シリーズものなどで、同一のキャラクターを異なった原画家が描くということも、稀に生じる。
【 『BALDR SKY』シリーズの原画家変更 】
『BALDR SKY』(戯画、Dive1:2009/Dive2:2009)の原画は菊池氏だが、そのシリーズ後継タイトル『BALDR SKY Zero』(2013)の原画は綱島氏になっている。おそらく同一世界設定の筈で、前作『BALDR SKY』の主要キャラクターたちも新規画像で再登場している模様。一口に「シリーズもの」といっても様々だが、主要キャラクターの再登場があるのに原画変更されるというのは、この分野ではかなり珍しいケースであるように思われる。
この他に、いくつかのタイトルで新規CG版が存在する。『MAID iN HEAVEN』の原画家は同一人物だが、『雪影』『白銀のソレイユ』の新規CG版は別の原画家が全てのCGを制作した。
【 トリヴィアルな原画家変更の例 】
脇役キャラやFD作品ならば同一キャラを別の原画家が描いている例もそれなりにある(――例えばEushullyのマスコットキャラたちやLiar-softの「けーこ」。あるいは、複数タイトルの複合FD『ライアー大戦じゃんまげどん』など)。alicesoftは原画担当者が多いうえあまり分担が情報公開されないしキャラ再登場もフォローしきれないのでよく分からないが、同一キャラを別作品別原画で描いている場合はおそらくあるだろう。しかし、前の作品の主要キャラクターが、同様に重要な役割を担いつつ再登場するというような場合に、原画交替している例はなかなか思いつかない。『巫女さんファイター涼子ちゃん』は続編(FD)で原画家が変更されている例だが、前作の主要キャラクターはほとんど再登場しておらず(主人公以外に再登場しているのはたしか男性悪友キャラのみで、しかも立ち絵は流用されていた……たぶん)、原画家変更の影響は最小限に抑えられている。
【 原画の同一性継承が保持される事情 】
元々美少女ゲームメーカーは少人数体制であって原画スタッフの入れ替わりが生じにくいという人的事情があるだけでなく、原画家はブランドの看板になりやすく、また作品のヴィジュアルイメージを代表する存在でもあり、ユーザーサイドでも(声優の同一性が期待されるのと同様に)原画の同一性が期待されがちであろうため、シリーズもの(続編やFD)での原画交替は構造的に非常に生じにくいと思われる。しかし、グラフィック要素以上にユーザーの注目を惹きつける大きな要素があるなどして原画如何に過大な注目が集まらずに済む場合(とりわけSLG作品)や、グラフィック面を刷新して新鮮味をアピールする必要がある場合(典型的にはアーケード格ゲー)には、原画変更や画風変更の余地は大きいだろう。
【 原画の同一性継承には意味があるのか? 】
ただし、本当に見た目の同一性が期待されているかといえば、必ずしもそうとばかりは言えない。実際に、同一の原画家による同一キャラ再登場でも、その画風が大きく変化している場合も多々ある。例えば『雫』『痕』等のリメイク/コンシューマ化(原画家は水無月氏)、『D+VINE[LUV]』のFD『とびでばいん』(本田氏)、『夢幻廻廊2』(椎咲氏)、『Chu×Chu』シリーズ(織澤氏)、ソフトハウスキャラ作品群(佐々木氏。例えば『うえはぁす』『真昼』キャラたちの『DC』での再登場。あるいは『葵屋』から『雪鬼屋』での葵秋風再登場)、そして『恋姫』『MAID iN HEAVEN』『雪影』『白銀のソレイユ』の新規CG版などは、同一キャラクターを描きながらその画像自体には劇的な変化がある(――もちろんそこには、解像度変化などの環境変化、他キャラとのすりあわせ、作品コンセプトの変化など、合理的な理由が推察されることが多い)。
【 私見 】
個人的には、声優が交替されてかまわないのと同様に、原画も(そしてもちろん着彩も)変化してかまわない。『エスカレイヤー』も、わざわざ同じ声優に再演させなくてもいいのに……。そういう「再現の忠実性」を追求するよりむしろ、今この2013年ならではの最適なキャスト選定をこそ追求してほしかった。別人のような絵/声になってしまったキャラを見て「おまえさん誰だよ」と言いたくなる気分、そしてそのような時に感じてしまう寂しさや落胆がまったく理解できないというわけでもないのだが、再現のための再現ばかりを目指すのは無意味だと思う。
※原画リメイクの例については、以前の雑記2013/02/12「再販の諸形態」を参照。