2021/11/09

2021年11月の雑記

 2021年11月の雑記。(→-/10月


 ねんどろいど「日南葵」を店頭で見かけて、なかなか可愛いなあと思いつつも見逃してしまったが、帰宅して検索してみたら……元作品では金元寿子氏が演じているのか! 買っておけばよかった。もちろんフィギュアから声が出るわけではないが、そういう要素がフィギュアに対する思い入れを形作ることもある。今度ホビーショップに行ったときに、まだ残っていたら買おう。
 
 それにしても、やはり私は、金元氏がキャストされるようなタイプのキャラに惹きつけられる感性を持っているのだなあ……。
 先日言及した『ソラノヲト』も、金元氏主演というのがきっかけで興味を持ったものだった。こんなふうにして金元氏はしばしば私に幸せをもたらしてくれる。

 ちなみに、「声が出るフィギュア」は実在する。台座にサウンドファイルを仕込んであって、ボタンを押すとそのキャラの声が再生されるというのもあるし、胴体に仕込んであるタイプもある。


 『葬送のフリーレン』は私も一気に読んだ(既刊6巻)。物語の冒頭は「魔王を倒してきたパーティー」という出オチのような導入だが、そこはたいして重要ではない。長命なエルフ主人公が、各地を巡りながら過去の仲間たちの足跡に再発見していくところに眼目がある。さらに、作中世界像に個性を与えているのが、魔法発展史という視座を提起しているところだ。この側面に注目させることによって、本作の世界は通俗的因習的なファンタジー世界に埋もれることなく、独自性と迫真性と奥深さを手に入れ、そして物語展開の推進力をも獲得している。
 しかも、主人公は魔法使いのエルフだ。つまり、「魔法」の「歴史」という双方の要素に対して自ら主体的な関わりを持つことができる存在だ。そしてさらに、千年を生きるエルフにとっては、歴史はただの歴史ではなく自分自身の人生の来歴に直結する体験(その蓄積と記憶)でもある。その意味で、「魔法」の「歴史」と「人生」の「回想」の4者が物語の中で緊密に結びつけられている。たいへん巧みなアプローチであり、ここまでコンセプトを組み上げた時点で本作の成功は半ば約束されていただろう。

 漫画媒体としての作劇技法のレベルで見ると、長命エルフならではの悠揚迫らぬ時間感覚の緩やかさを、週刊連載漫画というあまりにも忙(せわ)しい媒体でどのように処理するかという点が興味深い。これに関して本作は、様々な場面のショット(コマ)をコラージュ的に並べるという演出によって、それを表現している(※下記引用画像を参照)。しかも、台詞の無いノーネーム進行であり、そのことが孤独な時間の長さをいや増しに強調する。本作はこの手法を多用しており、それによって「長大な時間経過を圧縮しつつ、しかもそれを突き放した情緒とともに表現する」という二重戦略を成功させている。
 
『葬送のフリーレン』第3巻、86-87頁。本作には、数ヶ月単位、あるいはそれ以上の長大な時間的跳躍がたびたび現れる。そうした推移を表現するうえで、このような走馬灯的コマ進行が採用される。右側2コマ目の小さな村が、左下のコマでは大きな王城にまで成長しているこのシークエンスは、本作中でも最も長大なジャンプと思われる。ロングショットの多用と台詞ゼロの進行も、絵巻物のような静かな緊張感を演出している。

 それに合わせて、背景作画も良い。人物だけを大写しに描くのではなく、しばしばロングショットのコマで捉え、しかも背景部分は質感表現も空間性も豊かであり、そのことが作中世界の大きさと説得力を高めている。それとともに、人間関係のドラマティック部分も、とぼけたユーモアが基調になっており、作品全体のトーンが上手く整えられている。もちろん物語進行も、現在の状況と過去の回想の間を頻繁に往還する作りになっており、その二枚腰の重層的な表現が物語の説得力を補強している(――過去の事象を引き合いに出すことによって、現在の判断を正しさを保障させてしまうのは、いささか狡くはあるが、少年漫画としては十分許容されるレベルであろうし、そもそも過去との重ね合わせ[または過去の再吟味]は本作の主要モティーフでもあるのだから、そこに文句を付けるべきではない)。
 最近(第5巻以降)はバトル要素が前景化しているが、それも魔法技術の発展史に絡めたテクニカルなガジェットを展開しており、読者を飽きさせないようになっている。バトル描写それ自体も、明快なコンテと迫力ある作画の相乗効果が発揮されている。多数のキャラクターたちが様々な行動していく複雑な状況変化も、先述のコラージュ的素描群の手法を交えつつきれいに捌いている。
 
 ……漫画技術の観点での評価を客観的、教科書的にまとめるとこんな感じになるかな。

 そんなことをしているうちに、自宅にまた一つ、書籍の新山が形成されるのだった。


 クイズの正解部分がパーソナリティに見えてしまうとは……。しかもそれを正直に自白してしまうとは……。裏を返せば、「普段はパーソナリティにあらかじめ答えが報されているわけではない」ということの証明でもある。TV番組などでは、「出演者があらかじめ答えも知ったうえで、知らないふりでとぼけて正解探しを演じている」という場合が多いようだけど。


