2018/12/31

2018年12月の雑記

  2018年12月の雑記。(→2019年1月2018年11月


  12/28(Fri)

『GA』版のビートルがひとまず完成。紙人形を可愛らしく描くのが一番難しかった。


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  今回のコミケ献血ポスターは、あっ、あのメカサメのイラストレーターさんか。
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  今年の文化エンゲル係数を計算してみたら、意外と少なくてがっかり。というか、それ以外の無駄な支出が多かったと言うべきか。ちなみに、本来のエンゲル係数(つまり食費の割合)は20%以下だった。残りは、住宅や通信費、交通機関、仕事関係などに費やしたことになる。うーん、無駄が多すぎた。もう物理的存在なんて面倒だから、この肉体を離れて現世の趣味をただ観照する高次元存在か電子幽霊みたいな存在になり果ててしまいたい。そうすれば娯楽に100%の支出をすr…あれ、そんな観念的存在になってしまえば、お金を扱う必要が無い、というかお金を扱えないのでは。つまり、作品を買って応援するということも出来なくなってしまうのでは……しまった、これでは私は永遠に死ねない。
  (現実的な話をするなら、本人[自然人]がいなくなっても、基金を持った財団などの法人を設立しておけば、それが存続するかぎり永遠に金銭的支援などの経済活動を続けられるけれど、そういう話ではない。)


  歌姫と聞いて『Ricotte』を思い出すなど。


  先日のミリタリーワンピースドールが、今度は魔人加藤(の女体化?)に見えてきた。陸軍系軍服アレンジなのだから、そのあたりの何かしらを連想するのは自然なことだけど、よりにもよってそれかよと自分で自分にツッコミをせざるを得ない。


  『サンカク恋愛』のキャスト、Kmn Knさんが、全年齢版ではKn Mnkさんになったのか。
  なるほど、そういうのもあるのか。


  「あー、はいはい、白雪碧さんですねー、これなら大丈夫ですねー」とサンプルヴォイスをクリックしたら、聞こえてきたのが白波遥さんのお声でびっくりした。もちろんこちらはこちらで素晴らしいが、なんとも申し訳ない名前の見間違いだった。


  山本崇一朗氏の漫画は上手いなあ、と感心している。筋立ても面白いし絵の完成度も高いが、なによりもまず、コンテ(コマ組み)がおそろしく洗練されている。
  特に、中段に真横一文字のコマを置いているのが面白い。このレイアウトのおかげで、紙面の中央に重要な大コマを置いて、読者にきちんと印象づけることができる。また、上段と下段にはストーリーを進めるコマを入れられるので、話がブツ切りにならず、どんどん次のページへ読み進めていける。また、要所でコマ絵を斜めにする演出(つまり、カメラを傾けるダイナミックなレイアウトにする)も、絶妙の見せ方で決まっている。
  とにかく無駄ゴマが一切無く、一コマ一コマの明晰をきわめた絵の連なりとともに、機知に富んだ漫画を読んでいける。才知に富んだ演出上手のテクニシャンが、まさにこの『からかい上手』のお話を作ったというのは、納得のいくことだった。

  こういう漫画家の特質を呼称する適当な言葉は無いものだろうか。文芸でいえば「名文家」に相当するような言葉が。構成と演出が正確に作られていて、漫画全体としてクオリティが高く、読み応えのある漫画(家)。
  それに対して、ストーリー展開を生み出すめざましい想像力で読者を圧倒する漫画家もいれば、一コマ一コマの絵単体の密度を売りにしている漫画家もおり、また、抜群の心理描写に長けている漫画や、一本一本の描線に込められたニュアンスを楽しめる漫画もあるが……そういったクリエイターの特質を言葉にするのは難しい。

  『からかい上手』はアニメ化されていた(視聴していない)が、固定画面のアニメ媒体で、この漫画の面白味を掬い取れたのだろうか。

  主立った登場人物(特に女性キャラ)がきれいに額を出しているのも嬉しい。


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  波奈束氏のサンプルヴォイスが、五行氏のように聞こえてしまった。
  ついに耳まで耳がおかしくなったか。

  まあ、言い訳をするなら、芝居や発声のスタイルはそれなりに近いところもあると思う。絶妙のバランスのアルトヴォイスで、ピッチは全体にかなり安定していて、大人びた様子なのにものすごく華やいだ雰囲気もあり、真正面から演技を展開していくタイプで、ものすごくクールなようでいて、芝居の熱がしっかり乗っている、等々。違いを挙げるなら、波奈束氏はかなりの技巧派で、芝居はパキッと明晰な切れ味があり、それに対して五行氏は情熱的な勢いを乗せた芝居のおおきなうねりが魅力的、といった感じだろうか。
  ここに桃山氏を並べると、個人的に、最高のトリアーデになる。さすがに三人の共演は、これまで無かったと思うけど。
  ここからクールさを突き詰めると秋野氏や北都氏になるし、カンタービレな語り口の心地良さでは卯衣氏や松永氏が挙がるし、役者の突出した個性という点では青山氏や藤咲氏がいる……といったように、おおまかな印象論ながら、私の中の声優星座はそんなふうに広がっている。



  12/23(Sun)

  『診察日誌』の主人公は、前作『研修日誌』と同一人物のようだ。
  そして前作のヒロインも登場する模様。
  しかし、赤木(赤城)と天城か……。いささか不吉なネーミングのようにも思える。


  日本橋遠征。時間的余裕があまり無かったせいもあり、買いものの数量や総額は控えめになったが、それなりに満足のいくものが入手できた。

そういえば、今年も『螺旋回廊』の時期だった。「私が入るには、ちょっとサイズが小さいかな」。

  条件に合うキーボードは見つからなかった。妥協してテンキー付きで探すしかないか。さしあたっては、現在使っているキーボードがまだ正常動作しているけれど、早めに次の候補を見つけて確保しておきたい。


