2025/08/09

2025年8月の雑記

 2025年8月の雑記。

 08/12(Tue)

 中国メーカーの模型について。破格の安さ+大ボリュームが特徴的だけど、何故だろうか。適当に想像してみる。(※あくまで適当です)

 1) 人件費。一つには、「人件費が桁違いに低い」という要素が世上で語られている。しかし模型キットは、労働集約型産業ではない。金型製造には少数のプロフェッショナルが必要だし、キット(ランナー)の射出成形もオートメーションの極致だ。もちろん工場稼動にも人員が必要だが、それほど大きな費用負担にはならないだろう。後は、「検品」「箱詰め」「輸送」などの作業で人手を要するが、それほど大きな割合を占めるものではないだろう。
 ただし、エラー品や欠品の多さを考えると、検品やクオリティコントロールの手間を削減して、コストを下げているという可能性はある。プラモデル以外の工業製品でも、中国製(つまり、日本から中国国内への委託製造)には同様の問題がしばしば生じている。
 また、エラー率の問題を別にしても、日本国内のキットとは品質面での格差はある。例えば関節部の安定感、組み立てやすさ、エッジの鋭さ、両目プリントの色数、等々。そうした点は、日本企業の製品にも独自の付加価値があると認めるべきだろう。
 ……とはいえ、中国キットの側でも、偏光メッキや金属製フレーム、色変えランナー、布製パーツ、LEDパーツ、さらには箱の豪華印刷など、内容を充実させるための技巧や作業がふんだんに投入されていて、一商品として驚嘆すべきクオリティがある。ほんとに、あれだけの内容物をいったいどうやって調達しているのだか……。

 2) 材料費。プラモデルのコストを上げている要因として、近年大きなのは材料費だ。資料や時期によって変動するが、中国は全世界のプラスチック生産の2割~3割程度を占めているようだ。中国は産油国でもあり、石油もかなりの程度まで国内調達できている筈だ。材料を輸入せずに自国調達できる(≒安価に入手できる)のは、プラモデル産業にとっても非常に大きなアドヴァンテージになる。

 3) 環境配慮。ここからは想像の度合いが強まるが、環境配慮のためのコストを負担していないのではないかという疑念もある。中国は、例えばCO2削減がいまだ立ち遅れており(※近年かなり改善されつつあるという話もあるが)、そういった工業生産に対する制約が乏しいことが、製品のローコスト化をもたらしている可能性がある。皮肉な話だが。
 例えば艦船模型用の金属製エッチングパーツも、国によって溶剤規制の問題があり、それが値上がりを引き起こしたり、製造困難になったりという噂を見たことがある(※明確なソースは辿れなかったが、十分あり得る話ではある)。

 4) 市場規模と販売戦略。日本メーカーのキャラクター系プラモデルは、基本的には日本の人口に対してしか売れない(プラス、欧米などの一部の市場にもリーチしているが)。それに対して中国メーカーは、14億人の市場をじかに利用できる。もちろん、一般消費者の経済力の問題などはあるが、薄利多売戦略を採用しやすいのは確かだろう。

 というわけで、近年のトイやガールプラモで、驚くほどの低価格とボリュームを両立させた製品が出てきているのは、一応理解できなくはない。ただし、各論レベルで依然としてさまざまな疑問はある。

