近年のEscu:de作品についての雑感。特に『闇染』シリーズを巡って。
【 『闇染』シリーズについて 】
『闇染』シリーズは、新作『闇染Liberator』よりも第一作『闇染Revenger』(2018)の方が良かったと思う。ゲームシステムはほぼ同一なのだが、異世界からヒロインたちへの憑依という二重性が消えて、状況が平板になってしまった。それでも、けっして悪いものではないけれど。私の中では、第一作は90点なのに対して、第二作は(今のところ)80点くらい。第一作があまりにも良すぎたという話でもある。いずれにせよ、Escu:deは相変わらず傑作を連発している。嬉しいかぎり。
『闇染』シリーズは、「主人公がヒロインの心の問題を解決してあげる」という00年代白箱系の構成を黒箱系に転換したようなコンセプトで、これだけでもう成功が約束されたようなものだ。ゲームシステムは、バトルパートの中に、いわば言葉責めモードが組み込まれている二層構造で、ヒロインの心の弱点を突いて堕とすのが目的になる。言葉責めにパワーを使いすぎるとバトルが不利になるので、プレイヤーはその間でうまくやりくりする必要がある。こういうバランス取りは、さすがのEscu:de。バトルパートの間にAVGパート(日常パート)が入る。そこで目当てのヒロインを選択して会話進行し、心の弱み(悩み)を見つけ出しておくという構成。
主人公造形も面白い。第一作では、基本的には好青年なのだが、ダーク系アダルトゲーマーでもあり、心の中で身近なヒロインたちを蹂躙してみたいという妄想を(ごくナチュラルに!)抱くこともある。そうした性格が魔王を呼び寄せるわけだが、魔王に一体化された後でもバトルパートでヒロインを蹂躙することに疚しさはほとんど感じていない(むしろ興奮すらしている)。善良でもなく、ただの悪人でもない、こういうアモラルな(道徳意識の無い)主人公というのは非常に珍しいし、そして興味深い(余談ながら『ときどきパクッちゃお!』[XANADU、2004]も同じような精神構造の主人公で、その異常性について語っているレヴューサイトがあったのを思い出す)。
ヒロインたちも良い。00年代ふうのステレオタイプなキャラクターに見えるが、上述のような「心の闇」が正面から扱われるため、奥行きのある性格造形になっている。学園内外での日常パートも、ヒロイン間の交流がしっかり描かれているし、黒箱系らしく距離の置いた描写がクールな印象を与える(※メイン脚本は、黒箱系での作品実績の多いassault氏)。どぎついギャグ描写というよりは、苦みまじりのユーモアを湛えた描写で、なかなか読ませる出来。例えば、幼馴染キャラと後輩キャラがうまく馴染めずに、互いに微妙な距離を取っている様子は、けっこう新鮮だった。
ゲームパートは、3つの行動グループをあらかじめセットしておいて、それぞれの行動ゲージが溜まるのを見つつグルグル回して攻撃するというもの。介入余地のあるセミオート戦闘と言える。3つのグループにどのような行動を入れておくか、そして、表に出すグループをどのタイミングで切り替えるかによって、リアルタイムの戦略性が出てくる。例えば、溜め時間は長いが強力な攻撃があったり、逆にダメージは小さいが回転の速い行動があったりする。
Escu:deは、ゲームパートに時間進行を取り込むのが上手く、さらに、時間経過に対するプレイヤーのアクティヴな介入機会を作ってくれるのが面白い。『闇染』シリーズでは、3つのグループを回すのはマウスホイールを回すことでクルクルとリボルビングできるが、そのホイール操作に得も言われぬ心地良さがある。プレイヤーが何かを操作する際の体感的な楽しさは、まちがいなく、このブランドの優れた美質だ。
なお、戦闘パートでヒロインのHPを削りきると、精神面を攻撃する言葉責めステージ(闇染モード)に一時移行する。ただし、言葉責めには支配ゲージを消費し、このゲージが減ると戦闘モードで不利になる(※被ダメージが増える)。それゆえ、プレイヤーは、戦闘パートでのリスクを覚悟しつつ言葉責めに力を入れるか、それとも、戦闘パートでの安全を確保して少しずつ精神攻撃をしていくかという判断をしていくことになる。ここには唯一の正解があるわけではなく、プレイヤーに状況判断の主体性が確保されている。
本作に限らず、Escu:de作品のSLGパートには、優れたバランス感覚が利いている。
