2013/09/20

波奈束氏について

  波奈束氏について。


  2013/09/20
  ああ、波奈束氏のS声いいわあー。普段の台詞でもなんか妙に当たりがキツくて、しかしけっして陰に籠もらずクールな心地良さがあって、すごく楽しい(――金田氏と組んだ短いラジオの時もそうだった)。発声も、個々の台詞の最初の入りの瞬間から誤魔化しなく一気に声が出ているように聞こえ、速度感と見通しの良さがあり、全体にピンと張ったテンションとともに、非常に爽快感のある芝居になっている。

  こうした特質は、(意外に思われるかもしれないが)アダルトシーンでも存分に発揮されていて、よく通るその発声のクリアさから吐息表現が不規則に突き刺さってくるその勢いの良さに至るまで、聴いていてドキドキさせられる。また、ナレーションに際しても、その明晰さと流れの良さは十分に活かされており、たいへん聴きごたえがある(――ナレーションの音声サンプルは、例えば『星ノ音~』公式サイトの「ストーリ紹介編」サンプルヴォイスで聴くことができる)。

  こういうSキャラ向きの資質を持った方は、男性向けPCゲーム中心の女性声優の芝居ではわりと稀少で、管見の限りでは波奈束氏の他には高槻氏や乃嶋氏くらいしか思い浮かばない。かわしま氏やももぞの氏は、たしかに凛々しくあるいは時として威圧的なキャラクターの芝居をされているが、それらは常に「役」の範囲でコントロールされきっていて、そういう意味での圧力や素(?)の迫力はほとんど感じない。


  こうしてみると、いよいよもって来月のlight新作を買わないわけにはいかなくなってきた。最近のこのブランドの作品づくりならば必ずやこの声優の資質を活かせるであろうと信じられるだけに。

  ういんどみるの近作もプレイしていなかったので、『色に出にけり』か『神がかり』の少なくともどちらかは早いうちにプレイしておきたい……って、ふと見たら『HHG』の刀条院さんも……なのか?



  2014/02/28
  私の場合、ゲームをクリアしたらアンインストールするのが一種の儀式のようになっており、例外はこれまでSHC作品だけだったのだけど、最近は波奈束氏出演タイトルがアンインストールできなくなっている。そもそもこの方はメインヒロイン(キャラ一覧で序列1位に置かれるトップヒロイン)の比率が高い(※)ので一つのタイトルでその芝居を十分に聴き込む機会があるし、しかも出演本数はそれほど多くないので一本一本に重みがあってアンインストールが惜しくなってしまう、といった特殊事情のせいもあるが、しかしやはりけっしてそれだけではない。

  ※――さしあたり「波奈束」氏のみについて見ると、FD/続編/非18禁を除外した既発売15本のうち、『エヴォリミット』『ちぇいすと☆ちぇいすっ!』『With Ribbon』『神咒神威神楽』『星ノ音サンクチュアリ』の5本が、getchu.comで序列1位ヒロインになっている。『処女はお姉さまに恋してる 2人のエルダー』も、トップではなく2番目ではあるが、内容上ツインヒロインの一方という位置づけ。来月の『ラストリゾート』もメイン。恵まれすぎていて怖いくらい。
  一般論としては、例えばヒロインが4人いれば誰かがトップになる(つまり平均的には25%の比率でトップになる)わけだが、サブキャラ役も同じくらい存在するのが普通だから、フルプライスでの全体平均としてはトップヒロイン役の割合は十数%程度の筈である。 そうした中で5/15=33.3%(来月には6/16=37.5%)というのは、おそらく異例と言ってよい高さだろう。どうしてこんなに厚遇されているのか、制作側の事情は存じ上げないが、波奈束氏の実力が信頼されているからこそだと考えたい。役の掘り下げが桁違いに深いとか状況毎のチューニングが柔軟だといったタイプの方ではないと思うが、非常にクリアな形で役の特徴と手触りを表現される方なので起用しやすいという側面もあるのかもしれない。

  出演作を全てプレイしているわけではないが、とりあえずおすすめなのは『恋神』『星ノ音サンクチュアリ』あたりだろうか。個人的には『英雄*戦姫』の2役も素晴らしかった。『ココロ@ファンクション!』もなかなか良いものらしい(※買ってあるけど未プレイ)。『エヴォ』『神咒』『EA』のバトル系メインヒロインも登場機会が多そうだが、残念ながらそちらの方向性はあまり好きではない(『EA』は買ったけど未プレイ)のでよく分からない。

  それにしても、上品+強気or真面目+黒髪ストレートなヒロインが多いなあ。『恋神』や『Berry's』もそちら寄りだし。ご本人もクールな方なのかなと、つい想像してしまう。「車の人」との共演が多いような気がしたが、ヒロイン級どうしでは『With Ribbon』と『星ノ音』の2本のみ。サブキャラを含めても『二人のエルダー』『英雄*戦姫』『WRMM』。……いや、やっぱり多い?