 A) 日本メーカーが中国で製造させたのに高価格なのは?
 市場規模、検品コスト、取引費用、輸送費などで、ある程度は説明できる。童友社価格は納得できないけど。

 B) ただし、艦船やAFVでは、高額キットも多数存在する。
 これについては、品質や歴史的経緯が関わっていると推測される。例えばDragnon社(上海)やMeng Model社(広東省深圳)の大ボリューム&高品質なAFVキットは、日本円にして1万円以上になっている。TAMIYAのシンプルにまとまったキット(3000円台くらい)と比べれば、さすがに価格が上がるのは当然だろう。
 艦船模型分野でも、Trumpeter(広東省中山市)も高価格の大型キット路線に進んだし、その一方で3Dプリントパーツなども含めた超々精密キットも市場進出してきた(浙江省杭州市のFlyhawkなど)。これらもクオリティ確保のためのコストがかなり掛かっているものと思われる。なにしろ繊細なパーツは、射出成形の歩留まりも低くなるので。品質管理の必要から、大量生産にも限界があるだろう。
 それに対して日本国内のキットは、数十年にわたって国内市場でかなり低い価格帯を維持してきたので、値段を上げにくい(※それでも、どんどん上がってきたけど)。また、HASEGAWAなどは減価償却の済んだであろう金型を使い続けているので、その点でも製造費を抑えられる。
 スケールモデルの分野的特質もある。例えばガールプラモやロボットプラモであれば、土日のパチ組みだけで完成させることも多い。言い換えれば、どんどん新作キットを買って消化していける。それに対してスケールモデルは、大量の細密パーツを全塗装で組み上げていくため、一作につき1ヵ月~数ヶ月を掛けることも多い。デリケートなキットなので、保管のスペースも確保しなければいけない。そうすると、購入ペースはかなり鈍くならざるを得ない(※もちろん、サクサク制作していくモデラーもいるし、ひたすら買って積みまくるユーザーもいるが)。つまり、セールスが伸びにくく、市場規模も小さくなりがちで、それゆえ薄利多売戦略が取りにくい(※ロングテール型販売でなんとかやってきているが)。
 ちょっと不思議なことに、韓国のスケモメーカー(Academy社)が、非常に安価なキットを製造できている。材料費も人件費も掛かるだろうし、市場的な有利も無さそうなのに、頑張っているなあ。

 C) ガールプラモについて。
 実のところ、割引販売まで考慮すると、価格差はかなり縮まっていると言えるかもしれない。例えばKOTOBUKIYAの大物キットでも、予約購入すれば2-3割引で買えることが多い(例えば8000円かそこら)。中国ガールキットを6000~7000円で通販購入するのと比べて、極端に差があるというわけではない。BANDAIのFigure-rise LABOの大型キットも、クオリティとボリュームを考えれば遜色ない水準だ。AOSHIMAのVFGシリーズも、定価は高いが、あれは割引前提の価格設定のように思える。
 ただし、日本のキットが、プレーンなガール一体とわずかな武器だけで5000円も6000円もするのは、価格差を痛感させられる。まあ、仕方ないので応援のつもりで、できるだけ買うようにしているが。
 ボリューム面で国内メーカーが劣るように感じるのは、実のところ、ボリュームそのものの問題ではなく、「気の利かなさ」に起因するところもあるかもしれない。例えばKOTOBUKIYAキットでも、「このランナーをもう1枚同梱していてくれれば2体目も作れそうなのに」といったような、なんとも惜しい製品構成に遭遇することがある。気の利かなさで損をしているのは、実にもったいない。そして、このようなユーザビリティ配慮の次元で後塵を拝することこそは、模型メーカーのポテンシャルと将来性にとっては、きわめて危険な兆候だと思う。

 大雑把に想像するとこんな感じ。国によって物価(≒労働の価値)が大きく異なるのは、まあ、仕方ないというか、どうしようもないことだが、せめて搾取ではない形であってほしいとは思う。


