2016/12/31

2016年12月の雑記

  2016年12月の雑記。(→2017年1月2016年11月


  12/31(Sat)
  今年はわりと自由に過ごせたけど、来年はかなり忙しくなりそう。できるかぎり、良き趣味生活の時間と余裕を持てるようにしたい。


  以前の私は、「漫画のアニメ化やアニメ作品のノベライズに際しては、『原作の再現』『原作の雰囲気に忠実』のようなものに縛られず、新たな表現世界を生み出すことこそが、そうした創作性、創造性こそが芸術的に重要なのだ」と考えていた。たしかに原則論としては、新たな作品を制作するということは新たな創作をするということ(を目指さねば意味が無い)だし、また、媒体の違いはそれぞれの作品のありようを大きく規定しているため、異なるメディアの作品を「再現」しようとすることはそもそも無理のあることだ。クラシカルな芸術論としてはこういう答になる。
  しかし、現在オタク諸分野で行われているそれらの実践は、非常に強く同時進行性/相互参照性/同時代性を持ったメディアミックスの創作的-商業的な活動だ。だから、個々の作品をそれ一つで独立して完結している自律的な作品として捉えようとするような姿勢は、もはや貫徹できない。そこでは、「元作品の雰囲気を保持し再現すること」、「元作品と派生作品の間で齟齬を生じさせず、それらが一体となって協働して、安定した連続性乃至同質性のある作品世界を確保すること」、「媒体Aの作品を享受した受け手が、媒体Bでの派生作品をも確実に楽しめるようにすること」、そうした要素にも大きな価値を見出すような慣行乃至文化がすでに成立しているものとして捉えるべきなのかもしれない。

  ただし、それは同時に、一まとまりの作品世界が、複数の、多数の、無数の要素群に分割されうるという文化でもある。原作ゲームをプレイしていなければキャラクターを把握することすら困難なコミカライズ作品。放映分だけでは完結せず、ディスクを買わなければいけないアニメや、中途半端なところで13話エンディングを迎えるアニメ。DLCの形で内容の一部がブロックされているゲーム(一定期間経過後は、製品版購入者ですらそのコンテンツにアクセスすることは最早不可能になる)。個々のキャラクターとの遭遇可能性すら籤引きの運任せに委ねられるネットゲーム。等々。一つの分野が展開する分野文化的価値は、当然ながら商業的事情や技術的可能性のありようと無縁ではない。


  小鳥居氏の芝居は、1)最初はどうにも聴き方が分からなくて、2)そうこうするうちに次第にちょっと苦手になってしまったので、3)苦手を克服するためにあれこれして、これならそろそろ大丈夫かと戻ってきてみれば、4)お声を聴くだけでものすごくムズムズして、落ち着いて聴けなくなってしまっている自分に気付いた(イマココ)。……うわあ、これ、いったいどうすればいいんだ。
  おそらくこういう捉え方をすればいいのだろうという自分なりの理解の仕方においての話だが、良さが分かるようになったがゆえに、むしろかえって、小鳥居さんのそのストレートな芝居に向き合うことが、自分にとってはとんでもない事態を意味するようになってしまい、ほんの数秒耳にしているだけで自分のキャパの限界を超えてしまってヘッドフォンを外さざるを得なくなってしまった。以前とはまったく別の意味で、正反対の意味で、これは聴けない、聴けないわ……。まさか、こんなことになってしまうとは……。どうしたらいいんだ。

  ……あ、やっぱ駄目、これ、聴いてたら死ぬ! ことりいゆうかやばい! 効きすぎる、届きすぎる、響きすぎる、小鳥居夕花知覚過敏状態……。聴いているだけで、なんだかよく分からない(結局分かっていないのか)このピュアさの感興で、心がオーバーフローしそう……。

  なんだかもう、ゲームの世界が全然違って見える……怖い。
  ゲームもアニメも、そしてたぶんラジオも、全部無理だこれは……。
  可愛いだの癒やしだのどころの騒ぎじゃない、飲み込まれて死ぬぞ……。


  外出して気分転換を図ったが、まるで魘されるかのようにずっと心中狼狽えながら頭の中をもやもや巡らせていた。戻ってきても……手を出せない。この芝居に対してどう接したらいいか分からない。私の語彙ではまるで言い表せないこの印象が、どのような意味でのいかなる性質の芸術的なものであるのか、あるいはもしかしたらそのパーソナルな雰囲気のその不思議な個性の表れに心打たれているということなのか、それすら判断できない。

  ただ単に、ちょっと苦手に感じていた声優さんの芝居を克服してごく普通に楽しんで聴けるようになりたいだけだったのに、そのためにあれこれ視聴して慣れてきたと思ったのに……感度を上げすぎて(というほどのことでもないだろうけど)耐えられなくなってしまうなんて……。いつの間にか自分の意識が、妙な仕方で貫かれてそのあり方がすっかり変えられてしまっていたのかもしれないとすら思えるほどに。「あの夜、もしかすると僕は、星になったのかもしれない」。だが、そのおかげで、私自身が小鳥居氏の芝居に近づけなくなっていたのだとしたら、いったいそれはどんな皮肉な巡り合わせだろう。

  ちょっとだけ落ち着いて考えてみると、多くの(特に白箱大手の)ブランドがこぞって小鳥居氏を起用するようになったのは至極当然のことだった。メーカーの基幹スタッフがこの声を、この芝居を知ったら、そしてせいぜい私程度の、あるいはもちろんそれ以上のセンシビリティがあったら、万金を差し出しても出演してもらいたいと思うだろう。それほどの声だし、おそらく学園恋愛系との相性も十分期待できるスタイルであり、そしてもちろんその期待は十二分に満たされてきただろう。

  まさかこんなふうに頭を抱えて年越しをすることになるとは思わなかった。



  12/30(Fri)
  うわあああ、声優さんが夢に出てきた……。あわわ……。夢のことだから記憶は滅茶苦茶だけど、どこかの新幹線っぽい駅で降りて、秋っぽい雰囲気の夕方の公園で何かしら和やかにおしゃべりしていた…のだったと思う。うわあ。


  ふくよかキャラや太眉やケモは、少なくとも私の中ではかなりデリケートな趣味で、「どんなものでもとにかくあればいい」というわけではなく、眉の形状やふっくら度合いやケモ類型のたいへん微妙な範囲だけが好みに合って、そこを外れると(つまり太眉がゴテゴテしすぎたり、誇張のすぎたプロポーションだったり、ケモ度が進みすぎていたりすると)まったく面白味が理解できなくなったりする。これは洗練の問題ではなくて、つまり不出来なものが混じっているという問題ではなくて、むしろ趣味の洗練と細分化が当該分野全体で進行しているがゆえに起きている現象だと思う。
  それに対して、ケモ耳を生やすだけならば、たいていは「あればあっただけほぼ自動的必然的に嬉しさが向上する」ものだし、眼鏡着用イラストも(よほど似合っていないごく少数の場合を除いては)ほとんどの場合、良いものだと思える。これらはおそらく、趣味のセンスの精緻化に関わる問題ではなく、増加パーツのマッチングの問題にすぎないから、こういった肯定的な受容が可能になっているものと思われる(――もちろん、ちゃんと似合った眼鏡を掛けさせているという事実は、センスの十分な底上げが果たされていることの証だろう)。



  12/29(Thu)

  [ www.fmu.co.jp/say2.htm ]
  若林氏のラジオ。これを聴いていたら幸せな年越しができそう。
  高音質なmp3版も、アドレス直打ちすればむにゃむにゃ(ただし第1回はwma版しか無いようだ)。


  おせち料理は消化のよくないものも多いので、体には気をつけたい。肉類、豆、貝、エビカニ、魚卵、昆布、等々。保存性のために糖分の多いものもあるし。


  上田氏の初期のお声を聴いてみると、最近の上田氏はずいぶん変わってきていることにあらためて気付かされた。というか、摩訶不思議なゾーンにどんどん突き進んでいるような……。ここからさらにどんな境地に進んでくれるのか、楽しみになってきた。


  最近のLiar-softはようやくUIも変えてきている。『平グモちゃん』(2012)や『姫巫女銀河』(2014)からだろうか。『花魁艶紅』(2011)はどうだったのかなあ。


  『閉じたセカイのトリコロニー』は、サンプルCGを見ても、なるみ氏原画というのが信じられなかった。今見返しても、「うーん、ずいぶん変わったなあ」と思う。彩色の違いやジャンルの違いや、おそらくはディレクションサイドからのキャラデザ指示などの影響も大きいのだろうけれど、00年代に見慣れていた『ひめしょ!』『ドラクリウス』『オト☆プリ』と、10年代に入ってからのアトリエさくら等での原画はずいぶん趣が違って見える。


  アイチョ壁紙をちゃんと保存していたかなと2011年5~6月頃のHDDを掘り返してみたら、目当てのものはちゃんと見つかったが、バファローベルとか松戸市の防犯ポスターとか門脇氏のメイド姿写真とか『翠の海』『高天』『雨芳恋歌』『CAFE SOURIRE』のサンプルCGとか秘境駅写真とか「らぶ・しゅないぱー」CGとか、妙なものまでいろいろ出て来た。5年前ってそんなんだったかー。アイチョは毎回の掲載写真も保存してあったが、こちらはかなり抜け(保存し忘れ)がある。


  先月のイベントでは、勢いでファンレターを――開始直前に、隣接のレストランで――書いてじかにお渡しするというおそろしいことをしてしまったのだけど、そういえばそれ以前にも、えーと、2012年5月の立命館草津キャンパスで小野氏と櫻井氏にもFLっぽいものを少しばかり書いたことがあったのだった。あの時は何を書いたのだったか、もうまったく憶えていないけれど、いずれにしても差し入れを渡すのにメッセージ無しというわけにはいかないからね……。

  珠手箱には、FLを持参したことは無いけれど、あれはあれで仕方ない。1)サークルの性質上、どうしても個人名宛ではなくソフトハウスキャラというメーカー全体に向けたアクションになってしまうので、それならばブランド宛にゲームの感想メールを送るなり公式サイトのアンケート欄から送信するなりする方がよいと考えられるから。最近は感想メールも送ってないけれど……。また、2)即売会は「登壇者と観客」ではなく、せっかく「イベント参加者同士」として対面しているのだから、口頭で作品の感想などを喋るようにしている。

