PCゲームの絵や画面構成が、時として別のものに見えてしまうこと。
アダルトシーンで男性の身体を濃い色で彩色するのは、おそらくは女性の身体の白さを強調するために、あるいはもっと単純に絡み合っている二つの人体を識別させやすくするために(特にモザイクの掛かる箇所ではその必要性は大きくなる筈だ)、あるいはその他なんらかの理に適った目的があってそうしているに違いないが、しかしながら、それらが標準的な日本人の肌色を超えてあまりにも濃くなりすぎるとやはり違和感が先行してしまうし、さらにそれらが日焼けのような褐色になると、なんというか、そういう褐色の棒状物体が女性の股間に直結してまっすぐ伸びている図は性行為として認識されるよりもむしろ排泄行為を強く連想させてしまうことが間々あって、気まずい思いをしたりあるいは時には笑ってしまうこともある。あるいは、男性キャラクターの肌がの灰色(土気色)だと、ゾンビものに見えてしまうこともある(――『MinDeaD BlooD』や『月神楽』のように本物のゾンビが行為に参加するタイトルも存在するし、『DUEL SAVIOR』『LOVE&DEAD』『エインズワースの魔物たち』のようにアンデッドヒロインの登場する作品もある)。
「薄目」の件もそうだが、おそらく制作者が予期しないであろうところで予期しないであろうかたちの違和感や錯覚をユーザーにもたらしてしまうことは、他にもあるだろう。微笑を誘う例では、繁華街背景の前にキャラクター立ち絵が置かれている画面で、画面中央のビルの上にタコの模型(バルーン?)が掲げられており、それがまるでキャラクターがタコを頭上に載せているように見えてしまうというものがあった。プレイ当時、「おまえは面堂終太郎か」とツッコんだのを憶えている(――ちなみに、本当に異物を頭に乗せているキャラクターもいる:『DUNGEON CRUSADERZ 2』の「レジーナ・ノギア」は、ヒヨコを2羽乗せている)。
このような現象は、現代AVGの「立ち絵+背景」モンタージュシステムが、――背景と立ち絵とで彩色スタイルを変えることによって、双方を識別しやすくさせているとはいえ――遠近法を成立させにくいスタイルであるという事情も関係している。全身立ち絵をしばしば使用してそのキャラクター立ち絵を舞台としての背景画像の中に空間的に位置づけていくことを継続的に試みているすたじお緑茶作品ですらいまだそれに十分成功してはおらず、影の無い足元はまるでそのキャラクターが浮遊しているように見せてしまい、あるいは3D構成された背景空間のぎこちなさを露呈してしまっている(――紹介とスクリーンショットは、演出論Ⅰ-2、Ⅳ-4-1-βを参照)。