03/31(Mon)
結局、今月はあまりゲームができなかった。時間的身体的事情というよりは、心理的社会的な諸事情からして、あまり集中して取り組めなかった。明日からは、つまり新年度のスケジュールでは、どのくらい忙しくなるかまだ見当がつかないが、とりあえず土日を中心にフルプライス3本+αくらいはクリアできればと思う。このブログでの活動は控えめにしたい。
『常夏姉妹サンド』。かぐやのハイカロリーな濡れ場連続はつらいのでふだん敬遠していたのだが、今回つい買ってしまったのは何故だろうかと我が事ながら訝っていたが……「四姉妹もの」という長所もさりながら、やはり全ヒロインがツリ目系だという点に、無意識のうちに惹かれていたようだ。よく見ると長女はおそらく非ツリ目として描かれているが、原画家mero氏の画風のおかげでツリ目気味にも見える。
さらによく見たら、山城「藍里(あいり)」役の姫川「あいり」氏という、個人的に苦手なマッチングがあったが、もう買ってしまったので仕方ない。
追加コンテンツをフル装備して2014年3月の波奈束風景天国へと赴く。
03/30(Sun)
昨日の記事を改稿した。歴史的な整理としての側面がずいぶん強くなってしまったが、仕方ない。背面立ち絵という局所的な論点を扱いつつ、その中ではわりと大掛かりな議論に踏み込んでしまったのだが、それはちょうど―昨日もここで言及していたように、実はずっと考えていたことであり、そしてこれまできちんとした形で文章にしたことの無かったポイントをようやく言葉にすることができた。のみならず、この分野の10年代の動向についても、今回の執筆の中でようやく自分の展望の中で位置づけの方向性が見えてきたように感じられた。
もう一つ、「AVGの画面とは何か」(写実的視界表現であるのか、そうではないのか)という問にも関連する筈のテーマだが、そちらは今回もうまく取り上げられなかった。背面立ち絵の意義は、空間表現以外にも存するという主張から、間接的には示唆を出したつもりだが。
美少女ゲームについて、「このヒロインたちの中で、実際には誰が一番きれいなんだろうか」と思いを巡らすことがある。ただし、本来ならば、ゲームのキャラクターは、現実との対応関係抜きに――つまり「現実であれば~」という思考に縛られずに――存在しうるものであり、フィクションの世界に現実ベースの考慮(ここでは、現実寄りの「美醜」の尺度)を持ち込むのは少なくとも対他的説得の領域では説明(正当化)を要するのだが、これはあくまで単なる個人的妄想の領分として考えている。フィクションの「世界」に対して、我々の現実的な「美醜」の尺度を勝手に適用しようとするのは無意味な作業だし、もしも――作中の描写やスタッフのコメントを参照しつつ――美醜を実質的に語ろうとする場合でも、とりわけ美少女ゲームのヒロインたちについては原則的には「全員が十分な美少女である筈だ」と言うしかないのだが、しかし、「このキャラクター、作中ではきっと一番の美人さんなんだろうなあ」とか、「このキャラクターは、現実に喩えるなら○○さんみたいな方向性のきれいさなんだろうな」とか、「このキャラクターは
くりかえすが、まともな作品解釈とは何の関係も無く、場合によっては失礼ですらあるので、これまで公言したことは無いが。
なお、大槍氏の描くキャラクターは時折、この意味で、距離が近すぎて――「ありそう(現実にいそう)」でありすぎて――かえって苦手なことがある。例えば、「大槍氏のイラストに出てくるような金髪美少女」というものを、現実に存在するような一人の女性の姿として想像することは、あまりにも容易だから。
「きゅあらじ」。ふと店頭で見かけて、涼森氏のお名前に惹かれて買ってみたのだが、これっていったいの何のラジオだったっけ……会社自体の宣伝ラジオ? ディスクを開いてみたら、ラジオ部分がwmvファイル(イラストを表示する動画形式)で総計1.9GBも入っていてちょっと驚いた。
涼森氏のことを「涼森姉さん」と書きたくなってしまうのは、配役傾向のせいもあるが、「少女騎士」ラジオでそう呼ばれていたためでもある。涼森氏ご自身としてのトークは、上記ラジオ(第8回ゲスト)のほか、『淫妖蟲』などのゲーム内キャストトークコーナーで拝聴したことがある程度。
03/29(Sat)
勢い任せの新記事:「背面立ち絵、そのほか」
実はひそかに「木村あやかキャラ祭」が展開されているのだった!(※計6キャラ出ている)
予想したとおりだが、背面立ち絵ばかり並べるとなんだか妙に笑える見た目になった。
後日追記:加筆して計9キャラになった!
『ToHeart2』や『うさみみデリバリーズ!!』には、自転車に乗った立ち絵(?)というのもあった。
1万枚以上のSSをチェックしていたら、新山葵さんや月野舞さんの声をまた聴きたくなってきた。
『結い橋』はSSを撮っていないので、上の記事はちょっと不格好になってしまった。
『Areas』(lapis lazuli、2009)にも背面立ち絵はあった筈だが、SSを撮っていなかった。
私にとっては、AVGの立ち絵表現の最高の精華は、今なお、『ウィズ アニバーサリィー』の機敏軽快なカメラワーク表現、『片恋いの月』の名技的な立ち絵アクション、『明日の君と逢うために』の濃密な空間的時間的表現、この三者だ。もちろん、それ以前にも素晴らしいものはいくつもあったし、その後ももっと柔軟に様々なスタイルが試みられてきたが、それらすべての中で、それぞれに最も先鋭的な仕方で一つの極点を目指しそして実現し、そうして私のAVG観のいわば「輪郭」を形作ったのが、あるいは美少女ゲームという星座のありようを私に認識させる主要な一等星群が、この三つの方向性だ。
もちろん、それ以外にも、『Kanon』『白銀のソレイユ』『ちょこっと☆ばんぱいあ!』のようなふてぶてしいほど巨大な立ち絵の画面占有や、『白詰草話』『AYAKASHI』『銀の蛇 黒の月』『eden*』のようなカットインや一枚絵を大量に流し込んでいくもの、『行殺新選組』『らぶKiss!アンカー』のようなコミカルなフェイスウィンドウアクション、『空帝戦騎』『魔王のくせに~』のような立ち絵対面型レイアウトなども、それぞれにたいへん面白いものだった。広大な背景画像にキャラクター画像を描き込んだ『腐り姫』の瑞々しさも、立ち絵基軸でありながらほとんどそのウェイトを内部から換骨奪胎した『えむぴぃ』の画面構築も、忘れがたい。ゲームの世界は広く、そして楽しく、美しい。
新作は、ロープライスをいくつか買い逃したが、だいたいは入手。
このブログ内の別ページへのリンクを手動入力する時は、トップドメイン部分を".com"にすべきか、それとも".jp"にすべきだろうか。
仕様としては".com"のurlがベースにあって、そこからアクセス元に応じて".jp"や".uk"や".tw"へ自動リダイレクトしているようなので、万一のリンク切れの可能性などを考慮するとリンク先urlは大元の".com"で設定しておくのがさしあたり無難であるように思われる。
しかしながら、私以外の一般訪問者が一度特定の国コードでアクセスしてしまえば、ブログアーカイブなどのリンクはすべて特定の国コードに変換されてしまい、".com"レベルでのアクセスをしなくなってしまうので、ハイパーリンクの既読判定にずれが生じてしまう可能性がある。つまり、訪問者が".jp"扱いで読んだ記事に対して、私が別の記事の中で".com"でリンクを記述していた場合、読んだ筈(表示済み)の内容の記事のリンク色が未表示扱いの色になってしまい、混乱を来してしまう(あるいはリンク色変化が信頼できないものになってしまう)虞がある。
それでは、私が手動で設定するリンクは".jp"で統一してしまえば実用上最も無難であるか、というと、必ずしもそうではない。というのは、このブログもユニヴァーサルに公開されており、他国のゲーマーがアクセスしてくる可能性があるからだ。いや、今日のアクセス統計を見てみると、可能性のみの問題ではなく実際に、台湾(tw)や韓国(kr)とおぼしきアクセスが見出される。そのような外国からアクセスした人々にとっては、".jp"リンクは苛立たしい混乱をもたらす虞がある。
それでは、どうするか。これまでは、この点については深く考えずにいて、基本的に".com"で統一してきた。これは、上記のような考慮もあったが、投稿一覧ページからのアクセスがこれになっているからでもある。アクセスのほとんど(おそらく99%以上)を占める国内アクセスのために、これまでのリンクすべてを".jp"アドレスに書き換えるのは面倒だし、かといって途中からポリシーを変更するとそれがさらなる混乱の原因になる可能性もある。……と、とりあえず、このままでいいかな。
演出技術論などのテキストを自分で英訳してみようかと考えていた時期もあったが、内容自体が古びつつあることや、粗が多すぎる(とりわけwin95以前も含めた歴史認識に誤りがある)ことから、結局断念した。ゲームタイトルを私訳したら面白いかなあ、とは思うが。『鬼畜王ランス』を"Rance, the Cruel King"とか、『ときどきパクっちゃお!』は"Casual Cambrioleur"とか……私の英語センスではあんまり面白くならないか。なお、英語版wkpdなどを見ると、他言語でも原語のままで――例えば『うたわれるもの』なら"Utawarerumono"で――通用しているものは多いようだ。『さよならを教えて』はそのまま"Comment te dire adieu"になるだろうし、『白詰草話』も副題の"Episode of the Clovers"をそのまま使えばいい。しかし、『しすたぁエンジェル』『わーきんぐDAYS』のような、単語としては英語由来だが平仮名や片仮名を使い分けるところに興趣があるというようなタイトルは、訳出に困る。あと、『プリっち』のようなのは訳せない。
03/28(Fri)
[ advgamer.blog.fc2.com/blog-entry-2234.html ]
00年代前半までは「一枚絵の魅力が最も重視された時代」であったのに対して00年代後半以降は「立ち絵演出(空間表現と動的演出)が重視されるようになった時代」だというのは診断としてさしあたり妥当だと思うが、私としては決定的な分水嶺はこの2007年だったと考えている。すなわち、ぱれっとの『えむぴぃ』、すたじお緑茶の『片恋いの月』、Purple softwareの『明日の君と逢うために』が同時多発的に野心的な立ち絵演出に挑戦した一年であり、それは私個人としてもきわめてショッキングな「事件」だったが、ふりかえってみても2006年以前にはそうした表現は――age、ういんどみる、CROSSNET(FAVORITE)などの先駆的な試みはあったが――僅少であり、そして2007年以降に立ち絵演出は急速に普及していった(――ただし、慎重を期して言うと、おそらくもう一段階あって、それが本当に本格化したのは10年代に入ってからのことだと思う)。その背景としては、画像(素材及び表示)のクオリティアップ、ディスプレイ解像度の上昇、HDD容量の飛躍的な増加、ゲームエンジンの進歩、シナリオ長大化など、複合的な要因があったと思われ、変化の契機については慎重な分析が必要であろうが。
ぱれっと新作の件。
「ちなみ」はある。けっして不可解なものではない。例:小河坂千波。
「ななみ」は多い。例:牧野那波。
「ほなみ」もある。例:藤枝保奈美。
「まなみ」は、現実にも多い。例:七海真奈美。
「となみ」は、現実にニックネームとして使われている有名人がいる。地名にも実在する。
「みなみ」は言うに及ばず。南おねえさん。
しかし、「こなみ(小波)」というのは、普通の発想では、――姓名合わせた駄洒落ネームとしてならまだしも――単体の名前として出てくるというのは、私の感性では非常に想像しにくい。いったいどこからどうしてこのネーミングが着想されたのだろうか……。
EGScapeでキャラクター検索してみたら、今回の「浅葉こなみ」の他に「蔵前こなみ」「賀来小波」「野瀬小奈美」というキャラもいる模様。このキャラクターデータベースはまだ未整備(入力不足)と思われるので、まだ他にもいる可能性は高い。うーむ、意外にある名前なのか……。
思い出した、『_summer』の「波多野小奈美」もいたか。『へんし~ん!!!』の「水越こなみ」も。
STP#396、今回の「おま たせ致しましたー」は、私にもそこを立てている(強調している)ように聞こえたので、あれは仕方ないと思った。それにしても、いちむらさん、本当に風来坊だなあ……。
このブログでは、固有名詞(個人のフルネームや新作のフルタイトル)を書いたりハイパーリンクを出したりすることは極力控えてきた。タイトルを特定可能な範囲で略記したり、人名を平仮名で書いたり、urlを文字列で書くだけだったり。要は、このブログにひっそり隠遁してずっと見つかりたくなかったからだが、もうあまり気にしなくてもいいかなと思うようになってきた。以前の知人(サイトやブログの訪問者やtw上で交流いただいていた方々)がもしも私を探すつもりになったら、どうせ私の文体や用語法はおそらく識別容易だ(=web検索で抽出しやすい)し。発見されようがされまいが、あるいは言及されようが批判されようが、もうここからは動くつもりは無いし。ここを閉じる時は私がゲーマーとしての発信そのものを最終的にやめる時だという覚悟でいる。
ゲーム(特にファンタジー系作品)で命名する必要がある時は、たいてい「ミコト(or みこと)」にしている。男性名としてはクラシカルで神秘的な「尊」「命」の意味で捉えればいいし、女性名としては「美琴」のように文字を当てられる。これなら、「主人公は実は男の娘だった!」という展開が万一生じても大丈夫。もう一つ、実名を洋風にもじった名前もたまに使う――「太郎」→「トール」とか「花子」→「ハンナ」みたいな感じ――が、さすがにここには書けない。複数(4キャラ程度)の名前が必要になった時は、いまだに「ちづる/あずさ/かえで/はつね」を使う(――「りっか」の出番は、今のところ、無い)。
03/27(Thu)
うーぶり屋#30Bが公開されてる。
この方々、本当に仲が良いんだなあ。
[ www.cabbit.jp/logic/index.html ]
これは……御厨氏、みたびの「数学少女」ヒロインか?と期待して待ちたい。『翠の海』も『カルマルカ』も数学キャラ萌えにはおすすめですよ! 調和関数を綺麗と言うキャラとか、素数に興奮するキャラとか、最高じゃないですか!