  それ以外だと、即売会の島中でサークル参加されていた原画家さんにちょっとした感想とか応援の言葉とかを伝えたことは何度かあるし、tw上ではアダルトゲームの脚本家さんやプログラマーさんにリプライを出したことがあったし、知人が出演したクラシックコンサートの感想を後で述べるくらいのことはもちろんするし、もっと昔には、ある漫画家さんにFLっぽいものを……うっ。(申し訳ないことをやらかした記憶の扉を慌てて閉める)



  12/28(Wed)
  PCゲームのアダルトシーンはしばしば私にとってはダルいけれど、さりとて読まずにスキップしてしまうのも申し訳ないというジレンマからの折衷案で、「オートモードで流しておいて、それを見ながらディスプレイ前でごはんを食べる」というのを試してみた。ぐちゃぐちゃべとべとな画面を見ながらでも、べつに食欲が落ちることは無かったけれど……うん、さすがにこれはマナーとしていかがなものかと思ったので封印した。セルフ人体実験としてもひどすぎる。二度とすまいよ。
  「1)マナー」以外にも問題はある。2)しょせん「ながら」なので、視聴の楽しみも食事の楽しみも中途半端になってしまう。3)そのシーンの経過時間と食事時間とがぴったり一致するわけではないから、心理的な切り替えの問題が生じる。4)ほんの一シーンを処理できるだけなので、ほとんど問題の解決にならない。5)簡単な食事でしか実行できない(あまり豪勢な食事では、移動の手間、机の広さ、食事時間、転倒リスクなどの支障が生じるので現実的ではない)。等々。
  あえて代替案を考えるなら、オートモード+家計簿処理くらいだろうか。ながら仕事でも構わない単純作業だし、時間のコントロールも容易だし(着手/片付けも簡単だし、中断してもいい)、お互いを邪魔するものでもない。そこまで無理して平行作業にする必要も無いのだが、目的はあくまで「プレイするのに飽きないようにすること」なので、作業内容はべつに何でもいいのだ。


  丸呑みの大量暗記はちょっとつらくなってきたかもしれないが、記憶力の衰えを感じたことは今のところ無い。『FESTA!!』の感嘆符が1個だったか2個だったかで迷うくらいのことはよくあるし、タイトルを思い出せなくて検索総当たりでやっと見つけた先日の『TALK to TALK』も、元々ろくに憶えていなかった作品(自分では未所持未プレイ)だから仕方ない。長いタイトルでも、実際にプレイしていたり有名作品だったりすれば、だいたいは即答できると思う。例えば、『恋する妹はせつなくてお兄ちゃんを想うとすぐHしちゃうの』、はいっ、ご覧のとおり!(おばか)

  あの有名な「問い詰め」全体を暗唱できるゲーマーは、2016年現在いったい何人いるだろうか。


  今年の「絵師100人展」の参加イラストレーターを見ても、100人中44人はアダルトゲームでの原画実績があるので、魅力あるイラスト(カラー静止画)を提供するという観点では、現在でもこの分野のプレゼンスは依然として非常に大きいと言ってよいだろう。
  ただし、慎重に考えるべき要素はいくつもある。例えば、1)「100人展」の側がそちら寄りの企画であるという可能性も考えられる(――全体的に見て、明白かつ極端に男性向けに偏っているし、現代のオタクイラストレーターを代表するというには微妙な人物が何人も入っている)。2)個々のイラストレーターがどの分野に軸足を置いているか(特に2016年現在どうなっているか)も重要だろう。3)アダルトゲーム分野がクリエイターを発掘乃至育成したのか、それとも他分野ですでに実績を上げた人物を起用したのかによっても評価は異なるだろう。

  ちなみに、この企画に参加したことのあるイラストレーターは264人。6回皆勤しているのは19人もいるし、5回参加も16人、4回参加も21人と半数近くは常連メンバーで占められている。また、商業アダルトゲーム参加経験のあるクリエイターは64%(264人中169人)に及ぶ。



  12/27(Tue)
  [ www.atelier-g-h.com/agh006.html ](※アダルトゲームサイト注意
  長大なキャラコメント音声に大笑い。こんな面白いブランドだったのか。EGScapeによればキャストは計名氏とのこと。この方の出演作にはあまり出会っていないが、十年以上のキャリアがあるのでPCゲーム声優としてはそろそろベテランの域。


  漫画関係や模型関係の雑記テキストをそれぞれ該当ページへ移動。これで年内分の雑記欄が多少すっきりした。webラジオ関係や個別声優関係の文章も、いくつかはひとまとめにして単独ページにしてもよいかもしれない(が、特に後者に関しては、いろいろあってこのブログとしてはあまり目立ちたくないというややこしい事情もあるのでまだ躊躇っている)。


  えっと、もう27日なので、アイチョ概要紹介は年内に150回にも到達できそうにない。
  現在は第124回まで聴き返して、ついに「ダジャレーヌ」コーナーが出てきたところ。


  年の瀬にアクセス状況を確認してみると、なにやらロシアからのアクセスがかなり生じているようだ。この一ヶ月のアクセスで見ると、ざっと日本45%とロシア45%でほぼ同数、米国が8%程度、以下は台湾などがちょっとずつ。さすがに露米の声優マニアが大挙来訪しているとは考えにくいし、これはほとんどBOTやRスパムやクローラーだと思う(そしてアクセス量の実態も、半数以下に見積もるのが妥当だろう)。もっとも、その種のアクセスは多かろうが少なかろうがどうでもよくて、ただ私が望むのは、人間の閲覧者が求める情報を持ち帰れるようであればいいということであり、そのために記事タイトルや記事分割などもいろいろ考慮している。とはいえ、肝心の媒介者たる検索エンジンがまるで信用できないものになっているので、来訪者にとってのSN比を上げるのは依然としてきわめて難しいと思われる。
  特に、例えば個別声優に関して、wkpdレベルの基本情報を超えて踏み込んだ内容的な議論などというものは、現在のネット空間では発見することも至難であり――それどころそもそもどこかに存在するかどうかすら疑わしいが――、そういうものを期待して検索する者ももはやほとんどいないだろう。速報性の観点で意味のある情報も、現在ではtw内検索する方が――あんなノイズだらけの空間ですら――ましなくらいだ。ただし、個別PCゲームの攻略情報に関しては、00年代前半までは攻略サイトリンクのようなものが機能していたが、現在ではただほんのいくつかの孤島が分立するだけの状況になりつつあるようで、この観点ではweb検索が手掛かりになる度合いはかなり大きいだろう。実際、うちのブログへのアクセスも、攻略情報目当てのものが大半のようだ。
  tw内を"gardenatdawn"で検索したら、ものの見事に検索ヒットゼロだった。やったぜ、これなら今後とも誰も見ていないと思って好き勝手なことをほざきまくれる!(ネットライフ的死亡フラグ) 皆無というのはちょっと驚いたが、ただし、うちのブログに限らずそもそもtwというのはその性質上、内輪形成的メディアでもあろうから、「外部へのメッセージ性が乏しく」「自身とは交流のない無関係な」「個人ページ」への言及はあまりしないという風土になっている…ような印象もある。


  考えてみるとアニメ『ホライゾン』は、原作LNが長い分厚いといっても、対応するテキスト量は一期あたりせいぜいフルプライスAVG一本くらいなので、実はそんなに極端な例外というわけでもない。漫画/LNの平均的なアニメ化原作と比べるとかなり長いのは確かだけど、特にPCゲーム原作のアニメ化タイトルには、『ホライゾン』と同程度またはそれ以上の原作テキストが存在するものも多いし、そしてそれらは――進行分岐という難問まで含まれるにもかかわらず――きれいに一期分のアニメに収められているという実例がいくらもあるわけだから、そんなに驚くべきことではない。また、そういう量の観点はそれはそれとして、質の観点でアニメ版スタッフがうまくやり遂げたというのは確かだ。残念ながら私の趣味にはあまり合わなくて、再視聴することは無さそうだが……(力作であることは認めるけれど、サンライズの画面作りや音響センスが好みではなかった)。
  とはいえ、しかし、思い返してみると、あの不思議な聞き心地のネーミングの数々や奇天烈なキャラデザ、あのゴツゴツ凸凹した風景、そしていくつもの華々しいシーンは、たしかに楽しく豊かな10時間を私に与えてくれていたのだった。



  12/26(Mon)

  【 里見英樹氏について 】
  『あずまんが大王』も優れた作品だが、「電撃大王」誌上併載の「よつばスタジオ繁盛記」もたいへん面白かった。当時は新しい号が出る度に、知人との間で毎月読み合わせトークのようなことをしていたが、『大王』と「繁盛記」のどちらがメインか分からないくらい両方併せて楽しんでいた。だいたい2000年頃の話。
  その後、里見氏は「ひめくりカレンダー」などでもそのネタセンスの切れ味を披露されたり、「かわいいは、正義!」などで装幀デザイナーとしての評判も高めたりしたし、また、『大王』をきっかけにゲーム版権+萌え絵柄の4コマアンソロジーが隆盛したり(もちろん萌え同人4コマもこの作法を摂取してフォロワーが大量に現れた)、さらに『らき☆すた』以降は萌え4コマがアニメ化される例が増えたりと、様々な変化が生じていったが、今振り返ってみても、里見氏は私の中では2000年代オタク文化の創造性とクオリティとセンスとその行き先の豊かさを保障してくれる守護者のような存在だった。


  久しぶり(十年ぶりくらい)に沙村氏の作品を買ってみたら、『波よ聞いてくれ』(既巻3巻、続刊中)はわりと面白かった。才能を見出されて起用された新人FMラジオパーソナリティ主人公もので、筋書きはTVドラマ的に陳腐なのだけど、やさぐれたネタと絵の密度感がマッチしていたおかげで読み通せた。
  他方、『ベアゲルター』の方はこの漫画家の悪い面ばかりが露呈していてひどかった。殺陣表現の生硬さ(コマ組みと構図が合っていないし身体の動きも分かりづらい)、人物間関係の緩さ(個々の人物のバックグラウンド描写がドラマ展開と噛み合っていない)、ストーリーのチープさ(悪い意味でマンネリB級)、コンセプトの不明瞭さとバランスの悪さ(妙なところに冗長なバトルシーンが入ってきたり)、等々。全然進歩してないなあと感じさせられた。


