2016/08/31

2016年8月の雑記

  2016年8月の雑記。(→9月7月


  08/31(Wed)
  『マジカライド』は、パターンはたぶんこれでいいと思うので、あとはもう「雑魚のランダム性」と「ダメージダッシュ」の二つの僥倖に頼むしかなくなっている。ダメージ(ノックバック)ダッシュ一回につき、おそらく1秒は短縮できるので、一つ成功させるだけでもタイムは劇的に変化する。また、雑魚出現タイミングと回遊移動はそれなりに制御できるけれど、出現位置はコントロールできないので、最速ルートを進みつつ、ジャンプ軌道に割り込まれないように祈るしかない。後者は試行回数増加によってある程度乗り越えられるとしても、前者はどうしようもない。
  現在のレコード(1:24.27)は、中途半端ながらダメージダッシュを2回成功させていて、しかしそれでも自機の行動は理想的操作から程遠いのがもどかしい。2位以下の、ダメージダッシュを含まないがほぼ理想的な行動をとれたリプレイは、1分25秒台どまりだし……。仮にTASでやれば#974ベストタイムは1分20秒を切れそうな感じなので、マニュアルプレイでもなんとか1分23秒台に届かせたいところだが。
  #612/920は、パターン改良を試みていたらかえってクリアタイムが低めに固定されてしまったので、頭を抱えている。ベストタイムは1分12秒なのに、最近は1分40秒台ばかり連発するという有様。プレイイングスキルの低さとパターン構築の未熟さを痛感させられる。


  容貌や表情の雰囲気はかなりコントロールすることができるし、実際大なり小なりコントロールしているものだ。そして自身の外見上の理想は、当人が描くイラストキャラクターの理想と、まったく同一ではないにせよ、ある程度共通のものになることも多いだろう。架空生物の好みやファンタジー世界のファッションならいざ知らず、現代世界風の美少女キャラクターに関して言えば、何を「美しい」と思うかの基準や価値観は、現実の人間に関するそれと、しばしば大きく重なり合うだろう。イラストキャラクターに着せる衣服の趣味の良さ/悪さも、イラストレーター自身の現実のファッションセンスの高さ/低さと強く相関するだろう。
  だから、イラストやゲームCGを見て、「きっとこの原画家さん自身も、こんなに上品なファッションで、こんなに楽しげな表情をしていて、こんな感じのお化粧をするような方なんだろうなあ」と想像するのは、まったく無根拠な投影とは限らない。実際に合っているかどうかはともかく、そのような連想は完全に馬鹿げたものというわけではない。実際、私も、イラストを見て「ご自身もネイルアートがお好きなんだろうなあ」とか「お化粧が上手そうだなあ」とか「ご本人も、明るい雰囲気のお方なんだろうなあ」といったことを思う時がある。
  そしてまた、気に入ったイラストを見てその制作者に対する個人的な好意を心の中に育んでしまう人がいても、私は驚かない。妄想だけなら、無料だし、無害だし。

  もちろん、その一方で、「現実の自分とは無関係な」あるいは「あえて現実の自分とは違った方向性の」架空キャラクターに憧れるというメンタリティを持つのも、自然なことだ。それはそれで、想像の世界だからこそ自由にやれることだ。私は耳や尻尾を生やしたり年齢や身長を大きく上下させたりすることはできないのだ。

  しかし、眼鏡をかけることは、誰にでも簡単に出来る。眼鏡好きは、現実にアクセス容易であり、しかも非常にリーズナブルであり、さらにヴァリエーションも豊富な、非常にお得な嗜好なのだ。(「眼鏡好き」と「眼鏡キャラ好き」を混同してないか、とか言わない。)


  書き出したら長くなったので新記事:「キャラクターの国籍
  適宜加筆していくための土台として置いておこう。


  「キャストカルテット」は、可動の仕方を確かめて、「たぶん『チェーン』の応用みたいな仕組みだろう」と見当を付けていろいろ動かしてみたら、奇怪な形にすさまじくメタモルフォーゼして、そのままあっという間にポロポロと解けてしまった。しかし、これ……戻すのが大変じゃないか? 理屈で解けるタイプなので、組み直す方も理屈通りにやればいいのだが、パーツが形の異なる二種類の平行四辺形で出来ているので、組み合わせの仕方を間違えるとどうにもならない。


  00年代初頭のあの珍妙な巨大パフスリーブがほぼ絶滅してくれて、ほっとしている。ファンタジー系にはパフスリーブキャラもわりと残っているし、一部の重々しいクラシック志向の制服デザインにも使われている(例:『PRIMAL×HEARTS』)が、まあそのくらいなら構わない。
  あの人工的なデザインは、15年前の記号的な塗り(特にねこねこソフト)だからこそぎりぎり許容できたのであって、現代のCG彩色クオリティには到底堪え得ないものなので、衰退していったのは至極当然の成り行きだが。現在だと、もっと現実的に見られるファッションを基礎にしつつ、素肌露出のノースリーブにするか、ボレロっぽい肩掛けにするか、あるいはそうでなくとも、素材感のある着彩でほっそりした両肩のきれいな曲線をアピールしたりするのが10年代の正統派だろう。裾の菱形とんがりとか謎リボンとか過剰フリルとかは、いまだに残っているが。


  Clochetteの美的感覚は、not for meにも程がある……新作も、真っ黒制服に黄色の縁取りと、白いフリルに白ベルト、さらに濃いめの赤色チェックの胸リボン(スカーフ)という取り合わせは、目に痛すぎる……。このブランドは、デビュー作『かみぱに!』の頃から一貫して、制服デザインは黒!赤!白!黄!なドギツい原色志向ばかりで、繊細さのかけらも感じられないのが本当にひどい(――ただし、『あまつみそらに!』は白基調制服で比較的ましだったし、『イノセンス』もこのブランドとして例外的に柔らかな色を使っている)。原画家が違ってもすべて同じ路線なので、ディレクターかグラフィックチーフのセンスが原因なのかもしれない。アダルトゲーム分野の中でも、このブランドだけがあまりに特異で、同じ時代の同じジャンルの作品と認識することすら難しい。もちろん他のオタク系分野でも、ここまで下品な色彩センスのデザインはめったに表に出てこないレベルだ。このブランドのファンはどう受け止めているのだろうか。「こんなものだろう(ニュートラル)」という感想なのか、「制服デザインは好みではないが、作品全体は好き(ネガティヴ)」なのか、「これが良いんだ(ポジティヴ)」なのか、「気にしていない」なのか……。
  ただし、しんたろー氏の原画は昔からわりと好み。特にアダルトシーンの全裸CGになると、ファッションセンスの問題が消えるので迫力ある構図が活きてくるし、Clochetteのくどい塗りも気にならなくなってくる。


  オタク分野のCG制作では「着彩」という言葉はめったに使われないようだ。私は自分の語彙の一部として使っているが、オタク分野ではあまり一般的ではないのかもしれない。よく使われるのは「塗り」「彩色」だろうか。そういえば、先日の機械翻訳でも「着彩」は訳されていなかった。



  08/30(Tue)

  【 ヘアスタイル雑感 】
  もじゃもじゃなショート癖毛キャラって良いよね……『PARA-SOL』『Summer Days』『ひとりのクオリア』『英雄*戦姫』『真剣恋』など。全年齢の新作『ISLAND』も。しばしば無口だったり眼鏡だったり知性派だったり天然だったり黒髪だったりシャイだったりダウナーだったり小柄だったりスレンダーだったりもする。目隠れキャラまで行くとやり過ぎ、というか別ジャンルになりそうだけど。『忘レナ草』『ナツウソ』『るい智』『恋チョコ』『しこたま』『MeltyMoment』『ここから夏の』『真剣恋S』も、ぎりぎり含めてもいいと思う。『南十字星』『ウィズアニ』『らぶKISS』『桜吹雪』『夏めろ』『カタハネ』『霞外籠』は、ちょっと違うが近いところもある。とにかく供給が少ないが、一人でもいてくれればその作品世界で幸せになれる。配役が良かったりするともう堪らない。

  他分野だと棚町さん(ゲーム)のほか、学生探偵やバイク乗り(漫画)、戦車乗りズやコントラバス担当(アニメ)などが有名だろうか。航空母艦は……三つ編みなのか。明らかにばらばらな撥ね毛ならともかく、ファッショナブルなウェーブとして成立していると、本人の意図的なものなのかナチュラルにそうなっているのかが分かりにくい場合もあるけど。

  基本的には、視覚的な楽しさが第一だが、二次元表現では外見の設定は性格設定とも連動しており、ここではたとえば、物事に頓着しない性格の表現だったり、ナチュラルな純朴さの表現だったり、馴致されない癖の強さだったり、天性の才能を示唆していたり、思考の密度と複雑さを暗示していたり、周囲に対する分厚い壁であったり、逆に周囲を巻き込もうとする勢いの現れであったりと、さまざまな要素と結びつきながら、様々な形で描かれている。

  そういう観点でみると、木々津作品の主人公のヘアスタイルも、それぞれに挑戦と含意が窺われて面白い。ヘレンはきれいに分け目を作って上品に整えており、周囲から大事にされていることがはっきり分かるが、それだけではなく、毛先の柔らかな広がりには気持ちの良い自由さが息づいている。ふらんが額を広く開いているのは、妥協なく明晰な判断を下していくこのキャラクターにいかにも相応しい。前髪に隠されない大きな両目は、何ものも見逃さず、対峙する者に逃げ場を無くさせる。腰まで届きそうなスーパーロングは、彼女の落ち着いた性格と、先端医学(?)の粋を投入された身体の高級さ、そして人造人間(?)たる彼女の存在そのものの異常さを反映しているかのようだ。そしてマーニー。可愛い。もじゃもじゃの黒髪は、彼女の頭の中にどれほど大量の思考が渦巻いているのかという印象に読者を導く。また、作中でもしばしば強調されている癖毛の強さは、彼女が周囲のさまざまなもの――厄介事と、厄介事を引き起こす人々と、そうした人々とのしがらみ――にまとわりつかれていることをも、ユーモラスに示唆しているかのようだ。そうした中で、赤木蛍は、髑髏型の髪留めというアイキャッチはあるものの、意外なほど普通だ(――その代わり、というわけでもないが、周囲には帽子少女やバンダナ少女、ざんばら髪少女などがいるが)。バランスの取れた(というか、バランスを取ろうとする)理知的な思考の持ち主としては、エキセントリックな髪型よりも、無難なストレートボブが似合っているのかもしれない。さらに、先頃の読み切り短編では、ロアはスポーツ刈りだった。ヘッドフォンが着けやすいように……という実際的な考慮だけではないだろう。真っ黒な上衣と併せて、彼女の意志的な性格、そして彼女自身のアイデンティティの機微に触れる何かしらが反映されているのだろうということを、読者はなんとなく窺い知る。キャラデザというのは、ただ単に魅力的な姿形にするだけではなく、性格設定や作中演出なども考慮したトータルなデザイン(設計)の問題なのだろう。


  新記事:「芝居の『型』


  あのブランドのテキストは私の趣味に合わないのだけど、車の人も卯衣氏も、テキストの限界を超える芝居ができる方だから、貴重な出演作として購入しておこうかな。すぐにはプレイしないと思うけど、このキャスティングならばプレイ優先順位を上げてもいいだろうし、プレイしたくなった時に手が出せなかったら悲しいし。


  杏花氏のラジオトーク、これはこれでなかなか……という気分になってきた。
  残念ながら、ゲームの出演作には、まだほとんど遭遇していないのだけど。


  えっ……柚原みう氏が……あんなに素晴らしい芝居をされている方なのに……。理多氏に匹敵するショタキャラ、金松氏に匹敵するしたたかキャラ、陽月氏並の切れ味のある芝居、金田氏並のダイナミズム、みる氏並の可愛らしさを、それら全てを正面から演じきれる声優なんて、そうそういないというのに……。あれだけの方が休業されて出てこられなくなるというのは、なんというか、もったいない! これまでの卓越したお芝居に感謝しつつ、今後のお幸せを祈りつつ、そしていつか声優業に復帰されることも期待していたい。