うう……「SLGをプレイしたくてたまらない」欲求が沸々と……。状況を見て、システムの仕様を考慮して、目的を定めて、計画して、一つ一つ手順を進めていく、あの楽しさ。しかし、手許にあるタイトルでめぼしいものはだいたいプレイ済みなのが、なんとももどかしい。
言語、意味、権威について追記した:「創作表現とリアリティについてのあれこれ」
「人格攻撃的な批判の仕方はすべきではない」(命題1)というのは確かだが、しかし同時に、「最終的にその発言の真偽が確定される以前の段階で、発言者の如何によって、その推定的信頼性の度合いは異なる」(命題2)というのも確かだし、そして、「その発言の疑わしさが固まってきた段階で、当該発言者がそれ以前からも極端に愚かな(あるいは不誠実な、過度に不注意な、特定のバイアスの掛かった、etc.)発言を傾向的に繰り返していた(そして周囲からのアドヴァイスを受け入れてこなかった)場合には、その誤った発言及び発言者に対する非難の度合いは通常よりも高まる」(命題3)というのはけっして不当ではない。たとえば、命題2のレベルで「この人の言うことはいつも信用ならないんだよな」と述べたり、命題3のレベルで「またこいつバカなこと言ってるよ」と冷淡な態度をとったりすることは正当であり得る――あらゆる場合に全面的に正当だというわけではないが、正当なものである場合があり得る――のであって、これらをすべて命題1の範疇で捉えて個人攻撃だとか党派的主張だと見做すのは、一面的に過ぎる場合がある。……まあ、実際には、個々の発言がどのレベルで捉えられるべきかは往々にして区別しにくいものだが。
(以上の話は、ネットで見かけたある記事、に対する批判の声、をたしなめる発言、に対する私の所感。元の記事は、私見では非常にバイアスの掛かった如何わしい議論なので、ここに書き記しておく価値は無い。見たことのある名前だったが、相変わらず1)大袈裟なことをしているわりにデータの扱いに客観性が無くて、2)得られた内容が非常に薄っぺらくて、3)そのわりに結論が妙に飛躍していて、そして4)そうした姿勢が何度も繰り返されているようなのでもうこの人は修正できないんだろうな[そして、こういう妙な偏見を撒き散らすのはもうやめてほしいな]、と思った。)
03/26(Wed)
棚を眺めながら「次にどれをプレイしようか」について思いを巡らすのは、楽しい時間だが、いささか不毛な時間でもある。現在ではさすがにHDD容量にも十分余裕があることだし、黒箱白箱取り合わせて数本程度を「プレイ予約」として常時インストール済みにしておくと便利かもしれない。
STP#395……ようやくこの音質で聴けたことに感涙。「轟け」のも本家よりマシだが。
[ penguin-empire.com/ ]※閲覧注意(BGMあり)
まさかの愛生会パロディ。
『ああっ女神さまっ(Oh My Goddess!)』って、"Oh my god!"のもじりだね……。今気付いた。
"raiL"-softが"Liar"-softの逆綴だというのも、他の方が指摘されるまで気付かなかった。
【 司書キャラ 】
学園ものでも司書キャラは非常に少ない。学生同士ではなく、年上の職員であるせいだろうか。すぐに思い出せるのは『黒の図書館』『霞外籠逗留記』『神樹の館』『ピリオド』あたり。『魔導書の司書』はたぶん単なる比喩。『最終~電車2』の主人公が司書だというのは知っているが、何故そんな設定にしたのかは知らない(プレイしていないので)。タイトルにも含まれている『司書さんといっしょ☆』は未プレイ。職員としての司書はいなかったが、『まじの』の図書室空間は居心地が良かっt…良かったっけ? 木村キャラに罵倒されていた想い出しか……。
検索してみると、『魔女アラ』(サブキャラ)、『下級生2』、『世界を征服するための、3つの方法』、『いつわり』(※ロープライス)、『プレイ!プレイ!プレイ!惨』(※ロープライス)、それから『クル☆くる』のメリロットさんもそうだったか。
司書とか、青いエレベーターガールとか、とにかくなにかしらそういった機関や機構を「司」っているキャラには惹かれる。『R.U.R.U.R』の司法キャラとかも思い出しつつ。
03/25(Tue)
【 どうして買うの??? 】
私が新作タイトルに興味を持つきっかけは、声優だったり原画だったりコンセプトだったり塗りだったりと様々だが、最終的にプレイしたいかどうか(≒買うかどうか)は総合的に判断している。たとえば、好きなジャンルでも絵が好みに合わなかったら手を出さないし、テキストを読みたい脚本家が出演されていても、ブランド次第で見送ることがある。しかしそれでも、「このブランド(≒このディレクター)ならとりあえず買っておこう」とか、「この声優さんが主演されているなら買わないわけにはいかない」ということはある。こんなふうにユーザーに「デフォで買っておこう」と思わせるところまで行けたら、売り手としては理想的だろう。固定客は強いのだ。
ネットを見ていると、全体としては、たぶんメーカー(ブランド)買いが筆頭。ネームバリューとして最も強いのは、今も昔も、スタッフ個人の名前ではなくブランドの名前だろう。次に、重要なのは原画(というか「絵」全体)。これは、最も露出が多いせいもあり、また、ユーザーが一目見て好みが判断できるためでもある。黒箱系では、性表現の趣向如何もきわめて大きいだろう(――重要度は原画を上回っているかもしれない)。SLG系にも、これに近い動きをする固定客層があると推測される。他方、白箱系では、登場キャラクターに愛着を持てそうかどうかが集客上も重要だろう。声優や脚本家の訴求力は、残念ながら、限定的な(つまり比較的小さな)ものではないかと思う。公式サイト等で紹介されるストーリーの内容と方向性は、ユーザー層をカテゴリカルに誘導乃至選別するのには作用しているだろうが、「まさにこの作品を買いたい」とユーザーに期待させるものではないように思われる。ムービーや発売前企画などの広報部分は、もちろんトップクラスに重要だが、上記のいずれかと組み合わせて――つまり上記の各要素にポテンシャルがあって――それで初めて効果が得られるものではなかろうか。……以上、まったくの想像ながら。
[ www.clearrave.co.jp/product/sakusaku/img/character/chara_ch_konami_1.png ]
ぱれっと新作は、正気でプレイしきれる自信が無い。主にキャラの名前のせいで。
Iris新作のヒロインは、なんと、体重29.3kgか……こんなのありなのか。(思わず息を呑む)
『はじるす』や『くれよんちゅーりっぷ』、『LOあんぐる!!』では、体重は明示していなかったようだし、織澤あきふみ原画作品でもこれほど極端なキャラクターはいなかったと思う。『少女魔法学』の水色スモックの二人もかなりの低体重っぽいが、具体的な数値は記載されていないようだ。まあ、ファンタジー作品の小さな妖精キャラなら、一桁キログラム級とおぼしきサイズのもたまにいるが(――ソフトハウスキャラには、『アルフレッド学園』の頃からその種のサブキャラが度々登場し、とりわけ紅村原画サイドにはよく出てきて、そしてたいていひどい目に遭う)。
調べてみたら、『ななみとこのみ~』のヒロインズは135cm/29.5kgとなっている。これも凄い。
今回のサーバーダウンの件で、twID: hiro_in氏の対応を見ていてあらためて思うのは、この方にはもっとちゃんとした報いがあるべきだし、そして御礼をしたいということだ。たとえば寄付とか、あるいは(もしかしてお金にはまったく困っていないならば)別の形でも、「Erogamescape」を十年以上維持してこられたこの勤勉で優秀で誠実な人物に対して、利用者が感謝を伝えたり、あるいは(経済的/人的/技術的に)支援したりする手段があればと思う。氏自身も、組織化しようにもどういう形にすればいいのかすら分からないと仰っているが([tw: 448168646935085056 , 448452447049351168])。
私自身は、以前にログイン障害があった時に個別のメールをしたことがあったが、その時にもっと丁寧に御礼を申し上げておけばよかったと後悔している。その後は、用事も無いのに御礼のメールを送ってもかえって気を遣わせてしまうかもしれないと心配で、なかなかそうした機会も無いまま過ごしているのだが……どうしたものか。
某大学の卒業式の仮装遊びは、昔はごく少数の人がやっているだけだったが、参加者(?)もずいぶん増えて、造形も派手になっているようだ。「伝統は作られる」というのは、こういうことだろう(――「伝統は後から捏造される」という趣旨ではなくて、「伝統とは固定的な規範などではなく、まさに現実の中で生成変化発展していき継承されていくものこそが伝統なのだ」という意味で)。
式進行妨害の有無などを別とすれば、この種の卒業式仮装に対する見解と、派手な成人式服装に対する見解とは、同一でなければ筋が通らないと思う。片方を容認するなら、もう一方も肯定的に見るべきだし、片方に対して批判的であるなら、それと同じ理由でもう一方に対しても批判側でなければ立場が一貫しない筈だ。
新記事:「創作表現とリアリティについてのあれこれ」
この問題については、以前からずっと考え続けており、また何度となく書いてきたが、自分でもいまだに十分な議論が出来ているとは言えない。創作物に対する真理要求(現実準拠要求)を拒絶するという原則的立場は変わっていないのだが。
波奈束氏は、PCゲーム声優として(その技量において)「最高」というわけではない――上には上がいる――が、しかしその清冽な力強さは、私にとっては、なんといえばいいのか、10年代のPCゲームシーンの一つの希望の象徴であるようにすら感じられる存在だ。そういう位置づけ。
(いや、別に「風景」だからシーンと言ったわけではなくて……///)
いつもはtgttrはまったく見ないのだが、たまたまリンクを踏んでみたら、当事者が言葉のなまくら刀でお互いを傷つけあっているという、目を逸らしたくなるような場面だった。誰か議論の交通整理してやれよ、と思った。ああいう場では、中立的に論点整理するような人が全然出てこないんだよね。これも以前から何度も書いていることだが、党派的な「敵味方」や「勝ち負け」ばかりが強調されて、「合意形成」や「より良い結論(あるいは真理獲得)へ向けての共同作業」といった側面が閑却されがちなのは、非専門家言論の大きな問題点だと思う。合意形成寄りのところでも、ナアナア的頷きあいだったり、あるいはそういう馴れ合いに対する(いささか強すぎる)反発だったりして、なかなか冷静な議論になりにくいように見受けられる。
普段は誤字や誤変換がきわめて少なくて使用語彙もたいへん豊富な方が、たてつづけに2個も3個も誤変換や誤用をなさっているのを目にすると、実生活上でなにかあったのかと(お節介にも)つい心配してしまう。
試しに数えてみたら、2014年1月の雑記テキスト量は、雑記欄だけで見て2万字、2月は1万字強、3月はすでに4万字。ばらつきが大きいなあ。まあ、可能な範囲で、書きたいことがある時にそれだけを書いていればよいブログなので、一定のペースを維持する必要など無いのだが。ここではもう他人のためということは一切考慮しておらず、自分自身のために、「自分の考えをまとめるために書いてみる」というブログとして使っているのだし。
細かい誤字修正や、些細な表現の修正、あるいは改行調整のための加除を含めて――例えば、「だけ」とか「の筈」といった小さな追加だけで再編集することもある――、今月の雑記ページはおそらく300回以上(つまり一日平均10回以上)更新している。……駄目だ駄目だ! ネットなんかしてないで、もっとゲームをしないと。
03/24(Mon)
【 「信濃」と美少女ゲーム 】
『こみっくパーティー』(DC版だったか)には、「浮沈空母信濃に乗ったつもりで安心していなさい」といった趣旨の台詞――正確には憶えていないが――がある。もちろん、史実に照らしてみれば不吉極まりない(cf. [ www.botan.sakura.ne.jp/~siori/hth/leaf/aqlfdic-hmy.html ])。
戦艦「信濃」は『オルタ』にも登場していた。史実のものではなく、名前を引き継いでいるのみの別艦だが、佐渡島戦でわりと良い見せ場をもらっていた。「かつて航空機によって無用の長物とされた戦艦が、航空機を駆逐した光線級に一泡ふかすというのも真に痛快!」と。
もっとストレートなものもある。『大好きなご主人様に~』(softhouse-seal、2010)には、赤城某、榛名某、日向某、鞍馬某と並んで「信濃恋」というキャラクターが登場する(――「信濃山」は存在しないので、これらは山シリーズではなく軍艦シリーズと捉えるのが妥当)。ヒロインたちの名前に艦船(軍艦)名を織り込んだタイトルはいくつも存在する――『Rance VII』『片恋いの月』『夏色マキアート』『Friends』『relations sister×sister』『クラス全員マヂでゆり?!』、そして実は『あると』も――が、その中でもわざわざ信濃を持ってきたのは、管見のかぎり、この一本のみである(――なお、後日談として、SH-sealはのちに[ softhouse-seal.com/product/g-007/img/special/yoyaku.jpg ]を出すことになる)。
なお、軍艦としての「信濃」ではないが、『信濃秘志』が『蠅声の王』に登場した。
やはりあの若葉色(でいいんだよね?)の船体には心惹かれる。
そういえば『片恋いの月』で原画担当されたイラストレーターさん、今は「US@MYO」さんなんですね。そして緑茶は緑茶で、軍艦名字(『片恋い』)→音楽関係(『マジカライド』の一部)→新撰組名字(『恋色空模様』)→東西南北名字(『祝福の鐘の音は~』)と来て、新作『南十字星恋歌』のキャラクター名字はどうやら陶磁器産地シリーズの模様。
03/23(Sun)
【 パッケージの色について 】
私もここで多用しているように、「白箱」と「黒箱」という慣例的な、そしてかなり実態に即した呼称がある。すなわち、学園恋愛ものに代表されるように「明るい」内容のタイトルは、パッケージもしばしば白、薄青、薄桃色のように「明るい(白っぽい)」色調であり、その一方、蹂躙系や伝奇系のような「ダークな」方向性のタイトルはパッケージも黒基調だったり赤かったりすることが多い(――典型的には黒背景に赤文字タイトルロゴ)。もちろん例外は存在する。例えば前者のカテゴリーでは、『月あかりランチ』はパッケージの背景部分に夜空が置かれているため、一見すると黒箱のように見える。『ハピメア』も、正面画像は白背景だが、側面や背面はダークレッドの模様をベースにしている。後者のカテゴリーでは、『AYAKASHI』『ヴァルプルギス』『ゴア』『クロウカシス』などは白基調のパッケージデザインになっている。しかしこれは、言い換えれば、このような例示である程度賄えてほど例外が少ないということでもある。全体としてみると、この二つの方向性の相違と分離は、――特に00年代前半から?――物語の内容においても外箱デザインにおいても、非常に強固なものになっている。ブランド毎の配列で見てみると、その傾向ははっきり分かるだろう。
ただし、SLG系はこの分布からしばしば逸脱する、あるいはこの分布とは別軸で存在する。また、個人的に「ピンク系」と呼んでいるグループ――性描写要素が作品の大部分を占めるが陰惨な蹂躙行為ではないもの――は、実際に桃色ベースのパッケージが比較的多く(例:『彼女×彼女×彼女』『シスタ×シスタ』『ヒメゴト・マスカレイド』『みんな捧げちゃう!』)、黒ベースのものは非常に少ないが、上記の2カテゴリーほど明確ではない。
作品を印象づけるうえで、あるいは作品の方向性を識別させるうえで、パッケージの色調が重要であることは分かるのだが、もっといろいろな見せ方に挑戦してくれてもいいのに、とは思う。例えば、(以前にも言及したが:2013/10/25雑記)緑色パッケージはきわめて稀であり、そしてそれゆえ店頭では非常に目立つ。こうした可能性がよりいっそう開かれていくことに期待したい。
なお、個人的な印象だが、薄青色のパッケージは店頭では案外埋もれてしまいやすいように感じられる。『MapleColors』(DVD版)や『Strawberry Nauts』くらい濃いブルーならば、それはそれでかなり人目を引くのだが。
由来を探ろうと試しにweb検索してみたら、あ、あれ、使用例が非常に少ない。私一人の造語ではない筈だが、私自身どこでこの言葉を見知ったのかは憶えていない。もしかしたら、特定の誰かが使いはじめたというのではなく、自然発生的に、あるいはただ散発的に比喩的総称として使われているだけなのかもしれない。その意味するところは非常に明快なので、受け手側としては――ほんのそこそこの美少女ゲーマーでありさえすれば――初めて聞いたとしても即座に理解できる比喩だろうが。これらの言葉を使っていないとしても、これに相当する概念的(枠組的)理解は存在する筈だが、おそらく通常は「学園もの」や「鬼畜系/陵辱系」といった呼び方をしているのだろう。実際、「白箱/黒箱」というのは一見するとすべてのタイトルをいずれか一方に押し込めてしまう二者択一の包括的枠組のようにみえてしまうが、それよりは、「学園もの」「鬼畜系」という呼称の方が、他の様々なタイプ――「ファンタジーもの」「バトルもの」など――を柔軟に取り入れる余地があり、呼称としても枠組としてもベターなのだろう。私が上記のように言っているのには、正直にいえば、「鬼畜系」のような言葉を使いたくないからあえてそういう曖昧な言い方にしているという事情もある。
『ルネブランド黒箱スペシャルパック』(※DL販売商品)のようなタイトルも存在するので、一般的に使われている言葉と見做してよいとは思うが。
ここに書こうか迷ったが、書いてしまおう。
きのうのゆめにきむらさんがでてきた! おこえもそのままだった!