  2014/03/08
  ああ……もしかしたら私は無意識のうちに、波奈束氏の中に「2010年代に白箱系で活躍する西田こむぎ」の幻影を追っていたのかもしれなかった。実際には、今の今までそういうつもりはまったく無かったし、こういう投影はどちらに対しても失礼だということも分かっているのだが、今日たまたま波奈束氏の芝居の中に覚えた既視感を辿っていくと、自分はその中に西田氏とのある種の類縁性を感じ取っていたのではないかと思えてきた。総じて非常に明晰で、情緒的な屈曲よりも直線的な運動性と力感を感じさせる、端正にまとまった理知的な芝居の中に、たまに大胆きわまりない見事な表情づけが現れ、そしてユーモアに対する鋭敏な感受性とごくわずかな甘味が混じってくる、まさにあのトーン。西田氏の場合は表現のコントロールの正確性という点で際立っていたと思うし、稀に舌先に滴る濃密な甘みは木村氏のそれに匹敵するほどだし、また、波奈束氏の場合は陽気さと色彩感に優れているといったような違いがあるが(――ちなみに、この共通地点から、また別のあるベクトルへ思いきり引っ張っていくと、まき氏になる……かもしれない)。



  2014/06/25
  波奈束氏は、人為の美としての芝居をひたすら追求している方だと認識している。けっして自然(素)のままの美ではなく、すべてが意識的に作り上げられ、チューニングされ、彫琢された、工芸の美、巧緻の美、アーティフィシャルな美。技芸として、技芸のみによって、技芸の中でのみ成立している徹底的な表層の表現。その表現に対応すべき「元」となるような自然の現実的存在などというものが存在しない、人為の極み。それは例えばディズニーキャラたちの造形がいまやもはやネズミやアヒルといった現実的存在からほぼ完全に切り離されて固有の洗練された輪郭を磨き上げているのに似ている。

  そしてその特質は、奇矯なキャラクターであればあるほどその抜群の切れ味を閃かせ、あるいは繊細な台本であればあるほどよりいっそう明瞭に効果を発揮し、そして感情表現豊かなキャラクターにおいてもクールな役柄に際してもその鋭さはユーザーの心を躊躇なく正面から貫き、そしてオーソドックスな美少女ゲームヒロインをも堂々と――まさに美少女ゲームらしい作為的なキャラクターをその作為性そのままの魅力で――演じさせている。tencoで、ま~まれぇどで、PULLTOPで、ういんどみるで、EX-ONEで、そのような波奈束風景に出会ってきた。

  この意味で、私見では、「AVGのクリック進行において初めて許されるようになった音声芝居の名技披露の機会を最大限生かした一色ヒカル」と「コンピュータAVG(の個別収録)においてこそ可能になった、個別台詞の音響的表現として徹底的な磨き上げをその限界まで行った北都南」と並んで、波奈束風景こそは、美少女ゲームにおける音声演技の最も先鋭的で最もラディカルなありようの一つを体現している。もちろんこれら以外にも優れたPCゲーム声優はたくさんいらっしゃるが、美少女ゲームの構造や環境や文化と密接に関わるかたちで自己の役者としての卓越を示しているという点で、この三者は私にとって特別な存在であり続けている。


  もちろん、みる氏や藤咲氏やサトウ氏やまき氏や鮎川氏も美少女ゲームの構造や環境や文化と深く関わるかたちでみずからの芝居の美質を発揮されてきたということを疑うわけはないが。そしてまた、木村氏や安玖深氏や金田氏や涼森氏や美月氏は美少女ゲームの特質とは無関係な場でもその美質を開陳されるに違いないと信じるが。