 私がプラモ/ドールのスカートを自作するとしたら、どうするかなあ。
 適当なハンカチやユザワヤ布地あたりを、アイロンと洋服ノリで固めてプリーツの折り目を作っていくだろうか。なまじの既製品ドール服よりも、薄手で素材感の良いものを作れる筈……たぶん。
 既製品のプリーツ布地もいろいろある筈なので、そこから良さそうなものを見繕ってこられれば重畳。あるいは、自作でヒダをきれいに揃えたい場合は、金属定規などを治具にして幅を合わせていくことになる。ただし、素材によっては透けてしまうので、裏地かインナーを付けた方がよい。
 いずれにしても、1/10の小スケールだと、質感表現と扱いやすさの間のトレードオフが強烈なのがつらい。つまり、「生地を薄くて柔らかくて細やかにすると、加工しにくいし透けたり崩壊したりする。逆に、耐久性があって加工しやすい素材にすると、生地が分厚くて着膨れした感じになってしまう(1/12ドール服が典型)」。スカートだけなら、着膨れの問題は起きにくいので、わりとなんとでもなりそうだけど……。

 あるいは、既存の適当なフィギュアからスカートを奪って(ひどい)こられれば簡単なのだけど、ちょうど良いフィギュアは思い浮かばない。また、難点もあ.る。固定スカートなので可動には適さないのと、PVCなので塗装しにくいという点(※一応、塗料が乗りはするけれど)。

2025/08/08

漫画雑話(2025年8月)

 2025年8月に読んだ漫画の雑感。主に単行本新刊について。

●新規作品。
 ワタヌキヒロヤ『エイリアンズ』第1巻(小学館、1-11話)。現地調査のために地球に潜入してきた高度文明の異星人が、廃屋に住む若年女性型アンドロイドと同居する日常ドタバタ劇。どちらかと言えば、キャラクター造形の謎はアンドロイド(元セクサロイドで、所有者は逝去している)の側にウェイトが置かれており、それに対してエイリアン主人公は、彼女の不思議な性質と地球固有の文化の両方に振り回されていく。勢いのあるペンタッチと表情豊かなキャラクター性に大きな魅力があり、近未来SFらしいアイロニカルな描写もある。ただし、SF要素はほどほどで、基本的には同性同居日常もののコンテクストの中にあり、そして百合要素は今のところ誇大広告めいているが、まあ楽しいので良しとする。作者はバスケ漫画『つばめティップオフ!』(最初の連載作品)を終えたのち、現在は写真漫画『SUNNYシックスティーン』も並行連載中。
 ほしつ『ホイホ・ホイホイホ』第1巻(ムービーナーズ、1-7話)。超能力に目覚めた高校生の日常話。おっとりしたユーモア路線で、これはこれで好きな人も多いだろう。
 enem『さようなら、私たちに優しくなかった、すべての人々』第1巻(ガンガン、原作あり、1-5話)。オカルト能力を使って、田舎の権力的虐待者たちに復讐していく話。千里眼やサイコキネシスなどの超能力はあるがけっして万能ではなく、能力行使には反動もあり、さらに復讐儀式にも一定の制約(手順等)があって、なかなか思い通りにはいかず、全体として伝奇クライムサスペンスというユニークな路線になっていくように見受けられる。漫画表現はオーソドックスだが、歪んだ醜悪顔などのインパクトも相俟って強く印象に残る。作者はこれまで2本の長期連載をしてきた実力派。
 藍田鳴『放課後異世界ふたり旅』第1巻(講談社、原作あり、1-4話)。様々な異世界に飛んで、それぞれの転移勇者たちのトラブルを収めて回る物語。多数の異世界を駆け回る賑やかさ、転移した「勇者」たちがぶつかる困難の掘り下げ、女子学生コンビという萌えバディ路線、そして問題解決までに設定されたタイムリミット(※かなり作為的だが)と、ずいぶん詰め込んだ内容ながら、キャッチーにうまくまとまっている。ただし、基本的に一話完結(一世界ずつの解決)スタイルのようで、物語を図式的に進めすぎているようにも感じる。作画は2021年デビューで、これが3本目の連載とのこと。
 猪ノ谷言葉(いのや・ことば)『ソナタとはいったい誰なんだ』第1巻(秋田書店、1-5話)。魔王を倒したが記憶を失った少年英雄のところに、兄と称する魔族と妹と称する人間(姫)が訪れるが、少年自身は過去(記憶)よりも現在の世界体験を新鮮さを味わいたい……というシチュエーション。ハードな状況も描かれるが、主人公の純朴な朗らかさに救われる。近年ありがちな「魔王戦後もの」だが、その中でもオリジナリティがあるし、ドラマの構図も明快。絵作りは、とても真面目に描かれているが、同時にキャッチーな大見得シーンもきちんと作っている。作者は『ランウェイで笑って』(完結)に続く2つめの連載。