 悪口は言いたくないが、一度だけ書いておこう。ごっずおーだー、全てがダサい……。神翼天空騎士云々のネーミングも古臭いし、キャラデザも両膝に鷲の頭みたいなのがデカデカと付いているのがなんとも間が抜けて見える。そもそも顔のような造形を下半身側に持ってくると下品な印象になるのだが、誰もデザイナーを止めなかったのか(※しかも、このパーツはシリーズ内でしばらく使い回しするようだ)。さらに、その脇から大きな金属の翼が生えているのも、ものすごくバランスが悪い。構造面でも、どうやら素足の膝は単純な一軸屈曲のようだ。だっせぇ……。


 alicesoftのハニービル(建物前)に行くのは、考えたことが無かったなあ。企業ビルではあるけれど、アダルトゲームメーカーくらいの規模だとかなりプライヴェートな存在でもあるから、見物に行くのはまずいという意識がある。地下鉄の南森町駅やJR大阪天満宮駅からすぐのようだから、その気になれば訪れるのは容易だが。
 SHCに関しても、製品版パッケージなどに書かれている住所をネットで調べてみたことはあるが、ユーザーがその近隣まで足を運んでしまうのは良くないと思った。今はもうスタッフのどなたもいらっしゃらないだろうから、一度くらい跡地(?)を詣でてもいいかもしれない。所在は放出(はなてん)だったから、えーと、JR鴫野(しぎの)駅か、その隣の放出駅が最寄りなのか。ちなみに、当時はたしか小さなビルがあったと思うが、今しがたgglストリートビューで調べてみたら更地になっているようだ。


 『護の章』は、「絶弓-鬼斬+曇」を入手できたので、私の中ではひとまずゲームクリア。余ったお金で、+40まで強化しておいた。
 
 武器の追加性能については、「曇りなき」が良いと思う。
 「曇りなき」のクリティカルは、あらゆる敵妖怪に効果を発揮する。つまり、絶対に無効化されないという確実性と汎用性がある。また、クリティカルの分だけ早く敵妖怪を排除できる。つまり、複数の敵に囲まれた時などに有利な効果だと言える(※それ以外の補助効果だと、回復されたり逃げられたりするリスクがある)。
 しかも、クリティカルダメージは攻撃2~3回分のダメージになる。「鈍足」や「麻痺」のような足止めスキルも2回分~3回分の攻撃の余裕が稼げるが、その意味は大きく異なる。足止め対象は敵1体にすぎず、それ以外の敵は通常通りの行動速度で近寄ってきてしまう。クリティカルであれば、目の前の敵を素早く撃破して、その場からすぐに移動したり安全に回復したりする余裕を持つことができる。その意味で、やはり「曇りなき」のクリティカル効果がベストだと考えている。
 さらに付随的に、泥田坊を分裂させずに一撃で撃破できるというメリットもある。足止めスキルだと、足止め効果を喰らった敵2体に分裂するだけなので、状況はあまり好転しない。

 ただし、足止め(行動阻害)をしてターンを稼ぐことに大きなメリットがあるという場合もある。例えばボス敵と一対一で対峙しているときは、すぐに撃破できるわけではないから、足止めスキルの方が効果が大きいかもしれない。また、ボスの猛攻を緩めたり、距離を取ったりしたいときには、クリティカルよりも行動阻害スキルの方が助かるという場面はあり得る。刀武器のプレイヤーキャラが、相手を逃がさずに密着距離を維持したいという場合にも、足止めスキルがあると嬉しい。
 (……「相手を逃がさずに密着距離を維持したい」って、恋愛の話じゃないからね!)

 育成のためにイージーモードで潜っていたら、13~20層の間に5回も落とし穴/死神の罠に遭遇した。残念ながら、大型妖怪オンリーの巣は皆無だった。大型妖怪オンリーの巣に落ちれば、武器や防具を大幅強化できるのだが……。
 
 子泣き爺が壁役になりながら、その背後で泥田坊が盲目付与で攻撃対象を分散させつつ、分裂して何度も回復しまくり、倩兮女も混乱などの状態異常を仕掛けてくる。こちらが能力強化スキルを使っても、子泣き爺が吸い取って逆用してしまう。バランス良く、したたかなコンビネーションになっている。これで金槌坊や鬼のような強力なダメージ源があったらかなり危険な旅になっていただろう。
 もっとも、他のタイトルも、「近接攻撃系」「間接攻撃系」「行動阻害系」がバランス良く配置されていることが多いように思う。その前の『勇の章』も、終盤の雑魚敵は近接攻撃=金槌坊、間接攻撃=靫蔓、行動阻害=疫病神&子泣き爺となっている。


 『略奪者の淫宴』(2016年)は、一条光氏が主演(主人公役)なのか。買いそびれていた。


 『フリーレン』のページを画像引用したら、このbloggerのサムネイルがそれになってしまった。これはさすがに居心地がよろしくないので、ページトップに何か適当な可愛い画像を載せておくことにしよう。といっても、もう月末なのだが。
 個人的なポリシーとして、ミリタリーものの画像(写真)はページトップには置かないようにしている。要は、軍艦やAFVの模型のことだが。ページを開いていきなりそういうものが視界に入ってくる(あるいは、いきなり訪問者の眼前に出す)のは、けっして好まない。


 今月もPCゲーム新作をいろいろ見繕って買った。しかし、キャスト水準の落ち込みは本当に悲しい。私がPC(アダルト)ゲームを楽しんできた理由の一つは、「一級の技術と尖った個性を持つ声優たちが自由闊達に掘り下げた芝居を、何十時間にもわたった存分に聴くことができる」という点にあったのだから。
 ちなみに、もう一つの事情は、「可愛いキャラたちによるSLGをパソコンで遊べる」というもの。工画堂のような全年齢PCゲームやあれこれの同人ゲームも一部には存在したものの、作品規模の柄の大きさと、システムの多様性、PCという先進的環境における実験性、そしてAVGパートとSLGパートの連動といった様々な魅力があった。

