2020/12/31

2020年12月の雑記

  2020年12月の雑記。(→2021年1月2020年11月

SEGA「大和麻弥」。眼鏡フィギュアだったのでありがたく購入した。キャラクターは知らないが、可愛いので良し。

 
 12/28(Mon)

 内藤氏は『カリンちゃん』続編には関わっていないとのこと。ほっとしたような、残念なような。
 内藤氏ではないとしても、ああいう性質のタイトルだから、脚本家が替わってもディレクターさえしっかりしていれば大丈夫だろう。

 『農家』08巻の内容を人物一覧記事に反映させる前に、09巻が発売されてしまった。年末年始のうちにやれれば……。とはいえ、一冊につき4時間ほど掛かるうえ、丁寧で精密な読みが求められるので、時間と気力が必要になる。けっこうたいへんなさぎょうなのよ……。


 [ www.lilith-soft.com/lilith/radio/4WmI1bwlaa/97 ](※LiLiTHラジオ第97回)
 前回に続いて北板利亜氏が出演。毎度思うが、「北イタリア」とはいったい……。


 【 趣味、経済、偏見 】
 「オタクは消費者にすぎない」といって腐すのが最近のオタク嫌悪の流行なのかな。最近複数回見かけたが、安っぽくも見当違いなことを言う連中がいるものだなあ。
 1) オタクたちの創造的側面を無視して一面的に矮小化しすぎている。イラストから模型制作から小説から批評から撮影から何から何まで、様々な活動をしているのを知らないのだろうか。
 2) 文化活動に対する経済的貢献の意義を軽視している。生活必需品ではない文化活動では、受け手がお金を出さなければ潰れるというのが、避けがたい事実だ。クリエイターたちにも生計が成り立つ必要があるのだから。お金を出すことそれ自体は肯定的に捉えられるべきだし、そして実際にオタク界隈がそれを肯定的に捉えているのは良いことだと思う。お金を出すからといって威張るのは下品な行為だが、オタク界隈でもそういうのはごく一部だけだ。そもそも清貧を気取った文化がどれだけ潰れてきたか。あるいは、清貧のふりをしている領域だって様々な形で資金を調達している。受け手側がじかに金銭的支援を行うのは、むしろクリーンだと言うべきだ。経済的貢献をバカにして何かを批判した気になるというのは、社会構造に対する理解の未成熟な子供レベルの思考だ。
 2') さらに言えば、「良いものを作ってくれた制作者たちに、しかるべき金銭的還元をもって報いるのが公平である」というモラルが失われると、違法DLが蔓延することになる。狭義の「オタク」よりもむしろ、一般人によるカジュアルな大量違法行為の方が深刻だが。昔のマジコンとか、先年のなんとか村とか……。まっとうな消費者であり続けるというのは、価値があり、そして重要なことなのだ。
 3) そもそも、消費者であるという地位それ自体を貶めるのはいかがなものか。「消費者」でない存在などというものは、現代社会ではほとんどいないだろう。「消費者」を否定的評価のレッテルとして使う人は、ほとんど万人を侮辱しているに等しい。大衆社会における「消費者」たちを見下すのは、よっぽど旧弊的で傲慢なで偏狭な権威主義者にしか出来ないだろう。
 4) いわゆる「オタク」以外でも、受け手側の金銭的支援によって成立している社会領域はいくらでも存在する。「消費者」批判の言辞はそれらをまとめて攻撃することになるのだが、批判者たちはその主張を貫徹できるのだろうか。きわめて疑わしい。例えば読書や音楽鑑賞に対しても「消費者にすぎない」という攻撃の刃を向けることになるわけだが、もしもそこに「消費」の側面しか見出せないとしたら、あまりにも貧しく一面的な見方だろう。もちろん、読書がただの「消費」にとどまらないのと同様、アニメやゲームを楽しむのも複雑で高度な文化的活動の一種だ。

 オタク自身が自戒として慎ましくそれを述べるならば、思い上がりを避ける節度ある姿勢として正当だが、第三者が「オタクは消費者にすぎない」と言うのは、的外れで幼稚で下品な攻撃性しか読み取れない。実に汚らしい発言だと思うし、そういうのに近付くべきではない。
 おそらくはゲーム賭博に多額の金銭を投じるタイプのオタクを念頭に置いているのだろうけど、そういう人々は「オタク」の中の一部分にすぎない。致命的に誤った一般化(過剰包摂)と言わざるを得ない。また、ゲーム賭博(俗に言う「課金」)それ自体は私自身けっして好きではないが、ゲーム業界にお金が回るという限りでは、それはそれで良い面もあると言える。けっして悪く言う必要は無い。「お金の話をするのは卑しい」という金銭嫌悪は、道徳のふりをしてはいるが、社会的にはきわめて幼稚な主張にすぎず、それどころかむしろ消費者としてのモラルを破壊することになる有害な発言だ。そんなものにコミットすべきではない。

 物を買う(お金を使う)のは、それ自体が一種の娯楽であり、大きな快楽を得られる行為だというのは、それはそれで確かだ。特別な吝嗇家は別として、どうやら大半の人間はお金を使うことや散財することに快楽を――興奮や満足を――感じることができる。だが、自立した大人の行為であるかぎり、自分のお金をどのように使うかは当人の完全な自由だ。それを外部から悪しざまに言ったり「消費者」としてバカにしたりするのは、ゲスな差し出口と言うほかない。
 私自身、先に述べたように、「ガ○ャ」などで現金を投じさせるゲームは大嫌いだし、賭博の一種にすぎないという意味では明確に「悪しき慣行」だと思っている。一般論としては、メーカーにもユーザーにも止めてほしいと常々思っている。しかし、それを行なっている人々のことを悪く言うのは避けている。彼等が自立した大人として自分自身のお金を使っているかぎり、そして周囲に迷惑を掛けていないかぎり、それは彼等自身の人生(生活)の中での自己決定なのだから。

 オタクが元気で調子に乗っているのが嫌いで、それに対して保守的-旧弊的-道徳的-権威主義的なバックラッシュ的悪罵を平気で吹かす人たちが、この世にはまだまだいるんだなあ。まったく悲しい話だ。


 twのオフライン寄りのアカウントでは書きにくい話題がある。下手に言及すると、RT関係等から間接的に知人のサブアカウントをバラしてしまうことになりかねないので、その点は重々注意している。その意味でも、ブログとの使い分けはわりと便利だ。


 桂香さんがクリティカルヒットを5連発した。連続記録としては最多かな。


 というわけで、年内最後(たぶん)の買い物をしてきた。

 そういえば、驚くべきことに、男性は大人でも縞パンを履くんだね……。いや、あれらを縞パンと呼んでよいかどうかは分からないが、実際に縦縞または横縞のストライプト・メイル・アンダーウェアではあるわけで。すげえ。(感心してよいのかどうか分からないけど……。)

 
 【 潜水艦の内部再現プラモデル 】
 艦船模型だと、内部構造を再現したインテリアモデルは大スケールの潜水艦くらいしか無いだろう。空母模型で、飛行甲板の下の格納庫スペースをごく簡単に再現しているものとか、あるいは現用艦の格納庫内壁までは作り込んであるキットとかもあるけれど、あくまでごく一部だけだ。大昔には、輪切りにした小さな「連斬模型」もあったらしいけど、私は見たことが無い。また、帆船模型などのマニアックな分野では、もしかしたら内部まで作り込んでいる人がいるかもしれないが、そのあたりは私は全然分からない。
 現在一般的に入手出来る範囲だと、Revell社から「Uボート」系統がいくつかリリースされているくらい。一つはVII-B型(1/125スケール)。ただし、かなり古いキットで、現在は品切れのようだ。もう一つはちょっとマニアックなXXI型(1/144スケール)。こちらは1992年製で、日本国内でもまだ流通している。実際、今日店頭で買ってきた。
 そもそも潜水艦模型を作るのは初めてだし、艦船インテリアモデルとしても、もちろん初めてになる。優先順位を上げて、冬休みの間に手掛けてみたい。
 潜水艦のプラモデルというと、『アルペジオ』の「イ401」もあったけど、超技術で変形すらしてしまう架空兵器なので、さすがにあれは別枠だ。

 ひとまず開封してみた。長さ50cm以上の大型プラモなのは覚悟していたが、艦船模型としてはかなり珍しい大スケール(1/144)なので、各部のディテール(モールド)がはっきり見えるのが新鮮で、ランナー状態で眺めているだけでも実に楽しい。パーツ数は多すぎず少なすぎずで、ちょうど良い感じ。ボリュームはそこそこ充実しているし、それでいてわりと簡単に組めそうだ。このサイズとこの価格(実売3000円強)に鑑みればたいへんリーズナブル。海外キット(※ドイツのメーカー)だが、組立説明書がグラフィカルに表示されているおかげで、言語の壁を越えて誰でも作れる。これはプラモデルならではの強みだ(※ただし、文字表示があれば勉強になる[知識が増える]けどね)。
 片側(左舷)の外壁の一部が外されて内部が露出する形になる。外壁を完全に塞ぐことは出来ないが、ディスプレイして楽しむぶんには問題ない。普通の外観モデルとして鑑賞したい場合は、右舷側を見れば良いのだし。内部の小物類は、まさにアクリル筆塗りの出番になるだろう。
 1/144スケールということは、場合によっては、鉄道模型(1/150)やガンプラ(1/144)に合わせることも出来る。鉄道模型から人物を借りてきて乗員にさせたら面白いかも。
 
