2016/05/07

『スメラギドレッサーズ』感想集

  『スメラギドレッサーズ』についてのいろいろ。


  05/06(Fri)
  『スメラギドレッサーズ』、最終巻を購入。たしかに、ここでの終わりは本意ではなかったのだろうけれど、その紙幅の限界の中でも、まりあ戦の美しい結着、ドレスの究極形態としての結束スキル、ラスボスバトルとその性格造形、そしてドレッサー5人の勢揃いと幸せへの道筋までを示唆してくれたのは、感謝するしかない。

  この4巻でも、見開きの迫力ある描き込み(p.16, 36など)や、巨大怪物(ごめん)の表現(p.24f.)など、見どころは多い。スメラギア戦での、5人がそれぞれ全力を尽くして協力するシークエンスも、緻密かつ効果的に描かれている。44頁では、通常の「溜め」としての黒ベタゴマとは趣を変えた、優しい「解放」があった。また逆に、スメラギア戦では、普段とは異なる荒々しいタッチのコマを(しかも大胆な誇張的パースで)描いて、ラスボスの異質性やプレッシャーを巧みに表していた(p.78)。写植文字やフキダシ形状の使い分けも、まりあやスメラギアで、さらりと使いこなしている。スメラギアについては、角張った多角形のフキダシと、ほっそりして人工的なフォントが、冷酷で非人間的なスメラギアの性格を適切に反映している。コマ割りの観点では、戦いが激しさを増すのに合わせて、縦の裁ち切りが激増しているのも面白い。縦の視線誘導による力感と速度感、そしてコマの狭さによる緊張感が、終盤の激戦に相応しい視覚的演出を構築している銀河だ。
  あまりにも美しい「おともだちとのろう!」(p.50f.)については、もはや贅言を要すまい。

  読み返してみると、あの直線的な擬音レタリングの機能性にも気付かされる。すなわち、あの「ドオオッ」「ブワッ」といった文字効果音は、1)一つには、以前書いたように、スピード線を描かないスタイルと合わせて、紙面全体に静止画めいた緊張感とデザイン的な清潔感をもたらしている。しかしそれだけではない。
  書き文字らしさを離れたこの擬音は、文字(文字列)としての連続性や固定性をも手放し、そしてそれによって、画面全体に一文字一文字が自由に散らばることができるようになった。それは、2)絵を邪魔しない位置に擬音文字を避けておくことをも可能にしている(消極的効用)し、さらには、3)画面内に力学的な配置を持つことをも可能にしている(積極的効用)。実際、これほど大きなサイズで書かれていながら、これらの擬音文字は、絵の見せどころに被さることは無く、明晰さと迫力を両立させることに成功している。そしてさらに、黒く太い文字群は、一コマ内部でのレイアウトによって融通無碍に視線誘導を行いつつ、ページ全体の垂直水平と歩調を合わせて紙面構成の一部をも担っている。
  例を挙げてみよう。例えば16頁では、「ドゴオオッッ」という擬音は、文字の順序によって螺旋型のねじり込みを意識させつつ、全体としては集中線と歩調を合わせるように展開されて、奥行き感を強調することにも寄与している。また、36頁では、「ブォオオッ」という擬音が、Z字のような位置関係で配置されているが、これは桜吹雪の(おそらくは)縦の螺旋状運動の表現を補助しているし、それでいて、キャラクターやフキダシを遮らない位置に広がり、しかも、紙面に空疎なスペースが生まれないようなサポートをも行っている。このように、擬音の力学的配置(擬音による力学的構成)を意識的に行っている漫画家はなかなかいない。デビューしたての漫画家とは思えないほどの――と言うのは立派なプロ漫画家に対して失礼かもしれないが――複雑巧緻な視覚的演出だ。
  これが、通常の擬音であれば、a)フリーハンドな手書きの筆致の場合は、一フレーズの擬音はつなげて直線的に書かれる。文字と文字の間が分断されてしまうと、読みづらくなるし、擬音としての位置づけが不明瞭になり、要するに紙面上邪魔なものになってしまう。したがって、それを避けるためにも、擬音はしばしば人物等にオーバーラップする形で書き込まれる(――ひとまとまりの言葉としての認識を維持させるためには、そういう形を取るしかなくなる)。また、b)紙面全体に対して書き込まれる場合(例えば『ドカベン』『リク』の「ワー」「ワー」や『鮫島』『錻力』の「ア」「ア」「ア」といった周囲の喚声)は、いわば紙面のデコレーションであり、あくまで紙面全体にランダムに瀰漫しているべきものであって、その性質上、特定の表現上の方向づけを担うことは難しい。
  これらに対して『スメラギ~』は、非常に珍しくそして意欲的な、第三の道を歩いている。それは、どんなスタイルの漫画にも使えるというようなものではない。本作のように、「くっきりした描線」「人体のコミカルなデフォルメ」「奥行きのあるコマを描けるだけの人物描画サイズ」「ケミカルなコマ組み」「スピード線を排除した絵」といった一連の特有の漫画表現アプローチと併せて使用する時に、ようやく初めて可能になる(その効果が発揮される)という、非常に扱いづらい技法だ。松本氏はそれを敢行し、そしてそれに成功した。

  おまけ四コマでは、登場人物たちの日常シーンが楽しげに描かれている。こういうシーンも難なく描かれているあたり、松本氏の能力は信頼してよいと思ったし、そして、もっとこんな楽しいシーンをたくさん読みたかったとも思う。

  「理詰めで作」られた漫画作品の表現を――その造形的構築性と人工美の特異性を――、同じくできるだけ理詰めで解釈しようとしたら、私ならばだいたいこんなことは言えるだろうか。キャラクター造形やドレス性能については、私以外の松本ファン、『スメラギ』ファンの方々の考えを伺ってみたいところだ。

  ありがとうございました。新作に出会えることを心待ちにしています。

(2016年5月6日、自宅にて撮影)
『スメラギドレッサーズ』全4巻。
やったね、10冊揃ったよ、これでドレスも10着全部揃ったね! (一人が何冊も買うなんてことをしなくても、10人が1冊ずつ買って読んでくれるのが[そしてそれでちゃんと連載が続くのが]、本当は一番良いのだけどね……。)

  webでは「漫画は拙いけど燃える展開だから」といったような誉め方をしている人を見かけるけど、これほどの技巧を凝らしている漫画家に対してその言葉は、見当違いだし、失礼でもあると思う。たしかに、隙のない漫画家というわけではない(例えば「戦闘時の動きがよく分からないコマがある」といった瑕疵はある)が、漫画表現技法の案出及び実践の次元で未熟といったことはまったくあり得ない。


  単行本完結を機に、「漫画雑話」ページから切り分けて、独立のページにまとめることにした。こうしてみると、最初のうちはずいぶんひどい感想を書いていた。(ごめんなさい)
  ……しまった、このページのタイトル(URL)は、sume"R"agiじゃなくてsume"L"agiに、あるいはいっそ、SUMELAGYAにすればよかった。


  巨大化まりあがレロレロしているところが可愛い。(おばか)


  ゲス山さんは第1話から出ずっぱりだったけど、第3巻の途中(p.86)からぷっつり登場が途絶えてしまったね。まりあ戦ではみうみうがヒール役を一手に引き受けていたし、それ以降はもう終着点までの道程を示唆するのが精一杯だったから仕方ないのだけど、シナリオのあり方が激変したことが、こんなところにも見てとれる。最後の最後に、ゴーグルを置く一コマがありはしたが。



