2025/09/05

アニメ雑話(2025年9月)

 2025年9月の新作アニメ感想。『鬼人幻燈抄』『クレバテス』『第七王子』の3作。

●総評。

 『鬼人幻燈抄』(2クール目)は、エピソード群のオムニバス的な散漫さは相変わらずで、作画(動画表現)は終盤落ちてきてきたが、絵コンテの美しさや背景美術のムード、そして江戸~幕末の時代的空気を反映した造形がたいへん趣深い。「天邪鬼の理」や「茶飲み話」のような含蓄に富んだエピソードもある。75点(※1クール目と同じ)。

 『クレバテス』は、場面ごとの空間的な雰囲気やスケール感の表現が素晴らしい。作画も丁寧でありながら、勢いのある構図や表情づけで、見応えがある。ただし、ひたすら台詞で説明させるところは惜しい。75点(※一般的な評価としては、80点でもよいくらい)。

 『第七王子』は、無策無思慮に漫画版の絵を猿真似しただけで、映像としてのテンポも作られていないし、動画としてもただ静止画にエフェクトと台詞を乗せて誤魔化すばかり。ストーリー面でも、ほとんど漫画版をコピーしたままで、アニメ版としての独自の意義はほぼ皆無と言ってよい。ただし、一部の声優の頑張りのおかげで、音声だけは多少聴ける。20点。

 その他。オリジナルアニメ『陰陽廻天 Re:バース』は、2話で飽きてしまったが、最後まで視聴してもよかったかもしれない(※いつかきちんと観るかも)。今期はオリジナルアニメを一つも摂取できなかったのが心残り。
 『瑠璃の宝石』は、『おしまい!』の藤井慎吾監督で一定のクオリティはあるだろうと思ったが、キャストに興味が無かったので外していた。世間的な評価も高いようなので、機会があれば見てみるかも。原作は、第1巻だけ買って読んでいた(※KDKW不買を始めた直前の2020年刊)。



●『鬼人幻燈抄』。
 第21話は、江戸(幕末)編のフィナーレ。鬼が持つ異能の根源を語り、そして鬼と武士の双方の終わりを描く。作画はやや浅いものの、意欲的なレイアウトと声優陣の芝居が、物語全体の説得力を確保している。今回の白眉は茅野愛衣氏(おふう役)。2クールに亘ってキャラクターをじっくり育ててきたその最後に、複雑な情緒に満ちた別離のシーンを絶妙に演じている。

 通算22話は明治5年、「二人静」の回。今回も、軋むような劇伴の雰囲気が抜群に良いし、レトロな街並みのロケーション設定も効果的(※背景作画の質感表現や時間帯表現は良い。ただし、京都の夜の大路でも延々殺陣をしているけれど……)。食事シーンを初めとして、キャラクターの日常の細やかな所作を頑張って動かしているのも好印象。絵コンテは、前回に続いて新留俊哉氏。戦いを終えた翌日の店内で、兼臣さんの背景に可憐な花瓶と穏やかな丸窓をフレームインさせているのも、滋味に富んだ美しい演出。
 ただし、アクションシーンの苦手ぶりも相変わらずだし、キャラクターの顔造形が不安定になってきた。新たな美少女キャラがいきなり3人も出てきたが、音声芝居は、うーん。兼臣さんの外見や性格造形はかなり好みなのだが……。
 ストーリー面では、ついにラスボスが姿を現した。これで2クールの物語を締め括る予定だろうか。原作は昭和平成の世までずっと物語が続くらしいが、このアニメ版のこれまでのユニークな個性は、江戸時代の文物と風景の魅力に多くを負ってきたので、それを手放してしまうとつらい。その意味でも、明治時代の始まりを素描したところまでで完結させるのは、アニメ版としては無難な対処なのかもしれない(※原作小説のまま映像化すると、どうやら7クールくらいは必要になるようだが、さすがにそれは無理なので、ここらが潮時だろう)。
 「おじさま」と繰り返し呼んでいるのは、ミドルエイジ男性の「小父さま」ではなく、親族の「伯父さま」だろう。字幕や翻訳でどうなっているかは分からないが。

