12/28(Thu)
やはり、店頭で見て「欲しい」と思ったものは、その場で買ってしまうべきだ。
本当に欲しいと思ったものはそこで我慢してもまた欲しくなるし、そうしてどうせいずれ買うことになるのであれば早くから手に入れておいた方が効用が増すし、後から別途買いに行くのは無駄(時間と費用)が増えるし、買うつもりになった時に買えなくなっているということも無い。
1)財布の中身が致命的になってしまわない範囲で、2)自分の眼力がそれなりに自ら信用できるものであるかぎり、3)そして(情報不足である場合には)webアクセスなどで少しでも情報をチェックしたうえでならば、「買う」。買えばいい。買うべきだ。
完全な店頭初見でほとんど知識が無い場合には、ヴァージョン違い(とりわけアップデート版やセット版の存在)や、既知の不具合などを調べておく方が、安心して購入できる。
ほんの数百円安いものを探すために、ネットで数時間を掛けたり、あるいは実際に歩き回ったりするのは、本末転倒になっている場合がある。趣味に投じられる数時間は、数百円どころではない高い価値があるからだ。もちろん、「支出できる総額が限られているが、時間には余裕がある」という場合には、時間を掛けてでも費用を削減することに意味がある、というか、そうせざるを得ない。しかし、それほど極端に切羽詰まってはいない場合には、切り詰めるべきは支出ではなく時間の無駄だと思う。時間という財はきわめて価値の高いものだ。そして、人生の時間をどこにどれだけ投入するかはけっして疎かにできない問題だ。
というわけで。先日は「これが今年最後のオタク系ショッピング」などと嘯いていたが、結局あれは嘘だった(嘘になった)。我慢できずに、またいろいろ買い込んできてしまった。
結局、今年は美少女フィギュアの一年だった。
『攻殻ARISE』のようにアニメ作品同士の間で全面的なキャスト刷新が行われた例はどのくらいあるのだろうかとざっとweb検索してみたが、あ、結構あるのね。
1) 長寿シリーズでの刷新、あるいはシリーズ前作から年数が経過した:『ドラえもん』など。
2) 提供媒体が変化している:『Ζガンダム』(劇場版)など。
3) 別世界設定:『XENOGLOSSIA』。
4) 作中での時間経過や主役交代が生じている:『げんしけん』など。
5) 制作主体が異なっている:『GUNSLINGER GIRL』など。
複数の要因が複合する場合もある。『星矢』は1)+3)、『キノ』は1)+4)だろうか。『ARISE』は主要シリーズに対する前日譚シリーズなので4)に該当するだろう。
『ARISE』は第二作が楽しかった憶えがある。中國氏の演じるサイトーは、第一作にはそもそも登場せず、第三作ではほとんど寝ているだけだが、第二作ではいくらか活躍シーンがある。可愛い可愛いロジコマが活躍するのも第二作。
単体で完結しない、というか、白箱系ロープライスのゆるやかな連作orオムニバスものが増えているというのは確かだ。ただし、その中でも採用されている戦略は様々で、例えば『さかここ』は3人ヒロインの3タイトルできれいに締め括ったし、『美少女万華鏡』は一種の作中作スタイルでピンク系のオムニバスを展開している。『ひめごとユニオン』や『真剣恋』はフルプライスからのFD連作型だし、『Re;Lord』は物語がリニアに進行していくSLGもの、『セイイキ』『9』は抱き枕同梱という路線に向かっている。いずれも、それぞれ明確なエンディングに到達しているので、けっして完結していないわけではない。
その点では『Re;Lord』はむしろ例外的であり、エンディングでも明確に続編の存在が示唆されている。ただしこれはSLG系タイトル(つまりゲーム要素を含む作品)であり、個々のタイトルがそれぞれ一つの「ステージ」のように捉えられる。だから続編では、前のステージをクリアして新たなステージを開始するような気分で取り組むことができる。また、ストーリー面でも、当面の敵を撃破して終わるので、プレイヤーを過度にやきもきさせることが無い。純AVGタイトルでは、このような構成は採りにくいだろう。
もっとも、Triangleの『魔法戦士』シリーズのように、ほとんどAVG作品のようなタイトルでも、エンディングに新キャラが登場して続編への誘導を行っているタイトルは存在する。
シリーズものとしてタイトル数が多いのは、別格の『D.C.』と、それから『神楽』シリーズ、『魔法戦士』シリーズ、『対魔忍』シリーズも優に10作を超えている。追加版などのヴァリエーション展開やスピンオフ系タイトルをどこまでカウントするかによって多少変わるが。
12/25(Mon)
以前も書いたかもしれないけど。歩氏のラジオトークは、五行氏のそれに近い路線かも。響きのきれいな声色や笑い声、それから明るく開放的な雰囲気、相方に対する人懐っこい信頼感などが、そういう連想を誘っているようだ。五行氏のトークは下品な話題には手を染めない上品なタイプだが、歩氏の物怖じしないトークもこれはこれで良いものだと思う。
(2017年12月25日、自宅にて撮影)
久々の声優さん祭り。4人の門脇さんキャラ(プラスアルファ)。ただし『幻影』『イリヤ』は映像未視聴だし、その一方で『星架か』とか『IS』とか、それからアレとかソレとかもある。そんなこんなで我が家も門脇氏濃度が高まってきている。