  04/08(Fri)
  第03巻。みうみう、あれで48歳かよ! まあ、キャリアと経過年数を照らし合わせれば、わりと妥当な数字ではある。乳児のまりあと初めて会った時点(101頁、31歳前後)で、すでに精神科医として仕事をしていたわけだから。そして数年後にまりあに再会してからは、あっという間に夫婦関係を破壊して、まだ幼い彼女の力を使って裏社会で活動していった(そしてその過程でスメラギアに会ってツクヨミに加入した?)という経緯になる。
  それにしても、「スメラギ超絶大図鑑」のイラストはどれも、本編ではほとんど見られなかった、キャラクターたちの無邪気に朗らかで楽しそうな様子が可愛く描かれていて、なんだかもう泣けてきそうなくらい。

  02巻のハンナ戦は二対一バトルの精華と言ってよい出来だし、この03巻のまりあ/みうみう戦も、言葉と意味のレベルでのぶつかり合いを含む非常に複雑なものになっている。単行本で読み返しても、本当に良い作品だと思う。この漫画に出会えたこと、この漫画を読めたこと、連載時に楽しんで読んでそして単行本で再読できたことに、あらためて感謝したい。

  「ピアノの才能のある子供が/実際にピアノを始める確率がどのぐらいあると思いますか?」(03巻99頁):連載初期からの、集団心理の陰惨さを正確に突く性格の悪さ(褒めてます)が、ここでは特定個人の思考の邪悪さとして結実している。「考えてる事は……大体一緒ですからね!」(同81頁)のくだりといい、26話サブタイトルの「裸の王様、裸の女王」の対句表現といい、それから24話の「本音と建前」が27話の「本音でも建前でも」できれいに応答されているところまで、テキストワークの上手さをあらためて楽しんでいる。

  エメラルドクイーンに殴られたワールドタヌキの中の人が出てしまっている(106頁)のを見て、読み返す度に笑ってしまう。

  瑣末な話だけど、「丘納」(170頁)ってどう読むのだろう。ggってみたところ、「岡納(おかの?)」という名字は実在するようだが。実在の固有名詞にヒットしないように適当にアレンジしているのだろうか。

  ポニテ+帽子+パーカー+ショートパンツ+スレンダーに加えて、「褐色肌&銀髪(?)」「ボクキャラ」「ツリ目三白眼」「妹キャラ(たぶん)」「第三勢力」と、ずいぶん属性を乗せまくってるよなあ。終盤でエレナにノされたらしき言及があっただけで、最後のドレッサーズ5人には入っていなかったけど、結局どうなったんだろうか。



  03/10(Thu)
  最終話「」。きれいな終わり方でした。

  ネクロの手で強化されたメカみうみうとか、猫に愛される改造人間VENUS様とか、ゲス山さんがゴーグルを外した状況とか、ミカガミ芽伊さんとライメイ美咲さんの活躍とかも見たかったけど。

  最後の第04巻までちゃんと刊行してくれるようで一安堵。表紙は03巻がハンナで04巻がまりあ、あるいは03巻にまりあで04巻が芽伊だろうか。


  ああ、そうか、『イカ』『兄妹』『スメラギ』と、「チャンピオン」の女性主人公もの3本すべてがまとめて終了してしまったのか。それがこの雑誌の読者の選択であり、編集部の選択であったということなのかなあ。



  03/03(Thu)
  今週も、とても美しくきれいな漫画だった。優しさとユーモアと沈思を織り交えつつ、ある一晩から翌朝までの流れを上品に展開してみせた、穏やかな進行だった。

  松本氏が、次にいつどこでどんな漫画を描かれても、必ずや面白い作品になるに違いないと期待して待つことができる(そのようにこの作家の技量を信頼することができるくらいの成果を挙げてこられたのだ)、そのことをせめてもの慰めとしよう。

  もちろん、次回の内容も必ずや上手く描ききってくれるに違いない。そのことも信頼している。

  眼鏡っ娘な新キャラさんはゆりかごの受け皿として理解できるけれど、ネクタイな新キャラの方はこんなタイミングで賑やかしの新キャラ――以前から言及はされていたけど――というのも不自然なので、連載当初からの全体構想に関わっているのか、あるいはこのお話の行く末を示唆してくれるキャラなのだろう。

  三ノ宮家の祖母の描き方がなかなか面白くて感心した。皺の描き方はもちろん、頬のたるみのデフォルメや、小柄な体格の表現、ヘアスタイル、等々。

  以前も言及した斜め裁ち切りレイアウトを、今週は一つも使っていない。すべてのページ、すべてのコマが、90度の水平と垂直を守った端正な姿を見せている(――ただし、スメラギアとの戦いを回想する一瞬が、黒ベタコマの中に斜めに歪んで浮いているのを除いて)。
  ちなみに、この作者が斜めゴマを一切使わなかった回は、単行本2巻までに収録されている範囲では、もう一つある。第8話「着替え」だ。序盤展開の重苦しい側面を極限まで推し進めた回であり、そこでは強敵VENUSの圧力と観衆の暴力的な歓呼の双方に挟まれたそのシーンの陰惨さと、そのじりじりとした時間感覚を伝えるかのように、なおかつ頻繁に黒ベタ背景をも置きつつ、ぎっしりと詰まった無機的で動きの乏しい直角ゴマ群のみが紙面全体を支配している。ここで、切れ味よく推進力のある裁ち切りが封印されていたのは、この画面構成に意識的な作者にとっては当然の選択であっただろう。
  同様に、不気味な雰囲気と静かな恐怖に彩られた第15話「りかとまりあ」も、傾斜ゴマのダイナミズムをほとんど使っていない。この代わりに、コマの内部の絵で仰角アングル(2巻122頁、4コマ目)や斜め構図(同128頁、7コマ目)を用いることによってそのシーンの不安感を演出している。


  定期購読するようになったのは『マジカロマジカル』連載開始の頃からだった――第1話は素晴らしかった――から、丸一年と少々か。読むもの、読みたいもの、本当に好きなものが、立て続けに連載終了してしまうとなると、毎週購読のご縁も終わりになってしまうだろう。もっとも、面白さを提供できなくなった媒体が読者(つまり金を出す者)から顧みられなくなるというのは、 まさにそれらの連載が続けられなくなった事情そのものでもあるのだが。単行本のセールスがむにゃむにゃだったのだろうからね……。


  どうやら単行本化されない場合もあるようだし、雑誌連載分が最後まできちんと単行本のかたちで刊行されるように、最後まで買い支えていく(そして、できればアンケート葉書を出して出版社[編集部]が単行本化への手応えと見込みを持てるようにする)ことも重要だろう。1巻は3冊(特典イラスト目当て)、2巻も2冊は買っているが、「鑑賞用、保存用、布教用の3冊」という言葉もあることだし、今のうちにもう一冊ずつくらい購入しておこうかな。



  02/25(Thu)
  「宣戦布告」の回。
  有明……サミット……まさかトーナメント式コスプレコンテストでは……(着替え漫画だけに)。
  「有明」という地名の求心力はどうしてもそちら方面に……。

  仮面が外れたら、スメラギアのフキダシが六角形からノーマル(楕円)になった。
  もしかして仮面の中にボイスチェンジャーを仕込んでいたのだろうか。

  褐色肌メイドで名前は「エレナ」というと、どうしても、
  [ www.getchu.com/brandnew/806990/c806990charab7.jpg ](※アダルトゲーム関連につき注意)
  このキャラを思い出してしまう。アニメなりドラマCDなりが作られたら、エレナさんのキャストはもう海原氏に決まったようなものだな! 実際、最近の海原氏は『花咲』や『空飛ぶ羊』など、メイドキャラを頻繁に演じられていることだし。