1) 単純な正解パターンを作らず、プレイヤーの裁量の自由度を確保する。
2) ゲームはリアルタイムに進行するため、飽きずに集中を維持できる。
3) UI反応の手応えが良く、ゲーム中の状況に参加しているという実感を持てる。
4) 操作体系はきわめてシンプルにまとめられている(基本的にはマウスホイールだけ)。
まことに絶妙のゲームデザインだと思う。
ダメージを与えると、選択肢タイプの言葉責めステージ(闇染モード)に移行し、ヒロインの心を攻撃する。言葉責めには、画面下部のゲージを消費する。ゲージが減ると、戦闘モードで不利になるというバランス。 夜の戦闘パートに対して、昼はAVGパート(会話パート)になる。個々のヒロインを選択していくと、それぞれイベントが進行し、言葉責めのキーワードが入手できる。
【 ゲームの操作性:『Re;Lord』について 】
その前の『Re;Lord』シリーズ(2014-2017)でも、マウスで攻撃対象をサッとなぞるというアクションをバトルパートに取り入れている。プレイヤーキャラが攻撃するときは、マウスの左ボタンを押しながら画面内をなぞる(カーソルを動かす)と、攻撃範囲を指定できる。
1) いちいちコマンドクリックをせずとも、マウス操作だけでプレイヤーキャラの行動をグラフィカルに操作できるというシンプルさ。
2) 敵ユニット画像の上を大まかになぞるように動かせば標的指定できるので、操作系は直感的で、きわめて明快である。
3) 攻撃範囲は、魔法陣エフェクトではっきり表示される。自分のマウスアクションがゲーム内表示に反映されるという、リアクションの心地良さ。
4) さらに、敵ヒロインとの対決では、ヒロインの身体のどの部位を攻撃するかを指定することになる。そして、攻撃した箇所は画面上でどんどん脱衣していく(装甲から下着まで、順次剥がされていく)。プレイヤーの好みで、例えば胸部だけを集中攻撃して脱がせることもできる。脱衣SLGの楽しさと、グラフィック表示のヴァリエーション、そしてそれをプレイヤーがコントロールできるという自由さがある。
5) その一方で、敵からの攻撃は、右クリックで防御する。そのため、左右のクリックを使い分ける必要がある。バトルパートはリアルタイム進行であり、敵の行動準備ゲージが溜まっていくのを、タイマー表示で見ることができる(下記引用画像を参照)。ほどよい戦術性のあるリアルタイムバトルのゲームシステムとして、シンプルながら非常に洗練されたものになっている。
こうした美質が絡み合って、『Re;Lord』シリーズのゲーム体験を充実したものにしている。シンプルで直感的な操作だが、その操作感の気持ち良さと、プレイヤーがゲーム進行に関与しているという実感の手応えを作り出せるのは、このブランドの大きな武器だ。プログラマーは、いつもの水鼠氏とKIT氏。
操作感の気持ち良さというと、アザナシ氏のLittlewitchも良かったし、老舗のalicesoftも良いが、私見では、Escu:deの洗練度合いは別格だと思う。また、UIのヴィジュアルデザインに関しては特に、はなたかれとも氏がたいへん素晴らしい仕事をしていた(※最近のタイトルでは蒼瀬氏が担当していることが多いが)。UIに関しては、拙稿「インターフェイスデザインの面白さ」(p.1, p.4)、「演出論的覚書」を参照。
【 シナリオなど:『姫と穢欲のサクリファイス』『あかときっ!』 】
その他、音楽はいつものTOY氏が賑やかでハイセンスな楽曲を大量に提供してくれているし、CGもなかなか肉感的で、「エロ」ゲームとしての側面も平均以上にクオリティが高い。ゲームパートも一作ごとにオリジナリティのあるシステムを作り出してくれる。テキストに関しては、外注が多いようで、タイトルごとにばらつきがある(例えば『ヒメゴト・マスカレイド』(2012)のテキストはひどかった)が、読み応えのある作品も少なくない。最近の『姫と穢欲のサクリファイス』(2019)では、深刻な復讐の物語をドラマティックに分岐展開しており、ゲームパートでの過激な蹂躙描写と相俟って、たいへん迫力のあるシナリオだった。また。『あかときっ!』(2010)も、一種の並行世界ネタを織り込みつつ、ヒロイックなストーリーを正面から描ききった秀作だった。EGScapeにログインしていたら、どちらも90点をつけていただろう。