分量が増えてきたので、FA&FAG関係のテキストは別ページ「フレームアームズ(ガール)シリーズ雑記」にまとめた。複数の分野にまたがる混合ネタもあるが、適当に切り分けていこう。
そういえば、KOTOBUKIYAは『マブラヴ』関係のキットも出しているから、えーと、「不知火 日本帝国仕様」が、木村氏関連の貴重なプラモ(千堂柚香の乗機)なのか。
サンタネタといえば『しろくまベルスターズ♪』だろうか。
『サンタフルサマー』もあるけど、タイトルどおり夏の物語だし。
『パティシエなにゃんこ』もクリスマスものと言っていいだろう。タイトルどおり主人公はパティシエで、作中は冬季なのでクリスマスケーキを作って届けたりする。ヒロイン「姉小路冬華」関連のイベントでは、「笑顔にメリークリスマス」のメロディが繰り返し(断片的に)現れてシナリオ上重要な役割を果たし、そしてエンディングではこのキャラクターを演じる海原氏がその歌の完全な姿をきれいに歌い上げる。
メインヒロイン「芹沢かなで」も印象深い。本作の主人公は、夜になると猫に変化してしまうという魔法を掛けられて過ごしているのだが、かなでEDの一節では、このヒロインだけが「その猫の正体が主人公であること」に気づいていたことが婉曲に示唆される。そのシーンは、ユーモアと愛情に満ちたテキストで綴られており、そして幼馴染ならではの魅力――主人公に対する理解と包容力――を発揮した素晴らしい見せ方だった。
[tw: Windmill_Oasis/status/945565371188183040 ]
同人時代の『ぷるぷるまじっく』以来の落ちものパズルか。
うーむ、どうして小鳥居夕花氏の芝居はいつもこんなにも見事にまぎれもなく小鳥居夕花な小鳥居夕花たる小鳥居夕花の小鳥居夕花であり続けるのか。こんなにも小鳥居夕花氏が小鳥居夕花であると、もはやユーザー側としてはどこにも逃げ場が無く、覚悟して向き合って聴くしかない。
オタクライフは楽しいな! 声優さんはすごいな!
楽しすぎて、嬉しすぎて、心がオーバーフローしそう。
[ www.kotobukiya.co.jp/product/product-0000002691/ ]
この色合い……ゲームで見覚えのあるいやらしい触手生物にしか見えない。
というわけで、新記事「触手雑感」。
「火の用心、マッチ一本~」というけれど、現在では日常的にマッチに触れる人は、あるいはそれどころか目にすることのある人は、かなり少ないのではなかろうか。日本国内でも、地域や文化や施設によっては、使っているところがあるかもしれないけど……。私自身、ここ十年以上、マッチ箱を手に取った憶えが無い。どこかで視界に入っていることはあるかもしれないが、まったく意識していない。そもそもマッチの存在を認識しようとすることが無いので分からない。
ただし、上のフレーズは、「マッチ一本のような小さな火元ですら、火災の原因になり得るものだ」という戒めの言葉だから、その社会においてマッチがもはや日常的なものではなくなっていたとしても、マッチとは何であるかが了解されていれば注意喚起として十分意味を成す。
12/22(Fri)
[tw: 944763304852930560 ]
当人にすぐに説明してやれよ……。自らのゼミの学生について、問題の所在(学生が自らの状況を誤解していること)を明確に認識していながら、ほんの一言(せいぜい30秒も)説明するだけで解決できる筈のところを怠って看過し、結果的に当人をさらに不幸にしつつ事務側や他教員にまで迷惑を掛けて、そのうえ自ゼミ所属(だった)の特定学生の事情を他人事のようにSNSで広言している。無責任&無能な教員としか……。この言及はきわめて個人特定性が高い(しかもゼミ移籍に関する経緯は内密のものであろう)から、当人や周囲の学生たちがこのSNS投稿を目にしたら、当人はさらに(不当な侵害によってしかも過度に)傷ついてしまう可能性がある。
以前からずっと、緒方氏の芝居は苦手。特に、舌が回っていない感じや、それに伴って言葉のリズムが掴みにくい(平板に聞こえる)ところ、それから台詞の頭が上擦って聞こえるのも。『恋チョコ』アニメもたいへん辛かったし、『CCさくら』もディスク再視聴しようとする度に思い出して意欲が削がれる。
うぐ……今日は終日自宅に籠もっていろいろ楽しんで過ごすつもりだったのに、オタク的購買欲が抑えがたくなってきた。特に何が欲しいという具体的な目的があるわけでもないのに、ただ「何か買いたい」というやみくもな衝動ばかりが高まる。まるで依存症の禁断症状のような……。つくづくオタクは病だ。自己分析すると:
1) 内的要因の側から考えると、以前から散財(買い物)でストレス解消する傾向があった。オタク系の支払いではプライヴァシーのために店頭現金主義でやっていたことがそれを多少なりとも抑制してきたが、アダルトゲーム購入を通販に切り替えたことで、堰が崩れかけている。
2) 外的事情を顧みると、ちょうど帰り道に、オタク系ショップを巡回できるようになった。買う予定が無かった(あるいはそもそも存在を知らなかった)ものでも、魅力的なタイトルを店頭で目にすれば買わずにはいられない。そういう行動が習慣化してしまった。