  08/29(Mon)
  気温が下がってきた。夏の終わりを感じる。夏休みの終わりも近づいている。


  【 ggl translateのクオリティ 】
  このブログのページをggl translateに掛けてみた。単語単語はだいたい合っているので、案外読める。しかし、関係詞や挿入句が入ったり、同種の要素を連続(列挙)させていたりすると、前後のつながりを盛大に間違って、何の話か分からなくなる度合いが高まる。例えば、「~は、…の場合には、xxxである」、「~と、…と、xxxは」といったような文を避けて、「○○は××だ」といった言い切りの単文を連ねるように書くと、機械翻訳でも比較的精度の高い外国語訳になる(=非日本語話者にも理解できる可能性が高まる)と思われる。ともあれ、私の文章はしばしば構文が複雑で、翻訳しづらいだろうと思っていたので、意外なほどまともな訳になっているという感想だ。

  一例として、昨日書いた一段落を取り上げてみよう。
  元の文:「たまに良いブログ記事を見つけても、記事一覧機能が無いと、そこから他の良さそうな記事を探すことができなくて、がっかりしながらそのままタブを閉じることになる。そういうブログは、書き手自身も過去の記事にアクセスするのが困難だと思うのだけど、利用者(書き手)はどうやっているんだろうか」。
  これをggl translateに掛けると、"Even if occasionally find a good blog post, if there is no article list function, if you can not look for other of looks good article from there, will be closed as it is tab while disappointed. Such blog, but the writer himself I think difficult to access in the past of the article, the user (writer) How I wonder if you're doing. "となった。
  これをさらに日本語訳すると、以下のようになる:「たまに良いブログ投稿を見つけたとしても、記事リスト機能が無ければ、そこから他の良さそうな記事を探せないならば、がっかりしつつそのままにしてタブが閉じられる。しかしそのようなブログは、書き手自身が過去の記事にアクセスするのが難しいと思う。ユーザー(書き手)。どうやってあなたがそうしているのか不思議だ」(下線部は文意が違っているところ)。まあ、だいたい合っていると言っていいだろう。ちょっとおかしいところもあるが、これなら英語ネイティヴが読んでも文意の95%は理解できるだろう。
  「探せないならば」と、妙なところに"if"が入ってきた理由は不明。「できなくて、…」という曖昧なつなげ方が適切に把握できなかったようだ。次の「そのまま」は、「すぐに(directly)」の趣旨なのだが、機械翻訳では「そのままの状態で(as it is)」の意味に取られている。これは仕方ないところだろう。また、「~だけど、…」という箇所で、"but"を入れる位置を頻繁に間違うのは、この機械翻訳の悪癖のようだ。最後の一文が不必要に分断されている理由も不明。そんなに分かりづらい文でもない筈だが。

  もう少し固めの文章でやってみよう。先日の「CGワーク」記事から、最初の一段落。
  原文:「日本の商業アダルトPCゲーム分野には、さまざまな点で、比較的強い均質性が見出される。それは、アドヴェンチャーゲームとしての基本仕様(画面下部テキストボックスや、選択肢によるフラグ操作と進行管理)、性表現上の様々な嗜好乃至趣向の分類および配置、キャラクター設定(ツンデレや無口キャラなどのいわゆる「属性」)などにも見出されるが、グラフィックワークの次元でもはっきりした共通性が見て取れる。それらは、何故このような形になり、何故これほど似通ったスタイルが普及したのか。そして、そうした支配的流儀以外のスタイルを持つ作品には、どのようなものがあるか。本稿では、アダルトゲームにおけるCGワークの一般的特徴と、その共通性の基礎を概観したうえで、さらにそこから逸れるさまざまな表現を紹介していく」。
  ggl translate:「Commercial adult PC game field of Japan, at various points, found a relatively strong homogeneity. It is, basic specifications of as an add Eindhoven char game (or the bottom of the screen text box, flag operation by the choices and progress management), a variety of taste or classification and placement of the extra touches that make on sexual expression, the so-called "attributes such as character set (Tsundere and taciturn characters ") it is also found in such, but the commonality that was clearly in the dimension of the graphic work can be seen. They are, why look like this form, why this much similar style was popular. And, whether the work with a style other than such a dominant fashion, there looks like. In this paper, and general characteristics of the CG work in adult games, in addition to an overview of the foundation of the common property, continue to introduce a variety of expressions to further deviate from there. 」
  私自身による再翻訳:「日本の商業アダルトPCゲーム分野は、さまざまな点で、比較的強い均質性を見出した。それは、add Eindhoven char[アドヴェンチャー]ゲームとしての基本仕様(あるいは画面下部テキストボックス、選択肢によるフラグ操作、進行管理)、性表現で行われているさまざまな嗜好乃至分類または追加的趣向の配列、いわゆる『キャラクター設定』のような属性(ツンデレや無口キャラクター)、それはそうした場合にも見出されるが、しかし、グラフィックワークの次元にはっきりと見出される共通性である。それらは、何故このような形になっているのか、何故これほど似通ったスタイルが普及しているのか。そして、そうした支配的流儀とは異なるスタイルを持つ作品が、どのような姿であるか。本稿では、そして、アダルトゲームにおけるCGワークの一般的特徴が、その共通の性質の基礎を概観しつつ、そこからさらに逸れる多様な表現を紹介し続けていく」(下線は英訳が誤訳になっている箇所)。機械翻訳を通して読む英語ネイティヴは、私の文章をだいたいこのようなものとして読むことができる。全体として何を述べているかはほぼ理解できるだろう。良かった良かった。
  ただし、「アドヴェンチャー」が"adventure"に訳されていないのはわりとショッキングだったけど。add Eindhoven charって何だよ……ベートーヴェンだかバーホーヴェンだかの親戚か? オランダ人なのか? 機械翻訳向けには、「アドンチャー」と書いた方が良さそうだ。

  あと、固有名詞の識別が出来ないので、しばしば妙なことになる。「ま~まれぇど」が"or ~ rare Edo"になったり、「蔓木鋼音」が"vine wood steel sound"になったり――ビッグブリッジサンセットウォーカーさんかよ!――、「萌木原ふみたけ」が"Man Mo Kihara Moe"になったり(中国語!?)、「みさくらなんこつ」が"look at Sakura cartilage"(見よ桜軟骨)になったりするのは仕方ないだろう。その一方で、「ばんろっほ(→Banrohho)」や、「鈴平ひろ(→Hiro Suzuhira)」、「みぶなつき(→Natsuki Mibu)」はきれいに訳せている。なかでも、人名として認識するどころか名詞として切り出すことすら難しい筈の「みぶなつき」を、"Natsuki Mibu"と正確に姓名を区切っているのは凄い。おそらくgglのデータベースに「みぶなつき=Natsuki Mibu(人名)」という情報があるのだろう。

  以前から、ブログテキストの英文ヴァージョン制作の腹案を持っていたけど、どうしたものかなあ。「機械翻訳でも最低限意味が分かりそうだから、わざわざ時間を掛けて英訳する必要は無いだろう」とも言えるし、逆に、「現状でもこの程度にしかならないのなら、自分で簡単に訳してしまった方が(当然ながら)はるかにましな英文になるだろう」とも言える。むしろ問題なのは、訳すために自分の文章を読み返していく最中に、きっと原文自体にいろいろ加筆したくなってしまうだろう(そしてかなりの時間を掛けてしまうだろう)という点だ。



  08/26(Fri)
  50分の間に30回以上、「ゴミ野郎」を連呼するラジオ……。
  普通なら、当人の精神状態をいささか心配してしまうところだけど……。


  エリソデ#19、本物のオカルトトークじゃないか……。
  映像が黒変しているのも気が利いている、というか怖い。


  ケモ耳+八重歯+ツリ目+黒髪癖毛+チョーカー+褐色肌+スレンダー小柄+僕キャラ。


  [ game.watch.impress.co.jp/docs/news/1016943.html ]
  複数人が踊っているシーンは、2Dアニメーションだと全員の振り付けのタイミングが完璧に合ってしまって、むしろ不自然に見えることがあるが、3Dだと「全員同じデータが走っているが、時間軸をズラすことで生身のアイドルが踊っているようなリアルなダンスが表現されている」ようにすることが出来る。差分制作が効率的に出来たり、ごく微妙な時間的/空間的コントロールが容易になったりするという3Dのアドヴァンテージをうまく活かしている良い例だろう。


  【 ブログと目次(記事一覧)機能 】
  たまに良いブログ記事を見つけても、記事一覧機能が無いと、そこから他の良さそうな記事を探すことができなくて、がっかりしながらそのままタブを閉じることになる。そういうブログは、書き手自身も過去の記事にアクセスするのが困難だと思うのだけど、利用者(書き手)はどうやっているんだろうか。
  1)記事一覧(目次)。日付順でよいので、記事タイトルだけをざっと並べてくれるだけでも、そのブログのおおまかな方向性やクオリティは見当が付くし、大量の記事群から目当てのカテゴリーの記事を探すのも比較的容易。しかし、ただ単に月別カテゴリーがあるだけ(:開くと当該月の記事全文がベタに並ぶだけ)のものは、役に立たない。時期があらかじめ判っているもの(例えば特定のイベントとか)を探すには、多少は使えるが、無いよりはましという程度でしかない。当ブログは、手製の目次(記事一覧)ページで、記事群を体系的に整理しているので、それなりに見やすい筈。また、月別に記事タイトルを見られる「ブログアーカイブ」(下端)も設けている。
  2)タグ。個別記事にタグが付けられていると、関連記事をピックアップして並べることはできる。しかし、ブログ毎に分類基準がばらばらだし、手動タグ付けは信頼性が低いし、そもそも分類が大雑把すぎたりするし、一覧性が低かったりするので、有用性は非常に低い。さらに、記事数が多くなるにつれてどんどん利便性が低下する。あったらあったで良いが、あくまで補充的な手段にすぎない。私は、前のブログでは使っていたが、このブログでは一切使っていない。
  3)ブログ内検索。目当ての記事が存在することが分かっている場合や、あるいは特定の話題への言及が存在するかどうかをチェックする場合、特定のカテゴリーを確実に抽出できるキーワードが存在する場合には、それなりに使える。手間もあまり掛からない。しかし、どのようなキーワードならば目当ての記事を取り出せるかがはっきりしない場合も多いし、検索結果表示が記事のベタ並べで見づらかったりするので、それほど便利ではない。うちのブログでは、下部にブログ内検索パーツを表示しており、検索すると記事タイトル(と画像サムネイル)が表示されるが、動作が重いし見づらい。
  4)関連記事表示。とりあえず関連のありそうな記事群が表示されるので、おおまかな目安にはなる。しかし、信頼性が測りづらいし、網羅性にも欠ける。カジュアルな閲覧には便利だが、基本的には、おまけ機能にすぎないと思う。blggrには「注目の投稿」「人気の投稿」ガジェットがあるが、当ブログでは設置していない。
  実際には、関連記事まで探して読むようなブログ訪問者はおそらくほとんどいないようだし、上記のような機能が無くてもべつに不便とは感じられていないのかもしれない。

  ……ということを考えたついでに、せっかくだからヘッダーの「記事一覧」リンクの文字サイズを大きくしておこうと思い立って編集してみたけど、残念ながらヘッダー部分のテキストにはfontタグを使えないようだ。かといって、ブログ全体の文字サイズを変更すると、いろいろとレイアウトが崩れる(特にキャプションが溢れ出て見苦しくなる危険がある)ので、それも出来ない。bold処理だけ追加してお茶を濁しておくことに。


  [ www.youtube.com/watch?v=fLMKkww_6XA ]
  おー、面白い! カノンの構造が視覚的に見て分かるのが素晴らしい。

  [ www.youtube.com/watch?v=1atQFLYbzuk ]
  オルガン曲の「パッサカリア」だとこんな感じだし、
  [ www.youtube.com/watch?v=2OQgFr5m8e8 ]
  こちらの弦楽四重奏も各声部の動きが目で追いやすい。
  [ www.youtube.com/watch?v=6s0Mp7LFI-k ]
  しかし、「大フーガ」だと複雑すぎるし、
  [ www.youtube.com/watch?v=02tkp6eeh40 ]
  時代を下ってストラヴィンスキーまで行くと何が何だか分からなくなってくる。

  やはりフーガ特有の動きが視覚化されるのが、このアプローチの最大の見どころだろう。声部の識別だけなら、楽譜そのものを見る方が、分かりやすいし信頼性が高いし情報量も多い。あるいは、リゲティあたりでやってみると面白い映像になりそうだ。