  えーと、サクラドレスは先週奪われていて、ライメイボトルは梨谷さんがキープしていた。そしてドトウとレンゴクは、今週テレポートで一緒に持ち逃げできたということなのかな。そして今回、「00」番のドレスが登場。きっと0a~0fもあるに違いない。
  本編で呼称が出てこないし、面倒なので、あの小さい筒状態は「(ドレス)ボトル」で、着替え室は「(ドレス)ルーム」と呼んでしまっていいかな。


  ハンナ戦は、シチュエーションとしては「初めての対ドレス戦」であり、戦闘のあり方としては「二対一戦闘」、ドレス機能としては「シップウ&ミカガミの登場」「二重着替え(と、そのリスク)」など。物語的には、「第三勢力の出現」。ゆりかご戦は、進行形態としては「二つのバトルの同時並行」であり、戦いの条件としては「敵を倒せばいいというわけではない(基本的には、頭を撫でることが勝利条件になった)」。ドレスの特質としては「レンゴクドレス登場」「サクラドレスの真価」。物語的には「ゆりかごを助け出す(そして仲間になった)」。スメラギア戦は、シチュエーションは「ラスボス戦」、戦闘は……「明白にドレスを上回る敵(単体ドレスキルでは通用しない)」あたりだろうか。ドレスについては「デュアルドレスキル」。物語的には「ラスボス戦で一敗地に塗れる」。
  とまあ、いろいろ手が込んでいて見どころも多いが、バトルの連続で少々疲れるのも確か。女性主人公(というか変身ヒロインものの意匠)によって趣を変えているとはいえ、本質的にはバトル漫画路線だよね……。


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  「新キャラ登場!! そして…!? マジで!?」の中味は、「白穂南高校に転校してきたのは幼馴染の美咲ちゃん……えっ、昔と性格違うんですけど、マジで本人!?」といった感じかなあ、と妄想。きれいに切り揃えた長髪を見ても、前回1コマだけ登場していたあの謎のキャラであろうことはまず間違いあるまい。ともあれ、「新キャラ」と言っており、「新たな敵」だとは言っていないので、この新キャラを交えた日常サイドの物語になってくれるのかなあ、そうなってくれたらいいなあ、と期待している。



  02/18(Thu)
  "結束"の回。
  着替え漫画の方も、主人公たちの内面の描写とこれまでの物語の意味づけは、すでに行けるところまで行き着いてしまっているので、あと3話で「ドレスメラギア→ドレスの新性能→その克服と打倒→スメラギアの遺言→エピローグ」あたりで〆になってしまってもおかしくない。

  とりあえず今回はケモ趣味者もメカ少女趣味者も歓喜すべき。
  「狗の型」以外にもヴァリエーションはありそうだし。

  ヒロイックな「狗の型」の他は、やはりネズミ、タヌキ、ウサギ、ネコ、クモ、ナメクジ、カラス、ウマあたりだろうか。(それは「型」じゃなくて「崩」。同雑誌に連載されていた『ケルベロス』ネタ)


  ゲス山さんと戯れていたのが、もうずいぶん遠い昔のようだ……。実際、ゲス山さんが最後に自爆したのはたしか13話(たぶん本誌2015年42号)なので、4ヶ月近く経っているのだが。

  雑誌発売日だけでももう4回は読み返している。最近はたいていこんな感じ。

  「煉獄怒濤」はオーソドックスに必殺技っぽいが、「星屑桜」だと宝塚系の人名みたいだし、「水鏡煉獄」や「暁絢爛」だとどうもピンと来ない。「疾風怒濤」だと既成の四字熟語(?)になってしまうし、疾風螺回廊の中に入ったドトウ着用者が目を回しそうだ。雷鳴煉獄はどちらも遠距離エネルギー攻撃(?)なので、結束すると超ハイパワー攻撃(だけど単調で当たらない)になりそう。
  そういえば、雷鳴閃牙はドレス100%以上の筈のVENUSを一発で撃破したのに対して、煉獄焔這はライメイドレスに耐えきられたということは、雷鳴閃牙の方が攻撃力が(そしてたぶんスピードも)上なのだろうか。あるいは、VENUSはそもそも防御面に難があったか、それとも裏に回り込まれたのが不利に作用したのか……。

  ゲーム化するなら、オーソドックスに格ゲーか、2人同時プレイ可能なベルトアクションか、それともドレスでステータスが変わるジョブチェンジ型RPGか……。
  アダルトゲームブランドで言ったら、変身ヒロイン正統派のtriangleか、異能バトルものの暁Wか、それとも脱衣バトルSLGのEscu:deか、黒箱系のルネやMAIKAか、パロディのALcotか……私としては、画風からしてもcolorsになぞらえてみたくなる。……ただしKAIだけはやめろ!

  単行本2巻159頁の攻撃は、「疾風螺回廊」を使っているわけではなくて普通の攻撃なのかな。26頁の螺回廊とよく似た描き方になっているので、159頁の方もドレスキルかと思っていたけど、黒ベタの予告コマが無いし、最新回(#33)の「計5回に渡るドレスキルの経験」にも含まれていないし。



  02/13
  ツカサさんの美質は、相手の目の高さに合わせられるところ。あの小さな「てらす子」さんと会話するのに、地面に腹ばいになって喋りかけているシーン(2巻35頁)は、そのほんの数コマの描写で、彼女の性格を巧みに表している。すなわち、相手との間に上下関係を作らない彼女の公平さ。サッカーウェアを着ているとはいえ、高校生にもなって地面に寝そべることのできる自由さ。いきなり遭遇した怪生物にも物怖じしないところ、あるいは、ものに拘らないところ。出会ったばかりの相手に対してユーモアのある語りかけをして優しい関係を築ける人柄。相手の状況を察する勘の良さ。窮状の他人に対して、すぐに手を差し伸べられる善良さ。しかも、恩着せがましくせず、「ボール当てたお詫び」という謝罪を交えて相手の負担を減らしつつ、責任感を持ってそれを引き受けようとする姿勢。これが初登場からわずか4ページ目の描写だ。

  そういえば、ドレスはすでに9個中6個が登場しているのか。早いなあ。

  特殊な力を発揮させる戦闘着で、数が決まっていて、それぞれに象徴的なイメージが付与されている……なんだかドレスが黄金聖衣のようにも思えてきた。ただし、『星矢』では、付け替えアタッチメント的要素は希薄だった(聖衣装備しなくてもそれぞれ固有の技は使えるし、他人の聖衣を装着してもそのスキルを使えるようになるわけではない)けれど、一揃えの衣装によって各自の戦闘上の特性が代表されるという点は共通しているし、それを機能的に徹底すると『スメラギドレッサーズ』のような純然たる付け替え装備の発想になる。もっとも、本作でも「適合」という要素があるようで、ドレスは完全に汎用的なものではなく、個々の使用者とドレスとの間になんらかの性能上の結びつきがありうるらしいことが示唆されている。


  せっかくなので、こちらでも実験。なるほど、こうなるのか。
  上は「メディアを含める」にした場合。下は、テキストのみ。





  ヘップファイブ(梅田駅の東側)とか王子公園(神戸線沿い)とかを見る度に、
  「おともだちとのろう!」
  が頭に浮かぶように……。京都だと、ああ、京都市動物園にあるのか(どうやら府内唯一)。


