『君望』(2001)体験版は有名だが、それ以前からも体験版(無料)配布はあったし、そして現在でもフルプライス作品では体験版が事前公開されるのが通例である。しかし、体験版配布というリスクの大きい手段を、いったい何故、美少女ゲームは選択し実行してきたのだろうか。この手段を「採り得た」事情を想像することはできるが、「採ろうとした(あるいは採らねばならなかった?)」事情はよく分からない。
体験版事前配布を実行し得た技術的事情としては:
1)一つには、AVG作品は、特有のゲームシステムに依存する度合いが相対的に低いという側面がある。ある程度汎用化されたAVGエンジンの上であれば、作品の一部分を切り取って出すことは比較的容易だ。他方でSLG作品の場合には、典型的にはソフトハウスキャラの体験版配布がぎりぎりまで遅れているように、その作品固有の大掛かりなゲームシステム(プログラム)を確定された仕様で構築して、使用される素材を相当程度完成させなければ、体験版レベルでもゲームとして動作させられない。枠組面だけでなく内容面でも、モジュール化されている度合いが高いため、序盤だけを切り出してパッケージングすることは比較的容易だろう。
2)第二に、まさに「パソコン」用ゲームであるという事情も、体験版ファイルを(時には雑誌付録CD-ROMなどの物理媒体で、時にはオンラインで、ユーザー個々人のPCへと)流通させてそのまま起動させるための敷居を低くしたに違いない。それに対して、データ形式が必ずしも汎用化されておらずプロテクトの都合にも晒されている家庭用機では、このような自由な配布をするためには技術的にも経済的にも困難がつきまとう(――例えば専用のDLサーバー及びDLシステムを用意するのは、PCゲームよりも難しい)。
3)さらに、狭義の「ゲーム性」よりもむしろキャラクター要素や物語要素の比重が大きいことも、体験版配布による集客を後押ししただろう。まさに『君望』は、体験版から製品版への「引き」の
4)付随的に、素材クオリティの高さも挙げられるかもしれない。00年代初頭時点ですでに、PC美少女ゲームは、画像(イラスト)の品質においては突出していたし、またBGM制作に関しても優れた才能が大量に流入し活躍していた。それゆえ、それらの「試供品」をユーザーの目に晒しても、マイナスイメージにはならず、むしろユーザーを惹きつけることに大きく寄与する。月末販売というはっきりしたスケジューリングも、「体験版をプレイしてみて、デモムービーも観て、その勢いで(予約して)購入する」という行動を定着させただろう。
しかし他方で、過剰サービスとすら思えるこの「体験版配布」を行わなければならなくなったのが何故なのかは、私にはよく分からない。
比較的同質性の高い分野で、ユーザーをきちんと自社タイトルに引きつけるために、要請されたのだろうか。上記のように体験版配布の効果は大きいだけに、それをしないことの不利も大きくなり、そのため横並びに体験版配布が一般化したということはあり得る(――実際にも、2014年現在のフルプライス作品で体験版を公開していないブランドは、ほとんど存在しない筈である。もしかしたら皆無かもしれない)。
あるいは、会社規模からして広報に回せる予算がそれほど大きくないため、限られた広報手段の中の重要な一つとして体験版配布が要請されるようになっているのかもしれない。美少女ゲームの体験版は、たいていの場合、製品版のための素材をそのまま流用して、おそらく半日か一日も掛ければ制作できるものであり、しかもそれを公開することによる効果がきわめて大きいとくれば、メーカーとしてはこれをしないわけにはいかないだろう。製品版の一部だけを切り出した体験版を見せれば十分だし、それが最良だし、そしてそれが最もローコストであるならば、しないわけがないだろう。
ちなみに、製品版とは内容の異なる独自体験版を制作公開しているブランドはきわめて少ない。もちろん、製品版ではゲーム後半に含まれるアダルトシーンサンプルを体験版に同梱するといったような特別な編成をとるものは稀ではないが、体験版専用のテキストや、それに合わせた音声収録まで行っているものは、ほぼ皆無と言っていい(cf. 演出技術論Ⅳ-4-5-γ)。
以上の推測――が正しいならば――を要約すると、美少女系PCゲームの体験版は、「採りうる広報手段が限られている中で、安価に制作でき、配布も容易で、集客にも効果的な体験版は、非常に重要なものである」ということになる。