自分が欲しいものがあれば、買う。買えば、お金がメーカーに届く。メーカーが事業継続できれば、自分が欲しいようなものがさらに継続的に製造されていく可能性が高まる。うん、経済は良く出来ている。(要は需要供給関係の話だが、ただし、需要側にお金があること[市場規模]が前提だし、またその一方で、とりわけクリエイティヴな世界では作り手が新たな需要[嗜好]を作り出せる余地も大きいので、話はそう単純でもない。)
ともあれ、今日が今年最後のオタク系ショッピングになるだろう。
というわけでいろいろ買ってきた。これはこれで満足感があるが、もちろん購入するのはほんの端緒に過ぎない。実際に読み、聴き、プレイし、組み立て、眺める、ここからが本当の幸福の始まりなのだ。うひゃひゃ。
12/19(Tue)
今日の午後は、ようやく入手した「つれゲー Vol.17」を楽しく視聴して過ごそう……えっ、これ、3時間もあるのか。(※171分+特典31分)
ああ、そうだった! まさか門脇氏と清水氏による例の「かゆい うま」テキストの読み上げが聴けるとは。なんと感慨深い……(02:38:33-)。全体として、ゲーム進行状況(館の仕掛けとそれに対する対処)とプレイヤーのリアクション(熱中ぶり)の双方が良く分かる編集で、なかなか楽しめた。
門脇氏はたまに、歯の見える笑顔の口元のまま喋っている時がある。例えば「いろいろ」というフレーズでも、母音はIOIOと変化しているのだが、口の形を変えずに「いろいろと~」と声を出している。映像で見ているとちょっと不思議な感じだが、氏の音声芝居の聞き心地の一端がこの発声の仕方にあるのかもしれない。つまり、あの柔らかなレガートのようでいて、それでいて同時に舌先がころころと気持ちよく回っているような、しかし同時に舌っ足らずな発声のようにも聞こえて、しかも一音一音がきちんと粒立って聞こえてくる、あの聴取感。もちろん芝居とフリートークでは発声の仕方も違えている筈だが、双方に通底するスタイルもあるだろう。
web検索してみたら、お二人はちょうど同年齢(同一年度)の方なのか。
主演作としてクレジットされていた『幻影ヲ駆ケル太陽』は観逃していた。DVD/BDは分売のみのようだが、なんとか購入して全話視聴しよう。
今年は、声優さんDVDや美少女(&美男子)フィギュアに手を出すという、ちょっぴりアレな路線に道を開いてしまった。いやまあ、これまでの私自身のオタクライフの成り行きからすれば、どちらも早晩手を出していたに相違ないが。おかげで今や、机の上には十数体の可愛らしいフィギュアたちが林立している。
西垣氏の「牛タンSET!!」は、つい口走りたくなる。
(主に男性向け寄りの)オタク系イラストで、斜め顔の輪郭が目の上あたりで膨らんでいるのは、あまり好みではない。尖った顎先から昇っていって、頬のゆるやかな膨らみが目の下あたりまで続いており、巨大な眼球の中央やや下あたりの高さでいったん凹面に湾曲して、そして眼球の中央あたりの高さから外側に向けて頭部の輪郭が広がっていく。たしかに、現実的に捉えても、頭部は卵形と落花生型の中間くらいになるが、この種のイラストでは頭蓋骨の上半分が誇張的に――頭髪を無視したら頭部の輪郭がきちんと閉じないのではないかと思えるほどに――膨張して描かれる。何故だろうか。
1) 彫りの深い立体的な顔立ちに描くため、あるいは顔面の平板さを避けるためだろうか。
2) 鉢の開いた丸っこい頭部に描いて、幼児的な可愛らしさを印象づけるためだろうか。
3) 頬の膨らみを強調するための処方であって、それ自体は目的ではないのだろうか。
4) 大きな眼球を頭部の輪郭に余裕を持って収納させるための対処だろうか。
5) 頭部を下向き(前側へ)に傾けているような印象を与える方が魅力的だからだろうか。
6) 前髪が前側にゆったりと広がって見えるようにするためだろうか。
例えば、適当に検索したイラスト手引きサイト:
[ www.ipentec.com/document/document.aspx?page=design-2d-draw-head-chin-and-drawing-process]
この例を見ても、写実的に考えれば少々不自然ではないかと思われるほどに、頭部の上半分を大きく描いている。写実志向で考えるとここまでにはならない筈だし、実際、イラスト指南サイトの中でもこれはかなり極端な例であり、もっと鉢の締まった頭部造形で描いているものも多数存在するが、オタク系の(主に美少女系の)イラストはしばしばこのようなバランスで描いている。わざわざこのような描き方をしているのは、単なる失敗や非意図的な逸脱ではなく、なんらかの意図や合理性があっての選択だと思うのだが、それはどのように説明できるものだろうか。実際、上記ページでは「かなり頭部が大きいですが、デフォルメの強い絵柄の場合はこの程度の比率のほうがきれいに見えます」と述べているが、「本当にきれいなのか」、「どのような理論またはメカニズムによってきれいになるのか」という疑問が湧く。この理屈について、私は上記のように想像しているが、まだ納得はしていないし、実際にイラストレーターたちがどのような思考によって(どのような意図乃至目的によって)この種のスタイルを選択しているであろうかという興味がある。