●カジュアル買いなど。
 墨佳遼『蝉法師』(単巻、イースト・プレス、2024年)。セミたちを擬人化しつつ、その鳴き声を念仏の読経として表現している。儚い生命の存在がパワフルに生きつつ己の目的を追求したり、人生の価値を思い悩んだりする描写は、読経シーンの迫力と相俟ってたいへん印象的。明暗の激しい夏の雰囲気も良い。
 コノシロしんこ『うしろの正面カムイさん』第11巻(小学館、100-109話)。様々な妖怪を性的に除霊していく一話完結型コメディ。ただし、えろネタというよりも馬鹿馬鹿しい艶笑譚に分類されるべきだろう。大量の小ネタをしれっと仕込みつつ、第11巻まで来てもオリジナリティと勢いを維持しているのは大したものだと思う。ちなみに、第100話ではちょうど百物語を扱っているし、飛頭蛮(※中国妖怪で、文字通り頭部が離脱して飛び回るジオング)に対するネタの広げ方が物凄い。既刊もいくつか読んでみようかな。
 kakao『辺境の薬師、都でSランク冒険者となる』第9巻(講談社、原作あり、70-77話)。「あのkakao氏か」と読んでみたら、やたら上手くなっていた。空間的なレイアウトの活用。木造建築などの質感表現の説得力。キャラクターのポージングの躍動感。そして巻末おまけ(えろ)のオリジナリティ溢れる発想。美少女ゲーム『はにかみクローバー』(2016)の頃から注目していて、アダルト単行本も買って読んだくらいだが(※たしか2冊持っている、しかし自宅倉庫から掘り出せない……)、ここまで凄味のあるクリエイターになっていたとは。ただし、本編ストーリーはあまり好みではない。


