるところもあるのだが、全身の引き締まったプロポーションと23cmの大迫力の存在感を楽しめる。手に取った重量感も、本体だけで600g以上ありそうな感じでずっしりした手応えがある。
 塗装について。イージーなランナー塗装で、グロスブラック、ツヤ消しホワイト(TAMIYAインシグニアホワイト)、佐世保グレー(!?)、シルバー、パール(クリアパーツ)で塗り分けた。金色ランナーは塗装済み。ABSパーツ中心だが、ランナー塗装ならば破損しにくい筈。

 ロボットというよりは、生身にメカスーツを着込んだヒーローキャラクターのようにも見える(喩えるなら『Tiger&Bunny』のような)。そう感じるくらい、プロポーションやシルエットを人型ヒロイック体型に寄せている。ただし、個人的には、ロボットはもっと重心が低く安定感のある方が好みだが(例えばGP-02)。

 スミ入れは苦手なので、今回も不使用。スミ入れやウェザリングの難点は、「ツヤ消しやデカールとの相性が悪い」、「ミスった時のリカバリーが面倒」(拭き取っても微妙に残ってしまう)、「いつまでも乾燥しきらずベタつく」、等々。しゃばしゃばの水性塗料でちょっとずつ色を乗せておくくらいの処理は施すのだが、それ以上に大掛かりにするのは、たいへん気が進まない。


「白露 空戦型」の4態。左上は、背面のフライトユニットを装着。立体感と華やかさが増した。
 右上は、武器類もほぼ全て装備した。銃器2本、剣3本、肘ソード2本、フライトユニット、そしてUAVを4つ装着できる。
 左下はデカール数百枚を貼付した状態。イエローの色が増えるのは良いが、両肩のマークは悪目立ちに感じる。
 右下は背面ショット。両翼の下に、UAVを4つ背負っていて派手なシルエット。
上半身のクローズアップ。ツヤ消しホワイト基調なので、写真には不向きだが、実物は複雑な面構成で立体感と密度感が素晴らしいし、合金ジョイントがチラ見えする(金属の輝きが見える)のも魅力的。なお、パーツ精度は合格水準で、ボリュームのわりに組み立てはスムーズだった。
MG「Ex-Sガンダム」と並べて。Ex-Sは約25cmで、横幅もボリュームがある。「白露」は約23cmで、プロポーションも引き締まっている。中国のロボットプラモとしては、あまりゴテゴテしすぎないところが、個人的にはかなり好みに合う。


 秋アニメのメモ。
 『ハイガクラ』は、音声(キャスト)などがあんまり好みではない感じなので、離脱しそう。
 『星降る~』は、少女漫画原作で(※掲載誌はレディス系)、中近東風の舞台。こういった砂漠気候の物語は、『王家の紋章』(70年代)や『天は赤い河のほとり』(90年代)から連綿と続く少女漫画の定番ジャンルの一つで、依然として大きな魅力がある。このアニメは、コンテはなかなか良さそうで、ひとまずはもう少し付き合ってみるつもりだが、脚本や台詞回しは平凡なので、途中で飽きるかも。

 アニメ作品の会話シーンで、台詞と台詞の間に溜めや間(ま)が無くて、ひたすら淀みなく言葉の応酬を続けるようなのは苦手。要するに、「相手の言葉を受け止めて咀嚼したうえで返事をしている」という手応えが無くて、ただ単に予定された台詞を順々に発しているように聞こえてしまう。声優がどれだけ情緒豊かに演じても、その流れの異様さは解決できない。
 これは基本的に、コンテ段階の失敗だと言うべきだろう。そして、ここが失敗していると、後の工程(収録現場)ではリカバーできず、ただただ抑揚が無くてだらしない映像になってしまう。会話の呼吸感や、言語外(言語を発する以前の)ニュアンスを、もっと大事にしてほしい。
 もちろん、例外もある。たとえば、漫才的性格の強いコメディであれば、息をもつかせぬ勢いのあるやり取りにすることで、視聴者をそのスピード感で引っ張っていくこともできるだろう。しかし、そういう特定の演出効果を狙って構成するのでない場合は、緩急のリズムや瞬間的な沈黙の効果も適宜取り入れてくれなければ、のっぺりした会話音声になってしまう。