 今月は『若葉色のカルテット』廉価版も発売されている。当初の発売は2019年で、キャストは白雪氏、藤咲氏、そして卯衣氏という錚々たる顔触れ(※主演の朝妃氏は、よく存じ上げない)。三者とも、確かな技量と飛び抜けた個性の輝き――妖刀のごとき異彩を放つ輝き――で2010年代のアダルトゲーム音声表現を下支えしてきた、素晴らしくもありがたいクリエイターだ。

 工画堂のギャルゲーと言えば(私の中では)駒都氏だが、それが2021年現在では、駒都氏がデザインしたガールプラモを私が喜々として組み立てるようになっているとは……。
 さらに余談ながら、『POWERDoLLS』のプラモデルも発売されている(というか、ちょうど再発売が告知されたばかり。最初の発売は2013年)。良い時代になったものだ。


 「そろばん教室」の看板を遠目に見て、つい「え○○ん教室」と見間違えた。みんな私の視力の低さと思想の歪みと道徳心の低さが悪いんですごめんなさいごめんなさい。
 まあ、大人向け漫画に特化したレッスンは、現実にありそうだけどね。


 あっ……あっ、待って、所持しているアダルトゲームの本数の桁が、桁が上がっちゃう!
 まあ、ようやくせいぜいその程度の本数だと言うこともできる。ただし、年数で割ると、一年あたり、あれ、こんなに買っていたっけと不思議な気分になる。
 遺憾なのはプレイ率の低さ。フルプライス1本あたり20~30時間掛かり、しかも間を置かずにできるだけ短期集中でコンプリートするとなると、なかなか難しい。しかもここ数年は、模型制作という、これまた長時間+集中型の趣味に手を出してしまったので、さらに時間が足りなくなっている。
 所持タイトルは完全にリスト化しているので、本数も既プレイ率も瞬時に分かるのだが、こういう数字を突きつけられると反省せざるを得ない。ごめんなさい、過去の私、せっかく買ってくれたのにまだプレイできていなくて! ごめんなさい、未来の私、まだ今年中にプレイしきれない作品がたくさんあって、あなたにたくさん押しつけることになるから! ごめんなさい、現在の私、ゲームもせずにこんな駄文に時間を費やしてしまって!


 11月中は多忙だったので、私としては珍しいことに未読漫画が溜まり気味だったが、ようやく未読単行本が10冊を切るところまで消化できた。ちなみに、読んだ単行本の大半は、満足のいく素晴らしい出来だった。漫画文化は豊かだねえ。


 11月の家計簿の誤差は約11000円。多忙で財布の管理が行き届いていなかったので、この程度で済んだのはむしろマシと言ってよい。しかし、もうちょっと効率的な使い方をしたい……。



 11/21(Sun)

 ああ、そうか、一部の人にとっては『ソラノヲト』の日(=1121小隊)なのか。
 今年は春先に再視聴した憶えがあるが、もう一度見ようかな。


 ここ数年は、年間300~400冊ほど漫画を買っている(つまり月平均30冊程度)。これが多いのかどうかは分からないが、毎年数百冊ずつ自宅に単行本(や同人誌)が増えているのは確かだ。まあ、せいぜいメタルラック3段分だと考えれば大したことは無い(※画集や専門書はさらに大変だけど、まあこれも仕方ない)。
 システマティックに買っているわけではなく、基本的には(漫画専門店での)カジュアルな店頭買いばかりなので、「しまった! 『夢見が丘ワンダーランド』はもう3巻まで出ているのか!」といった見落としも生じるし、「しまった! 藤本氏の『17-21』はもう買ってある方だった!」と二度買いをしでかしてしまうこともたまにある。さらに、途中の巻を試し買いしてみることも最近は増えたので、「『児玉まりあ文学集成』第3巻は気に入ったのに、既刊の第1~2巻がなかなか手に入らない!」と嘆く羽目になったりする。
 かといって、PCゲームや模型のように漫画所持リストを作るのは大変すぎるし、システマティックなやり方に鼻面を引き回されて齷齪するのは好きじゃない。買い逃しや二度買いはやむを得ないコストだと考えて、これまで通りのやり方でいくつもり。
 個々のユーザーが買いたい単行本(シリーズ)にチェックを入れておいて、新刊が出るときに情報をくれる(あるいは新刊リストから自動抽出して教えてくれる)というサーヴィスもいくつか存在する。買い逃しをしたくない人は、そういう新刊発売日チェックサーヴィス(アプリ)を使うのもよいだろう。

 PCゲームは毎月の予約チェックをしている(※最近はここには書いていないが)。模型新作は、いろいろ見ていればそれなりに情報が入ってくるので、おおむね上手くやれている。


 『舞歌の章:参』になるとは、意外だ……。
 ということは逆説的に、舞歌&莉音(&ちはや)では、『奮闘記』のような発展的なタイトルは作らないことに決めたのかな。このシリーズは一作ごとに妖怪のラインアップを消費していく(つまりその妖怪とのアダルトシーンを作る)という都合上、「黎明記」で新作を出すとそれだけ枠が使用済みとして潰されていくわけだから、『舞歌:参』まで出すと、いよいよ『奮闘記』は作りにくくなる。雉杜神社のヒロインたちについては『黎明記』シリーズの中で人間関係などの布石を置いてきたが、彼女たちが共演する大型タイトルは展開しないつもりなのだろうか。