 電飾を入れて制作した方がおられるようだ(※日本国内のモデラーさん)。
 なるほど、インテリアモデルにはその手があったか。真似てみたい。

 もしも模型展示会に参加するとしたら、ドレッドノート(実はまだ完成していない)や上記の潜水艦インテリアモデルを出したら、拙い出来でも楽しんでもらえるかも……とも思った。いや、今のところそんな予定は無いが。


 その他、書籍や円盤や立体物をもろもろ購入。これで年末年始も自宅に籠もって楽しく過ごせる筈。ついでに衣料品もいろいろ新調し、日用品や食品類も調達して新年に備える。


 イベントのない年末のビッグサイトというのもたいへん珍しいものだし、訪れてみるのも面白いだろうなあ。……各種イベントが安全に復活できて、「2020年の状況は珍しかったね」と言えるようになることを願いつつ。


 「学園恋愛系」記事は、いろいろな話を盛り込むのに便利なので、思いついたことをちょっとずつ書き足している。00年代半ばの白黒分断とか、それに伴うアニメ系声優の進出とか、SLG系の特殊性とか、異種族ヒロインの学園ものが定着したとか、10年代にはヒロインごとの性的嗜好が設定されるようになったとか、etc.。
 現在はすでに2020年代に入っているわけだが、これでなんとか「2010年代のアダルトゲーム」について、私なりの展望を言葉にすることが出来たかなと思う。ただし、見落としているところや間違っているところもたぶんあるのだろうけど。


 『黎明記』で最強装備を探したい場合。ログインダンジョンにすごい武器が出るらしいが、私は登録していないので分からない。通常プレイの範囲内だと、最強クラスの武器防具は19~21層でのみ入手できる(※攻略ページに書いたとおり)。なので、18層までは敵もアイテムも無視してどんどん潜っていき、19層と20層ではしっかりアイテム回収する。ラスボスも撃破して、また最初に戻る。これを繰り返すのが良いと思う。
 19~20層で落とし穴を発見したら、積極的に落ちていくのも手だと思う。その階層をもう一回追加できる可能性があり、その分だけアイテム入手できるので。ただし、大型雑魚密集の「妖怪の巣」に当たってしまうリスクもある。「死神の罠」も、バッドステータス+妖怪の巣(確定)だが、こちらはさらに危険性が高い。
 ただし、数値上の最強装備が、総合的に最高だとは限らない。例えば「麻痺牙」系統は便利な追加効果がデフォルトで付いているので、クリティカルあたりが付けば非常に強い。基本攻撃力の差は、武器を鍛えていけばただの誤差レベルの話になる。また、「鬼斬」系統は一撃必殺性能が強力だし、特に「鬼」「餓鬼」が出現するタイトルではたいへん頼もしい。刀巫女や扇子巫女の場合は、攻撃射程を伸ばすヒーローセットにも大きなメリットがある。個人的には、「鬼斬」系統を装備させていることが多い。一撃必殺が出ると助かるし、岩も一撃でバンバン破壊できるのが気持ち良い。さすがに弓だけは、最強武器が別格すぎるけど。
 防具に関しては、付随効果を含めても完全上位互換が多いので、あまり迷わなくて済む。しかし、防御力最高の「十二単」は腹減りがきついのが欠点。食糧を多めに持ってダンジョンに入れば済む話ではあるが、やはりリスクはある。防御力次点の「天の羽衣」の方が安定するだろう。ノーマルモード以上では、通路視界の広い「光の巫女服」がありがたい。私のプレイでは、最終的にはどのキャラも「光の巫女服」を装備している。
 まあ、難易度は低めなので、プレイヤーの好みで「猫耳カチューシャ」を装備させたり「チャイナ服」を着せたり、あるいは元作品準拠で「獅子王」を装備させたりするのもよいと思う。残念ながら、外見は変化しないが。

 「かんなの章」も欲しいなあ……欲しいなあ……。「うづきの章」だと、以前も書いたようにダンジョン内に銃器がぼろぼろ落ちているという危険なシチュエーションになってしまうが。

 ちなみに、攻撃射程は武器依存ではなくキャラクター自身に備わっている性能なので、例えば弓装備キャラは素手状態でも射程3攻撃ができる。……初花ちゃん、「名人伝」の域かよ。


 うーん……某支援サイトから個人情報が漏れてないか? 久しぶりにそこを利用した翌日から、登録メアドにスパムメールが届くようになったのだが……。いや、ユーザー個々人が使ったタイミングと、サーヴィス側が情報を漏洩させるタイミングは、ひとまず無関係なのだけど。うちのPCから漏れたという可能性は低いし。ただの偶然かもしれないけど。
 メールアドレスを登録させるサーヴィスは、極力使わないようにしている。そのおかげもあって、おかしなメールに引っかかる可能性は低い筈。「そんな通販やそんな銀行なんか使っていないのだから、このアドレスにこのタイミングでこんなメールが来る筈が無い」と即座に判断できる。逆に、様々なサーヴィスを頻繁に使っていると、本物の告知と詐欺メールを間違えてしまう可能性が上がるだろう。さらに、サーヴィス側での情報漏洩に巻き込まれる危険性も高まる。とはいえ、絶対に安全というわけではないから、確実なメール以外は毎回しっかり疑っていく必要がある。


 SLG系は得意分野だし、メジャーな学園ものもそれなりに追えたが、黒箱系とピンク系の動向変遷は本当に分からない。私の乏しい知識では、ろくなことが書けない。
 そもそもダーク系については、90年代のうちからすでに様々な趣向が幅広く開拓されていて、何か特別な新機軸があったというような捉え方は出来ない。過激さに関しても、00年代前半にはすでにBlack CYCが活動していて非常にハードな表現を展開していた。00年代半ば頃に白箱/黒箱の分断が起きて、黒箱系がそれのみに特化するようになったというのはあるだろうけど、それ以外に黒箱系の内部で具体的に指摘できるような変化や要因があるかというと……私には分からない。
 触手もの(特にChaos-R)や変身ヒロインもの(Triangleなど)は相変わらず元気だし、調教ものも多い(※ただし、昔ながらの「調教SLG」は、Escu:deが孤塁を守っているだけで、それ以外はほぼ絶滅した)。催眠ものは、10年代に入ってから増えたと言えるだろうか。寝取られものはどこに分類したらよいか分からないが、基本的には00年代後半以降だと思う。
 ピンク系は、アトリエかぐやを中心としたエロコメものがずっと続いているという印象だ。00年代末から、「低価格帯+単独ヒロイン+趣向特化」の様々なタイトルが増えたと言うことはできそうだが、それ以上に具体的な要素を指摘するのは難しい。10年代前半に「甘やかし」ものが流行ったのは憶えているし、白箱系の一部がピンク系に進出した動きもあったが(PULLTOP LATTE、ensemble SWEETなど)、他に何かあったかなあ……。ヒロインに関しては、年下系がどの時期にも優位だったと思う(かぐやBerkshire Yorkshireや、Galetteブランドなど)。


 『ひとつ屋根の、ツバサの下で』(2018)は、カグユヅ氏原画の魅力を初めとして、航空機のディテールも良く描かれていたし、シチュエーションもわりと良かったのに……ここまで頑張っておいてどうしてキャストを桃組丸投げにしちゃったんだ……。新規ブランドのようで、期待が持てたのに……本当に残念だった。
 そういえば、この作品に登場する機体を模型で再現するのは、比較的容易だろう。いずれ機会があったら取り組んでみたい。


 ところで、ベッドの上には今日の購入物が散乱しているのだが、今夜の寝床はいったいどうしたらいいのだろうか。(年の瀬までこれかよ。まあ、なんとか整理するけれど。)


 年末年始の日数と、その間に処理しておかなければならない作業量を比べると、実は余暇時間はけっして多くはないということに気づいた。かなり時間を食いそうな仕事が降ってくる。うーん。


 最近は、J.S.バッハのこれまであまり聴いてこなかった曲に手を出してみたり、シューマンの室内楽を聴き込んでみたり、久しぶりにラヴェルやメンデルスゾーンを聴いたりして、たいへん楽しい。このヘッドフォン(高級ヘッドフォンの音質)で聴くのは初めてになるというCDもたくさんあり、私の音楽的感性の変化や久しぶりの新鮮さもあって、聞こえ方がずいぶん違ってきていて面白い。


 筆でちまちま迷彩塗装をしていたら0時を回っていた……。
 心身の調子が良ければ、こんなふうに没頭してしまうこともあるが、経過時間を見るとかなり非効率だし、クオリティも(私の腕では)あんまり高くならない。境界線はどうせガイドのためにマスキングテープを貼ってしまうのだし、筆塗りよりも吹きつけ塗装をする方がベターだ。……という年末年始の教訓を得た。



 12/23(Wed)

 うーん、来年度は本当に忙しくなりそう。
 たしか2017年も、仕事が特に忙しくて、このブログの更新も滞ったんだよね……。
 よし、いまのうちにおもいっきりあそびほうけておこう!