それ以外でも、椅子などに座っているヒップの肉がきれいに丸いままだ(重量感や弾力感が欠けている)とか、股関節の位置関係がおかしい(左右で明らかに長さが違っているように見える)とか、曲げた膝が描けていない(ぐにゃぐにゃ)とか、筋肉の付き方としてあり得ない滅茶苦茶なゴテゴテ肌色グラデーションのように、単なる失敗と思われるものも多いが。
12/15(Fri)
『螺旋回廊』ネタ。このミニチュアバケツは高さ約5cm。1/12スケールとのことだが、原作に照らして言えばアレを収納できなければいけないので、12cm級figmaでもまだ大きすぎる。バケツは、完全密封ではないが、小物収納には使えそう。
……あ。この状況だと、ポリバケツの中に入っているのはユーティライn…こほん。
あっ、それは音羽桂香さんの最強必殺技、「朝の一撃」の!(『夏神楽』ネタ)
可愛らしくポージングさせるセンスも無いし、(部屋が狭いせいで)凝ったレイアウトも出来ないので、ネタに走ってお茶を濁すという、かなり駄目なタイプのフィギュア撮影者。エイリアンはリボルテック製で、造形のクオリティは高いのだが、残念ながら自立させにくい。
このポリバケツネタに既視感があると思ったら、そうか、映画『SE7EN』の配達箱か。発想それ自体としては、べつにそれに限らず、わりとありがちなものだが。『School Days』にもあったし。
プラモの箱は嵩張るので、完成後は割り切ってどんどん破棄するが、ゲームのパッケージは潰そうという気にならない。「ある程度規格が統一されているのでまとめて保管しやすい」、「きれいなのでとっておきたい(ういんどみるなど、非常に凝った作りのものもある)」、「記載されている情報に価値がある(箱無しでディスクとマニュアルだけだと、アクセスできる情報がかなり乏しくなる)」、「厚手のワンピース箱などはバラすのが大変」、「ディスクのみだと所在不明になりやすい」、「特典ディスクなどを一緒に保管しておける(昔は修正ディスクもあった)」、「ゴミに出すのがちょっと恥ずかしい」、「模型とは異なって、生きたキャラクターとして受け止められるので、破いて捨ててしまうのは申し訳なく感じる」などの理由がある。
前々回の引越時には、潰せる箱はできるかぎり潰していた(外箱は平たくしてまとめて保管、白い中箱部分は破棄)。たしかに収納は効率的になった――容積は1/10になった――が、剥き出しのディスクがどうにも味気なくて、箱を潰すのはやめた。特に未プレイのタイトルを潰してしまうとプレイ意欲がまるで湧かなくなる(というか、そのタイトルに意識が向かない)というのも問題だった。しかし、最近になっていよいよ室内収納がきつくなってきたので、思い切って潰してしまおうかとも考えている。
プラモの箱は、「各メーカーのシリーズ単位では箱のサイズが揃っていることが多いが、メーカーの枠を超えて見るとバラバラ」、「パッケージアートや完成見本写真には価値があるが、完成後はプラモ現物の方が重要」、「あまり細かい情報は書かれていない」、「大型キットの箱は本当に巨大なので保管しきれない」、「ほとんどがごく簡素な厚紙製のフタ箱なので解体容易だしゴミとしても嵩張らない」、「余剰パーツや差し替えパーツだけを保管するには大きすぎるし、完成品の保管用としても不適」といった感じ。ただし、複数のキットの大量の余剰パーツを保管する際に、便宜的に適当なキットの箱に詰め込んでおくということはある。
個別には真である命題同士の組み合わせに対しては、ひとは検証意識が働きにくくなるようだ。命題「AはBである」が正しく、なおかつ命題「CはDである」が正しいとしても、「AがBになっているのは、CがDであるからだ」という因果関係が成立しているかどうかはもちろんけっして自明ではないのだが、しかし、「AはBである」および「CはDである」を受け入れている人は、比較的容易に(安易に)二つの命題の間の不明瞭な(疑わしい)結合を信じてしまう。哲学的命題であれ、社会問題に関する議論であれ、あるいは趣味上の事柄であれ、そうした回避困難な思考の怠惰には重々注意しなければいけない。
『宝石の国』。なるほど、3Dアニメーションはプレスコ収録との相性が良いわけか。2D作画だと細かな事後的チューニングが困難だが、3D制作であれば比較的柔軟に(低コスト、短時間で)映像編集することができ、音声のタイミングに合わせて映像をアジャストできる余地も大きい。つまり、声優たちが作り上げた芝居のリズムや流れやライヴ感を、映像の側が掬い上げていくことができる。ここで3Dアニメーションは、単なる視覚素材制作の問題だけでなく、制作工程をドラスティックに変革し新たな演出流儀をもたらすこともできるポテンシャルを発揮しつつあるのかもしれない。
ちなみに、この作品では、さらにBGMまで映像に合わせて後から作っているようだ。なんという徹底ぶり。舞台/ドラマ経験の長い黒沢氏を主演起用しているのも、この制作アプローチから意識的に選んだものかもしれない。黒沢氏以外では、中田氏、高垣氏、能登氏、朴氏も舞台/実写のキャリアが厚いようだ。
AOSHIMAには1/12「便所」キットシリーズなるものがあって……いかがわしいレイアウトしか思い浮かばない。洋式、和式、男子便所の3種類のキットがリリースされているが、洋式版も和式版も床面が公衆トイレ風のタイル仕様なので、そのままでは「自宅のお手洗いで用を足している妹に遭遇」シーンには使えない。女性キャラのフィギュアを男子便所に立たせれば、お手軽に男の娘キャラを演出することが出来…る? あんまりえろくない使い方だと、『MinDeaDBlooD』のあのシーンとか。あるいは、暗い橙色に撮影して『さよならを教えて』っぽくするとか。「∴さて・・・・どこへ行こうか?」 『ジンコウガクエン』の任意のシチュエーションを再現したつもりになることもできる。