 10/07(Mon)

 なんとなく昔話?
 漫画家の「こいずみまり」氏は、最近は新作を出しておられないの……かな? 00年代からやたら切れ味の鋭いやさぐれ四コマ漫画を連発していて、いろいろ読んでいたのを憶えている。なかでも「小泉真理」名義の『ジンクホワイト』は、美術予備校もので、繊細な屈折と重い情念が混じり合った印象深い秀作だった。00年代半ば頃からはストーリー漫画に移行して様々なネタで連載されていたが、どれもあまり続かないまま、新作を見かけなくなってしまった。SNSでは、今でもお元気なようだが、残念ながら新作告知等は見当たらない。
 クリエイターものの漫画というと、倉上淳士氏も良かった。世間的には、おそらく「比較的早期から活動していた、萌えキャラお色気漫画家」のような位置づけだと思われるが、一貫してクリエイターものを描き続けてきた意識的な作家でもある。特に『イヴの林檎』は、レディース(しかもSM)コミックの漫画家になった少女主人公の物語で、創作活動のデリカシーと深みを瞥見させてくれる緊張感に満ちた作品だった……いや、表面的にはお色気コメディなのだけど。声優ヒロインをフィーチャーした『C.V.』や、アダルトPCゲーム制作会社の『ぎゃるかん』(※男性主人公以外のスタッフは全て女性)、特撮ものの裏方キャラに焦点を当てた『特撮天使』も、まぎれもないクリエイター漫画だった。この方も、10年代頃にはどこかの電子連載をされるようになって、そのまま新作単行本も見かけなくなってしまった(※SNSでは活発に投稿しておられるようだ)。


 『Kitsune Tails(キツネテイルズ)』という海外ゲームを見かけた。要は『スーパーマリオワールド』風の擬似レトロゲームのようで、キャラクターやBGMはいかにも和風なのだが、紫髪&紫袴(!)の巫女キャラ主人公を初めとして、唐傘お化けはグリーンの天蓋(キャノピー)に赤いスニーカーというモダンな姿形だし、アルマジロキャラ(SMWでいうノコノコに相当するようだ)も登場するという、なかなか刺激的なキャラデザ。海外ならではの混淆的デザインと言うべきだろう。主人公の変身形態も、サメの着ぐるみだったり、ファイヤーウナギ(?)だったりと、かなり面妖なチョイス。
 しかも、この主人公キャラはゲイの狐少女キャラという設定で、クィアゲームフェスティヴァルで銀賞を受賞したのだとか。公式サイトの説明によれば、ラスボスは主人公の元師匠で、複雑な事情があって主人公のカノジョ(パートナー)を幽閉しているらしい。何そのややこしそうな人間関係。


 かなり自由になってきている筈の日本で、しかも最新世代の若者オタクたちが、LNやアニメの人間関係について、今更のように(まるで新しい概念であるかのように)、「ス○ールカー○トだ」「ス○ールカー○トが」と言い合っている風景はかなり苦手で、いつもシラけた目で見ている。
 もっとも、見方を変えると、「ス○ールカー○ト」が単なるフィクション上のガジェットに過ぎないからこそ、気軽に言及できるという側面もあるかもしれない。現代の中高生は、階層的社会関係にはあまり囚われず、分散的(水平的)にコミュニティを作っていることが多いだろう(※かなり想像込みで。少なくとも大学生では、そういうのはほぼ皆無になる。米国だと、大学生になってもそういう意識があるようだが)。

 大学でも、キャラクターものの縫いぐるみキーホルダーをカバンにじゃらじゃら下げている学生はたまにいる。心の中で、「大いに楽しめよ、少年!」と応援しているのだが、さすがに口にはしない。
 有名声優と同じ名前の受講者がいることが、たまにある(※例えば「早見沙織」ならぬ「速水佐織」とか、「門脇舞以」ならぬ「角脇麻衣」みたいな感じ ※あくまで仮の事例)。そういう学生を呼ぶときは、内心ちょっとドキドキする。もちろん、けっして贔屓などはせず、あくまで公平に扱うが。