 『黎明記』シリーズ17作で登場回数が多いのは(※『莉音』第一作は未所持なので除外。最新作『護』も未プレイ)、古狸(9回)、木霊(8回)、油すまし/化け蛇(7回)、金槌坊/水母/畳叩き/疫病神(6回)といったあたり。ただし、味方妖怪としての登場を除外すると古狸と木霊が落ちて、油すまし/化け蛇(7回)、金槌坊/畳叩き/疫病神(6回)となる。
 登場回数が少ないのは、垢舐め/百々目鬼/鵺/野槌/野衾/枕返しなど(各1回だけ)。大蜘蛛や鎌鼬も、敵としては1回だけ。雪女は、登場回数は3回のみながら、そのうち2回がラスボスなので、ボスキャラ扱いと見るべきかもしれない。ラスボス担当が最多なのは狒々(3回)。

 味方妖怪としての古狸は、わりと便利。取れる行動が通常攻撃だけなので、必ず攻撃してくれる。言い換えれば、絶対に無駄行動をしないし、ダメージが確実に予測できる。他の妖怪だと、あと一撃で倒せる敵妖怪に状態異常を掛けて失敗したりする。強化メニューもステータスアップだけなので、最終的にはトップクラスの物理攻撃力を誇る味方妖怪になる。もっとも、距離1の通常攻撃しか持っていないので、柔軟性には欠けるが。


 連載漫画で、単行本の区切りを意識して物語構成をしているのは好き。単行本になった時に一冊分の終わりがちょうど物語の一区切りになるように構成されているものは、読後感がたいへん気持ち良い。こういう演出の配慮が嬉しい。
 もっとも、漫画連載は基本的には、ストーリーの必要に応じて節目や転換点を持つものだ。だから、「ストーリーの内容的要請のみが最優先なのであって、単行本という(180~200ページ程度の)機械的な区切りに気を遣って物語の進行を歪めるのは嫌だ」という立場もありうるだろう。もちろん、それはそれで結構なことだし、物語づくりに関する一つの誠実さだと言える。「全巻を通読されたときに最良の姿になることを目指す」というのは、連載漫画の一つのアプローチだろう。
 しかし、芸術鑑賞というものは、媒体的要因を逃れることができない具体的体験でもある。美術鑑賞でも、音楽でも、そして漫画でもそれは当てはまる。だから、単行本という外形的要因をも取り込んで積極的効果へと結びつけるテクニックは、漫画芸術の特徴的な技法の一つとして誇るべきものだ。そして、そういう繊細なところまで配慮を利かせた作品はそれ以外の部分もやはり面白いことが多いし、そこまで読者に配慮してくれたことをありがたく感じるし、そういう隠微な演出に気づけるのも楽しい漫画体験だ。
 単行本の区切りでちょうど内容的にも一区切りつくというのは、単なる偶然の場合もあるし、私の思い込みの可能性もあるが、インタヴューなどで単行本単位の区切りを想定しつつ脚本構成していると明言している漫画家も確かに存在する。有名なところでは『やがて君になる』があるし、近年では脚本+作画のコンビも増えているので、脚本サイドが単行本の区切りまで注意を払ってストーリー構成する可能性が高まっているだろう。


 うーん、やっぱりベッドシーンでの出血差分は好きじゃないなあ……。PCゲームでは細かな差分を作るのが容易だし、ちょっとした出血を描き込むのは簡単だろうし、そしてヴァージニティの証明としてそれを求めるユーザーもいるのだろうから、まあ、仕方ないのかもしれないけど、しかし股間から出血している絵は痛そうだし、けっしてきれいなものでもないからなあ……。
 歴史的には、90年代から00年代初頭までは、出血差分は比較的稀だったと思う。そもそもCG差分が非常に少ない時代でもあった。そして2003~2004年くらいから、「CG差分の増加」と「ヴァージン要求の圧力増大」が合わさって、出血描写が激増した……と思う、たぶん。10年代前半以降は、出血描写はちょっと減ってきた(出血描写のない作品が増えた)ような気がするが、統計的に裏付けを取ったわけではない。10年代半ば以降はロープライスが増えている、つまり、生真面目なラブストーリーではなくカジュアルな性的関係を扱うタイトルが増えているため、出血描写の割合は低下していると思われる。
 そういう流血描写が好きな人もいるのだろうし、そこに強い思い入れを持つ人もいるのだろうけど、私にはその機微がよく分からんのよ……。
 以前にも書いたけど、破瓜の瞬間に真っ赤な全画面フラッシュを掛けたタイトルがあって、「いや待て、その演出はありなのか、本当に痛そうだぞ……」とヒロインを心配してしまったことがある。どの作品だったかはもう忘れてしまったが。