  クラシックの廉価ボックスは、実にありがたい。「私が学生の頃は、この全集録音を聴くために、歯を食いしばって2万円を財布から出していたのに……今では10枚組3000円のボックスセットが簡単に入手できるとは」と、いささかアンビヴァレントな気持ちに襲われることがよくある。もちろん、基本的には良い時代だと言うべきだし、当時の私は2万円の身銭を切った分だけ真剣にそれらのCDを聴いていたのだから、それはそれで元は取れている。
  個性豊かな過去の演奏や、歴史的に名高い名演奏へのアクセスが容易になり、あるいは比較的マイナーな録音を含む大部のボックスセットが発売されている。新規ユーザーにとって敷居が低くなっているのはたいへん良いことだと思う。
  Juilliard Qのベートーヴェン全集ボックス(60年代録音の方)が18000円くらいしていたこととか、Gouldのバッハ録音ボックスの30000円を出せなくて指をくわえて見つめていたこととかは、今でも憶えているくらいだ。というか、現在でも18000円は、さすがにポンと出せる額ではないが。幸いにも、演奏それ自体は、値段分以上の感興と満足を与えてくれる素晴らしいもので、熱中してくりかえしくりかえし聴いていたものだった。

  Harnoncourt/Buchbinderのブラームスに聴き惚れる。


  『GA』で使っていたのは、カブリオレ版1303Sのキットだったようだ。ノーマルの1303Sとはキット構成が異なるので、そのままでは再現できない。しかし作中の描写では、ノーマルキットをカブリオレ(オープンカー仕様)に自力改造している。どちらを使うべきか。
  1) 作者が参照しており、なおかつ、読者が作品中に視認することのできるキット構成としては、カブリオレ版キットが対応している。オープンカー仕様を作るのも簡単。
  2) 作中で行われたとされる描写に従うならば、ノーマル版キットが対応している。つまり、ノーマル版(クローズドボディ)をオープンカー仕様に自力改造してみせてこそ、作中の野田さんの制作過程を再現したことになる。
  真面目に取り組むならば、「両方のキットを買い、カブリオレ版キットを紹介しつつ、ノーマル版で制作する」というのが一番だ。2個買っても、せいぜい4000円くらいだし。しかし、ネタのためにそこまでするかというと……。


  ERAをゴテゴテに載せたショットカルとか、平蜘蛛めいた砲塔のメルカバの威容とか、とにかくイスラエルのAFVキットは見ていて面白いのだけど、そのディテールや機能性の面白さは、まさに現代の戦争(実戦)で繰り返し使われてきた兵器ならではのリアルな迫力に他ならない。私たちが生きてきた時間の中に含まれる、まぎれもない同時代の存在であり、しかもそれらによって同時代人を殺傷したり同時代人がその車内で死んだりもしているのだ。IDFキットにはそういう血生臭さが香ってくるし、プラモデル制作を楽しみながら同時に暗澹たる気分にもなるのだ。
  これが軍艦や航空機であれば、そういった生々しさからはずいぶん距離を取れる。航空機では、機銃も目立たないし、ミサイルや爆弾を積んでいても、外観上はコロンとした物体を提げているだけだ。艦船では、1/350なり1/700なりといった極端なスケールが、戦闘行為のリアリティから鑑賞者を遠ざけてくれる。しかし、陸上兵器は、しばしば生身の人間を相手取った戦いのための武装を備えている。とりわけ「低強度紛争(LIC)」――おおむね市街戦やゲリラ戦を指す――では、その傾向が強い。
  「同時代の」+「実戦を経験している」+「陸上兵器」には、そういう戦争のいたましさや人間社会の陰惨な側面が、どうしても見えてきてしまう。悲しい。
  見た目は格好良いんですけどね……。


  そういえば今回は、アダルト関係のものは何も買わなかった。Sfmpの中古アダルトゲームコーナーは、配列が滅茶苦茶になっていて、とても目当てのタイトルを探せるような状況ではなかった。どうしてこうなった。


  [ ameblo.jp/evezoo/entry-10704872133.html ]
  古い記事の話だけど。抽選箱形式にすれば、たしかに望んだ結果が得られる。ただし、いささか疑念もある。たった一つのアイテムについてプログラムするならばそれで良いのだが、実際には、何万人~何百万人もいるユーザーアカウントの一つ一つについて、何百もあるアイテムの一つ一つに関して、現状でどれだけ籤が引かれているかをその都度記録しつつ運用しなければいけないということになる。データ量がかなり増えるし、プログラム上のバグ(記述ミスなど)の生じるリスクが、アイテム個数に応じて増えていく。さらに、ランダム性のある現象の全てについて抽選箱プログラムを組み込むわけではなかろうから、抽選箱を使うor使わないの基準を適切に決定しなければならない。

  そもそも、「このアイテム、敵を100匹ほど倒したら少なくとも1回くらいは出て欲しい」といったような曖昧なアイデアを、「一回あたりの確率は1/100である」という意味や、「最大でも100回目の試行までで全員が必ず入手できる」という意味で数学的に理解する必要が、はたしてあるのだろうかという疑念もある。
  独立試行で1/100のドロップ確率のあるアクションで、個々のユーザーは目当てのアイテムを1個入手すればすぐにそのアクションから離脱するならば、たとえば1万人のユーザーがいた場合、100回目までに総計63万3947回、そのアクションにチャレンジされる。つまり、一人平均63回のアクションが行われる。言い換えれば、独立な1/100の確率設定では、運営側は一人あたり100回分の収益を得るのではなく、63回分程度の収益を得るにすぎない。
  これが、抽選箱形式であった場合、ユーザーが同じように行動するとすれば、100回目(※今度は100回目までで必ずアイテムを入手できる)までで、1万人のユーザーは総計50万5000回、そのアクションに取り組む。つまり、独立設定の場合よりもさらに低く、一人あたり50回分程度の収益を得るにすぎない。この差は、無視できないほど大きいだろう。

