2025/08/09

2025年8月の雑記

 2025年8月の雑記。

 08/12(Tue)

 中国メーカーの模型について。破格の安さ+大ボリュームが特徴的だけど、何故だろうか。適当に想像してみる。(※あくまで適当です)

 1) 人件費。一つには、「人件費が桁違いに低い」という要素が世上で語られている。しかし模型キットは、労働集約型産業ではない。金型製造には少数のプロフェッショナルが必要だし、キット(ランナー)の射出成形もオートメーションの極致だ。もちろん工場稼動にも人員が必要だが、それほど大きな費用負担にはならないだろう。後は、「検品」「箱詰め」「輸送」などの作業で人手を要するが、それほど大きな割合を占めるものではないだろう。
 ただし、エラー品や欠品の多さを考えると、検品やクオリティコントロールの手間を削減して、コストを下げているという可能性はある。プラモデル以外の工業製品でも、中国製(つまり、日本から中国国内への委託製造)には同様の問題がしばしば生じている。
 また、エラー率の問題を別にしても、日本国内のキットとは品質面での格差はある。例えば関節部の安定感、組み立てやすさ、エッジの鋭さ、両目プリントの色数、等々。そうした点は、日本企業の製品にも独自の付加価値があると認めるべきだろう。
 ……とはいえ、中国キットの側でも、偏光メッキや金属製フレーム、色変えランナー、布製パーツ、LEDパーツ、さらには箱の豪華印刷など、内容を充実させるための技巧や作業がふんだんに投入されていて、一商品として驚嘆すべきクオリティがある。ほんとに、あれだけの内容物をいったいどうやって調達しているのだか……。

 2) 材料費。プラモデルのコストを上げている要因として、近年大きなのは材料費だ。資料や時期によって変動するが、中国は全世界のプラスチック生産の2割~3割程度を占めているようだ。中国は産油国でもあり、石油もかなりの程度まで国内調達できている筈だ。材料を輸入せずに自国調達できる(≒安価に入手できる)のは、プラモデル産業にとっても非常に大きなアドヴァンテージになる。

 3) 環境配慮。ここからは想像の度合いが強まるが、環境配慮のためのコストを負担していないのではないかという疑念もある。中国は、例えばCO2削減がいまだ立ち遅れており(※近年かなり改善されつつあるという話もあるが)、そういった工業生産に対する制約が乏しいことが、製品のローコスト化をもたらしている可能性がある。皮肉な話だが。
 例えば艦船模型用の金属製エッチングパーツも、国によって溶剤規制の問題があり、それが値上がりを引き起こしたり、製造困難になったりという噂を見たことがある(※明確なソースは辿れなかったが、十分あり得る話ではある)。

 4) 市場規模と販売戦略。日本メーカーのキャラクター系プラモデルは、基本的には日本の人口に対してしか売れない(プラス、欧米などの一部の市場にもリーチしているが)。それに対して中国メーカーは、14億人の市場をじかに利用できる。もちろん、一般消費者の経済力の問題などはあるが、薄利多売戦略を採用しやすいのは確かだろう。

 というわけで、近年のトイやガールプラモで、驚くほどの低価格とボリュームを両立させた製品が出てきているのは、一応理解できなくはない。ただし、各論レベルで依然としてさまざまな疑問はある。