 表紙にピンと来て買ったら、「主人公が途中から眼鏡を掛けるようになる」漫画だった。善哉善哉。こういう描写がもっと増えればいいのに。眼鏡はひとの能力と魅力を劇的に向上させる便利な万能演出道具なのだから。


 このページのトップ画像と同じシリーズで、「若宮イヴ」も購入。帰宅してから調べてみるとフィンランド系キャラクターとのこと。きっとサルミアッキが好きなのだろう。グレーの頭髪は(キャラ表現上の記号ではなくて)作中で実際に銀髪であるということのようだ。
 このシリーズは、型抜きの凸凹跡などがやや粗いが、全体としては十分買える出来。顔立ちもきれいだし、プロポーションもすっきりしているし、肌の色合いもほどほどに血色が良くて健康的。
 ……おさげキャラって、良いよね!


 『シムーン』については、私にはまだ何も語れない。どうしても言葉にならない。


 戯画の『キス』シリーズは、すらりとした頭身の高い絵が好みなのだけど、戯画エンジンとうちのPCの相性が良くないので、どうも手を出しにくい。動作がやけに遅かったり、場合によっては起動しなかったりする。キャスティングに関しては、小倉氏&雪都氏の『ホチキス』(2012年の第一作)、桃山氏&白雪氏の『フルキス』(2017)、そして三代氏メインの『メルキス』(2018)あたりが良さそうだ。個人的には、あじ秋刀魚枠はあんまり嬉しくない。


 漫画『世界は終わっても生きるって楽しい』の「鳥取砂丘」氏って、あの『AYAKASHI』とかPurple software作品に参加しているあの「鳥取砂丘」氏でいいんだよね?と調べてみたら、確かにそうだった。SD慣れしておられるだけあって、動きの可愛らしさや、表情づけの気持ち良さ、そしてコマ組みもきれいに出来ている。


 最近になって、SDフィギュアを可愛いと思えるようになってきた。両目のプリントはしっかりしているし、衣服の塗装もちゃんとしているので、わりと見応えがある。「ねんどろいど」、「ちびきゅんキャラ」、「にいてんご」、「キューポッシュ」など。


 明日は眼鏡ネタの新作発売日なので、私にとっては眼鏡の日。


 『甘園ぼ』、調べてみたら絵はたいへん可愛らしいのだけど、薄目の呪いがはっきり現れていた。2018年になっても人類はあの呪いから逃れられなかったのか……。ちなみに、買わなかった理由はキャストのひどさ。悲しい……。
 ちなみにアニメ版『わたてん』は2019年。あれもきつかった。


 1/700グナイゼナウはわりと簡単に作れて面白かったので、勢いに乗ってプリンツ・オイゲンに手を出してみたら、木甲板の塗り分けが大変で作業が進まない。迷彩塗装の練習をしながら軽く制作するつもりだったのだが……。
 ただし、グナイゼナウは洗練された作りではあるものの、1975年発売の超オールドキットであり、古めかしいスタイルが其処此処に残っていた。それに対してPEは2002年発売なので、隙のないきれいなキットになっている。壁面もリアリスティックに薄く仕上がっているし、艤装パーツ(Cランナー)もきれいに造形されている。もちろんバリも無い。


 『桂香の章』体験版。初回プレイは「乱+眠眠剣(+呪い)」というなかなか便利な武器を拾ったので楽に進めた。
 2回目~4回目のダンジョンで、入って最初に遭遇した敵が大型雑魚という事態が3連続で発生した。攻撃アイテム(手裏剣)や技「猛襲斬」を使いまくってなんとか撃破し、一気にレベルアップできたのは良いのだが、はたして運が良いのか悪いのか……。さらに5回目のダンジョン侵入でも道中に大型雑魚に遭遇した。


 読みたい本、聴きたいCD、作りたい模型、プレイしたいSLGがたくさんあるのに……。
 もっと時間が欲しい。


 エアブラシの修繕。分解掃除をしてグリースを塗りまくって、ひとまずは元に戻ったかな。
 予備のためにも、ダブルアクション式も一台買って使い方を確かめてみたいが、そのために数千円(ものによっては1万円以上)を出すのもなあ……。


 『夏神楽』時点では、たまたま妖怪騒動に巻き込まれただけの、ただの神社巫女(一般人)みたいなものだったと思うが、『黎明記』シリーズでは対魔巫女として仕事をこなしているのがちょっと面白い。特に桂香さんは、声色も含めてずいぶん凜々しくなっている。初花の場合は『夏神楽』EDで幹也と互角の対魔巫女に成長していたと思うが、桂香さんのEDではどうだったかなあ……。


 『メガスキ!』をひとまず起動してしてみた。3作ひとまとめでのインストールで、起動したら総合タイトル画面から3つの作品にそれぞれ移動する方式。コンフィグも3タイトル個別に分かれているが、テキスト表示速度などの設定は事実上共有されている(つまり、タイトルAで設定すると、タイトルBとCにも同じ設定が反映される)。エンジンはYU-RIS。


 前提:吹きつけ塗装は面倒(塗装環境の整備や掃除の手間がある)。
 → なので、組み立てを途中まで進めておいて、一気に塗装作業をする方が効率的。
  → そうすると、作りかけのキットが溜まってしまい、かえって非効率になる。(いまここ)


 年末の大掃除。今月中に撮っていた7GB以上のゲームスクリーンショット(BMPファイル)を一括変換したら、JPEGで600MB程度になった。これですっきり。ただし、タイトルごとにフォルダで分けて分類整理する作業が必要だが。

 [ www.escude.co.jp/product/liberator/chara04.html ](※アダルトゲームサイト注意)
 『闇染Liberator』のキャロルは、立ち絵のボリュームとしては最大規模かも。一キャラだけで画面の5割以上を埋めている。もっとも、昔のAVGではバストショット立ち絵を大写しにするものもたまにあり、そうした場合は画面占有率が非常に高くなった(『kanon』『ちょこっと☆ばんばいあ!』『プリズム・アーク』など)。大きな帽子を被っているキャラだと尚更。


 年内の『カリンちゃん』情報は、続編決定という一点だけか……。まあ、さすがにスタンドアロンPC用のSLGではあるだろうけど。ゲームシステム抜きの読み物AVGとかオンラインアプリゲームといったようなことは無いだろう、たぶん。
 この件について、JORI氏は何も言及しておられない。おそらく制作参加されていると思うが、メーカー公式のスタッフ発表が出るまでは勝手に名乗り出るわけにもいかないので、これは仕方ない。いずれにせよ、『巣作り』型の防衛SLGで、今度はシステムをどのように開拓してくるか、その点はたいへん興味深い。

 『巣作り』から始まったこのシステムは、竜の攻撃によって敵対勢力を刺激して、侵入者をダンジョン内の多対多戦闘(オート進行)で撃退するというのが基本だった。
 『門を守るお仕事』ではユニット数を絞り込んで簡素化しつつ、ターン制限がある中でのやりくりや、季節による地形変化、スペシャル技の導入などの新機軸があった。難易度はやや高め。
 『勇者砲』では部隊ごとの装備着脱や、部屋指定での部隊配置、そしてダンジョン拡張などがある。グラフィック面でも、立体感のある斜め見下ろしダンジョンと、可愛らしいユニットたちのアクションアニメーションも大きな魅力だった。
 さらに『その大樹』では侵入者の数が増加し、何段もの波状攻撃が発生するようになった。敵勢力との遭遇も、こちらから能動的に移動して戦闘を仕掛けていく形になり、複数の敵軍を丁寧に各個撃破するか、それとも一網打尽にするかというマップ進行との兼ね合いにも戦略性があった。
 『カリンちゃん』では、部隊配置が「リーダー&配下ユニット」形式になった。ユニット間の相性による戦略性もあるが、ユニット配置が楽になったという意味ではUI面での改善でもある。また、ただ単に侵入者を撃退するだけでなく、彼等を楽しませることも必要だ(=様々なトラップを使う必要がある)というのも、新機軸だった。

 次にやるとしたら……ダンジョンの階層化あたりかな。例えば「ダンジョンの奥の方で戦えば、魔力が多いので有利だが、そのぶん敵に深く侵入されるリスクがある」といったような感じで。

 エイプリルフールの「鬼ごっこカリンちゃん」だとしたら、『呪いの魔剣』システムになりそうだが、あれは完全なワントップヒロイン用のシステムなので、サブキャラが出しづらい(AVGパートだけになる)。まさか『黎明記』の配下妖怪のように、カリン様がランランやケイファを引き連れてローグ型ダンジョンを歩き回るということは……いや、それはそれで面白いかも。『BUNNYBLACK2』のように、カリン様たちがダンジョンを登って天界に攻め込むというのは、アイデアとしては広げやすそうだ。