  今年私がここに書いた最もアレなテキストは、間違いなく「飛行甲板にメンダコを載せて同時通訳してもらう」(12/19本欄)だろう。ちゃんと理由があってそうなったのだが、あまり一般的ではない連想をほんの少しばかり作為的に結びつけてしまったせいでこうなってしまった。文面を見るとまるっきり意味不明だし、言葉の組み合わせも奇天烈すぎるしで、入力確定するや否やそのおかしさを自ら痛いほど感じさせられた。来年はさすがにこんなことは書かないようにしたい。


  『魔剣』に先行版OPムービーとやらが。ムービー中に新キャラや新CGもいろいろ出ているし、CG監督は笠懸氏にチップキャラはTOM氏とスタッフ編成も公開されている。主題歌も、わりと手堅い作りなのでまっとうにウケるだろう。あらためて安心。



  12/25(Sun)
  うう……今年も趣味にどっさりお金を投じてしまった……貯金が目減りするほどに……。とはいえ、1)確かに価値のあるものにお金を出したのだから後悔はしていないし、2)費用分以上の満足を得られた手応えがあるし、3)貯金の数十万程度の増減は長い目で見れば大差ない(ぜっ、全然無いんだからねっ!)。上半期はネウロイ赤城を完成させられたし、夏場には優れたゲームにたくさん出会えたし、下半期に掛けては大橋さんの様々な仕事から豊かなものをたくさん受け取れたし、「胃~之煮」「アイチョ」の聴き返し&概要作成も数年越しの懸案にようやく着手できた。ゲーム表現論に関しては、「CGワーク」一本を頑張ったので良しとしよう。いろいろあったけど、全体としては生産的に過ごせた、良い一年だったと言ってよいだろう。
  来年は、趣味のアウトプット(ここでダラダラ書くこととか)は控えめにして、趣味のインプットと本業のアウトプットを重視していきたい。目標どおりにやれるか分からないけど。


  「荒野の対決」、しょっぱなから前田氏が6連勝もしてたのか……(その次の第123回でようやく小林氏が初勝利)。台本無しのリアルさとか、前田氏の大人げないほどの全力姿勢とか、小林のすがすがしいまでの負けっぷりとか、勝負ネタの豊富さとか、とにかく楽しいコーナー。 


  [ www.youtube.com/watch?v=ML3kxLIYPDA ]
  (06:00-)「私、初めてだったんですよ、そんな腕白な女の子って。知識のありそうな、頭良さげな枠が多かったんですけど」。
  ……え……えっ? 全然そんなイメージが無かったのだけど、主立った役を振り返ってみると、エイラは知的というほどではないが物事の指針を指し示すことのできるクールなキャラだし、アデーレも艦隊指揮ができるくらい有能だったし、北条莉華も学業優秀であるらしいし、沢村智紀は典型的な知性派のようだし、歩君(アニメ版)も美術部員だし、おりょうも幕末マニアらしいし、鬼瀬針音も眼鏡キャラらしいし、あおいちゃんも文学少女だったりドレスデザインが出来たりするし、ルナ様(PSVita版)も芸術家肌だし……そして知性の象徴たる眼鏡を着用している率もやたら高かったりするし(※上記太字キャラ)……あまりそういう印象は無かったけど、知性派キャラが多いというのは、あながち間違いでもない、というか、むしろ実は十八番な役柄だったりするのか……おお、イメージが劇的に組み替えられていく……。ラジオトークでは、切れ者というよりはほのぼのタイプのお方なのだが、役者の個性というのは本当に捉えがたい。
  もちろん、腕白キャラもミステリアスキャラもはわわキャラも天然キャラも奇人キャラも低年齢キャラもサバサバキャラでもなんでもできる方ではあるのでしょう。
  『だぶるじぇい』? あれはノーカンで。

  この声優さんは、ラジオなどでのフリートークでも上品な言葉で受け答えをされている(普通の人はゲームの話で「強い」とはまず言わないだろう)し、twの投稿でも驚くほど端正できれいな言葉遣いをされている(――それでいて、おそらくほとんどの人は気付かないであろうほど、それが自然に出来ている)。元々育ちのよい方なのか、相手に対して誠実だからなのか、言葉に対して誠実だからなのか、どういうお考えでそうされているのか分からないが、常に落ち着きがあって朗らかで品のある居ずまいでおられるという印象がある。
  冗談にしても、さすがに「おベガ」「おデネブ」はどうなんだろう、と思わないでもないが。


  ニュートリノを地名だと思うのは、まあ、考えられなくはないか……。もっとも、私だって、トリノの位置を正確に指さすことは出来ない(※イタリア北西部)し、ニュートリノの正確な(程度によるけど)説明をすることも出来ない。



  12/24(Sat)
  桃山氏の個性は、聞き手(≒主人公)に対する距離感表現の迫真性にも現れている。なんと言ったらいいか、心理的な距離感の詰め方、親しみの雰囲気の鮮やかさ、語りかけのリアリティ、ちゃんと中味の詰まった一人のキャラクターとして対峙して会話している感覚、そういうところも桃山氏の魅力を形作っているように思われる。キャラクターとの距離感がここまで具体的な手触りをもって感じられる芝居は、プロのPCゲーム声優の中でもなかなか聴けない。


  下着常時露出デザインなんていうのは、一発ネタとして一回限りだと思ったから(そして一応の世界設定上のエクスキューズがあったから)笑って見逃せたのであって、私はあの要素はちっとも好きではない。
  ましてや、同じクリエイターが飽きずに他の作品でも似たようなお下品デザインを繰り返したとしたら、「べつに下着露出それ自体をすべてぶっ通しで肯定したわけじゃないからな」、「二度目以降は実は二度目どころじゃないけどはっきりとお色気カテゴリーとして認識するからね」と言いたくもなる。特にFAGマテリアあたりは、卑猥感が(悪い意味で)すごい。


  最近でもよく見られる、ある種のデフォルメキャライラストの感性は、もしかして「ビックリマン」からの(遠い)影響があったりするのだろうか? 元々は1970年代から販売されていた商品らしいが、80年代後半から90年代初頭に掛けて大きなブームがあったようで、だとすると1980~85年生まれくらいの世代に対して広汎に影響を及ぼしていた可能性がある。2016年現在だと31~36歳、うーん、おおまかな印象だとマイナス5年(20代後半から30代前半)くらいのクリエイター層のように感じる。私の仮説は違っているかも。ちなみに私自身はほとんど知らない。


  【 身体の柔らかさの欠如 】
  ゲームであれネットであれ、オタク的なセンシュアルなイラストが視界に入ることはそれなりに多いのだけど、最近は「うわあ、この子、身体が固そう……」と感じてしまうことがよくある。関節の柔軟性に乏しい人形のように見えるという意味だけでなく、物理的な硬度の意味でも(特に女性の)身体の質感や脂肉の柔らかい弾力感がなかなか表現されていない。ふにょふにょふわふわぽわぽわした柔らかさの表現(またはそれを表現する価値)が顧みられていないのか、あるいはそれを表現する技術が発達していない(普及していない)からなのか、もしくはそうしたものを描線や彩色で表現し尽くすのは手間が掛かりすぎるからなのか、デリカシーの方向性が違うのか、もしかしたらそれと相反する別の美的要請を優位に置いているからなのか、原因乃至事情は分からないが、少なくとも観察それ自体は間違っていないと思う。
  ポージングが硬いのはなにかと魅力を損なうし、ダイナミックな身体運動を説得力ある形で描くにはたいていの場合、骨格レベルからきちんと描ける技量が前提になる。また、肌肉の柔らかさを表現する質感表現も、単なる小手先の色合わせ程度で簡単に出来るものではなく、相当の美術的訓練が必要になるものだし、ましてや肌の質感表現を(他人の手が触れるなどの物理的接触描写無しに)分かりやすく表現するのは高度な要求だということは、一応理解している。例えば、近年増えてきた、超巨大バストやブヨブヨ段々ボディといった人工的な誇張的表現は、そうした難しさを様式性と記号化、文法化――要するに「こう描かれていればそういうものとして受け取る」という共通了解を形成すること――によって乗り越えようとする試みなのかもしれない。

  人間の文化は大なり小なり環境条件(技術的条件や経済的条件)によって制約され方向づけられているものだが、同時に当事者の振舞い次第でいくらでも規約(convention)的に創造してしまえるものだと考えている。規約(慣習)だからこそ、人が変われば通じなくもなるし、記録するのもしばしば困難だが。



  12/23(Fri)
  アニメは私の中では趣味としての優先度が高くないので、心身がベストの状態にある時にそれをアニメ視聴に費やすのはもったいないと思ってしまうのだけど、しかし同時にアニメ視聴は非常に高い集中力が要求されるので心身のコンディションがよほど良い時でなければなかなか向かい合えないという、わりと解決困難なジレンマにある。だからアニメディスクはわりと積んでしまいやすい。ましてや一気視聴なんてのは、「ながら」の再視聴ですら非常に難しい。
  雑駁な喩えをすると、ゲーム(AVGでもSTGでも)は心身のキャパシティの深さを要求するマラソンであるのに対して、アニメは限られた時間の中でのパフォーマンスの高さを要求するスプリントのようなものだ。2時間映画の場合は、中距離走の息苦しさに喩えられるだろうか。音楽や小説だと、時間や体力はほとんど無関係になってきて、デリカシーと精密さが問題になってくる。漫画はあまりにも多様なので一概に言えない。


  STP/胃の3年目ディスクも注文完了。手許のデータの突き合わせは……どうしようかなあ。


  「卯衣」氏のお名前はどこから発想したネーミングなのだろうかとひとしきり考えを巡らせたが、シンプルに「卯月」+「衣服」くらいしか思いつかなかった。「春物ファッションがお好きだ」とか「4月生まれで、服飾デザインに特に関心を持っていた」とか「命名したのが4月で、たまたまその日服を買っていた」とか……。卯年と考えるのはクラシカルに過ぎるが、仮にそうだとすると1987±12年くらいに当たるが、1999年生まれだとしたら2010年デビューだから11歳で18禁ゲーム出演したことになってしまう。


  漫画はできるだけ喜久屋書店で買いたい。


  長編漫画について、各キャラの登場話数まで正確に記録した概要紹介を作っていた時期もあった。夏に手掛けた『百足』のキャラ整理記事も同じような路線で、ただし規模はわずか3巻だし記述もずいぶん簡略化している。こういうのは精読の機会になるし、また書いてみたい。
  PCゲームでも、話数制だったりシーン小見出しがあったりミッション形式だったりして各シーンの位置を記述することができる作品であれば、キャラクター登場シーン一覧を作成することができる。実際、『英雄*戦姫』でも、――主に出演声優の聴き返しのために――各イベントの登場キャラ一覧を作成したが、さすがにこれは公開しても誰にも何の役にも立たないだろう。