 学術論文やフォーマルな翻訳書でも、「副詞や接続詞は原則として平仮名」は、ここ十数年でほぼ標準になっている。例えば、「あらかじめ(予め)」、「さらに(更に)」、「おそらく(恐らく)」、「すでに(既に)」など。ただし、「例えば」「改めて」「大いに」などは漢字表記にする人が多いだろうし、一律絶対というわけではない。領域によって特定の表記法が強力に普及している場合もある(※例えば、法令表現の「又は」「並びに」)。
 「できる/出来る」については、私個人としては、本動詞の場合は「出来る」、助動詞の場合は「○○できる」とすることが多い。これは、「制作出来る」「購入出来る」のように漢字が連続しすぎるのを避けるための便宜的なもので、べつに何かしら文法的-歴史的な根拠に依拠しているわけではない。
 いずれにしても、これらは基本的に、文化的-規約的な慣例の問題であって、どちらかが絶対的に正しいということはない。どこかの出版社の校閲部の基準が正しいわけでもないし、ましてや適当な○○ー講師の言うことはほとんど根拠が無い。以前に会ったことのある漢検関係者が、「下さい/ください」の使い分けについて一席ぶっていたことがあるが、それも私には無根拠で恣意的で局所的な慣例要求にように思えた(※私だったら、「出来る」と同じく、「もらう」の意味の本動詞だったら「下さい」で、助動詞的に「~してください」の場合は仮名に開くだろうか。実際には、使い分けはあまり気にしていないが)。


 秋のオリジナルアニメ『ネガポジアングラー』第1話を視聴してみた。しっとりした画面作りで、背景(風景)の質感が良い感じ。絵はあまり動かないが、コンテが上手くやっているので飽きさせないし、水に落ちたシーンの水泡アニメーションなど、見せどころをきちんと見極めてコスト配分しているのが分かる。脚本面でも、主人公の境遇と海釣りのアクションを丁寧に連動させているし、背景も夜間から次第に明るくなってくる(陽が昇る)推移がストーリーの変化と歩調を合わせている。この出来なら、十分期待して視聴していけそう。オリジナルアニメだから、12話(?)できれいに完結させてくれるだろうし(※原作付きのアニメは、中途半端に終わってしまうことが非常に多いので……)。
 ファイルーズあい氏の演じるメインヒロインは、なんだか『キルラキル』あたりに出てきそうなキャラデザだが、性格はまともそうだ(※まさに上村監督はGAINAX出身とのこと。ただし、『キルラキル』そのものには関わっていないようだ)。舞台は現代日本(江戸川区?)だが、戸松遥氏の演じる水色ツインテールキャラはタイ出身、長身の男性も留学生(おそらくアジア系)で片言日本語と、国際色豊かなのが目を引く。さらに、マスク着用の女性キャラは、なんと小松未可子氏。
 気になる点は、劇伴と音声のバランス(※戸外のシーンなのに、音声がやや籠もったようにオフな感じで聞こえた。それとも海上の開けた感じの表現なのか?)。口パクも微妙に合っていない――というか、口パクアニメーションがかなり簡素――に見えたが、現代アニメはこのくらいの水準なのだろうか。まあ、どちらも些細な瑕疵にすぎず、作品鑑賞には問題無いが。

 後は、『ハイガクラ』(10/12から配信開始)を、ひとまず視聴してみる予定。『星降る王国のニナ』も、田中美海氏主演で注目しているが、残念ながら作品そのものとしてはnot for meっぽいのであまり期待していない。
 『甘神さんち』も、京都舞台ということで第1話を視聴してみたところ、モブキャラの京都方言や貴船神社、清水寺と、たしかに京都要素は多いようだ(※メインキャラには、一人称「うち」のキャラクターがいるが、喋りそのものはほぼ共通語)。現代日本舞台で金髪男性(高校生)が主人公というのも、ちょっと珍しいかも。ただし、お色気コメディ路線は苦手なので、継続視聴はしないが。



 10/03(Thu)