元々、Escu:deは調教SLGのアプローチに立脚してきたブランドだ。最初期の出世作『流聖天使プリマヴェール』(2000)や『メタモルファンタジー』(2001)から始まって、調教システム構築のノウハウや調教シチュエーションのアイデアを大量に蓄積している。このブランドが本格的なフラグ構築スキルを発揮したときには『ラブリー・ラブドール』(2002)になったし、その技術をポップな作品ジャンルに応用した時には『ふぃぎゅ@メイト』(2006)に結実した。また、特有のSLGシステムを持たない純AVG作品に際しても、『ワンダリング・リペア!』(2008)のように一筋縄ではいかない複雑なフレームワークを作り上げている。近年でも、ヒロイン調教を正面から扱った『姫と穢欲のサクリファイス』はたいへんな力作だった。
あえて言うと、10年代末のタイトルからキャスティングが一気に貧しくなったのは、聴いてたいへん辛い。というか、文字通り聴くに堪えない声優(桃組など)が出てくるようになったのは悲しい。このブランドのキャスティングは、10年代前半までは本当に素晴らしくて、アニメ系の声優をほとんど使わず、アダルトゲーム分野の生え抜きの実力派声優をしっかり起用するという誠実な姿勢だった。そして、10年代半ばまでは――2017年の『あかときっ2!』までは――、まだぎりぎりまともだったのだが、最近のキャスティングにはかなり実力の乏しい声優が並んでいる。
新作『闇染Liberator』のヴォイスは、残念ながら、聴くのがほんとうに辛く、大半は音声OFFにしている。葵氏がひとまず神経が通っていて聴ける芝居をされているくらい。それと、魔王役の月森氏は、結構良いかもしれない。前作『Revenger』のキャストもかなりきつかったが。「あれっ、今谷氏ってこんなに不器用だったっけ?」と、(悪い意味で)驚いたくらい。
しかし、『闇染』の声優陣もアダルトシーンでは生き生きした演技をしているので、これはこれでゲームの趣旨に即した起用方針と言えるのかもしれない。日常シーンの細やかな芝居やバトルシーンの迫力と、セクシャルなシーンの臨場感を天秤に掛けて考えた時に、後者に長けた役者を選ぶというのは、それはそれで理に適っていると言うことができる。また、とりわけ第一作では「現代人ヒロイン(通常)/異世界ヒロイン/闇染めヒロイン」の3種類を演じなければならないので、芝居の要求難度が高い台本だったということも付言しておくべきだろう。
そんなこんなで、00年代の頃からずっと、定期的にものすごい作品を連発してきたSLG系メーカーとして、Escu:de(のスタッフ諸氏)には畏敬の念を抱いている。以前にも書いたが、私にとっては、「一番好きなブランドはソフトハウスキャラだが、一番すごいと思うのはEscu:de」だ。
「悪しき魂が取り憑いた主人公を狙って、ファンタジー変身ヒロインたちが攻めてくるのを返り討ちにしていくSLG(一対一バトル)」という枠組で見れば、『闇染Revenger』と同年発売の『悪魔聖女』(2018)はほぼ同じ状況設定だった。しかし、それであの出来映えの違いを見せつけられると……ちょっと辛かった。ソフトハウスキャラにはそういう踏み外しが時々あり、そういった時は、ファンとしては困った笑顔をしながら次作を期待しつつ付いていったものだった。
もっとも、『悪魔聖女』は『悪魔聖女』で、やりたかったことは理解できるのだ。期限までの選択回数(リソース)が限定される中で、個々のヒロインを攻略するためには特定のコマンドに集中していく必要があるが、そうするとバトルパートでの手駒も偏ってしまい、戦いが苦しくなる。つまり、「AVGパートのヒロイン攻略(またはイベント制覇)」を目指していくと、バトルパートではプレイヤーが自発的な縛りプレイをしているような状況になる。そうした制約の中で、バトルにも勝利しつつ、様々なイベントを探し出していくというのが、あのゲームの目的(想定されたフレームワーク)だったのだろう。
しかし、残念ながら、バトルパートに余裕が無さすぎ、それでいてランダムボーナスの影響が大きすぎて計画的なプレイが困難になり、その一方でAVGパートのイベントテキストがつまらなかったのでイベント探索のモティベーションも上がらなかったというのが、『悪魔聖女』の不幸だった。やりたかったことは分かるのだが、なんとももったいない作品だった。