  2015/02/01

  【 声優の芝居と速度(仮) 】
  一色氏、波奈束氏、美月氏。これらの方々は、台詞が速いという特徴もある。もちろん、単なる物理的速度の話だけではない。個々の科白芝居に対する時間的制約がごく少ないAVG収録において、多くの熟達した声優たちは、個々の科白を、個々の文節を、個々の言葉を、非常に大切にして丹念に演技しているのだが、しかし、上記の方々は、そのような主流派のスタイルとはいささか異なっているように聞こえる。私は技術論のわからない素人として、あくまで迂遠な比喩として述べるしかないのだが、彼女等においては個々の台詞の意味の把握――もちろん言語的意味だけでなく作品の中での文脈的な意味づけ全体に関しても――がおそろしく鋭敏で、かつ深く、かつ正確であり、そしてそれが実際の科白としての表出行為へと直接的に――限りなく近く――結びついているかのように感じられる。そのように感じるくらい、個々の台詞(ワード)の演技に意味及び音響の強靱かつ明晰なまとまり(インテグリティ)が感じられるし、それは部分的には――そのまとまりをほどけさせないための――けっして遅滞しないアレグロの速度感に伴われることによって成立している。彼女等の芝居からは、常にクリアな見通しが伝わってくる。

  おそらくは木村氏も、本質的には同じ路線にいるのだと思う。ただし彼女の芝居は実際にはそれほど「速く」はない――文字数ベースで測ってみたら平均的なPCゲーム声優よりもむしろ遅いくらいではなかろうか――のだが、それでもなお、それにもかかわらず、台詞の凝集力とインテグリティが損なわれていないどころかむしろいや増して鮮明に感じ取られるのが、彼女の素晴らしさであり恐ろしさなのだと思う。以前に言及した、木村氏に特有の「間」の長さも、私の中ではこの感覚に関わっている。ブレスコントロールによって一つの科白の一体性を確保するのは重要な筈であり、そしてそれは一息二息の速度の中だけでなく、呼吸のリズム全体を通じてもなされる(――複数の台詞音声をつないだファイルを聴いた時に違和感を覚えることがあるのはそのためだろう)。

  安玖深氏のまくし立てや青山氏の流暢な語り口の中に見出される速度感は、これとは別の身体的な快適さと結びついているように思うし、夏野氏の場合はインテグリティを確保するために――上の方々とは逆に――意図的にスローテンポで演技することがある。北都氏や成瀬氏の場合は、速度というよりは発声の滑らかさが(半ば、結果的に)意味のつながりを保障している。風音氏や五行氏の早口は、いささかせっかち過ぎるようにも感じられる。夏峰氏の場合は、けっして早口ではないが、非常に堅固な意味把握の裏付けが感じられるため、安心して聴くことができる。桜川氏は、いつも元気があっていいですね。金田氏も、一見すると桜川氏に近いアプローチのようだが、おそらく双方の芝居のライヴ感をもたらしているバックグラウンド(芝居観や方法論)は大きく異なっているのかもしれない。桐谷氏は、一つ一つの科白の中でもかなり複雑なニュアンスの変転をかなりはっきりと盛り込んでくるが、それでいて全体としては堅固なまとまりを保持している。松永氏は、あの鷹揚に落ち着きはらった語り口そのものが、聴く者の意識をそれに合わせて形作らせてくれていたかのようだった。

  残念ながら、これとは逆に、一クリック分の台詞の中でも雰囲気やテンポがころころ変わる声優さんもいる。表情づけは豊かで滑舌も完璧で、瞬間瞬間の芝居はたいへん面白いのだが、全体としてはどうにも居心地悪く散漫で落ち着かないという印象を持ってしまう。(……というように、反対の側から述べる方が、ここで私が考えていることが理解されやすくなるかもしれない。)



  2015/05/03
  波奈束風景カムバーック!という気分になったので、未プレイだった出演作品を始めている。もちろん、音声の途中スキップなどする筈がない。
  作品数はけっして多くはないが絶望的に乏しいというわけでもないので当面はストックが保つし、なんなら旧作を何度も再プレイしたっていいのだが、新規出演作品が昨年11月以来途絶えているのは、言葉にしようのないほど悲しい。とりわけPULLTOPとlightとういんどみるとAUGUSTには、ひきつづき期待を掛けていきたい。

