2013/08/13

コンピュータゲームにおけるエンディング到来の自由度

  コンピュータゲームにおけるエンディング到来の自由度
    ――ゲーム表現における予測不可能性の現れとその作用についての覚書――


  PCゲームの――すなわち1)マルチエンディングに基礎を置く2)インタラクティヴな3)デジタルメディア作品の――大きな特長の一つは、物語の長さに関する自由度を持つという点だろう。

  たとえば紙媒体の書籍ならば目に見えるページの厚みで、あるいは劇場公開映画ならばおおまかに2時間前後の予想によって(あるいはチケットに上映時間が書いてあることもある)、物語の終わりがどのくらいのタイミングで訪れるかをあらかじめ知ることができる。できてしまう。しかし、コンピュータゲームでは、どのような結末が、いつどの瞬間に訪れるかは原則として分からない。それは、SLGにおけるランダム要素の帰結としての(表見上の)唐突さであったり、あるいはACTにおける即死であったりもするが、それよりもいっそうスタティックな読み物AVGに際しても同様のことが当てはまる。

  最も極端な場合には、ゲーム開始数分の最初の選択肢を誤れば即デッドエンドになるという(遊戯的な)パターンは、おそらくAVGのかなり早い時期から存在しただろう。PCアダルトゲームの中にも、例えば『ブラウン通り三番目』(2003)や『です☆めた』(2004)、あるいは近年でも『女装山脈』(2011)や『九十九の奏』(2012)のような実例があるし、さらにもう一ひねり加えて冒頭即死ENDに見せかける演出すら存在する(――SLGにおける序盤敗戦演出は『鬼畜王ランス』(1996)以前から幾度となく試みられてきたし、読み物AVGにおいても例えば『Festa!!』(2005)が楽屋オチギャグとして擬似即死END演出を披露した)。『蒼色輪廻』(2004)のように、ループゲームシステムの一分枝として、短期ENDが出現する場合もある。部分的に関連する記述として演出論Ⅳ-4-4-α及び「特殊なエンディングとその重みづけについて」を参照。

  しかしながら、冒頭即死ENDのような「極端」な事例は、単なる例外ではない。これらは、ゲーム作品の中に常に現れているごく普通の現象の一部分でしかない。それは主として、最初に述べた三つの要素に依拠して成立している。

  第一のそして最も外形的な要因として、デジタルメディアならではの隠蔽能力が関わっている。コンピュータゲームのデータ内容は一般的なユーザーの目からは非常に分かりにくい形になっているのが通例であり、コンピュータAVGにおいてもどのファイルがイベントテキスト(ゲーム内で表示されるテキスト)であるかは分かりにくい(――とはいえ、技術的には、アーカイヴ展開ツール等によって発見できる場合も多々あり、また立ち絵ファイル/一枚絵ファイル/音響ファイル等と並んでイベントファイルが単体で置かれている場合にはおおまかに容量を知ることが出来るし、極端な場合にはテキストファイルを表面上拡張子変換してあるだけというものもある)。もちろんこれはデジタルメディアに必然的特徴というわけではないし、またデジタルメディアの専属的特徴というわけでもない(TRPGやゲームブックでも、同じような事態は発生する)が、一般的に言えば強度の傾向的特徴があるとは言えるだろう。

  第二に、マルチエンディング機構がそのような即死ENDや途絶ENDの存在を容認させる。結末は一つではなく、そしてそれゆえ、手近に到達されるエンディングも存在しうるし、長い進行の果てにようやく辿り着けるエンディングも存在しうる。そして、第三の要素、すなわちインタラクティヴィティ(あるいはプレイヤーの「参加」要素)は、第二の要素と連動している。プレイヤーの技巧や熟慮や運不運によって勝利条件充足を目指すというごく狭義の「ゲーム」観に該当する場合だけでなく、参加的要素のある「ゲーム」作品一般において、物語をその結末に至らしめたのはプレイヤーの選択だという一点において、そしてその事実を理由として持ち出してよい場合にはとりわけ、いかなるタイミングでエンディングがもたらされたとしてもそのことに苦情を申し述べるべきではないだろう。

  ゲームを成り立たせているこれらのような事情からして、原則論としていえば、エンディングは(観察者として客観的に述べるならば)いつ訪れてもよいものであり、そして、(当事者として主観的に述べるならば)いつ訪れるか分からないものである。それは、ゲームのあり方によっては、理不尽なものと見做される場合もあるだろうが、しかし、とりわけ読み物AVGに際しては、この不確定性と予見困難性は長所として働きうる。いつ終わりが訪れるか分からないということを最も効果的に活用できるのは、おそらく黒箱系サスペンスAVGであろう。いつどこにデッドエンドの陥穽があるかも分からない。あるいは、ハッピーエンドに向かい得るためのフラグをキープしてきているのかどうかも定かでないまま、現に行われている戦闘がもしかしたらデッドエンドに傾くか分からない(――そもそもハッピーエンドが存在するという保障も無いが)。そのような薄氷の緊張感を享受できるのは、PCアダルトゲームの機構的構造と分野的文化のおかげだろう。

  私見では、とりわけアイル(古く『脅迫』[1996]以来)、Black Cyc(多数)、Tinkerbell(とりわけ『淫妖蟲』シリーズ[2005-])、KAI(全作品)といったブランドは、この宙吊り状態を強力に援用してきた。ただしその一方で、studio e.go!/でぼの巣製作所(『神楽』シリーズ[2003-]のSLG群)のように、その転落の踏み板を明示しつつプレイヤーの手によってそれを実行させるというさらなる倒錯の表現システムを持つことができるのも、PCゲームの一つの可能性だが(cf. 「『神楽』シリーズについての雑感」)。