私が(何故か)刑事で事件捜査に巻き込まれて会いに行けなかったり、年の離れた教え子で仲良くしてよいのかと煩悶したりしていた。夢のことだから整合性も何も無いが。来週末にどこへ遊びに行こうか相談したり、「お祝いしたいからねー」と誕生日を尋ねたり、友人にも紹介するという話になったり……なにこのちゅーがくせい。お姿は、たしか黒髪美少女だったと思う。なんだこれ。そんな願望は無いのに……。おそろしい……。
03/22(Sat)
『アストラエア』は何も見ずに買うつもりだったが、ふと公式サイトを覗いてみたら、路面電車があるようで、期待感が高まった。それと、旭橋(旭川)とおぼしき橋や時計台(札幌)の背景CGもある。同様に、路面電車CGも道内のどこかがモデルになっていると推測される(札幌市電?)。『星空のメモリア』にはたしか小樽運河があったし、このブランドはどうしてそんなに北海道が好きなんだろう? それにしても、これらのCGはどれも、カメラの角度といい距離感といい位置の低さといい、立ち絵と組み合わせて使うには難しそうなのだが、本編中でどうやって使っているのだろうか。
それよりも問題なのは、最近のFAVORITEは特にキャラクターの配色がきつすぎて目に痛いという点なのだが……。色彩設計が完全に好みから外れているし、北海道にはべつに愛着も無いし、ドロレス趣味も無いので、実をいうと、そろそろ辛い。
……って、えっ、今回も「星天宮」が?
「不快に思うなら、あなたが見なければいい」という主張の正当性(あるいは不当性)如何は状況によって変わる――例えばそれを表現した当事者の権限、当該表現が目指していると見做される目的(例えば公益性)、当事者が負っている社会的責任、見ることの不可避性(メディアの特性など)、非難の内容(美的なものか、道徳的なものか、法的なものか、etc.)、等々――ので一概に言えないが、基本的には、内容に関する交渉を打ち切る最後の言葉を意味するということは理解しておくべきだろう。それが単なる「居直り」の言葉になってしまうことも間々あるだろうが、しかし、そうする以外に解決のしようが無いという場合も多々ある(たとえば、筋の通らない難癖をつけられた場合には、内容に関する冷静な交渉の余地が見出せないので、こうでも言うしかないだろう)だけに、このような主張を全面的に放棄させることも難しい。
フィクション(とりわけ漫画やイラストやAVG)のグロ描写や残虐表現は、「これはけっして現実ではない」がゆえに、安心して見ることができる。ホラー表現も同様だが、実をいうと「実写の」ホラー映画は怖くて苦手。何度も観ている筈の『エイリアン』すら、先日視聴しはじめたら怖くなってきて再生ストップしてしまった。こんなことではイチ様と仲良くなれない!
ゲーム内の趣向としては、絵としてはそれはそれで良いと思う――性描写よりもよほど良い――が、音声上の悲鳴にいたたまれなくなってしまうので、全体としては好きとは言えない。汚物描写については、そもそも嗜好としてまったく理解できていないので、好きということもないが、嫌うというリアクションも生まれない。
良いアニメは、一話観ただけで疲労困憊。良いゲームは、10時間でも熱中し続けられる。良い漫画は、10分と保たないことがある。良い絵画は、時の経つのを忘れさせる。良い映画は、2時間の間、一瞬の無駄も無い。webラジオは、30分なら30分の間、ずっと楽しい。かわいいフィギュアは、永遠。
【 関西弁! 】
ヒロイン全員関西弁の白箱系AVGとかが出てこないものだろうか。一応『世界ノ全テ』があり、またダーク系でも『大阪CRISIS』などがあるが、今風の学園恋愛系ではまだ無かったかと思う。キャストは桜川氏(京都のご出身)、理多氏(wkpdによれば大阪。以下同様)、涼森氏(大阪)、上田氏(京都)、宮沢氏(大阪)、榊原氏(兵庫)、北都氏(大阪)、百瀬氏(関西)あたりで是非。
理多氏は、『残暑お見舞い』が見事な関西弁だったが、webラジオ等での会話が関西弁のままなのも凄い(――普段と演技時とでイントネーションなどが混乱しないのだろうか?) 榊原氏は、関西出身というのは意外な印象があるが、『よつのは』の関西弁キャラは非常にしっかりしていたと記憶する。桜川氏は『らくえん』『おキツネsummer』『ときパク』など、関西弁キャラを何度も演じておられる。涼森氏は『ナースにおまかせ』など。
このほか、AYA氏や西野氏、月城氏、水鏡氏もおそらく関西のご出身かと思われる。『こみパ』『恋姫†無双』『とり×とり』の関西弁は、間違いなくネイティヴの発音だった。月城氏は、webラジオかどこかで関西弁を披露されていたような……。
もちろん、「関西」で十把一絡げにすることはできないのだが、それはそれとして。
桜川氏が京都のご出身だというのは、「ぷらてぃあ」かどこかでご本人が仰っていたと思う。理多氏も、いろいろなwebラジオで「わたし、大阪人やからー」と仰っていた筈。上田氏は、「しゅな」だっただろうか(――あのラジオは途中までは聴いていた)。百瀬氏は、「HLC」第41回を参照。
03/21(Fri)
「三題噺タイトル」に加筆(命題系タイトルの項)。
getchu.comに対しては、その浩瀚なデータベースに深く感謝していることもあるが、わりと信頼もしているし、心情的には大いに応援している。twアカウント(ID: getchucom)を見ても、非常に活発に情報発信しており、投稿内容も、文面はシンプルで押しつけがましくなく、それでいて商品の内容と魅力を正確に理解したうえで書いていることが窺われて好印象。軽くユーモラスなコメントをたまに挟んでいるあたりも楽しげだし。
目にする度にアレな記事ばかりなので、「blogos」は全体がアレなんだろうなという認識で、もう「このサイトは読まない(読むだけ時間の無駄)」扱いにしている。
[ toneworks.product.co.jp/hoshiori/image/gallery/hoshiori_eventcg02.jpg ]
こういうCGは結構珍しいかも。主流派のスタイルは、水面の波打ちや水中の透過度合いをもっと曖昧にする――つまり実写カメラではないような見せ方にする――ものだが、ここではそれらがはっきり描かれすぎて、まるで水槽のガラス越しのように見えてしまう。
Lass新作は路面電車ものか! 素晴らしい。
久々にユリア氏が出演されているのも嬉しいし、CGワークも凄い(前作の絵も良かった)。
『MERI+DIA』や『あるぺじお』にも路面電車があった。
個人的には、岐阜市内の路面電車に乗ったのが初めての経験。京都(嵐電)のは少々味気なかったけれど。
実のところ、体験版はもうながらくプレイしていない。SHC作品のSLG体験版だけは毎回かならずプレイしているが、それを別とすれば、最後に(発売前の)体験版に触ったのはいつだっただろうか。『紅神楽』(製品版2012.07発売。以下同様)のは珍しくプレイしていたが、それ以前となると……『恋神』(2010.10)か? 緑茶の『恋色空模様』(2010.03)も、体験版の独自内容に期待してプレイしていたかも。『精霊天翔』(2010.01)のSTG体験版や『クロウカシス』(2009.12)体験版もプレイしていたし、2010年初頭までは月1本くらいは体験版をチェックしていた。デモムービーも、その頃まではそれなりに――買うつもりの無いタイトルのも含めて――観ていたと思う。
デモムービーも、ここ2~3年分くらい、いつかまとめて観ておきたい。ムービー界隈については、かなり時流に疎くなってしまっているので……。
CLOCKUPは、素晴らしいブランドだと思いつつも、初期作品のバグの噂に恐れをなしてなかなか手を出せずにいた。今回の新作もたいそう心惹かれるので、そろそろあらためてきちんと向き合っていきたい。
うぐー、ACTのプレイしすぎで左肩が痛い……。私の場合、姿勢が悪いとこうなってしまうことが稀にある。SLGの場合は右肩(つまりクリックする右手の側)に来る可能性がある。AVGの場合は、マウスではなくキーボードでクリック代用することが多いが、ゲームエンジン側の設定によって左クリックに対応するキーがEnterキーだったりXキーだったりスペースキーだったりと様々なので一概には言えない。
【 PCゲームの中でのクラシック利用について 】
[ d.hatena.ne.jp/mp_f_pp/20131105 ]
「天国と地獄」は、日本人には「運動会の曲」というかたちで馴染みがあるのだというのは、個人的にはあまり実感が無かったが、言われてみれば確かにそうだ。その種の「せわしく賑やいだムードのクラシック曲」というと、該当するものは無数にあるが、個人的には映画『時計仕掛けのオレンジ』で使われたロッシーニ(「どろぼうかささぎ」序曲、「ウィリアム・テル」序曲)が一番印象深い。ゲーム音楽でいえば、『信長の~』のどれか――たぶん「天翔記」――のBGM群が、古今のクラシック音楽の様式的パスティーシュをふんだんに盛り込んでいて物珍しかった憶えがある。東洋風の響きの中にいきなりバロック調のパイプオルガン曲や典雅なチェンバロ曲や、ロシアめいたトランペットの咆哮が紛れ込んできたり、ロマン派風のピアノソロ曲が入っていたり。
ゲーム音楽などでのクラシック利用(楽器や語法や様式の応用)について全体を展望するという場合、なるほどたしかに、1)楽曲としての構造的様式的要素を抽出しているもの、2)クラシックの既成曲として既知の音楽を引用しているもの、3)原曲の如何はともかく、耳馴染みがあって(あるいは耳馴染みが良くて)自由に利用できる曲の一つとして利用するもの、という分類は理に適った整理の仕方だし、「ゲームの中でのクラシック使用」の意味について考えるうえでも示唆を与える枠組となり得る。例えば、上記『信長』のような例は1)として捉えられる。『WA2』は、2)の範疇で考えると良さそうだが、3)として見る場合にはその評価も大きく変化するだろう。『カルマルカ』の「天国と地獄」もどきの曲は、たしかに3)のレベルだろう。
個人的な好みとしては、旧作BGMのアレンジが新作(続編など)で再び現れてくるのは、非常に嬉しい。実例は無数にあると思うが、『ONE2』で前作(第一作)のBGMのいくつかが軽妙にアレンジされて再登場してきたのはたいへん感慨深かった。『Rance』シリーズのBGM継承――特にあの「我が栄光」――も有名だろう。『果て青』→『アトリ』は、表面上は続編とは名乗っていなかったが。最近は続編やシリーズものをプレイすることがめっきり減ったので、実例はあまり知らない。
もちろん、完全に同一の曲を持ち越してくる場合もある。例えば『BUNNYBLACK』シリーズでは、「フォーゼロッテ宮」や「ギュンギュスカー(※商店のBGM)」など一部の場所固有BGMを続編タイトルにも引継いで再現している。これはこれで良いものだ。
なお、内容上の関連のない新作にBGM素材を流用するものもある(cf. 「PCゲームの制作素材再利用について」)が、これはまた別問題だろう。
03/20(Thu)
『天秤』のキャスト一覧を見たら「おごぉぉぉぉ」と独り変な声を出してしまった。後野祭氏ですよ! しかも久々のダイナマイト氏の硬くて甘い芝居に、木村氏の十八番――この方の十八番はたくさんあるが――の後輩系キャラに、波奈束氏のいつもの芸風に、青山氏の上品キャラ(この方向性はハマリ役の一つ)に、萌花ちょこ氏の陽気な戦士キャラ(!)に、湖月氏の威厳ある芝居ぶりに……予約してなかった(手を出すつもりは無かった)けど、心が動かされるなあ。ところで、意外なことに、姫川氏のサンプルヴォイスがちょっと大波氏に似て聞こえた。
(それでも、あの魯鈍なゲームデザイン、すなわち劣悪きわまりない操作性と、センスの無い独自システムと、明らかに過剰な長時間周回強要と、強化アイテムまみれの育成要素と、でぼの巣並の追加商品攻勢を思い出すと、プレイする意欲も途端に萎んでしまう。この問題については、以前にも2013/02/23付雑記で述べた。高杉氏には今後とも期待していきたいのだが……。)
おぅんごぅるさんって……。
いずれ「どごぅる」さんとか「べるふぇごぅる」さんとか「きるけごぅる」さんも出現するのだろうか。
妙な誤解をしている方がいらっしゃるようだが、博士課程はキャリアとしてそんなにたいしたものではない。1)近年の統計によれば日本全体で見ても毎年2万人弱程度が新たに生まれており、昔ほど稀少なものではない。そしてそれとともに、全体の質も下方に広がっている。2)在籍していたというキャリアだけでは意味が無い。論文を出したかどうかこそが重要なのだし、また、在籍していても当人が知的専門性に関して大切なことを学べたとは限らない。要するに「特別な知性の証明」などにはならない。博士号取得は専門性の証明ではあるが。3)どこの大学だろうが、その程度で「特権階級」に参入できるなどといったことは無い。
要するに、本当に一流の知的な仕事をし続けている人々(研究者であれそれ以外の分野であれ)に比べれば、博士課程程度ではインテリぶるにはあまり足りないし、皮肉としてであれ他人のそのキャリアを持ち上げる必要など無い――当人を思い上がらせて後でもっとみじめに高転びさせたいならともかく――し、そしてその者の現在の言論がバカげているなら端的にその発言の誤謬を指摘してバカにすればよいし、その誤謬や偏見があまりにひどければ当人の肩書に如何にかかわらずただ軽蔑して黙殺すればいい。
言及対象の人物が何者であるかは知らないが、課程を出ていながら、ネット上での政争ごっこに躍起になって、挙げ句素人からツッコミを受けたりしている(どうやらそのようだ)有様を当人の恩師が見たら、泣いて悲しむだろうに……。そのようなキャリアを持っていながらまともなことに寄与できていないのならば、それは恥ずべきことなのだから。
[ www.getchu.com/soft.phtml?id=805382 ]
ここのか氏はまたSD担当だけか……。ブログかどこかで書いておられたが、ご本人がSDを描くのもお好きなようなので、これはこれで良いお仕事の機会なのだろうと思うが。通常のキャラクター原画の方で、フルプライス一本をきっちり担当されたらなあ……。
新記事:「下着表現をめぐるもやもや」
最近、この雑記欄で余計なことを書きすぎているかもしれない。もっとゲームに集中していたい。
と言いつつ、三月ももう残り少なくなってきたが。
『この大空に~』は、車椅子キャラさえなかりせば……。(車椅子キャラ全般がすごく苦手)
03/19(Wed)
『六重奏』のメーカーは、ふぇんぐ、じゃなくて、えーと……。(まだ覚わってない)
ちなみに、fengは「ふぉん」と読ませるのだそうな。
「二次」と書かれると、「二次(創作)」の意味なのか「二次(元の趣味)」の意味なのかが咄嗟には判別できなくて混乱することがある。特に「二次絵」という言い回しでは、どちらの意味でも使われているようで――前者が多少優勢?――、「原作のあるイラスト」なのか「実写寄りではないイラスト、あるいはオタクっぽいイラスト」なのかが前後の文脈からも掴めないということも間々ある。どちらにしても、私自身はまったく使わない言葉だが。
「○○という名の××」という比喩表現も、どちら向きにも使えるので少々ややこしい。「(意味)という名――つまり名目――の(物体)」という形で用いるのが通例だろうが、逆に「(物体)という名――外形上の名称――の(意味)」という使い方も一応出来るから。ただし後者の場合は、「(物体)」の部分がすでに一種の比喩になっていることも多いが。
[tw: 445888555059908608 ]
そうか、知り合いか。それなら私も「故cXXXXXさんの知り合い」という位置づけでいいかな。
いや、だからどうしてSLG系ブランドを列挙する時に毎回毎回毎回毎回毎回Escu:deが無視されるんだろう? もはや怒るどころか、この奇妙な欠落がどうして生じるのか、原因が分からなくてただ困惑するしかない。
もっとも、これはEscu:deだけではなく、e.go!/でぼにも当てはまることであり、そしてSLG専業ではないxuseもLeafも戯画もastronautsもtriangleもpajamas softも緑茶もLiar-softもSkyFishもsealも(一昔前ならabogadopowersやLWやF&Cも)それからいわゆる調教SLGの伝統もその他いくつものブランドもたいてい無視されて、非AVG系美少女ゲームをかなりプレイしている筈の人たちでもAとEとC(そして最近ではN)くらいしか挙げられない。A/E/C/Nの作品がそれ以外のブランドと比べて別格に優れているということはまったく無いのに。そして、Escu:deもe.go!/でぼも、歴史の長さという点でも発売タイトル数の点でも、EやCやNを上回っているし、セールス面でも大きな格差があるというわけではない筈だが。……どうしていつも、あんな狭い認識しか出てこないのだろう。
一つの分かりやすい仮説は、形成されてきたネームバリューの違いとして説明するものだろう。より具体的には、1)明確なブランドイメージの存否、2)知名度の高いタイトルの存否、3)広報への注力度合いといった要因が考えられる。1)については、例えばEscu:deは非常に多様性に富んだ作品群を制作しているが、それは「Escu:deといえば○○」という特定のイメージでユーザー認知を高めていくうえで不利に作用している可能性がある(――その一方、例えばEushullyはSPRGだけを制作しているわけではないが、その分野の代表的なブランドという認識をおそらく獲得しているだろう)。2)については、大掛かりなシリーズものを継続的にリリースするといったことも一切行っていない(――この点では、例えば『Rance』シリーズを擁するalicesoftや、ここ数年『VB』シリーズしか制作していないDualTailと、対照的である)。3)はよく分からない。むしろ、Escu:deは雑誌広告などをかなり積極的に行ってきたブランドのように見受けられるのだが。