まさにだれとくのきわみ。Excel上で管理したので任意にソートできるが、せいぜい始皇帝とフビライの共演シーンの多さにニンマリするとか、ワイナ&アーサーの唯一の音声共演シーンを聴き返すとか、そのくらいしか出来ない。

  [ www.minatosoft.com/majikoi-a/character_list.php ]
  ブランド公式でこんなリストを公開しているところもあったりして、傍目に一目見てただ当惑するばかりの一覧だが、シリーズを熟知し深い愛着を持っているユーザーにとっては便利な資料なのかもしれない。

  ゲーム攻略に関しても、最近はとんと御無沙汰しており、攻略欲がもやもやしている。最近はただ単にゲーム上に見えている情報を記録して整理するばかりだし、曲がりなりにもシステムに踏み込んだデータ攻略となると、えーと、2014年夏の『アウトベジタブルズ』の財宝データ調査が最後になるのか! うわあ、本当に何もしなくなっちゃったなあ……。記事に数式の一つも出てきていないようなものは攻略の名に値しないという(比較的偏った)攻略観からすると、『PD』の交易品リストや『悪魔娘』のスコアアタックなどは余技もいいところだし。少なくとも「白フィリアネLv99」くらい頭のおかしいことをやらなければ、攻略の達成感は得られないのだよね……。



  12/22(Thu)
  学生時代は、『ナディア』の話にうち興じているクラスメートのオタボーイズとか、『シスプリ』下敷きを堂々と使っているマニア同級生とかが平然と存在していたし、彼等は確かに「趣味の露出が少々激しい人」として遇されてはいたものの、オタク差別のような不当な扱いはまったく受けていなかったし、その当時オタク度0%だった私も彼等に対してべつに好意的でもなかったが反発だの見下しだの嫌悪感だのといったマイナスイメージはまったく持たなかったので、90年代頃までの「オタク差別」というものにはまったく実体験の関わりが無い。
  ……あれ? 私は『ナディア』も『シスプリ』も全然見ていなかったのに、どうしてそれらを『ナディア』であり『シスプリ』であると認識し記憶しているんだろう? どうしてあの褐色肌ヒロインとか「兄くん」呼称とかを知っているんだろう? 彼等の教室内おしゃべりの片言隻句がなにかしらの偶然で私の記憶に引っかかったのか、それとも、私がオタクとしての視界を持つようになってから、断片的な記憶を(擬似的に)再構成しているにすぎないのだろうか。思い返してみると、『シスプリ』じゃなくて『セングラ』だったような気もしてきた……。


  今からあらためて『ゼロ魔』を21冊全巻通読orアニメ3期全話視聴するのもちょっと大変だろう。同様に『HAPPY★LESSON』も、アニメ2期+OVAの規模はまだしも、今視聴するとしたらキャラデザから構図の趣味から筋運びからギャグセンスから役者の芝居ぶりからBGMまでかなり時代の懸隔を感じさせられるだろう。しかし、当時は当時でこういうものが成立し享受される文脈が存在したのだろうというのもよく分かる。


  うーん、『セイクリッドヴァース』になったのか……。まあ、いろいろとやむを得ない事情があったようだから、改称それ自体を咎めるつもりは無いし、なんとか事態を解決できたようだからそれはそれで喜ばしいことだ。私としては、初期タイトルで呼びつづけたいけど……。



  12/21(Wed)
  ソフトハウスキャラ作品のベッドシーン表現は、なんというか、ストロングスタイルな姿勢で一貫していて、えーと、舐めたり挟んだり握ったりといった変則技が非常に少ない(後ろの排泄孔を使うこともかなり少ない)。一作品あたり60種類ほどのHCGが含まれる中で、そういう変則技のものは1枚からせいぜい3枚しか存在しないというのが実情だ。初の社外脚本となった『勇者砲』ですら、主要キャラとサブキャラを合わせた54種類のHCGの中で、主人公がフレアに舐めさせるシーンが1つと、エクリとのいわゆる69スタイルのものが1つあるのみだったが、これもアダルトシーンデザインにSHC側の意向が反映された結果だろう。
  現在のアダルトゲーム分野では、これはきわめて珍しいアプローチだ。低価格帯を含め、たいていのブランドのほとんどの作品が、より多くの性嗜好に幅広くリーチするために一作品の中であの手この手を落ち着かなく披露している。ストロングスタイルの代表格のようなアトリエかぐやですら、実際にはそういう多様性配慮は十分行っている。そうした中で、同社のこの姿勢は、個人的にはとても安心して見ていられる。


  最近箇所のブログやwikiに出てくるようになった堀川某の広告画像がすごく目障りで、思いきり悪印象に傾いてしまった。外見の話で申し訳ないけど、どうやら私はこのタイプのお顔が個人的にすごく苦手なようで……。本当に視界に入れたくないレベルで、えろ広告とは別の意味できつい。それでなくても、人の顔(しかも同一の写真)なんていうのは、よほど魅力的な人物かよほど優れた写真でもないかぎり、すぐに食傷するものなのに。


  あの学校艦隊アニメの名称変更――おそらくネタ隠しのための――は、ミリオタが時として罹患する過剰な情報秘匿趣味の独善性が、現代の番組予約システムに対する見識の浅さによって露呈したという、いかにも教訓的な典型的失敗事例だと認識している。その隠蔽趣味を発揮した結果が、そしてあのオタクをなめたような古臭い平仮名四文字だったりするところも含めて。そういう様々な次元の問題が含まれていると思うのだが、公式の反省は問題をどこまで深く認識してのものなのかなあ。


  『まいてつ』が無理なら「パシフィック231」を取り上げればいいじゃない。(鉄オタなマリー)
  『ピングドラム』は……今回は残念ながら、取り上げられる手掛かりが無い。


  【 最近のいくつかの大手ブランドのUIデザインへの不平 】
  テキストボックスに付属する顔窓表現は、シンプルなキャラ毎固定画像か、あるいはせいぜい顔面の表情変化程度で済ませるのが好み。
  1)上半身全部をテキストボックスに載せていたりすると、立ち絵との二重表現が気になってきて、「それなら立ち絵本体は何のためにあるの?」という疑問が湧いてくる。特に最近では、伝統的なフェイスウィンドウの域を超えるほど画像サイズが大型化しているので尚更だ。「顔窓としてのコンパクトな機能性を喪失するほど大きすぎ、かといってキャラ画像の美しさを鑑賞するにはあまりにも小さすぎる」という中途半端な顔窓が、――よりにもよってAUGUSTのような大手ブランドを中心に――蔓延しつつあるのは悲しい。特に、バストアップ顔窓にしているせいで顔面部分の表示スケールがかえって小さくなり、表情のデリケートな変化が見て取りづらくなっているのは本末転倒と言うほかない。
  2)また、顔窓部分でも側面向きや背面向きや両腕のオーバーアクションを一々表示されるのはかなり鬱陶しい。例えば『手毬花』(リンク先は旧ブログの紹介記事)は、バストアップではなくSD全身画像という意欲的な試みではあったけれど、残念ながらプレイ中はどうも落ち着かなかった。
  3)テキストボックス周辺だけにプレイヤーの視線を集中させていたいのであるならば、「いっそテキストボックスを画面上部に置いてしまえば?」とも言いたくなる。もとよりcs2はテキストボックス可動だったりするけれど。ただし、ワイド画面レイアウトではそれも難しいのだろうなあ……。
  いずれにせよ、デザインとは取捨選択の問題であり、「立ち絵の中途半端な縮小コピー」になってしまっている顔窓表現は美しくもないし機能的でもない。

  ついでにもう一つ悪口を言っておくと、Clochette新作のUIは「スキップやバックログなどのショートカットボタンを、どぎついカーマイン色の、刺々しい菱形で並べる」という凄まじいもの。しかも縁取りが黄色だったり、テキストボックス左側にはカラフルな四色の菱形マークを置いたりしており、おそらく「和風+神秘的(神道的)イメージをポップな雰囲気にアレンジする」という意図なのだろうけれど、忌憚なく言えば、神秘的どころかむしろ非常に俗っぽく浅薄で下品で味気無い。見ているだけでみじめな気分になってくる。これはべつに私が高度な要求を突きつけているわけではなくて、普通の人にこれを見せて良いか悪いかを尋ねても、やはり「出来の悪いデザインだ」という答えが返ってくるだろう。
  さらにひどいのは話者欄表示で、ここにも菱形デザインを適用し、あろうことか菱形一個と文字一つを愚直に対応させているせいで、名前表示が一 文 字 ず つ 飛 び 飛 び のひどい状態になっている。内部(スタッフ)でも外部(ユーザー)でも誰か指摘する者はいなかったのか。グラフィックデザインを過度に徹底させた弊害は、たとえば『ピリオド』の話者表示にもあったが、『ピリオド』ではレタリングの尖った個性として受け入れる余地があったのだが、『はるる』ではただセンスの貧しさを露呈させているだけだ。
  クレジットでは誰がこの部分を制作担当しているのかよく分からないけど、このブランドはまともなデザイナーを雇った方がいい。くりかえし指摘している服飾デザインの原色ギトギトな安っぽさに関してはもしかしたら派手なアイキャッチとして機能している可能性が考えられなくはないけれど、さすがにこのUIデザインが売上やプレイ体験を向上させているとは考えにくい。広告露出も多く資金的にも余裕がある筈の大手ブランドで、しかもそれなりに長くやってきて蓄積(フィードバック)もある筈なのだから、いいかげんそのあたりも改善していってほしい。



  12/20(Tue)
  冬休みはゲームにうち興じる予定。アイチョは気分転換程度にちょっとずつ。


  「本渡楓」さんのお名前を目にすると、どうしても「木葉楓」に見えてしまう……。
  90年代からの長いキャリアがある方――大波氏や芹園氏に匹敵する現役最古参――で、世間的には『魔法戦士』シリーズや『ゆのはな』が代表作のようだけど、『宵待姫』や『です☆めた』も良かった。松田名義だともちろん『ましろ色』の怪キャラ怪演も、いかにもこの方らしい。


