2013/09/22

クリエイターに対する敬称についてのもやもや

  クリエイターに対する敬称についてのもやもや。


  声優その他のゲーム制作関係者あるいはそれ以外の分野の様々なクリエイター諸氏(漫画家であれアニメスタッフであれフィギュア原型製作者であれ同人作家であれ何であれ)のことは、基本的に敬称「氏」付けで書いているが、どうやらこの呼び方――私はこれをごく普通の呼称だと思っていたのだが――はオタクたちの間ではほとんど使われていないようだということに、ここ数年でようやく気付いた。例えば、実在名字を避けつつ適当に「"五行氏"」「"ももぞの氏"」「"波奈束氏"」といった語でweb検索してみるだけでも、その少なさははっきり見て取れるだろう(――私のこのマイナーなブログが検索トップに来てしまったり、それどころか私のブログしか検索ヒットしなかったりするほどだ。今試して見て、これには驚いた)。

  あるいは、その完全な自立性を尊重しようとする時には呼び捨てにすることもあるし、多少柔らかい文体を採っている時はごく一般的な敬称の「さん」付けで書くこともある(――もちろん、「~さん」も必ずしもどこでも妥当するとは限らず、場面によっては「さん」付けでは馴れ馴れしく聞こえてしまう場合もあるので、注意が必要だが)。

  しかし、「嬢」と「ちゃん」は無い。子供(「お嬢さん」)ではなく、ご自身の専門技能をもって自立している社会人(職業人)なのだから、「~嬢」呼ばわりは失礼だと考えている。「ちゃん」付けも同様だが、これはたまにwebラジオのパーソナリティとしてのニックネームなどで「ちゃん」付けになっているものを、視聴者である我々が踏襲しているという場合もあり、そうした場合は必ずしも否定すべきではない(――例えば、夏野氏を「こおちゃん」と書くのは、氏の出演ラジオのリスナーたちにとっては、あるいは発言者がリスナーであることがはっきりしている文脈の下では、完全に正統な、むしろ望ましい呼び方だ。ただし、それは現在のwebラジオが一定のリスナーとの間の双方向性[つまり「おたより募集」等の関係]を含意しているから許されているに過ぎない。たとえば、声優たちが同業者同士で特定の呼び方をしているからといって、第三者であるファンたちがその呼称で呼びかけてよいということにはならない。当人が一般的に「私のことを『○○』と呼んでくださいorそう呼んでくれていいです」と述べた時、初めて許されるのだ。私はそう考えている)。

  そういえば、今年に入ってからのことだったと思うが、アニメ声優たちのことを普段から平気な顔で「ちゃん」付けで呼びならわしていた人物が、PCゲーム声優については「ちゃん」付け呼称する文化圏には近寄りたくない云々といった発言をされたことがあった。その方が、どのような基準や価値観をもって、双方の間にどのような違いを見出しているがゆえに、そのような区別をなし得ているのか、あるいはどのような原則に(あるいはどのような例外の認識に)基づいてその二つの態度に一貫性を与えているのかが、私には完全に理解不能であり想像上の可能性を構想することすらできなかったので、絶句したままそれ以上深く尋ねることができなかった(――そして今でも、たまに思い出すが、やはりまったく意味が分からない。某歌劇団の「生徒」さんたちを「ちゃん」付けするなら、まだしも納得できるのだけれど)。

  実のところ、自分以外の声優ファンたちが、声優(あるいはそれ以外のあらゆるクリエイター)に対してどのような姿勢で臨んでいるのか、どのような目で見ているのか、それすら私は全然分かっていないということなのかもしれない。実際には、一般的に言って、声優当人に聞かせるつもりの無い場でファンたちがその声優のことを自由なニックネームで呼称することはまったく構わない筈だし、それがよほど失礼な呼び方でないかぎり、どんなものであっても非難する理由は無い。だから、これは私(だけ)がたまたま過度に厳しい考え方をしているだけなのかもしれない。そう考えれば、「~ちゃん」はまだしも世間的に認められる呼称だと言えるかもしれない。しかし、女性声優に対する「~嬢」はやはりどうしても好きになれない。

  以前の[ 3/21付雑記 ]でも同じようなことは書いていた。