ただし、さらに奇妙なのは、ふたたび、e.go!/でぼである。というのは、1)単一原画によるあまりにも明確なブランドイメージと、2)複数のシリーズもの(でぼ時代では神楽シリーズと竜少女シリーズ)のインパクトがある筈だからだ。3)関連商品もかなり出している部類だろう。……固定客を囲い込みしすぎなのだろうか。
SLG系ブランドに限らず、「○○な××」という話題で特定の対象だけがまるで盲点のように奇妙に言及から外れ続けるということは、けっして珍しいことではない。参加者の知識の偏りのせいばかりでもないと思うのだが、どうしてそうなるのかはやはり分からない。
03/18(Tue)
多忙。
そろそろ来月以降の購入計画を立てておきたい。4月と5月は少なめになりそう。
(後日追記:実際に検討してみたら、全然そんなことはなかった。3月予定のいくつかのタイトルが延期していった分、むしろ多くなるかもしれないくらい。)
500円の本を100冊買ってもせいぜい5万円でしかないので、長いレシートを作るのはそんなに難しくはない。もちろん、ただで使い捨てにできる額ではないが、アニメのBD-BOXを1~2個も買えば簡単にオーバーする程度の額なので。だから、面白さの核心部分は「長いレシート」というアイデアそのものなのだろう。
(しかし、持ち帰るのは大変だろうね……。店頭発送してしまえばいいのだけど。)
PCゲームにも極端な高額中古商品はあるが、プレイしたらまた中古で売ってしまえば、最終的な支出はその差額分だけなので、実際には高額商品でもそれほど重い負担にはならない(――ただし、中古売却価格は、確実に保証されたものではないから、予想以上の支出に終わる可能性がある)。中古業者はもちろんのこと、新作販売する小売業者すら、明らかにそのような事後的買取サイクルへ誘導するようなサービス(例えば買取額割増チケット)を提供していることがある。私自身は、いくつかの理由から、ゲームの中古売りをしたことは一度も無いが、ただ経済合理的に考えるならば上記のような理解をすることはできる。
【 ラジオにメールを送るばあい 】
webラジオへ送るメールを「良く」する(あるいはまともなものにする)条件とはどのようなものかとひとしきり考えてみたが、結局、常識的で消極的な注意点しか思いつかなかった。読みやすくする(長すぎないことも含めて)とか、自分語りばかりしない(自分一人で話を完結させてしまわない)とか、ラジオの趣旨に合わせる(他社の話をしないことなども含めて)とか、収録時期のずれを考慮する(特に時節ネタは早めに送る)とか……。手書きの時代だったら「読みやすい文字で書く」というのも重要だっただろうが、電子メール時代ではもはやほとんど問題にならない。このくらいのことさえ守っていれば、あとは収録スタッフが適切にメールを選別してくれるだろうから、あまり心配せずに送ってしまってかまわないと思う。よほど失礼な内容でもないかぎり、リスナーからのメールをもらえるのはスタッフとしても嬉しいことだろうから。
私自身は、過度に馴れ馴れしい文面のメールや、押しつけがましいPN、下品なPN――特にアダルトゲーム系webラジオでは、残念ながら出てきてしまうことがある――などが読まれると、ちょっと嫌な気持ちになることはあるが、基本的には気にならない。
もしかして何かしらの物品を送りたいという場合があるかもしれない。そういう場合は、「可能ならば、送って良いどうかをあらかじめ先方に問い合わせること」と、「食品、壊れ物、大きな物、極端に高額な物などは差し控えること」、「分配可能な物品を送る場合は、ちゃんとパーソナリティの人数分送る(頻繁にゲストが来るラジオの場合は、できれば個数に余裕を持たせる)」あたりが重要だろうか。「相手の好みに左右されそうなもの(食品や服飾品)や、相手のプライヴァシー領域に関わるものは送らない」というのは、ラジオに限らず進物全般に当てはまる問題だが(――たとえばお守りなども、個人の価値観や宗教観に抵触する可能性があるので、避けた方がよい。「合格祈願=北野天満宮」や「商売繁盛=酉の市の熊手」くらい一般化したものならまだしも)。送り先は、そのラジオ宛であることが分かるように書いてあれば、メーカー宛でも、パーソナリティの所属事務所宛でも、基本的には大丈夫だと思う(――事務所というのは、そういう窓口をするために[も]存在するものだろうから)。
芸事/芸能の神様はどうだろうか。車折神社(京都)や天河神社(奈良)など、有名なところは数多くあるし、おそらく役者(声優)の間でもよく知られているであろうし、近隣府県に住んでいなければなかなか行けない場所ではあるが……お守りなどを送りつけることは、私だったら避けておく。
フィクションでも「同い年カップル」に萌えるくらいだし、実生活でも自分と同年齢の人が活躍していたり、あるいは誰かが自分と同年齢だと知ったりすると、なんとなく嬉しくなる。まあ、年上/年下もそれはそれで乙なものだが。
【 ある種の言論姿勢に対する疑念 】
ヨハネ書に由来する「みずから××したことの無い者だけが、××した他人を非難してよい」という主張が、仮に普遍的に行き渡ったならば、どうなるか。この命題が現実化された場合、手のきれいな者は他人を批判し続けることができるし、当該行為をせずにいることが事実上促される。他方で、一度でも当該有責的行為を行ってしまった者は、もはや他人を非難する資格を不可逆的に喪失し、そしてそれゆえ、その後当該問題については一切発言することができなくなる。つまり、この主張は、各人を正邪いずれかのカテゴリーの振り分ける作用しか果たしておらず、そして一度でもその行為に手を染めてしまった者は、絶対的な邪悪の側へと永続的に固定されるだけである。ここには、「改善」の視点がまったく含まれていない。これが社会的な行為の判断基準やコミュニケーションの準則あるいは制度の原理として採用されてしまったならば、それはただ単に「悪」を「悪」として振るい落としていく作用しか果たさない。つまり、他人の言論を封殺することにしか役立たない、あるいは、そのような作用ばかりが極端に強調されすぎている。そして、そこには、いかにして「悪」なのかを多面的に(行為者自身の経験をも参照しつつ)問い直したり、それを実行した「悪人」を矯正したり改心させたりするという側面が、致命的に欠落している。
もちろん過去の悪しき行為は、それはそれで非難されてしかるべきだろうし、今後ともそのような行為をしないようにすることも重要だろう。しかし、発言を封じることは、過去の悪しき行為に対する制裁(サンクション)として適切だろうか? 私には、それは非常に疑わしく思われる。また、他人に向ける主張ではなく、自分自身の行動の準則とする局面で考えると、これは「自分に対して言われたら困るようなことは、他人に対しても主張しない」という態度になる。これは、単なる「保身」の行動原理ではなかろうか? 私には、これが「道徳」の行動原理だとは思えない。
また、上記の主張は、実際にみずから特定の悪しき行為を行った者が他人の同種の行為を非難している場面に対して提起されることがある。たしかに、その者の厚顔無恥な態度を批判したくなるのは理解できるが、しかし、そこで重要なのは「その者が他人を非難していること」ではなく「その者が過去の悪しき行為の償いをしていないこと」に存するのではないだろうか。その発言が、自身の過去の悪しき行為に対する反省の欠如の表れと受け止められるからではなかろうか(――逆に、過去の行為に対して十分に反省していると見做される態度でそれを述べていたならば、おそらく周囲の人々はそれを咎めないだろう)。そう考えると、「みずから××したことの無い者だけが~」というのは、一種のレトリックであって、額面どおりに捉えられる(運用される)べきものではないと言ってよいだろう。
将来にわたって、ひとびとが同種の行為をしないようにすることには、役立つだろうか。先に述べたように、ひとびとがその種の行為に関して他人を非難する資格を保持し続けたいと考えるならば、自分ではその種の行為をせずにいたいと考えるだろう。そのかぎりでは、たしかに抑制効果はあるだろう。ただし、それは非常に弱い動機付けでしかない。ストレートに「我が身をまず正せ」と呼びかける方が、直接的だし、分かりやすいだろう。
最後に、その主張の意味乃至価値の次元で考えよう。例えば、今まで人をあやめたことの無いA氏が「X氏の殺人はいけないことだ」と主張した場合と、過去に殺人を犯したことのあるB氏が「X氏の殺人はいけないことだ」と主張した場合とで、「X氏の殺人はいけないことだ」という主張の意義は変化するだろうか? 何者によって提起されたのであれ、X氏の殺人行為の不当性はそれ自体としては変化しないだろう。この結論に納得されるのであれば、当面の問題である「X氏の殺人行為の非難可能性」については、誰が発言しても構わない――過去に同種の行為を行った人物でも構わない――ということになる。すなわち、最初の命題は妥当しない。
以上要するに、最初に挙げた主張は、過去の悪しき行為を反省させることには役立たないし、現在の問題を解決するうえでも役立たず、そして将来に渉って同種の行為を抑制しようとするうえでも非常に迂遠である。現実の言論活動のルールとするには、残念ながら、不適当だと考えているし、私自身、これに従うつもりは毛頭無い。悪しき行為を目にして、そして自分も過去に同種の行為をしていたと気付いたならば、その時すべきなのは、眼前の悪事に対してただ口を噤んで疚しさのうちに看過することではなく、自らの過去の行為をなんとかする――謝罪するなり撤回するなり――ことだろうし、そして眼前の行為が悪事だと思うならば非難の声を挙げるべきだろう。
実際には、日本では一定の前科がある者は裁判官や裁判員になれない(裁判所法46条1号、裁判員法14条2号)が、これは裁判を司る官職という立場の重さや、その職務に関して要求される社会的信頼の高さに鑑みたものだろう。通常の言論の場合とは比較にならない。
(これについてはもちろん聖書解釈学に膨大な蓄積があるが、それとは一応切り離して、21世紀現在の我々の実生活に関する一般論としては、このように考えられるという話。また、例えばクリスチャンである者同士が当事者間の行動の基準としてこれに合意してそう振舞うことを否定するものでもない。当事者がこれを原則として採用することが第三者に対して害悪をもたらすということも、通常は生じないだろうし。)
このほかにも、「しばしば提起されるが実際には妥当とは言いがたい格言的主張」はいくつもある。例えば「質問に質問で返すな」という主張も、最初の質問者が明瞭な質問を出しており、なおかつ、質問に対して返答を一方的に要求する権限があるという場合にしか妥当しない。質問に対してまったく別の質問――「じゃあ××はどうなの?」――を返すことによって議論を誤魔化そうとする者に対する批判としては、「質問に質問で返すな」ではなく「話を逸らすな」と言うべきだ。このように、世上言われているが実は妥当ではない可能性のある主張というのもたまに存在するので、人口に膾炙した言い回しだからといって簡単に自明視すべきではない。慎重に考えれば、無根拠な要求であることが判明したり、あるいはその場の状況にとっては筋違いな主張であったりするということがある。
03/17(Mon)
【 ファミレスとゲーム 】
記憶のかぎり、ファミレス(あるいはその他のチェーン型洋食レストラン)を利用したことが一度も無いので、フィクションの中で舞台として出てきても、どういうものとして受け取ればいいのか分からず、まごついてしまうことがある。高校まではベッドタウン的な地域に住んでいてそういう外食とは無縁だったし、京都――しかも左京区というやや特殊な地域――にはファミリーレストランの類は少なかったという環境的事情もあるが。その名のとおり家族連れが来店したり、一般的な都市部の中高大学生くらいの日常的なデートでは使ったりする、という感じの理解でいいのだろうか。さすがに『Piaキャロ』的空間だと誤解することは無いけれど。
私がプレイした中だと、個人経営のレストランや喫茶店は多いが、ファミレスはほとんど無かった。『Piaキャロ』シリーズの他は……『いただきじゃんがりあん』と『あると』くらい? 『借金姉妹』の妹キャラもファミレスでアルバイトをしていたか。そういえば『君望』にも。『バイナリィ・ポット』のネットカフェもこちら寄りで捉えていいだろうか。……うーん、結局、自分にとっては本当にどうでもいいジャンルのようだ。
「PULLTOP×PULLTOP」:さくらんがのぞみんについていく(というか受けに回る)ラジオ。
「こいそらじお」:こおちゃんがまなちんを可愛がる(仲良し)ラジオ。
「プリコレ」:夏野こおりが桐谷華の世話を焼く(心の広さを知らしめた)ラジオ。
……こうしてみると、面倒見が良くて精神的に落ち着きのある方なのか。もちろん、これとて無自覚な「素」である筈はなく、ラジオを成り立たせるためにチューニングされた結果だとはいえ。ゲームではむしろ、精神的成熟は不足しているが物事に真摯ではあるといったキャラクターを演じられることがわりと多いのも面白い。いずれにせよ、こうしてPCゲーム系webラジオにくりかえし起用されているのは、周囲からその実力を信頼されていればこそであり、その意味ではこの方が確かなパーソナリティスキルを持っているのは当然だと言える。そしてしかしもちろん、それを当然だと見做せるほど卓越しているのはやはり凄いことなのだが。
芝原氏も、この珍妙なキャラ作りでラジオをやりきっているあたり、只者ではない。凄味がある。
芝原氏も、2010年頃から、旧作キャラの継続出演を除いて、PCゲームへの出演が無くなってしまった。00年代初頭から活躍されていた名匠たちが、この時期に(にも)何人も姿を見せなくなってしまわれた(――そして、近年頻繁に見かける、黄組だらけや桃組揃いなキャスティングには、いささか味気なさを覚えてしまう。そうした「定番の顔触れ」の中に、個人的に苦手な声優が含まれているので尚更)。
03/16(Sun)
ふと思い立って5分ほどgglに向き合ってみたけど、刺さる巫女氏のラジオ出演は「ぐれらじ」だけなのだろうか。ゲーム出演リストの側から、関連のあるwebラジオをチェックしても、出演履歴が他に無さそうなので。
PULLTOP関連のラジオというと、「PULLTOP×PULLTOP」(2007.12-2008.04)の前に、「プチらじ」があったのだっけ。千世とPULLTOPがああなってこうなる前の時期(2005.12-2006.06)。
【 鉄道とゲーム 】
鉄道(esp. 車内)が、作中で大きなウェイトを持つタイトルというと、『SEVEN-BRIDGE』(架空世界のシベリア鉄道旅程)と『ヤミ帽』(「夜行列車の世界」パート)と……他にあっただろうか。車内のシーンがあるという程度ならかなりたくさん出てくるし、公共交通機関全般に視野を広げると先月の『ひとなつの』(※バス)も挙がってくるし、船舶舞台のタイトルも五指に余るくらいは存在する(――『サフィズムの舷窓』『強奸客船』『くるーず☆クルーズ』『V.G.NEO』『海賊王冠』『やどかりタイフーン!』『なないろ航路』『THE RISING SUN』『鎖』『しおさいの悲鳴』。ついでに『ツナバン』も。『SHOGUN8』は宇宙戦艦だったか)。
……あ。最終なんとか電車とかのジャンルは全部そうじゃないか。xuse、かぐや、INTERHEART、つるみく、BISHOP、frill、etc.。すぐにいくつものブランドとタイトルが思い浮かぶくらい、長くて厚いジャンルだ。ただし、私自身は一本もプレイしたことは無いし、これからも無いだろうが。
ロボット模型をマルーンで塗って「阪急ジムだ!」とかやっているモデラーはいないだろうか。
[ blog.livedoor.jp/ichigo_no_tomo/archives/50503634.html ]
ggっていたらこんなのが。最近の記事のようだが……。
新記事:「よけいなはなし」。記事一覧ページには載せない。
いったん書いてから加筆したら、論旨展開がおかしくなってしまった。論文とは他人の前で論証してみせるためのものだなどと書いておきながら、その文章自体が混乱してしまうとは……。
webラジオのCD-ROM商品も、ライナーノートで初出(公開日)、パーソナリティやそれ以外の出演者、制作スタッフあたりの情報は最低限書いておいてほしいよね。みずからが制作し発行した物品について、きちんと資料的価値を確保するのは大事なことなんだよー。
[tw: 445112159744180224 ]
眼鏡は「取る」か「外す」ものだと思っていたが、眼鏡に深くコミットしている人たち(婉曲)にとっては眼鏡は「脱ぐ」ものなのか。これは、「眼鏡キャラにとっての眼鏡とは、衣服と同じように、普通は身に着けているものだ」という認識ゆえなのだろうか。それとも、「眼鏡は単なる装着パーツではなく、衣服と同じように、身体と深く一体化するものだ」という認識ゆえだろうか。いずれにせよ、この言語感覚には真面目に向き合う必要がある。
03/14(Fri)
……というわけで、ポンバでいろいろ購入してきた。出費は嵩んだが、今回買っておきたかった目当てのものはほぼすべて入手できたので満足。
(どうして平日にうろうろ出来るんだとか聞くな! 裁量労働制なんだよ!)