 10年代のソフトハウスキャラ作品では、やはり『呪いの魔剣』が最高の出来だった。同社の既存システムを巧みにアレンジしつつ、創意溢れるゲームシステムを作り出した。プレイヤーキャラに指示してダンジョン内を自由に歩き回らせる楽しさ。物語に沿ったアイテム集めの物語と、それに応じたフラグ体系(イベント分岐)の面白さもあった。キャラクターも、ソフトハウスキャラお得意の「師匠と弟子」関係で、よくこなれた良いシナリオだった。グラフィック面も紅村氏がメイン原画で、バトルシーンから仕事中のイベントCGから男女の絡み合いまでたいへん素晴らしい出来だった。難点もほとんど無い(一部キャストが不味かったくらいか)。本当に楽しいゲームだった。



 12/18(Fri)

 サクラギアは買い逃したか……(@関西)。どの店でも、サクラギア以外の3種だけが寂しそうに残っていた。まあ、出遅れたのだから仕方ない。可愛らしいメカ娘キャラなので、是非手に入れたかったのだけどなあ……。


 店頭で「1/350金剛」のキットパッケージを見ていると、「もう一度作って、あの時の醍醐味を再び味わいたい」という気持ちが湧いてくる。しかし、同じものを二度制作するのはあまり生産的ではない。また、最初の制作があれほど楽しかったのは、たぶん「大スケールキットの難しさや奥深さが分かっておらず、そして、分かっていなかったからこそ、超複雑なキットをひたすら無邪気に組み立てるのを楽しめた」ということなのだろう。そんな無知ゆえの楽しさに戻ることは、もはや出来ないのだ。


 木村あやかキャラはもうちっとだけ増えるんじゃ。
 『明日君』CGを追加したので、21枚中9キャラになった。いえーい。

 相変わらず私は、『明日君』『片恋い』史観なんだなあ……。
 90年代以来の古典的な恋愛ものが、
 2005年:ういんどみる(『はぴねす!』)によってコメディ路線に大きく舵を切り、
 2006年:Whirlpoolとゆずソフトがそれを口当たりの良い形に整理していき、
 2007年:Purple SW(『明日君』)とすたじお緑茶(『片恋い』)は学園ものが大掛かりなドラマの基盤になり得ることを実証してみせた。

 このように、00年代半ばの数年間は、学園恋愛系にとってきわめて重大な転換期だったと考えている。2004年以前はまだ雑多な模索期だったし、2008年以降は「学園もの」の枠組の外に出て行くようなタイトルが増えていく。


 昨日の晩に吐き気がしたのは、おそらく寒さのため。暖房を掛けて室温23度にしていたのだが。今日からは厚着重ね着の重装甲で過ごすことにする。


 模型完成数がそろそろ次の大台に乗る。節目だからといって特別なことをするつもりは無いが、せめてパチ組みは避けて、全塗装制作にはしたい。というか、ドレッドノートが節目になるかも。


 「ガルフレ」ラジオも200回か。
 私が聴き始めたのは、たしか第120~130回くらい(だいたい3年前)だった。


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 リスペクトなのは分かるのだけど、本当にただ見た目のレイアウトを似せただけなので、一枚の絵としてはものすごく出来が悪い。配色のバランスがひどいし、左上のスカスカも無思慮すぎ。『ロードス島』では中心に描かれている男性の睨み付けるような眼差しが素晴らしいアイキャッチになっているのだが、パロディ側は全身甲冑キャラなのでそういうアイキャッチの焦点が無くて全体がただ散漫になっている(タイトルロゴの有る無しのせいで、絵の中心もずれているし)。パロディを目指したせいで、絵それ自体がクオリティの低いものになるというのでは、本末転倒だろう。


 筆塗りをいろいろ試している。一回目の塗装でムラだらけになるのが心理的にきつい。丁寧に塗り重ねていけば最終的にはムラなくきれいに発色した平滑な塗装面を作れると理解してはいるのだが、筆ムラの出た塗装面を見るのはたいへんつらい。


 『メガスキ』パッケージ版は予約してあるので、年末は眼鏡度合いを確かめよう。
 (あっ、眼鏡だけに「度」……いや、駄洒落のつもりではなかったのだが。)


 模型ページが長くなりすぎたので記事を分割。
 購入したフィギュアの写真は、基本的に模型雑記ページに送っていく。こちらの全体雑記記事はかなり寂しくなるが、使い分けとしてはこれで良いだろう。
 
 今年の記事は32本か。全体雑記(12本)+模型雑記(4本)を除けばわずか16本。大半はwebラジオ記事とゲーム攻略記事。ゲームに関する独自テーマの論説記事が乏しかった。
 記事数を増やすだけならば、制作した模型一つ一つについて記事を立てていけば、それだけで相当な本数になるが、それほどたいした作品を作っているわけでもないし、見た目の本数を増やしても何の得にもならない。


 年内のうちに、「胃~之煮:駄宴」記事と『のんびり農家』加筆を済ませておきたい。


 「学園恋愛系」記事では、何本のタイトル、いくつのブランドを挙げているでしょうか。
 答:[139+α]本、[ 69 ]ブランド(※文字反転)。
 
 かなり多いように見えるが、30年史でこの本数ということは、一年あたりほんの4本ずつ挙げているにすぎない。また、それぞれのタイトルをプレイしていない読者にも、だいたいどういう位置づけなのかが分かるように説明してあるので、たぶん大丈夫だろう。
 「ふーん、そういうタイトルが実際にあるんだねー」くらいのつもりで読み流してくれればいい。もっと言えば、読者自身がプレイした個々のタイトルを思い出して、「ああ、そうか、あの作品は面白かったね」とか、「あの作品はこんな視点で位置づけることも出来るのか」といった感想を持ってもらえたら嬉しい。

 『Strawberry Nauts』を起動しているのだが……あっ、やっぱり例の「薄目の呪い」が頻出して、どうしても笑ってしまう……笑うところじゃないのに……。薄目の発動しているSSは引用(掲載)を避けた方が良いだろう。
 八束愛姫さんを『でりばらっ!』の御子神命さんと混同しそうになる。どちらも「木村ヴォイス+黒髪ポニーテールというだけなんだけど。
 というわけで、飽きずに記事加筆。これで24枚中10キャラになった。

 記事が長くなりすぎたので、2ページに分割(8300+6200=14500字)。目次も作成。
 当初は3000字くらいだったのに……5倍に拡大しちゃったね。(おばか)
 いろいろ加筆していって、最終的に「論述の各ブロックに一つずつ、引用画像を並べる」というスタイルでまとまった。視覚的にも楽しいし、読者にもとっつきやすくなったと思いたい。実のところ、画像のキャプションテキストを拾っていくだけでも議論の大筋は把握できるだろう。


 エアブラシが壊れた。トリガーを戻しても、先端から「シュー……」と薄く空気が出てしまう。吹きつけは一応可能だが、エア漏れが大きいのでこのままの状態では到底やれない。使用後の掃除もひとまず真面目にやっていたつもりだが、5年も使っていればガタが来るのはやむを得ないか。「いっそ壊れてもいいや」と開き直って、分解して大掃除をしてグリスを塗り直すところまで試してみよう。それで直れば良し、直らなくても知識と経験になるだろう。いずれにせよ、買い直すことは覚悟した。
 現在使っているのは、TAMIYAの「トリガー型+カップ一体型+0.3mm」の製品。オンラインでは値引き込みで11000~12000円程度で購入できるようだ。価格相応のクオリティは確かにあるのだが、年末の出費はちょっときつい。安めの代替品を買うという手もあるが。
 修理に出すこともできるが、修理費もそれなりに掛かるだろうし、時間もかなり待たされる可能性がある。思い切って買い直した方が早そうだ。

 1) トリガー型。艦船模型などで大面積を塗るので、指が疲れないようにこの方式を選んでいる。ダブルアクションの方が繊細なコントロールができるのだが、今のところ私には、そこまで細かい性能は要らない。
 2) カップ一体型。取り外しタイプだと、塗料が隙間に染み込んでしまう危険がある。一体型であれば、その心配が無いので、掃除も楽になる。
 3) 0.3mm。ひとまず標準的に。0.2mmだと吹きつけが細すぎて大面積がつらいし、0.5mmはたぶん大雑把すぎて汎用性に欠ける。
 4) 先端部の切断面は平ら。ギザギザの王冠型は避けたい。というのは、指やティッシュで押さえて「うがい」をする際に、ギザギザの隙間からエアが漏れてしまう虞があるので。
 5) 手で持ちやすい形状。できれば軽い方がよい。これも、長時間使用して疲れないため。ただし、形状のフィット感は人によるし、重量はどれも大差ないようだ。
 これらの条件を考慮すると、国内で一般流通しているハンドピースでは、上記TAMIYA製品の一択になってしまう。TAMIYA工具は信頼できるので、何の不満も無いが。カップ容量も7ccと、大きすぎず小さすぎずでちょうど良い。大きすぎると重くなったり視界を遮ったりするし、小さすぎると塗料の継ぎ足しがちょっと面倒になる。