  思い立って某アニメBDを引っ張り出して視聴すると……おお、確かにこのお声だ、まさにこのお声だったんだ、うはは、馴染む、耳に馴染むぞー!と妙な感激の仕方をしてしまった。個々の声優さんの「聴き方」を覚えたうえで再視聴すると、いろいろな発見がある。また別の声優さんについては、「あれ、こんな渋いトーンでも芝居されるんだー」という体験があった。ただし、作品全体としては、BGMの付け方がいかにも型通りでタルいのが残念。


  宇宙船での道中記ものといったら、古典『BE-YOND』から今年の『プラネットドラゴン』まで、アダルトゲームにもいろいろありますなあ。各地(各惑星)の背景画像がその都度必要なので、コストを掛けられる大作タイトル(『BE-YOND』)だったり、コストに見合ったリターンのあるSLG作品にしたり(『大帝国』は一応これ)、あるいはSLG作品でもシステムデザインを上手く組み立てることで背景制作を切り詰められるようにする(『PD』)など、アプローチは様々なものがある。
  宇宙船ものや宇宙旅行ものだと、他には『ARGONAUTS』とか『CANNONBALL』とか『監獄戦艦』シリーズとか『SHOGUN8』とか『R.U.R.U.R』とか『星空のバビロン』とか、それから『SOUL LINK』は、えーと、宇宙ステーションが舞台だったか。筋運びを上手く処理して、個々の星には降りないようにする(つまり宇宙船内部だけで背景の大半を賄う)ようにするというのも多い。潜水艦ものの『蒼海』シリーズや『DOOP』なども同種のアプローチを採用している。


  当事者二人が虚仮になってひたすら楽しげにいちゃつくバカエロものは良い、実に良い……。端から見れば徹頭徹尾滑稽なことを、心の底から嬉しがりつつ二人ながら享楽の限りを尽くすその姿は、肩の凝らない娯楽として見る分にはこれほど楽しいものも無い。
  アダルトゲームだとそういうものは非常に少なくて、Liar-softのいくつかのタイトルと、softhouse-sealが十分に成功したいくつかの瞬間と、alicesoftのいくらかのシーンと、ソフトハウスキャラの一部のシーンくらいでしか出会えないが。そういえば、すぐ上で言及した『星空のバビロン』も、状況設定やキャラ設定からして相当珍妙なところからアプローチしているので、アダルトシーンもなかなかのものだった。
  アトリエかぐやBYやTechArts系列だと、なんのかんのでパワフルな交わりに突き進んでしまうし、ぱれっと(「ん。」脚本)もわりとえろえろだし、藤崎竜太脚本は艶笑コメディになりすぎて色気が薄くなるし、籐太テキストや日野亘テキストも結局は真面目なエロシーンになってしまいがちだし、上手く好みに嵌まるおばかっぷりはなかなかお目にかかれない。



  12/19(Mon)
  『夏彩』の世評が高いのは嬉しいけど、まだプレイできていない。時間はなんとか捻出するとして、プレイする順番を思いきり前倒しにしてしまおうかな……。


  【 『ウィッチーズ』シリーズ 】
  建前としては「無料配信ラジオを楽しませてもらっている感謝の気持ちとして」、プラグマティックに言うならば「ラジオにもっと継続してほしいから」というので、『ウィッチーズ』の関連作品にもちょっと手を出してみた。

  共通の世界設定が、1)機械化魔法少女の空戦というはっきりした特徴と、2)実在地球におおむね準拠した全世界的な広がりの大きさを持っており、3)実在のパイロット等をモティーフにするというネタ元の豊富さと明快さも強みにしており、それでいて4)一応は架空世界らしい建前(例えば各国名も「日本」ではなく「扶桑」だったりする)の下で展開の裁量も大きく、5)直線的な続編ものではなく各地域/各時代の個別エピソードを飛び石として自由に展開していける気楽さがあり、6)ファンの側でも、時にはマニアックな知識欲充足を楽しみ、時には既知のキャラの再登場を喜ぶことができるという自由度がある。要するにシェアドワールドものの典型的な特徴だが。
  状況全体の大きな結末はどうやらまだ描かれていないようだし、仮に提示されているとしても個別エピソードの面白さにはほとんど影響しない。また、後からでもどこにでも個別のエピソードをいくらでも作り出していくことができる、そのくらいには世界設定に「あそび(隙間の余裕)」が大きい。だから、シリーズ全体がひとたび一定の人気を獲得すれば、非常に堅実で豊かで便利な鉱脈になるという巧妙な仕掛けだ。そして実際、幸運なことにキャラ萌えで牽引していけるだけの地盤も確立したようだから、まだ当分長続きしそうだ。

  これまではアニメシリーズと劇場版とラジオしか視聴していなかった――それからキャラクターフィギュアも――が、他作品に手を出してみても、なるほど、興味を持たせる手掛かり(既知のキャラの再登場)や個別作品の位置付けを分かりやすくさせるための手引き(設定年代の明確化)もいろいろあるので、私の乏しい予備知識からでもすぐに馴染んでいけた。
  『オーロラの魔女』(漫画全2巻)は、空戦アクションと人間ドラマをうまく融合させている佳品。アニメ1期/2期よりも戦術描写の密度が高く、終盤の巨大パンジャンドラムとの戦いもなかなか見応えがあった。すでにアニメ版に登場していたエイラが一応の主役格だが、描写は三人称的で、どのキャラからも距離を取っている。キャラ紹介とそのキャラの見せ場作りを同時に行うことができ、しかもそれに引きずられすぎない(すぐに切り上げて別のキャラに焦点移動しても構わない)という自由さをうまく活かしつつ、登場人物間の友情関係と相互信頼とが深まっていく様子が描かれていく。個人的にはショートカットキャラの多さも嬉しい。絵はわりとシンプルだが、北国の針葉樹林の雰囲気を感じさせてくれるくらいには不足なく描き込まれている。
  逆に『紅の魔女』(漫画全3巻)は、キャラものとしての性格がかなり強めで、ネウロイは物語のツマ程度の扱いになっており、描写も展開もいささか生硬に感じる。キャラクターの表情はどのコマでも非常にきれいだが、その分、常時カメラを意識しているかのような画風が私の好みには合わなかった。コマの中の絵がしばしば恣意的に斜めに傾く(鉛直を外れる)のも、なんとなくイラストレーターっぽいというか、同人漫画っぽいというか、その雰囲気がちょっと落ち着かない。ただしこれはあくまで好みの問題であって、キャラものコミックとしてまっとうに面白い作品ではある。
  『発進します!劇場版』(漫画全2巻)は、アニメの大筋をなぞりながらすべてを4コマギャグ展開に換骨奪胎するという細密かつ華麗な離れ業。それだけでもコミカライズのアプローチとして秀逸だが、4コマ形式で毎回きちんとオチをつけていきながら、きちんとストーリー進行に即しており、しかも劇場版描写の間隙をも巧みに充填して、おそろしく密度の高い作品になっている。デフォルメの利いたキャラクターは抜群に可愛いし、軍艦や機銃のディテールもやたら正確に描かれているし、史実や原作のネタもマニアックなものをさらりと大量に挟んできているという達者ぶり。
  『いらん子中隊』(小説、3巻)は、シリーズの中でもかなり初期の作品とのことで、ネウロイの設定なども多少異なっているが、いかにもLNらしく、状況を絞って一巻毎に目標をはっきりさせつつ、捻りを利かせたストーリーが展開されている。ヤマグチ氏のクリアなテキストも良く、キャラ立ては達者だし空戦描写は迫真性に富んでいる。ただし、なかでも異彩を放っているのは(同)性愛表現で、プライドの高いエースが異国の地で戦技無能な年下同性部下に夜な夜なベッドで何度も「撃墜」され続ける――しかも同僚たちも同室でそれを認識している――というシチュエーションの倒錯性と背徳感は尋常ではない。ちなみに、このシリーズには世界地図も掲載されているが、中国やイラクにあたる土地をきれいに消し飛ばしているのは、史実に照らした人類間の政治的衝突要因を排除するための処置と思われ、巧妙といえば巧妙だがいやらしくもある。
  『オーロラ』の京極氏は昔のF&Cなどで原画をされていた方だし、『紅』のしのづか氏も『ジオグラマトン』とかの原画家さんだし、『いらん子』のヤマグチ氏は言わずもがな、『グリーングリーン』や『ほしうた』に脚本参加された方だし、ラジオで紹介されていた最新連載のななてる氏も、まどそふとのSD原画家さんだったりと、アダルトゲーム分野ともご縁があるようだ。
  いくつか読んでみて、このシェアドワールド的広がりにこれ以上深入りすることは無さそうだけど。そもそも、べつにアニメ版1期/2期も、映像作品としてはそんなに評価していないし(90%はキャスト陣の功績だ)。しかし、二次元オタク系ミリタリーものの代表的なシリーズとして今後とも端倪すべからざる存在であり続けるであろう、その架空世界の広がりを泳ぎ回る楽しみの一端を味わえたのは貴重な体験になった。


  普段は栄養ドリンクの類は一切飲まないのだけど、病中病後の体力回復のために一本400円くらい(だったかな?)のものを一週間ほど毎日一本ずつ飲み続けてみたら、身体が火照りまくって夜も眠れなくなった(※えろい意味ではない)。……栄養ドリンクってこんなに怖いものなのか。確かに体調は良くなったし、冬場に身体が冷え込まないのは確かにありがたいが、しかしベッドの中で汗をかきすぎるのはそれはそれで風邪の原因になりかねないので危なっかしくもある。
  今回は半月以上も風邪が長引いて相当辛かったので、ようやく治りかけてきたところできっちり治しきるつもりでドリンクに頼ってみた。所期の効果はあったと思う。喘息のような咳の症状がまだ残っているが、これまでの経験からして、喉飴を舐めていればじきに収まる筈。


  読点の置き方はずっと試行錯誤している、というか、その都度の文体感覚や知性の働き具合や美意識によって使用頻度は意識的無意識的にかなり変動させている。最近はまた読点を減らすようにしているが、少し前まではとにかく読みやすくするために意識して読点を多めに付けていた。接続詞をとにかく多用して文章の論理的構造をできるだけ正確に定着させようとしていた時期もあったし、対句のような装飾的な言い回しにひたすら凝っていた時期もあったし、あるいは自分の文体を維持しながら口語的なスタイルに近づけられるかを試していた時期もあったりした。このような文体の試行錯誤は、ある程度の密度で文章を書いている人は誰でも経験するものだろうけど、私の場合は基本的に「明晰性」「可読性」という分かりやすい目標があるのでそんなに深みのあるものではない。
  最近でも、特に英文で書く時は対句癖や押韻癖や接続詞多用癖が出やすかったりするので、これはまあ仕方ないものだなと思いつつも、できるだけシンプルに書くように削っている。