 絵作りできちんと見せようとしている姿勢は、はっきりと見て取れる。例えば背景美術のディテールや歴史的雰囲気、周囲の小道具による意味づけ、そしてレイアウトによる映像的美意識など、おそらく原作小説には描かれていなかったであろう要素を盛り込んで、アニメ媒体ならではの作品として丁寧に作り出している。つまり、絵コンテと演出(そして設定制作などの地固め)がしっかり仕事をしているので、見るに堪える密度のある映像作品になっている。動画(中割アニメーション)に関しては息切れしかけていて、至らないところも散見されるのだけど、アニメ作品としてどのような表現を目指しているかは明確に伝わってくる。そば屋の店内や武家屋敷の内部構造まで、ロケーションをしっかり作り込んであり、そしてそれを映像演出に結びつけている(※例えば、店内の賑やかさや、深みのある奥行き表現、障子越しの距離感、そして光源表現の情緒など)。そういう美質があるから、この2クールの長丁場を保ちこたえて映像的品位を維持してきた。

 通算23話。おそらく最終エピソード(の前半)なのだが、出来は今一つ。ぽっと出のサブヒロイン視点に飛んでしまったせいもあるし、タイムリープという扱いの難しい素材のせいでもあるだろう。映像のレイアウトについては、ところどころユニークで情趣あるカットも現れるし、朝顔の身振りも生き生きした動画になっているが、総じて型通りで、面白味は乏しい。劇伴(BGM)のないシーンも多いが、語りの魅力を増しているわけでもないので、空疎感に流れてしまいがち。ただし、原作由来とおぼしき橋の上の回想トークは、さすがに深みがある。
 「朝顔」役の鈴代氏は、今回はわりとまともな芝居だが、主人公の八代氏はやや息切れ気味で、キャラクターの内面造形の説得力に欠ける。もったいない。
 冒頭のフラワーショップの描写がやけに思わせぶりだったので再確認したら、「三浦花店」……つまり、あの後ろ姿のキャラクターはおふうさんなのか。

 第24話。時間を超えてきた少女と、時間を経て生き続ける鬼男、そしてごく普通の人間として生きてきた女性の、交流と再会の静かなドラマ。背景作画はやや薄めだが、物語の情緒を支えるには十分な出来。
 終盤で出てきた鬼妹の配下たちもいきなり出てきた居候も宙吊りのまま終わってしまったが、まあ仕方ない。できればこのクオリティでアニメ版の続きも観てみたいが……。



●『クレバテス』
 第9話は、黒沢ともよ怪演劇場。田村(睦)氏もいよいよ好調。ただし、サブキャラには今一つな芝居も聞こえてくるが、まあ仕方ない。メイン二人の会話に黒沢キャラ(魔道士ナイエ)のとぼけた呼びかけを重ねていくのは、現代アニメとしてはかなり大胆な演出(※台詞を被らせるのは、よほどのことでなければ避けるので)。
 映像面では、ややぎこちないカットもあるが、奥行きや瞬間の効果を使ったダイナミックな演出もあり、見応えがある。盾を並べて防御するアニメーションなど、集団戦闘シーンも凝っており、描写としても説得力がある。
 今回活躍したハイデン妃は、王族の血の力を継いでいないにもかかわらず強大なボスキャラと対峙する。相変わらず、「不遇だけど頑張るポンコツ苦労人キャラ」ばっかりで嗜好駄々漏れだな!(にっこり)

 第10話は、将軍ドレルの過去回想が展開される。ここに至ってようやく、物語の各パーツが噛み合ってきた。すなわち、主人公の父親の因縁、勇者伝承の謎、魔獣王たちの存在、魔剣鍛冶と魔術の併存、そして世界そのものの謎に進んでいくだろう。
 映像表現も力が入っている。空中戦闘の迫力や、衝突時のインパクト、肉体再生のアニメーション、高低の立体的表現、そして魔獣の巨大感演出、等々。背景のタッチや随所に見せるレイアウトの童話めいた雰囲気も、どこか作り物めいた手触りと神秘的なムードを形作りながら、キャラ絵のクリアカットな存在感を際立たせている。