 『黎明記:護の章』。
 あっ……護さんって、腹ペコキャラだっけ!? (ダンジョン内の腹減り速度が2倍のようだ ※間違い。検証してみたら、他のキャラクターと同じく、20行動に1ポイントずつ減る)
 初回プレイは、14層で警戒警報を踏んでしまってあやうく死にかけた。
 泥田坊は分裂+回復でしつこく攻撃してくるので、虚弱な弓キャラには難敵。他の敵妖怪をも回復してしまうので、妖怪の巣などでは最優先で排除する必要がある。また、人魚の魔法攻撃も痛いし、子泣き爺をすぐに倒せないうちに泣かれる(=仲間を呼ぶ)のも危険。ぬらりひょんや鬼のような強敵こそいないものの、シリーズ内ではやや難しめかも。ラスボスも手長+足長の2体コンビなので被ダメージが大きい。ぎりぎり初回踏破できるくらいの程良いゲームバランス。
 今作の属性防御は、倩兮女対策の混乱耐性が優先かな。今作に限らないが。あるいは、ラスボス対策で麻痺耐性を付けておくのも良い。


 イラストや一枚絵で、「背後から別のキャラが小さく覗いている絵」というのが、何か私の心の琴線をかき鳴らす。例えば「後ろの扉からメイドが顔を出して見守っている」「別のキャラが戸口から入ってきかけて、室内の状況に驚いている」といったような形。窃視云々ではなくて、距離感の面白さ(空間性の強調)とか、小さく描かれたキャラクターのコミカルな感じとか、ちょこんと頭だけを出している動物的な可愛らしさとか、見守る/見守られる関係の微笑ましさとかが好きなんだと思う。


 子泣き爺の吸収スキルって、弓キャラの「ねらう」状態まで吸い取れるのか! ただし実際には、そのターンですぐに効果時間が切れるので、効果を発揮することは無いようだけど。大型雑魚に「ねらう」状態を吸い取られてヒヤッとしたが、そいつの直後の行動は「抱きつく」だったこともあり、事無きを得た。

 八代護のステータスは、他のプレイヤーキャラよりも低め。
- 攻撃力107(※Lv60)は物理攻撃キャラの中では最低(弓キャラでも、紫と初花は111)。
- 防御力91も、物理キャラでは最低(紫は99、初花は95)。
- ただし精神力103は最高値(なずなと舞歌1も同値)。
 『紅神楽』でも蒲柳の質とされていたから、身体能力が低いのは設定上妥当だろう。ゲームパート上では微々たる違いにすぎないが、こういうところでキャラクター個性を細やかに表現しているのが面白い。いぶきの精神力がやけに低いのは、誘惑に弱い(食欲に負ける)からだろうか。

 弓キャラは、「鈍足」付与との相性が良い。そもそも弓攻撃は、射程が長くて一方的に先制攻撃できるが、その反面、一撃がやや弱く、手数を必要とする。防御も脆いので、接近戦は不利になる。こうした一連の事情から、「相手との距離が離れているうちに一方的に攻撃し、敵の接近される前に撃破する」というのがひとまず最善手になる。そしてその際には、敵を鈍足化させて、敵がこちらに接近してくるのを可能なかぎり遅らせるのが、有効な手段になる。
 「麻痺」も似たような効果だが、持続時間が短いのが不安定要因になる。弓キャラは手数が必要なので、長時間行動阻害できる「鈍足」の方がベターだと思う。なお、「盲目」や「混乱」は、相手の行動が予測できなくなるし、弓の射程を外れてしまう可能性もある。運が悪ければ、まっすぐこちらに向かってきてしまうこともあり得る。
 特に今作『護の章』では、中盤以降に鈍足無効の敵妖怪がいない(※耐性があるのは序盤の「小豆洗い」のみ。ラスボス(足長)にも鈍足付与は効く。それに対して「盲目」「睡眠」「混乱」は終盤の雑魚敵が耐性を持っているし、麻痺に対しても中盤の畳叩きが耐性を持っている。その意味でも、「鈍足」付与が最も堅実と思われる。
 同じように考えると、弓キャラでは『紫の章:弐』は、麻痺よりも鈍足の方が良い(※終盤の「鬼」が麻痺無効)。『初花の章』は、麻痺と鈍足はどちらも大丈夫(※ラスボスの耐性は不明)。


 この十年でフィギュアは本当に高くなったなあ。高額帯フィギュアは1万台が一般的だったのが、今では完全に2万円台に突入してしまった。2万台後半の商品すら、店頭で定期的に見かけるようになった。今後どこまで上がっていくのだろうか。
 figmaも同様で、以前は小物がたくさん付属した状態でもせいぜい4000円台だったと思うが、最新の製品は「キャラクター1人+ほんの小さな小道具1個」だけで8800円になっているという有様だ。さらに、大柄なキャラクターや大きめの装備が同梱されているものは、すでに1万円を突破している。これではさすがに買いにくい。



 11/15(Mon)

 スケジュールを確認したら、どうやら今月末まで多忙が続くようだ。余暇は一応それなりにあるが、まとまった時間が取れないと、出来ることに大きな制限が掛かる。特にゲームや模型制作は、一つ手掛けたら最初から最後まで一気に駆け抜けたいのだが、残念ながら今週末も来週末も土日は仕事が埋まっている。今月末のPCゲーム新作群も、いつプレイできることやら……。


 この素晴らしく印象深い眼鏡キャラさん、「黒川環」というお名前があったのか! 厚みと動きのあるつややかな頭髪表現。こちらを真剣に睨み付けてくる両目。寒色のようでいて暖かみのある服飾着彩。それぞれに意志的なポーズを取っている手先の演出。薄くも色づきのある一文字の唇。そしてそれらのうえに眼鏡がある。フレームはほっそりと引き締まっているが、フレームの輪郭それ自体は堂々と大きめで、それがしっかり見つめてくる両目の存在感にうまくフィットしている。名画。
 (こういう寡黙真剣眼鏡っこさんと友達になりたい……。)