 A) 日本メーカーが中国で製造させたのに高価格なのは?
 市場規模、検品コスト、取引費用、輸送費などで、ある程度は説明できる。童友社価格は納得できないけど。

 B) ただし、艦船やAFVでは、高額キットも多数存在する。
 これについては、品質や歴史的経緯が関わっていると推測される。例えばDragnon社(上海)やMeng Model社(広東省深圳)の大ボリューム&高品質なAFVキットは、日本円にして1万円以上になっている。TAMIYAのシンプルにまとまったキット(3000円台くらい)と比べれば、さすがに価格が上がるのは当然だろう。
 艦船模型分野でも、Trumpeter(広東省中山市)も高価格の大型キット路線に進んだし、その一方で3Dプリントパーツなども含めた超々精密キットも市場進出してきた(浙江省杭州市のFlyhawkなど)。これらもクオリティ確保のためのコストがかなり掛かっているものと思われる。なにしろ繊細なパーツは、射出成形の歩留まりも低くなるので。品質管理の必要から、大量生産にも限界があるだろう。
 それに対して日本国内のキットは、数十年にわたって国内市場でかなり低い価格帯を維持してきたので、値段を上げにくい(※それでも、どんどん上がってきたけど)。また、HASEGAWAなどは減価償却の済んだであろう金型を使い続けているので、その点でも製造費を抑えられる。
 スケールモデルの分野的特質もある。例えばガールプラモやロボットプラモであれば、土日のパチ組みだけで完成させることも多い。言い換えれば、どんどん新作キットを買って消化していける。それに対してスケールモデルは、大量の細密パーツを全塗装で組み上げていくため、一作につき1ヵ月~数ヶ月を掛けることも多い。デリケートなキットなので、保管のスペースも確保しなければいけない。そうすると、購入ペースはかなり鈍くならざるを得ない(※もちろん、サクサク制作していくモデラーもいるし、ひたすら買って積みまくるユーザーもいるが)。つまり、セールスが伸びにくく、市場規模も小さくなりがちで、それゆえ薄利多売戦略が取りにくい(※ロングテール型販売でなんとかやってきているが)。
 ちょっと不思議なことに、韓国のスケモメーカー(Academy社)が、非常に安価なキットを製造できている。材料費も人件費も掛かるだろうし、市場的な有利も無さそうなのに、頑張っているなあ。

 C) ガールプラモについて。
 実のところ、割引販売まで考慮すると、価格差はかなり縮まっていると言えるかもしれない。例えばKOTOBUKIYAの大物キットでも、予約購入すれば2-3割引で買えることが多い(例えば8000円かそこら)。中国ガールキットを6000~7000円で通販購入するのと比べて、極端に差があるというわけではない。BANDAIのFigure-rise LABOの大型キットも、クオリティとボリュームを考えれば遜色ない水準だ。AOSHIMAのVFGシリーズも、定価は高いが、あれは割引前提の価格設定のように思える。
 ただし、日本のキットが、プレーンなガール一体とわずかな武器だけで5000円も6000円もするのは、価格差を痛感させられる。まあ、仕方ないので応援のつもりで、できるだけ買うようにしているが。
 ボリューム面で国内メーカーが劣るように感じるのは、実のところ、ボリュームそのものの問題ではなく、「気の利かなさ」に起因するところもあるかもしれない。例えばKOTOBUKIYAキットでも、「このランナーをもう1枚同梱していてくれれば2体目も作れそうなのに」といったような、なんとも惜しい製品構成に遭遇することがある。気の利かなさで損をしているのは、実にもったいない。そして、このようなユーザビリティ配慮の次元で後塵を拝することこそは、模型メーカーのポテンシャルと将来性にとっては、きわめて危険な兆候だと思う。

 大雑把に想像するとこんな感じ。国によって物価(≒労働の価値)が大きく異なるのは、まあ、仕方ないというか、どうしようもないことだが、せめて搾取ではない形であってほしいとは思う。


 私がプラモ/ドールのスカートを自作するとしたら、どうするかなあ。
 適当なハンカチやユザワヤ布地あたりを、アイロンと洋服ノリで固めてプリーツの折り目を作っていくだろうか。なまじの既製品ドール服よりも、薄手で素材感の良いものを作れる筈……たぶん。
 既製品のプリーツ布地もいろいろある筈なので、そこから良さそうなものを見繕ってこられれば重畳。あるいは、自作でヒダをきれいに揃えたい場合は、金属定規などを治具にして幅を合わせていくことになる。ただし、素材によっては透けてしまうので、裏地かインナーを付けた方がよい。
 いずれにしても、1/10の小スケールだと、質感表現と扱いやすさの間のトレードオフが強烈なのがつらい。つまり、「生地を薄くて柔らかくて細やかにすると、加工しにくいし透けたり崩壊したりする。逆に、耐久性があって加工しやすい素材にすると、生地が分厚くて着膨れした感じになってしまう(1/12ドール服が典型)」。スカートだけなら、着膨れの問題は起きにくいので、わりとなんとでもなりそうだけど……。

 あるいは、既存の適当なフィギュアからスカートを奪って(ひどい)こられれば簡単なのだけど、ちょうど良いフィギュアは思い浮かばない。また、難点もあ.る。固定スカートなので可動には適さないのと、PVCなので塗装しにくいという点(※一応、塗料が乗りはするけれど)。




 08/10(Sun)