[ www.1999.co.jp/blog/130128 ]
[ www.1999.co.jp/blog/131209 ]
[ hobbyjapan.co.jp/books/book/b331356.html ]
[ www.1999.co.jp/10501822 ]
一読したけど、尋常の模型ではなかった。1/700の極小スケールで、大量(数百人)の乗員からロープ類まで、よくもこんなに手を掛けて作り込んだものだ。
12/12(Tue)
最近は、プラモ制作中は「続・胃~之煮」を聴いている。
サイトの方に置いてある、初期「胃~之煮」の概要記事をこちらに移設(統合)しつつ内容を修正しようかという考えもある。メリットは「単一のブログにシリーズ全部の記事を持てる」、「blggrの方がweb上の情報として長期公開保存に適している(かどうかはそろそろ疑わしくなっているが)」、「聴き返しつつ内容を再編集(修正)する機会になる」、「聴き返すのでなくとも、再編集が容易になる」といったあたり。デメリットは、「同一の記事がweb上に複数存在することになる(バックアップの存在はメリットとも言えるが)」、「移設作業と再編集作業は時間の無駄かもしれない」、「丁寧に聴き返す時間が取れない可能性が高い」など。
webラジオは、同一のBGMを繰り返し聞かされるのが鬱陶しい(不必要に耳に残って私の感受性を攪乱する)と感じることがある。アニメ作品を連続視聴する時も、二度目以降の視聴ではOP/EDを飛ばすことが間々ある。STGのBGMも、自宅でプレイしているとしつこいと感じてしまうことがあり、ゲームセンターの騒音の中でほとんど聞こえないという環境の方がマシだったりする。
マフラーキャラも好き。漫画やアニメの方が、レイアウトによってたなびくマフラーを効果的に見せられると思うが、ゲームでもマフラーキャラは可愛い。首や口元を隠したデザインがチャーミングだったり、チョーカーやネクタイにも通じる
すぐに思い浮かぶところで言うと、『花咲ワークスプリング』の不知火祈(忍者っぽいデザイン)、『ピュア*コネクト』の一ノ瀬空ほか(冬季)、『アウトベジタブルズ』の箱折アスカ(忍者)、『ブレイズハート』のヒロインズ(忍者)、『アマカノ』のヒロインズ(冬季)、『見上げてごらん、夜空の星を』の帚星ひかり(冬季)、『ジブリール』シリーズの神野ナギ(忍者系変身ヒロイン)など。、『Maple Colors2』の伊呂波かえではケモ系ヒロイン。『あおぞらマジカ!!』のミツハ(男性主人公)を初めとして、山本氏の描くキャラクターにもマフラー(あるいは首元ファッション)が多いという印象。『王賊』のネイ(ケモ耳将軍キャラ)も、マフラーの一種だろうか。遡れば『CloverPoint』、『ゆのはな』、『さかしき人にみるこころ』あたりにも。ファンタジー世界設定のタイトルではしばしば季節感表現が希薄で、やけに分厚く着込んでいるキャラクターと薄着のキャラクターが併存していることもある。
近年のアニメだと槍桜ヒメやシノンあたりが有名だろうか。
『さよならを教えて』だって、バカゲーとして大笑いしながらプレイしていいと思うのだけどね。実際、再プレイしてもとても楽しいタイトルだし、主人公の言動の描写にもエッジの利いたユーモアが常に湛えられているし。しかつめらしく神妙な顔をして高尚な解釈を述べねばならないようなものではない。企画担当者の長岡氏自身、そういう状況の皮肉さを重々理解したうえで発言されているようだが。
[tw: A_Saito_3110/status/932902282655555585 ]
眼鏡のレンズの厚みや表面の反射まで描かれている! こういうところを描き込むことで、眼鏡の存在感がよりいっそう際だったものになり、その魅力がよりいっそう鮮やかなものになる。
もちろんこれらは、現実の眼鏡のありように忠実な、つまり愚直な現実追随的描き込みとして捉えることもできるが、それのみならず、眼鏡描写を創造的に開拓するオーソドックスな道でもある。例えば、レンズを通した像の屈折を再現するのも現実の眼鏡に即した一つの途だが、頬の輪郭のゆがみを好ましくない(あるいは静止画としてみた場合には鬱陶しい)と感じるならば、それは無視しても構わない。だが、それを一つのイラストの中で距離感やリアリティの表現として活用しようと考えるイラストレーターは、それを取り込みつつより優れた眼鏡キャラの絵を作り出すかもしれない。あるいは、上記イラストレーターさんのように、レンズ表面の光の反射の描き込みを、レンズの質感や全体の空気感に結びつけることのできる人もいるだろうし、その一方で、そうした反射表現を完全にオミットしてキャラクターの目の表情を妨げないようにするアプローチも同様に正当なものだろう。眼鏡イラストは、もとい、イラストは、そういった多様性に対して開かれている。