●続刊等。

 1) ファンタジー系
 宮木真人『魔女と傭兵』第6巻(38-46話)。相変わらず長所と短所が極端。コマ組みが機能的に作られておらず非常にだらしないし、メインヒロインの性格もおかしいし(※純朴な能天気さと威圧的な嫉妬深さが強引に混ぜられていて不気味)、精神的にグロかったり倫理的に引っかかりのある言動があったりもするが、その一方で、とても良い絵も出てくるし、サブヒロインたちもかなり個性が立っているし、理性的な交渉描写を読む快楽もある。45話からはイサナ君が再登場するが、今回もやはり「元気で強気だが結局は主人公にしてやられてへこまされる当て馬」の役割を担わされている。こういう描写が、微笑ましいコメディとして明るく処理されることもあれば、その逆に、女性キャラに対する陰惨で威圧的な蹂躙として表出される場面もあり、なんとも温度差が激しい。
 石沢庸介『転生したら第七王子~』第20巻(167-174話)。第二のボス「バミュー」との戦い。連載配信版のカラーから、単行本ではモノクロになっているが、それでも画面構成の迫力とストーリーテリングの掘り下げはさすが。
 近江のこ『もうやめて 回復しないで 賢者様!』第2巻(6-15話)。グロ注意。発想の切れ味も、キャラの可愛さも、演出の巧さも、現代漫画として非常に優れている。例えばワープゾーンを指先で開く所作や、心臓を舐めて生命力を奪うゴーストの描写、主人公の不死性設定の扱いなど、ファンタジー要素のアイデアだけでも感心させられる出来。本題のグロ(リ○ナ)要素も、自己斬首、水中窒息、スライム溶解と多彩だし、それぞれのプロセスや状況把握についても際立った掘り下げがある。なお、流血や骨折は多いが描写はほどほどで(?)、臓物までは描かないというマイルド(?)な程度に留めている。下記の『メイドインアビス』が大丈夫な読者ならば本作もいけるだろう。ところで、入力していて気づいたけど、このタイトルは五七五調だな……。
 中将慶次『カノンレディ』第2巻(7-12話)。良いところもあるが、見せどころの盛り上げが今一つで、前巻と比べてパワーダウン気味。
 恵広史『ゴールデンマン』第6巻(39-47話)。並行世界に飛んで状況全体をリセットしたこともあって、敵対関係が明確になり、敵方の重要情報も示され、さらに主人公自身についても大きな謎が提示された。ブルースは、驚き役&説明役を担って物語を引き締めつつ、ツッコミや細かなポージングの描写でユーモラスな彩りも与えており、なかなかの名脇役になっている。
 江戸屋ぽち『欠けた月のメルセデス』第5巻(17-20話)。アニメ化するとのことで、この漫画連載も継続保障が付いたのが嬉しい。ただし、作者の負担増は大変だろうとも思う。この巻は、王位継承を巡る陰謀に焦点を当てているが、クールに研ぎ澄まされた表情表現や、緊張感のあるコマ組み、バトルシーンのダイナミックな運動表現、奥行きのあるレイアウトの迫真性、そして内面描写の印象的な演出に至るまで、読み応えがある。
 フカヤマますく『エクソシストを堕とせない』第12巻(86-93話)。地獄側に乗り込んで出会ったルシファーは、「神に抵抗する朗らかで公明正大な善人男性」として描かれる。キャラクター造形のユニークさと、状況全体の不気味な見えづらさが面白くなってきた。
 つくしあきひと『メイドインアビス』第14巻(「兄とでも」「射手」「テパステ」)。グレートーンに塗り込めつつ、枠線も手書きでゆるゆると描く紙面の濃密な雰囲気が楽しい。渓谷の巨大感などの空間表現も良い。