  ラスダン忌避のメンタリティは、分からなくもない。1)長大でハードなダンジョンであることが予想される。つまり、ひたすらきつくてたるい。2)物語上の位置づけや方向性が決まりきっている。つまり、ラスボスを倒して終わるのだということがあらかじめ分かっている。ただし、道中に面白いイベントが入ってくるタイトルだと、ずいぶん印象も変わる。3)終息/収束への道である。RPGは蓄積と強化を楽しむゲームであり、新たな土地や未知のダンジョンに立ち入ることは新たな世界を獲得する喜びがあるが、ラスダンに限っては、それをクリアすることは、これまでの蓄積すべてをご破算にすることになる。クリア後もゲーム継続できるというタイトルも増えているが、満足のいく解決法にはなっていない。……一部は以前書いたことの再叙だが、だいたいこんなところだろうか。


  書籍にせよゲームにせよ模型にせよ、他の何にせよ、買って「積む」ことはべつに悪いことではない。1)買うだけの価値があると思った商品を、実際に(中古ではなく新品で)購入したことによって、良い製品を作った会社にお金を落としていることになる。絶大な貢献だ。2)買うか買わないかの検討を経て購入を決断した、それだけでも自分の見識眼力は鍛えられている。3)読みたくなった時にいつでも読める、という可能性の保障を買っているという側面もある。書籍でもゲームでも、時期を逃すと二度と入手できない(後から入手できるとしても非常に高額になる)ということは頻繁に生じるので、新刊時点でさっさと買っておくというのも理に適っている。ただしPCゲームの場合は、OS更新によってプレイ不可能になるリスクもあるが。4)すぐにすべてを読むのでなくても、そのような作品があること、そのような分野の知識が存在すること、そのような問題が存在すること、そういうことを意識し続けていられる。「書棚の肥やしになる」と言うが、わずかながら所有者の精神の肥やしにもなっている。なので、生計が破綻しないかぎり、買いたいものは躊躇せずに、できるだけ買っておくのが良いと思う。



  08/25(Thu)

  【 『マジカライド』とプレイングスキル 】
  『マジカライド』はちょくちょく再プレイしていて、#811/974は1分25秒台に到達した。タイムアタックは混沌の雑記帳があるが、見比べてみるとだいたい4:6くらいで私の方が後れを取っている。緑茶のACT系前作『涼子ちゃん』には、超絶テクニックのタイムアタックプレイヤーが複数人いて、特に『巫女さんファイター涼子ちゃん』を勝手に応援するページは凄かった。

  #974のパターンをメモしておく。たぶんこれが最短ルートだと思う。
- 右に向かって道なりに進み、角度変更して一つ目のポイントを通過。
- 上る(できれば左の階段状ブロックではなく中央を上る)。花魔法石を取って道なりに右へ。
- 角度変更しつつ進み、二つ目のポイントを踏む。状況次第で、途中の花魔法使用もやむなし。
- 中央に戻り、花魔法で雑魚たちを眠らせ、一体の上に乗ってもう一体で左へ二段ジャンプ。
  ※難所。ちまちまやっていると、眠らせた雑魚をビームで薙ぎ払われてしまうので大変。
  ※位置を選んで花魔法を先に発動させておくと、効果範囲の端に雑魚が積み重なってくれる。
  ※土魔法石を運んできて台を作る方が成功確率は高い。タイムロスと道中の危険はあるが。
- 虹魔法石の扉を開いておいて左上へ進み、その左手の三つ目のポイントをチェック。
- 左へ進んで四つ目のポイントを踏む。途中で雑魚を確保しつつ、虹魔法石のところに戻る。
- 虹魔法に持ち替えて発動させ、雑魚を使って右へ二段ジャンプ。リンゴで左へ二段ジャンプ。
   ※第二の難所。雑魚確保と持ち替えに手間取るとタイムロスしてしまう。
   ※堅実に行くなら、扉からもう一つ虹魔法石を取って二段ジャンプに使えばよい。
- 虹魔法石の扉を開き、出てきた虹魔法を取って左へ上る(一段ジャンプ)。雷雲に注意。
- 角度変更して左へ進み、虹魔法石で二段ジャンプして角度変更、五つ目をチェックして撃破。
   ※遅滞せず順調に行けば、虹魔法の効果は最後まで十分続く(10秒以上余裕がある)。

  ベストタイムは1:24:27(#974)。この順路では、あと1秒短縮するのがせいぜいだろう。雑魚ガーゴイルの出現位置は、自機が完全に同一の行動をすれば同一の位置に出てくるのかもしれないが、ツールアシストでもしないかぎり事実上ランダムなので、どうしても運任せの要素が出てくる。完全にコントロールできるなら、ノックバックブーストで大幅なタイム短縮も出来るはずだが、マニュアルプレイなのでそれには期待できない。

  昔のスコアデータ(リプレイデータ)も残っていたので見てみたら、2008年当時の自分はずいぶんユルいプレイをしていた。他の作品(ACTのリプレイやSLGのデータ)でも、昔のプレイデータを見返してみるとその拙さにびっくりすることがある。当時は当時でいろいろ考えて最善を尽くしてプレイしていた筈なのだが……。これは、1)私のスキルや知識が成長しているのだと考えてよいのか。それとも、2)自分自身の具体的知識の問題よりも、情報を適切に収集&整理できるようになったということなのか。あるいは、3)ただ単に岡目八目で、他人の状況(現在の自分ではないもの)は粗がよく見えるということなのか。4)スキルの問題や知識の整理ではなく、過去のタイトルだから知識の「蓄積」が順調に為されているということなのか。どういうことなのかなあ。
  例えば五年前、十年前と比べても、STGやACTの反射速度やSLGプレイの持久力は衰えている可能性がある(※未確認)が、それ以外では「自分のゲーマーとしての腕が落ちた」と感じたことは無い。本当に知力や判断力が成長しているのか、それともただ単に違いを実感できる機会が無いのか、あるいはそもそも自分の力量の変化は把握しにくいものなのか。うーん。


  緑茶のキャスティング傾向だと、波奈束氏や陽月氏や卯衣氏が起用されていないのが不思議なくらいなので、新作では是非起用していただきたい。まあ、もしそうなっても、購入意欲100%が180%に上がる程度なんだけど。


  仙台市での異常集団感染とは、『姦染』をマイルドにした感じかな?と読んでみたら、『インフェクション』はむしろアダルトゲームよりもぐろくてえろい作品だったので満足した。紙面の構成は相変わらずごみごみしていて見づらいけど。
  ボトムスをはいてない姿も、21世紀のオタクには、もはや「普通の姿」にしか見えないのだった。


  【 めいぎのはなし(再説) 】
  以前(今年4月)にも触れた話だが、自分なりの考えとスタンスを(再)整理するつもりで。
  せいゆうさんのじゅうはちきんめいぎのはなしは、個別的な問題としては、「すでに分かっているひとは意味が通じるが、知らないひとには何が何だか分からないような書き方」であれば、そのくらいであれば、書き手の責任で言及してよいと思っている。すでに分かっている者同士であればそれで構わないし、知らない人に対してはそれなりの覆いが掛けられていれば一応配慮していると言えるだろうから。
  しかし、一般的な問題のレベルでは、そういう話題を公然化してしまうのが妥当かどうか(あるいは、TPOによってどこまでが許容され、どこからは容認しがたいか)という問題はある。私自身の原則的立場としては、「非18禁カテゴリーのアニメや映画でもセクシャルなシーンやグロテスクなシーンや暴力シーンはあったりするわけだし、18禁メディアでも(とりわけPCゲーム、とりわけ女性向けには)わりとマイルドなものもあったりするので、双方の間に本質的な違いなど無い」と考えているが、「18禁」の看板を掲げているものはどうしても偏見の目を向けられてしまいやすい(≒出演者が不当に傷つけられてしまう危険性が高いし、それを怖れて出演忌避されると結果的にゲームメーカーやユーザーの側としても損になる)ので、現実的対処として一定程度の抑制(自制)は仕方ないと考えている。
  だから、私個人は、1)アダルト名義同士では、ある程度ははっきり言及してしまってもよい、2)アダルト名義とそうではないムニャムニャとの関係は、原則として明言はしない(具体的には言わない)」という立場を採っている。また、名義区別の事情はおそらく様々であり、それはユーザー個人(というか第三者全般)には窺い知れないものだから、いずれにしても、3)不必要には言及しない、という配慮もすべきだろう。

  アダルト名義を複数持つことは、「事務所との関係(役者本人の報酬や地位の問題に直結しかねない)」、「相手方との契約内容(契約上の問題を引き起こす可能性がある)」、「役者個人の様々な考慮(とりわけ白箱系/黒箱系での使い分けや、いわゆる卑語の有無による使い分けなど、当人の価値観に深く関わるものである可能性がある)」など、様々なフェイズが関わっているし、それによってどの当事者のどのような利益に触れてしまうかが外部からはほとんど分からない。だから、言及する際には、そうしたことに留意して、極力控えめにすべきだろう。私自身、不必要には言及しないようにしているし、またそれなりに検索避けをした表記をすることが多い。
  さらに、アダルト名義以外のムニャムニャなあれこれは、尚更大きな問題に触れる危険があるので、私自身、言及するとしても基本的に非常に迂遠な書き方に留めており、片方または双方の名前を明示しないとか、同一パラグラフには書かないといった操作もしている。

  とはいえ、一般論としてアダルト用名義の慣行があるということそれ自体は、すでに各所で、しかも当事者(つまり声優を初めとした業界人)の側からも度々明言されてしまっているので、今更私たちが上辺だけ取り繕って、まるでそうした慣行が存在しない(あるいはそれを知らない)かのように語るのはさすがに不誠実だし、実践上も無意味だろう。

  『アイズワイドシャット』のヴィクターの台詞を思い出した。「君は、あそこにいたのが何者だったと思うんだ? そこらの一般人なんかじゃなかったんだぞ? 彼等の名前を聞いたら――いや、言うつもりなど無いが――もしも聞いたら、君は夜も寝られなくなるところだぞ」(2:16:45-)。分かるような分からないような何者かではあるが、何者であるかはけっして口にはしないという姿勢。


  キャスト「ラディックス」はわりと好みのタイプだった。「エニグマ」や「ヴォルテックス」に近いアプローチで、理屈と試行錯誤でどんどん位置関係を組み替えて解いていけるのが楽しい。ブラックボックス要素も無いし、間違い探しのようなみみっちい形状の差異に付き合わされることも無いし、過度にデリケートな位置合わせを要求されることも無いし。このタイプの常で、バラバラの状態から戻す方がむしろはるかに難しいというのはご愛嬌。
  個人的な好みは「ホース」「マーブル」「チェーン」がトップ3。どれも、仕掛け/仕組みが分かってしまえば再現が非常に簡単になるという特徴がある。それに次いで、「エニグマ」「デビル」と、この「ラディックス」が来るかな。「ヴォルテックス」も良いが、パーツの合いがちょっときつすぎるのが残念。「ハーモニー」も、パーツのぐらつきが惜しいが、仕掛けは気が利いているし見た目も良い。逆に、ワースト3は、「ケージ」(扱いづらいし縁が鋭いのが嫌)、「U&U」(ちまちましたクリアランス勝負)、「スクエア」(最悪のブラックボックスもの)。「ドーナツ」もブラックボックスもの。


  エリソデ#18、「女の子と学園で遊ぶゲーム」って、どうしてそんな持って回った言い方に……。



  08/24(Wed)
  「RADIO*MAIDEN」#18を聴いてみる。な、なるほど……音声として耳にすると、これはなかなか衝撃的だった(22:08-)。波奈束氏のお名前がフォーマルな場面で音声として読み上げられた歴史上初めての出来事かもしれない。
  私もやってみようと思い立って、どんな声色とどんな声量でどうやって発声すればいいかを悩みながら、躊躇しつつ自分の口で「はなたば・ぶーけ」と……うわ無理! 私には無理だった! こうして打鍵表示するだけなら出来るのに……。この感情は……えーと、畏れ多いというのもあるかねしれないが、まあ、他人の名前を勝手に口にするのは失礼だというのもある。