 雨天の日曜日は、体調を崩しかけていたこともあり、自宅で漫画新刊20冊以上を読んで過ごした。豊作は嬉しいが、収納場所が……もう私には……。


 薬師寺久遠の可動優先設計が世間的に好評っぽいのは、ちょっと意外だった。
 「ダイバーナミ」(2018)が出た頃は、作為的な二重関節はかなり嫌われていたと記憶するし、今回の薬師寺久遠も可動確保のために明らかに肘が間延びしている(※通常の人体は、肘を180度まで曲げることはできないし、そんなに可動を広げる必要は無い)。
 「創彩」シリーズの中で見ても、これまでは腰掛け差分パーツを用意するなどして常にシルエットの美しさを最優先にしてきたスタンスから、大きく舵を切って路線変更したことが受け入れられたのも、けっこう驚いた(※言い換えれば、既存「創彩」ユーザー以外にもこのキットが訴求したことの現れでもあるだろう。キャラ人気の強さよ……)。
 製品コンセプトの問題としても、「メガロマリア」とのコラボという無理を通したのは、わりとリスキーだったと思うが、これについてユーザーたちは寛容だったように見受けられる。MMシリーズはあまり売れていそうにないのに……。

 時代とともにユーザー文化も変わってきたのだろうか。まあ、多様性を増すのは良いことだし、また、「創彩」シリーズそれ自体も2021年からもう4年以上続けてきて、そろそろヴァリエーションを増やしたり新機軸を取り入れたりしたい時期なのも分かる。
 ユーザーサイドとしても、「制服キャラでありながら、自由なポージングができるキット」は、ほぼ初めてなので、ポージングでやれることが一気に増えて楽しいというのは理解できる。これまでの制服キャラや着衣キャラは、fiamaや1/12ドールのややぎこちない動きだったり、あるいはBANDAIの『水星』キットやKOTOBUKIYA「ホイホイさん」や新興メーカー(annulusなど)のキットでも、可動はかなり限定的だった。そう考えると、このキットは着衣ガールプラモの新たな魅力と可能性を開拓した意欲作だという評価ができるかもしれない。

 ただ、「可動」という一見明快なメリットは、実際にはそれほど活用されるわけではない。また、いったん導入してしまうと戻りにくい(可動を殺す側への仕様変更はしにくい)ので、「創彩」企画全体の柔軟性やコストを制約してしまうデメリットもある。とはいえ、今回は作中作というイレギュラーな位置づけを前面に出したうえでの実験なので、レギュラーシリーズでは後戻りの余地を残している。この点は上手い。

 「ウルフさん」「薬師寺久遠」と、頭部を1個ずつししか作れない仕様になってきたけど、これはこれで妥当なのかな。これまでのシリーズで頭部は十分余っている――なんだかひどい表現だ――筈だし、コスト面で考えても、頭部パーツを減らすのは下げ幅がかなり大きいだろうから。


 「ミステリアスな黒セーラー服キャラ」は、いつ頃からどのようにして定着してきたのだろうか。
 黒セーラー(あるいは紺セーラーや黒服)それ自体が、昔からそれなりに一般的な存在だったし、80年代以前の怪奇系コンテンツ(『夢幻紳士』や『スケバン刑事』)でも、おそらく非日常性のアイコンとして機能していただろう。
 しかし、妖気の表現としての黒セーラーは、直接的に遡れるのは90年代後半以降のサブカルチャーまでではなかろうか。それ以前だと、黒セーラーでも青っぽく描写されていたし(例:『幽遊白書』のぼたん)、萌え系妖怪ヒロインなどというものが受け入れられるようになったのも基本的には90年代以降のことだろう。というわけで、現代に至るまで、知名度の高い黒セーラー服キャラが何人も登場してきた。初音姉様は、その最初期の原型の一つだと思うが、それ以外にもいたかもしれない。基本的に、「真っ黒のセーラー服+スカートも長い+黒髪ロング+しばしば赤目+異種族(超自然的な力の持ち主)+しばしば武器を持って戦う」というのが定番になっている。見た目のうえでは、紺色セーラーで表現される場合も多い。

 2010年頃までで、主立ったものを挙げると:

