これを機に、この作品について考えてきたことを整理して述べてみたい。
【 はじめに:個人的なこと 】
この作品のことは、プレイした当初からずっとお気に入りで、今でも折に触れて飽きることなく心の中でその印象を反芻し続けている。その経験とその気持ちには本当にいろいろなものがあって、ここでうまく言葉にすることは難しいが、しかし少なくとも、私にとっては最高のゲーム体験の一つであったことは間違いない。
【 戦闘パートの視覚的構築 】
なかでも水鼠氏(プログラマー)とはなたかれとも氏(各種デザイン)、そしてTOY氏(作曲)がとても素晴らしい仕事をされている。
水鼠氏は、戦闘パートの攻防を表す視覚表現の演出的コントロールが絶品だった。キャラクターの切り替えに応じて、キャラクター(ユニット)画像が斜めにすっとフレームアウトしては次のキャラクターがすっとフレームインしてくるそのタイミングは空中戦闘の速度感をこのうえなく的確にプレイヤーの前に示していたし、それに合わせて背景部分も巧妙に切り替わって空間戦闘の広がりをしっかりと表現していた。機械的にもならず、かといって(スタッフコメントコーナーによればプログラムとしてはわりと無理をしていたらしいにもかかわらず)もたつきもせず、キャラクター切り替えという間隙(と通常見做されるであろう)部分にこそ、本作の大きな魅力の一つが存する。
もちろんそれだけではない。キャラクターの運動表現のダイナミズムは連携攻撃の時にも華々しく活かされたし、行動待ち時のキャラクターの浮遊表現もふわふわした柔らかさの中にも力感(魔力の介在)を想像させるのに十分な出来だった。増援時カットインも、オーソドックスなかたちながら、台詞音声を伴って物語的な体験を楽しく表出していた。画面右の行動リストも、きびきびとした動きをしつつ、SEやVFXとともに状況の変化を的確に表現していた。そしてとりわけ必殺攻撃時のVFX/カットイン/一枚絵の心地良い組み立ては、その瞬間のBGMミュート処理/決め台詞ヴォイス/SEの音響表現と歩調を合わせて、文字通りの意味でそして抜群の"見所"になっていた。
これらが単なるベタ置き画像ではなく、大量の脱衣パーツ群の差分込みで様々に変化していくところも、もちろんこの作品の"売り"であり、そして実際にもそのヴィジュアルイメージの華やかさと豊かさそして作品全体の色気にも大きく寄与していた。
【 美術設計について:インターフェイス、キャラデザ、背景デザイン 】
インターフェイスデザインも、パステル基調だが単調にならず、明朗で見やすくそして遊び心のあるデザインになっていた。作品の舞台設定も、街の中央の入り江に突き刺さったトリコロール時計塔という強烈なイメージ[ http://www.escude.co.jp/product/akatoki/world_top.html ](※リンク先はアダルトゲームサイト注意)に代表されるように非常に独創的なものだし、そこに住まう異世界種族たちもレゴブロック(?)の巨人やアンティーク時計の怪人あるいは小柄な鎧騎兵たちといったもので、メルヘンチックなおどけた雰囲気の中にかすかに余所者的な不気味さ(人類とは異なる思考原理)を伺わせ、全体としてこの作品の「世界」がどのようなものであるかをくっきりと造形していた。そうした世界の広がりに対する意識は細部まで行き届いており、例えば装備アイテムの説明欄では、そのアイテムの開発経緯という体裁を取りつつ、主人公たちの先達にあたる研究主任と市長の過去のエピソードが楽しげに綴られている。キャラデザの中に時計やベルトのモティーフが多用されているのも、視覚面で作品コンセプトをまとめあげようとする取り組みの一環と思われる(cf. 2013/05/08付雑記)。
また、背景画像の中にもそうした視覚的-美的-物語的な個性は様々なかたちで表出されていた。例えば、地平線の丸みを極端に強調することによって、あるいは空からの街の遠景本当に遠く遠く描くことによって、キャラクターたちがいかに空高く飛んでいるかが如実に示されている。あるいは、深みのある夜空に浮かぶ、金平糖のような巨大魔法石の非現実感。あるいは、公園風景の背景と、その奥の水辺に(上記の)時計塔が刺さった差分の変化。そして、戦闘パートでも、クライマックスの時計塔の文字盤前での空中戦闘シーンは視覚的にもたいへんドラマティックなものになった。その他、次回予告のユーモラスさや、現在の一般的なAVGの類型を脱したBGMに至るまで、その個性と美質を挙げようとすればきりがない。AVGパートのプログラムでも、テキストが波打つ(ゆらめきアニメーションする)という珍しい表現があるし、場面転換パターンやエモーションVFXも実に多彩である。
【 キャストについて少々 】
キャスト陣では、甘美氏の風格ある巻き舌芝居や上田氏の流暢な関西弁も良かったし、森川氏の不敵なボスキャラ芝居も所を得た配役だったが、桜川氏の芝居ぶりもキャラクターの機微に触れる名演だった。まき氏の凄味はいつものこととしても。
【 物語設計と合わせた特有の視覚演出 】
個人的に興奮させられたのは、最終モード(「グランドルート」)開始時の高速巻き戻し演出だった。『蒼色輪廻』の同種演出を連想させるものだが、「これまでの成り行きを踏まえつつもそれらとはまったく別の、異例のそして異常な事態がここから開始するのだ」ということをプレイヤーに対して決定的に印象づけるものだった(――巻き戻しギミックは、ファンディスク『あかときっ!!』のごく短いループ周回を繰り返すゲームデザインへと発展した)。
【 おわりに:ゲーム表現の可能性 】
とりわけ、インターフェイスの作り込みとそのリアクションの快さは、言葉では説明しきれないし、言葉で説明するだけでは意味が無い。できるだけ多くの方にプレイしてほしいし、私自身としても特にこの作品以降、Escu:deのゲームはアンインストールできない特別な存在になっている。一方では行動時間をコントロールする戦闘パート、時計モティーフ、巻き戻し演出といった、そしてもうもう一方では魔法の箒(魔砲器)に乗った空間戦闘や市街の広がり、要するに時間と空間の二つの要素を作品の成り立ちの根幹に据えつつ、そこからこのユニークなゲーム世界は、洗練された形で作り上げられている。
この作品では、「ゲーム」という媒体がなしうる様々なことが、非常に美しいかたちで実現されている。一つには、生死を賭ける勝負のシステムを緻密な計算と劇的な演出によって構築すること(狭義の「ゲーム」要素)。もう一つは、キャラクター/舞台設定/音響表現/インターフェイス設計のあらゆる要素を通じて、ユニークな架空状況を表現すること(「物語」要素)。そして、それら全体が単なる受動的な鑑賞体験にとどまらず、プレイヤーの能動的動作とそれに対するシステムのリアクションの組み立てをその中核部分として体験させること(「参加」要素)。そしてそれらを明確なコンセプトの下にきちんと統合してみせた『あかときっ!』は、アダルトPCゲーム分野のその最先端の現代的成果である。
※スクリーンショットとコメントは別ページを参照。
その他、このタイトルに関する言及は、
[ http://twilog.org/cactus4554/date-101118 ]
[ http://twilog.org/cactus4554/date-110125 ]
[ http://twilog.org/cactus4554/date-110614 ]
2012/08/20雑記
2013/05/08、同05/27雑記
Escu:de全般については、
2013/01/31雑記
2013/02/23雑記
2013/03/25雑記
2013/04/18雑記