 上記の製品以外にもう一本買うとしたら、ダブルアクションの0.2mmまたは0.3mmになるかな。オーソドックスに0.3mmで、予備として一本キープしつつ、必要に応じてダブルアクション機能を活用するか。それとも、0.2mmでしか出来ないこともあるので、思い切って0.2mmを買って使い分けるか。


 前弩級戦艦も面白そうに見えてきた。昔は、艦橋の貧弱さにあまり興味を持てなかったが、これはこれで構造の独自の面白さが見て取れる。同時期のダントン級(フランス)などは、現在でもキットが入手容易のようだし、買って作りたくなってきた。



 12/13(Sun)

 フェルト生地のキャラクターぬいぐるみについて、これまでは「安っぽいなあ」と感じていて何の興味も持てなかったが、「これはこれで可愛いかも」と思えるようになってきた。


 ゲームに関しては、『闇染』をしっかりやり込んでひとまず満腹になったので、気分転換に別ジャンル(コンシューマなど)をプレイしたい。


 来年度は仕事が増えて忙しくなりそう……。もっと遊ぶ時間が欲しい……。
 とはいえ、お仕事である以上、当然その分のおぜぜも増えるわけだし、総合的に見れば割の良い仕事だし、私自身の経験にもなるので、うーん、まあ、仕方ないけどやるしかないか。

 年末年始に何をするかの活動予定も立てねば。できるだけ有意義に過ごしたい。


 今月のアダルトゲーム発売集中日は25日(金曜)だが、年末なので人によっては実店舗まで買いに行くのが面倒になる。例えば、仕事納めが24日以前であれば、「仕事帰りのついでに立ち寄る」ということが出来なくなる。大学の講義も、23日~25日あたりが年内最終日というところが多い。ということで、今月は通販中心にしておこう。
 
 店舗販売してくれているところは貴重なので、できればそのお店で買いたいところだが、
 1) どのお店であろうが、まずはゲーム業界にお金を落とすことそれ自体に意義がある。
 2) getchuにもたいへんお世話になっている。特に作品データベースとして。


 先日の「学園恋愛系」記事について。学園恋愛系の内部の流行や技法の変遷について書き始めたら止まらなくなった。画像引用も視野に入れて、本格的に構成して書くか……。
 なんとか書き終えた。最終的に1万字を超えたが、まあ、こんなものだろう。

 書き上げてから気づいたが、「最初にアダルトゲーム全体の中での白箱系の位置づけをしてから、白箱系それ自体の変遷に進める」というのは、たぶんものすごーく読みづらい。というわけで、思い切って第1章と第2章を入れ替えた。こうすると、「まず最初に白箱系それ自体のイメージを掴んでから、そのうえで黒箱系やピンク系との関係に話を進める」という順序になる。読者にはこちらの方が理解しやすくなる筈。
 この種の文章で、具体的な作品名をどれだけ挙げるかについては、いつも迷っている。実際のタイトルを挙げることは、議論を支える実例提示としてきわめて重要だし、それらをプレイした人に対して説得力が増す。しかし、それらのタイトルをあまり知らない読者にとっては、よく分からないノイズになってしまうだろう。「大量の例示は註に仕舞い込んでおいて、本文はきれいな論述にしておく」というのが良いのだが、プレーンなwebテキストではそういう操作がやりにくい。

 全力で画像引用していたら、見事な木村あやか祭になった。もちろん、論旨は歪めていないが、十分に成立している。木村氏がそれだけ多くのタイトルに出演していたからこそだろう。それにしても、「木村あやかキャラで語るアダルトゲーム史」とはいったい……。
 『エリクシルナイツ』でリリクスを出すこともできたのだが、ゴスロリファッションは変身ヒロインらしさに欠けるので、残念ながら差し控えた。まあ、木村氏のキャラは引用画像14枚に7人も出ているから、十分だろう。
 
 「十分に性表現を増強した白箱系は、ピンク系と見分けがつかない」というクラークの第3法則もじりを書こうかと思ったが、文章におかしな引っかかりが生じてしまうので差し控えた。

 いろいろ振り返っていて気づいたこと。……もしかして、私、ピンク系の蓄積がすごく浅い? というか、アトリエかぐやをほとんどプレイしていない。スクリーンショットもろくなものが無いので、紹介するのにも苦労する。
 せめて体験版をDLして、そこからSSを撮ってこようと思ったが、最近は各所のDL支援サイト(ミラーリングサイト)が壊滅状態で、ほとんど残っていないのだよね……。そういう有志サイトは、修正パッチの配付も行ってくれていたから、旧作をプレイするのがいよいよ困難になっている。
 というわけで、すえぞうさん([ http://suezou.dyndns.org/ ])に感謝しつつ、アトリエかぐやのCGを掲載してひとまず完成とする。

 ……と、いろいろ書いていたら「学園恋愛系」記事への紹介リンクが貼られていたようだ。えーと、ぎりぎり改稿し終わったところだから、訪問者があってももう大丈夫かな?

 思い出して『ねこ☆こい!』公式サイトのSSを掲載。引用なのでOKと考えている。やったぜ、これで堂々と「CV:木村あやか」を記事内に出せた!(わたしって……おばかなの?)
 ちなみに、この公式サイトではFlashを使っているので、現在の状態で見るのはじきに不可能になるという悲しい話でもある。
 最終的に、木村氏の演じたキャラは20枚中8キャラになった。よしよし。ここからさらに積み増しできる可能性を考えると、魔法戦士もののCGをスイートパッションに差し替えるくらいだが、まあ、そこまで無理をしなくてもいいだろう。
 細かい話をすると、その他にも五行なずな祭(『水平線』『ハピメア』。『英雄*戦姫』にも出演)や、大波こなみ祭(『Schoolぷろじぇくと』。『Maple Colors』にも出演)、青山ゆかり祭(『Maple Colors』『ハピメア』。『片恋いの月』『英雄*戦姫』にも)、海原エレナ祭(『復讐の女神』。『パティシエなにゃんこ』にも)、萌花ちょこ祭(『六重奏』『MML』。『英雄*戦姫』も)を追加する余地もあったのだが、うまく写っているSSが手許に無く、そこまでは手が回らなかった。

 学園ものの動向に関する私なりの認識としては、この記事のように捉えているのだが、これがどのくらい妥当であるか(どのような異論があり得るか)はよく分からない。他のゲーマーの意見も聞いてみたいが、しかし、そもそも
- 二十年前後のゲーマーキャリアがある。
- 学園ものもダーク系も幅広くプレイしている。
- アダルトゲームについてまとまった展望を持っている。
- それを整理して説明できるだけの表現スキルがある。
- 対象に即して、公平かつ正確な議論ができる。
という条件を考えると、そんな人々がはたしてどのくらい存在するかと考えると……。二十年もののアダルトゲーマーは、EGScapeなどを見てもまだまだいらっしゃるけれど、うん、まあ、そろそろ稀少存在になりつつあるのは確かだろう。
 私自身に関して言うと、1)声優の芝居を最も丁寧に聴き込める表現形式として、また、2)個性的なSLGを楽しめる分野として、さらに、3)18禁ならではの表現の自由度のある領域として、自分の趣味活動の中でもたいへん貴重で重要な表現分野だと考えている。なんのかんの言って、とても幸せな趣味だと思うよ。



 12/11(Thu)

 SNSなどのwebサーヴィスは、「いきなり飽きる」ということがある。「べつにここに書かなくてもいいかな」という気分になったら、そのまま利用しなくなり、離れてしまう。そうした場合は、「飽きたので止めます」という宣言をしに行くことすら面倒になるので、本当にフッと投稿が途絶してしまう。この時勢だから、もしかしたら周囲は事故や急病を心配するかもしれないが、カジュアルなユーザーに関してはたいていはそういう事情だと思う。
 なにかしら事情があって止めざるを得なくなったとか、あるいは真剣な状況判断に基づいて決断するという場合もあるだろう。例えば、じきに多忙になることが明確になった時点で、あらかじめ告知しておいてから辞めるという人もいるだろう。私自身、以前のtwアカウントはいろいろ思うところがあって明確に宣言して離脱した(※その後もログインすることが数回あったけど)。
 
 とはいえ、なんらかの形でアウトプットを継続するのは、精神面でも(ひとまずは)良いことだし、自分の知識や認識を言葉に出すことで整理するという実際的な効用もある。このブログでは、「雑記」ページを作ることによって、書き込みの心理的ハードルを下げるようにしている。つまり、曖昧なメモでも書いていいし、テキストの構成も考えずに書き流してもいい場所だ。ほんのちょっとでも書きたいことが頭に浮かべば、とりあえずは「雑記」ページを開けばいい。
 何かを書こうとする度に、個別の記事(ページ)をその都度作るのは、(少なくとも私にとっては)たいへん面倒な作業になる。単独の記事にするからにはそれなりの内容が必要だという義務感に縛られてしまうし、記事タイトルも一々考える必要がある。アーカイヴ全体を見返したり再編集したりするのも大変になる。
 そうした意味で、この「雑記」欄というスタイルは、いわば私自身を甘やかすための手法だ。どんなことでも気楽に書き飛ばしていい場所だ。それで害悪が生じるわけではないから、甘やかすのはべつに構わない。そのおかげで、このブログは、えーと、丸7年以上続けられている。旧ブログから通算すれば9年だ。内容上の成果(書き残された意義のあるコンテンツ)がどれだけあったかは分からないが、少なくとも私自身の精神衛生にとっては良い影響があったし、諸々の趣味活動の支えにもなっている。
 
