近年のフルプライス作品における一枚絵枚数の変化(?)についての雑感。
それに関連して、SD画像の特質及び傾向と、ほんのいくつかの事例紹介。
コンプリートしたタイトルはイベントCG枚数や回想シーン数などの記録をつけるようにしているが、イベントCGの枚数で見ると最近のフルプライス級タイトルは二極化しているように見える。一つは120枚オーバーの大規模作品のグループで、もう一つは80枚前後の層。ちょうど100枚程度のものは、00年代初頭から08年頃までは最も分厚い層だったが、ここ数年ではその中規模グループがへこんできている感じ。
もちろんこれは、母集団自体の偏りに由来している可能性がある。たまたま私がプレイして枚数データをメモしていた作品の中での話なので。特に、SLGパートにコストを掛けているEscu:de、ムービー多用と引き換えにしたSkyFish系列、SD画像を多用するALcot、量より質のCUFFS系列が、一枚絵80枚前後のグループとして目立っており、このバイアスはアダルトPCゲーム全体の状況を適切に測量することを困難にしている。
また、2007年頃からデフォルメ画像(いわゆるSD)が多用されるようになったという事情も、この一見特異な変化を説明しうる事実だろう。フルプライス級タイトルでSD画像が使われる場合には、近年では30枚から50枚ほども投入されており、そしてそれに対応するかのように、それらのタイトルは正式な一枚絵はしばしば90枚を下回っている。典型的なのはALcotであろうが、それだけでなく、いくつものブランドでSD多用と一枚絵減少は見て取れる。
あくまで憶測として診断を述べるなら、全体としては一枚絵枚数は減っているわけではなく、むしろおそらくは増量傾向にある。だから、a)120枚オーバーの層が目立つようになっている。そしてその中には、一枚絵の制作コストの一部をSD画像制作に振り向けて、実質的なオリジナル画像の枚数を増加させるというアプローチも含まれている。だから、b)一枚絵は多少減らしてでも大量のSD画像によって視覚表現の充実を図るというグループが目立つようになっている。上で述べた状況は、このような事情の現れなのかもしれない。
個人的にはSD画像はあまり好きではないが、その効用の大きさは否定できない。「視覚的抑揚に寄与する」「アニメーション化しやすい」といったアウトプット面のアドヴァンテージ(cf. 演出論Ⅳ-4-1-δ)だけでなく、制作効率というインプット面においても。とりわけ、1)低コスト量産に向いていること、そして2)人的分業が出来ること、この二点は大きいと思われる。
制作コストの点では、(ものによるが)おそらく通常の一枚絵と比べて半分程度で済むのではなかろうか。また、メイン原画家と異なるスタッフに作画を任せられるという点も、プロットがきちんと出来ていれば大きなメリットになる。メイン原画とSD原画の両方を同時に手掛けるという方もいる(例:瀬之本久史氏、山本和枝氏、鳴海鈴音氏、choco-chip氏)が、近時の趨勢は原画/SD原画の分業化に強く傾斜している。なかでも最も徹底的にそしてきわめて自由にそして柔軟にデフォルメキャラ画像を活用していたタイトルとして、『らくえん』(原画:やまとなをゆき氏)は逸しがたい。
そういえば、『淫妖蟲』のおまけシナリオも、全編がSD画像のみで構成されているというものだった。『プリミティブ リンク』のおまけシナリオも、たしか同じような趣向だった筈……記憶が定かではないが。
『淫妖蟲』 (c)2005 Tinkerbell
本編コンプリート後に現れる、おまけシナリオ。ここでは通常の立ち絵は一切用いられず、キャラクター画像はすべてSDスタイルで表示される。そして物語の側も、それに対応してコメディタッチで描かれている(――ただし、興味深いことに、それでいてこのシナリオの結末は本作全体に最終的な決着をつけるハッピーエンドのようにも読める)。
『らくえん』 (c)2004 Terralunar
(上図:)本作では、一般的なキャラクター立ち絵とともに、簡略化されたデフォルメ立ち絵が使用される。それらは、使用場面を明確に区分することなく、このように通常立ち絵とデフォルメ立ち絵が同一画面上に平然と混在し併存する。/デフォルメ画像は、画面左下のフェイスウィンドウ上でも用いられる。
(下図:)『らくえん』におけるデフォルメ画像の応用例。一枚絵シーンで、一枚絵に描かれていない第三者キャラクターたちが台詞を発する場合、このようにデフォルメ画像とともに現れる。メッセージウィンドウも、左図のようにフキダシ型にアレンジされている。