左は独立試行の場合、右は抽選箱方式の場合。

  別の考え方をすることもできる。そもそも1/100という確率に、意味はあるのだろうか? 目指しているのは、それとは別のバランスではなかろうか? 例えば、初期確率が1/nの抽選箱方式で、ユーザーが一人平均100回程度挑戦したところで全員がアイテムを1個ずつ入手できるように設定したい場合(※入手できたユーザーはアクションから離脱するとして)は、当初の確率はn=198(つまり初期確率1/198から、198回目までに100万人で99万4853回実行)、またはn=199(初期確率1/199から、199回目までに1万人で100万2450回実行する)、つまり初期確率は0.5%程度に設定することになる。ただし、当然ながら、アイテム入手できたユーザーが過半数に達するのは99回目とかなり遅い。ユーザーの体感では、相当きついだろう。

  いずれにせよ、曖昧な考え方で「一人100回くらい実行すれば全員が入手できる」と述べてしまった場合、それをどのように捉えるかによって、実際の確率設定は1/100と1/198で2倍も異なってくる。高校文系数学の範疇の計算だが、もしもこのあたりを捉え損なってしまうと、メーカー側もユーザー側も不幸になるばかりだろう。

  もちろん、アイテムを1個入手できた後も継続的にチャレンジすることができる場合は、アイテムはその分だけダブつく。目当てのものを入手できたユーザーがそこから離脱する(離脱させる)か、それともさらに挑戦し続ける(ことを可能にする)かによっても、意味が大きく異なる。そういったことも含めてきちんと展望を持って企画を形にしていくのが、デザイナー(設計者)の仕事だろう。


  STPのディスク版販売が止まっているが、何かあったのだろうか。
1) 即売会に当選していない。
2) 利益が出ない。
3) 権利関係などで問題が起きた。
4) 多忙で作れない。
5) データ紛失などがあって作れない。
6) 忘れている。
7) ライヴやりっぱなし派(Sszmさんとか)が嫌がった。
8) 飽きた。
原因として考えられるのは、このあたりだろうか。私の手許のファイルにもいくつか抜けがあるので、余裕があれば順次バックナンバー販売していただければと思う。


  「ビートル」の記事を作成。年末年始で作れたらいいなというつもりで、ひとまず制作方針をメモしておく。
  アニメの架空国家所属のシュトゥーカとか、アニメの超科学軍艦ナチとか、アニメのオカルト軍艦赤城とか、そして漫画のプラモデル制作のプラモデルとか、ふと気づけば色物スケモばかり作っているような……。もちろん、まっとうなスケモもたくさん作っているけど。


  今年の実験結果。油っこいフライドチキンでも、たくさん食べられた。胃もたれもしない。
  まあ、無理に食べるようなものでもないけど。むしろホールケーキの方が良かった。



  12/20(Thu)

  もう5年半もこのブログを続けてきたわけだが、月別の記事数をリストにするとこんな感じ(※月別雑記の分だけ、各月1つずつカウントを減らしてある)。
  全体平均では、毎月5本弱の記事を書いている。意外に多かった。ただし、年によってかなりのばらつきがある。定期的に書くべき主題があるわけではないので、たまたま大きな記事を思いついたかどうかに左右されるし、プレイしたSLG作品がどれだけ攻略し甲斐があるかによっても変動する。2016年(一昨年)の記事の多さは、10万字規模の文章を書いたり、webラジオ概要記事をたくさん書いたりした分が上乗せになっている。逆に2017年(昨年)に記事数が激減しているのは、仕事面で多忙だったから。
  月単位で見ると、まさに今の時期、12月が極端に少ない。けっして活動していないわけではないが、記事数が大きく伸びることが無い。なにかと落ち着かない時期だから、やむを得ないか。それに続いて5~6月も記事数が少なくなる傾向がある。こちらは不可解。春から初夏に掛けての季節は、いろいろな活動に精が出るはずなのだが。花粉症のせいにしておこう。


  年末年始の趣味生活を充実させるために、年内(来週中)のうちにポンバに遠征していろいろ買い込んでおきたい。しかし、寒いので出歩きたくないし、1月にイベント後の時間で足を伸ばす可能性がある。どうしたものか。

  来年も、ここでは楽しい話ばかりをしていきたいねえ。


  「冷え冷えとしたホラーを描ける筆力」+「クトゥルフものの扱いに長けている」+「アダルトシーンも書ける」となると、大槻氏が『沙耶』ノヴェライズを手掛けたのはあまりにも適任だった。しかし、同じだけの資質を備えているライターとして、たとえば弘森氏や嵩夜氏がこの任に当たっていたらどんなふうにこのネタを料理されていただろうかと妄想するのも楽しい。
  今回のノヴェライズ版は、終局の到来をちょっと遅延させた感じ。続編を視野に入れた処置として納得はできるが、PC版の他のエンディングに比べるといささかインパクトに欠ける。


  仕事帰りのオタクショップで、「この店に入るのも今日が年内最後か、ならばせっかくだから、何かちょっと大きめの買い物をしておこうかな」などと殊勝な考えが浮かんだが、残念ながらめぼしいものが無かったので、何も買わずに店を出てしまった。まあ、時期には拘らず、欲しいものがあったら買うようにしよう。そんなことをしていたら財布にお札がいくらあっても足りないが。

  Melonでは、くまのとおる氏の単行本を買い直してきた。幸か不幸か、レジは先月のにこやか応対ではなかったので、ほっとした。同一のアダルトコミックを2冊買うなんて、初めt…いや、紅村氏の単行本を2冊買っていたか。
  自宅で発掘した『ばけもの町』ともども読み返した。キャラクター間の感情の交流がデリケートに描かれているし、盛り上げすぎず、ダウナーすぎもしない、ほどよい低体温進行が心地良い。
  技術面では、コンテ(コマ組み)もきれいに整理されているし、それでいて紙面レイアウトを含めた演出が繊細的確に作られている。一コマ一コマの絵のダイナミズムに合わせるように、枠線レイアウトが巧みにコントロールされているのが良い。一見すると素朴なようでいて、実は漫画表現として非常に洗練されている、技巧派のクリエイターだと思う。ベッドシーンのシークエンスでも、その技巧は大きな効果を上げており、たいへん読み応えがある。ベッドシーンといえば、女性のバストがふにゃふにゃといかにも柔らかそうに描かれているのが、わりと珍しく、そしてありがたい。
  台詞回しは、おっとりしたヒロインが訥々と語る様子が印象的だが、その一方で、日常シーンの会話は意外なほど小気味良く、ポンポンと会話が進行していく。そのため、会話の流れもとても快適で、非常に読みやすい。本当に良い漫画家さんだと思う。
  こうして既刊全てを読み返してみると、ただ単に「雰囲気のいい漫画」というだけではなく、技術的な観点でも「確かに上手い漫画家」だということが再確認できた。しかも、絵の魅力で読ませるだけではなく、構成の説得力と修辞的テクニックでしっかり読ませるタイプ。こういうクラシカルな漫画表現アプローチは、たいへん好ましい。