  発声がきわめてクリアなうえテンポが速めなため、一聴すると「鋭い」という印象に傾きがちかもしれないが、声色は落ち着いているし、舌の上で音を転がすような軽快な粒だちがあるので、実際には刺々しいところは少なく、むしろ非常に耳に心地良い声優さんだと言っていいくらいだろう。芝居の表情づけも、その速度感によって犠牲にされているわけではなく、いやそれどころかむしろ、台詞のあらゆる瞬間々々に対して彫りの深い表情を、明晰に、そして十分な確信をもって刻み込んでいる。それでいて、もちろん、単なる放恣な生(なま)の感情の発露ではなく、芝居としての自律性も語りとしての構成感もきちんと維持されている。その精妙かつ大胆な感情表現は、日常シーン(さほど劇的ではないシーン)にも豊かな彩りを与え、また、その堅固なテンポ感覚は、クリック進行のAVGに対しても、その都度のシーンのはっきりした時間感覚を確立させる。さらに、その都度の台詞の時間だけでなく、前後のテキスト(地の文など)に書かれている状況をも、きちんと芝居の中に取り込んで反映させている(例えば台詞前後のアクションに合わせた語調変化が、普通以上に行われている。だから、とても聞きやすいし、その場面の理解も大いに促進される)。波奈束氏の芝居を受け止めるということは、少なくとも私にとっては、これらののような側面を自分の感受性の限りを尽くして受け止めることだ。

  本当に、ただ神妙に頭を下げて聴くしかない。とにかく、どんな台詞でも、所与としてのテキストからその都度の状況を正確に拾い上げたうえで、それを音声表現の次元でのクリアな像へと結実させ、そしてさらに、その完璧な芝居技術の下で、その瞬間々々の固有の手触りのある現前表現として創造的に表出していく。テキストを受け止めて解釈するという(どちらかといえば、形式的には受動的な)段階では、その読解の正確さと感受性の鋭敏さが遺憾なく発揮されており、そして、その解釈を実際に形作って提示していくという( 〃 能動的な)段階においては、一瞬も間然とするところの無い集中力と、細部までけっして疎かにしないストイシズム、それと同時に時として遊び心をも感じさせる余裕、突き詰めた表情づけを敢行する意欲及び自信、それを可能にする技術力が発揮されている。音声表現上の造形に関しては100%の信頼をもって、そして100%常に楽しみつつ聴くことができる、完璧を超えた最高の声優さんの一人だ。



  2015/12/18
  波奈束氏は、しばしばクールなキャラクターを演じておられ、パフォーマンスそれ自体もきわめてクリアで風通しの良いものになっているが、しかしその明晰さはもちろんけっして取り澄ました表面的ななめらかさなどではなく、むしろキャラクター造形の繊細な把握やそのシーンの意味づけの正確な理解に基づいてその都度の台詞を正面から堂々と掘り下げていく、きわめて彫りの深い芝居であると言うべきだろう。それはエキセントリックなキャラクターを演じる際の華々しい大胆さとしても発揮されたし、個々の台詞のニュアンスの多彩さ/複雑さ/精妙さを堪能することもできるし(cf. 「印象的な音響演出」)、アダルトシーンでは木葉氏や青葉氏にも匹敵するほどの追加アドリブを敢行してきたし、ツンデレ的要素を相手への気遣いの呼吸として昇華してみせるし、そしてクールな性格表現の中にも和らいだ享楽的雰囲気や底知れぬ懐の深さといった手応えを匂わせてきた。



  2016/3/11
  波奈束氏は、私の中では最高の声優の一人なのだが、ただししかしそれでも残念ながら作品全体の意味づけを変えてしまうところまでは行っていない(あるいは、そういうことは行なっていない)ように思われる。仮に音声部分を除いて、すなわちコンセプト/画像/脚本/BGM/スクリプトの総体によって到達可能になっている作品の形姿及び限界を、芝居によって塗り替えてしまうということはほとんど行なっていない。つまり、秀逸な作品コンセプトの下で、優れた脚本を踏まえて、卓越したBGMと巧緻なスクリプトとともに現れる場合には、波奈束氏の演じるキャラクターはその魅力を最大限発揮するが、しかし凡庸な作品の場合には、その価値を声優の力のみによって引き上げるということが無く、ただ単に「優れた声優が優れた芝居をしている、凡庸な作品」のままに終わってしまうことがあるように思われる。それは、出演者に役者としての限界があるということではなく、また、その芝居が作品のあり方から乖離しているということでもなくて、むしろ氏が作品のありように対してあまりにも忠実であり過ぎるからなのかもしれない。出演作をプレイしていて、たしかに氏の演技そのものは素晴らしいのだが、作品全体の退屈さに時折苛立たしさを覚えるのは、そういう事情なのではないかと思う。西田氏の出演作についても、同じようなことを感じていた。優れたポテンシャルのある作品であれば本当の名作にしてくれるが、陳腐なコンセプトとチープな脚本の下ではもったいなさの印象ばかりが先立ってしまっていた。確かに「そのキャラクターの100%の魅力を引き出した表現」も、「波奈束氏の全力(100%)の表現」も、「完璧(100%)である波奈束氏」も、常にそこにあって聴かれているし、そしてそれはもちろん十分に創造的な仕事たり得ているのだが。