 第11話は、たいへんな力作。空間を存分に活用してカメラを動かしまくるバトルアニメーションや、遠景の奥行きを強調した外連味のあるレイアウト、そして背景の(モブ戦闘などの)効果音、さらには田村氏の複雑なニュアンスに満ちた独白芝居、等々。ストーリー面でも、より広い世界に向かおうとする人類の力強い希望(アリシア)と、それを縛り付けてきた呪いのような伝承に対する虚無感(クレン)の対比――つまり「自由」と「運命」のコントラスト――が、苦いドラマを作り上げている。
 前半のロングジャンプが、延々喋りながらずっと浮いているのはご愛敬。作画コストの限界でもあり、また、説明台詞過剰の問題でもあるが、このくらいは仕方ないだろう。絵コンテ&演出は、田中宏紀氏。
 それにしても、主人公もゾンビ、敵ボスもゾンビ、王様もゾンビと、いよいよもってリビングデッドばかりになってきた。原作者岩原氏の趣味かなあ。
 「旧人類によって仕組まれていた世界」というのは、90年代末から00年代前半頃に一時期流行していたネタで、ちょっと懐かしい。名高い『ナウシカ』以来、有名なところでは『スクラップド・プリンセス』(1999)、美少女ゲームでも『うたわれるもの』(2002)など。『シュガーコートフリークス』(2010)あたりまで、ずっと続いていく。また、その支流として『Princess Holiday』(2002)や『AQUA』『ARIA』(2001-)のような人工的環境(テラリウム)趣味や、ヴァーチャル世界ものも広まっていった。

 第12話。冒頭から、進軍の破壊跡に沿ってまっすぐ超ロングティルト(ドリー)カメラを走らせるのが格好良い。それ以外も、いかにも特撮めいた映像構成が頻出する。田口監督は、怪獣特撮で多くの実績を上げているが、主要キャラクターの周囲の雰囲気まで掬い上げて表現しているのは、そのキャリアのおかげもあるだろう(※モブの動きや雑踏ノイズ、そしてロングショットでの空間表現など)。幼児を歩かせる場面や、末期のドレルがマルゴに呼びかけられるあたりも、どことなく実写系の感動シーンっぽい(※ちなみに、幼児が立ってよちよちと歩いていく描写は、動画表現としても秀逸な出来映え)。
 幼児「ルナ」役の会沢紗弥氏も、特にこの終盤2話の芝居が素晴らしかった。こういう喃語を演じられる声優はそこそこ珍しいようだが、この方はいったいどこでこのスキルを習得したのか……。『鬼人』の奈津役ではあまりピンと来なかったのだが、この作品での会沢氏の名演はたいへんな聴きもの。
 ともあれ、実写ではなくアニメだからこそ、ダイナミックな構図や、極端なクローズアップショットや、遠近のオーバーラップ演出、融通無碍なヴィジュアルエフェクトを惜しみなく使うことができるという優れた実例になっている。現代アニメは、カメラそのものは止めてキャラクターのアクションを重視する傾向があると思うが、それに対してカメラワークやレイアウトの面白味を前面に押し出した本作の意義は大きい。その一方で、幼児がぎこちなく歩く様子を丁寧にアニメーション表現したのも、意欲的にして効果的な良い判断。絵コンテは佐野誉幸氏。
 ナイエくん、馬車落下に巻き込まれたまま放置されてボロボロとは、なんと不憫な……。



●『転生したら第七王子』
 第21話は、完全食戦と月皇戦の二つ。漫画のモノクロ表現に合わせてアニメそのものも(ほぼ)モノクロにした奇手は、案外面白かった。OPパロディを敢行したふてぶてしさも好ましいし、「完全食」を大型/中型/小型ヴァージョンでわざわざ3人の声優に割り振った贅沢さも微笑を誘う(※そんなところにコストを掛けたのか!?)。
 後半の剣技戦闘も、アニメーション表現を多少拡充していた。とりわけ、「聡明で……カッコよくて 可愛くて……」のところでシルファに細かく振り付けをさせるなど、ネタ回だからこその吹っ切れた意欲的演出が利いていたのは皮肉。ただし、決着の一撃は相変わらず止め絵コピーでやり過ごしている。