12/13日時点で、趣味の支出はすでに例年を明らかに上回っている。しかし2015年の水準には届かないかも。最大の要因はおそらく模型支出で、要するに2015年から模型趣味を再開して、年間30万円程度の支出をしており(単独の趣味としてはこのくらいはよくある額だと思う、たぶん)、その分が増えているだけだろう。ただし、昨年はいろいろあって趣味方面の支出を絞っていたので総額は控えめ、そして今年はちょっとした特別な収入があったので趣味関連に資金を投じている。そういった諸事情が合わさってのことだろう。というわけで、おそらく来年以降もこの支出水準が続くと思われる。
家計簿を見ると、今年購入した模型は91個……えっ? そんなに? 一月あたり7.5個も買っていたっけ……。数えてみると、えーと、食玩やフィギュアや完成品カーモデルなど(併せて25個)を含めての数字であり、他方で塗料やエッチングパーツなどの関連アイテムは含めていない。差し引きして66個のプラモ/レジンの組み立てキットを買ってきたわけで、そのうえで制作率はなんとか70%を維持しているから、モデラーライフに関してはまずまず生産的に過ごせていると思う。
また、今年は漫画やLNもそれなりに開拓できたし、ゲームも(PC故障の影響で完全に何も出来なくなった時期もあったけど)なんとか例年どおり。その他の趣味生活も、まあまあ。来年度はどんな方針、どんなウェイトで趣味生活を楽しんでいこうかな。
しかし、年度単位で考えたら、今年度はまだ100日以上(108日)もあるんだな……。
模型関連のテキストは、適宜模型ページに移設していく。
12/09(Sat)
呪文詠唱シーン。lightのいくつかの作品が該当すると思うけど、個人的には『斬死刃留』の柴木幕流氏演じるラスボスの真言詠唱は感涙ものだったし、「香奈恵ちゃんFight!!」(『巫女さん細腕繁盛記えくすとら』所収)で佐本二厘氏の演じるボスキャラが「えこえこあざらくふんぐるいむぐるうなうふ」の詠唱をしたのにも深い感銘を受けた。『九十九の奏』のクライマックスのそれは、詠唱というよりは言葉による訴えかけや祈りのようなものだった。『3days』後半のオカルト魔術バトルでもいろいろあったと記憶する。変身ヒロインの変身シーンの掛け声もいろいろ。この見地で言えば、最高なのは『終末少女幻想アリスマチック』。安玖深氏による祝詞をたっぷり聴くことができる。
00年代前半は、ちょっとした神秘的な事件の起きる(非バトルものの)メランコリックな雰囲気のタイトルがそこそこあった(『屍姫と羊と嗤う月』くらいの感じの)が、その後シナリオ長大化傾向の中でそうした趣向は維持するのが難しくなっていったようで、00年代後半からはなかなか見かけなくなり、白箱系でのカジュアルな超自然的要素(神様ヒロインものなど)と黒箱系での本格派のファンタジーもの(典型的には魔法少女もの)とに二分されていった。
[ www.asahi-fh.com/products/confectionery/fruits_saison/ ]
この「バナナとショコラ」が気に入ってしまって、ここ数日、毎日一袋ずつ食べている。所詮コンビニお菓子でそれほどたいしたものではないし、ゼリーが歯にくっついて食べにくかったりもするのだが、なんかこう、やみつきになりそうな味。自宅で開封して、一つ食べはじめたら止まらない。
【 複数の声優から音声選択できるタイトル 】
キャスト選択システムには、いくつかのタイプがある。
1) コンシューマ化に伴うキャスト変更。『BALDR FORCE』のPS2版では、PCゲーム版準拠とPS2版独自のキャストを選択できた。00年代前半の、移植時のキャスト変更に関する慣行が現在とは異なっていた時代の話。アニメ化でも、『おとぼく』(PC版2005年/アニメ化2006年)や『あかね色』(PC版2007年/アニメ化2008年)の頃まではアニメ版に際してそちら系の声優陣に交代するのが一般的だったが、00年代末頃からは原作キャストが事実上維持される新たな慣行が成立した。
2) リメイク時の変更。アトリエかぐやの初期タイトルは、再生産時(DVD版)にキャスト一新したが、その際に旧版キャストと新版キャストのどちらでもユーザーが選べる仕様だったとのこと。その一方で、『エスカレイヤー』(初版2002年/リブート版2014年)のように12年を経てなおも元キャストを維持したという例もある(※鷹月氏とAYA氏はまず間違いないと思うが、それ以外のキャストは交代しているかも)。
3) 特殊な事情によるもの。『星空のメモリア』は、FD制作時に一人の声優が交代した。本編プラスFDの同梱版では、本編部分のキャストを選択できる仕様にしていたとのこと。同梱版をリリースしたがゆえの特殊事情であり、そのような事情が無ければ『ラブラブル』FDや『セイイキ』シリーズのように、続編で声優交代されても既発売タイトルの分はフォローされないのが通例である。
4) 単一作品のセールスポイントとして。製品単位でのヴァージョン違いとは異なり、新規単一作品の中でキャスト選択できるものもある。実例としては『美亡人』『教えてご主人様ぁ!』があるとのこと。また、たしか『輪罠II』では、メインヒロインのキャストを前作『輪罠』の主演声優と切り替えられるパッチがあった…と思うのだが、公式サイト等で正式な情報を確認できない。別のタイトルだったかも。