  うん、まあ、硬そうに膨れ上がった風船バストの圧倒的な存在感とか、熱っぽい吐息に伴われた濃いグラデ塗りの肌とか、汁気たっぷりに描き込んだコマ絵単体の煽情性とか、あるいは先鋭的なフェティシズムの噴出とか、ガツガツしたパワフルな肉の交わりとか、そういったものを武器にしたりそういう趣向を楽しんだりする人たちもいるし、それはそれで一つの趣味ではあるのだけど、そういうのは私にはよくわかんないのだ。それらはそれらで特有の技術開拓があり、そこには固有の洗練があるというのは理解できるのだが、そういった距離を置いた認識から先へ進めない。正直に言えば、情緒のない即物的なエロティシズムは苦手、ということだけど。



  12/14(Fri)

  『だらよ』は内容をほとんど忘れてしまったので、今から再プレイしても新鮮な気持ちで向き合えると思う。たしか、観覧車の仕掛けを誤解していて、しばらく進めなかったのは、なんとなく憶えている。また、ひとまずのエンディングに到達した後で、まだトゥルーエンドがありそうな無さそうな雰囲気があったのだが、結局そういうエンディングは見つけられなかった(※実際にトゥルーエンドが存在するのかどうかも知らない)。
  当時はXP機でプレイしていたので、アニメーション演出がかなり重かった。現在のPCであれば、快適にプレイできる筈。


  ソフトハウスキャラFCが、「プララジ」だけでなく、ラジオドラマ(音声ドラマ)も作ってくれているのだが、これはどうしようかな。
  1a) ファンクラブのコンテンツとして一体のものとして、「プララジ」記事に併記するか。
  1b) 有料コンテンツだが、音声で聴かなければ意味が無いので、適当に紹介するか。
  1c) 有料コンテンツだから、枠組だけを簡単に記録しておくか。
  2a) ラジオとは別のコンテンツだから、そこでは取り上げないものとするか。
  2b) 有料コンテンツだから、内容には一切触れないようにするか。
どういう立場で臨むのが適切だろうか。そういうコンテンツが存在するということは、万人が認識可能なわけだから、どこまで踏み込んでよいかが問題だ。「出演者」と「作品名」くらいは書いておいても、コンテンツを侵害することにはならないだろう。今回でいえば、「綾音氏、八尋氏、風花氏による『勇者砲』エピソード」という程度の、ごく形式的な言及だけならば、良いかなと思う。厳格に考えるならば、それすら書かないという立場もあり得るけれど……実際にどうするかは保留しておく。

  などと書いているうちに、もう「プララジ」の更新日になった。


  異種族ネタも十分普及したことだし、そろそろ「サキュバス=ケンタウロス」とか「アラクネ=スライム」とか「単眼・巨大・人魚」みたいな複合キャラが出てきてもいいと思うんだ。
  これまでも、例えば「ドラゴンゾンビ」や「エルフとゴブリンの混血種」のような理解可能なものは描かれてきた(※ちょっと趣旨は異なるが「ドラコケンタウロス」も有名だろう)し、「さまざまな魔物たちが通う学園」のように生態的バックグラウンドから切り離した状況設定もごく普通のものになっている。そこから、ほんの半歩踏み出すだけでよい。おそらく、そういう趣向のキャラデザはすでに行われていると思うが、それがもっと大きく普及していってくれたらと思う。
  フィクションの世界では、生物的属性も、個体の性質を示す「記号(またはコード)」として扱うことができる。例えば「ケモ耳の巫女さん」とか「眼鏡褐色肌長身メイド」が存在するのと同様に、「種族+種族」をカジュアルに組み合わせる発想も許される筈だし、そしてそれはとても楽しいものになるだろう。


  近年のアダルトゲーム分野は8800円だけでなく、9800円や6800円があらためて増えてきた。特に今月は6800円タイトルがかなり多かった。作品規模に応じて柔軟に価格が変わるのは、それはそれで良いことだと思う。
  ちなみに、00年代中はフルプライス級は8800円がほぼデフォルトだった。それは、「大手ブランドの大作も、1万円を超えたりせず8800円の枠内で買える。逆に新規メーカーも、至らないところがあっても8800円の価格設定で勝負できる」ということを意味し、結果としてアダルトゲーム分野の多様性と豊饒さを下支えしていた――という説がある。


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  京都寺町の喜久屋書店は、品揃えの目利きも見事なもので、新刊の充実度はもちろんのこと、マイナー出版社の単行本も揃っていたし、古典漫画の重要な刊行物もたくさんあったし、女性向けにも十分なスペースを割いていた。店内のレイアウトもきれいに整理されていて、使いやすかった。近隣(寺町~新京極)には、とらやMelon booksのような店舗も出来ていたが、それでも商業漫画メインの書店としては圧巻のクオリティだったし、とりわけ四条通の「Bookstore談」が路線変更してしまってからは、京都市内で最高のコミック系書店だったのに……。閉店とはいったいどういう事情なのだろう。