 あえてデメリットを挙げるなら……うーん、例えばブログ読者に対して更新通知が行かないといった技術的問題が考えられる。また、雑記欄の中の特定のテキストをURL指定することができないというのも、ちょっと面倒かもしれない。ただ、それらの短所と引き換えにしても、上記のメリットがあまりにも大きいので、私は今後もこのスタイルを続けていくつもりだ。


 blggrの各種通知やダイアログの一部が英文表示になってしまった。気づかぬうちに何かのショートカット操作をしてしまっていたのかもしれない。ブログの言語設定を確認してみたら、「日本語」のままなのだが……。さすがにメッセージの意味は理解できるし、実用上の問題は無いのだが、予期せぬ(原因不明の)変更が生じるのは居心地が良くない。


 『闇染』の声優陣に関しては、アダルトシーン特化のキャスティングだと考えれば、うーん、まあ、それも仕方ないのかもしれない。蹂躙的なアダルトシーンが大きな比重を持つ作品なのだし、黒箱系に出演できる役者の中でしっかりした嬌声芝居ができることを重視して人選すると、こういうキャストになるのだろうか。桃組声優も、ベッドシーンだけはそれなりにこなれている(元気よく喘ぎ声を出し切っている)からなあ……。それでも、日常シーンの気の抜けたような退屈な芝居や、バトルパートでのなんとも盛り上がらない掛け声は、擁護のしようが無いけれど。双方を天秤に掛けてアダルトシーンの出来具合を取ったのだと考えよう。
 00年代は、一色氏や北都氏、かわしま氏、白井氏、涼森氏、草柳氏、金田氏、理多氏、如月氏のような一流の声優が、ダーク系やピンク系のタイトルにも出演していて、日常パートも彩り豊かに表現しつつ、ベッドシーンも鮮やかに演じていた。00年代後末から10年代に掛けても、桜川氏や青葉氏、小倉氏、姫川氏、民安氏、美月氏、御苑生氏、桃井氏などの才能が、通常シーンとベッドシーンの両方のクオリティを保ってくれていた。しかし2020年現在では、残念ながら、そういう声優はなかなかいない。五行氏や藤咲(ウサ)氏が黒箱系でも頑張っていたり、柚原(みう)氏や蒼乃氏のような若い才能が現れたりもしているが……。


 『こいびとどうしですることぜんぶ』ならぬ、ふうふどうしですることぜんぶ、か……。
 『BUNNYBLACK』シリーズのような続編では子育てまでしていたし、『俺と5人の嫁さんがラブラブなのは、未来からきた赤ちゃんのおかげに違いない!?』はすでに子供がいる状態だったり、『蒼色輪廻』では夫婦が幸せに寿命を迎えるところまで描いていたが、全体としては非常に珍しい。
 特に白箱系では、お腹が膨らんでいる状態の立ち絵や、出産イベントそのものの描写は、ほぼ皆無だと思う。ただし、エンディングでヒロインのお腹が膨らんでいるイベントCGや、あるいは生んだ赤子を抱いているイベントCGは、それなりにある。『恋色空模様』には、サブキャラの母親の出産に立ち会って、命の尊さを感じるというシーンがあったが、当事者ではないので上記の話とは異なる。
 ピンク系では、「懐胎中のヒロインと、子供の名前を考えながらいちゃいちゃセックスをする」というエピローグイベントはポピュラーなものだろう。例えばNornブランドの作品は、たいていそういうパターンじゃなかろうか(※ろくにプレイしていないので、ただの想像だが)。
 出産シーンに関しては、黒箱系のモンスター出産ネタが大量に存在するが、さすがにこれはまったく別次元の事柄だろう。異種族繁殖だし、蹂躙表現の一環なので。

 保住氏が「エロゲ」と言うとき、基本的に白箱系のことしか話していない。アダルトゲームの中で、特にダーク系やSLG系が視野に入っていないままに(あるいはそれらに対する考慮や配慮が無いままに)「エロゲ」語りをするのは、傍目にちょっときついと感じることがある。


 アダルトシーンで、イベントCGの股間部分を大写しにしながらヒロインの台詞が表示されると、股間そのものが喋っているように見えてしまい、噴き出しそうになることがある。アンアン台詞だと、まるで股間が喘いでいるような……。(おばか)


 ドレッドノートは、塗装に入れなかった。今週末は作業を進めたいが、そろそろ本格的に寒くなってくるので塗装は難しそうだ。どうしたものか。


 新記事:「学園恋愛系の十年」。
 自分なりの展望をまとめてみたが、だいたいこんな感じでいいかなあ。本文は約3200字、おまけの雑感を含めても3900字。書き足していたらそこそこの文章量になったので、単独記事にした。
 記事URLのパーマリンク「schoollove.html」は、『すくぅ~る・らぶっ! ~そよ風のハーモニー~』を念頭に置いてネーミングした。(本当……なのだけど、我ながらおバカっぽい)
 先日の『白昼夢』記事でも白箱系ブームの終焉に言及したが、あのくだりは一応このくらいの認識の裏付けをもって書いている。


 『のんびり農家』って、漫画版が雑誌(「ドラゴンエイジ」)の表紙を何度も飾るくらい人気なのか。今後のコンテンツ展開がどうなるかは分からないが、とりあえずアニメ化して幡宮さんと友永さんを出演させるところまでは行ってほしい。


 待機してF5連打したのは、人生で初めてだった。
 ひとまず順当に続編制作の報。今回は蜀軍キャラが敵になるということかな。前作で登場した魏軍の主要キャラは、味方側としてひきつづき登場するものと思われる。前作の呉軍キャラたちについては不明。登場しないかも。
 スタッフとシステムは、まだ公開されず。しかし、ゲームエンジンはソフトハウスキャラのsystemAOIそのままだったから、JORI氏はおそらく参加されるだろう。あれを他のエンジンで一から再現するのは大変だろうし、もしも仮に旧SHC側に無断でシステムを丸パクリなんかしたら、さすがに業界仁義に反するだろう。原画はNEXTON側が提供するだろうが、脚本が誰になるかは不明。
 前作の時も広報展開はかなり力を入れていたから、今作ではもしかしたら「プララジ」っぽいコンテンツを作ってくれるかもしれないという期待も出てきた。願望のマキシマムは、風花氏と綾音氏と大波氏と青山氏による4人ラジオ。


 SNSで勝手に「(CV: 誰々)」と実在声優の名前を使っている人々は、みんないなくなればいいのに。他人の名前を使うのが失礼だというのもあるし、検索妨害も甚だしい。遭遇し次第、即座にブロックすべき対象だと思っている。


 「ラーニア」はもう店頭発売されているところもあるのか。
 私のところには通販の発送メールはまだ来ていないけど、たぶん大丈夫だろう。


 『桂香の章』は、サトリが出るのか。武器を弾いてくるので、かなり嫌な相手だ。
 
 サトリ対策としては:
1) 手裏剣や呪符などの遠距離攻撃で仕留める(アイテム弾切れの可能性がある)。
2) 安全な必殺技で攻撃する(必殺技ゲージが不足するので、現実的ではない)。 
3) 味方妖怪に任せる(倒しきれないので、現実的ではない)。妖術も回数が限られる。
4) 他の敵妖怪を混乱させて、サトリを攻撃させる(現実的ではない)。
5) 針山などの上に移動させて、地形ダメージで倒す(現実的ではない)。
6) 呪いをつけておく(罠で呪いをつけるのが面倒だが、常時呪い武器ならば有効)。
7) 一時的に武器を外して、素手で殴る(もちろん弱いが、これはこれであり)。
8) 弾かれてもよい武器に持ち替えて攻撃する(手持ち武器が余っている場合に限る)。
9) サトリが弱っている時は、「捕獲」してしまうこともできる(条件が限られるうえ不確実)。
10) そもそも戦わずに逃げる(正しいには正しいが、足が速いので逃げ切れない)。
11) 「ぶっ飛びの符」で逃げる、あるいはサトリの方を飛ばす(アイテムが足りない)。
12) クリティカル武器や一撃必殺武器で攻撃し、せめて攻撃回数を減らす(リスクが残る)。

