2026/09/15

『天幕のジャードゥーガル』原作漫画とアニメ版の比較対照:第12話

 第12話「いつもと変わらない草原」

 原作第24-25幕(単行本第4巻所収)の全体。さらにエピローグ部分では、第26幕の内容にも触れている。時代はひきつづき1232年の秋。
 サブタイトル「いつもと変わらない草原」は、作中の「以前と何も変わらない いつもの草原」から取っている。
 脚本は、シリーズ構成も務めている加藤還一(第1、5、11、12話を担当)。絵コンテの「ちな」は、本作には初参加。演出は中村亮介とちなの連名(中村もこの最終話が初参加)。
 今回もストーリーの大筋は原作に即しているが、シーン構成のアレンジ、映像的な独自演出、台詞周りの整理、そして印象的な独自シーンの追加など、最終話に相応しく手の込んだ調整が施されている。


 (00:00-)アバンタイトルで、主人公が慌てているシーンはアニメ版独自の補足。広大な草原に佇む少女(権力と孤独に対峙する)、手桶から流れる水(計画の破綻)、その水面に映る青空(希望とその皮肉)と、具体的な描写の中に多くのニュアンスを滲ませている。
 それに続く会議シーンは原作同様だが(第4巻54頁以下)、映像的なレイアウトなどはかなり異なっている。また、アニメ版では会議の状況を回想シーンとして位置づけ直しており、主人公たちがドレゲネの所在に気づく形にシナリオを改めている。

 (03:10-)Aパートは、原作漫画4巻60頁以下。ボラクチンが陰謀の象徴たる毒石に手を伸ばすカットや、領地譲渡の地図などはアニメ版独自。ボラクチンとオゴタイは、原作漫画ではそれぞれ別のコマ絵で配置されているが、アニメ版は画面スクロールで一画面を共有して、この二人の精神的な繋がり(共犯性)を示唆している。
 このあたりはアレンジが非常に多い。日没寸前の暗い草原を、ファーティマとシラが騎乗で駆けていくシーンは、アニメ版独自である。将軍イルケの高い地位については、原作ではナレーションで記されていたものを、ここではキャラクター会話に置き換えている。
 サブキャラ侍女は、アニメ版より後のストーリーでは大きな役割を担うことになり、ここでもアルグンという男性と出会っているのだが、アニメ版では目立たない形にやり過ごしている(※原作の続きをアニメ版製作するには、早くとも3年かそこらは掛かるであろうし、この最終話の見通しをきれいに保つうえでも、このカットは理に適っている。アルグンも一応登場しているが、見回りをしつつ犬に目を向けただけ)。
 ドレゲネに侍女が食事を運んできたシーンで、原作漫画ではクドカ(マダガ)が無いことに言及しているが、アニメ版ではウルム(つまり彼女がファーティマと一緒に食べることができなかった心残りの料理)へと台詞アレンジしている。ファーティマがドレゲネを発見する経緯も、原作では他の女性から「訳あり」として教えられるが、アニメ版では満天の星空の下を駆け回っている最中に偶然のきっかけで見つけている。
 ここから原作第25幕。炬火を背にしたドレゲネ、そして横から不気味ににじり寄ってささやくボラクチンなど、アニメ版は印象的なレイアウトを作っている。その一方で、ドレゲネがグユクの周囲をコミカルに回るのも、アニメ版の演出である。隠棲を勧めるオゴタイは、原作漫画では目を下に逸らしたままだが、アニメ版ではドレゲネと正面から見つめ合って(睨み合って)いる。
 (12:40-)主人公とオゴタイの会話。原作は黒ベタの夜空だったが、アニメ版では青みがかった星空で、二人の天文論議を視覚的にも支えている。迂遠な伝令会話は、原作漫画ではフキダシを共有することでコンパクトに進めていたが、アニメ版は同じ台詞を繰り返すのでいささか冗長になる。もちろんこれは、当時の階級文化や、彼我の距離感、そして学知を言葉で遠くへ伝達していく営み(の難しさ)の象徴でもあるだろう。
 ファーティマが語る天動説は、彼女が帰属している西方文明を代表している(※アラビア風の琴の劇伴もおそらくイラン風の楽曲である)。オゴタイの「同じ目的地に向かって回り続けるんだ」のあたりの台詞は、アニメ版独自。ファーティマの言動は、原作漫画では激高した叫びのように棘付きフキダシで表現されているが、アニメ版の芝居ではどちらかと言えば、彼女の信じる「自然の摂理」を傲慢に語って、モンゴル土着の非科学的な世界認識を見下すようなトーンで演じられている(※もちろん、後世の我々が知るとおり、ファーティマが学んだ天動説は誤っており、むしろ皮肉にもオゴタイの語るイメージの方が実態に近いのだが)。
 そしてオゴタイたちが去ってから、主人公が怒りの絶叫とともに草原に倒れ伏すシーンも、アニメ版独自。それに続くドレゲネとの会話も、原作ではテント内に戻ってからの状況だが、アニメ版はドレゲネが夜の草原に出てきている。白い花を摘むのも、ドレゲネの側から「二人でなら、嵐も起こせるわ」という台詞を返すのも、アニメ版の演出。

 (21:20-)Cパートのエピローグ。原作第26幕の冒頭部分(4巻102-105頁)を使っている。「オゴタイはペルシアに総督府を定め」云々というナレーションは、同122-123頁から。そして『原論』を閉じる手許のカットで、アニメ版は締め括られる。