  【 オタク系諸分野と恋愛要素 】
  白箱系アダルトゲームがストレートな恋愛を扱っているのは、現代のおとこのこむけオタク系諸分野としてはかなり珍しいのではなかろうか。
  漫画は多様化して久しく、ベタな恋愛ものは少なくなっている。同人誌(特に18禁)では、恋愛関係を前提にしていることが多いが、そうした場合でも恋愛というよりは性愛が中心になっており、恋愛感情の形成から告白までを丁寧に描くことは無いだろう。アニメも、一対一の恋愛を取り上げることは稀で、男女間関係を取り上げる場合でも、お色気ハーレムコメディに塗り替えられている。主役男性キャラと主役女性キャラが結ばれる場合でも、大仰な告白シーンはそれほど頻繁には描かれていないように思う。LNは依然としてファンタジー寄りのようだ。ちなみに、女性向けに近づくと、百合やBLなど、ストレートな恋愛ものが増えてくる。
  それに対して、学園恋愛もののアダルトゲームでは、序盤のうちはコメディシーンや活劇的展開が多いものの、中盤の分岐を経て、一対一での恋愛感情と様式化した告白シーンがかなり生真面目に描かれる。後半の個別シナリオに入ると、恋愛関係をすっ飛ばしてアダルトシーンを釣瓶打ちに詰め込んできたりするが、それはそれとして。いずれにせよ、男性ユーザーが多数を占める分野の一つとしては、非常に珍しいスタンスを採っている。
  そもそも、現代の男性オタク系界隈で、恋愛ものが本当に退潮しているのか、実際に退潮しているならば、それは何故か、また、物語の分類としては何が優勢になっているか。こういったことを丁寧に検討していく価値はあるだろう。
  各分野で、恋愛要素は消滅したわけではないかもしれないが、作品ごとのコンセプチュアルな装飾の部分がウェイトを増してきて、結果的にラブストーリーは作品の一部に過ぎないものになっているのかもしれない。また、その一方、アダルトゲームのシナリオにおいても、恋愛要素は必ずしも支配的な動因ではない。ほとんどの場合、凝った世界設定や、作中状況全体に関わるドラマティックな展開、あるいは特有のゲームシステム(とりわけHOOK/SMEE)などを盛り込んでいる。そういった複雑精密な作り込みに合わせて、ヒロインたちのキャラクター造形も10年代にはデリケートなものになっている(※3つ以上の側面を組み合わせつつ、作品コンセプトに合うように全体をチューニングしている。cf. 「三属性によるキャラクターデザイン」)。


  今年作った記事(ページ)はちょうど52になった。月別雑記などもあるとはいえ、ちょうど週一本ペースで何かしらの情報を出せている……と言えるだろうか。(ちょっと疑わしい)


  『GA 芸術科アートデザインクラス』を読み返して、大いに楽しんでいる。これについても、お手製の目次を作ってみようかという考えもあるが、基本的に一年間を春夏秋冬の時系列どおりに進んでいるから個別エピソードの目星を付けやすいし、比較的コンパクトな作品(全7巻、計840頁)だから探すのに苦労はしないだろう。


  アニメでいえば『ゼロの使い魔』や『ハルヒ』なども、もう一度きちんと取り組んで現代の目で消化し直しておくべきだろうか。なかなかそこまでの時間は取れないけれど。


  今年一年の趣味生活を顧みて、「新たに知った重要なクリエイター」、「ファンになった声優さん」、「(再)発見した素晴らしい作品」、「新たに体験した趣味分野」または「新たに習得した技術乃至知識」、「特に力を入れて取り組んだこと」、「自分にとってきわめて大きな出来事」、「特に面白かった作品」、「大きな買い物」、「自分が提示することのできた情報」、等々、いろいろあるけれど、やはり一年間を振り返って一番大きかったのは「プララジ」開始、なかでも羽賀氏のゲスト出演だったと思う。今年最大の事件と言って差し支えない、大きな出来事だった。ゲーマーとしては、そこそこの規模の記事を数本出したほか、『その大樹』についてひととおりの攻略情報を独力で出すことができた。プレイ本数も、去年を大きく上回った。
  模型関連では新分野の経験を積んで大きな収穫があった(※制作数は去年並だが、全塗装比率が大きく上昇した)。漫画家や声優でも、素晴らしいクリエイターさんを何人も(再)発見することができた。アニメ分野では、例年並だが、まずまず良い作品に出会えた。LNも、昨年以上に読んだと思う。音楽は、室内楽を中心にいくらか開拓できた。映画や美術や舞台に関しては、残念ながら目立った進展は無かった。

  ねがちヴなほうは、かんがえないようにしよう。

  ここで「新たに知り合った友人」とか「初めて行って楽しかった場所」が出てこないあたりが、いかにもインドア派の私らしい。今後、趣味生活の知己が出来る(増える)ことは、はたしてあるのだろうか……。まあ、いまもつくえのうえには、たくさんのいまじなりーふれんずがいるから、だいじょーぶ、だいじょーぶだよね! ねっ、あかずきんちゃんとせりおさんとB1 bisちゃん!

  あ、そういえば、「好きなキャラ(好きになったキャラ)」というのもあったか。えーと、あー、今年は、えー、あの、その……どうやら私にはそういう発想が無かった。完成品フィギュアだと上記「赤ずきん」、制作したプラモキャラだとグライフェンガール(の武装)が一番のお気に入り。

  今年はまだ14日も残っているので、まだいろいろなことが起きる可能性はあるけど(※さらに、年度末まで見据えると、まだ104日もある)。


  [tw: 1072787177791094785 ]
  くまの氏の単行本(※18禁コミック)が年末に刊行されるとのこと。『ばけもの町のヒトビト』が結構好きだったので、アダルトコミックも買って応援している。ショートカットの女性キャラクターたちも可愛いし、ベッドシーンもしっとりした感じで読みやすく、表紙カバーの優しいピンクの色使いも私の好みに合っていた。
  [tw: 1073457434558001152 ]:こういう感性もりわりと好き。
  そういえば、ここ数ヶ月、それらの単行本を見かけていない。自宅の書籍層の奥深くへと埋もれてしまったか……。再読しようと思ったけど、見つけられるだろうか。
  追記:見つからない……。せっかくだから、もう一冊買い直してもいいかもしれない。



  12/10(Mon)