  というわけで、今日は暇さえあれば、声優さんの名前を口に出してみることをひたすら妄想していた。声の仕事をなさっているだけあって、名前の発音にもきれいなリズムがある方が多い。「おおなみ・こなみ」氏はまさにその典型で、「なみ」が脚韻を踏んでいるし、最初の「おお」は文字通りおおらかな音で、次の「こ」は明るいカ行で短く引き締まっている。全体としてもひっかかりが無くて非常に発音しやすいだろう。「きむら・あやか」氏も、頭の「き」が同じく明るく風通しのよい音で、それに続く「むら」のM音とR音がちょっとミステリアスな感じになりつつ、「あや」の柔らかい音がそれを引き継いで、最後はふたたびカ行の「か」で明るく締め括っている。ちょっと不思議な聞こえ方をする名前でありながら、全体としては柔らかく親しみのある印象でまとまっている。
  先に述べた波奈束氏も、もちろん「花束ブーケ」から来ているネーミングではあるが、音の響きも面白い。「はなたば」は全てア行で開放的な印象でつながっていて、最初の三音のHNTはどれも尖っていないウェットな音で――ただし波奈束氏ご自身のメカニカルで機敏な芝居ぶりとの間にギャップもあるのがまた面白い――、濁音の「ば」も四音の最後に来るので実際の発音ではほとんど濁らないだろう。「ぶーけ」も、「ば」から続くちょっとしたアクセントになりつつ最後にカ行で締め括っている。ルネ山氏になるとかなり複雑だが、「ルネッサンス」はラ行ナ行に促音が連なって非常にテクニカルな派手さがあり、中間の「さんす」はきれいな清音が揃い、最後の「やまだ」はア行三連続で堂々とした響きになる。

  「あきの・はな」と「あおい・はる」が、どちらもイニシャルAHなのに気付いた。大雑把に計算して(1/10)^2=1%だから(というか、実際にはムニャムニャあって0.01%の合致なので)、おそらく偶然ではないだろう。「秋の花」だったり「青い春(=せいしゅん)」するので、第三、第四のシリーズ名前が来るとしたら「あした・はれる」とか「あかい・はね」みたいな感じになるのかもしれない。

  五行氏は、五行-六花-奈々と来ているので、次があれば8、9と続く植物系な名前になるかも。

  「ささるみこ」は、うちのATOKでは相変わらず「刺さる巫女」のままだった(「ぐれらじ」参照)。


  続胃#13に居合わせているのは飯島氏だろうか。1)労働力を提供したり専門的知識を提供したり特殊な技能を披露したりするのとは違って、人前で声を出して聞かせることすべてが「役者(声優)としての仕事」に該当してしまうというのが前提にあって、2)契約形態によっては事務所を通さずに「仕事」をしてはいけないし、3)そもそも無料で「仕事」をしてしまうとダンピングになってしまう(と考えられる余地がある)。こういった事情から、当人や所属事務所のポリシーによっては、知人の無料(非営利)webラジオにすら、気軽に顔を出すことが出来ない。プロは難しいものだね……。

  続胃#19。フランス料理を修めている板前さんとは凄い。
  笹島パパのお寿司屋に行ってみたいなあ。どちらのお店なんだろう。

  予期せぬハモりは、聴いていて楽しい。胃#47とか、「狩(仮)3」とか、御中#16とか。

  笹「[胃~之煮に続いてSTP]本家を聴くの、また同じくらい[時間が]かかるんだよね……」
  笹/中「「もっとかかるよね!?」」

  中「メイドが執事を爆破しましたー!」
  西「なんだぁ恨みかーそれはー」
  ゆ「日頃の恨みですー」
  浅/西「「そうか、じゃあしょうがない」」

  ゆ「笑ってるのが楽しい」
  中/西「「楽しいから笑うんだよ!!」」

  笹「いくら可愛がっていてもそうなる[マリモが乾燥する]んだから」
  中/西「「可愛がってねえよ!」」



  【 一枚絵に対する制約 】
  残念ながら、一枚の「絵」として見たときに本当に退屈な出来の一枚絵も、一定割合で存在する。どうでもいい余白的空間が出来てしまっていたり、キャラクター配置が作為的だったり、カメラ位置が近すぎて見苦しかったり……。
  それは、1)端的に原画家の技量不足による場合もあるが、それだけではなく様々な要因によってそうなっ(てしまっ)ている。
  2)PCゲーム特有の横長構図の難しさ。横長人物画無理のある傾斜レイアウトもこれのせいで、アダルトゲームの不幸な因習となっている。
  3)絵単体として鑑賞されるためではなく、あくまでゲーム中の描写のための素材であること。そのため、過度に説明的だったり、過度に通俗的(既存イメージに依存しすぎ)だったりする。
  4)立ち絵+背景シーンとのバランスを意識すると、いきなりロングショットの一枚絵を見せたりすることは躊躇われるだろう。
  5)キャラクター要素を最大限強調すべしとの要請が強いため、どうしてもクローズアップ構図になってしまいがち。これも分野文化的にやむを得ない。
  6)とりわけヒロイン間で、平等性が要求されることもあるだろう。それは、複数のキャラクターを配置する際の制約として働く。
  すぐに思いつくかぎりでも、ざっとこのくらい不利がある。実際、2)横長の人物画(一人を描いたもの)なんていうものは美術でも非常に稀だし、3)ゲーム中のシーンであることを逸脱してしまうのは表現効果としてマイナスになり得るし、4)ロングショット一枚絵は見ていてかなりもどかしく感じるし、5)ヒロインに極力接近した一枚絵はそれだけヒロインを魅力的に親しみ深く感じさせるだろうし、6)キャラクター集合一枚絵で特定のキャラクターだけを強調しすぎたりあるいはフレームアウトさせてしまったりすると、テキスト進行との間で不整合を感じさせる可能性がある。そういう難しい条件の下で原画家たちは日々試行錯誤しているのだろう。

  画像引用による事例説明を加えたら単独記事に出来るだろうか。そこまでのものでもないか。


  【 同人小説のなんちゃら 】
  品の無い攻撃的発言が多かったので途中でタブを閉じたけど、ジレーギョ氏はいったい何がしたかったのかねえ。畑違いの同人小説に対していきなりお説教めいたアドバイスを吹かして、反発されたらああいう態度というのは、言動がいかにも幼い。それでは当初の発言も結局効果を挙げられないわけだし、実際、あの意見に首肯しているのはすでにプロになっているライター(や、それに匹敵するくらい十分に問題を理解している人たち)ばかりのようだし。
  テキストの無駄を刈り込むというのは、わざわざ言うまでもない初歩中の初歩、というか推敲それ自体はきわめて重要なので、まともな現場ならしっかり教え込まれる筈の問題だ。だから、1)プロのライターが今更大袈裟に言うような話ではないし、2)当然すべきことなのでべつにたいした指摘でもないし、3)テキストのクオリティ確保のためにはその点だけをポンと指摘しても仕方ない(テキストの刈り込みだけではなく推敲全体の問題として捉えるべきであって、その論点だけで突っ張っても意味が無い)し、4)その点を指摘するだけではどうしようもない複雑な問題だ(素人相手のアドバイスとしては不親切すぎてほとんど役に立たない)し、5)推敲ではなくテキストの切り詰めの問題として語るのは紙面の制約のある商業ライターに特有の捉え方(つまり分野特化した狭い見方)なので同人小説に対するコメントとしてはズレているし、6)ついでにいうと「売れるため」の実際的次元と文章自体のクオリティ向上の次元がごっちゃになっているし(「売れるための工夫として→テキストを削って安くしろ」というロジック自体、わりと意味不明な繋げ方になっているので、「言っていることが正しい」と言えるかどうかも相当怪しい)。
  そもそも、テキストを読む読まないで言ったら、記憶のかぎり、私はこの人物の作品を読んだことも無い(そして、たぶん今後とも読まないし買わないだろう)。それは、1)これまでこの人物に対してべつにポジにもネガにも予断を持っていなかったし利害関係も持っていなかったという意味で、そして、2)この人物の作品をこれまで読むに値すると判断したことが無いという意味で、さらに、3)この人物のプロのライターとしての能力に関して別段信用を置いていないことの表明という意味で。人気商売のライター業でありながらこんなどうでもいいところで高飛車に振舞っている点でも、また、実際にこの人物の不快な投稿を読み進めたくないなと思わされたという点でも、この人物自身、ライターとしての資質(つまり自分の文章を人に読ませるという意識とそのためのスキルおよび姿勢)に欠けるところがあると判断できる証拠を、みずから提供しているに等しい。ライターとしての能力とともに、この人物よりもまともな社会性と言論マナーと公平さと善意を持ち合わせている人物であれば、同じようなアドバイスを、もっと幅広い適切な視点から、もっと角の立たない紳士的な言い方で、もっと説得力のある巧みな言葉で述べることができただろう。

  ついでに私自身についていうと、1)言われるまでもなくそうした訓練は受けている(まっとうな学術論文は、たぶんこの人物が想像できないほどの密度と精度で書かれている)し、2)このブログでも可読性にはそれなりに気を遣っている(全体構成やレイアウト設計など)し、3)このブログは文字数や〆切の制約が無いメディアなのでかなり自由に書いているし、4)小説と論述とではアプローチが全然違うし、5)べつに人気商売はしていない(他人に読ませるための文章ではない)ので、あそこで主張されていることそれ自体はわりとどーでもいいことでしかない。

  最低限誠実を尽くすために読み返…そうと思ったけど、最初の「買える金額内にページ収める努力」云々というフレーズからして、そのズレっぷりに目が滑ってどうようもなかった。うーん、どうしても、「トロいことを不必要にトゲのある仕方で説教しようとした残念な人」としか……。

  べつに中味の話に乗る必要も無いのだけど、特に女性向けだと100ページなり200ページなりの小説同人誌もごく普通に作られているし、それで1000円なり1500円なりの価格設定だし、それでわりと売れているようだし、読むに堪えるクオリティのものも結構あるので、あれは事実認識のレベルでも致命的にズレてると思う。20ページ500円って、むしろまだまだ高すぎるくらいだし、ほんの20ページでは短編一本しか書けないし、半年掛けてそれっぽっちでは読む側としても食い足りないし、500円というのは商業LNの価格帯とカブるので割高感が強まってむしろ不利になりそうだし。私が先日試算した「CGワーク」同人誌でも、120ページ1500円なのに……。あの人物はそもそも同人制作/印刷/販売の相場感覚をまるで理解していないんじゃないかという疑念がある。というか、当人がやっている(らしい)商業ライターの慣例を絶対視して、畑違いの同人分野に押しつけようとしているだけなのでは?



  08/22(Mon)
  番付やら打線やらは個人的にピンと来ないけれど、どういうことをしたいのであろうかはなんとなく分かる。私なりに意味の分かるようなことをするとしたら……えーと、将棋の駒?
- 桂馬:非常に癖の強い動きをするが、他の駒では代えの利かない仕事をする人/物
- 香車:使いどころは限定されるが、いると全体が引き締まるし、時々凄い活躍をする人/物
- 銀将:射程は長くないが、カバーしている範囲内では柔軟かつ的確な働きをする人/物
といった感じで。「あまり小細工を利かせるタイプではなくて堂々たる芝居をされる北見さんは飛車だな!」とか、「オーソドックスな主演キャラをやれる風格もあるしサブキャラ役でも存在感を発揮しつつ全体のクオリティを底上げする波奈束さんは金将だな!」とかいtt…ああっ、なんだかすごく恥ずかしい!