 最もシンプルなのは、常時呪いの武器を使うこと。ただし、武器持ち替えができなくなるというデメリットもある。イージーモード以下ならば、「呪いの罠」を踏んでおくという手もあるが、その罠が必ず出現するというわけではないから不安定。どうしようもない時は、武器を外して素手で殴る。ただし、ダメージが低いし、複数の敵に囲まれた時が危険。手持ちの武器から、失ってもよいものに持ち替えて攻撃するのも一案。

 うーん、「盗み守り」などで防げないのかなあ(未確認)。
 武器弾きは、スキルではなくサトリ自身の性質なので、沈黙付与でも封じられないと思う。

 ちなみに、攻撃射程もキャラクター自身の性質のようで、例えば弓キャラの紫や初花は、武器を外した素手の状態でも3マス攻撃ができてしまう……どんな状況だ、ダルシムか!? 素手状態でも、攻撃アクションをさせると弓を射つモーションが出るので、きっと武器とも呼べないような名も無き弓を常備しているのだろう。


 記事の公開日を未来の日付に再設定できないせいで、いろいろ面倒。



 12/08(Mon)

  gglが方針転換を露わにしはじめたか。このぶんだと、このblggrサーヴィスも、更新が止まったら丸ごと消されるような利用条件になってしまうかもしれない。9年前にblggrを使い始めた時は、「他のウェブサーヴィスと比べて長期保存される見込みが最も高い」と考えていたのだが……。gglの今後のポリシーでは、利用規約を変更して最短2年くらいで消滅させられることが十分あり得るのだと覚悟しておこう。
 
 
 新記事:「Escu:de讃」。そろそろ年末だし、回顧的に展望してみよう。
 サイズは約5400字。簡単な概観としてはこのくらいかな。

 ただ単に個別タイトルの感想を書くだけではなく、そのブランドが辿ってきた足跡を考慮したり、あるいはアダルトゲーム分野全体の中での位置づけを試みたりするというアプローチは、十年以上前からずっと構想していたものだった。ただし、分野史的な位置づけなどというものは主観ベースの恣意的なものになってしまいやすいが、技術論という視座であればそれを克服して客観性のある議論ができると考えていた。そして、これまでのゲームシステム攻略や演出技術論の蓄積がそれを支えてくれると期待していた。……そういうものに、今回ようやくちょっとだけ着手できたかもしれない。まことに遅まきながらと言わねばならないが。
 『Re;Lord』に関しては、良い感じのスクリーンショットが手許に無かった。適当に再プレイして、使えそうなSSを撮ってくるか……。
 『サクリファイス』は好きなので、最高の一枚を選んだ。やっぱりあのシーンだよね。
 『あかときっ!』はネタに走った一枚を引用掲載した。やっぱりあのヒップだよね。
 『闇染』は、さすがに発売直後の新作から画像を引っ張ってくるのはよろしくないと考えて、第一作から画像引用することにした。やっぱり文芸部内気小柄後輩ショートカットで私服時は帽子姿になってくれたり変身時は「君(きみ)」呼びまでしてくれたりする綾瀬菜緒さんだよね。

 私は、もう一つ、ソフトハウスキャラについてきちんと書かなければいけない。4月からずっと、折に触れて各作品のことをいろいろ考えているのだが……まだ書けない。書いてしまいたくないという思いもある。
 
 Escu:deは、たまに乳首差分を表現しているのもなかなかマニアック。たしか『ヒメゴト・マスカレイド』の頃からだったと思うが、イベントCGでヒロインの突起部分が、「通常」「盛り上がり」に差分変化するというもの。


 【 疑わしいオタク世代論に対して 】
 オタクは知性志向から情緒志向に移行したという、かなり疑わしい議論が持ち上がっているようだ。個人的には、眉唾なように思える。
 1) 昔のオタクは主知的だったか。
 2) 今のオタクは主知的ではないのか。
 3) 昔のオタクは情緒を軽視していたのか。
 4) 今のオタクは情緒優先なのか。
 5) 環境に由来する行動態様の問題なのか、それとも当事者の意識的な活動目的なのか。
 6) そもそも「主知的/主情的」は対立的、択一的なものなのか。
 7) 過去の「オタク」たちと、現在「オタク」と呼ばれる人々を単純に比較することは適切か。
 それぞれ議論の余地がある要素が絡み合いすぎていて、これらを単純化した議論に乗るのは非常に危なっかしい。せっかく、つい先日は「目立ちやすいイデオローグが主張していたモデル的オタク像だけでなく、草の根のオタクたちの実像を幅広く見るべきだ」という話が持ち上がっていたというのに、さっそくこんな雑な議論に飛びつくのはいかがなものかと思う。(嘆息)

 1)について。モデル的に理想化された「昔の『おたく』」は、莫大な知識を収集する存在として描かれがちだが、そうではない「おたく」だって大量にいただろう。昔のオタクをイメージする際には、そうした超人的オタク像だけを抽出しているが、現在のオタクを語る際には、SNSなどで日常的に視野に入る大量の、ごく月並なオタクたちが標準モデルとして想定される。つまり、7)にも関連するが、そもそも「オタク」の定義(語義、外延把握)そのものが対応しておらず、議論の前提が整理されているとは言いがたい。
 2)について。現在のオタクたちは知識を軽視しているのか。いや、そんなことは無い。彼等(私たち)は、現在でも知識を、情報を求めている。そして、それらの情報を自分自身で経験することを望んでいる。変化したのは、情報を扱う形態だ。昔は個々人がバラバラに情報を溜め込んでいただけだが、現在ではwiki形式などで情報をオープンに共有するようになってきた。昔のオタクというと、例えば「SFサークルで『何百冊読んでから出直してこい』と言われる」といったように、知識が権威の道具として扱われることがあったようだが、幸いにも現在ではそんなことは起きなくなっている。それは、要するに、知識が広汎かつ公平にシェアされるようになっているということだ。それは、知識の扱いが、昔よりもより良いものになってきたということだ。「知識を一個人の中だけで溜め込むことは、べつに美徳ではない」という、ベターな認識が定着したということだ。もちろん、そこにはネットの普及を初めとする技術的進歩の恩恵があるという側面もあるが。また、現在の比較的若いオタクの中にも、膨大な知識を身につけている博覧強記の超人オタクはたくさんいる。彼等の存在を無視してはいけない。
 3)について。昔のオタクたちも、べつに機械的な情報収集マシーンだったわけではあるまい。ネットが未発達だった時代でも、各地に散在するミクロサークル群のそれぞれで、うるわしき趣味体験の共有と、それに伴う感動の共有は、ずっと行われていただろう(典型的には、自宅やサークルでのアニメ上映会など)。また、何十年前のオタクたちの間でも、対象に対する「情の濃さ」は重視され、相互評価の対象になっていただろう。知識を誇る以外にも、情熱的な行動という形で自らを表現したり、そうした情熱的姿勢が称賛されるということは、当然ごく普通にあった筈だ。そこにはもちろん、「お金を掛ける」という行為も含まれる。昔のオタクが知識人揃いだったというのは、理想化された虚像ではなかろうか。
 4)について。現在のオタクたちに、情緒的側面が目立つようになっているということは、おそらくあるだろう。ただしそれは、現代のSNS上では情緒的な言動が可視化されやすいという観察バイアスを被っている。そうしたバイアスを慎重に排除したうえでなければ、公平な観察とは言えない。また、現代ではオタクの人口規模それ自体が大きくなった。ということは、一部のエリート的マニアよりも、ごく知識量が平凡なごく普通のオタクたちの人数が爆発的に増加したということになる(これも[7]に関連することだが)。そうした状況では、「現代のオタクたちは、受動的にその場の情緒的享受に流されがちである」という認識を――誤って過度に――強めているだろう。
 5)について。これまでも述べてきたように、知識を巡って展開される昔のオタクの行態と現在のオタクの行態の違いは、明らかに技術的環境やインフラの相違に強く規定されている。四十年前であれば、マイナーな雑誌のバックナンバーを揃えているだけでも、十分貴重な(特別な)情報になっただろう。つまり、情報を溜め込むことが、オタクたちにとって「趣味の楽しみの根幹部分」であったかどうかは分からないが、少なくともそれをするだけで「趣味の活動を意味づけてくれる要素」ではあったのだ。昔のスーパーオタクたちは、本当に「知識を収集することそのものを、価値観の根幹として自己認識していたのだろうか?」という点を私は疑っている。その一方、現代ではそういうわけにはいかない。情報に対するアクセス環境が劇的に変化しているのだから。ちょっとした情報を溜め込むだけでは、たいした実績にはならない。現代のオタクたちは、様々な情報へのアクセシビリティの点ではたいへん恵まれていると言うこともできるし、多少の知識を持っている程度ではたいした価値にならないという点ではなかなかハードな活動になっている。
 6)について。「主知的/主情的」という択一的発想そのものがおかしい。知識を持てば持つほど、より深い作品享受が可能になるし、またその逆もしかりであると言うべきだろう。主知的か主情的かというのは、そもそも問題設定が誤っている。
 7)については、ここまでも言及してきたので繰り返さない。昔のオタクについては、高度な水準に達した者だけを「オタク」と見做してそれ以外の凡庸なオタクたちの存在を無視し、その一方で現在のオタクに関してはwikiなどで活動している匿名の濃厚なマニアたちの存在を無視して、SNS上で楽しくやっている人々だけを「オタク」として認識する。……こういう認識のバイアスは、(現在の)オタクに対する偏見を助長するとともに、偽のオタク史を捏造する格好の土壌でもある。つまり、最悪。