 第22話は黒竜戦。ナレーション(地の文)をキャラクター台詞で喋らせてしまっているので、説明過多の印象が強まっていよいよダサい。せっかくのアクションシーンなのに絵を動かすのをサボって静止画+エフェクトだけで誤魔化しているところが多く、その一方で倒れた黒竜がもがいているところだけは細かくアニメーションさせているのは、コスト配分としても演出コントロールとしても不可解。
 黒竜を演じているのは楠大典氏。ちょっと落ち着きすぎで、個人的には若き黒竜の精神的な不安定さを強調してくれた方が良かったと思う。ギタン役の宮本充氏は、穏やかさの中にも迫力と虚無感を同居させていて、たいへん説得力がある。タオ役の関根氏も、今回の力演は上手くハマっている。そして「グリモワール/グリ太郎」役のファイルーズあい氏は、キャラクターの底力を存分に表現した名演。
 それにしても、下手にシーンの順序をいじったせいで、「大雨の中で、ピアノを露天で設置して演奏していたんかい!」というツッコミも生まれてしまっている(※漫画だと、ピアノを出す前に雨の描写を消しているので、この問題は生じていない)。このアニメは本当に見せ方が下手だなあ……。「無策にただ忠実」なのではなく、「いじった箇所でおかしな描写が増えている」のだから、ひとえに玉村監督自身の失策と言うほかない。

 作中でも触れられていたが、ギタンとギザルムが戦ったらどちらが勝ちそうか。ギタンの聖属性攻撃は魔族に対して属性有利だが、ただそれだけとも言える。なかなか決定打にはならないだろう。分離キメラで手数を増やしても、倒しきれそうにない。ただし、アンチ・ギザルム・エクスカリバーを当てれば、霊体でも消滅させられるかもしれない。
 他方でギザルムも、ギタンの回復能力や反射回避を超えて倒しきれるか疑わしい。ただし、大量の魔力槍で縫い付けたうえで、斬首して意識を絶つか黒死玉に吸い込むかすれば勝てるかも。
 ということで、どちらも相手の再生能力を上回ることができないまま終わるか、。ギタンのスタミナとギザルムの魔力で先に尽きた方が負けるか、あるいはどちらかが先に特効即死(?)攻撃を当てるかの勝負になるかの問題だろう。どちらかが決定的に有利/不利ということは無さそう。

 ちなみに完全食くんに対しては、ギザルムは「黒死玉で消滅させる」、ギタンは「全身を食べる」で、たぶん勝つ。完全食はこの時点では、ギザルム/ギタン/ロイドの3者には負けるが、それ以外はどのキャラにも勝てる(というか、負けない)と思われる。
 ただし、それ以降のストーリーだと、剣聖マルクオスならば、再生できないくらいまで細切れにして勝てるかもしれないし、イドくんも強力な魔法で完全食を消滅させられるだろう。バミュー領域で窒息(=行動不能)しても事実上負けだろうし、狂気樹海の精神攻撃でもたぶんアウト。「無限再生&その都度強化」だけではさすがに限界がある。

 第23話。止め絵だらけの進行はエフェクト(撮影処理)でかなり誤魔化しているが、音響演出の力もあって劇的に盛り上がっている。主演の小市氏も、これまでは物語の額縁のように堅実な芝居だったが、ここに来て緻密で迫力のある台詞を展開している。ヤタロウが余計なところでフレームインして目立ちすぎたり、美しい黒旋砲のシーンにカットインを重ねたりする無策ぶりは相変わらず(※グリモの「やりましたぜ!」台詞も漫画版には無く、アニメ版で追加されたもの)。
 光武剣連発のシーンは、ここだけはダイナミックに動いている(※アベユーイチ氏によるコンテパートか?)。アナスタシアの落涙や、花のしおれる花瓶のカットも、アニメ版独自の追加。

 第24話は、いつも通りのベタコピー+エフェクト頼みなので、特筆すべきところは無い。ギタン役の宮本氏の芝居が大人しすぎて、バトルの切迫感や感情的ニュアンスに欠けるのも残念。