  [ www.amgakuin.co.jp/contents/blog/?p=3423 ]
  「胃~之煮」誤輪#33の中國氏のお話を聴きながらweb検索してみたら、明珍氏の記事が。なるほど、そういうキャリアを経て、現在はそういう立場にいらっしゃるようだ。


  00年代半ばから10年代に掛けては、享楽的でストレスのないコメディが終始優勢だったが、今年に入ってから、そろそろ悲劇のムーヴメントが来ているかもしれない。不幸な境遇、二律背反のジレンマ状況、負の感情を吐露するシーン、対立と別離、影の濃い物語、カタストロフ、苦みのある結末、等々。そうしたものを、劇的エンターテインメントの一種として楽しんだり、共感したり、カタルシスを得たり、サディスティックな視点で享受したりする。


  [ ci-en.jp/creator/1736/article/30039 ]
  年末に「プララジ」公録か……行ってみたくはあるが、この時期に関東へ行く予定は入っていないし、後でweb公開版を聴くだけになるか。


  キーボードの方向キー「←」が、押下に鈍い引っかかりが出るようになってきた。わりと酷使してきたので、やむを得ない。しかし、困ったことに、同じ型のキーボードはもう流通していない。現在使っているTK-FCM005(ELECOM)は、かなり安価な製品なのだが、
- キーは薄型(※押し込まなくてよいし、入力が楽)。
- メンブレン式(※音がうるさくないし、打鍵感覚がはっきりしている)。
- 位置が程々に低い(※高すぎもせず、低すぎもしない)。
- 四隅が丸い(※角張っていると、掌に当たった時に痛い)。
- テンキー無し(※まったく使わないので邪魔)。
- 有線(乾電池は極力控えたい)。
- 方向キーが大きい(=誤打鍵しにくい)。
- 多少は角度調整できる(※フラット状態と、足を出して持ち上げた状態の二つ)。

  要するに「机上を占有しすぎずコンパクトで」、それでいて「必要な時は基本の文字入力に集中しやすい」のが望ましい。キーボードを退けて別の仕事に使うことも多いので、大型のものでは取り回しが不便になる。また、文書作成が中心なので、高度な機能はそれほど必要としない。
  同社の現行モデルだと、TK-FCM077Pが近いだろうか。Enterキーの右にページUp/Dwnキーがあるのがちょっと邪魔かも。べつにメーカーにも価格にも拘らないし、定期的に電気店を覗いているのだが、条件に合うものがなかなか無い。

  満足できる機種が見つかったら、予備として2個目(あるいは3個目)も買っておこう。日常的に両手で扱う物理的インターフェイスの使用感の如何はきわめて重大な問題だし、PC機器はとにかく頻繁にモデルチェンジ&生産終了してしまうので、ストックを保持しておくくらいのコストを掛ける価値はある。



  12/07(Fri)

  今号の『ふしぎ研究部』のネタ。数人がかりで、人差指2本ずつで人一人を持ち上げるというのは、超常現象などではなく、実際に出来ることなのか。確かに、例えば50kgの学生一人を4人(指8本)で持ち上げるとしたら、一人あたり12.5kg、指一本あたり6.25kg(2リットルのペットボトル3本分)だから、十分可能だ。60kgを4人ならば指一本あたり7.5kg、60kgを5人ならば6kgずつ、45kgを4人ならば約5.6kgずつ、といった感じになる。5kgの米袋をビニール袋に入れても、指一本で持ち上げるのは容易だから、けっしておかしなことではない。
  ただし、持ち上げられる人間が動いてしまう可能性があるし、柔らかい肉体を持ち上げるのは力の入り方がズレる可能性があるので、指の向き次第ではちょっと危ない。だから、可能といえば可能だけど、あえてチャレンジするほどのことではないと思う。

  ちなみに、単行本第5巻も発売されていたので買っておいた。
  第80話で描かれている人形に見覚えが……『イカ娘』の呪いの人形コンビだったかな。
  第94話には、能面ライダー(のフィギュア)が登場している。


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  えっ……この萌花ちょこさんのキャラ、眼鏡を掛けるのか!
  [ tortesoft.nexton-net.jp/abunoma/concept.html ](※アダルトゲームサイト注意
  サブウィンドウ(多重メッセージウィンドウ)システムもあるとのこと。
  くっ、買っておけばよかった……。
  EGScapeを見たら、脚本陣がものすごい顔触れだし、キャストには白井氏(!)や七ヶ瀬氏も出演されている。迂闊にも見過ごしていたけど、相当なタイトルだったのでは……。

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  さらに敬意と好意が増したし、親近感も湧いた。一つ一つの言葉をいいかげんにせず、ご自身の美意識やモラルに即して真面目に判断し、そしてそれを正直に表明しつつ、なおかつ他人を傷つけないようにという配慮もされている、そういう姿勢に敬服する。
  また、その言葉はまさに私も苦手で、けっして好きな言葉ではないので、極力使わないようにしている。さすがに「桃色なシーン」というのは趣がありすぎるけれど、「アダルトシーン」「ベッドシーン」「濡れ場」のような言い回しを使っている。


  美月氏が、今年の春頃から出演作が途切れているのが惜しまれる。他の分野で元気に活動されているならばよいけど……。それでも、ゲームの中でこそ聴きたいという願望もある。


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  ずいぶん男の子寄りの二次創作に偏っている。しかも、漫画家というよりはイラストレーターとして知られている方のほうが多いようだ。おそらく企画の発起人はリスト右上の4人と思われるので、その人脈等から考えるとそんなものかと思うが。また、「コミック」マーケットのみに囚われる必要など無く、イラストや小説や評論も含んだ幅広い活動が「同人」なのだから、イラストレーターが多いこともなんら問題ではない。

  安部真弘氏っぽいシンプルな絵柄の『ハルヒ』同人がある……と思ったら、どうやら本当に安部氏のようだ。
  綾野なおと氏って、どんな方だっけ……と検索してみたら、サークル「怪奇日蝕」の方なのか。最近の活動はまるで存じ上げなかった。