  HASEGAWAから隼にゃんがキット化、しかも1/350か……。買うだけ買っておこうかな。(実際には制作意欲は全然無いのだが、自分の中のモデラースピリットの焼け棒杭が再燃しちゃうかな、しないかなーという火遊び感覚が、これはこれで面白い。)


  M&M原画とかぐやCGは『虜ノ姫』の頃が一番好きかも。えーと、発売は2007年か。


  じゅるじゅる台詞で、性欲は喚起されないが食欲が刺激される……。


  【 鉄道 】
  現実の鉄道各社もわりと頻繁に萌えキャラマスコットやオタク系コラボを行っているし、「鉄道むすめ」のようなコンテンツも多方面展開しているし、個別作品でも『RAILWARS』(LN→アニメ)や『ゆりてつ』(漫画)、『まいてつ』(PCゲーム)、『カバネリ』(アニメ)なども出て来ているし、そろそろ二次元鉄道ブームが来てくれないものだろうか。鉄道は非常に奥深く幅広い趣味で、切り口も無数にあり、現代の日常生活も歴史的なロマンティシズムもカヴァーできるし、生活文化だけでなく地域社会、都市計画、観光/旅行、技術(史)、政治(社会政策)、経済活動、模型、シミュレータ、そしてそれらにまつわる無数の固有名詞に至るまで、様々な分野に関わるものなので、制作者の知識及び意図によってどのようなものでも作れるポテンシャルがある。
  ただし、オタク向けの美少女ものとして作るには、「戦いが無いこと」と「サークルが無いこと」は不利に働くかもしれない。前者は、鉄道運営はその性質上、長期的存続が前提であるため、分かりやすい短期的な目標設定がしづらいということ。後者は、特定のメンバーが集合する場がイメージしにくいということ。『まいてつ』は双方をきちんと解決しているが、それは詳細な下調べと入念な脚本作りという多大なコストを掛けることで初めて得られた成功だった。



  08/18(Thu)
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  あさみ氏の作品は、アイデアの斬新さ、工作技術のクオリティ、そして全体の完成度の高さもあって、見る度に感嘆の溜息が出る。キャラクター表情の描き込み、多彩な素材による質感表現、ディテールの細やかさと正確さ、色合いの美しさ、華やかさ、キットの仕様に縛られない発想の豊かさ、テクニカルな仕掛け、誇張的パースやブラックライトのような挑戦的な演出、想像力豊かなコンセプト構築と、たいへん見応えがある。


  【 webラジオ(の、ややネガティヴな)雑感 】
  あるラジオを初めて聴いてみたのだけど、他人をバカにして笑いをとるのが本当に苦手だというのをあらためて痛感した。ちょっときつめの冗談として、あるいはブラックジョークの一種として、あるいはきつい冗談も許容しあえている親しみの表現として、そういう言動をする気持ちは分からないではないけれど、聞き手としてはやっぱり嫌だなあ。

  残念なことに「爆発しろ」フレーズも普及してしまったけど、言っていることは妬み嫉みに他ならない。他人の幸福に対して「爆発しろ(≒死ね)」という言葉を公然と投げつけるのは、よほど親密な者同士で言うならともかく、日常のカジュアルな表現としては私には到底受け入れられない。

  別の某ラジオでも、パーソナリティの声優さんの芝居は好きだったのだが、来るゲスト来るゲストが軒並み、執拗に他人を貶めて笑いを取ろうとする人ばかりだったので、つらくなって聴くのをやめた。「だって○○さん、[ネガティヴな事実の指摘]でしょ、ひひっ」といった感じの……。それと同時に、ボカ○○全般に対する偏見も強まってしまったが。どれもこれも、他人をバカにしてからかうタイプの言動ばかりだったので、「ああ、これは個人個人の性格の問題ではなくて、そのコミュニティ全体がそういうコミュニケーションを基調にしているのだろうな」と考えざるを得なくなった。(その声優さん自身が、そういう種類の人たちを選んで交流している、あるいはそういう種類のコミュニケーションを好んでいる、という可能性はあまり考えたくない……。)

  あと、まあ、笑い声は大事だね……。聴いていて気持ちの良い笑い声が出せる人は得だと思う。逆に、ギャハハ笑いは男女問わず聴いていてつらい。笑い声は、ある程度の身体的な生得的限界はあるにせよ、発声のコントロールや、社会的マナーへの習熟、日常的な笑いの習慣などからもたらされるものなので、ひとに良い印象を与えられるような笑いが出来る人は、それだけ人間的にも信頼できる見込みが高い。海原氏は愛嬌のある楽しげな笑い声だし、夏野氏はどこか節制の利いた理知的な笑い声だし、大波氏は意外(?)に控えめな笑いだったりするし。沢村氏や西田氏の笑いは喉声気味でちょっと色っぽかった憶えがある。


  「ぐれらじ」は、パーソナリティお二人(宮沢氏/上田氏)もラジオトークに慣れている筈だし、ゲストも秋野氏から桃井(い)氏まで毎回豪華だし、かとその一方で佐々氏や白月氏のようにわりと珍しい方も登場していて貴重な……のだが、聴いていてどうにも落ち着かない。BGMが好みに合わないのか、フリートークのようなコーナーが少ないせいか、収録時間が(最終回以外は)40分に詰め詰めだったせいか、なんとなく進行に余裕が無い感じ。もったいない。


  昼間からラズベリーを貪り食らう。可愛いんだかワイルドなんだかいまいち位置付けの微妙な食材で、しかも、ケーキのデコレーション以外ではラズベリー賞を連想してしまいやすいという意味でもなんとなくびみょーな気分になってしまうのだが、味は甘すぎなくて程良く酸っぱくて、この時期にはとても美味しい。


  『レッスルエンジェルス』をプレイしたことは無い。あとは『美脚エージェント・麗華』(要は格ゲーパロディ)とか、『無法恥態』(パロスペシャルの一枚絵があったりする)とか、『絶倫アクロバットおやじ』(※スポーツものではない)とか……。あと、かぐやのしつこいアダルトシーンは体力勝負のスポーツセックスだと思う。


  【 ブランド公式サイト入り口の注意書き 】
  アダルトゲーム公式サイトのエントランスページの注意書きは、慣れていると見逃してしまいがちだけど、あらためて意識してみるとわりときつい文言を書いている。例えばsofthouse-sealだと、「18歳以上でも精神的に不安定な方、影響を受けやすい方、現実との区別が付かない方、自己責任能力の無い方の閲覧を禁止しております」(強調は引用者)とあるが、「営利企業サイトの」「入り口に大書された」「公式のメッセージ」としてはかなりエキセントリックなものだ。「精神的に不安定な方」というのは、個人の内面の状態を問うものだし、「影響を受けやすい方」というのはあまりに曖昧な要件だし、「現実との区別の付かない方」というのは言われた当人には判断できない事柄だし、「自己責任能力の無い方」というのも何とでも恣意的に読めてしまう表現だ。総じて、非常に排他的で、ものによっては差別的にすらなりそうな文言を、多くのメーカーが堂々と出している。もちろんこれらは、「このゲームの登場人物は18歳以上であり」云々の断り書きと同様の、実効性を期待しない予防線的エクスキューズにすぎないし、アダルトゲーム分野の社会的地位や歴史的経緯に由来する複雑な事情のせいでもあり、基本的には仕方ないことだと思うが、見ようによってはけっこうチャレンジングな言い回しが平然と使われていて面白い。

  エントランスの年齢確認の文面に、冗談で数学の問題みたいなのを入れていたブランドはどこだったっけ。たしか、「○○で△△の時、(…)××の速度を求めるのはそれはそれとして、あなたは18歳以上ですか?」みたいな感じの。


  新記事:「アダルトゲームの表現技法雑感」。なんとなく書き始めたら長くなっちゃったので、せっかくだからと単独記事化。画像引用した方が説明が分かりやすくなるのだけど、それを掲載するとこのブログ全体がアダルトコンテンツ扱いされてしまうので、涙を飲んで差し控えた。



  08/16(Tue)
  『百足』の概要整理、最低限のものならなんとか出来そう。……というわけで新記事「フクイタクミ『百足』の隊員100人」。読み返すきっかけにもなり、面白かった。
  似たようなアプローチとして、『マーニー』の各話登場人物リストを作るという腹案もあるのだけど、これはスパイキャラの洗い出しというネタに直結してしまうので、その露骨さに躊躇してずっと手を拱いている。実際、有益かもしれないので、気が向いたら読み返してリスト作成するかもしれないが、まあ、たぶん実行はしないだろう(着手する可能性は、おそらく20%以下)。


  原画も好みではないし、CGも余計なハレーションを入れすぎだし、ブランド旧作の評判も芳しくないので、作品全体としてはあまり期待していないのだけど、しかし波奈束氏と杏子氏の貴重な出演作を見逃してしまうのもつらい(ましてや、出来の良い作品だったら尚更悔しいだろう)ので、やっぱり買っておこうかなあ……。ちなみにお二人の共演は、『恋神』と『英雄*戦姫』(無印/GOLD)があるが、どちらも素晴らしい作品だった。



  08/15(Mon)
  フクイ氏の『百足』が完結したので、100人の設定と登場箇所(と死に方)をまとめようかと思い立って読み返してみたけど、これは難しい。誰かやってくれないかな。とりあえず、どういうフォーマットにしたらきれいに整理できるかを考えておこう。


  webラジオについて。私のようなスタイルの概要整理はなかなか見かけないが、各回の感想を書いているブログはそれなりにある。リスナーのリアクションは、そういう素直な感想コメントでいいんだよね。


  ☆☆☆#13の桜川さん、発言がなにかとギャルドすぎる。
  夏野氏も桐谷氏もわりとスパークしがちではあるが。


  【 ACTとキーボード 】
  『マジカライド』、今日はいくつかのステージでタイムレコード更新できた(嬉)。ただし、理想的な行動を取っても#612は1分40秒、#811は1分30秒を切るのがせいぜいと思われるので、そろそろ限界が近い。極限のタイムアタックになると、おそらくダメージダッシュ(ノックバック)やダメージハイジャンプを多用することになると思われるので、マニュアル操作では限界がある。エクストラステージの#974は、最短パターンはほぼ同一で行けるのだが、本編の#811と微妙に構成が違っており、敵出現タイミングも嫌らしい。
  個人的に、やり甲斐があったのは#930、#940、#951、#954などのパズル要素の強いもの。逆に、きつかったのは、誘導ミサイルに襲われるステージ(#809、#901)、バリア魔法使いへの対処に追われるステージ(#705、#971)、虹魔法大ジャンプを使うステージ(#960、#973)。
  後日追記:#612はミサイルを掲揚発射からできるだけ設置発射にしたり、カニ誘爆でダメージを与えたりして1:12:55を達成。#811/974は、1:25:78を出せたが、細かなタイムロスがあるので現在の攻略パターンでもまだ2秒程度は短縮できそう。

  ACTをプレイすると、興奮だか緊張だかで手汗をかいてしまう体質なので、特に夏場はこのジャンルがちょっとつらい。べつに深刻なものではない(大量に出るわけではない)し、プレイに支障を来すわけでもないし、まめに手洗いをする動機付けにもなるし、ウェットティッシュでキーボードを拭いたりもしているが、まあ、無くせるならば無くしたい体質ではある。
  ただしこれはもっぱら自宅でのキーボード/ゲームパッドでの話。SLG作品のマウスワークでは、どんな激しい動きをしても、またどんなに緊張するシチュエーションでも、全然汗はかかない。ゲームセンターでレバーを握っている時(主にSTGか格ゲー)も、クールでいられる。もちろん、キーボードで普通に文章を打鍵している時も、手先の発汗は生じない。何がどう違ってこうなるのか、よく分からない。

  上記『マジカライド』も、『BALDR』シリーズも、STGの『あおぞらマジカ!!』や『精霊天翔』も、すべてキーボードでプレイしている。理由は、1)キーボードが最も慣れたインターフェイスである、2)腕に余分な力がかかりにくい(特にボタン連打や押し続けがとても楽)、3)正面キーボードなので全身の姿勢がきちんと決まった形に維持できる、4)正確な入力が出来る(特に、ポンポンと回数押ししたりチョンと瞬間押ししたりする場合など、on/offの管理が正確に出来る)、5)「右手で方向キー」が普段からの感覚に合っている、6)多数のキー(特にABXY系ボタン)を正確に扱うのはキーボードの方が圧倒的に便利、といったあたりのアドヴァンテージ。逆にデメリットとしては、a)斜め入力が苦手、b)上下の素早い入力がやや苦手、c)複数キーの同時押しが反応しない場合がある、など。十字キーはさすがにパッドの方が柔軟に扱える。一番大きいのは、ゲームパッドを手に持つのが重いという問題だが。(腕力も握力も無さすぎる……。)
  上記のACT系ゲームのためにゲームパッドを導入してみたこともあるが、キーボードほど楽には扱えなかった。べつにパッドそのものが苦手というわけではなく、家庭用ゲームでは特に問題なくパッドプレイをしているのだが。

  慣れと機能性を考慮して、キーボードはテンキー無しの薄手のパンタグラフ型orメンブレン型を使っている。しかし、残念ながら、最近はこの仕様の製品が無くなってきている。特に、上下左右の方向キーは多用するので、大型でしっかり分離していると嬉しいのだが、これまた最近では、申し訳程度の細いカーソルキーが端っこに詰め込まれているものが多い。マウスと併用できるとはいえ、あんなので使いにくくないのだろうか? また、ストロークが深いものは苦手だし、打鍵音がカチャカチャするのもNG。一部のノートPCにあるように、ボタンがグラグラなのも嫌。……身近に多用するアイテムなので、とにかく注文が多い。
  現在使っているのはELECOMのTKFCM005で、100%満足というわけではないものの、まあまあ使い勝手は良い。しかし、これも残念ながら生産終了になっているようだ。予備用に買い足しておきたいので、家電店に行った時にはキーボードコーナーを(そして同様の理由からマウスコーナーも)見て回るのだが、なかなか気に入ったものが無い。多種多様な製品が発売されたりリニューアルされたりしているが、実際には選択肢は非常に限られており、希望する仕様の製品が無いということもしばしばある。