……ということで、まずはフィギュアをきれいにディスプレーしてにニヤニヤしつつ、家計簿と購入リストに記録、記録。そしてシュリンク(ラッピング)を封印解除(レリーズ)、封印解除(レリーズ)。真の姿を我の前に示せ!
『The Rising Sun』(SGP SOFTWARE、2008)は、タイトル"だけ"は知っていたが、これも船上ミステリーものだったんだね(――買いはしなかったが、今日立ち寄ったエーツーで手にとってみた。店頭在庫も多く、わりと古いタイトルも置いてあるので、棚をずっと見ていくだけでいろいろな発見があって面白い)。
青山氏のフリートークを聴いていると、これは氏自身がオタクなのか、オタクを理解しているからなのか、それとももしかして単なる天然なのか、あるいはきちんとした計算なのか、サービスなのか、まったく分からなくてなんだか役者の深淵を覗き込んだような恐怖心を覚える。それにしても、青山ヴォイスでボクっ娘の眼鏡ツンデレ不遇キャラ(「詠」)とは、よくもこんなの作ったものだ。
ともあれ、これで木村氏のフリートークは網羅できた……のかな? 私の知らないところにまだまだ存在するという可能性はあるが。例えばEscu:deはゲーム製品版にスタッフコメントコーナーを設けているのが通例で、声優陣のヴォイスコメントも含まれている。木村氏はEscu:de作品に出演されたことは無いが、他のブランドにもこのようなゲーム内コメントがあったりするかもしれない。また、特典もの(予約特典CDなど)に含まれているという可能性もある。
[ tw: 444168211810881536 ]
この方にはかなわんなあ……。まあ、寝床はともかく御身が「文字禍」に遭わずに済んだのは不幸中の幸いか。(ただし奇しくも私も、ベッドの上に購入物が山積みになっている最中だが。早急に整理収納しないと……。)
[ www.getchu.com/ch/762757/ ]
「とにかく選べばいいんだな」と深く考えずにアーサーをクリックしてしまったけど、実のところフィクションのキャラクターに対して「妻」とか「嫁」とか「ケッコン」とかいうのは好きではない。フィクションはフィクションであって、私自身とは徹頭徹尾無関係な存在に過ぎない――だから「妻」だのなんだのというアイデアも端的に無効、無意味でしかない――と考えるから。それともう一つ、それらが対象に対する愛着の問題をわざわざ「制度」に還元しているところも好きではないが。
前作では、一部キャラはできるだけ厚遇していたが、アレキサンダーもアーサーもハンムラビも始皇帝もワイナも基本与ダメージが低くてずいぶん難儀した。
アニメでもゲームでも、ラテン語っぽいフレーズやキリル文字の文字列があったら、とりあえず手立てを尽くして訳してみるよね。ギリシア語だとやや難易度が上がるが、アルファベットへの置き換えを知っていれば最低限の手掛かりにはなるし、今ではweb翻訳があるのでとりあえず「試してみる」ことはできる。ただし、いろいろ調べてみても結局フェイク(意味の無い文字列)のようだと判る場合もあるが。
……あ。まだベッドの上が空けられていない。(現在0時25分)
03/13(Thu)
新入生が英語に次ぐ第二、第三外国語としてドイツ語とフランス語の両方をきちんと習得していきたいという場合は、まずドイツ語を先に習っておく方がよいと思う。これは特に、1)英語以外に「外国語を一から学習する」という経験が無く、かつ、2)長期的に独仏両方をそれなりのレベルで習得していきたいという場合に、そう言えるだろう。こう考える理由は、ドイツ語の方が、1)英語と異なる文法的特性を意識しやすいので、目新しい文法構造にきちんと取り組む訓練を早期に経験しておくことの効用が大きく、しかも、2)語彙が英語から離れているので、早めに(できるだけ若いうちから)憶えてしまう方が確実だから。
私自身は、教養科目の第二外国語はドイツ語を選択したが、もしもこれがフランス語だったら人生も違ったものになっていた可能性が高い。どこまで本気かは知らないが「単位を取るのが楽だから」という理由で中国語を選択した知人もいたし、少数派としてロシア語選択者もいた。ロシア語こそは、学ぶつもりがあるならば、早いうちに、かつ、きちんとした学習環境(良い教師や良い文献)が確保できる時に、学んでおくべきだろう。
今日こそはポンバに……って、雨!?
うわああん、また「劇団羽海の家」を聴き逃してた! うわあああん! 悲嘆の血涙流すぞ!
『小夜曲』はfengで、『六重奏』はPeassoft……なんとなくメーカーを混同してしまう。どちらのブランドも、これまでほとんど買ってこなかったが今回は購入した。ちゃんとプレイすれば各ブランドの印象もしっかり定着するだろう(――ただし、どちらもこれまでの看板原画家ではないスタッフによる、いわば新機軸のタイトルのようだが)。
【 軌道エレベータとゲーム 】
軌道エレベータの出てくるタイトルは、今のところ私の知っている範囲では、『MERI+DIA』『蠅声』『うさデリ』『アルテミス』『ノスタルジーカ』『BALDR SKY ZERO』『ルーンロオド』『アエリアル』あたり。いくつかは実際にプレイしているが、web上での伝聞情報も含むので、誤りの可能性がある。もう一つ、LiquidかLiLiTHの宇宙戦艦ものにもあったような……とweb検索してみたけど見つからなかった。『星空へ架かる橋』は違うよね? 他にもなんかあったような……。
『MERI+DIA』は、エレベータ周辺やエレベーターのボックス内が最終決戦の舞台になったりもするという、なかなかドラマティックな扱い。『蠅声の王』はその世界を表す意匠(イメージデザイン)の一つとして上手く使われていた。『うさみみデリバリーズ!!』は、北都南ヴォイスによる軌道エレベータ初級講座(「べるの先生の青空授業:なぜなに軌道エレベーター」)が思い出深い。
『うさみみデリバリーズ!!』
(c)2003 すたじおみりす
赤道付近に建設された人工浮島「新船橋市」の軌道エレベーター建設予定地付近の空き地で、天才児「朽木べるの」が講釈してくれるシーン。イラストを交えつつ、軌道エレベーターの基礎と、その仕組み(と諸問題:構造物質問題、資金問題、開発理由問題)の概略が解説される。企画&脚本は西崎秒弥。
「鯖江(さばえ)の王」。吸血鬼クリストフェル……ではなく眼鏡っ娘。
(「王」なら眼鏡っ"娘"じゃなくて眼鏡"ショタ"とか眼鏡"男の娘"の筈だ、とか言わない。)
あ、あれ……ApRicoT Cherryの新作、シリーズ前作からの氷雨川雫役は春日氏のままなのに、『シスタ×シスタ』から再登場の西園鈴音役が一色氏から御苑生氏に交替してる……。何故だ。
03/12(Wed)
積んだ書籍がドサドサと崩れることを「ブックドラフト」と呼ぶ人がいるが、draftでもdraughtでも「崩落」「雪崩」「地滑り」という意味は出てこない――普通ならfall、avalanche、slide(land slide)あたりを使うだろう――ので、どういう趣旨の造語なんだろうかと訝っていたが、試しにweb検索してみたら「『バックドラフト』のもじり」と書かれていた。えー、そんなオチ?(この説が正しいかどうかは知らないが) むしろdriftの方が……いや、それもおかしい。
青基調のイラストは、画像処理ソフトで色反転させると「僕の畏敬する天使様」っぽくなるので、たまにひそかに試して遊んでしまう。例えば[ www.getchu.com/brandnew/785293/c785293table4.jpg ]も、背景の入道雲が爆発の煙っぽくなるわ、白い光球が禍々しい黒点群になるわ、街の遠景がまるで焦土のような煤けた色合いになるわ、発売日が人工的なコバルトブルーになるわで、想像以上にひどい画面になった。中央の「わたしのために泣いてくれてありがとう」も、なんだか別の意味に見えてくる。(ごめんなさい)
なお、『さよならを教えて』の画像を色反転させても、当然ながら、まともな絵にはならない。
webラジオは聴いているけど本編(ゲーム)はプレイしていない、ということはたまにある。
twアカウントを取得したくなってきた。自分がなにかを発信するためではなく、「こいつは駄目だ」というアカウントをきっちりチェックしておく(ブロックする)だけのために。実際には、実行しないだろうが、そう考えたくなるくらい、不快な――不当な発言を繰り返している――人物は多い。twからアカウント撤退してから、そういうのを目にする頻度はこれでもずいぶん下がったのだけど……。
「ホーチキツケテ、ホーチキツケテー」
新記事:「AVGの画面構成と立ち絵の位置表示について」
このあたりの話題を繰り返すことに、そろそろ飽きてきたぞ。
blggrの画像スライドショー機能は、こういう時には好都合だ。
03/11(Tue)
正面からこちらを見据えてくる立ち絵の美しさに、マウスを叩く指が止まる。
最終ルートについて、「隠されていた伏線すべてが一気に解き明かされて~」のような仕掛けを称揚する人たちもいて、それはそれで分からなくはないが、私としては、それまでの個別ヒロインEDで(明示的に)得られたものを踏まえながらさらにその先へ進もうとするグランドフィナーレシナリオに対して好意を抱く。それは、プレイヤーが実際に理解しつつ獲得してきたものをきちんと尊重しつつ、しかも「収束」よりも「広がり」へと指向しているからだ。フラッシュバックによる圧縮された再現もそれはそれで良いものだが、それよりももっと地道に、過去を――それ以前に経験してきたイベント群を――軽くなぞり返して掬い取りながら、さらに新たな図を描いていこうとする過程の方が好きだ。そして、そのような地味なプロセスを歩ませてくれるのは、その登場人物(ヒロイン)たちとその世界全体のための強固な地盤を物語進行の中で作り上げていく白箱系ジャンルこそが、強みとするところだろう。「キャラ萌え」は、シナリオの側にとっても、重要な構成要素の一つなのであってけっして空疎な戯れなどではない。作品の「空気」乃至「雰囲気」と呼ばれるものについても、同じことが言える。
ここで私が何を対比しているかというと、プレイヤーのそれまでの経験とその蓄積を、作り手の側が(つまりゲームデザインの側が、ゲームマスターの側が)、「受け継いで共に発展させていく」のかそれとも「ひっくり返して新たな真相を一方的につきつける」かということだ。ミステリに典型的なその作法は、あくまでミステリのような特殊な分野のものであって、当然に一般的に通用するというものではないと考えている。
わりと「強いカード一枚で勝負する」という傾向がある。マルチタスクな人間ではないということもあり、使える武器を一つに決めてそれをできるかぎり使いこなしていくという方針が通例だったりする。勝負事や交渉事でも、まず最初に最強の手札を切ってそれで行けるところまで行くという素朴なアプローチが多い(――もし駄目だったら、次の手は後から考える)。ゲームなり書籍なりを他人に薦める場合でも、「まずは初心者向けの~」とか「相手の趣味を考慮して~」などといったことはせずに、とにかく自分が最高だと思うタイトル、素晴らしいと思うタイトルを薦めて、それが駄目ならそれまでだと諦めるだろう。
今だったら、『ウィズアニ』『BUNNYBLACK3』『あかときっ!』『恋色空模様』『少女魔法学ep』『桜花センゴク』『雪影』『カルタグラ』『エインズワース』『白銀のソレイユ』あたり……いや、日和りすぎか? 「『わんこ』『いな☆こい』『しろぴか』『ツナ★バン』『まじの』の中から選べ、それ以外は認めない! ムキー!」くらい言ってもいいかもしれない。
(ちなみに、10ヶ月前の私はまったく別の10本を挙げていた:2013年5月14日付雑記。重なっているのはわずか3本。ただし、『翠の海』は、今回は最後の最後で削っていた11本目だし、『桜吹雪』と『雪影』は日野企画同士だが。)
『あねいも2』は、とても良い作品ではあるのだけど、木村氏の演じる幼馴染みヒロインを振っちゃうのになんだかものすごい罪悪感があって、結局コンプリートできずじまいだった。なんか、こう、いろいろと、しんどかった。ただし、しかしながら、他のキャストももうたいへんな顔触れで、これぞ松永氏と言わんばかりの悪戯好きなトリックスターキャラから、佐本氏の演じるヒロインは可憐さの中から滲み出る背徳感、そして一色氏の堂々たるメインヒロインっぷりまで、それぞれ本当に素晴らしかったというのもまた誤魔化しようのない事実だった。
03/10(Mon)
このキャラクターを演じるのが、もしも別の役者だったら、私はこのキャラクターを――そしてその作品全体を――まったく違ったものとして受け止めていただろう。まさにこの声優が、このキャラクターをまさにこのようなものとして作り上げているのだ。この怖ろしい事実を痛感させられる度に、私はゲーム画面を前にしてただ粛然として言葉を失い、頭を下げるしかない。
このことは、同キャラ異演という実例で体験的に確認することもできるだろう。同一テキストでの別演の例としては、『蝶ノ夢』(2009年の追加版で一部キャストを変更した)、『恥辱診察室』(DVD版で声優一新)、『星空のメモリア』(FD同梱版で1キャラのみ交替)、『るいは智を呼ぶ』(FV版で1キャラが声優交替)があるようだ(cf. 2012年8月10日付雑記/8月25日付雑記)。『夢喰い』の作中作も、同作異演を聴くことができる。『美亡人』は「ヒロイン・由希の担当声優を、3人のキャストの中から任意に選ぶことが出来る」(getchuより引用)とのこと。『教えてご主人様ぁ!』も、「声のタイプを3人から3人(声優を変えて)変更できるボイスチェンジ機能を搭載する」(getchuより引用)とされている。
ただし、私はそれらを試したことは無い。また、ある作品のあるキャラクターに対して、特定の別の役者を想定してどのように演じるかを具体的に想像する必要も無い。そのようなことをせずとも、別演による意味づけの違いは十分に確信できるだろう。むしろ、優れた役者による芝居は、「このキャラクターのありようは、まさにこれしかない」と信じさせるほどの説得力を持つものであり、その説得力のために「そのキャラクターの別様の演技」などというものはまったく想像できなくなる。
……夏野こおり、おそるべし。
多少は分かった気になっていたけど、やっぱりちっとも分かっていなかったんだなあ……。我が身の蒙昧不明を恥じつつ、あらためて夏野氏には最大級の敬意と称賛を捧げるしかない。
木村氏との共演作品は、残念ながら非常に少ない。ヒロイン級どうしでの共演は、私の知るかぎり、『ヨスガノソラ』、『わんことくらそう』、『CANVAS3』(※未プレイ)、『七つのふしぎの終わるとき』(※未プレイ)、『まほ☆たま』シリーズ(※未プレイ)、そして続編/FD系の『ずっとつくしてあげるの!』(※未プレイ)と『恋色ah/eh』の計7つのみ。やはり『ヨスガ』の貴重さは際立っている(――ちなみにアニメ版では、PC版で木村氏が演じていた正統派眼鏡ヒロインが、同じく夏野[白波]氏が演じていた小姑的妹ヒロインと厳しく対立するものの、最終的には正面突破で押し切るという劇的な展開になっていた。個人的には、PC版よりもこのアニメ版の方が良いと思う)。
珍しいところでは、『Signal Heart』の体験版で夏野氏が演じていたキャラクターが、製品版では木村氏に交替していたというものがある。
「O73-573」(語呂合わせかよ!)
