パートヴォイス活用についての雑感 ――主人公音声を巡って――
『マスクド上海』(Liar-soft、2008)のことを思い出していたのだけど、パートヴォイスの一つのメリットとして、「過大なコストをかけなくても、主人公に音声を(一応)充てられる」という側面もあったのかもしれない。いわゆる「フルヴォイス」――この語はすでに「全てのキャラクターに」と「全ての場面に」とで二義的に用いられているがここでは慣例に従って後者の意味で解されたい――の作品では、主人公にも音声表現を充当しようとする場合、その膨大な台詞すべてに音声を当てねばならなくなるし、それに伴ってテキスト修正も非常に困難になる(註)が、それに対して、Liar-soft作品のように場面毎に音声があったり無かったりするパートヴォイス仕様では、主人公にもキャストを配するとしても負担(コスト)やリスクはそれほど極端に増大するわけではない。一つの見識なのだろう(――なお、このブランドのパートヴォイス姿勢については以前にも少しだけ言及したことがある:2013/5/14付雑記)。
註) 主人公フルヴォイスを――つまり、よりいっそう完全な「フルヴォイス」仕様を――敢行した作品もいくつも存在する。例えば『ねがぽじ』(Active、2001)、『オト☆プリ』(しゃくなげ、2008)など。とりわけ『ひめしょ!』(XANADU、2005)は、地の文を極力廃してテキストのほとんど全てを台詞とすることによって、作品の音響的密度を大きく高めている。その他、EGScapeの属性「主人公声あり(フルボイス)」が多数の実例を示している。
ただし、それが唯一絶対のものではない。別様の解決も様々に存在する。たとえば、主人公に音声を付与する場合でも、「他のキャラクターたちは全ての台詞が音声出力を伴うが、主人公のみは、全てのシーンではなく一部のシーン乃至シチュエーションにのみ音声が当てられている」という設計がある。
1)SLG機構の中で。
典型例の一つは、SLG+AVG作品で、AVGパートの主人公の台詞には音声が当てられていないが、SLGパートの主人公キャラクターのアクションに際しては(効果音的に)音声が存在するというものである(――実例は多い:『あかときっ!』[Escu:de、2010]、『DAISOUNAN』[ソフトハウスキャラ、2009]、『英雄*戦姫』[天狐、2012]など)。この処理は部分的には、読み物であるAVG形式と俯瞰的介入を行うSLG形式との様式的特性にも由来すると考えられる。とりわけ一人称形式で叙述されるAVGにおいては、主人公キャラクターのモノローグ及び台詞は特殊な地位を占めることになる(そしてそれゆえ主人公ヴォイス無しという特別の扱いも一応説得されうる)が、SLG表現においては、物語として主人公の地位を与えられたユニットもそれ以外のユニットも、しばしば表現上乃至機能上、完全に同等の存在となっている。
2)性表現のために。
もう一つの典型的なパターンとして、『マジカルウィッチアカデミー』(アトリエかぐや、2005)がある。このAVG作品では、一部のベッドシーンで主人公の台詞にも音声が当てられている。この作品の主人公「ツカサ」の造形は、プレイヤーの自己投影を期待されるような種類のものではなく、「ショタ」として独自の(性的)魅力を発揮すべく位置づけられており、そのことが音声表現の次元にも反映されていると考えることができる。アダルトゲームらしい対処と言えるだろう(――なお、この「ツカサ」は、同ブランドの後継作『ダンジョンクルセイダーズ2』[2008]にもサブキャラクターとして登場し、そこでも音声を付与されて可憐な悲鳴をあげることになる。このキャラクターの如上のような特性を示す一事実であろう)。
3)場面特有の演出として。
上記『マジカルウィッチアカデミー』のように特定の場面で主人公に音声出力を付与する対処は、もちろん、ベッドシーンに限定されるものではない。たとえば『はるかぜどりに、とまりぎを。2nd story』(SkyFish、2010)では、物語の中で非常に重要な位置を占めるある一場面を印象づけるために、そのシーンの特定の主人公台詞にのみ音声が当てられている。男性主人公とヒロインとが情愛に満ちた言葉をささやき交わしあうそのシーンは、男声と女声とが実際に音声上でも絡み合うことによって、その場面の意味をいっそうはっきりと際立たせている。
4)構造的分割の下で。
作中作を伴うタイトルには本編部分の「主人公」と作中作の「主人公」の二者が存在することになる。前者には音声が無いが後者には音声付与されているという場合が、実際に存在する(一例として『BUNNYBLACK3』[ソフトハウスキャラ、2013])。作中作のように、その場限りの比較的短いシークエンスに限定すれば、主人公音声付与のコストもそれほど極端なものにはならないし、また、音声付与によってその主人公の特殊性――つまり本編主人公とは別の固有性を備えた存在であるということ――が明示されることにもなる。ゲーム作品における物語表現/物語存在の多層性と柔軟性を活かしたものと言えるだろう。
4')第三者視点のばあい。
類似の例として、主人公以外のキャラクターが視点人物になっている場面では、主人公キャラクターが立ち絵で画面内登場したり、その台詞に(当該シーンの中のみ一時的に)音声が付与されたりするという場合がある(例:『カルタグラ』[Innocent Grey、2005])。
このような事例と考え合わせると、主人公が音声付与されるか否かの基準は、あるいは通常のAVG主人公が音声出力を欠如することが正当化されている理由は、そのキャラクターの存在表示がいかに要請されるかと深く関わっていると考えることもできるだろう。そして、先に述べたSLG作品における主人公ユニットの画面内登場及び行動も、他者視点における主人公立ち絵登場と同様に、単独の作中存在としての明白な(視覚的)現れを備えていることと、おそらく無関係ではない。換言すれば、通常のAVG主人公がヴォイス無しであり続けることが容認されているのは、彼または彼女が物語の中で主人公乃至主役であるからではなく、そうではなくて、主人公(乃至視点人物)であることを通じてAVGの表現システムの中でいわばインターフェイスの人格的表象のような特殊な役割をも担っているという側面を持つがゆえであるのかもしれない。