 今年中のガールプラモ新作購入は、ひとまずおしまい。来月の「ルミティア」に店頭遭遇できたら、買って構造やクオリティを確かめてみるかもしれないが、今のところは食指が動かない。来年発売予定のものではGSCの「アイシス」とKotobukiyaの「赤ずきん」(双方とも2022年3月)を買うかもしれないが、どちらもそこまで欲しいわけではないので、店頭在庫次第&その場の財布次第。

 いくつかの仕事が予定よりも先行できた+いくつかの仕事を簡素化(婉曲)したので、ちょっと時間の余裕ができた。クオリティは落ちていない筈……たぶん。


 ハイディテールな連装機銃を大量購入しておかないと……と必要数を数えながら、ふと室内を漁ってみたら、Finemoldsの2連装機銃が56基、3連装も50基、高角砲も8基ストックされていた。当時の私はこんなに無駄遣いをしていたのか……もとい、当時の私よ、よくやった!
 実際、最近は店頭でもちょっと入手しにくくなっているし、潤沢な予備パーツが手許にあるのは模型生活をスムーズにしてくれる。特に艦船模型分野は「金でクオリティを買える」傾向が強く、こういう精密パーツはたいへん都合が良い。
 探照灯パーツはちょっと少ないので、今のうちに買い足しておこうかな。

 ただし、こんな精密パーツが大量に手許に残っているというのは、その間の私はこういう精密化工作をずーーーっとサボり続けてきたことの証でもある。とはいえ、近年の私は1/350キットに主軸を移しており、1/700キットはおつまみ程度の扱いになっているので、1/700用の精密パーツを余らせてしまったのは仕方ないとも言えるが。


 12月になったら、あちらにログインしていろいろ書いてこよう。(現時点での決心のメモ)



 11/12(Fri)

 プラモコンベンションの結果発表と応募作一覧。ED-209は、私を含めて3人が作品エントリーしていた。それぞれに「設定再現的模型(私の作品)」、「ハイクオリティなジオラマ」、「カラーリング変更と現場使用感」と、コンセプトが上手い具合に分かれている。ジオラマの方はシチュエーション構想が創意豊かだし、完成度も高い。たまたま先月に梅田ヨドで実物を見てきたが、全体が見事にまとまっていた。サンドイエローの方も、写真で見るかぎりでは、濃厚なグラデーション塗装と各部のチッピング演出(塗装剥がれ表現)が非常に上手い。右手のコードが大きく垂れ下がっているのも、リアルな使用感への想像力を刺激してくれる。
 こうして比べて見ると、私の作品はつくづく「スタティックな形状モデル」志向なのだなあというのが、あらためて実感される。「ただED-209があるだけ」という感じで、それ以外の味付けがまったく見出せない。技術的にはいろいろ作り込んであるのだが、今回の応募作の中では最もオリジナリティの無い作品の一つかもしれない。

 スタッフが撮られた写真では、私の作品(※画像へのリンク)も、見どころがうまく伝わるように、そして作品の魅力を高めるように、たいへん巧みに撮影して下さっている。ありがたいかぎり。スタッフ諸氏は模型技術のプロでもあるから、制作された作品のどこに特徴があり、それをどのように見せればよいかも適切に把握できるのだろう。ライティングもきれいだし、金属的な重厚感とミサイルポッド周りの精密感を最大限引き出すような撮影になっている。その一方、他のお二人のED-209に関しては、ジオラマの方はポーズがうまくキマるようなレイアウトで撮られているし、サンドイエロー塗装の方は真正面からの仰角撮影で巨大感と迫力を強調している。


 今日は仕事で遠出したついでに、その近場の個人模型店に入ってみた。店内在庫はスケールモデルもなかなか充実しており、1/350艦船キットもちょっとレアなものが並んでいた。次回訪れる機会があったらいろいろ買いたい。店主さんは常連(?)と仕入れの話に花を咲かせており、レジの対応も丁寧だった。客層はスーツの男性から、女性のお客さんから、さらに小学生数人も来店しており、なかなか人気があるようだ。

 6隻同時建造を開始……いや、さすがに多すぎるかと5隻に減らした。リノリウムのブラウンや艦底パーツのレッドなど、同じ色や同じ種類のパーツを一気に吹き付け塗装できるので効率的。

 初めて作った艦船模型は、Aoshimaの1/700摩耶だった。素直に作れる単純明快なキットで、それでいて完成時のシルエットはきれいだし、各部のディテールのバランスも良いものだから、かなり気持ち良く制作できたのを憶えている。この時の好ましい手応えが、艦船模型そのものに対する好印象につながったのだと思う。
 初めて組んだAFVはTamiyaのTiger I(あまりにもベタだ……)。航空機はHasegawaのF/A-18(かなり古いキットで難渋した)。いずれも、大人になってからの話。