キャラクター
作品/シリーズ発表年属性等
高城千砂
漫画『羊のうた』1996-吸血鬼のような体質を持つミステリアスキャラ。制服の襟スカーフは水色。2003年にアニメ化。作者は1996年の中編(単巻)『ZERO』でも、学校を破壊する片目隠れ少女(セーラー服)を描いている。
比良坂初音
ゲーム『アトラク=ナクア』1998妖怪。赤目。スカーフは白。
小夜、更科小夜
アニメ『BLOOD』シリーズ2000-日本刀で怪異と戦う。目が赤くなる。スカーフも赤。
シャナ
小説『灼眼のシャナ』2002-日本刀で怪異と戦う。濃い赤色の目で、スカーフはベージュ色。2005年から複数のアニメ化。
姫岸唯緒
ゲーム『屍姫と羊と嗤う月』2003怪異の力を持つ。目が赤くなる。スカーフは白。
高城七七
ゲーム『カルタグラ』2005ミステリアスな天才少女。短髪眼鏡。スカーフはベージュ色。
閻魔あい
アニメ『地獄少女』2005-妖怪。つややかな赤目。スカーフは赤。漫画などにもメディアミックス展開。
嘉村令裡
漫画『怪物王女』2005-吸血鬼。瞳は赤色寄り。スカーフも赤。2007年等にアニメ化。
疋田伊織
ゲーム『終末少女幻想アリスマチック』2006大剣で戦うバトルキャラで、異種族の血統が入っている。瞳は濃い赤色。スカーフは白だが、襟のラインは赤。
(various)
ゲーム『グリンスヴァールの森の中』2006ファンタジー学園SLGの制服。スカーフは水色や赤などで、ラインは金色というファッショナブルな色調。
朱鷺宮神依
ゲーム『アルカナハート』2006日本刀で戦う格ゲーキャラ。スカーフは白。黒というよりは紺色か?
羽衣狐
漫画『ぬらりひょんの孫』2008-妖怪。スカーフは白。2010-2011年のアニメ化などメディアミックス展開多数。
庚夕子
漫画『黄昏乙女×アムネジア』2009-幽霊。瞳は赤色寄り。スカーフも赤。2012年にアニメ化。
(various)
ゲーム『Hello, good-bye』2010黒セーラーが指定制服。襟そのものは白色で、スカーフ(リボン)は赤や紫。SF要素あり。

 10年代以降になると、黒セーラーを改めてファッションとして取り入れたり、レトロ感の演出として用いたりする日常系作品も増えてきたという認識。例えば『屋上の百合霊さん』(2012)、『ひとりのクオリア』(2014)、『愛妹恋愛』(2014)、『明日ちゃん』(2016-)、『ゾンビランドサガ』(2018-)など。
 『喰霊』(2005)、『リトルバスターズ!』(2007)、『アマガミ』(2009)、『恋色空模様』(2010)、『ノラと皇女と野良猫ハート』(2016)の制服も、黒セーラーそのものではなく、セーラー風の襟付き上着だったり、黒基調のブレザーだったりする。『キルラキル』(2013)の纏流子は、『スケバン刑事』の系譜か。
 『はるるみなもに!』(2017)の制服デザインは、やっぱり下品だよなあ。黒セーラー服の随所に黄色のラインを描いて、襟には切れ目、スカーフは白フリルとチェック柄の大きなリボン、袖の折り返しにも三角の切れ目、そして金色ボタンに白色ベルト(!?)、上着の下からインナーを覗かせ、さらにスカートも黄色の縁取りに白フリルという、センスの無いゴテ盛りの極致。