  模型で4隻も作ってきたわりに艦船としての赤城はとくに好きというわけでもなく、せいぜい「作り慣れているし見慣れてもいるので、それなりの愛着がある」という程度だった…のだけど、某擬人化ゲームで藤田氏が声を当てておられるらしいと先日知ったので、好きになるきっかけが出来た。つまり、飛行甲板の上に青いメンダコっぽいものを載せれば同時通訳してくれるんだな!
  (『プレアデス』ネタであることをことわらずにいきなりこう書くだけだと、デンパ発言にしか見えない……。そして、私はこういう迂遠な形でならば、個々の声優さんに関わりのある物事に愛着を持つことができるんだな……変態かよ。)

ピャルピャルピャルピピー!!(なんだねこれは! たしかに君たちの認識の枠組に規定されて僕の見え方は変化するのだが、宇宙船と一体化して高次元の存在となった僕のことを軟体動物と同一視するというのはいかがなものかね! いやたしかにタコはこの星の生物進化の系統の中ではその位置に比してきわめて知性の高い動物ではあるが)……会長、シャラップ。


  明日の最終〆切があるので、久しぶりに徹夜する羽目に……。光画部時間よりもさらにルーズな大学時間で生きているとはいっても、社会的な行事運行の諸々にまつわる限界というものはあるもので、今回は絶対に遅らせることができない(などと言いつつ、こうしてブログを書きに来ているのだが)。仕上げた原稿を預けて出版予定のまま、えーと、早5年、6年も経とうとしているブツがあるかと思えば、予算執行に掛かるため絶対に年度内に出版しなければならなくて半泣きで300ページの全体校正をしたこともあった。



  12/18(Sun)

  【 萌えイラストで馴染めない要素 】
  重力を無視して膨れ上がったバストも、そこにぴったり貼り付いたような被服表現も、股間部分の過剰にボディコンシャスな描写も、嗜好のワンオブゼムとしてそういうのを楽しむ人たちがいるのはそれはそれで構わないけれど、それらがオタク絵の「デフォルト」になってしまうとしたら辛い。特に「アダルト」ゲームは、そして特に近年のアダルトゲームは、その建前上もその分野的特性からも、エロティシズムを強化する技法に対するブレーキが働きにくいので、このまま特定の一つの要素または一つの嗜好が普及しすぎてそれ以外の選択肢が狭まっていってしまう可能性はわりと高い。というか、現在でもすでにかなり大きく傾斜している。新たな嗜好が開拓され新たな技術が案出され新たな感性が確立されることそれ自体は喜ばしいのだけど……。

  下着に縦筋がくっきり浮き上がる(というか凹んでいる)なんてのは、一昔前はおばかギャグの範疇であってごく一部のエキセントリックな人しかやらないアプローチだったと思う――いや、それどころかそもそもほとんど存在しなかったくらいじゃないのか――のだけど、今ではどんどん「べつに特別な表現ではない」「特に抵抗を感じず素直に受け入れられる」「それが普通」になりつつあるようだからね……。もちろん人の意識はそのくらい柔軟に変化しうるものであって、その柔軟性それ自体は悪いことではないし、そういった先鋭化のプロセスは傍目には面白い現象なのだけど、オタク的お色気イラスト全体が暑苦しくお下品な方向性に走っていくのには、ついていけないと感じることもある。実のところ、例えば『アリスグラム』も、あれほどのキャスティングにもかかわらず、あの情趣に欠けた風船バストのせいでいまだに購入を躊躇している。

  ラジオに波奈束氏が来られたりしたらあっさり購入を決めるかもしれないけれど、沢村氏名義では『リベリオン』ラジオに出られたことがあったものの、波奈束氏としてはまだラジオ出演歴が無いので、ラジオに出演される可能性があるのかどうかは見当が付かない。『大図書館』ラジオもアニメ版の一部の方々がゲストに来ただけで、アニメ版での同役の方も来られなかったし。しかし、『リベリオン』ラジオであの金田まひる氏を向こうに回してボケる暇もツッコむ隙も一切与えなかったという超人的なパーソナリティスキルを発揮されたくらいだから、ラジオトークの腕前も一級品なのは間違いないので、うーん、是非、せめて一回だけでも!



  12/17(Sat)
  柚原みう氏が活動再開されているとのこと。嬉しい。『おにきす』FDへの出演告知も出ていたのでいきなりの完全撤退ではなさそうだったし、そもそもこれだけの才能を周囲が放っておく筈がないのだが、あらためて今後とも期待していきたい。


  【 声優の芝居をどうやって認識しどのように評価しているのか? 】
  最近ようやく奏雨氏の芝居が分かってきた感じ。分かるというのはおこがましいが、氏の芝居のテンポに合わせて聴けるようになってきたと言ったらいいか。これまで何作も触れてきたのに今更何をと言われそうだが。情けないことに私の場合は、自分の耳と意識の側をチューニングして聴かなければ全然ピンと来ないこともわりとあったりする。

  声優や役者に注目している人たちや、あちらこちらの声優さんのファンになっているような人たちは、そもそも一人一人の芝居をどのように認識しているのだろうか。その都度の演技をどんなふうにして聴いているのだろうか。個々の役者の特質をいかなる視点からどのようにして把握し評価しているのだろうか。そういうことも全然分かっていない。

  実際には、様々なきっかけで、様々な視点から、そういうものは生まれてくるものだと思う。例えば、クリック進行によって分断されながらも練達の噺家にも匹敵するような心地良い語り口の流れにプレイヤーを引き込んでいくような芝居があったり、あるいは音楽的なリズムすら感じさせるような弾力感のある表情が表出されていたり、あるいはプレイヤーをどんどん引っ張っていくようなアレグロの巻き舌芝居の快適さがあり、あるいはどれだけ長大な間(ま)を含みつつもけっしてほどけない凝集力に満ちた芝居があり、あるいは個々の台詞とその都度の場面の意味をすべて捉え尽くすかのようにただ声のみによってその場面の時間と空間の厚みと実在の手応えを感じさせるほどの演技があり、あるいはあくまでキャラクターヴォイスとしてのクオリティを保ちながら同時に声の響きの完璧なつややかさが常に維持されている怖ろしいほどの彫塑的な佇まいがあり、あるいは信じられないほど生き生きとしたキャラクター心理の躍動感をその声に込める芝居があり、あるいは思慮深く丁寧に丹念に個々の台詞を紡いでいく誠実きわまりない役者があり、あるいは天稟の輝きに満ちた切れ味鋭い演技をひたすら絢爛と展開し続ける役者があり、あるいはただ声を発するだけでゲーム体験やアニメ体験の全体を華々しいものにしてくれる神秘的な才能があり、あるいはほとんど囁くような声色のスローテンポの表現からプレイヤーの心を真綿で締め付けてくるかのような不思議なスタイルがあり、あるいは吸い込まれてしまいそうなひたすら甘やかな芝居があり、あるいは芯の通った声がどんな瞬間でもはっきりまっすぐクリアに視聴者に届いてくるような存在感のある芝居があり、あるいはツン台詞の凄まじく尖ったアゴーギクのテクニシャンぶりとデレ台詞の抵抗しがたい甘味のムードとが同居しつつ完全に同一キャラクターとしての個性によって貫かれている表現があり、あるいは笑い声や泣き声だけで客を呼べそうなほどの役者があり、あるいは物語全体をその声によって決然と導いていくような引き絞られた力感を放出する芝居があり、あるいは優しいトーンの語り口の中にあまりにも耳心地良い彩りときらびやかな装飾性を展開していく超絶技巧があり、……そういったもののどれかたった一つでも感じ取ることができてそれらに魅惑された一瞬が生じれば、それだけでファンになるには十分すぎた。

  私が声優を(年齢性別問わず)アイドルとして見ることが出来ない(理解できない)のは、何よりもまずそういう才能と技術の凄味に圧倒されすぎているからなのかもしれない。プロフェッショナルな技芸の迫真性を受け止めるのに精一杯で、そのような才能が化体(あるいは受肉)したような存在を普通の「人」として見ることはできないし、ましてや人として親しみを感じるなんていうこともできない。いやもちろん声優も私と同じ人間なのだけど、そういう接し方をするということはおそらく今後も出来ない。声優諸氏のwebラジオを聴いていても、その溝はちっとも埋まっていない。おそらく私とは違った捉え方をしているのであろう多くの声優ファンは、いったいどういう視点で声優を認識してどういう姿勢で向き合っているのだろうか。分からない。


  そういえば、私の中で「好きになったキャラ」と「特に注目するようになった声優」は、あまり連動していないかもしれない。衝撃的な芝居を披露された声優さんの名前が心に刻まれることはあっても、その時演じていたキャラのことまで自動的に好きになるとは限らないし、また逆に、あるキャラに親しみが湧くことがあっても、それは絵やテキストやストーリーや音声の複合的な要因でそうなるのであって、その中で「この声優さんだから」というのは必ずしも主要な動機にはなっていない。一般的には、ゲーム体験やアニメ体験の全体性の中で双方が結びつくことの方が自然なのかもしれないけど……。
  あ、でも、何故か青山氏だけは例外的に、私の中でそういう結びつきが多い。「青山氏の芝居を通じて、このキャラのポテンシャルが最大限発揮されてここまで魅力的になったのだと感じる」とか、「青山氏によって造形されたからこそ、このキャラがここまで愛着を持てるような存在になった」ということがよくある。マーチェリッカ、一ノ瀬響、辻川葉耶香、周防瀬里奈、望月綾芽、エマ、高千穂よね、真柄亜利美……どのキャラも今でもすぐに名前が出てくるくらい印象的で、そしてどれももはや青山氏以外の声をイメージすることができないほどのキャラクターで、そして私見では青山氏の音声表現の最高の精華に属する。もっとも、青山氏自身は、役に一体化するのめり込み型というよりは、クールな俯瞰型の芝居をされる技巧派声優さんのようだけど。



  12/14(Wed)
  今月の予約……予約をしないと……。物理的にも精神的にも忙しくて着手できない。風邪はようやく治まってきたのだけど、休んでいた間のしわ寄せが……。模型もいろいろ作りたいのだけど、手が回らない(――それでなくとも冬季は塗装に適さないけど)。