  略そうとすると、ついつい頭の中で『スドラ』になってしまう。「スドレ」じゃなくて「スドラ」に。
  『巣作りドラゴン』のことを、自分ではそういう略し方は一度もしていないのだけど。
  (※アダルトゲームのタイトルです)



  02/10(Wed)
  【 「100秒間のチームワーク」 】
  やはり強敵キャラには、鋭く厳しく屹立する縦ゴマがよく似合う。たいていの漫画では、紙面を縦に切り裂くコマ割りは、よほどのことが無ければ使われないものだし、この作品でも同じことだ。スメラギアの格と異質性が、コマ組みの次元でも的確に表現されている。
  ただ、単行本を読み返してみると、あまの戦やハンナ戦の頃から、縦割りレイアウトは増えてきている。とはいえ、一ページを左右真っ二つにする縦割り2コマ構成という、かなり極端なものだったりするが(2巻103頁、147頁、158頁、170頁、186頁)。このようにコマ組みの次元でもかなりエキセントリックな挑戦を行っている。

  仲間の武器を手に取って戦う、そうか、そういう趣向か! ドレスを使い回せる(基本的には誰でも装備できる)という設定と、実際に個々のドレスと特定のキャラの間に親しい結びつきを持たせてきた蓄積を、巧みに組み合わせた演出だ。さらに、「適合者」という追加的な(まだ明らかにされていない)設定もあるようだし。

  ただし、今回はドレスを拾うトリックに注力しすぎて、途中の展開がばたばたしてしまっているように感じた。その一因は、主観(内心)を描写されるキャラがくるくると変わりすぎているせいだろう。てらす子が走る回想シークエンスも、説明的で冗長にすぎる。
  正直に言えば、まりあ戦の途中あたりから、もたつきを感じることがある。まりあ戦も、現在のスメラギア戦も、定期ボスをぶっ飛ばして終わりというものではないし、ハンナ戦のように頭脳戦だけに集中すればいいというわけでもないので、難しいところだとは思うが。

  かなでたちは逃げる素振りもみせない(逃げても逃げ切れそうにないが)。スメラギアも手加減無しで攻撃してきている。このまま決着に向かってしまってもおかしくないのは確かだ。なんともやきもきさせられる。

(2016年2月10日、自宅にて撮影)
おともだちとのろう!
観覧車は「メタリックナノパズル」、背景のビル群はGEOCRAPER。オレンジ色は、赤と黄のセロファンをレンズの前に置くという原始的な処理。『スメラギドレッサーズ』の世界は、やはり色濃い夕暮れ時だと思う。



  02/04(Thu)
  【 不公平な世界? 】
  今週の着替え漫画。今週も良い回でした。前半の舌戦シーンは、かなでたちとスメラギアの間の距離感を表現しているのが素晴らしい。ロングショット構図のコマで、その距離の遠さをはっきりと印象づけている。緊張感。状況の異常さ。立場の違い。接近の予感。そうしたものが、この描写から染み出てくる。そして、そこからスメラギアが一歩踏み込むことにも、大きな意味が生じる。ただし、その一歩の見せ方は大仰すぎていささか効果を損なっているようにも感じたが、さすがに多くを望みすぎだろうか。

  影の濃さ。これまで本作の影付けは薄いトーンで行われてきたが、今週は違う。激しい戦いで剥き出しになった地面の上に、ほとんど沈みかけている夕陽の影が、低い角度で色濃く、ささくれたように引き延ばされて貼り付いている。暗さと禍々しさを示唆する、オーソドックスだがはっきりした効果を挙げる巧みな演出だ。

  ページめくりを前提とした構成(今週は特に、あの荒々しいタッチでのスメラギア大写し)も良く出来ているし、スメラギアの台詞の細く無機的に引き絞られたフォントもいい。紙面を縦に割ったコマ割に、角度のついた構図のコマを置いているのも、緊張感と威圧感を高めている。

  ハンナ戦以降顕著になっているが、今週も新機軸の「連携」戦術が出て来た。この手のバトル漫画でも、ここまでコンビネーション戦術を描いているのは、そう多くないのではなかろうか。スポーツではないルール無用の実戦で、主/従の関係があるのでもなくほぼ同等の戦力を持つ二人が、タッグのように交替で戦うのではなく共同で特定の敵と向き合い、しかも単なる挟撃や時間差攻撃ではなく、それぞれに異なるスキルを組み合わせて活用しつつ、全力で敵撃破に専心している。このように、連携バトルという点でも、本作には格別の魅力があると言っていいだろう。さすがに訓練を受けていない素人同士が即席で(しかも、連絡を取った様子すら描かれていないのに)トリッキーな連係攻撃を完璧なタイミングでやりきっているのは出来すぎだが、漫画的演出の範囲内だろう。

  スメラギアの姿勢がよく分からない。第1巻(第1話、第9話)を見たかぎりでは、余裕を持って戯れに侵略行為を楽しんでいるのかと思っていたが、今週の台詞――が真意であるならば――では、自身の能力に見合った権力が得られていないことへの不満、不遇感、不公平感に強く苛立っていたようだ。
  ところで、彼女の仮面の模様は何なのだろう。横を向いたニワトリのようにも見えるが……。
  (自身がすべてを支配する)新世界の夜明けを告げる鳥のつもりでもあるのだろうか。

  梨谷さん、スメラギア様にまで「盗撮犯」呼ばわりされてる……。

  一周回って、このシチュエーションはえろいんじゃないかという気分になってきた。だって、あの健気な高潔なヒーロー(ヒロイン)さんたちが、美しい武装を完全に剥奪されて無力な下着姿を晒してばったり倒れ伏しているんだよ!(それはたぶん、えろじゃなくて、別のアレな感情……しかも、広言したらまずい類の。)

  あくまでなんとなくの話だけど、『バオー来訪者』を読んでいる時の感覚に近いような気もする。あの切り詰められた切迫感と、そしてそれと矛盾するはずなのに色濃く匂っているあのどことなくやるせない空虚感と、テクニカルで密度の高いバトルシーンと、コマ組みは圧縮されているが決めゴマは堂々としているところと、そして主人公(たち)の孤独なヒロイズムと、キャラクターたちが全力で生きているその息づかいと……そんなあたりが連想を誘ったのだろうか。



  01/28(Thu)
  【 観覧車 】
  おともだちとのろう!
  観覧車越しのバックショットの大胆な構図。放恣に崩壊した遊園地の様子は、悲惨さよりもむしろ一仕事をやりきった開放感すら匂わせる。遠景のビル街の静けさも、メカニカルな視覚的印象を交えつつも、現実とのつながりを思わせる。そして、小さくも強く輝いている夕陽。雲型フキダシの和やかさも上手い。つまり、最高の一枚であり、そしてこれが漫画の中で最高の瞬間になるように、これまでの全ページが巧みに綴られてきた。カタルシスの深さでいえば、第1巻終盤のあの見開きをも上回る。

  背景が一切描かれない回想風景。清い白。純白の純粋な思い出。

  p.426の1コマ目で、かなでが私服に戻っているのは何故だろう。続くシーンでは再びサクラドレス姿になっているが、ドレスを脱いでから再び装着したというのも考えにくい。武装をほどいた優しい姿の心象……というわけでもなさそうだけど、単純な描き間違いというのも無理がある。
  このコマでだけ、明らかにかなでの方が【小さく】描かれているので、これはおそらく、「目を閉じて頭を撫でられているまりあが、隣にいるかなでのことを、自分よりも幼く【小さな】りかと重ね合わせて、捉えているのだ」という理解でいいだろう。だからここでは、まりあの側から見て、「かなでとの融和」イコール「りかとの融和(元々敵対などしてはいなかったけれど)」の二重写しを表しているのだと考えるのが、とりあえず自然な理解だろう。