 『神楽新風記:愛莉の章』。ゲームパートは、厳しい雑魚敵が少なく、難易度はかなり低め。ただし、雪女の遠距離魔法攻撃は、こちらの防御力では軽減できないため、痛いダメージをくらい続けるのがちょっとつらいという程度(つまり、耐氷防具を強いられるため、選択肢が狭くなる)。
 中盤階層では、腹減り速度が上がっているところで餓鬼にアイテムを奪われると困るとか、靫蔓が出没するので武器劣化されるといったリスクがある。これらの方がいやらしいが、武器交換などでなんとでも対処できる。
 エクストラマップを視野に入れた最終装備の条件も、「防錆武器」と「氷耐性」くらいで、あまり困ることは無い筈。可能ならば、麻痺耐性もあるとなお良い。「神御衣」が炎氷雷耐性20%を持っているので、それで十分だろう。

 テキスト面では、ユーモラスな筆致がなかなか新鮮。脚本担当は、阿風梨々亜、萩津和野、小坂なお各氏(※前作『みくるの章』と同じ)。なかでも阿風氏は、00年代初頭からトラヴュランスなどで美少女ゲームライターのキャリアを重ねてきた大ベテラン(※通常パートは、この方の担当かな?)。
 聴きどころは、蒼乃むすび氏。10年代後半(2017年)にデビューされた方で、、アダルトゲーム声優の現役最新世代を代表すると言ってもよい声優さん。今作の短いテキストの中でも、飄々とした芝居と、落ち着きのあるムードの表現、どちらも芯のある芝居を披露されている。


海外のロボットプラモ「白露 空戦型(白露 空战型)」というのが近所の模型店に出ていたので、試しに買ってみた。中国のロボットプラモは近年とみに隆盛しており、日本で言えばPGガンプラ並のボリュームのキットがいくつも発売されている。
 中国ロボットプラモは、ディテールも高密度で、武装も派手に盛り付けるゴージャス路線が一般的なようだが、このキットは、やや珍しく、シンプル路線でまとめられて洗練されたキャラデザになっている。
 完成時の大きさは23cmとのことだから、MGの大物並のサイズになりそう。私自身、MGのEx-Sくらいは作ったことがあるが、たぶんあのくらいのボリュームになるのだろう。
 注目すべきは、内部フレーム(左記写真2枚目)。なんと、合金製のダイキャストフレームで、しかも一部組み立て済み。なるほど、そう来たか……。大サイズのロボットプラモは、関節部が自重に負けて緩んだり折れたりしてしまうリスクがあるのだが、そこを金属製フレームで解決いるとは、上手い発想だ。単なる外連味ではなく、十分な合理性のある設計だ。しかも、ダイキャスト関節の固さ(渋み)を調整するための塗布剤まで同梱されているという親切さ。
 それ以外は、一般的なロボットプラモの作り。素材はABSを中心に、一部はPVCやPOMパーツも使っているようだ。中国キットらしく、アンダーゲートが可能なかぎり徹底されているのが見て取れる。パーツ精度やジョイントのきつさなどは、これから確認する。
 メーカーはRobox Animation(萝播动漫→weiboアカウント)。新興企業のようで、詳しい情報は出てこないが、どうやら深圳(シンセン、広東省)に所在しているようで、このロボットも既存のコミック由来のキャラクターであるらしき情報がネット上に見出される。よく分からないが。
 さすがに海外ロボットプラモにまで手を出すと収拾が付かなくなりそうだから、今回のキットで「お試し」「味見」くらいに留めておくつもりだが、グローバルな模型界の動向をキャッチアップするうえでも、多少は経験しておきたくなった。YS店頭でも4000円台+税という格安販売だったし。

 ちなみに、金色(というか銅色)ランナーはあらかじめ塗装されている。銀色ランナーはプラのままだが、下手にギラつかせず、マットで硬質なシルバーなので、このままでも良さそう。ブラック、ジャーマングレー、ライトグレーのランナーも、それぞれツヤ消しっぽく表面処理されていて高級感がある。ただし、グレーはさすがにウェルドラインが見えてしまうので、軽くランナー塗装しておくかも。というわけで今週末は、作りかけの艦船模型とこのロボットに取り組みたい。