 各社艦船模型の印象。
 Tamiyaは非常に古いキットもあるが(1970年代のものとか)、全体にパーツ数は少なめで作りやすい。思い切ったワンパーツ化をしているところもあり、それでいて全体は非常にきれいにまとまっている。パーツのエッジもきれいだし、組み立ての構成も巧みで楽しい。船体パーツは左右貼り合わせ式が多いようだ。1/350キットでも、シンプルながらきれいに張り詰めた造形で、作っていて深い充実感がある(筑摩、最上などを作った)。
 Aoshimaの1/700艦船キットはあっさりしているが、要点は押さえてある感じ。ディテールアップのベースとして好適だろう。船体パーツは一体成形。00年代後半以降のキットは、パーツ分割も親切になっている。1/350キットはやや大味と評価されるが(パーツ貼り合わせの隙間も出来やすいし、通風筒などは社外精密パーツを使う方が良い)、専用エッチングパーツも提供されているし、なかなか作りやすい(摩耶。そういえば架空艦「イ401」も1/350スケールだった)。
 それに対してFujimiは、1/700キットでもとにかくあらんかぎりのディテールを注ぎ込んでいるが、金型造形の精度とのバランスが悪くて、もっさり&ゴチャゴチャした感じになりかねない。造形再現のために細かくパーツ分割しているおかげで、パーツフィットに苦労する場面も少なくない。しかしそれでも、キットだけで(つまりアフターパーツ無しで)一定以上のディテールの模型を完成させられるのはありがたい。これが1/350キットになると、スケールが大きくなるおかげで、Fujimiの短所が解消され、長所が発揮されることになる。モデラーキャリアの初期に1/350金剛を作れたのは、たいへん恵まれた経験だったと思う。
 Hasegawaは、あまり作っていないのでよく分からない。程々に引き締まった優等生的なキットという印象。1/350キットでは、ちょっと変なところに凝りすぎているように感じる部分もあるが、全体としてはもちろんしっかりしたクオリティ(矢矧、隼鷹)。
 Pit-Roadはパーツ分割の癖がちょっと特殊で、それが制作時には面白い手応えになっている。箱組みも多いが、全体にディテールは細やかで密度感がある。1/350スケールでも駆逐艦や現用艦をいろいろリリースしている。Fonemoldsは1/350「綾波」などをリリースしているが、機銃などの小物にNano-Dreadの超精密パーツを使ってくれているので、何かとありがたい。
 海外メーカーは、1/350をつまみ食いしている程度なので、メーカーごとの印象や評価を語れるほどの知識は無い。近年のキットはどれも十分な高水準だと思う(Revell、Trumpeter、HobbyBoss、Academyなど)。


 『護の章』は、どうしようかな……。弓キャラだと難易度はかなり低いだろうし、今一つ食指が動かない。キャラクターの個性(性格造形)も、黎明記システムだとほとんど活用されないだろうし。

 神楽シリーズはどれもクオリティが斉っているが、あえて好みの順位をつけるなら、鬼>道≧夏≧紅>花>月かな。『幻想譚』は未プレイ。気分によって順位変動するくらいの違いにすぎないけれど、今の時点での評価だとこんな感じかな。
 『鬼神楽』は、物語もドラマティックだし、キャラクターも良いし、システムも程々に動かしやすい。銃器巫女という最大のイロモノが登場するけれど、それも愛嬌で。
 『道中記』系統は、キャラクターの評価が大きい(特にいぶき)。SLGパートでのキャラ切り替えはあまり好きではない。ちなみに『学園記』は大好き。ルネ山さんが活躍しているし。
 『夏神楽』はシリーズ第一作。SLGパートは程良く歯応えがあるし、AVGパートも昼間の明朗な雰囲気と夜間のミステリアスな演出の二重性が面白い。リメイク版は未プレイ。
 『紅神楽』は、非-ローグ系システムでの最新作ということもあり、SLGパートの完成度は随一だと思う。難易度は高め。CGの塗りも、この時期のものはわりと好み。その時の気分次第では、2位まで上げてもいいくらい。
 『花莚譚』系統は、ちょっとクオリティに凸凹があるものの、主演2人の雰囲気はかなり好き。『訪神歌』のラスボスはなかなかの強敵だった。
 『月神楽』は、主人公が敵側だったり、西洋妖怪が出てきたり、月に行ってしまったりと、いろいろ迷走気味。しかしSLGパートはまずまずの出来だったと思う。ちなみに、要認証タイトルなので再プレイがちょっと面倒。
 『幻想譚』は、『道中記』でいったんローグ系に食傷したのと、サンプルCGがあまり好みではなかったのが原因で、手を出さずにきてしまった(※この作品のキャラは、両目がつぶらで大きすぎるのだよね……たぶん低年齢表現=年下[妹系]キャラとしての演出なのだろうけど)。
 『黎明記』はマンネリだが、キャストが良いのと、数時間でクリアできる手軽さがあって、つい買ってしまう。ローグ系が好きではないのもあって長らく手を出さずにいたが、2019年に試し買いをしてから、今ではほぼコンプリートしている。『ちはやの章:弐』の下層ダンジョンで、子泣き爺に警報発動されてしまい、鬼に追いかけられまくって死にそうになったのは良い思い出。『夏神楽』のヒロイン2人に再会できたのも嬉しかった。

 「黎明記」シリーズの今後の展開はどうなるのだろうか。「紅」系統の次は、是非とも「鬼」系統で『かんなの章』を……できれば『イチ様の章』も……。



 11/09(Tue)

 遅ればせながら、くまのとおる氏の単行本も購入。商業アダルトでは5冊目(+全年齢では4冊)だが、スタイルが固まって安定してきた感じかも。アダルトコミックではあるが、しっとりとして微笑ましいラブストーリー短編集としてのんびり読める。今回の新刊では、コミカルな表情の多い「かくしごと」が好み。
 キャラ属性の志向はかなり明確で、体格差カップル、眼鏡キャラ、ショートカット、バンカラヒロイン、内気ヒロインなどが非常に多い。特に眼鏡の描きぶりはなかなか細やかで、「あと一歩で度入り描写を手掛けてくれそうなんだけどなー」という邪な心でずっと期待している。