  そういえば、以前は「詩葉院」だったのが今回は「詞葉院」となっているが、こちらは単なるミスの可能性がある。常識的に考えて、「詩葉院まりあ」と「詞葉院ゆりかご」というあまりにも微妙な名字の区別をわざわざ設ける意味は無いと思えるからだ。仮に「死→詩」のような明白な意味の変化が窺われたならまだしも、「詩」と「詞」では何の対比にもなっていないし。
  どちらも、あえて和語を当てるならば、「ことば」と読めるが、なにか特別な意味が見出せるというほどではない。他のキャラクターも、名前には特別な含意は無さそうだし、気にするほどのものではなさそうだ。もしかしたら単行本で修正されているかもしれない。

  みうみう、スメラギアへの忠誠心は高かったのね……。ていうか、あれで生きていたのか。

  今回は、戦いが終わった穏やかな状況だから、コマ割りも安定感のある水平レイアウト。裏を返せば、バトルシーンでの斜め裁ち切りのコマ割りはけっして手癖などではなく意識的な構成の産物であることが分かる。

  スメラギアの台詞フキダシは、水晶のような多角形。一番最初の登場時(1巻3頁)では、普通の楕円形フキダシだったが、これは些細な問題だろう。スメラギア本人であろうことに、疑いの余地は無い。ちなみに褐色肌のエレナは、第1巻からすでに登場している(3頁、196頁)。

  ドレスチェンジしたら、あのミニチュアドレスルームみたいなボトル(?)はどうなるんだろう。ドレスチェンジ宣言をしたら摩訶不思議メカニズムでドレスルームに変化して、20秒経ったら一旦消滅して、それからドレス解除orブレイクしたら超科学システムで装着者の近くで再びボトル実体化する、といった感じなのだろうか。つまり、たとえば「ドレスチェンジされても、それとは別にボトルを奪ってしまえば再装着できなくなる」とかいったことはあり得るのかなあ、と。

  一週間ほど考え続けて、かなで=波奈束風景、梨谷=佐倉もも花、ツカサ=美月、ゲス山=青葉りんご、に落ち着いた(敬称略)。あとは、てらす子=木村あやか、ハンナ=一色ヒカル、まりあ=金松由花、で盤石鉄壁の布陣。VENUSは今一つキャラクターが掴めないので保留。銀河な「あまの」君にも、良い声を当ててあげたい。



  01/26
  配役妄想をしていて気づいたのだけど、エメラルドクイーンが戦闘中に(とりわけアクション中に)ほとんど喋らないというのはちょっと興味深い。一つの理由としては、彼女の戦いがしばしば頭脳戦に傾いており、仕掛けの妙を読者によりよく感じさせるために、受け手側(つまり敵側)のモノローグでネーム進行しがちだという事情はあるだろう。しかし、それだけではなさそうだ。攻撃時や被弾時の掛け声すら、彼女はほとんど発しない。これは、かなでにも見られる傾向だが、ツカサの場合はさらに極端だ。戦闘中に台詞を出す時も、通常のフキダシではなく、集中線型フキダシによるモノローグという形を取ることが多い(――さすがに、直近のみうみう戦では様変わりしているが)。こうしたスタイルが、どのような表現効果をもたらしているかについては、丁寧に考えていきたいが、さしあたり、1)喋りによる停滞が生じないこと、2)言葉にならない高速な思考/反応の表現、3)読者が内面を推し量りにくくすることでキャラクターの精神的/技術的ポテンシャルを深く保つ、といった効果が現れているように思う。



  01/21(Thu)
  サブタイトル「桜」。前回まででネタは出し切ったので、ここで一気に決着を付けるのは適切な判断だろう。もう何週もまりあ戦が続いているので、これ以上引き延ばしても仕方ない銀河だ。今回はドレスチェンジのシークエンスすら省略しているが、もはやそんな段階ではない。当然だろう。


  【 スピード線の話 】
  それにしても、相変わらず、状況やアクションの読みづらい漫画ですこと。なんというか、近距離でビデオカメラをベタ回しして、そこから適当な瞬間を強引に切り出しているような、隔靴掻痒の距離感がある。こうなっているのは、作者の技術の足りなさではなくて、(結果的に)そうなるようなスタイルを選択しているからだと思うが。
  そもそも、この漫画家は、演出効果としての集中線や、衝突表現としての破裂描写は多用しているが、物体の移動を表現する効果線(いわゆるスピード線)は、ほとんど使っていない。総じて現代漫画はスピード線の使用に消極的だ――下手をするとギャグになってしまう――が、その中でも。本作はかなり厳しく禁欲している部類だろう。そしてこれは、輪郭のクリアな描線や、先述のカメラワークの存在を意識させる画面構図とともに、それらと整合的な様式として、作者が意図的に選び取ったスタイルであろう。これはこれで、画面を極力汚さず、明晰で強靱な手応えを作品に与えることには成功しているが、しかし、荒々しさや勢いを表現するための手法の一つをみずから封印することにもなっているし、また、身体運動を表現するうえでも、キャラクターのポージング(四肢の角度や筋肉の緊張具合)のみに頼らざるを得なくなっている。

  ところで今週は、2コマ目の巨大まりあの顔が、おとぼけの表情に見えて可愛かった。


  【 最初の頃は 】
  最初のうちは、単なるお下品お色気ギャグかなという目で、『マジカロ~』のついでのように読んでいたけど、本気で注目するようになったきっかけは、「自分の大事なカメラで撮られちゃうなんて」のくだりだった。このあたりで、「ああ、この作品は本当にきついところを躊躇せずに描く作品なんだな」というのがようやく実感できた。こんな形で相手の心の大切な部分を踏みにじる台詞は、黒箱アダルトゲームでもそうそう目にするものではない。こうした側面は、当初は猥褻視線のモブ学生どもというかたちだったのが、最近では渡瀬眞悧もどきの小悪党「みうみう」というかたちに洗練されてきている……洗練?


  茨に囚われた二重人格の魔女お姫様を助けようと手を伸ばす、凛々しい変身ヒロイン……
  またしても少女革命の幻影が。(最近こればっかり)


  【 配役妄想 】(※アダルトゲーム関連の話題です)
  ところで私はそろそろ『スメラギドレッサーズ』のキャスティングを妄想すべきだろう。

  かなで: 一見すると線の細そうなところと、厳しい緊張に晒されたシーン、そして凛々しくも肯定的な雰囲気のすべてをやり通せる必要がある。羽高氏か、波奈束氏か、安玖深氏、澤田氏。とにかく最高のキャストを置くべきキャラだろう。triangleの主役声優から選ぶなら綾音氏。

  ツカサ: 能天気さと凛々しさの両立、そしてちょっとしたウブさも混じるキャラなので、結構難しい。美月氏や渋谷氏なら、ノンシャランな雰囲気のシーンとドスを利かせたバトルシーンをうまく両立させてくれるだろう。あるいは、そんなにべらべら喋るキャラではないし、性格ベースで考えて、ももぞの氏だとほどよく引き締まるかもしれない。手塚氏でもいいと思うが、コミカルなシーンをどんなふうにアプローチされるのか、よく存じ上げない。困ったら桜川氏で大丈夫だと思う。

  梨谷: 佐倉氏でどうか。あるいは上田氏や金松氏、姫川氏でもいいかも。水瀬氏や月城氏だといかにもすぎる。まりあ/りか役とダブらないようにしたいが……まりあ役は金松氏くらいでなければ演じきれないか。