  [ www.melonbooks.co.jp/special/b/0/special/20181231_hdm/ ]
  作品紹介を見るに、「平成時代を彩った数多のアニメ・漫画・ゲームなどから思い出の作品、好きな作品、好きなキャラクターを自由に楽しく描こう!という合同誌企画です」とあるから、明示的にファンアート集(二次創作)を志向しているのか。場合によっては、自作(自分自身が関わった作品)の絵を描く――つまり一次創作――ものも含まれているようだが。サンプル画像を見ると、格ゲーキャラ、セーラームーン、エヴァあたりはさすがに目立つ。
  全年齢カテゴリーなのは、おそらく枠組として最初に決められていたのだろうし、参加人数からしてページ数にも制約が大きい。さらに、上記のようにファンアートの性格を前面に押し出している。また、女性向けジャンルを入れるとなると、ページ数が2倍どころか3倍にしても足りなくなる。そういった前提があると、アダルト要素がきつめのクリエイターや漫画家や女性向けメインのクリエイターが入りにくいのはやむを得ないだろう。そう考えると、男性向けの同人作家の人選としてはわりと妥当なのかも。

  参加者一覧をざっと見た感想では、CARNELIAN氏と駒都えーじ氏の名前が無いのはもったいない。まあ、べつに、しかるべき方々を全員集めなければいけないというわけではないけど。


  今月中から冬休みにかけては、何をしていったらいいだろうか。仕事(本業)をするとか、ゲームにうち興じるとか、することはいくらでもあるのだけど。趣味生活については、毎月何かはっきりした方針や目標を立てていきたい。今のうちに消化しておきたいアニメがいくつもあるので、そちらに時間を投じておこうか。模型に関しては、さすがに塗装作業はしていられないし、パチ組みで作れるキットも無いので、当分は休眠。


  なんちゃらの法則:「密事のイベントCGにドアが映り込んでいたら、そこは差分で開く」。
  まあ、いろいろとバレます。



  12/04(Tue)

  先月頃に、MelonBooksで成人向け漫画の単行本を数冊買ってみた時の話。レジの店員さんが、何故か満面の笑みで愛想良く応対して下さったのが不思議だった。「著者本人だとしてもこんなに嬉しそうにはしないだろう」というくらい。あれは何だったんだろう。まさか私に一目惚れしたというわけでもあるまいし、教えている学生がバイトしていて「あらあら先生、このご本は何の研究の資料なんですか(ニヤリ)」という笑いでもなかった筈だし、本の表紙を見て吹き出しそうになったという様子でもなかったし、接客の訓練という感じでもなかったし、明らかにビジネススマイルの域を超えた雰囲気だった。普段からそういう性格の人だったのだろうか……。私としては、アダルトコミックを買うのは非常に珍しいことなので、にこやかに笑いかけてこられて、ずいぶん気恥ずかしい思いだった。ちなみに、20代くらいの女性。MelonBooksにはめったに行かないので、今後の人生でもう二度と遇わないかもしれないくらいの相手だが。……まあ、今後もにこやかに楽しく人生を過ごしておられたら、とは思う。


  [ softhousechara.wikia.com/wiki/Oonami_Konami ]:海外版(英語版)のソフトハウスキャラファンwikiでは、1975年となっている。どこの情報に依拠しているのかは不明。
  [ softhousechara.wikia.com/wiki/Bunny_Black ]:『門』のメインBGMは『BB』のリミックスだと書かれている……えっ、そうだっけ。気づかなかった。いずれ聴き返して確認しよう。
  英語化パッチへのリンクが貼ってあったりしてグレーな気配もするが……。


  「プララジ」第10回。作品内容に対する羽賀氏の理解がおそろしく深い。言葉少なな発言の中にも、キャラクターの位置づけやゲームシステムに対する的確なコメントがばんばん出てくる。しかも14年前のタイトルなのに、こんなに正確に憶えておられるのか。もちろん収録前の準備や打ち合わせもあったと思われるが、この当意即妙のリアクションは明らかにそれを超えている。ゲーム系の声優webラジオとしては、なかなか類を見ないクオリティのトークだ。
  よくある新作紹介ラジオとは異なって、旧作を扱っているから自由に語れるという側面もあっただろう。しかし、今回のトークの充実ぶりは、それだけでは説明できない。羽賀氏の明晰な理解と、JORI氏のよくまとまった説明、風花氏のゲーム理解、そして綾音氏は素人的立場を代表することで、トーク全体がバランスの良いものになっている。

  ところで、「タワーディフェンス」の説明は違っている、というか、意味の外延が広がってきているようだ。『巣作り』は狭義(原義)のタワーディフェンスではないが、現在では「侵入者から拠点を防衛する多人数オート戦闘のゲーム」くらいの捉え方をするならば当てはまる。『門』『勇者砲』『大樹』も同様。ただし、『BB3』のダンジョン防衛パートまで行くと、TDと呼ぶには簡素すぎる。

  第8~10回は『アルフレッド学園』から『巣作り』のあたりが紹介された。ということは、『悪魔聖女』の八尋氏ゲストの次は(第14回~)、『南国』『王賊』『グリンスヴァール』『Wizard's Climber』あたりをフィーチャーする番組になりそうだ。とすると、ゲストを呼ばれるとしたら、
- 春日氏:『南国』主演ほかで連続出演、
- 羽高氏:『王賊』主演、『Wizard's』イエル、『DAISOUNAN』美冬ほか、
- 大波氏:『南国』から『DAISOUNAN』まで、名有りキャラで連続出演(※うち2本は主演)、
- 神崎氏:『南国』の姫、『グリンスヴァール』ニキ、『王賊』ルティモネ、
- 一条氏:『南国』メガネ、『王賊』キューベル、『Wizard's』ジャッジマンほか、
- 原田氏:『南国』ブック、『王賊』ロンゼン、『Wizard's』イングウェイ、
あたりが有力だろうか。松永氏も、『グリンスヴァール』のメルエと『王賊』のリディア、そして『DAISOUNAN』の主演があるのだが……。
  あるいは、ラジオが慣れてきたところで、最初期の作品に光を当てるという可能性もある。ちょうど支援プランで配布していることだし。この場合は、ヴォイス無しタイトルだったので、ゲストは無いだろう。