  08/14(Sun)
  壱「[アレルギーは]あると思うんだけど、何かは分かんない」。
  くれぐれもお気を付けて……。


  コミフェス最終日か。美柴さんが主人公の同人誌を買ったり、カントクが田中さんと喧嘩したり、双子姉妹がコスプレしたりしているのかな……。(『らくえん』ネタ)
  そういえば作中のブランド名「ムーナス」はmoonearth(月-地球)であり、まさにTerralunar(地球-月)のことだった。


  今月は、フルプライスで買うものが1本しか無かった……。まあ、こういう時もあるだろう。


  自宅でぐっすり昼寝できてしまうので、いろいろと捗らない……。


  たしかに、私が行っていた頃のコミケは、「これは同人のイベントなんだから、わざわざこんな時に企業ブースに行かなくても……」という気風はまだまだ強かったと思う。最近はもっと包括的なオタクイベントになっていて、企業ブースの混み具合も様変わりしているようだけど。00年代初頭からのアダルトゲームメーカーの積極的な企業出展が一因だったと思うけど、仮にそれが無くても遅かれ早かれ現在のような形になっていただろう。

  オカルト体験は、記憶のかぎり一度も無い。経験したくもないし、そういうのがありそうな場所は避けている(――そういう類のものが絶対に存在しないと信じられる根拠も持っていないので)。廃屋などの人気が無くて空気が死んでいる感じ(空気が動いていない感じ)には恐怖を感じたし、他人の気配に嫌なものを感じることはある。


  プログラミングに初めて触った(学習した)のは中学生の時だった。実用技術としては、結局何の役にも立たなかったけれど、「プログラミングとはだいたいこんなようなものだ」「コンピュータはこんなふうにして動いているものらしい」という最低限の理解は得られた。もしもそれが無かったら、現在の私のコンピュータ観やゲーム観はそれなりに違ったものになっていたかもしれない。


  エリソデの更新速度に置いて行かれそうになる。
  毎週更新のwebラジオってこんなハイペースだっけ……。



  08/13(Sat)
  話が長すぎたり、トップページに置いておくのにあまり相応しくなかったりしたら、とっとと日付変更してしまおう。できるだけシンプルに、できるだけ軽く。(中味は重たい、とか言わない。)


  そういえば、柚原(サ)氏も柚木(み)氏も好きだ。全年齢の柚原(有)氏も。ほかに「柚」なお名前の声優さんというと……柚木(か)氏や柚木(あ)氏は出演作をあまりプレイしていないせいもあり、いまだによく分かっていない。


  三大勢力は植物系(特に柑橘系)、鉱物系(宝石名など)、天文系(惑星名など)だろうか。植物系は人名/ブランド名/作品名/キャラ名のいずれにもたくさんある/いる。鉱物は、アンモライトとかムーンストーンとかトパーズとかラピスラズリとか、ブランド名に多い。アパタイトも鉱石名と捉えていいだろう。作品名は『モルダヴァイト』『ジュエルスオーシャン』『アンバークォーツ』、人名はカーネリアンと翡翠(桜庭翡翠氏)くらいしか思い浮かばなかった。オニキス=『お兄ちゃん、キッスの準備はまだですか?』はただの駄洒落だが。
  天文部ものが多いせいもあり、惑星名などのついたタイトルもそれなりにあるが、それ自体が別のものに因んで命名されている場合も多いので、天文固有なのか別のものなのかの識別が難しい。アステリズム、南十字星、ペルセウス、双子座、アストラエア……うーん。土天冥海氏、帚星氏、織音氏、満月○氏、星空めてお氏、ブランド名だとかぐや(月のかぐや姫)とastronautsも。『わくわく☆惑星プリンセス』……? 思い当たるものを挙げてみると、天文系はちょっと微妙かも。


  藤「うちに怖いビデオあるんだ、観に来ない?」


  ゲームの方は買うかどうかちょっと迷うけど、とりあえず杏子氏パーソナリティのラジオを聴きながら考えよう。波奈束氏がゲスト出演されることも期待しつつ。


  特定の商業的プロジェクトに紐付けされていない(≒きちんとした台本の無い)webラジオをいろいろ聴いてみると、本職声優さんたちでも、わりとつっかえつっかえな進行になっていたり、気負いすぎて騒々しくなっていたり、お互いが喋り出すタイミングが掴めずにカブりまくっていたり、アドリブ劇でも全員が同時に喋り出していたり半笑いのしっちゃかめっちゃかだったり、ラジオ全体も10分程度の半端な時間で終わってしまったり、10回も続かずに終わっていたりして、「……実は『胃』って出来が良い方なのか?」と考えを改めつつある。中國氏の下準備は、メール読みから話題振りまでちゃんと要点を押さえているし、息の合ったトリオなので発言のカブりもかなり少なくて聴きやすいし、気合いを入れすぎた大声トークではなく比較的落ち着いた雰囲気で進めているし、それでいて30分もの時間をちゃんと保たせているし。

  ついでに書いておくと、BGMが入っていないのも、私としては大変ありがたい。特徴の強いBGMが入っていると、それが耳に付いてしまってうんざりすることがあるし、ましてやBGMがチープだったりトークとの音量バランスが悪かったりすると非常につらい。
  この点、Iチョもとても良かった。各コーナーの導入部だけに入る固定BGMはそういうものとして受け止められるのでほとんど邪魔にならないし、トークコーナーなどでもBGMはごく薄く入っているだけだったので気にならないし、メロディのきついBGMも少なかったし、パーソナリティご本人(前田氏、小林氏)の歌がBGMとして入っているのはむしろ好ましい。



  08/12(Fri)

  【 創作信仰への異論 】
  小説であれ漫画であれゲームであれ、べつに完成させなくたっていいと思うし、完成させていない人をバカにするべきではないと思う。ちょっとした気まぐれで小説っぽいものを書き始めてみるとか、てすさびで適当な漫画のネームを落書きしてみるとか、あるいは妄想のままに数時間ほどツクールをいじり回して飽きたらそのまま放棄するとか、そういったカジュアルな活動であるという心積もりでいられるならば、べつに他人に見せられるレベルに「作品」を完成させる必要は無い。それどころか、きちんとした「創作」になっている必要も無く、既存の創作物の物真似めいた何かであっても構わない。
  もちろん、ちゃんとしたクオリティのものを完成させられるならばその方がいいけれど、当人にとっての楽しみは、「創作の充実と恍惚と満足」のような高度なところにあるわけではなく、思いつきで手を出してみた、ちょっとした物珍しい遊びであれば十分だろう。あるいは、そのくらいカジュアルなものであることが出来るのだ。もとより、常識的な判断力のある人物であれば、特別なスキルも入念な準備もなしにいきなり取り組んでみた作業が、素晴らしい出来に完成させられるなどとは思うまい。プロ野球選手になるつもりが無くても、人数足らずの適当なルールの草野球に興じたりバッティングセンターで気晴らしをしたりする楽しみは持てる。それと同じように、自分の作品を完成させて他人になんらかの芸術的感興を与えることを真剣に目指すことなしに、適当なキャラクターの落書きをしたり、原稿用紙にちょっと格好を付けた小説らしいものを書き付けてみたりするのは、それ自体が「目的」そのものであり得る。そういう過程の楽しさ、気軽な活動の楽しさは、批判する意味が無い。だから、「何か面白いものを作りたいなあ」と言いつつ、人に見せられる水準に達していない妄想的なキャラクター設定ノートを作っていたり、汎用エンジンを適当にいじってゲームっぽいものの断片をたまに作っているような人を、他人がバカにしてはいけない。それはべつに愚かな行為ではないし、挫折しているわけでもないし、ましてや、当人の創作的非生産性をもって人格全体を貶めてよいなどということは無い。「創作」は、人間の人生及び活動の中で、普遍的な価値目標などではないのだから。
  オタク関係のネットテキストで、大掛かりな章立ての一大論説の最初の数千字だけで記事が止まっていたり、キャラデザと世界設定を練り込んだ遠大な構想のゲームの、その第1章だけで途切れている同人ゲームとかは、見かけることがあって、先がどうなるのかやきもきすることはあるが、まあそれはそれで仕方ないことだし、気宇壮大なネット小説が中途断絶している風景も見慣れたものだが、それは作者当人が出来ることを、したいところまでやって十分満足したから、そこで終わったのだろう。それ以上続けることを、誰が強制できるわけでもないのだ。パズルゲームが途中で止まっていたり、RPGのラスボス前でモティベーションが切れてしまっていたとしても、当人がそこまでの過程を十分楽しんで満足しているならば、それでいいのだ。
  もちろん、〆切のあるプロであれば当然完成させなければいけないし、プロになりたくて応募作品を作っている志望者も、完成させなければ自分の希望や計画が実現されない。また、当人が当人なりに真剣にその道を目指して人生を賭けようとしているのに、それを形にするだけの知識や技術を持ち合わせていないため、ただ散漫に思いつきの実験と途中放棄を繰り返してばかりいる、といった状況であれば、それは客観的に不幸な状況だと言っていいだろうし、友人であれば助言してもよいだろう。しかし、職業としてその道を目指しているわけでもないのに、「完成させなければ当人の活動すべてが無駄に終わってしまう」とか「完成させられないあいつは無能だ」と思い込んでしまっているのだとしたら、べつにそんなものではないと言ってよいだろう。
  ネットのオタク界隈ではプロのクリエイターや同人作家やそうなりたい人たちがわりと多いうえ、そうした話題がストレートに出てきて、上記のような「結果を出す創作(完成させる創作)」が自明絶対の前提のように語られることがしばしばあるが、それは一定以上のスキルと十分な目的意識を持っている人たちの問題なので、普通の人はべつにそれに従う必要は無いし、また、普通の人のカジュアルなてすさびの営みに対してその基準をつきつけてバカにしたりしてはいけない。美大や専門学校の先生と学生のような関係ではないのだし。

  私自身は、このブログでいったん書き始めたものはいずれも一応完成させているし、こういうネタで書こうとメモしたものは一応すべてきちんとした記事にしている(――実は一件だけ、FAVORITEの背景美術に関するページが書きかけで残っているし、また、例えば先日メモした「ゲームと旅」の件はしばらく着手できそうにないが)。
  中学生の頃などは、ただ妄想のままに他人に見せる予定もなにも無いのにアレなものを書き綴ったりしていたが、あれはあれで楽しかったし、創作がどのようなものであるかの感触を得られた貴重な経験になった。美術的デザインへの意識や、工程管理の重要性を学べた機会でもあった。オタクになってからも、『巣作り』二次創作ゲームブックを途中(1400パラグラフくらい)まで作ったのを、途中で制御しきれなくなって放棄してしまったことがある。あれもゲームブックの構造をより深く知ることができたし、その経験のおかげで既成のゲームブック作品やAVG作品の構成上の妙味を楽しめるようになったし、とりわけフラグ管理のあり方について学ぶところは大きかった。もっとも、仮にテキストとフラグシステムを完成させたとしても、ゲームブックのUIを備えた完成状態にするのは大変だったろうし、発表する場も無かっただろう。


  記事一覧ページで、攻略関係の記事を最初に置いているのは、ゲーマーとしての私の根っこは、あるいはその中核部分は、あくまで攻略屋なのだという意識からそうしている。演出論も、ゲームのシステム(表現システム)に関する関心からの派生物というつもりでいる。とはいえ、まともな(それなりに立ち入った)攻略情報と呼べるコンテンツを出せたのは去年の『悪魔娘』が最後で、それ以降は、踏み込んだデータ攻略はしていなかったり、あるいは私がのんびりしている間に他のサイトなどで完成度の高いものが出来ていたりして、実のあるコンテンツは作れていない。Escu:deの本格派SLGについて詳細/正確/包括的なデータ攻略を構築できるほどのスキルは無いし、alicesoftファンたちに先駆けて独自性のある記事を出せるほどのスピードも無いので、SHC新作で総合wikiの落ち穂拾いをするのがせいぜいという有様。