  てらす子: 小型怪生物の役は、今なら藤咲氏か。木村氏や大波氏の小声演技でも行けると思う。あるいは、松田氏でもいいかも。

  ゲス山: 陽気でおばかで、出てくる度に喋りまくる道化役。一色氏による超技術超表現超饒舌の演技も聴きたいが、金田氏で行ってみようか。当初の性別誤解ネタはスルーで。青葉氏や藍川氏もきっと良いだろう。男性が演じてもいいならば、後野氏がいい。このキャラは、あまり卑しくなりすぎない役者の方がいいのか、それとも徹底的に下品なお騒がせキャラとして演じてくれる方がいいのか、どうなんだろうか。

  ハンナ:あのシーンがあるので、真に迫った殺気を感じさせるほどのドスの利いた芝居が必要になる。やはりここは一色氏に任せるしか……。かわしま氏や七ヶ瀬氏ですら、そういう方向性の芝居はなかなか届ききらないものなので。代案としては、青葉氏もいけそうだ。

  ……こんなところでどうか。どうもイメージがしっくり来ないが。
  スメラギア首領に声を当てると、クレジットがネタバレになってしまいそうな気配が……。



  01/14(Thu)
  【 ネーム(台詞)の巧緻 】
  『ドレッサーズ』は、今回はネームの切れ味が良かった。「マヌケ」に対する「マヌケ」の返し、「裸で」のニュアンスの三段階変化、お互いの「時間」経過、まりあがギリギリの心情としてようやく口にした(口に出来なかった)あの「助けて」の言葉をみうみうがあまりにも安っぽく口にする有様(その二言目が断ち切られるところまで含めて)、「壊さなきゃ壊れちゃう」の窮地、「もういいんです」から「まだだあ!!」のつなぎ(おそらくこれのためにページ進行を入れ替えている)、それからサブタイトルの「破壊の化身」も、個人的には最初はツカサの暴れっぷりのことかと思ってしまったのでトリプルミーニングになった。二人同時の下着ドレスチェンジは言うにや及ばず。レトリックとして凝っているし、そしてそれらがきちんと演出効果に結びついている。

  梨谷さんの帽子は『スティング』のハンチングへのオマージュ、という理解でいいのだろうか。

  私には、ごっこ遊びの才能が無かった。昨朝の着替えの際に「ドレスチェンジ・スタンバイ!」を心の中で唱えてみたけど、今朝はもうすっかり忘れていた。それにしても、20秒どころか200秒でもあれらの着替えは無理だと思う。


  【 ドレスブレイクと時間 】
  100^2秒は3時間弱。これでドレスブレイクされると、その戦闘では事実上役立たずになるが、一時逃亡するなどしてうまく時間を稼げば、まだ勝機はある。100^3秒は11日半。そろそろ致命的。さらに100^4秒は3年以上なので、ほぼ実用限界。4回もドレス連続装着したうえでブレイクされるという極端な状況だが。そして100^5秒は317年以上なので、何か例外条項でもないかぎり、これでブレイクされたらもう一生涯ドレスチェンジできないと考えていい。
  そういえば、ドレスA→ドレスBの連続着替えはいいとして、そこから再びドレスAに連続着替えすることはできるのだろうか。そして、もし可能だとして、最初のドレスA装着からの経過時間などの条件はあるのだろうか(――可能だとしても、100秒ルールなどがありそうだ)。これが可能ならば、最低2種類のドレスを持っていれば、AとBを交互に使用することでいつでも20秒の完全無敵(というか戦闘の仕切り直し)ができることになる。その戦いを人生最後のバトルのつもりでやるか、あるいは最後をブレイクではなく自発的解除で終わらせることが必要だが。……まるで緊急回避ボム扱い、まるでSTGの発想だが。



  01/11
  VENUS隊のキャラはアルファベット大文字表記(KOBAYASHI、SAOTOME、…)。ゆりかご隊は平仮名(あまの、たざき、…)。ということは、叢雲隊は漢字で、ネクロ隊は片仮名になるのだろうか。なお、この点でもゲス山さんは例外的。そもそもどこかの隊に属しているのかも分からない。ちなみに、叢雲隊の隊長は、メキシカンハットのようなものを被った髭面の老人。ネクロ隊隊長は二重眼鏡?のキャラで、一人称は「僕」。
  とりあえず、この調子なら、各巻表紙でドレスを一つずつカラー紹介していって、最低でも09巻までは続くにちがいないね! 冗談はともかく、VENUS隊が1巻、ゆりかご編(仮)がおそらく3巻か4巻まで、残る2隊との戦いが各2-3冊ずつ、スメラギアとの決着に3冊程度と想定すると、10~13巻くらいの物語にはなりそう。もちろん、作中状況の大転換があったり、あるいは物語進行が落ち着いてくれば、もっと大きく変動することは当然あり得るが。


  【 コマ割りの特徴 】
  それにしても、単行本でまとめて読み返すとコマ組みの個性が際立つ。多くのページで、中央あたりをわずかに傾斜した角度でまっすぐ断ち切っており、上半分にはしばしば決めゴマを置き、下半分は複数のコマに分割して話を進めるという体裁を取っている。これは、ページをめくった際のインパクトを強めるうえでも効果的だろうし、ページを切り替えた際に状況を分かりやすくすることにも寄与している。だから、読者は、心地良いテンポを維持しつつ、混乱せずに漫画を読み進めていくことができる。そしてページが斜めに断ち切られているのは、紙面をスタイリッシュに見せるとともに、とりわけバトルシーンにおいては力感や速度感を演出している。

  上半分を大ゴマ(見せゴマ)にしない場合でも、中央または中央やや下あたりで、横一文字に紙面を斜めに切り分けるネーム(コンテ)構成が、本作には頻出する。これは、1)コマの配置を見て取りやすいように整理しつつ、しかも2)ページ毎に決まったリズムを作りだし、3)さらにその傾斜によってバトルシーンのダイナミズムを創出し、4)それら全体としてこの作品に特有の様式感覚をうち建てることに成功している。
  なお、これと関連して、もう一つ特徴的にことに、本作ではこの縦のコマ間隔がかなり大きく取られている。つまり、紙面を上下に分断していく横の二重枠線の幅が、一般的なストーリー漫画のそれと比べて、異様に広い。下の引用画像を見ても、垂直方向の二重枠線の間隔の狭さ(2.5~2.8mm程度)に比べて、水平方向に伸びた二重枠線の余白幅は倍以上(6.2~7.5mm程度)になっている。一般的に、(日本の)漫画は縦の枠線よりも横の枠線の方が幅が広いものだが、その中でも本作は飛び抜けて広い。この特徴もまた、個々のコマとそれらの流れを意識させるための画面構成として、意図的にコントロールされているものであろう。