 黙って静観しておくつもりだったけど、教育関係の問題ではあるので、私なりの見方をば。
 私立の学校法人は、地元の一族経営で漫然とやってきた場合もあって、そういうところは本当に理事会全体が内輪思考で、世間の動きがまるで見えていなかったりするし、同族中心で長年やっているだけで学生たちと直接交流するわけではないから、学生保護の意識も教育者の社会的責務も希薄になっていたりする。もちろん、優秀な教育者たちによって運営されている健全な学校もたくさんあるけど、腐り果てた昭和旧弊的な小規模内輪組織の場合も残念ながらわりと存在する。一族経営でない場合でも、同じような状況になる可能性はいくらでもある。
 そうした組織が、スポーツなどの特定の柱によ寄り掛かったままでいると、それ以外の選択肢が取れないところまで追い込まれている場合もある。そうすると、何か不祥事が起きたとしても、その柱にしがみつき続けるしかない(=隠蔽してでも何をしてでも、成算が低くても、それに賭け続けるしかない)。客観的にはともかく、少なくとも主観的には、「それしか無い」「それを守っていくしかない」と絶対視する認識になってしまう。そして、その部門を担っている担当者(監督たち)の権力が異常に増大する。
 保護者&学生側も、そういう事情を理解したうえでその学校を選んでいるわけだから、基本的には一蓮托生になり、大きな問題が起きた場合でも、学校の方針を表立って批判することができない。かれらにとっても、それは「自分たちが頼るべき、学校の価値を生み出している柱」になってしまっているので。さすがに、よほど致命的な問題になって集団訴訟を提起するくらいになればまた別だが、そこまで至らない(とギリギリまで信じ込む)範囲内では、学校法人の方針に従順であり続けるしかない。
 その挙げ句が、まあ、ね……。風通しの悪い抑圧的組織が生まれてしまうことは、なかなか避けがたいものだけど、やはりそれはパブリックにきちんと批判されていかなければ、社会は良くならない。そして、十把一絡げに「学校は良い/悪い」と断じるのではなく、「どのような条件の下で、どのような要因が、どのような構造的不正義をもたらすか」という観点で冷静に分析すべきだろう。
 いずれにしても、未成年者である生徒たちの尊厳を守ろうとする姿勢を取れない教育機関は、端的にケーユーエスオーと呼ぶしかないが。

 学生の集団スポーツは(あるいは吹奏楽などの隣接領域も含めて)、多かれ少なかれ、小集団の抑圧的な規律支配に傾いてしまいがちだし、活動の財務的存続のために商業主義に手を染めてしまいやすい。なので、個人的には、集団スポーツものの漫画はまず読まないし、そういうジャンルのアニメも視聴から外している。スポーツもまた文化なので、一概に悪いというわけではないけれど、現代のスポーツ組織慣習はとても肯定できないので、少なくともそこにお金を落とすことはしない。

 もちろん、それを言うならアニメ産業も、異常な搾取が常態化しているわけで、それを無視してただ笑って視聴していてよいのかという問題はある。実際、2010年代以来の私はそういう観点から、アニメから距離を取っていたし、今でもけっして「アニメオタク」を名乗るつもりは無い(※アニメを自分のアイデンティティにしないし、また、「オタク」という汚れた名前を引き受けるのももう嫌だ)。ここ数年で画趣あるにオンライン視聴をするようになっているのは、はっきり言えば、そして恥ずかしながら、機会的妥協と倫理的後退にすぎず、ずっと疚しさを抱えたままでいる。

 保護者や一般学生は、組織的虐待構造から、間接的とはいえ一定の利益を得てきた関係者ではあるのだが、そうした消極的なbystanderに責任を問いすぎるのも、事態の解決を遠ざけてしまうだろう。直接の当事者や監督責任者でないアクターについては、心理的-社会的な救済(脱出支援も含む)を重視した方がよいと思う。とりわけ当該部活の所属者たちは、継続的集団的虐待(があったとして)を知らなかった筈が無いのだし、かれらもけっしてクリーンだとは言えないのだけど、それでもね……。
 カルト被害者と似たようなものだ。カルトやマルチ詐欺の被害者は、同時に、犯罪者を肥え太らせてしまった当事者でもあり、部分的には(広い意味での)共犯者でもあり、そして首謀者に指示されてさらなる勧誘拡大の尖兵になっている加害者としての側面も不可避的に持つのだけど、そこを強く責めはじめると、カルト解体がかえって遠のく。首謀者以外については、脱洗脳と脱退支援を重視するのがよい。これはカルトだけでなく、ヨットスクール的虐待サークルや労働者抑圧的企業やカルト政党についても、同じような考え方で臨むべきだと考えている。


 現生人類は、気候変動の激甚化と、それに伴う生態系の崩壊と第一次産業の破綻(=全世界的飢餓)、そして社会秩序の致命的解体とそれによる危険物管理の失敗(原子力施設や生物兵器)によって、せいぜい50年も経たずに絶滅するだろうと思っている。ごく一部の富裕層などはシェルター内でしばらく生き残るかもしれないが、それもエネルギー供給や対処困難な病気などの問題ですぐに終わりが来るだろう。
 コロナ以降の経緯を見ても、人類がそうした致命的な問題に対して歩調を合わせることは不可能であると判明したし、なんらかの技術革新があったとしても絶滅をほんの少し先延ばしにするだけで、結末そのものはもう変えられないところまで、地球環境の悪化と社会構造の歪みが行き着いてしまったのではないかと思っている。
 あとは、何億年も保つとされるガラス板ストレージに、理想のイラストのデータや最も美しい音楽のファイルを掘り込んでどこかに埋めておくくらいかな。