実写映像(洋画)の場合は、劇場公開版の吹き替えキャストとTV放映版の吹き替えキャストを、DVD/BDで選択再生できるものがある。芸術性やセールスのための考慮というよりは、権利関係の問題や脚本の違いなどに由来するものと思われる。アニメでは、そうした例は思い浮かばない。
キャスト交代については、2014年3月10日付雑記でも書いていた。
【 アニメ化に際してのキャスト変更 】
地上波TVアニメ版が制作されたアダルトゲームについて、キャストの実質的異動は以下のとおり。センシティヴな話題だが、とりあえず。
●OVA、webアニメ、劇場版アニメ、BL、同人ゲーム等は除外している。
●web上の公式/非公式の情報に依拠している。
●おおまかに原作キャストが維持されているかどうかで判断しており、サブキャラなど一部キャストの変更は無視している。
●各年タイトル五十音順。タイトルは適宜略記している。
●特記ないものはそのまま。赤文字はキャスト交代があった作品。キャスト非公開タイトルとヴォイス無しタイトルは、改行して※※の後にまとめた。
●「原作キャスト維持」は、その年のアニメ化作品の原作(PC版)のままのキャスティングであるタイトルの割合。キャスト非公開タイトル、ヴォイス無しタイトルは除外。
アニメ版 | 原作キャスト維持 | タイトル |
1998 | - | ※※『Night Walker』(PC版はヴォイス無し) |
1999 | 100% (1/1) | 『下級生』 ※※『ToHeart』(PC版はヴォイス無し) |
2000 | - | - |
2001 | - | ※※『こみっくパーティー』(PC版はキャスト非公開) |
2002 | - | ※※『Kanon』(PC版はヴォイス無し) |
2003 | 25% (1/4) | 『君が望む永遠』、『D.C.』、『ぽぽたん』、『ヤミと帽子と本の旅人』 ※※『グリーングリーン』(PC版はヴォイス無し)、『らいむいろ戦奇譚』(PC版はキャスト非公開) |
2004 | 100% (2/2) | 『Wind』、『月は東に日は西に』 ※※『下級生2』(PC版はキャスト非公開)、『ToHeart』(PC版はヴォイス無し) |
2005 | 40% (2/5) | 『IZUMO』、『Canvas2』、『SHUFFLE!』、『まじかるカナン』、『ラムネ』 ※※『AIR』(※PC版はヴォイス無し)、『こみっくパーティー』(PC版はキャスト非公開)、『らいむいろ流奇譚』(PC版はキャスト非公開) |
2006 | 57% (4/7) | 『乙女はお姉さまに恋してる』、『Gift』、『デモンベイン』、『Soul Link』、『つよきす』、『はぴねす!』、『夜明け前より瑠璃色な』 ※※『うたわれるもの』(PC版はヴォイス無し)、『Kanon』(PC版はヴォイス無し)、『Fate/stay night』(PC版はヴォイス無し) |
2007 | 63% (5/8) | 『AYAKASHI』、『ef』、『この青空に約束を』、『SHUFFLE!』、『School Days』、『D.C.II』、『桃華月憚』、『ななついろ★ドロップス』 ※※『PRISM ARK』(PC版はキャスト非公開) |
2008 | 67% (4/6) | 『あかね色に染まる坂』、『H2O』、『ef』、『君が主で執事が俺で』、『恋姫†無双』、『D.C.II S.S.』 |
2009 | 67% (4/6) | 『11eyes』、『真・恋姫†無双』、『タユタマ』、『ティアーズ・トゥ・ティアラ』(※リアンノン役のみ継承)、『Phantom』、『プリンセスラバー!』 ※※『WHITE ALBUM』(PC版はヴォイス無し) |
2010 | 100% (5/5) | 『祝福のカンパネラ』、『真・恋姫†無双』、『FORTUNE ARTERIAL』、『ヨスガノソラ』 |
2011 | 100% (4/4) | 『俺たちに翼はない』、『星空へ架かる橋』、『真剣で私に恋しなさい!!』、『ましろ色シンフォニー』 |
2012 | 100% (2/2) | 『恋と選挙とチョコレート』、『リトルバスターズ!』 |
2013 | 100% (2/2) | 『リトルバスターズ!』、『ワルキューレロマンツェ』 ※※『WHITE ALBUM2』(※PC版はキャスト非公開) |
2014 | 100% (3/3) | 『失われた未来を求めて』、『グリザイアの果実』、『大図書館の羊飼い』 ※※『Fate/stay night(UBW)』(PC版はヴォイス無し) |
2015 | 100% (2/2) | 『グリザイアの迷宮』、『グリザイアの楽園』 |
2016 | 100% (2/2) | 『蒼の彼方のフォーリズム』、『ワガママハイスペック』 |
こうして一覧にしてみると、アダルトゲームのアニメ化が行われるようになった当初はどちらのアプローチも混在していたが、00年代後半から原作キャストを継承するスタイルが優勢になっていき、そして2009年から2010年を境に原作キャスト維持の慣行が完全に定着したようだ。
ここでは省略したが、アダルトアニメ化も、原作ゲーム版のキャストを維持するのが多いようだが、アニメ版独自キャストになる場合もある。