  このコマ割りの様式的特徴が、実際に特徴的な個性であり、かつ、おそらくきわめて意識的なものであろうことは、他の任意の漫画と読み比べてみれば分かる。同誌掲載漫画で見ると、例えば2016年6号で見ると、『浦安』はきわめて安定的な矩形コマ(四方が90度直角のコマ)のみで構成されているが、紙面の端を枠線で閉じていないコマが非常に多いため、不思議な開放感がある。『ハリガネ』は各ページの一コマ目に重要な描写を置くというオーソドックスな組み立てをきちんと維持している。『刃牙道』は、縦横にかなり極端なコマ割りを多用しているし、コマ毎の時間の流れも極端に伸縮させているが、ページまたぎをあまくコントロールしているためか、それほど読みづらくはない。『ペダル』は枠線の使い方に特徴があり、毛筆のような手書きの荒々しい枠線を使って描写に勢いを与えたり、二本線ではなく一本線の枠線にして隣接するコマどうしの同時性を強調したりしている。『イカ娘』もきれいな矩形コマが基本だが、枠線を越えた縦ぶち抜きのキャラ表示をおこなっているのはいかにも萌え漫画風だ。『バイオ』が、活劇シーンで水平枠線をほぼ消滅させているのは、当然の処理だろう。『AI』も安定的な矩形で、各コマは紙面の端まで端正に閉じられているが、二重枠線がしばしば極端に狭くなっているので、妙な緊張感がある。各コマのサイズが大きく変動することが無いのは、物語の淡々とした進行を形作っている。ちなみに背景はかなり白い。『ラケット』は、矩形コマ割りも多いが、意欲的なコマ割りのページも頻出するのが面白い。『鮫島』も、相撲漫画らしく、堂々として堅固な水平割り。水平の枠線幅も、『ドレッサーズ』に次いでかなり広い。『ドカベン』は、キャラがめまいを起こしているコマでは枠線を手書きギザギザにしたり、枠線を越えるキャラ表示を多用したりと、練達の手腕を見せている。コマの背景部分をすべて描いてしまわず、必要に応じて白く逃がしているのもユニーク。例えば白球の軌道を余白のままにして勢いを感じさせたり、バットを振っていく先を白くしておくことで緊張感を演出したり、あるいはバッターの周囲だけに背景を描いて読者の視線をそこに集中させたりと、かなり凝っている。それでいて、ページ単位で見た場合の全体のレイアウトは、どのページもおそろしく美しい。個人的にはけっして好みの漫画ではないが、よく見るとこれはもう称賛するしかない。『リク』も、コマの四方を丁寧に枠線で閉じており、画風との相乗効果で非常にクラシカルな印象を受ける。『星矢』は枠線がおそろしく細く、聖衣の凝ったデザインや複雑なトーンワークと相俟って、メカニカルな手触りがある。『吸血鬼』はおおむね矩形。『実は私は』は、一つ一つのコマがゆったりと大きく作られている。背景の描き込みはわりと控えめ(――個人的には、とても読みづらい漫画だと常々感じているのだが、いったい何故だろう?)。『Gメン』も四方を閉じた作り。『兄妹』は、かなり細かな矩形コマ分割をしているが、真横一文字の細長いコマを適度に挟んでくることで、その場の空間的状況が自然に理解できるようになっている。『ニコべん』は、紙面端を開放した大きな矩形コマで物語を進めていく、おっとりした作り。『BADBROS』は、かなり急傾斜な角度の付いたコマ割りが目立つ。『劇場霊』も大ぶりなコマ割り。

  これらを見てきて、上述のようなコマ割りは、『星矢』の一箇所(253頁)と、それから(意外なことに)『劇場霊』の二箇所(396、400頁)にしかない。当の『スメラギドレッサーズ』も、この号では使っていないが。また、一ページの上半分程度を大きな決めゴマにして、下半分を4コマ以上に分割しているレイアウトも、『ドレッサーズ』では多用されているが、他の漫画ではきわめて少ない(※この号で見ると、26、95、96、204、231、244、254、264、350、392、396、402頁の12ページ。この400ページ以上の雑誌の中で非常に少ない)。通常のコマ割りではあまり行われない、言い換えれば意識的に採用されたアプローチであるということが分かる。

松本豊『スメラギドレッサーズ①』(秋田書店、2015年)、186-187頁。
序盤の強敵との戦いのクライマックスシーン。ここでは両ページとも、紙面の上側三分の二に大ゴマ(見せゴマ)を配置し、その下を斜めの枠線で太く区切って、下段の数コマにつなげている。右のページは右下がりの傾斜、左ページは右上がりという違いはあるが、画面レイアウトの基本的なスタイルは同一である。
松本豊『スメラギドレッサーズ②』(秋田書店、2015年)、64-65頁。
この見開きでも、両ページとも同様のレイアウトを用いている。ただし、この右側のページ(64頁)は横の区切りが水平であるが、これはコミカルな瞬間であるため、過度にドラマティックな印象にしないように設計されたためと考えられる。
車田正美「聖闘士星矢 NEXT DIMENSION 冥王神話」(『週刊少年チャンピオン』秋田書店、2016年6号、253頁)
他の漫画でも、同じようなレイアウトが用いられることはあるが、上記松本作品ほどの頻度はきわめて珍しい。上記『ドレッサーズ①』では、上半分の斜め大ゴマは15回、同『②』巻でも11回用いられている(水平大ゴマなど、類似のものを含めればもっと増える)。

  ……うーむ、長すぎたか。「長い話よ。そのわりに面白くない話」になってしまった。



  2016/01/08
  一部で言われているように「すごい」漫画だとまでは、私はまだ思わない――べっ、べつに、このくらい一流の漫画家ならだいたい出来ていることなんだからねっ!――し、今回に至る伏線の仕掛けもけっして上手いものとは思わないのだが、しかし、本当に良い漫画になっていると思う銀河だ。


  【 描かれる軌跡:描き方の変化 】
  今週の12ページに及ぶ回想部分も、連載初期だったら(あるいは例えば木々津氏だったら)てきぱきと見開き2ページくらいでまとめ上げてしまっていたかもしれない。しかし、このまりあ編(?)では、もはやそういう路線を採っていない。最初のかなで編(仮)はブラックユーモアめいた着替え恥辱バトル型お色気コメディもので始まり、VENUS戦からは趣を一変させて、エメラルドクイーン&ハンナ編(仮)では頭脳戦志向のバトル漫画が展開されてきた。そしてさらに趣向を様変りさせて、これまでの連載内容から見ると異例ののめり込みで、キャラクターのバックグラウンドに足を踏み入れてその心情の襞を執拗に突くような体裁の語り口になっている(――そしてそれはおそらく、これまでと同様に、成功裡に決着がつけられるだろう)。このように立て続けにいくつもの引出しを開けていながら、作品全体の手触りは、超饒舌なネーム(読みづらくもあるが)とクリアな描線(ただしバトルの状況は分かりにくいが)にも下支えされつつ、驚くほど一貫している。さらに、縦糸としてのドレスチェンジシステムも、様々な側面を展開させながら物語に織り込まれて、物語に彩りと劇的展開を提供している(――具体的には、着替えの時間制限から始まって、早着替えトレーニング、ドレスキル発動、ドレス連続着替え、パーセンテージの意味、再着替えまでの時間制限、ドレス毎のステータスや特殊スキル、ドレッサー同士の共闘、ドレッサーvsドレッサー、等々)。そういう、全体的な構想と構成がうまく噛み合っているところが、この作品の大きな見どころ(の一つ)だ。


  【 物語進行のコントロール 】
  今回のまりあ編(仮)では、みうみう戦とまりあ戦が同時並行的に展開されていて、連載進行の中では交互に出てくるので、要らぬお世話で心配していた(――先週までは、「単行本にしたら順序を入れ替えるのではないか」とすら思っていた)。しかし、どちらも一貫してまりあの扱いを巡る問をぶつけ合いつつ、まりあの生育過程と現状の困難を浮き彫りにしていくものであって、話の本筋はけっしてぶれていない。演出上も、前回の最終ページでは、ドレスブレイクしたエメラルドクイーンが正面から大見得を切ってみうみうに向かってこれからの行動を宣言するものであり、そして今回も、かなでがドレス解除された姿で正面からみずからの決意を宣言するという形になっている。齣割りのレベルでも、縦の裁ち切り(つまり左右分割になっている)という特徴的な齣割りで、しかも左に主人公側、右にまりあ側を配置するという形で正確に平仄を合わせてきているのは、もはや偶然ではないだろう。今週分を読んでようやく、そういう周到な設計に気づけたし、そしてこれは話数を組み替えてしまったらこの演出は効いてこなくなるということもはっきり分かった。