 このブログも、もう9年目に入っているのだが、あんまり実感が無い。まあ、私が生きて元気に趣味活動を続けているかぎり、低空飛行のブログ雑記はこうしてずっと維持していくと思う。ブログ(つまり個人が自由に展開するhtmlページ群)というメディアそれ自体は、たぶん今後20年かそこらは続いてくれるだろうし。
 ブログ公開が意味を失う中長期的可能性として最もありそうなのは、「ブログ」というメディアや文化が廃れることではなくて、「誰もが自由にアクセスできるネット」というものが破壊されて、強烈な締め付けの下で致命的に不自由でバラバラに断絶したものになってしまうことだろう。そういったアクセス規制や内容的検閲の波はすでに押し寄せているし、それがいよいよ強まっていくというのは――まことに遺憾ながら――十分考えられる未来予想だ。


 今年のゲーマーライフは、やや停滞もあったが、程々に進んだ。商業アダルトPCゲームは毎月数本ずつ買って、ちまちまプレイしている。本格的なSLG作品の攻略(記事を作る)をまたやりたいが、そもそもSLGの新作が世に出てくれないことには取り組みようが無い。AVG分野では、昨年はきゃべつそふとやLaplacianが面白い作品を出してくれたが、今年を代表する作品はどのあたりになるだろうか。歴史的傑作というほどではなくても、かなり個性的なコンセプトの作品はいろいろリリースされているので、全体としてはまあまあ手応えのある年になっているかなと思う。
 モデラーライフは、小スケールAFV、SDガンダム、ジオン系ガンプラに手を出してみた。新たな経験を積むことができたと思う。今年の代表作は「ED-209」になるだろうか。1/350最上の艦載機をしっかり作ったのも達成感がある。ツール面では、水性塗料を(昨年以来)開拓してきたが、まだあまり良い成果に結びついていない。
 漫画に関しては、優れたクリエイターをたくさん発見できた。映像作品(実写映画)は、古典名作を適当につまみ食いしたくらい。
 音楽は……今年は新しいものをほとんど聴いていなかった。音楽に関しては系統立てて聴くということをせず、基本的にCDショップでカジュアルに買うばかりなので、外出機会が減ったこの2年間は新規開拓が非常に乏しかった。もっとも、学生時代に買って積んだままだったCDを聴いてみたり、あるいは学生時代に聴いていたCDを聴き返してみたりして、様々な積み重ねはできたと思う。

 今年は身体の不調がいくつか発生した(※いずれも感染症とは無関係。為念)。身体的ダメージそれ自体もあるが、心理的/金銭的/時間的な負荷も掛かる。これまで大きな病気をしたことが一度も無かったが、今後は気をつけていきたい。


 TVアニメ化とのこと。アニメ版が作られるということよりも、この作品が世間的にも高く評価されている(アニメ化されるほど人気がある)という事実が嬉しい。
 雨宮氏で良いと思うが、力強い芝居になりすぎるかもという懸念もある。もっと飄々と捉えどころのない感じ(あるいは、ちょっと頼りない感じ)の方が好みかな。映像演出面では、夜のしめやかな雰囲気を表現してくれたら嬉しいのだが、PVを見るかぎりではそういう路線ではなさそうだ。残念。


 上のようなことを書いていたら、艦船模型欲が首をもたげてきた。いろいろ買いまくって、いろいろ作りまくりたい。とはいえ、手摺などを一々貼り付けるのは大変だし、小スケールで簡単に塗装してあっさり作るくらいで十分。
 すでに1/350キットを手掛けた艦を、小さな1/700スケール版で作り直すこともある。いわばデザート、あるいはレヴュー(振り返り)として機能する。逆に、1/350キットを本格的に制作する前に1/700キットを軽く作ることもある。その場合はいわば前菜、あるいは、模型を作るための造形把握資料としての模型(ミニチュアのミニチュア)のような位置づけになる。

 しかし、こういう簡単な塗装のときほど、リノリウム部分の塗装順序は迷う。a) リノリウムのブラウンを(筆またはエアブラシで)ざっと塗ってから細部をグレーで塗り分けていく方が効率的なのか、それとも、b) 全体をグレーで塗ってからリノリウム部分を筆塗りしていく方が早いのか……。
 筆塗りスキルが高ければおそらく後者が良いのだろうけど、私の現在のスキルでは速度も精度も足りない。というわけで、やはり「リノリウム部分を吹き付け塗装→その上の細部をグレーで筆塗り→マスキング→全体にグレーを吹き付け塗装」というベタな手順に収まりそうだ。


 情報初出時は見逃していたけど、このドール、可愛いな!

 ちなみにこのメーカーは、
 漫画キャラに自分の眼鏡を掛けさせることのできるアクリルメガネスタンドも作っている。なかなか素晴らしいものを作っていらっしゃる。
 ただし、私のように近視のきつい眼鏡着用者だと、「自分の眼鏡をそのキャラに掛けさせると、自分の目でその姿をはっきり見ることができなくなる」というジレンマに見舞われる可能性がある。もっとも、視力の良い伊達眼鏡着用者の場合はそのような問題は起きないし、私自身は予備の眼鏡も持っているのでそちらを着用すれば、眼鏡キャラ化した彼女たちをくっきりと鑑賞することができる。


 (→-/10月