 08/05(Tue)

 姉様再現計画は、新記事にて。この雑記欄の制作中メモも、そちらに移設した。
 制作そのものは、あまり手間をかけずに簡単な作業だけで完成した。要は、適当な脚部を調達してポン付けしただけなので、技術的難易度は低い。ただ、そのわりに見栄えはするし、私なりの個性も出せたし、ガールプラモシーンに何かちょっとしたものを追加できたと思う。グロいけど。


 大人なのでジャムやクリームを単体でmgmg食べまくることも出来てしまうのだが、しかし私はもう大人なのでそんなことをしてはいけない。「水飴は毒じゃぞ!」


 10月18日からの模型コンテスト。せっかくだから今回も参加してみたいが、どれにしようかな。私なりの出品基準は:
 1: できれば珍しいものを。つまり、他に無いものを出し合うことに価値がある。風変わりなキットや、実験的な技法など、何かしら見せどころのある作品を出す。
 2: 入賞したくないので、受けそうなネタは極力外す。そもそも個人的に、キャッチーなものは好みではないから、問題にならないと思うけど。
 3: クオリティ面では、全塗装で隙のない完成度であること。ただし、合わせ目消しやヤスリの面出しまではしない(※いつものことだが)。

 今年制作した中で挙げるなら、「自然選択号」か、あるいは「タンク(Midnight Fang)」あたりかなあ。「ライガーテイル」はサイズがぎりぎりだし、派手なキットなので他の方が出してこられる可能性も高い(※ネタ被りになってしまったら申し訳ない)。最新作の姉様は、見た目がグロテスクなので企業コンテストに出すのは憚られる。昨年の制作だと、ミリタリー系ガール「STAPEL」は、機会があればどこかに出しておきたい。

 初音姉様の写真は、どこぞの大きなSNSに上げてみようかと思ったけど、目立ちたくないので差し控えた。web検索などでブログ記事を見つけてくれる方が何人かでもいらっしゃったら十分ありがたいという気持ちで。
 ただし、あくまで目的は、「目立ちたくない」、「邪悪なSNSのコンテンツを豊かにしてやりたくない」なので、マイナーで健全で平和的なSNSには上げている。


 「ゲーム性」と言われてきたものを定義する試み。これまで使われてきたニュアンスをきれいに整理しているし、言語的にも明晰な説明になっている。
 私なりの理解でパラフレーズすると、それはゲームの静的なシステム(メカニクス)そのものではなく、プレイヤーに対して意識的なアクション(特定の選択や行動)を促す性質を持っていることを指す。そしてこれは、プレイヤーの主観の側から見れば、ゲーム攻略を意識させられている状態だと言えるし、システムの側から客観的に捉えるならば、なんらかの流動性(不確定性)の中でプレイヤーをなんらかの仕方で行動させようとすることを指す。
 言い換えれば、例えばサイコロのように「単なるランダムであって、参加者の意志的介在が無意味である行為」は、ゲーム性(ゲームらしさ)が欠ける。同様に、読み物ADVでは、選択肢が極端に少なかったり、選択肢を選ぶ効果が見えづらかったりする場合には、システマティックなダイナミクスは乏しく、インタラクティヴ・フィクションの次元に留まる。他方で、知恵の輪などのパズルも、この定義からすると「ゲームだ」「ゲーム性がある」と言えるだろう。
 私自身がゲーム(性)について書いてきた時も、静的なシステムそのものの説明ではなく、それがプレイヤーをどのように動かすような仕組みであるかに注目してきた。STGのようにゲーム目的があらかじめ明確である場合にも、あるいは、SLGのように大きなシステムの広がりの中でプレイヤーが何を見出していけるかを考える場合にも、まさにこのようなアプローチを採っていた。そうした実践に対して、より厳密な言葉を与えてくれたのが、上記の定義だ。ありがたい。

792 : アクセサリープラモ
176*2 : 塗料
704*3 : オプションパーツ(MSG)
792 : オプションパーツ(MSG)
616 : ポリパテ
605 : 紙ヤスリ
880 : 金属ヤスリ
……たったこれだけなら、せいぜい4000円台だと思うでしょ……6149円なんだよなあ。