 2) 現代もの、シリアス系
 うすくらふみ『絶滅動物物語』第3巻(通し番号は無いが、マンモスからトキまで)。生物の絶滅が、いかにして人類社会――社会の動きや個人の欲望や政治的な都合――で引き起こされてきたかが、冷静な筆致で描かれる。例えばナチスの復古主義の下で原始的なウシを復活させようとする試みが、ユダヤ人迫害と対比されたり、南アフリカのシマウマとクアッガ(前半分だけが縞模様)の違いを否定しつつ、それが同時に奴隷制度に対する無頓着さと共存している有様が描かれたりする。さらには、第二次大戦中にウェーク島の日本人兵士たちが飢餓でクイナを食べ尽くしたエピソードや、寄生虫撲滅のためにミヤイリガイ(それら自身には罪はない)を人為的に絶滅させたエピソードも語られる。皮肉な話もある。19世紀の中国侵略の過程でフランスがシフゾウ(鹿の一種)を本国に持ち帰ったおかげで、それらは絶滅を免れていたり、あるいは、博物学者たちの新種イワサザイの命名争いをしている最中に、まさに彼等が持ち込んだネコに狩り尽くされてその鳥が絶滅していたり。こういったエピソードの切り出し方も抜群に上手いし、漫画演出も明晰で説得力がある。
 三島芳治『児玉まりあ文学集成』第4巻(21-27話)。言葉と世界認識をめぐる、高校生二人の会話劇。筆触感を最大限強調したタッチともども、ライトに読めて楽しい。
 川田大智『半人前の恋人』第6巻(42-50話)。彼の誕生日に二人が結ばれ、その一方で彼女も大学祭で飛び入り活躍したり彼の女友達に嫉妬したりするという、かなりドラマティックな巻。作画については、相変わらず眼鏡のレンズ屈折(度入りの輪郭段差)まで丁寧に描いている。
 ひるのつき子『133cmの景色』第4巻(16-21話)。再び主人公に焦点を当てて、コラボ企画での仕事ぶりや自立意識、そして恋愛と周囲の人間関係の難しさについて誠実に描いていく。ステレオタイプな偏見に抵抗して自らのアイデンティティと尊厳を保っていこうとする姿勢について、他者視点も交えつつ正面から取り組んでいる。作画については、主人公のロングヘアの柔らかいウェーブが抜群に美しい。「このストーリーとコンセプトの下で、こんなに可愛らしく美しいキャラとして堂々と描いてしまっていいのだろうか?」という疑念すら湧き上がってくるほどに。一応の説明としては、「外見の都合良さによって人格全体を判断することの問題は、まさに本作が主題化しているとおりなのだが、この主人公の描写は、現実の個人に対するものではなく、ひとまず物語の記号的表現のレベルで、この主人公の健やかさ、善良さ、繊細さを表現しようとしている。それは似ているようでいて、やはり次元の異なる問題だ」ということになるだろう。
 雁木万里『妹は知っている』第3巻(18-27話)。小ネタ集で引っ張るのは一区切りつけて、この巻では人間関係に焦点を当てている。すなわち、同僚や友人、兄妹の過去回想、離婚した両親など。ユーモア精神を常に保ったマイルドな日常ものとして、上手く軌道に乗ってきた感じ。
 林守大『Bの星線』第2&3巻(8-13/14-20話、同時刊行で完結)。第1巻は素晴らしい出来だったが、2巻以降は「これを描くんだ」という輝きが失われ、無難にまとまってしまったのがもったいない。それぞれの巻末に再録されている読み切り作品は、人の悲劇的な情念を濃密に描いており、これだけでも読む価値がある。

2025/08/06

アニメ雑話(2025年8月)

 2025年8月の新作アニメ感想。『鬼人幻燈抄』『クレバテス』『第七王子』の3作に絞られた。

●『鬼人幻燈抄』
 通算16話は文久3年(1863年)、天邪鬼の話。のびやかに広がる山々の風景も、夕暮れの河畔風景も、抜群に美しい。怪異の幻想譚としても、苦く優しい味わいがある。キャラクターの細やかな所作アニメーションも、地に足の付いた作品風景に確かな実在感の手応えを与えてくれる(※例えば急須でお茶を混ぜる動き)。冒頭の蕎麦打ちシーンのミスリーディングも、微笑ましく気の利いたコンテで面白味を生んでいる。絵コンテ&演出は、河田凌氏。
 茅野愛衣ヴォイスで「じんやくん」「じんやくん」と何度も呼びかけられるとは、羨ましい……。
 ところで蕎麦屋の店主さん、ちょっと老けてやつれた?

 第17話は、やや長めの25分。元治元年(1864年)で、剣を極めようとする中で鬼に変化してしまった男の物語。剣戟シーンは、この作品にしては頑張っているが、日常シーンでは表情作画が崩れ気味。時代劇アニメらしく外連味のあるコンテが、映像的な緊張感を構築している。
 ストーリー面では、畠山の真意など、やや歯切れの悪い後味を引き摺っているし、甚夜の躊躇いもあまりきれいには描かれていない。しかし、鬼の存在を巡るエピソードの一つとして見れば、苦みと深みのある話になっていると思う。