  自分にとっては模型制作は、わりと禁断症状が出やすいオタ欲のようだ。しばらく手を動かしていない時に良いキットや良い作品を目にすると尚更。ゲームや映画は、する時は熱中するが、しない時期が出来てもあまり気にならない(数ヶ月規模でブランクが出来ることもある)。音楽は、しばらく間が空くと自然に戻ってくるが、その時には自分がすさまじく餓えていたことに気付く。旅行やアニメは、たまにアクセスしたくなるが、実際に行動するのはちょっと億劫。小説や漫画は、なんのかんので定期的に摂取している。


  うわああん! 幸せな巡り合わせで同日発売になっている大橋さんの「CHARADE」と牧野さんのコンサートDVDを並べて「あおい&ひかるコンビ」を机上再現して悦に入ろうと思ったのにどこの店にも見つからなかったよ! うわあああん! 音楽CDは、店頭でレイアウトされているのを見つけ出して手に取ってジャケットを眺めてニコニコしながらレジに向かうのが一番わくわくするのだけど、今回は通販にするしかないか……。


  うん、まあ、女性ユーザーが多いのは(あるいは女性ユーザーに好まれそうなのは)、最近だとシルキーズプラス、CLOCKUP、Innocent Greyあたりだと思う。ちょっと前まではLiar-softも入って来たと思うし、古参ブランドだとUNiSONSHIFTやalicesoftも多いだろうし、BLACK CYCやAmolphasのハード路線がいける姐さん方もわりといる筈。Littlewitchも勿論。lightはちょっと意外かもしれない。逆に、TriangleとかApRicoTとかを嗜む女性アダルトゲーマーというのは非常にイメージしづらい。Escu:deは代表の「て☆れ☆ら」氏が女性だったりするわりに、作風はずいぶん男の子向けっぽいストレートな作りに見える。SkyFishも似たような感じかも。


  新記事:「CGの時刻差分変化」。演出技術論の時点でも書いていたことだが、覚書として。
  リハビリレベルの軽い記事だが、文字数が所定の規模に達したので単独記事にした。

  今回は、大きいサイズの画像をULする実験と、複数のSSを一枚にまとめてULする実験。せっかくだからgif動画をULする実験にしてもよかったかもしれない。以前に試したとおり、1600*1200ならば原寸どおりでULされている(たぶん一辺1600pxlまでならば大丈夫)。
  画像それ自体について言うと、SSをjpeg保存していたものをまとめてBMP保存してさらにjpeg変換しているので、画質は落ちていると思う。

『君が望む永遠』 (c)2001 age
gifだとこんな感じになる。変化が分かりやすくはあるけれど、ブログに掲載するとちょっと鬱陶しく見える。また、これだと画質の低下もかなり痛い。ファイルサイズも、jpeg版が196KBなのに対してgif版は1MB(1000KB)と、約5倍に増えてしまう。見た目も、過度にちゃちいパッチワーク的印象がついてしまう。やはり静止画を並べておくのが無難だろう。


  高社紗雪さんはこれぞ木村あやかというキャラだし、一ノ瀬穂波さんもザ・波奈束風景と言っていいキャラだし……。木村氏はこういう純朴で率直なキャラを真っ正面から堂々と演じきれるのがもう圧倒的だし、波奈束氏はこんなふうにちょっと癖のある役を演じると、そのエッジの利いた芝居ぶりが素晴らしく輝く。



  12/10(Sat)
  『魔剣』キャスト発表。SHCとしては珍しいことに、サンプルヴォイスを公開されている。『勇者砲』から予想されたとおり、2009年デビューの鈴谷氏と2005年デビューの羽高氏以外は2013-2015年以降の桃組最新世代を揃えている。
  主演の風花氏は、『勇者砲』のギガメーコ役だった方。他の作品でも、柔らかく流れていくような耳心地良い芝居をされていたし、明るい雰囲気でゲームを導いていってくれそうだ。これなら安心していていいかな。
  結城氏は、まだ出演作をプレイしたことが無い。サンプルを聴くかぎりでは、「お姉さん」というよりは同世代的な親しみのあるキャラクターになりそう。
  鈴谷氏は、『ク・リトル』『翠の海』『アストラエア』など、子供キャラが多い役者さんだが、今作でも癖のあるキャラクターをうまく造形していってくれることを期待したい。
  綾音氏は、『悪魔娘』の責任感の強い裏ヒロイン、『幻聖神姫』の悲劇的な主演、『勇者砲』の愛嬌ある主役、そして『PD』の後輩系(?)キャラと来て、今回はまた違った配役になっている。切れ味のよいおばかキャラもしっかり演じきれる実力のある方だろう。
  ありかわ氏は、名前のあるキャラとしては初遭遇だが、落ち着きのある年上キャラで、破綻の心配は無いだろう。
  その他のキャストも、女性は桃組若手ばかり、男性も桃組常連キャスト。

  うん、分かってたよ……今回のターンでは、大波氏も青山氏も萌花ちょこ氏も桜川氏も春日氏も芹園氏も星咲氏も一条氏も蝦押氏もいないであろうことは……覚悟していたよ……。新しい世代の新しい芝居が次々に生まれてきているのは、それはそれで寿ぐべき状況なのだけど、キャリアのある方々のさらなる新しい境地も聴きたいのよ……。


  アイチョ概要整理はようやく半分。



  12/08(Thu)
  ククク……講義で『プレアデス』の話をしてやったぜ、ククク……。
  企業の宣伝手段の多様性と現代文化との関わりが云々という文脈なので、オタクっぽさは完璧に脱臭して至極自然な形で導入できた筈。しかしさすがに『まいてつ』の件まで言及するのは少々リスキーなので、チキンな私はそちらは差し控えてしもうた。


  まだ体調が戻らず、頭が回らない。作業が出来ない時は、仕方ないのでアイチョを進めているが、途中でぼけっと聴き流してしまって慌ててシークバーを戻す羽目になったりしている。もはやまともにラジオを聴くことすら出来ぬのか……。


  『手垢塗れの天使』は、パッケには「インターネット環境必須」と書いてあって、まあそのくらいは仕方ないと思って購入したのだけど、開封してみたらその実態はDLsiteアカウントで認証させられるというもので、愕然としそして落胆してそのまま放置している。そういうところは使いたくないからわざわざパッケージ購入しているのに……。もちろんたしかに無料登録できるけれど、外部サービスにメアド登録させられるのは、欺瞞的な告知じゃないのかねえ……。絵も非常に好みな感じだったし、主人公の性格も面白そうだし、心の声システムに興味があったしで購入したのだけど、このまま死蔵する仕儀になりそう。なんとも惜しい、もったいない、悔しい。
  上記はユーザー視点での意見だが、観察者視点でいえば「こんなふうに認証をDL販売サービスに依存するならば、そもそもパッケ販売する意味すら薄れているのでは?」という感想になる。要するに、ゲーム本体のデータをディスクからインストールさせるかDLさせるかの違いでしかなく、そうすると、残っているのは「通信容量を抑えられる」「店頭露出できる」というメリットが残っているだけで、パッケージメディアの製造/流通/保存に関するあらゆるデメリットの方が大きくなる。


  ひゃっはー、風邪を治すためという大義名分を手に入れた私は、おいしくて栄養があっておいしくてお高くておいしくて胃もたれしなくておいしいものをがぱがぱ食べまくるのじゃー!


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  GIGAZINEって相変わらずそういう体質のままなのね……。私自身、もう何年も前から「絶対に開かないNGサイト」扱いしている。CEDEC関係でやらかしたのも有名だろう。信用しない、近づかない、アクセスを増やさない、広めない。


  特定カテゴリーの事物を列挙するタイプの歌詞を聴くと、ついつい「水銀コバルトカドミウム~、ナマ~リ硫酸オキシダン~♪」を思い出してしまう。


  アイチョ#78、ついに「リバース学園」が来た! 「エーロチカイ(irotikay)」、懐かしいなあ。


  【 同名タイトル 】
  『あいかぎ』(2002)と『アイカギ』(2017)。
  『ゆめくみ』(2002)と『ゆ・め・く・み』(2006)。
  『サクリファイス』(2000)と『Sacrifice』(2001)と『サクリファイス』(2010)。
  『ひまわり』(2002)と『ひまわり!!』(2014)と『ひまわり』(2010/2016)。
  『Hello Good-bye!』(2003)と『Hello, good-bye』(2010)。
  『DoNoR』(2002)と『donor』(2006)。
  『シスターシスター』(2004)と『シスターシスター』(2006)と『シスタ×シスタ』(2009)。
  『PigeonBlood』(2002)と『PigeonBlood』(2014、BL)。
  『School Days』(2000)と『School Days』(2005)というのもあったようだ(※今知った)。
  他にダブりタイトルってあったかな。『すてぃーるMyはぁと』と『盗んでMy Heart』も、わりとぎりぎりのニアミスだった。2005年発売同士の『AYAKASHI』と『あやかしびと』、同じく2005年の『Festa!!』と『School Festa』、2009年の『メモリア』と『星空のメモリア』も、同年発売の類似タイトル。あるいは、『TALK to TALK』(2002)と『Tears to Tiara』(2005)のイニシャルが同じなので「ttt」と略記するとどちらかの話か区別できないとか。