 近所の模型展に行ってきた。規模は小さいものの、総じてクオリティは非常に高かった(※展示されていたのは、50個くらい)。
 正直に言えば、電飾やゴテ盛りデコレーションは私の好みではなかったれけど、それはそれとして、技術的には参考になるところが多かったし、アレンジの発想や色彩の面白味についてもいろいろな刺激を受けることができた。
 個人的に気に入ったのは、がっしりしたレッグアーマーのオリジナルガールや、シルバー塗装のメカ初音ミク、ストライクウィッチーズ風のVFG「カイロス」あたり。大スケール「轟雷」にスケールモデルパーツを装着させるのは、まさに私がやりたかったネタだが(※「出雲」で試そうとして断念したアプローチ)、この1/6サイズならではの迫力と説得力があった。盛り付け路線では、おそらくレジン製の龍首を何本も生やしてサイケカラーに塗った作品が、さすがに大きなインパクトがあった。

 私のアプローチは、「基本的にはキットに忠実なままで、色調やディテールをちょっと整えて完成度を高める」、「特定のコンセプトを設定してその実現を目指すが、合わせ目処理などの細部の作業はサボる」というものなので、キットそのものの出来に左右されるし、おそらく素組みと見分けがつきにくいだろう(=言い換えれば、モデラーとしての私の個性は見えにくい)。もっとも、他人に見せるための作品ではないから、そのあたりは気にしていない。また、模型制作思想それ自体としては、「キットはあくまでキット(マテリアル集)にすぎない」とも考えている。
 それに対して、表面処理まで丁寧に粘り強く継続作業できるモデラーや、自分なりのイマジネーションを形にしていけるクリエイターたちには、自分とは違った価値観や精神性を持っている趣味人として常に敬意を持っている。


 「異世界旅行手帳」キットも店頭に出ていたので買ってみた。メーカーのPR-Productionは、以前に正統派ガールキット「漣」を発売した。
 長所は、「とにかく安価」、「すっ裸のボディから、多少差し替えして武装状態にするという、ちょっと面白い実験性がある(※シリーズ化しての自由な組み替えも想定されているだろう)」、「ねんどろいど体型のキットは貴重だし、場合によっては使い勝手が良いかも(黒白無常仙ともほぼ同じ)」。「イラストがとても可愛らしい」、「シリーズ展開していくらしい(第2弾も告知されている)」。
 短所は、「安いけれど、関節構成などは普通のキットと同じなので、手間が掛かる割には満足感が低い」、「武装を着込むのは、見た目のうえではあまり意味が無い(※ちなみに素裸状態もべつにえろくはない)」、「イラストとキットはあまり似ていない(※フェイスパーツも無表情)」といったところ。
 暫定評価としては、「SD体型のキットはユニークな試みだが、ディテールも浅いし、手間も掛かるので嬉しくない」。プラモデルのような趣味の商品では、「安かろう悪かろう」はほぼ無意味であって(つまり、買って時間を掛ける価値が無い)、多少高くてもいいからクオリティで満足させてくれる方がありがたい。
 もしかしたら、これはこれで新しい市場、新しい分野を作り出していくかもしれないけどね。最近の中国カーカーは、完成品の小型フィギュアだかドールだかのような商品を大量に出していて(※日本のランダム封入トイを数段ゴージャスにしたような路線)、そちらとの親和性も高いだろうし。

 価値のないもの、満足のいく水準に達しないものは、たくさんあっても困るだけなんだよね……。ボリューム面のコスパだけが高くて、クオリティが中途半端なものは、買っても無駄金になるだけ(自宅の邪魔物が増えるだけ)なので。これは趣味関連でも、あるいは食材などでも当てはまる。
 ただし、品質の違いがほとんど意味を成さない場合には、そういう商品にも意義がある(例えば「なんでもいいから乱読したい」とか、「ただの時間潰しでプラモを組み立てたい」とか、「栄養があれば不味くてもいい」とか)。また逆に、「出来が良くても高価すぎて買うのに躊躇する」という場合ももちろんあるので、価格とクオリティの綱引きにも一定の意味はある。
 例えば「2個10000円、3個で12000円」という場合でも、その製品が2つあれば十分(※予備分も不要)であれば、3個セットを買ったら「1個の邪魔物(+廃棄料)+2000円の無駄出費」になるだけなのだが、しかし、まあ、3個セットの割引に釣られてしまう人がいるのも理解はできる。