  それに対して、声の力をもって、作品の限界を押し広げてその射程を大きく伸ばしてしまう声優もいる。私にとっては、例えば一色氏や木村氏、青山氏、金松氏、松永氏、青葉氏、榊氏はそういう声優だ。みる氏や北都氏、最近では八幡氏、美月氏、それからたぶん綾音氏にもそれがある。作品の興趣を、100%を超えて引き出す、あるいは作り出す。それは声優の芝居を聴くことの醍醐味の一つだろう。

  断っておくが、前者と後者の間に優劣があるという話ではない。いわゆる「役者の個性の強さ」の問題(だけ)でもない。作品のポテンシャルを十全に引き出すスタイルと、作品の元々の限界を(意識的/無自覚的に)踏み越えることも辞さないスタイルの違いなのだろうか。




  2016/10/14

  【 波奈束氏とアドリブ芝居 】
  波奈束氏はしばしば、木葉氏に匹敵するアドリブを入れている。木葉楓氏も嬌声台詞を「テキストの二倍演じる」タイプだったが、波奈束氏の場合は単純な分量の問題よりもむしろ、一パラグラフの台詞に対して呼吸のリズムを与えるように「はぁはぁ」の吐息表現をはっきり表現しているように聞こえる。
  アダルトシーンの台詞について、ほとんどの役者さんはテキストに忠実に、つまり一声一声の音と長さがおおむねテキストに対応するように、演じられる。だからプレイヤーの側でも、文字を追いつつ、その都度の瞬間に「今この音声はどこを発音しているか」がはっきり分かるのが通例だ。テキストそれ自体も、たいていの場合、音声芝居がわざわざそこから逸脱する必要は無いように書かれているだろう。だから、こういうアドリブを、これほど大胆に入れられるのは、かなり珍しい。
  しかしながら。たしかに脚本家はキャラクターの個性を盛り込みつつ言葉のリズムも考えつつテキストを構築しているとしても、それでも、1)鋭敏な役者にとってはブレスのタイミングが完全には考慮されていないと感じることがあるかもしれないし、2)その種の音声表現のあり方について独自の見解を持っている役者もいるだろうし、3)その性質上、完全にテキスト通りの言葉で演じる必要性が比較的薄い場面でもあり、4)それどころか声優にとっては名技披露の絶好の機会であるかもしれない。5)あるいは、誠実な役者さんにとっては、もしかしたらそのくらいしっかりと演じる方がむしろ演じやすいのかもしれない。そうした場合に、収録現場での判断で踏み込んだアレンジをすることは確かにあり得ることだし、そして、プロによるその現場判断は実際確かに音声表現の出来を高めている。もちろん、しかるべき責任者も収録に立ち会ってその判断を承認している筈だ。
  テキストどおりに演じてもいい(それで100%の成果になる)のだが、それにとどまらず、所与としてのテキストを踏まえつつも呼吸のリズムやその台詞のリアリティのためにさらに一味も二味も追加する。そうした挑戦的姿勢は称賛されるべきだし、しかも単なる挑戦や実験ではなく、卓越した役者のその判断は、実質的にも正しい。その判断の正しさは、その芝居の説得力という形で、素人たるユーザー側にも信じられる。

  というわけで、『アマカノSS』はまさに波奈束氏と松田氏が共演されているし、そのうえ名匠一色氏もいらして、さらには桃山氏も相変わらず、一瞬の緩みも無くすさまじく気力の乗った素晴らしい芝居――もちろんアダルトシーンだけの話ではない――をされていて、なんだかとんでもない世界になっている。楽しい田舎旅情イチャラブAVGの筈なのに、あまりのクオリティに圧倒されてなんだか頭痛と吐き気までしてきた。
  まあ、プロ声優の入魂の芝居を正面から聴いたら、たいていの素人はキャパオーバーするに決まっているので、私が気絶しそうになってもそれはちっともおかしなことではない。