  【 声優と歌唱 】
  たしかにプロフェッショナルな声優は、声によって様々なことを様々な仕方で表現するための十分な訓練をしており、その中には基礎的な発声訓練から音声表現の様々なテクニック、そして歌唱のトレーニングも含まれているのが通例だろう。だから、声を使った表現手法の一つである「歌」に関しても、平均的に見て、一般人とは比較にならないスキルを持っている筈だ。そして実際、アニメ作品やゲーム作品でも、本編出演に付随して主題歌などで歌を披露する機会も増えているし、そうしたことのために一定の技量を備えていることを期待されるようになっている。しかしそれでも、声優というのはあくまで「(声の)俳優」なのであって、彼/彼女らが発表する歌唱及び楽曲が本職の歌手のように十分に満足のいく出来であるかどうかについては保障のかぎりではないし、実際、卓越した芝居を聴かせてくれる名匠声優であっても歌はそれほどでもないという場合はわりとある。声優のリリースする音楽CDをいろいろ聴いてみて、このような結論に至った。
  もちろん、1)たまたま歌唱も抜群に上手いという声優さんはいるし、2)特定の声優に対する応援としてアルバムを購入するという行動はそれはそれで意味のあることだろうし、3)とにかくその方のお声を(とりわけひたすらその方の声だけを)たくさん聴きたいという場合にもアルバムを買って聴くのは有効だろう。しかし、1)の要求水準を満たす声優は残念ながらそれほど多くないようだし、私個人としては2)や3)のような行動乃至価値観にはコミットしていない。
  声優が歌う音楽CDというジャンルはそれなりの規模になっているが、私はそこに深入りすることは無いだろう。どれだけ深く感銘を受けた役者さんがいても、無条件で自動的にその方の歌を聴きたいと欲するようにはならないだろう。ある声優の芝居が好きになったならば、その人の別の作品での様々な芝居を聴くことに専心すればいい。その人の歌までは聴かなくてもいいと思うし、また、そういう経路を辿ることによって良い歌に出会えるかどうかは保障の限りではない。歌われている曲の良さについても同様だ。 
  同様に、芝居がいかに上手くても、ラジオなどでのトークが面白いかどうか、パーソナリティとしてのスキルが高いかどうかは、保障のかぎりではない。実際、「ゲームの中での芝居は抜群に魅力的だと思ったが、その方のwebラジオでのトークは楽しめなかった」という経験は何度もある。もちろん声優業の一ジャンルとして司会業やラジオトークの専門的な訓練を積んでいる人は多いけれど、あんまりそうではない方もわりといらっしゃる。



  12/04(Sun)
  秋野氏&藤咲氏のラジオだと、どっちがどっちだか分からない……。「あれ、今の発言は秋野氏で、いや、今受け答えした方が秋野氏で、じゃあさっきのは藤咲氏で、いやいや逆か?」と認識が揺さぶられまくって眩暈がしてくる……。ひとえに私の耳が悪いせいだけど。


  アイチョは88回分を記事化して、残りは143回分。年内に完成させるには一日5個(≒200分)以上処理していく必要がある。ここまででも20日間で約60時間(一日3時間)のペースだから、冬休みの時間を投入すれば、ぎりぎり行けるかもしれない。ただし、年内完成に拘泥する必要は無いし、むしろ聴き返しの楽しみはできるだけ長引かせたい。

  それにしても、第232回以降のデータが無い(聴き返せない)のはやはり悔しい。2013~2014年のことだから、ちょうどこちらのブログでの活動を始めたあたりか。STPは400回になろうとする頃で、「胃~之煮」は誤輪(第8シーズン)。その頃はアダルトゲーム関連のラジオ番組がかなり減っていたし、他にすることが多くて、webラジオには傾注していなかった時期だ。
  当時はアイチョの他には、「胃~之煮」と「らぶ*しゅな」と「オネラジ」(短期)と、それから「さくらじ」を断続的に聴くくらいだった。「生徒会会長ラジオ」も終了していたし、「あるらじ」「みなこい」も途中から聴かなくなっていた。そして、この時期を端境にアダルトゲーム関係のラジオパーソナリティの顔触れががらりと世代交代して、2016年現在のルネッサンスにつながっていく。

  そういえば藤咲氏も秋野氏も、ラジオパーソナリティを受け持ったのは今年に入ってからだ。

  10年代前半のアダルトゲーム関連ラジオだと、「もげすて」は残念ながら限定公開だったし、電妄やHLCは好きになれなかったし、「プリコレ」は後からディスク版で聴いただけだし、「グリザイア」や「大図書館」もほとんど聴かなかったし、XRADIOSもほんのたまにしか聴かなかったなあ。その他にも、CLOCKUPやseal、FAVORITEなどのブランド主体ラジオや、『紅蓮華』『アルテミスブルー』『星架か』などの作品販促ラジオもいろいろあった。「数はあったけれど私が聴いていなかった」と述べる方が正しい。



  12/03(Sat)
  ちょっとした暇がある度に『プレアデス』YT版を再生している。

- 「まぁだ増やすのー? そんな都合良く見ぃつかるわけ無いってー」
- 「今更一人増えてもね~え?」
- 「ターンマタンマ、会長に手荒なことしちゃ駄ぁ目だよー」
- 「ドぉンピシャ! おいでましましたよ!」
- 「やーなこった! 欲ーしけりゃ自分で探せー!」
  牧野由依氏の芝居には常に生き生きとした節回しがあって、まるで歌っているかのようなそのリズムがとても心地良い。映像の口パクに合わせなければいけないアニメアフレコとしては、こういう柔軟な伸縮を盛り込むのはかなり難しいと思う――実際、ここまで大胆にカンタービレな芝居をするアニメ声優はほとんどいない――のだが、この挑戦的な味付けはキャラクターの言動すべてを表情豊かにしつつ、アニメの視聴覚的進行全体に対してもメロディアスな彩りと痛快なダイナミズムをもたらしている。もちろんそれは、素朴な「生(なま)」の動きではなく、声優の表現力によって巧みに構築された創造的な躍動感だ。台詞の最初に強めのアクセントを置きつつ弾力感のあるリズミックな語り口を展開するアプローチは、ここで演じられているキャラクターの台詞回しの特徴――はすっぱな口調と古風な言葉遣いの奇妙なミックス――にもマッチしている。プロフィールを拝見すると、音楽家(ピアニスト)としても高度なトレーニングと十分な実績がおありとのことで、そのスキルもいくらかはこの芝居のスタイルに影響しているのかもしれない。
  これまでほとんど聴いたことの無い方だったが、今後注目していきたい。

  ラジオも聴いてみたら、これまた素晴らしかった。目端が利いてバランスの取れたトークで、話題の中の面白そうなポイントを自然に掬い上げてうまく流れを作っていっている。素のお声も、柔らかな響きがあって、聴いていてすごく心地良い。破綻や凸凹のない穏やかな流暢さは、(せっかくだから自動車に喩えて言うと)熟練ドライバーの運転する高級車に乗っているような居心地の良い安心感がある。声優さんの中には「芝居は上手いがトークは不得手」という方もいたりするが、この方の場合は頭の回転の速さがトーク進行のナチュラルな安定感と快適さにつながっている。この作品で共演している藤田氏も切れ味鋭い知性派の声優さんだが、牧野氏の場合はそれがバランス感覚の完璧なコントロールとして発揮されているようだ。

  上述のひかるの特徴的な節回しについても、声優が意識的に付与した性格づけであることが、ラジオで語られていた(第21回、16:30-)。また、『アートワークス』では、佐伯監督が「普通のキャラのしやべりとは意図的に外した、崩した話し方をしてもらっていて、やんちゃな感じをお芝居に出してもらっています」(22頁)と述べている。


  0時を過ぎて食べるプリンのおいしさといったらもう。レッツ背徳。



  12/01(Thu)
  風邪を引くと、持続的な不快感や苦しみだけでなく、心身の機能低下とそれに伴う活動全体の質的量的低下、そして診療費や薬代といった直接的費用、さらには周囲からの信用低下といった二次的ダメージを含めた無数の不利益が生じ、それらは全体として十数万円相当の、あるいは人によっては数十万円相当の損失になる。稼ぎの多い人物や、普段から密度の高い趣味活動を営んでいる人にとってはとりわけ、身体的不調による損失(本来のペースならば出来た筈なのに出来ずに終わった事柄の総量)は大きい。あるいは逆に、極端に経済的に困窮している人の場合も、病気によるダメージはきわめてクリティカルな負担になってしまうだろう。健康大事、超大事(松永雪希ヴォイスで)。
  傷病による欠席等はどれだけ気をつけていてもやむを得ずそれなりの確率で生じてしまうものなので、それによって評価を下げるのは不当だ。同僚たちとの間でも、ある程度はやむを得ないものだとして労り合いフォローし合う体制にしている。ただ、人の情というものはコントロールしきれないところがあり、そのせいでどうしても多少は評価が低めに流れてしまうこともあるかもしれない。そういう意味で、事実問題として信用低下のリスクは暗黙裡に生じている。
  薄幸な蒲柳の質の男の娘であるため自力治癒頼みだと時間が掛かるので、風邪を引いたと思ったら「薬はちゃんと飲む」、「栄養のあるものを摂る(お腹に溜まる食事はかえって体力を消耗するので、チョコなどのカロリーの高いものが良いらしい)」、「水分もちゃんと摂る(ただし、身体を冷やさないよう、温かい飲み物が望ましい)」、「身辺は普段以上に衛生的に保つ(特に室内の保湿も気をつける)」、「体力を確保したらとにかく寝る」で回復に専念する。栄養ドリンクの類は普段は一切口にしないが、こういう時は遠慮せず飲用する。


  旧cactusであったこの人物は、2016年11月19日に一度昇天してしまったかのような気分だ。以前の自分であった存在との間の連続性すら信じられなくなりつつある。「あの夜、もしかすると僕は、星になったのかもしれない」。今こうしてここに書いている私はもはや、コピーロボットだか地縛霊だか千唾馬宮だかのようなものかもしれない。
  分かりやすい「天才」ではなくて、いったいどういう才能のどういう発露がどのような機序でどうしてあのようなパーソナリティに結実しているのか皆目理解デキナイネンなワンダー体験はただただショッキングで、この世界について、人間について、クリエイターについて、創作についての認識が滅茶苦茶に揺さぶられた。声優って何なんだ! 芝居って何なんだ! 人間って何なんだ!

  自分を荻野目桃果さんに準えてしまわない自制心はぎりぎり持ち合わせていた。さすがにそんな傲慢なことは口にできない。好きなキャラだと素朴に言うことなどできない、特別な存在なので。


  またもや"diary201611.html"ページが"201611.html"に変更されていたので、コピペで作り直し。他のページからリンクを貼っているので、アドレスが変更されてしまうと困るのだ。仕方ないので、自衛策として来月からは雑記ページのアドレスを別の形で作るようにしよう。

  新しい投稿をする際に、タイトルを半角英字/数字のみにしておくと、その文字列がそのままそのページのアドレスとして設定される(アンダーバーやカンマなどは切り詰められる)。空白のままだったり全角文字だったりすると、"blog_post_xxxx.html"のように適当な数字が割り当てられる。これを利用して、新規ページ作成時に英字タイトルでいったん投稿しておき、投稿が確定されてからタイトルを再編集することによって、「望むとおりの半角英数字ページアドレスで、望むとおりの全角文字タイトルのページ」を作成することができる。二度手間だけど。


  (→2017年1月2016年11月