  このように、コンセプトとアイデアと演出とドラマの、それぞれの層でのテクニカルな創意と、それら相互間での重層的な響き合いとその相乗効果を享受できるのが、本作の魅力――の、あえて繰り返すが、ほんの一つの側面――だろう。

  しかし、これだけの作品を巻末に置けるだなんて、週刊少年チャンピオンはなんて層の分厚い雑誌なんだあはははははは。(涙目銀河だ) ドレスチェンジ漫画にとって、ドレスブレイクしても(鉄拳と言葉と心で?)戦えるようになるというのは、物語の大前提(基本ルール)を乗り越えてしまうものであり、いわば限界を超えた究極の形のように捉えられるので、このまま終わってしまわないかが心配で心配でたまらない。



  11/26
  大見得を切った大ゴマの魅力で押していくのは、集客戦術としてまったく正しいとは思うし、変身ヒロインものとしても重視されるべきポイントなのではあろうが、しかしやはりありきたりでもあって、手慣れた様子でくりかえされると少々寂しい。

  あと、気になる点として、エメラルドクイーンが激怒すると目がうつろになるのはどういう意図なのかが、よく分からない。そういうキャラ設定なのか? そうなった二度の状況は、一つは破壊と蹂躙を楽しむ者に対して彼女はうるわしき生を擁護しようとする立場であり、二度目(今回)は幼女の感情とアイデンティティを無情に利用する邪悪に対して彼女が人間的な怒りに震えるシーンであって、いずれももっと直情的に怒りを露わにしてよい、というかそういう反応であってしかるべき流れなのだが、そこで感情を消したかのような表情が出てくるのは、どうも馴染めない。まさか悪堕ちフラグというわけでもないだろうけど……悪堕ちは変身ヒロインもので好んで取り上げられるシチュエーションなので、まったくあり得ないわけでもない。



  11/19
  「ゲス谷」と呼ばれたことで、ゲス山さんと名前の上で「山・谷」コンビになってしまったのは、偶然にしてはなんだか出来すぎていた。ともあれ、今回はフキダシ形状変化の演出が効いていたし、ページ遷移のタイミングもうまく行っていたし、ユーモラスな場面も多々あり、レトリカルなネームもあり、とにかく見どころの多い20ページだった。満足満足。ところで、この隊のメンバーはもしかして全員が「銀河」口調なのだろうか。



  10/30
  ドレッサーズ。派手な殺陣のシーンを大ゴマにするのではなく、大見得を切る瞬間をこそ決めゴマにするというのは、いささかズルくはあるが、効果的だし、読者受けも良いだろう。大ゴマの演出を的確に作動させるように設計した漫画家の力量があってこそなのだし。

  特に今回あらためてはっきりしたように、ページ間のつなぎもしっかりされている方だ。人によっては、一ページ毎にコマのつながりが途切れてしまうこともあるのだが、松本氏の場合はページをまたいだ抑揚もコントロールされているし、次のページへとつながる運動性がはっきりと組み込まれ、ページをめくるという読者における視覚的変化のメカニズムが漫画演出にも活用されている。つまり、上手い。



  10/23
  【 「着替え」というアイデアの開拓/拡張/深化 】
  変身のために自分で着替えをしなければいけないというアイデアは、最初は単なる出オチの一発ネタにしか見えなかったし、時間制限もキャッチーで息の短い(つまり繰り返しには耐え得ない)演出だと思えたが、しかし連載が進むにつれて、それらの仕掛けのポテンシャルが明らかになってきた。着替えをするということは、変身ヒロインの能力が不思議な天与のものではなく、あくまで外部アタッチメントだということであり、したがってその用意さえあれば任意に(誰でも)装備できるということだ。そして実際、ドレッサー「ズ」になった。また、アタッチメントだということは、その装備は唯一絶対のものではなく、換装することもできるということであり、これも実際に物語の中で使われた。換装できるということから、一つの装備が破壊(「ブレイク」)されても即敗北ということにはならないという可能性が開かれている(実際にも、作中ですでに使われている)。さらに、物語展開によって順次新しい形態を出していくことがあらかじめ折り込み済みだということでもある。それは、読者を連載に惹きつけておくための仕掛けでもあるし、変身姿のヴァリエーションを提供できるということでもある。このようなパターン増加は、アダルトゲームでは高コストにつくためなかなか実行できないが、漫画ならば、きちんと事前にデザインを設定しておけば、描くコストはそれほど高くない。しかも、作者は個々のドレスにそれぞれ特殊能力を与えている。このおかげで、バトル表現が単調さを回避することに成功しており、さらにこれによって戦術的な頭脳戦の要素を持ち込むことにも成功している。作者がこれらのポテンシャルを見据えてしたたかに設計したうえで連載を開始したであろうことは間違いない。

  web上では、「漫画家が成長してきたな」という感想を見かけるが、そうではなくて、当初から現在のクオリティのものは出来ていたのだと思う。最初からの布石がちょうど生きてきているタイミングだし、最近では見開きのページで外連味ある構図での決めゴマも多用しているので、成長しているように見えるかもしれないが(――ちなみに、その一方で、成長/改善していない点も多いのだが。ネームの過剰な細かさもそうだし、アクション描写も相変わらず何を描いているのかが分かりにくいし、敵キャラのデザインはどれもぱっとしない)。

  ともあれ。現在のハンナ戦は、正面の敵を相手にするものではなく、いわば脇筋のストーリーに入っているため、おそらくは連載維持にも余裕が出来ているものと思われる。今後とも期待していきたい。



  10/19
  【 背景の夕焼け空 】
  スの字ドレッサーズは、背景に雲がたなびいているコマが多いのだけど、なんとなく夕焼け雲のイメージで読んでいる。雲の下側が白くなっているので、夕陽の光が高積雲を照らしているように見ええるし、状況からして下校後の時間帯であることも多いのだけど、実際にそういうつもりで描かれているのどうかは判然としない。変身ヒロインと夕陽という取り合わせはそんなにメジャーではない(『魔法少女アイ』とかにはあったけど)し、この作品それ自体も濁った夕陽よりもピーカンの方が似合いそうな画風なので、どうしてこんな捉え方をしているのか自分でも分からない。



  10/17
  「ドレッサーズ」は、シップウドライヴの振り返り構図の決めゴマが抜群の出来。
  なんとなく『魔法少女アイ』(1+2セットのパッケージアートだったか?)を思い出したり。



  08/31
  こう言うのは作者に悪いけど、スの字ドレッサーズは、いっそ先週のVENUS戦で完結してくれたらと考えてしまった。そう思ってしまうほど、話がきれいに収まっていた。ここからは、いわば第二部として、また新しい状況が展開されていくのだろうし、それはそれで期待しているが。
  ごめんなさいごめんなさいとっても面白いですですからもっともっと続いてください。



  07/30
  スの字ドレッサーズも、ここまで来て追い込んできてまだ7話しか進んでいないという事実には驚かされる。それにしても、あの男子学生どもの下劣さはなんなんだ……。