●『クレバテス』
 第5話。もうすぐ折り返しなのだが、このスローペースで大丈夫なのだろうか。内容面では、劇伴がなかなか個性的だし、コンテもところどころ非常に面白い(※長い静止カットもあるが、キャラクターの出入りのカメラワークが楽しげでよろしい)。主人公も、善良で純朴で苦労人なところを上手く描いていて、愛嬌がある。
 ストーリー面では、かなり散らかっている。「魔獣と人類(人属)の対立構図」、「魔獣の間でも駆け引きがある」、「人類を滅ぼそうとするクレバテス」、「人類の間でもいくつもの国家に分かれて対立している」、「亡国の赤子の成り行き」、「育児コメディ(?)」、「人類が開発した魔術の謎」、「ゾンビ勇者とその復讐心」、等々。なんとなく関連があるようでいて、しかし現時点ではぼんやりした繋がりに留まっている。

 第6話。クレン役の田村氏は、確かに適役。真面目で冷静なようでいて、朴訥なようでいて、ちょっと不機嫌なようでいて、そして感情の底が掴めない不思議な異種族キャラを上手くドライヴしている。主人公のアリシアは今回も、「慌てツッコミキャラ」、「大地を踏みしめて歩くキャラ」、「自身と周囲の境遇に苦しむキャラ」の側面が濃密に描かれている。
 演出と作画は、この回も非常に良く出来ている。背景作画が、色鉛筆のような手書き感を強調しているのが面白い。色合いが明るく、そして木材の質感を巧みに反映しているし、山々の遠景も童話めいたのどかさを連想させる。相変わらず説明台詞が多めながら、コンテレベルで画面構成の迫力とアニメーションの躍動感を表出していて、充実した映像になっている。
 ストーリー面では、穏やかな農村風景からいきなり最悪のピンチ状況に。このノリはなんとも岩原氏らしい。そして最後に黒澤ともよ氏の魔術師キャラが登場。



●『転生したら第七王子』
 通算第16話。シビル・ウォー戦の決着から、謎神父戦の途中まで。
 前半の戦いは、静止画にエフェクトで誤魔化しているばかりで、画面がだれることこの上ない。そういったタイミングの都合で、今回も出血がやけに長時間噴出し続けたりする(ひどい)。マントの青海波模様も、立体性も運動を無視してべったり貼り付けてあるだけという有様。音響表現も最低で、ひたすら説明台詞を垂れ流してそのまま画面を止めるし、さらに台詞の変化を無視してBGMを流しっぱなしにしている。モノローグだけでなく、戦闘中に長大な回想を入れるのも緊張感を削ぐこと甚だしい。擬音文字をそのまま書き込むのも漫画の猿真似で、アニメでやるとひたすらチープになる。演出と呼ぶのもおこがましいほどの、失敗映像の見本市になっているのが悲しい。作画そのものは頑張っているだけに、とにかく監督(コンテ)が悪い。原作(というか漫画版)は抜群に凄いので、まともな演出で丁寧に再解釈して映像化していたら、本当に素晴らしいものになり得たのだが……つくづく惜しい。
 ただし、後半の謎神父戦だけはダイナミックなカメラワークを取り入れている。また、イーシャ(シスター)の振り付けは、今回も力が入っている。
 ところで、OPには完全食くんらしきカットがある。あれもアニメ版に登場するのか……。

 第17話。地下実験室に立ち入るところまで。
 相変わらず、イーシャ周りの演出は力が入っており、黒ベタに囲まれながら雨の市街を掛けていくところは印象的。その他、視覚表現としては、林立するアンホーリー・エクスカリバーの迫力や、地下実験室の禍々しい雰囲気には、カラーアニメならではの美質がある。ただし、イーシャ役(石見氏)の芝居は切実さが足りず、なんとも物足りない。
 教皇付きのアナスタシアは日笠氏。教皇自身は、宮本氏ではなく牛山氏が演じている。

2025/08/05

薬師寺久遠(篝火真里亞)から比良坂初音へ

 プラモデル創彩少女庭園「薬師寺久遠(篝火真里亞)」を使って、ゲーム『アトラク=ナクア』の比良坂初音(姉様)を再現してみる。
 ※注意:蜘蛛型キャラクターの写真です。蜘蛛や節足動物が苦手な人は気をつけて下さい。