長寿のwebラジオが200回を超えていたり(曲芸)、300回が近づいていたり(アイチョ)、400回が間近だったり(STP)して、そろそろその「長さ」が直感的に把握できなくなりつつある。例えばSTPは、2006年7月開始なのでもう丸8年になるところ。STPは「胃」が7年半(無/続/酢/ド/裸/ベ/華/輪)と「轟け」が隔週5年半もあるので、仮にすべて合算すると920回以上に……。半分ほどについてはサイトで各回の概要を公開したが、残念ながら概要作成はもう無理だろう。聴き返すだけで200時間は掛かってしまう。学生時代はSHC作品の細かい攻略に百時間単位の時間と労力を平気で注ぎ込んだりしていたものだが、さすがにそういうことはなかなか出来なくなっている。今は「時間は効率的に使いたい」という気持ちがずいぶん強くなっており、その意識は重要なものではあるが、自分自身の活動(の方向性)を制約することにもなっている。
舐め啜り音の上手い声優は、麺類を食すシーンも上手い。(それでいいのか?)
そういうシーンの名技を聴いていると、ふと自分も真似したくなってきて、クリック進行を続けながら試しに口元の動きだけで「んく、んくっ、ちゅるるる、じゅろろろっ」と音を立ててみるのだが、当然ながら本職のそれには到底及びもつかない、情けなくも下品な音が出るだけだった。(でも、ついつい試したくなる……)
『魔触少女マナ』の脚本は寺岡氏なのか! 飯野氏出演と神堂原画は知っていたけど、「さすがにDevil-sealは飽きたなあ」などと失礼なことを考えていたらこんなことになるとは。買わねば。
最近、思考の精度が落ちているのを自覚する。思考というか、情報を「正確に」扱うということを疎かにしてしまっている。精度の問題は、基本的に他の要素(例えば情報量の増加)によって補填できるものではなく、それ自体を解決しなければどうしようもないものなので、もっと気を引き締めて注意していきたい。
03/09(Sun)
ふと『君望』と『WA2』を比較した記事がどこかにないものだろうかと思ったが、いやしかし、そんな出オチみたいな記事はべつに読みたいものではなかった。
そういえば、『WA2』作中で使用されているクラシック作品の曲名はすべて判明したのだろうか。
[tw: 135282142950338561 ]
『ク・リトル・リトルGH』に「ヒバゴン」が出てくるのは、これのせいだろうか? 実は『GH』の方は未プレイなので、判断のしようもないのだが。……きっと西野みく氏が大活躍されている筈だし、優先度を上げてプレイしておこうかな。
某『文化研究概論』に対する私の評価はかなり低い。資料的にも分析的にも、価値が低い。その理由は2013年2月8日付雑記にも書いたので繰り返さない(要するに歴史的視点も構造的視点も分野内在的視点も乏しい)が、こんな大上段のタイトルで出すならもっとマシな内容にしてほしかった。例えば[ advgamer.blog.fc2.com/blog-entry-1639.html ]が結論づけているように、「30年分の記事を無作為に集めたスクラップ」というのがわりと妥当なところだろう。索引を作りはしたが、この本を他人に薦めるつもりはまったく無い。
なお、歴史的経緯についてのより慎重な跡付けとしては、上記ブログの一連の(すでに膨大な)記事群[ advgamer.blog.fc2.com/blog-entry-631.html ]は参考になる。過去の時代についても詳しく書かれているのだが、私自身はwin95/98より前の時期のことはまったく知らない。だから演出論を初めとするいろいろな議論も、基本的には90年代末以降のwindows環境のゲーム群のみを範囲として妥当しているにすぎない。その境界線に分野的断絶――例えば「オタク化」といった線引き――を見出そうとするのは必ずしも妥当ではないと思うが……。
「この時代はこんなに技術的制約があったのにこんな表現があったなんて凄い!」式の技術オリエンタリズムが何故いけないかということは、一度きちんと述べておきたいと常々考えているが、扱いの難しい問題なのでずっと後回しにしている。
【 ゲームの長さとその理由 】
「コンシューマゲームは中古対策として(つまり新作をクリアしてすぐに中古売却されてしまわないために)プレイ時間が長大化した」というのは実作者サイドからの発言も目にするので、おそらく正しい(あるいは少なくともそう意図して制作しているメーカーは存在するであろう)が、PC美少女ゲームにはおそらく当てはまらない。SLG作品の場合は周回フラグとCG配置を組み合わせればプレイ時間の引き延ばしは比較的容易だろうし、あるいは育成要素に適当なニンジンをぶら下げるだけでもそれが実現できる――実際、ninetailやEushullyは典型的にこれらを利用している――が、とりわけAVG作品の場合は、内容を長くするということは端的にその分だけテキストを書き、音声部分を収録し、画像等とともにスクリプトとして組み込まなければいけない。つまり、プレイ時間の引き延ばしにほぼ正比例してコストが嵩むことが避けられない。そしてもちろん、テキストが基礎にあるため、ストーリー全体の整合性が維持されるように配慮しなければならない。このような状況では、中古対策という外在的な、かつどちらかといえば周辺的(局所的)な目的のためにプレイ時間長大化のための処理を施すというのは、合理的ではない。
ただししかし、現実の美少女ゲームは――あるいは美少女ゲームもまた――長大化が指摘されている。何故か。私見では、内的事情と外的事情がある。内的事情というのは、構成上の事情のこと、つまり、多数のキャラクターを適宜登場させつつ、現代AVGの表現様式(例えば台詞進行の時間感覚、視覚演出の密度、分岐フラグ構成と対応した構成感)に即したテンポで物語を進行させようとすると、このくらいのサイズになってしまうことは自然なことだ、というものである。また、外的事情としては、他分野(特にコンシューマ)の大規模化を反映して、PCゲームに対しても「その価格に見合った長さで楽しめること」への要求が高くなってきたのであろうと想像される。
以前にtwを中心として「美少女ゲームは長すぎる」という議論が持ち上がっていたが、その発言者を見るかぎりでは、あの議論にはかなりの年齢バイアスがあったように見受けられる。その長さに苦情を申し立てていたのは少なくとも30歳以上の(元)ゲーマーが多く、他方で若年ゲーマー(20代前半くらいまでの、特に白箱系ゲーマー)はほとんどその議論に反応していなかった、つまり現状に対して表明したい不満は持っていなかった。ただし、だからといって、長さに対する一部の苦情は無視して済ませればよいとは限らない。長さを敬遠して買わずにいる層がある程度の規模で存在するのならば、その潜在的顧客層にアピールしてその層にも買わせるような商品をリリースすることは、有望な戦略になり得るからだ。
新記事:「立ち絵の時代/PC環境の変化」
この楕円形のプラスチックパーツの一部分をトンと一押しする度にヘッドフォンから妙なる声が流れてきてくれるので、犬だか猿だかのようにひたすら快感を求めてカチカチクリックし続ける手が止まらない。
03/08(Sat)
昔の記事も、もちろんこまごまと再編集(加筆)しているのだが、比較的大規模な加筆についてはこちらの雑記側にもメモしておく方がよいかもしれない。
今日は波奈束氏関連のページと「ゲームテキストに対する制約」に追記していた。
不必要に(つまり特定のまっとうな目的が無いのに)ネタバレを見せるのは良いことではないが、しかしあらゆるネタバレを嫌わねばならないということは無いし、そして私見ではネタバレが絶対的に禁じられるべき創作物など何一つ存在しない(――もしもそのような作品が存在するとしたら、そのタネ以外には何の価値も無いつまらない作品だろう)。
[ nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1403/06/news086.html ]
……と書いていたら、ちょうどこんな事件が起きている模様。そもそもネタバレは、マナーの問題ではあり得るとしても、違法行為ではないと思うのだが……。名誉毀損の件は主に拡散形態の問題であってネタバレという特定の内容を問題視する法的判断ではない筈だし。こんな脅しを誰彼構わずにやってしまったら、紹介や解説、批評、研究の行為まですべて圧殺されてしまうよ。
[ www.waffle1999.com/game/52jikan/img/story.png ]
大事なところで誤字をしてはいけないという例。もったいないミスだなあ。
「リラリラ」でトークの間に挟まるCMコーナー(?)はキャストがおそろしく贅沢で、夏野氏、楠氏、風音氏、松田氏、大波氏、西田氏、草柳氏、榊氏等が、普段では聴けない種類の芝居を披露されている。たいへん貴重なので、そろそろ一度全部通して聴いておきたい。
今日は花粉のダメージで集中力が維持できず、webラジオをいくつか聴いた他は、ほとんどろくな仕事が出来なかった。うぐぅ。
03/07(Fri)
問題設定自体がおかしい場合(例えば、問を構成する概念の組み合わせ自体がズレていたり、論点先取的な問いかけだったり、差別的なワードを含んでいたりする場合)には、そもそもその問いには取り合わず無視するのが正しい、ということがある。周囲の耳目を集めようとしてか、それともただ単に不幸にして公平な議論の仕方を学んでいないからなのか、妙に大掛かりなわりに不明瞭な議論を吹かしたりするのに対しても同様。あらゆる議論に対して誠実に答えようとすると、かえって不誠実な(バイアスの掛かった)議論の中に自分の身を置いてしまうことになる場合がある。そういう時は、――まずは一度慎重に考えてみた上でやはりこれはおかしいと思ったら――「あはは、バっカでー」と笑い飛ばしておけばいい。
(この「バッカでぇー」という嘲笑の台詞、どこかの漫画で見て憶えたのだったが、はたしてどれだったか。滝野智のトナカイトークだっけ? いや、違うか? 見下げ果てた侮蔑の「ばぁーか」は、『エヴァ』旧劇場版。)
03/06(Thu)
新記事:「一枚絵の配分」
一気に荒書きしてしまったが、きちんと検討されるべき意義のある論点だと思う。これについては今後とも慎重に考えていきたい。
「劇団羽海の家」、公式サイトにこんなコンテンツがあったとは……聴き逃してた……悔しい。
猫耳+眼鏡なキャラは本当に全然いなくって……。エルフ(or長耳)+眼鏡だったら、まだしも何人か存在するのだけど(――典型的には『BB』シリーズのメリルや『Nursery Rhyme』の凛、『ふぁみスピっ!』のこより。今後の新作だとルネの『女騎士』やアストロの『DEMONION II』にもいる模様)。『BB2』のコナさんは獣人族だが、ゴーグルを首から下げているだけだし、しかもサブキャラだし。ケモ耳+眼鏡キャラが出てこない事情は、解らなくはない。ケモキャラは自然や野性を表す属性だし、そして眼鏡はそれとは対照的に知性や文明、人工性の側のものだから。褐色肌+眼鏡や八重歯+眼鏡のキャラが少ない理由も、これと同じだろう。
仕方ない、アニメに頼るしかないなあ……。(いそいそと『SW』ディスクを取り出す)
萌木原氏もそういうキャラは描かれていなかったと思う。山本和枝氏のあの多産な仕事の中には、もしかしたらあるかもしれない。
[ ameblo.jp/kiwamochi/entry-11409202814.html ]
LoSといえば、『PR』の登場人物「ステッチ」が『ダイヤミック・デイズ』にも再登場しているらしい。そしてこれに関連して、このキャラクターの専用BGMの再利用も行われているとの情報がある。なにやら面白そうだ。
うひゃひゃひゃ。(今日も萌えている)
つくづく、権威失墜の時代だね……。信頼喪失の時代と言ってもいいが。イデオロギー、知識人、銀行(長銀)、メディア、政治家、教育者、作家、省庁(特に厚労省は何度も槍玉に挙げられてきた)、学者(twなどで馬鹿を晒す人も増えた)、芸術家、名産品や名店(食品偽装や料亭不祥事)、大企業、有名大学、ホテル、そして警察(元々信頼すべき権威ではないが)と司法。弁護士ももう危ないし、「権威(あるいは、信頼を前提にされることが見込まれる存在)」として残っていると言えるのは、医師くらいだろうか。スポーツマンや一部の宗教的権威も、少なくとも局所的には残り続ける可能性が高そうだ(――ただし暴力的で抑圧的な「部活」に対するマイナスイメージはかなり広がっているだろうし、相撲のように不祥事を晒して人気凋落したところも多い)。天皇の権威も、よほどのことが無いかぎり当分存続するだろう。プロ棋士がコンピュータに敗北したのは、彼等の責任ではないし、今後勝てなくなっていくとしてもけっして権威失墜ではないが。民間保険(に対する信頼)はどうだろうか。
もちろん、これらの権威の多くは、そもそも権威である必要が無かったのだとも言える。対象に対する不必要な権威化、神秘化、絶対視をやめて、公正かつ慎重な目で見られるようになったというのは、それはそれで良いことだと思う。スペシャリストも、所詮その分野に限ってのスペシャリストでしかないのだし。
尊大な口ぶりで脚本家の筆力の無さを指弾している人物の、その批判の文章自体が拙劣だったり誤用含みだったりするというのは、残念ながらけっして珍しい風景ではないが、しかし制作スタッフとしては、「だからこの非難は無視してよい」ということにはならない。むしろ、「言語的デリカシーの足りないユーザーにまで『駄目だ』と思わせてしまったということは、本当に深刻な欠陥(つまり誰の目にも明らかなロークオリティ)である可能性がある」と考えるべきだろう。PCゲームのライティングは、アーティスティックな言語表現が第一義的目標というわけではないので、多くのユーザーが無理なく楽しめるように――つまり不必要な引っかかりを覚えさせないように――脚本構成するというのは、消極的ではあるがけっして瑣末ではない、重要な価値の一つだ。
そして、その一方で、ユーザー側も、ライターたちの言語的挑戦を、つまり一般的ではないアーティフィシャルで非慣例的な試みを、ただ冷やかしたり茶化したりするのではなく、まずは受け入れて楽しんでみるようにすべきだろう。そもそも、創作物に向き合う姿勢とは、できるだけ最善の見方をしようとするものであるべきだろう。対象から最も多くのものを汲み出そうとすること、換言すれば対象を最も豊かなものにするような読み方をすること。芸術の価値が実用によって規定されるものではない――つまり実用性(社会的有用性)のごとき外的な価値基準や価値目標が自明に提供されるわけではない――以上、内的な価値を増すように解釈されるのでなければ、作品の意義はただゼロのままで終わってしまう。時間を費やして作品を経験した受け手の側にとっても、同じことだ。もちろん、対象(作品)から引き出せるものが量的に多ければなんでもいい(どんな無理な解釈をしても構わない)というわけではないし、ただ褒めればよい(持ち上げればいい)という話でもない。対象のマイナス面を指摘してはいけない、ということでもない。しかし、その対象(作品)に触れる経験の中から読み手が最良の果実を得ようとすることは、通常、対象を最も優れたものとして理解しようとすることから、つまり、対象を最も優れたかたちで自分の中に(再)構成しようとすることから、始まるものだろう。いささか古い立場だが、私はこう考えている。