 近所のJOSHINが、初代ガンダム(RX-78-2)の全て(?)のキットを並べて展示しているので、見比べていろいろ楽しんできた。個人的には、MGだとver. 1.5が一番好みかな。シンプルすぎず、くどすぎずで、上半身のがっしりしたシルエットと、下半身のきれいな曲線美が素晴らしい。
 以前から玄人筋に評価の高かった「Ver.ONE YEAR WAR 0079」も、実物を初めて見たが、なるほど、程良いミリタリー的リアリズムと、細やかなラインモールドの密度感が面白い。
 ただし、ロボットプラモとしての評価軸は様々で、例えばコアファイターをどのように仕込んでいるかとか、関節可動がどのくらい確保されているかとか、どのような武器が付属しているかといった要素も考慮要因に入ってくる。今回の意見は、あくまでガンダム本体だけでの、シルエットとディテールに着目しての個人的な評価。ひとによっては、アニメ調に寄せたキットが好みだったり、装甲を細かく多色分割したキットに魅力を感じたりするだろう。


 90年代に流行した絵柄を現代の目で見ると、珍奇に歪んだ絵に感じられてしまうだろう。とりわけ『スレイヤーズ』の「あらいずみるい」や『セイバーマリオネットJ』の「ことぶきつかさ」のような、当時の言葉で言えば「ぷに萌え」スタイルは、頬の輪郭が突き出ていたり、極端な垂れ目だったりする。あるいは、こげどんぼ*の『デ・ジ・キャラット』のように、顔面の半分を占めるほどの巨大眼球だったりする。だが、こういった特徴は、当時のオタクたちにとっては、どこか心の琴線に触れるフックだったり、目を離せないインパクトのある強烈な個性だったり、キャラクター個性を鮮やかに印象づける巧みな演出だったりした筈だ(――当時の私はオタクではなかったから、その時代精神はよく分からないのだが)。
 その一方で、2020年代の現代的な流行も、もちろん同様に、歴史の中で相対化されていくに違いない。例えば、2040年代の目から見れば、「20年代のオタクたちは、なんでこんなにバニースーツが好きだったの?」、「彩度が極端に低くて、顔面に影を落とした逆光イラストばっかりで暗いなあ」、「巨大バストやマッシヴな太腿は、やり過ぎだと思わなかったのだろうか?」、「銀髪ばっかりじゃん」、「へそのエロティシズムって特殊すぎるでしょ」、「この時代には、まだ○○技法は開発されていなかったんだね」、等々の感想を持たれるかもしれない。……いや、現在でもそう感じる人は少なくないだろうけど。
 ここから得られるのは、「過去の流行を安易にバカにしてはいけない」ということであり、「現在の流行や現在の感性も、容易に失われてしまうものだ」ということでもある。先日も述べたように、現代ではすでに「萌え」の機微が失われて、キャラクターの魅力の認識が「えろさ」によって塗り替えられてしまっている。90年代のメイド趣味やパフスリーブ、00年代のブルマやツンデレや前髪インテーク、10年代のケモ耳や極端なローライズといった流行――たぶんそのあたりだったと思う――も、どんどん移り変わってきた。
 こういった変化の激しさは、オタク界隈に限らない。服飾業界や、西洋美術、自家用車のデザイン、等々、あらゆる領域で不断の変化が行われている。そして、そういった変化や代謝があることは、その領域がマンネリに陥らず、常に新たな世界を開拓してきたという健全さの証でもある。それは、べつに垂直的-単線的な「進歩」というわけではないが、総体としての豊かさをもたらしてくれるだろう。

 ちょうど上で述べた、ガンダムプラモの変遷についても、同じことが当てはまる。私は私で、個人的な嗜好と選択ができるが、それ以外の様々な流儀も試みられ、そしてその都度受け入れられてきたし、それら全体として選択の幅や、可能性の幅が広がってきた(※現在はガンプラの市場払底で、残念ながら「選んで買う」ことはほぼ不可能なのだが、まあ、それはそれとして)。


 漫画版『第七王子』第180話は、瑩竜戦の決着。石沢庸介氏が、通常のモノクロ漫画から配信版でのカラー要素を増やしていって、いつの間にか週刊フルカラー漫画(※しかもアシスタント無しの完全独力作画)を展開していた中で、最近ではそれが一周して今度はモノクロ化の演出を活用するようになっている。何なの、この超人漫画家さん……。