 結局のところ、私の想定は、「全体として見れば、昔も今もそんなに変わらない」。個人単位の活動としては、知識は相変わらず重視されている。そして、知識の優れた人々も、受動的なライト層も、比率はそんなに変わらないだろう。ただし、趣味人同士のコミュニケーションの局面では、知識を競うよりも愛を語り合うようになっている。それは、昔と比べて良くなった点だろう。

 社会的な次元として言うと、「昔のオタクは主知的/今のオタクは主情的」という議論は、「昔のオタクはすごかったが、最近の若いオタクどもは浅薄だ」という例のアレな態度ときわめて親和的であり、その陥穽を意識せずにあのような主張を振り回すのは実践上もきわめて危険だと思う。その危険性を意識している人がどれだけいるだろうか? 安易に乗ってはいけない主張だろう。
 あえて言うが、ああいう主張に素朴に乗っかってしまう人たちは、私の中で信用が落ちる。詭弁めいた議論に乗ってってしまう迂闊さという点でも、昔と今を粗雑に対比してしまえる偏見の強さという意味でも、最近の若い者を平気で悪く言えるメンタリティのヤバさという点でも。
 現在のオタクと対比して「昔のオタク」をイメージできる人たちというのは、おそらく若くても35歳以上(2005年時点で20歳)、ことによると50代かそれ以上の年齢になっているわけで、うん、まあ、そろそろ「さいきんのわかいやつら」に対して攻撃性を発揮したがるようになりやすいお年頃だから、重々気をつけた方がいいのだよね……。

 まあ、私自身は、知識志向が強めであり、そして、他のオタクたちと感動を共有することにはまったく興味を持てないので、典型的なオールド「オタク」像(俗に言う「第二世代」)そのままなのだけど。しかし、私以外の現代のオタクたちについては、刹那的快楽に浸されているだけだなどとは考えていない。若きオタクたちは、昔では想像もできなかったほどの膨大な情報の大海を元気に泳ぎ回っているのだから。


 政治的陰謀論を警戒しすぎたせいか、少しでも疑わしい主張を漏らしている人物を目にするや陰謀論者と決めつけて、その人の名前を侮蔑的にもじって馬鹿にしつつスクショ晒しをするという、非常にヤバいものを見かけてしまった。陰謀論フォビアが非合理的な攻撃性発露にまで昂進してしまっている状態は、もはや陰謀論者と同じくらい有害だ。もっとも、そのような悲惨な過敏反応が生じてしまっているのは、まさに陰謀論の類が社会に蔓延していることの副次的影響でもあるのだが、陰謀論が悪だからといって陰謀論っぽいものまで見境なく攻撃しまくるのは、まあ、なんというか、言論のモラルが終わってるなと。そういう界隈は信用を無くすよ……。
 ある一つの悪を攻撃しているからといって、その人自身の言論全体が正しいなるわけではないのだが。「自分は不正義を批判しているのだから大丈夫だ」という開き直りは、むしろ別種の不正義をもたらす種になりやすい。実際、「自分は陰謀論を免れているから、陰謀論にハマっているあいつらよりは上等だ」と言わんばかりの傲慢さ――というかほとんど差別意識のような決めつけ――を示している人たちもおり、うーん、そういう姿勢を露わにしている人たちが公正で誠実な議論をしてくれると信じるのは、もはやきわめて難しい。


 『踏切時間』を、「〆切時間」に読み違えそうになった。しめきりいやああああああ!


 
 12/02(Wed)
 
 きまぐれに『踏切時間』をまとめ買いしてみたら、やたら面白かった。
 踏切前に佇む人々(主に女子学生)をフィーチャーした短編コメディ集なのだが、
 1) 踏切前という状況を活用したネタのひねりが上手い。台詞回しも巧み(例:詩人の話)。各話のストーリーも、百合ラブコメから、切れ味の良い会話劇、そしてオカルトホラーまで多種多様。各話のオチも、良く出来た落語のようにきれいにオチている。
 2) 一話完結の短編集ではあるが、同一のキャラクターが適宜再登場し、同時並行オムニバスのようでもある。再登場しても「あの時のキャラだ」とすぐに分かるのは、キャラ立てのインパクト、毎回の導入部(説明)のきれいさ、そして各話の見通しの良さがあってのことだ。
 3) コンテもよく練られている。特に同一構図再現演出を、効果的に多用している。踏切周辺の背景作画も緻密に描かれて質感と空間性を感じさせてくれるし、人物部分もグラデーショントーンを多用して非常にカラフルな印象を持たせる。
 4) 人物の描き方は、漫画的デフォルメがやや強めで親しみやすく、表情もヴァラエティ豊か。個人的には、かなり好み。全身のプロポーションはスラリとした長身だが、ヒップの突き出し具合などにほんのりと色気がある。

 作者の里好(さと・このみ)氏は、えーと、『ディス魔トピア』を途中まで読んだことがあったくらい。たいへん気に入ったので、既発売の単行本をあらためて買い揃えて読んでいくつもり。


 一つ〆切仕事を終えたので、甘いものを食べまくろうと買い込んできたはいいが、口の中が荒れて痛むので楽しめない、食べられない……ううっ、こんな筈では……。


 11月は、良いショタキャラが登場する漫画に何作も出会えて幸せだった。じゅるり。
 今月も良い作品に出会っていきたい。

 仮説1: もしかしたら私は、「ショタっぽい女の子キャラ(≒ボーイッシュ少女)」と「女の子っぽいショタキャラ(≒男の娘キャラ)」がいれば、それだけで人生に満足できるのでは?
 仮説1に対する反証: 眼鏡とケモ耳とツリ目と黒セーラーも、欠くことのできない要素である。


 『白昼夢』記事に加筆。旧作のスクリーンショットを掲載しつつ説明を補充しただけだが、バランスの取れた紹介記事になったと思う。また、この作品のユーザー層はかなり若いようなので、歴史的な比較の視点を提供することにも一定の意義があると思う。ただし、これ以上加筆を続けると、論旨が散漫になってしまったり、読者にとって読みづらくなってしまったりする可能性があるので、このあたりで切り上げておく。
 ちなみに、「春乃いろは祭」を目論んでいたのだが、東条七ノ羽さんの魅力に抗えず、最後で日和ってしまった。『キミユメ』の中でも、このキャラのCGだけは異質、というか(何故か)別格の出来映えだったので。


 先週は〆切があって余裕がとれなかったが、今週末はSLGに耽溺しよう。
 『ドーナドーナ』も買ってあるが、『闇染』からにしようかな。
 
 なにしろ11月末は、Escu:deとalicesoftのSLG系二大メーカーがフルプライス新作を同日発売するという、たいへん素晴らしい盛り上がりがあった。プレイするのは歯応えがあるが、SLGジャンルの最新作には、できるだけついていきたい。

 Escu:deのパッケージは、表面加工がやたらきれいなツルツル具合で、ずっと撫でさすっていたいくらい手触りが気持ち良い。開封時のベロも、折れ曲がらずスムースに開ける。これもEscu:deのいつものハイクオリティ仕様。ありがたい、そして、きもちいい。


 あー、やっぱり『マインクラフト』は、しゅーごーたいのアレが出やすいよね……。
 (要するに、小さいブツブツがたくさん集まっているのが苦手というもの。)
 私は『マイクラ』レベルならばひとまず耐えられるが、それでも多少ゾワゾワ来る。
 ちなみに、アダルトゲームの触手もののブツブツ突起は全然気にならない。よかったね。


 まさかとは思うが、『プリンセス・クライシス』に嵩夜氏が「小鳥遊圭」をこっそり登場させたりはしないよね……。
 『ラストキャバリエ』であんな形で(再)登場したのは、いまだに印象深い。「あっ、えっ……あーっ! 上手いことやりやがったな嵩夜あや、これでは文句も言えないじゃないか!」と心中大笑いしたものだった。
 
 
 UIのピクトグラムは、「↓」がセーブで、「↑」がロードとするのが普通だと思うのだが……。イメージとしては、箱の中にデータを入れるのは下向きで、「データを外に取り出すのは上向きにするのが、一般的じゃないかなあ。これが逆になっているタイトルは、プレイ中にQS/QLボタンを押すのがちょっと不安になる。


 危ない危ない、ゲームで徹夜してしまいそうだった。まだ午前4時半過ぎだから大丈夫だな!

 Escu:deのゲーム制作姿勢は、元々調教SLGに由来していることもあり、フラグを操作し開拓する楽しみに満ちている。つまり、
- 「架空の世界を遊ぶこと(ゲーム)」でもあり、
- 「SLGパートを操作して楽しむゲーム」でもあり、そして
- 「ゲームのフラグを探索することを楽しむゲーム」でもある。