03/05(Wed)
新記事:「ゲーマーの年齢と時代」
いろいろと思い返してみて、「ああ、あの方はずいぶん上の先輩だったんだなあ」とか、「意外にあの方は若かったのか」といった発見は面白かった。
例として挙げているタイトルには、それなりに意図がある。その年の話題作だけでなく、有名ブランドのデビュー作や出世作、そして歴史的に大きな影響のあった作品などを、いろいろとバランスを考えて配置したつもり。「かぐやの出世作は『人形の館』だ!」とか、「いや、『ナースにおまかせ』の方がインパクトは大きかったのでは?」とか、「いやいや、『MWA』の方がメジャーでしょ」とかいった異論は多々あるだろうけど。
ま~まれぇども、次でもう9作目なんだねえ。初期作品は(キャスティングの素晴らしさにもかかわわらず)ご縁が無かったが、そしてCGワークの異様なハイレベルっぷりが誰の目にも明らかになってきたのはわりと最近(『キスと魔王と紅茶』以降)のことだが。
成瀬氏の原画は、かわいらしいとは思うが、構図の趣味がなんとなく肌に合わず、見ていてたまに苛立たしくなることがある。
こちらのブログに移ったのは、ちょうど良い時期だったのかもしれない。以前のブログは、公論に訴えるための、理論的枠組づくりを意識したものだったが、今は(今このブログでは)もはや他人に対するアピールはまったく意識していない(必要としていない)し、理論的精緻化などは放棄してただひたすら声オタとして自分自身のために楽しんでいる。もちろん、役割や目的が異なるようになったのは、ブログを替えたからでもある(つまり因果関係が逆である)が、しかしそれに向かう萌芽は先のブログの最後のあたりには明らかに見え始めていた。
このブログの文章では他の人々にとっての読みやすさなどはまったく配慮していない――実際にも事実上誰にもろくに読まれていないと思っている――が、しかし前のブログでは、ある程度意識していた。けっして晦渋さを免れたものではなかったが、しかしあのくらいならば、そのテーマに関心のある人ならば読める筈だと信じていた。実際、文体や語彙が自分の理解のレンジを多少外れていても、そこで扱われている内容が自分(読者)にとって親しいもの(それなりに既知のもの)である場合には、さほど苦労せずに読めるものだというのは、私自身の経験則でもある。もっとも、共通のテーマで考えていても、極端に思考様式が異なる相手の思考についていくのは大変だ、というのもまた確かだが。
このブログを読んで楽しめる可能性があるのは、声オタ兼任の現役美少女ゲーマーくらいのものだろうけど。そのくらい狭い話をしているのだということは自分でも理解している。
『ゆのはな』(2005)の「ゆのは」さんを演じていたのは北都氏だったと錯覚してしまうことがたまにある(実際には「ゆのは」役は七原ことみ氏)。でもでもだって、PULLTOPブランドで、藤原原画で、尊大な神様キャラで、ちっちゃくて、空に浮いたりして、しかも守銭奴だったりもする(リアリスト)だなんて、これはもう100パーセント北都南キャラじゃないですか!
実際にPULLTOPの藤原原画作品では、『夏少女』(2003)、『遥かに~』(2006)、『ベルスターズ』(2009)とその関連タイトル、つまり『ゆのはな』以外の全タイトルに出演されている。最初に藤原氏と北都氏が組んだのはUNiSONSHIFTの『ゆにっ娘ま~じゃん』(2001)のようだが。
七原氏もPULLTOP常連であり、そして優れた役者さんであることは申し添えておく。
『ゆのはな』は、その前後の時期と引き比べてみると、00年代後半にいくつか現れた「神様キャラがいきなり現れて主人公の状況を決めつけてくれる」という流行――個人的にはたいそう気持ち悪く感じていた[tw: 6019735216988160 ]――の先駆的存在のようにも見えてしまいそうだが、実際には、物語に対する設定の優位(締め付け)はそれほどきつくはなかったし、あのコミカルな陽性の雰囲気のおかげもあって、マイナスイメージは持たなかった。
[ erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/user_game.php?user=twilight&game=10441 ]
たまたま目に入ったこの感想が、笑いのツボに入ってしまった。いや、けっしてこのtwilightという方に対して敵意や反感があるわけではなくて――そもそもこの方は700本以上プレイしておられる凄い人物のようだ――、ただ単に「こんなあからさまなタイトルを買っておいて、そんな文句が出てしまうのかw」というその状況の不思議さ。私はわりと、「思ったよりも××だぞ」というとぼけたシチュエーションに笑ってしまうタイプなので。
「あれ……この世界、一ヶ月間一度も雨が降ってないぞ」ということはよくある。現実の降雨頻度に合わせる必要などないという当然の話でもあるが、作品の目指す方向性からして雨天シーンが合わないという判断もあるだろうし、そもそも降雨差分を作るのは手間の割に報われないだろう。ただし、通り雨(による衣服濡れ)にはその種の需要があり、実際にも一定頻度で見かける。通り雨(と雨上がり)で個人的に最も印象深いのは、やはり『夏めろ』、高村橘花パートのラストシーン。
「忘れないで。空がこんなに綺麗だったこと――」
『明日の君と逢うために』の七海デートシーンの雨も、有名な部類だろうか。『とっぱら』『さよならを教えて』『神樹の館』など、全体の中でさほど重要ではないがなんとなく印象に残っているという雨天シーンもある。『パンドラの夢』にもあったような、うっすらとした記憶がある。『AYAKASHI』プロローグの雨も、閉塞感と切迫感を煽るもので効果的だったし、『白詰草話』の第4話もまさに「雨歌」と題されたウェットで落ち着きのある一幕だった。
ああ、いいわあ~、二人称「キミ」の呼びかけとか、名字呼び捨ての呼びかけとか、幸せすぎる。
(現実でも、「キミ」はあまり使われなくなってきたよね、残念ながら。)
萌え系は、プレイしていると楽しくて楽しくて楽しすぎて、「ほ、ほあー!」な興奮状態になってしまって、たまに中断しなければ身が保たなくなってしまう。なので、全体としてのプレイ速度はかなり落ちる。幸いにも最近の白箱系は音質の良いものが多いので、中断している間もBGMだけは流したままにしておくと、ゲームの雰囲気を維持しながらゆっくりと気持ちを落ち着かせられる。
大学で京都に来て、一流のアーケードゲーマーたちのプレイをじかに観ることができたのは、私にとって非常に重要な経験だったのかもしれない。自分がどれだけ頑張ってもおそらく届かないであろうハイレベルな境地にいて、しかもさらに無数の試行錯誤を重ね続けている。特にスコアアタックプレイヤーたちは、STGであれ格ゲーであれ何であれ、後ろから拝見しつつただただ敬服するしかなかった。「ゲーマーとはすごいものだ」ということ、「ゲームのプレイはこうやって自分で開拓していくものであり、ゲームにはそのような開拓の余地がいくらでもあるのだ」ということ、「ゲーマーにはもっと先があるのだ」ということ、「ゲームの仕組みはこうなっており、その仕組みはこうやって見出していくものだ」ということが、多少なりとも分かるようになってきた、最初の経験だった(――また、オタクに対する当時の私の愚かな偏見を取り除いてくれたという点でも深く感謝している)。ただし、彼等が何をやっているのか、そしてそれがどれだけ高度なことなのかを理解できるところまではようやく行けたが、しかしそれ以上には行けなかった。そして今でも、あの名も知らぬ方々や、ゲーム誌のハイスコアネームでしか存じ上げない方々(実際、全一プレイヤーが何人もいた)には、まったく追いつけていない。
ほああー。
(声優さんの芝居の絶妙の語り口に痺れて休息中。ナレーションも良いよね。)
03/04(Tue)
うにゃうにゃ考えてみた新記事:「シリーズものを順番にプレイする?」
書きながら考えてみたが、やっぱりよく分からないので、ひきつづき意識に留めておこう。
アニメ版『桃華月憚』は、最終話から第一話へ向けて遡っていくという放映順序だったらしい。瞬間的なフラッシュフォワードを超えて、(話数制単位ではあるが)全面的な逆行進行を行ったというのはユニークきわまりない。
映像作品でのフラッシュフォワードというと、『ラン・ローラ・ラン』を思い出す。楽しい作品でした。
シリーズ全体について自分なりの理解と展望を得たい場合に、(順序はどうあれ)全作品をプレイした方がよいのは当然だが。つまみ食いで適当なことを吹かすのはいけない。
新記事:「フィクションにおける高校、大学、会社」
どちらかといえば「フィクションにとっての」と言うべきだが。
私としては、「年齢不詳『学園生(高校生どころか中学生っぽいものすらある)』ならまだしも、大学生にもなって暴力的ツンデレとか、大学生同士の初心で純粋な恋愛とか、大学生にもなって異能バトルで自己実現なんてのは、さすがに説得力が著しく低下するでしょ」でしかない。大学生にもなって「かわいい後輩を小動物扱い」という失礼さも、読者の現実感覚が作品享受を強烈に阻害すると思う。他方で黒箱系では、大学生主人公もわりと存在するのだし。
本文でもちらっと言及したが、「SFは売れないと思われている」というのと同じで、「大学舞台(大学生主人公)は売れないと思われている」というのがおそらくあって、そしてその思い込みが存在すること自体が深刻なのだと思う。実際のポテンシャルとは無関係に、そういうバイアスが確立されてしまうと、非常につらい。
03/03(Mon)
マユゲー。太眉キャラかわいいよー。
うーん、次は何をプレイしようかな……。基本的に、プレイ順序の計画は建ててなくて、場当たりでやっているだけなので、こういう躊躇逡巡はいつものこと。ただし、これと決めた新作SLGタイトルは、可能なかぎり最速でプレイするようにしており、そのための時間的余裕は空けるようにしている。それと、同一クリエイター(特に原画家)の参加タイトルを続けざまにプレイするのは、一度試してみて中毒気味になったことがあるので、連続させないようにしている(――声優さんの場合は、出演作を連続プレイするとむしろ幸せが強化されるのだけど)。全体としては、白箱系/ダーク系/ピンク系を適宜切り替えながら、ロープライスを間に挟んでいく感じだろうか。ロープライスを除外した直近10本の傾向を見ると、「白-黒-SLG-白-黒-桃-黒-SLG-桃-黒」……きれいにバラけている。ただし、これはかなり大雑把な分け方で、例えばここで仮に「黒」に分類したタイトルは、狭義の黒箱系(アダルトシーンの多い蹂躙もの)だけでなく、伝奇ものやシリアスSFなども含んでいるので、実際には陰惨な作品ばかりプレイしているわけではない。
あまり正確でない手許のリストで計算してみると、プレイ済みアダルトゲームの中で、
- 学園恋愛系:33%
- SLG系:30%(※STGやACTを含む)
- ダーク系:29%(※伝奇ものやバトルものなどを雑多に含む)
- ピンク系:9%(※典型的にはTechArts系列のような、非蹂躙系の性的放縦もの)
となった。そのうちロープライス(税抜4000円未満)は20%。どうやら、幸いにも、なかなかバランスの良い配分でプレイできているようだ。ただし、「SLG」という項目だけはストーリー傾向の要素ではなくゲーム形式の要素であって他の要素と垂直に交差しうるが、ここでは「学園+SLG」(例:『グリンスヴァールの森の中』)も「ダーク系SLG」(例:『英雄×魔王』)もすべて「SLG」としてカウントしたので、「SLG」カテゴリーの割合はやや大きめに出ている。ちなみに、三年前は学園恋愛系が36%だった[ twilog.org/cactus4554/date-110521 ]ので、やはり白箱系のプレイ比率はいささか低下気味のようだ。
もしも機会があれば、他のゲーマー諸氏の状況も尋ねてみたい。白箱系100%の方もわりと多そうだし、SLG専業で風変わりなプレイスタイルの追求に大量の時間を投入している方もきっといらっしゃるだろう。最近ではピンク系ジャンルを好むユーザー層も大きくなってきたようだし、あるいは「一色氏の出演作ならジャンルを問わず必ずプレイする」というような方もいる筈だ。もちろん、私のような雑食派も。
【 ワントップヒロインの幸福 】
あまり深く考えずにユーザーとしてエゴイスティックに言うと、そして任意の一人の役者に関する話として言うと、本当に好きな役者さんの場合には、たくさんタイトルにちょこちょこと出演されるということよりも、一つのタイトルでトップヒロイン(主役/主演)として存分に芝居を披露してじっくり聴き込ませてくれるのが嬉しい。
その意味で、ワントップヒロイン型の作品は、どれもたいへん楽しかった。『ブラウン通り』(大波氏)や『プリっち』(大波氏)、そして『瀬里奈』(青山氏)、『ひめしょ!』(西田氏)、『とっぱら』(佐本氏)、『バルバロイ』(高原氏)、『3days』(一色氏)、『雪影』(安玖深氏)、『シンシア』(まき氏)、『皇涼子』(伊東氏)、『淫妖蟲』(涼森氏)、『おとぼくFVP』(神村氏)、『マシンメイデン』(鮎川氏)、『うち妹』(涼森氏)、『パトベセル』(未来羽氏)、『わんこ』(木村氏)、『いな☆こい!』(木村氏)、『レムティアナイツ』(水瀬氏)、『少女魔法学ep』(西田氏&野神氏)、『桜吹雪』(茶谷氏)、『星空のメモリア』(杏子氏)、等々。『巫女さんファイター涼子ちゃん』(安玖深氏)、『Wizard's Climber』(大波氏)、『エスカレイヤー』(鷹月氏)、『ふぃぎゅ@メイト』(青川氏)、『魔法が世界を救います!』(逢川氏)のような、トップヒロイン≒主役≒プレイヤーキャラのSLG/ACT作品も同じく。『パンドラの夢』の終盤も、悲劇的な展開ではあるが、文字通りの大波こなみ独演会になっていた。『さかここ』シリーズ(青山氏/まき氏/木村氏)のようなロープライス作品にも、聴き応えのあるタイトルは多い。NYAON氏チームの作品も、しばしばこの種のワントップヒロイン傾向があり、しかも西田氏や佐本氏をそこに起用されているので、やはりプレイせずにはいられない。
というわけで、今月末の『ラストリゾート』にも期待だ!