隣接分野、例えば漫画(ドラマCDからアニメ版)、BL/乙女ゲーム、オンラインゲームやモバイルゲームなどでも、おそらく同時期にこのような変化が生じているものと推測される。
以前から述べているとおり、個人的には「媒体と監督(ディレクター)を変えているのだから、別個独立の作品として自由にキャストを再編成してくれてかまわない。むしろPC版とは異なる新たな役者陣での新たな世界を見たい」と考えている。しかし、現在のオタク界の趨勢は、メディアミックスの進展および常態化を所与として原作キャストの維持(によるキャラクターイメージの連続性確保)を重視しているようだ。どちらの路線を選択するかは、様式選択、価値選択の問題であって、どちらかが自動的絶対的に正しい/誤りであるということは無い。
「学園という庭にいるかぎり、人は大人にならないのさ」。
00年代前半のwebラジオ駄洒落好き声優:一色氏
00年代後半のwebラジオ駄洒落好き声優:まき氏
10年代前半のwebラジオ駄洒落好き声優:上田氏
ドールショップは、眼球コーナーもなかなか刺激的。入れ替えのために眼球パーツも別売りしているのだけど、大量の目玉がケースの中にゴロゴロ置かれているというのが。それ以外にも、素体用の首無し裸体たちが透明袋に詰められて大量に吊されていたりもするし、美しいものを制作する舞台裏は必ずしも美しいばかりではないということの優れた実例になっている。もちろん、ドールはドールで、それを人生の趣味として真剣に愛好している人たちがいるわけだから、部外者が安易に茶化してはいけないが、部外者なりの驚きとして書き留めておきたい。
12/04(Mon)
冬のサルミアッキは硬くて苦い。でもおいしい。◆◆◆
基本的にamznは使わない主義なのだけど、そこ以外では入手不可能or入手困難で、なおかつ早急に必要な場合にはやむを得ず利用することがある。その際にはせっかくだから、サルミアッキも同時に注文しておく。こうすれば、飽きず餓えずのほどほどのペースで定期的にサルミアッキを食べていける。
ちょうど一年前は、ライヴの後にほんのしばらくお話ししただけでも一週間以上衝撃が尾を引いたくらいだから、もしもバスツアーなんかに参加していたらおそらく生きて戻れなかったと思う。
綾瀬有氏は、彩世ゆう氏とはもちろん別人……って、眼鏡声優さんなのか。
アダルトゲーム関連のフィギュアは、白箱系関連でもいろいろリリースされているが、黒箱系だとGIGA Pulseが代表的だろう。少数生産で入手が難しいが、どれか一つくらいは試しに買ってみたい。以前見かけた「蝶子」を買っておけばよかった。
【 美少女(ゲーム)+銃器 】
『GUNSLINGER GIRL』は、今世紀のオタク界隈における銃器(あるいはミリタリー)+少女ネタの大きな震源地の一つだったと思うが、類似ネタの『白詰草話』も同じく2002年に発売されているので、えーと、共通のルーツが何かあったのだろうか。今の私の知識では思い当たるものが無いので、よく分からない。萌え+メカとしては『まほろまてぃっく』が、えーと、漫画版が1999年から連載開始されたとのこと(アニメ版は2001年から2003年にかけて放映)だから、そちらの方が先行していた。さらに遡れば「MS少女」などもあるが、どこまで文化的/人的な連続性を見出せるかは分からない。
アダルトゲームだと、nitro+とpropeller(『BULLET BUTLERS』)、それから『蠅声の王』、『Dancing Crazies』、『MERI+DIA』、『イノセントバレット』、『ガンナイトガール』、『リヴォルバーガール☆ハンマーレディ』などがある。その他、局所的に銃器が使われる作品も多数存在する(特に探偵ものや警察もの、軍事ものなど)。武装メイドキャラが護身用銃器を忍ばせているというパターンも多い(『シンシア』『おしえてRe:メイド』など)。『桜花センゴク』のようなシチュエーションではレトロな火縄銃が登場する。『九十九の奏』はメインヒロインが南部十四式。F&Cのは、えーと、『エーテルの砂時計』あたりだっけ?
『Dancing Crazies』はSLG作品で、主人公の初期装備はグロックで、Cz75やデザートイーグルあたりが上位装備になっていた。乱戦になるとUZIなどの機関銃が便利だったり。アダルトゲームで最も多くの実在銃器を登場させているタイトルだろう。SLG作品だと、上記『蠅声の王』や、『GUN-KATANA』、『Apocalypse』などもある。
全年齢タイトルの『GADGET TRIAL』もメカ少女もののSLGだが、出来はあまり褒められたものではなかった。
「ツインテール」でggl画像検索してみたら……えっ、うそ、検索上位に実写写真しか出てこないとは。イラストのツインテールキャラは全然出てこないし、怪獣のツインテールもいない。下に掘って行けば出てくるのかもしれないが、上位50件(50枚)くらいはすべて写真。予想外の偏りだった。しかも、(当然といえば当然だが)。ほぼ全てが若年日本人女性と思われる写真。私以外のアクセス環境では、異なった検索結果が出る可能性もあるけれど。また、検索語を追加して「ツインテール キャラ」にすると、アニメ系のキャラ画像がほとんどになり、写真は全然出てこなくなる。
※画像検索の常として、予期せぬ不快画像が視界に入る可能性に注意。
(→2018年1月/2017年11月)