  いっそ声優トーク方面へ全面的に舵を切ってしまうのも良いかもしれないが、しかし、演劇学をほんのちょっぴり囓った程度では、私が言葉に出来ることはほとんど無いし……。

  そんなこんなで、このブログが今後、何をどうやっていけばいいか、いろいろ考えているところ。

  攻略サイトで雑記を書いていた時は、一週間に一ネタも出てこず、何か書こうと思っても何も思いつかなくて呻吟していたものだが、最近はこんなにもたくさん書き散らすようになってしまった。あの当時(10年前~7年前)と比べて、私の中にいろいろネタが増えた(=持てる視点が増えた)のか、それとも文章を書き慣れてきたということなのか、あるいは何かを文章にして公開することのハードルが下がっただけなのか、もしくは執筆媒体(UI)との相性の問題なのか、何が原因なのか自分でも分からない。閲覧者に対して出来るだけ良いネタを提供しようという気負いを捨てた(そして、こんなふうに徹頭徹尾プライヴェートな自分一人の問題を書き綴るようになった)という違いは大きいかもしれないが、しかし要因はそれだけでもないだろう。


  とうかんもり町に赤い雪が降るのは、えーと、8月14日だっけ?(『腐り姫』ネタ)
  『うさみみデリバリーズ!!』の「運命の日」とやらも、たしか8月の中旬(15日頃?)だった筈。
  『終ノ空』の7月20日はもう過ぎてしまった。



  08/11(Thu)
  幸いにも食欲の衰えはほとんど無いので、たくさん食べて元気な趣味生活の夏休みを送りたい。オタク的には有明夏祭があるようだけど、私はもう何年も行っていない。この時期は暑気と日焼けがきついし……。


  あれらは非常に問題が大きいと思うけど、特にオタクの間では「個人の趣味には他人には分からない価値観があるものだから、傍目にどう見えても、原則として他人の趣味には容喙しない」というマナーがあるぶん、通常よりもさらに批判しにくいのだよな……。SNS等で「みんながやっている」「たくさんの人が楽しんでいる」という部分が可視化されているのも大きい。
  個人的にも、ゲーム内のことを金銭(リアルのお金)で改善するという発想は私には受け入れられないし、パチンコにも興味が無いのでなあ……。ゲーム内部の事象ではなく、あくまで「外部サービス」「追加的なサポート」と捉えられるようなものであれば、コストが発生することも受け入れられるかもしれない(というか、そういう場合であれば、ビジネスとして対価が発生するのは当然だ)。将棋で「待った」一回につき1000円みたいなルールがあったらちょっと面白いかもと思ったが、いや、それはゲーム内ルールというよりはただのペナルティとしか認識できないか。


  【 キャスティングの偏り 】
  最近のキャスティングでも、「ああ、このブランドもこの顔触れか」、「ああ、この方はまたこんなタイプのキャラか」といったことがあって、あまり立て続けに見る(聴く)と多少食傷してしまうことはあるのだけど、おそらく十年前にも似たようなことはあったのだろう。今となっては、当時がどんな様子だったのかはよく分からないが、「また○○氏がトップヒロインか」「またこのキャスティングか」「また○○さんはこんなキャラか」と感じること/感じる人はあったのだろう。
  アダルトゲームに出演する声優は非常に多く、しかも多士済々なので、均していけばもっとばらけてもよさそうなものだが、実際には様々な事情があって、固定的になったり一部に集中したりすることはあるようだ。1)典型的なのは、事務所単位のキャスティングだろう。セットキャストやバーター出演っぽいものはたまに見かける。2)ブランド毎の常連キャストもある。一度起用してみて良い芝居をしてくれた役者にはスタッフ側は信頼感を持つだろうし、次作でも起用しようという傾向が強まるだろう。特に脚本家にとっては、「この役者ならこんな芝居をしてくれる」という感触が分かっていると書きやすいということもあるようだ(当て書き)。3)音響会社からのコネクションも、満遍なく広がっているわけではないだろう。アニメほどではないにせよ、そういう偏りがキャスティングに反映されることもあるだろう。4)ある作品でユーザーから高い評価を受けた声優が、各社のアンケート等にフィードバックされて集中的に起用されるといったブームも生じうる。これはこれで健全なことだが、個々のアクターの合理的な行動が全体としては極端な集中を生むということはある。
  ユーザー側としても、例えば私でいえば、この方の芝居なら何作でも聴き続けてけっして聴き飽きないだろうということもあれば、この方は(芝居は素晴らしいけれど)あまり立て続けには聴かずにいようと考えることもある。私の場合は、購入タイミングとプレイするタイミングがまったく一致しない(最新作を発売直後[購入直後]にプレイするということはそれほど多くない)ので、バランス良く選別してプレイすることができるのだが、最新作に食らいついていく健啖なゲーマーには、上記のような集中と傾斜にうまく対処できない場合もあるだろう。



  08/10(Wed)
  アダルトゲーマー的に「小鳥遊」といったら、キャラメルBOX作品のあれこれとか、『Clover Point』の有名な妹キャラとかになるだろう。もちろんそれ以外にも、小鳥遊姓のヒロインはたくさんいる。EGScapeのデータでは、10人以上いるようだ。


  アダルトシーン周りの表現についても、取り組まねばならない論点は多いのだが、18禁画像をここに掲載するわけにはいかないし、そもそもアダルトシーンについてはほとんど何も考えてこなかった。アダルトゲームにおいてほぼ不可避的かつ入念に設計されているであろう部分なので、きちんと向き合わねばならないのだが……。性嗜好表現の分類などはそちら筋の方々に任せるとして、一枚絵の構図、差分変化の流儀、各種演出(動的演出やカットイン)、文字表示位置(+UI関連)、テキスト量の変遷、シナリオ全体の中での配置、ゲーム性導入(女体クリックやメーターシステム)、分野的比較(白/黒/ピンク/女性向け)など、考えるべきポイントは多い。
  私の知識では到底実行できそうにないし、そもそも恥ずかしい(なんら不正なことではないが、しかしTPOを弁えるべき話題ではある)ので取り組むには気が進まない。アダルトコミック分野では、きちんとした技術論的な分析も現れているが、アダルトゲーム分野ではさしあたりそのような議論が展開されそうな気配は感じられない。

  もう一つは、BGMの編成。こちらも、楽曲の構成やジャンルや演奏技術について一定以上の知識が無ければ、きちんとした議論がまるで出来ない。つまり、個々の楽曲の性質や意味が認識できない(インプットの問題)し、そしてもちろん言葉にすることもできない(アウトプットの問題)。「作品のムードに合っていて良かったと思います」といったような当たり障りの無い(そして内容の無い)印象論を書くだけならばどうでもいいのだけど。音楽は音楽で巨大な一ジャンルなので、そうした知識を体系的に修得して使いこなすのは難しい。ましてや、ゲームBGMという応用面では、さらに追加的なスキルが必要になる。私自身、例えばEscu:deサウンドについて書いてみた時も、相当難渋した。それ以上の大掛かりな展望を持つことは、おそらく私には無理だろう。

  こういうのは、能力と意欲と余裕がある人でなければなかなか出来ないからね……。能力と意欲があっても(時間的/精神的/経済的な)余裕が無ければなかなか実行できないし、能力と余裕があってもわざわざそこにリソースを割いて実行しようという意志を持っていなければやってくれないわけだし、意欲と時間があっても十分な知識ときちんとした論述スキルを持っていなければ(長期的にはともかく、今すぐには)どうしようもない。私の場合、能力(知識)が足りなかったり、あるいはその分野に必要な基礎的学習のための時間が取れなかったりで、上のようなテーマには取り組めていない。


  うーん、やっぱり苦手だなあ。あの萌えミリ系のボテッとした原色とか雑然としたレイアウト(レイアウト感覚の欠如)とかは、なんとも手を出しにくい。イラストも、もちろん良いものもあるけれど、他分野だったら明らかに市場的に勝負する能力の無いレベルの絵や異様に古めかしい絵柄のものもわりと混じってくるし。そもそも色彩センスが重要な意味を持つような分野ではないというせいもあるし、知識面(ミリタリー)と技術面(イラスト制作、しかもキャラ+メカ)の両方を高い水準でこなさなければいけないという難しさがあるのは分かるけれど……。

  PCゲームだと、今世紀でも『戦略娘』(2002/2003)とか『ピンク・パンツァー』(2002)とか『ガジェット・トライアル』(2006:全年齢)とか、早い時期からいろいろある。90年代以前だとどういうタイトルがあったかは寡聞にして知らないが。


  #131。それぞれが微妙に他人の話を聞いていなくて、いきなり妙なネタを放り込んできたりして、言われた方もボケに相乗りもせずツッコミもしないまま進んでいき、それでいてギクシャクするわけでもなくて三人とも(何故か)笑いが絶えない、天然トリオラジオ……。55分間が長く感じるやら短く感じるやらの、ふわふわワンダーワールドだった。「さすがっす!」「さすがっす!」を連呼しているうちにコーナーが終わってしまうところは、何が起きているのか、私もついていけなかったし、ひとしきり聴いた後で、妙な疲労感に襲われた。


  昨日の話から。大学生文化やサークル活動も、聞き及ぶ関東圏の状況とはずいぶん違う。というか、インカレサークルやお見合いサークルなんてのは関東圏だけが例外的に活発なんじゃないの、という気分。いや、関西にも無いわけではないけど、そんなに目立たない。○○大だから××、といったステレオタイプ的な学生イメージもほとんど使われない(――うちの大学についてはあったけど、最近はずいぶん減っているっぽい)。なので、そういう学生生活を一般的なもののように語られても、どうにも肯けない。私個人が、そういうのに近づいていなかったせいもあるのだろうけど。



  08/09(Tue)
  エリ#16。うーん、「自分の人生の最期は、奥さんに刺されて終わりたい」というのは、まあ、分からなくもないが、できるならそういう嗜好は持たずに済ませられる方がいいと思うよ……。以前のラジオで言われてから「そうね」を連呼しているのを見ても、Ktht氏は素直で可愛げのある方だなあと好意的に聴いているけど、今回のは微妙に真夏のホラーっぽい気配が……。


  接客関連のネガティヴな話を見ていると、「それは関東だけの話なのでは?」と思う。関西だと、例えばコンビニバイトでも、むすっとした態度の店員はまず見ないし、客側も横柄なのとか不機嫌なのはまず目にしないし、レジ前で声を荒げている輩なんか一度も見たことが無い。タクシーも同様で、運転手はほとんどの場合穏やかで、しばしばフレンドリーなので、私以外の乗客もディーセントに振舞っていると思われる。
  なお、発言者たちの居住地域からして「関東(首都圏)はとにかくひどいのだろう」と推測しているが、それ以外ではどの地域が良くてどの地域が悪いのかはよく分からない。関東だけが駄目なのか、あるいは関西だけが例外的に良いのか、接客文化の分布がどうなっているのかは多少興味がある。関西の中でも、京都や大阪の店員は比較的クールで事務的だが、兵庫はローカルな親密さの雰囲気が強い。中部(名古屋圏)の接客は、わりと無色透明な感じだったかなあ。


  RPGのレベル上げは、勝てる見込みを高める合理的な手段なので、制限する理由は無い。むしろ、自分からレベルアップを制限しておいてぎりぎりの戦いを楽しむという姿勢の方が、マッチポンプじみていて好きではない。とはいえ、通常戦闘の経験値稼ぎが「楽しめるものであり」、「自分の娯楽時間を過度に圧迫するものではない」といかぎりにおいてだが。それが満たせないならば、程々で切り上げた方がよいし、なんならデータをごにょごにょしたって構わない。ゲームの目的は、究極的には、「ゲーム内の目的を達成すること」ではなくて、「自分自身が楽しい時間を過ごして充実した経験を得られること(そしてそれを最大化するために、効率性も考慮される)」に他ならないのだから。


  「赤と緑の多様性のある生き物」とは、またなんともユニークな形容だなあ。


  【 同人誌制作の試算 】
  CGワークの記事をWord/PDFにしてみたら、画像も含めて19MB/13MBほどになった。A4サイズだと本文だけで128ページ(85000字+引用画像たくさん)。索引を含めると139ページ。これを仮に自費出版(同人販売)するとしたらどうなるか。試しに試算してみる。

  1)フルカラー印刷
  画像をモノクロにしてしまっては意味が無いので、オフセットカラー印刷の見積表を見てみると、どうやら100部でも40万円から70万円程度掛かるようだ。つまり、仮に元を取るつもりなら、一冊4000~7000円で完売する必要がある。これはムリダナ。仮に一部2000円で100部完売(!)するとしても、20万~50万円の赤字になる。フルカラー同人誌を制作している人たちは、実際には少ページ+大量販売で済ませているから一部1000円かそこらの価格設定が出来ているわけだ。
  ただし、これはフルカラー漫画や画集を想定したコースであって、そういうものとして見れば、価格それ自体は妥当なものだ。しかし私の場合は、実際には文章がメインなのに、そこに引用画像が混在してくるせいでオールカラーページにするしかない。画像引用のあるページは全体のせいぜい半分程度にすぎないので、かなり割の良くない作り方になってしまう。