桜川氏の場合はどれを挙げたらいいだろうか。一昔前だと『モノごころ』か。『剣乙女ノア』あたりも堂々たる主演だった。北都氏だったら、『Maple Colors』『燐月』『宵待姫』『ましろぼたん』がはっきりした主演作だが、この方を特に聴き込むという場合にはどの作品がいいだろうか(――物語上の主役であることと出番の多さとは同義ではないからね。『Piaキャロ3』とか)。『DAISOUNAN』の序盤は、松永氏の演じるキャラと二人きりで未知の惑星の漂着生活をするというもので、2周目以降のプレイでもその幸せを振り捨てて次のモード(人が増える)に進んでしまうのがあまりにも惜しくてずっと二人きりの生活を楽しんでいた。これ以外でも、ユニット編成に自由度のあるSLG作品では、特定の声優の演じるキャラクターたちを優遇してプレイすることができる場合がある(――典型的には『BUNNYBLACK』シリーズ)。
繰り返し繰り返し聴いていたディスクでも、ヘッドフォンを変えて聴くと、それまで聴けていなかった音や、理解できていなかったバランス、気付いていなかった色合いの変化など、多くの発見があり、あらためて新鮮な感動がある。「これまでは聴けていなかった」ということ自体、恥ずかしいことだが。楽譜を見ながら聴いていた曲なのに……。
榊るなはいつでも天才的だな!
夏野こおりはいつでも絶対的存在だな!
美少女ゲームは空間の芸術になっているのだなあ。先日の記事でも書いたことだが。
そして、重要なことだが、この表現世界はけっして単純に――自然に、無策に――出来ているものではない。きちんとしたコンセプト設計、一枚絵画像からBGMに至るまでの高品質な素材制作、状況に応じた的確な演出処理、そして声優陣による豊饒な芝居、それらがあって初めてこの楽しい物語空間が成立しているのだから。周到に意図された、精緻な人為による、設計と構成の産物だ。
「ういんどみる風の被害者型ツッコミ」は、もはや一つのスタイルとして確立されているのかもしれない。他作品をプレイしていて、そういう印象(あるいは既視感)を持ってしまうことがたまにある。CVイメージはもちろん安玖深氏か成瀬氏。
[ 4getatrainsection.blog74.fc2.com/blog-entry-1374.html ]
2年以上前の記事だが、そして議論のベースライン(基準線)を低くしすぎのようにも思えるが、中古購入(中古市場)にもこのようなかたちでメーカー側へのメリットがあるということは認識しておいて良いだろう。ただし、これはかなり迂遠な影響の話であり、「効用が無くはない」という消極的肯定であって、メーカーへの経済的還元を最大化するためには新作予約購入がベストであるということに変わりはない。
一乗寺に住んでいたこともあるけど結局テンテンユーに行ったことは無かったし、浄土寺にいた頃もマスタニの前は通り過ぎるだけだったなあ……。知人に連れられて行くことが多かったトンリューは美味しかった(食べながらよく映画の話をしていた)し、カショウ(近所では珍しい中華専門店)のもピーナッツオイルのようなものが掛かっていて、その甘みが好きだった。新しく出来たヨシダヤも、食べやすくて気持ち良かったので、帰宅前などに何度か立ち寄ったことがある。隣の研究室の人たちはアカツキの常連だったそうな。……京都の学生生活ってこうなるよね。
キャラクターが複数人いても、それぞれに外見や声の違いはあっても、「なんだかこいつらみんな金太郎飴みたいだな」と感じてしまうことがある。妙になめらかに意見や行動のテンポが一致してばかりだったり、各キャラの知識レベルが妙に均一だったりして、人格の違いも立場の違いも思考の違いも感性の違いも何も感じられない――卑近な言い方をすれば、要するに書き分けられていない――テキストは、読んでいてつらい。黒箱系でも生じる現象だが、白箱系で生じてしまった時の方がダメージは大きい。この問題は、おそらく脚本に起因するもので、個々の声優がどれだけ頑張っていても覆すのは難しい(――個別収録する声優の側では、おそらく非常に認識しにくい問題でもあるだろう)。
ただし、十年以上前のヒロインたちが、縦割りの「属性」ベースで明確に異なったベクトルを与えられ、口調から行動までそれぞれ極端に誇張された仕方で表現されていたのと比べると、現在の白箱系のキャラクター造形は穏健で繊細なものになっているのだという点は、認めなければいけない。上記の問題は、脚本家たちが必ずしも常にそのようなデリカシーを完全に受け止めきれるわけではないということの、ほんの些細な実例の一つに過ぎない。だから、個別的な不満としてはともかく、全体としてはあまり声高に問題視する必要は無いと思う。
03/02(Sun)
[ id.cologne.co.jp/title/loverelation/images/ev_kori01.jpg ]
アニメでもたまに目にするあの呪わしき下品な白線がゲームCGにまで現れるとは……。getchuのサンプルも同じエフェクトだし、他のサンプルCGはもっと単純な白一色隠蔽になっているので、この白線付きの状態が製品版の完全なCGそのものだと思われる。この作為的な白線は、見るたびに不快感とともにしらけちゃうんだよね……。隠された部分を見たいという話ではなくて、その露骨な不自然さに冷や水を浴びせかけられるのが気持ち悪い。
このブランドは『初恋予報。』とかをリリースしていたところ。咲氏をメインヒロインに起用されていたり、下着のフリル表現がきれいだったりしたので、新作も上手く行ってほしい。
フリルは描くのも塗るのも大変だろうけど、しっかり描き込んであると可愛らしさが引き立つので、見ていて楽しいし、そういうところをきちんと描いておられるブランドは応援したくなる。レース生地の細やかな模様をきれいに表現されていたり、半透明のヴェールを柔らかく上品に塗ってあったりするのも、実に素晴らしい。下着の皺を緻密に描き込むのも、観念的には同じ方向性のようだが、しかしこちらは少々事情が異なるような……。
[tw: 437898888301666304 , 437906690575310850 ]
AVGのシステムは(初歩の)日本語学習に最適だという話も、どこかで聞いたことがある。クリック待ちによって一行ずつ自分のペースで読み進められ、立ち絵や一枚絵によって状況説明が視覚的に補助されるし、ネイティヴジャパニーズの本職声優による正確な発音を聞くことができ、しかもヴォイスリピート機能もあるので繰り返し聞ける(音量調整まで自由に出来る)し、物語テキストなのでとっつきやすいし、語彙や表現も日常的なものが中心なので、学習素材として実用的だというのは十分あり得る話だ。なかでも、地の文が切り詰められて会話中心のテキストで、しかも主人公にも音声が付いているものだと、いっそう好適だろう。要するに超多機能な親切設計のデジタル絵本を作れる環境なのだと考えれば、教材としての利便性はよく理解できる筈だ。ただし、既存(実在)の市販PCゲームについて言えば、性描写要素の存在は問題になるし、日本文化学習のつもりで読まれては困るが(――これほどの多機能性が、元々はおそらく性的「実用」のために開拓されたという側面が大きかったであろうというのは、奇妙な逆説的状況だ)。
利用範囲は外国人向けに限らない。『水夏 おー・157章』のように、一般向けのデジタル教材としても、AVGのフォーマットは有効利用できる。
[tw: 436671396660264960 ]
「なんでやねん、あはは」と声を出して笑ってしまったが、『雨芳恋歌』(2011)以来のキャラメルBOX新作ということでほっとしたし、この原画/脚本チームも良い作品を作ってこられた方々なので、とにかく買おう。
『エクストラソウルズ』の原画はあのYUKIRIN氏なのか! 00年代後半からは同人専業みたいになっていた(実際、07年から09年秋頃まで商業PCゲームでの実績が無かった)ので視野から外れてしまっていたが、ここ数年は邪恋やabeliaで何本も出されているのか……。我が身の無知不明を恥じるしかない。くっきりして清潔感のある描線、きれいにまとまったヘアスタイル、輪郭の美しいツリ目っぷりとクリッとした黒目表現、クリアな仰角構図、よく整理されたボディラインと肉感的な股間表現のコントラスト、等々、かなり好みの原画家さんだったのに。
既発売作をチェックしていたら、『操心術0』(2011)のキャストが幸代氏に金松氏に羽高氏という素晴らしい組み合わせ。「幸代」氏名義での最後の作品でもある(――「松永」氏としての最後の出演タイトルは同年6月の『雪鬼屋』。ヒロイン級としては同年1月の『そらいろメモワール』の「氷上河シア」役が今のところ最後のようだ)。
03/01(Sat)
買い物に行こう。家計簿のうえでは2月扱いにしておくが。
『英雄*戦姫G』はサンプルCGに眼鏡キャラ優遇の気配があって気持ちが揺らぐ……。
新記事:「特典提供の諸形態」
『ラストリゾート』は、このサントラ(兼、追加コンテンツ)も買うことにしました。
ちなみに英語の"last resort"には「最後の手段」という意味があるのだが……本編で妙な背景設定が出てくるのではないか、というなにやら不穏な気配がしないではない。旧「千世」スタッフが流入した現PULLTOPには、一筋縄ではいかない物語展開のしたたかさがあるのだし。
(それにしても、旧千世の主要スタッフがPULLTOPに入って、旧PULLTOPの看板スタッフたちがSEVEN WONDERになっているというのは、内部的経緯がどうだったのかは分からないが、ずいぶん奇妙な玉突きだよね……。千世も好きなブランドだったし、SEVEN WONDER作品も買っているので、プラグマティックに考えれば結局、現状に不満は無いのだけれど。)
関連商品は、たくさん作るところと全然作らないところとが二極化している感じ。商品展開の大きい作品ではサントラ、webラジオCD、ドラマCD、ノヴェライズにコミカライズ、そしてキャラソン、タペストリー、抱き枕、タオルケット、クリアファイル、マウスパッド、マグカップ等々(をそれぞれヒロイン人数分)となんでもかんでも出しているが、作らないところはサントラすらリリースしてくれないのがもどかしい。ちなみに、最近ではVFBはあまり制作されなくなっているように感じる。
ところで、どうして『ラストリゾート』は大分県の地名シリーズ名字なんだろう? やはり南国イメージから? 『水平線まで~』が西鉄駅名シリーズ(福岡県)だったのと同じようなものか。名前の方も「海」「さんご」「渚」「帆」「汐」「波」「航」と海洋関係だし(……「夕陽」は?)。
……というわけでいろいろと買い出しに(あるいは買い込みに)行ってきた。店頭で目にした『ハピメアFD』も、当初買う予定は無かったけど、勢いで買っちゃった。関西は残念ながら雨天だったが、キャリーケース持参で対策は万全。ただし、床敷き広告のキャラクターを轢いてしまわないようにするのが大変だった。
FDを買うのはずいぶん久しぶり。えーと、2011年の『あかときっ!』FDと『恋色』FD以来か。最近ではFDも減っているし、FD/続編/番外編等の区分も明確ではないが。
『ひとなつの』は「バスシステム」がちょっと面白そうなので、早めにプレイしたい。……って、これ、ハイクオソフトだったのか! 気付かなかったが、なるほど、こういう妙なシステムを持ち込むのはいかにもハイクオだ。『バカ燃え』は木村氏企画というのをすっかり失念していたが、とにかく買いはしたので結果オーライ。そして異彩を放つ『110』。「病院が舞台だったら119番(救急番号)じゃないのか?」と思ったけど、そこがどうなのかはプレイしてのお楽しみとしよう。まあ、脱走死刑囚主人公らしいので、110番でもいい筈だが。もう一つ疑問なのは、これをどう読めばよいのか。「いちまるまる」? 「ひゃくじゅう」? 購入タイトルは読みとともにリスト登録しているので、真面目に問題だったりする(――さらに言うと、Excel上では数字オンリータイトルは、デフォルトのままだと文字列としてではなく数字として認識されてしまうのも問題)。『六重奏』は、萌花ちょこ氏がこのタイプのキャラを演じられるのがちょっと意外だったので、どんなふうになってくれるか期待している(――公式サイトのサンプルヴォイスを聴くと、かなり良い感じ)。『美少女万華鏡』は、珍しい薄型トールケース。
後日追記:EGScapeでは、『110』は「い」に入っていた。「いちいちぜろ」か「いちいちれい」で登録されているものと思われる。正式な(公式の)読み方は、実際にインストールして起動したらタイトルコールで判別できるかもしれない。
ポンバにも、今月中に一度くらい行っておきたいなあ……。
[tw: 437424885208334337 ]
さえき氏のサイン会があるのか! いいなあ……行けたらなあ……。
そういえば、前のブログでは雑記欄のトップに「今月の目標」を書いていたっけ。ということで――
今月の目標:少なくともフルプライス5本はプレイしたい。できれば8本くらいは……。