  実のところ、出演情報を虚心に見れば、青山氏が来る可能性がきわめて高いと考えられる。『グリンスヴァール』(主演)、『王賊』(ムスト)、『DAISOUNAN』(頼子)、『忍流』(主演)と、非常に重要な役どころにキャスティングされている。しかし、まあ、その、えーと、なんだ、羽賀さんが来られた直後では、さすがにね……。


  『研修日誌』のOVA版が発売とのこと。主演のお名前はゲーム版(五行氏)とは違っていたが、公式サイトのサインを見てみたら安心した。アダルトアニメはまるで分からないし、30分で7000円は高いなと思うけど、店頭で見かけたら買ってしまうかも。
  ちなみに、家庭用全年齢版もあるようだが、PC18禁版はアダルトシーンがかなり多かったから、内容はかなり変わっているだろう(※つまり、別個独自にプレイする価値がある)。


  大人の言う「一年が早い」は、まだ実感が無い。いろいろやっても全然時間が進まない。とはいえ、振り返って「ああ、あの頃からもう十年経っているのか」と感じることはあるので、短期的な時間経過を実感できていないだけかもしれない。


  くっ……眼鏡が足りない、むきー!
  (いや、頭がおかしくなったのではなくて、「フィギュア用のエッチング眼鏡のストックが無くなっている」という話なのだが。せっかくの可愛いフィギュアが、眼鏡を掛けていない素顔のままだなんて、まるで裸を見ているみたいで恥ずかしいじゃないか。なんとかしなければ。[やはりおかしい])


  深く長き自己研鑽と精細明晰な観照の果てに、「ぐらいふぇんがーるはかどわきさんヴォイスで、びゃっこがーるはかねもとさんヴォイスにちがいない!」という自己満足的妄想悟達の境地に至った……のだが、えっ、今度の劇場版にはどちらも登場しないのか?(※現時点で公開されている、全員集合らしきカットには、既存キャラしか出ていない) なんともったいない。劇場版企画が固まる頃には、白虎ガールもグライフェンガールもキット化の見通しくらいは出来ていた筈だし、プラモ販促の趣旨を考えればこのタイミングで映像に出さない手は無いのに……(※サプライズ登場でもないだろう。現代的なPR手法としては、本編でのサプライズ登場にするのはほぼ無意味で、あらかじめ登場キャラクターを入念に宣伝して集客の助けにする方が良い筈だ)。



  12/01(Sat)

  『しおさいの悲鳴』……どんな作品なのか、全然知らなかった。


  [tw: suzuki_o/status/1068792997074980864 ]
  なんと、大槻氏の新作(小説)なのか!


  新記事:「『悪魔聖女』雑感」。

  新記事:「『キルミーベイベー』各巻の概要」。
  再読したり情報収集したりする際に、「あの話は何巻だったかな」とか「あのキャラクターが登場する回はどの巻だったかな」といったことをすぐに参照できるようにするための資料。


  『農家』はweb版最新投稿まで読み終えた。
  実のところ内藤氏は、出店編のように、巧みな経営――つまり『巣作り』の連隊長のような才覚に富んだ商売人――を描きたいのだろうと思う。
  しかし人間関係(社会的関係)の描写には、いささか眉を顰めざるを得ない。新キャラが登場する毎に、「とんでもない能力を持っているが、村長の戦闘力に屈し、餌付けされて馴染む」パターンか、「凡人が村の強大な勢力に圧倒され、畏怖恐懼して平伏する」パターンばかりだ。結局のところ、暴力的なまでの戦力を背景に従わせているにすぎない。配下たちも、主人公の前ではフレンドリーだが、第三者からは「町を破壊する」「出会ったら死を覚悟」のように認識されている(そういう事実もあったのだろう)存在なわけで、読者たちはいわば「ハロウィン当日のヤクザの笑顔」を見せられているにすぎない。村長を祭り上げる春のパレードを長々と書くあたりも、なにやら独裁国家めいていて薄気味悪い。作中では主人公のナイーヴな善良さによって救われているとはいえ、抵抗も無視もできない一方的な権力がここまで臆面もなく描かれているのは、かなり怖い。
  これがSLG作品であれば、主人公が周囲からリーダーとして認められるのは、ゲーム進行上の所与でもあり、また、敵対者に対して優位に立つことも、主人公(≒プレイヤー)の努力の成果として受け入れられる。しかし、モノローグ的な小説だと、そうした相対化のヴェールが掛けられず、剥き出しのパワーの誇示になってしまう。


  『悪魔聖女』の余勢を駆って別のゲームをプレイ。私にとってはやはりゲームこそが、最も満足感が大きい。アニメのように、一瞬も気を抜けない視聴覚的集中の疲労感に襲われたり、そのわりにきわめて高額なディスクを繰り返し買ったりする必要も無いし。漫画のように、描線一本一本に至るまでの圧倒的な技巧に振り回されつつ、続刊をもどかしく待ち続ける必要も無い。LNのように、薄味で物足りないわりに新刊ごとに新キャラを押し込んでくることも無いし、常に視聴覚的充実の中に安らぎつつゲーム進行を楽しんでいられる。
  スタンドアロンプレイのゲームは基本的に一本買いきりで、続刊を待ったり打ち切りを心配したりする必要が無いというのも、怠惰な私には気楽で良い。最初から最後まで、一貫したコンセプトでストーリーがきちんとまとまっているのも良い。連載もののコンテンツやオンラインゲームは、どうしてもwork in progressに付き合わざるを得ないから。


  [ ci-en.net/creator/1396 ]
  Project L.AもCi-enに出ている(今年8月に開始している)が、PCゲーム系ユーザーにもあまり知られていないようだ。無料フォローも可能なのに、もったいないなあ。
  SHCの方は、フォロー800人を超えている。続けていけば1000人支援に達するかも。


  (→2019年1月2018年11月