  2)モノクロ印刷+カラー画像貼り付け
  それでは、引用画像を手作業(!)貼り付けで処理するとしたらどうなるか。まず、本文をモノクロ印刷にするならば、100ページ100部でもせいぜい4万~6万程度と、文字通り桁違いに安くなる。さらに、180枚の画像を別途カラー印刷するとしたら、一ページに画像を6枚分並べられるとして、30枚分。30ページのカラー印刷だけならば、8万~10万円程度で発注できそうだ。印刷費は合計で12万~16万円。シール印刷にすれば作業が楽になるが、今回は考慮せずにおく。180枚×100部を手作業で貼り付けていくとすると、一枚10秒として、50時間も掛かる。うーん、ひどい。時給1000円(総額5万円)でアウトソースするものとして計算すると、最終的に18万~22万円で完成する。費用はフルカラー印刷の1/3で収まるが、180枚の糊付けで本全体がゴワゴワになることが予想され、出来はまるで期待できない。これで元を取るとしたら、一冊2000円で100冊完売しなければいけない(※制作費のみの計算。郵送費や即売会参加費は無視している)。私だったら、そんなのは買わないだろう……。
  ちなみに、画像引用とキャプションをすべてオミットした場合、本文は59000字(A4で56ページ)になる。テキストのみなのでモノクロ印刷で済むし、規模もコンパクトになるが、議論の骨組みだけになってしまい、実証の厚みが失われるので、実行する意味はほぼ皆無。

  2a)ベターな方法は、モノクロ本文/カラー画像の二分冊にすることだろう。これなら、見た目も汚くないし、手間も要らないし、考えようによってはむしろ見やすくなる。どう配分するかは難しいが。「モノクロ本文のみ(74ページ)/カラー画像とキャプション(58ページ)」の分割だと、それぞれの冊子は単体でそれなりに意味を掴みやすいが、本文と画像例証のつながりが切れてしまうし、カラーページが倍増するのでコストが嵩むので本末転倒。逆に「モノクロ本文とモノクロ画像とキャプション(135ページ)/カラー画像のみ(29ページ)」にすると、ストレートに読んでいくことができるが、カラー画像冊子の方がいかにもおまけめいた形になって浮いてしまう。前者であれば4+24=28万円、後者であれば6+12=18万円で、100部印刷できる。実際には120ページ以上の大部の文章系同人誌がどれだけ売れるかと考えると、楽観的に見ても1500円で20部(売上3万円)といったところが限界だろう(――正直に言えば、事前の宣伝無しでは10部売れるかも怪しいが)。差引きして、最終的に15万~23万円程度の赤字になる。うーん、やる意味は無いね。ただし、もしも100部以上売れるのであれば、実行する価値はある。
  試しに画像をグレースケールにしてみたら、当然ながらCGの色合いがほとんど消えてしまって、画像掲載する意味が無くなるほどになってしまった。 これは駄目だ。

  3)自分でプリントアウト
  自前印刷ではどうか。100ページをフルカラー印刷するのに、電気代とインク代がいくら掛かるかは分からないが、仮に一ページ10秒とすれば約17分で一冊分印刷できる。部数設定は完全自由なので、せいぜい20部も刷るとして6時間あればよい。これならリーズナブルに制作できる。製本は、熱圧着式の簡易製本で十分だろう。これならかなり現実的だ。要はコピー誌ということだが。

  4)データ販売
  PDFのデータ販売という方法も考えられる。しかし、データ販売となると完全にネットと競合することになる。すでにこうしてネット上で全文+無料+無期限+アクセス無制限で公開しているわけだから、PDF版をわざわざお金を出して買う人はいないだろう。PDFでも12MBもあるし。
  即売会でなにかしらの物理媒体を販売したいというのであれば、CD-ROMに記録すればいいのだが、物理媒体を売るという自己満足以外、ほとんど意味が無い。一応、「とりあえずの保存性が確保できる」「オフラインで閲覧できる」「画像サイズの制限(1600pxl)を無視できる」といったメリットはあるが、瑣末だろう。ただし、「書籍形態にデータCDを同梱する」という補充的サービスならばそれなりに有効かもしれない。そうすると、モノクロ全文印刷(6万円)+CD-ROM(100枚でも2000円以下)+CD-ROM制作コスト(時間+電気代)、合計6万円程度でひととおりのものが揃えられる。CD-ROM制作コストを無視すると、仮に1500円で20部も売れたとすれば、せいぜい3万円強の赤字で済むことになる。これはこれでありかもしれない。

  そもそも、この程度の内容の冊子を20部かそこら作って販売しても、たいした意味は無い。しかし、このブログのアクセス数からすれば、即売会での露出機会が得られれば、それはそれで十分なリターンがあると言えるだろう。また、私自身にとっては、8万字規模のテキストを冊子状態にして保持できるというメリットはある。つまり、「デジタル機器と無関係に携行できること」「ページが確定できること」「ページを自由にめくれること」といった長所がある。
  書籍(冊子)形態にする意義は大きい。任意のページをすぐにめくれること、複数のページを瞬時に見比べられること、あるいは前のページにすぐに戻れること、ページ配置によって記憶の手掛かりができること、同一の箇所が常に決まった位置で読めること、そもそもの紙媒体ならではの読みやすさ、等々。
  ただし、逆にデメリットもある。内容がページ単位で定期的に区切られてしまうので、セットにして見比べてほしい画像群がページをまたいで分けられてしまったりする場合がある。しかも、blggr上であればサムネイルをクリックすれば原寸の解像度で観られるのに対して、PDFや紙媒体では、当然ながら小さなサムネイルのままで観ることしかできない。

  仮に、同人誌として制作して販売するなら、うーん、知人のサークルに置かせてもらえるだろうか。私自身は、関西圏のイベントくらいなら足を運べるが、関東(例えばコミケ)にはたぶん行けないだろう。同人委託の相場は分からないが、代理販売していただく謝礼として1万円程度を支払えば、礼儀は尽くしたことになるだろうか。120ページ×20部(紙1200枚分)くらいなら、そんなに嵩張りもしないだろうし。いや、十分重いけど。

  こうしていろいろ考えてみたが、もちろん、実行するつもりは無い。1)このブログですでに全文公開しているし、2)売れる見込みも無いし、3)宣伝する意味も無いので。ただ、紙面として確定できる&ページが確定できるというメリットは大きいので、索引をつけて手許でPDF化するところまではやっておきたい。

  そういえば、そういう時の名前はどうしたらいいんだろう? オタクとして永続使用するつもりの名乗りはもう何も持っていないようなものなので。著者名が書けないというのは盲点だった。記事一覧ページに書いたアレでいいかなあ……。

  目次&索引込みでPDFファイルをとりあえず完成させた。132ページ、12.8MB。あとは表紙をデザインすれば、すぐにでも入稿できる代物。しかし、使いどころが無い。どこか適当なところにアップロードできればいいのだが。
  仮に表紙イラストを依頼するとしたら……もはや完全な妄想だが、本文の内容や言及回数からすると大槍氏、ことみ氏、さえき氏、TOMA氏、八宝備氏、瑞井氏、水鼠氏あたりに描いてもらえたら嬉しい。

  現時点で、言及したタイトルは216本、ブランド数は137、人名は156人。言及回数の多いブランドを見ると面白い。ApRicoT、alicesoft、Innocent Grey、Escu:de、studio e.go!、すたじお緑茶、ソフトハウスキャラ、ぱれっと、FrontWing、Liar-soft、Littlewitchと、想像以上に私自身の好みが強く反映されている。そういえばChulableとensembleを挙げられなかったが……うーん、振り返ってみても、今回のテーマでは触れにくい感じかなあ。アダルトシーンの一枚絵を掲載できなかったのは、あまり制約にならなかった……が、そのこと自体、私の判断バイアスである可能性がある。



  08/08(Mon)

  【 ビッグブリッジな方 】
  最近ここでしばしば言及している、歌もすごく上手いあの声優さんについて、私はいったいどんな経緯とどんなきっかけでどうしてこんなに注目して熱心に聴くようになったのだったか。ふと気付いてみれば、何がきっかけだったのかが自分でもよく分からない。元々私は、感性が鋭くないのか思い切りが良くないのか、才能に対する一目惚れということがあまり無いのだけど、それにしても不思議だ。
  デリケートな話題なので適当に濁した書き方にならざるを得ないが、パンツじゃないあれの時点ではべつにそんなに注目していたわけでもなかったし、関連ラジオも当初は全然聴いていなかった。他のアニメ出演作も同様。ゲームの方は、2010年以来、出演作に何本も出会っていたのに、そもそもちゃんと聴いていなかった。……ごめんなさい。それなのにわざわざCDを買いに行ったのは、やはり"Sweet Duet"の印象が強かったためだろうか。それで、数枚買ってみたらどれも素晴らしくて、驚嘆した。それで、出演作を(再)プレイして丁寧に聴いてみたら、そちらもとても素晴らしくて、どんどんやみつきになっていった。ラジオトークを聴いてみいたら、これまたずいぶん面白い方で、さらにびっくり。記憶を手繰ると、だいたいこんな経緯だったかと思う。いかにも私らしく、ひどくいいかげんな経緯だったが、遅ればせながら、なんとかようやくその素晴らしさを認識できるようになれて良かった。
  今でも、氏のクリエイティヴな資質の最良の部分は歌唱にあると思っている。しかも、ただの歌手ではなく、役者(声優)兼業であることが大きな強みになっている。効果を理解した声の響かせ方、各曲の曲調に合わせた発声のチューニングの多彩さと自在ぶり、歌詞のシチュエーションの的確な把握に基礎づけられてピントの合った感情の乗せ方(そしてけっして感情任せにしない役者らしいコントロール)、時折挟み込まれる朗読パートのリズムの良さ、そしてなによりも、歌唱における言葉のクリアさは、専業歌手の仕事でもなく声優の余技でもない、この方の大きな美質だろう。言葉が音楽に乗せられつつ、あくまで言葉としての意味を完全に保持して、気持ちのこもったメッセージとして明瞭な形で伝えてくる。しばしばご自身で歌詞を書いていることもあり、その歌がどのようなことを表そうとしているかが、言葉と音楽のしっかり噛み合った表現として成立している。そうしたことが、歌の魅力になっている。
  もちろん、芝居の方も、楽天的な雰囲気と居心地のよいリズム、個性的な表情づけ、そしてここでも言葉に対する誠実さと表現のクリアさがたいへん魅力的だ。ラジオトークも同じく。


  新記事:「『ジンコウガクエン』雑感」。バカゲー大好き。しかし修羅場は怖い。



  08/07(Sun)
  どうやら、世の善き大人たちは、自己を高めたり自己実現に努めたりするものらしい。……自己実現って何だ? 声優ラジオを聴いたりSLGに没頭したり音楽に聴き惚れたりする幸福と何か関係があるのか?


  【 ソフトハウスキャラ、ちょっとだけ回顧 】
  もちろん最近のタイトルも楽しんでいるけど、しかし00年代中頃のSHCは本当に素晴らしかった。『ブラウン』『LJ』『巣作り』の作品世界の広がり、個性的な『南国』を挟んで、『DC』『グリンスヴァール』『王賊』の充実ぶり、そして今なお評価の高い『Wizard's Climber』まで、一作品毎のユニークな試みとシミュレーション世界の豊かさがあった。佐々木氏のキャラデザ/原画も、特に『DC』前後の切れ味が相当なもので、今見返しても十分通用すると思える。内藤氏のテキストワークも、ゲーム展開の急所を見据えてバランス良く書き込まれており、ストーリー展開も肯定的な雰囲気に溢れていた。デモムービーを観返しているだけでもいろいろなことが思い出される。『王賊』OPの「強き者に牙を剥いてこそ/刻みつける勝利の印」は、まさに当時のSHCの挑戦的姿勢を体現するかのようだった。シリーズ世界の内輪的濃縮も無ければ、荒野に佇むわびしいEDや安っぽいネットスラングキャラも無く、怪盗活動と無関係なモブ学園生の会話が混入してくることも無かった。
  『DAISOUNAN』以降も、松永氏や萌花ちょこ氏、桜川氏、綾音氏といった多士済々のキャスティングに、『忍流』の情趣ある歴史ドラマの雰囲気、『BB』の硬質な世界像から『BB2』の華々しい激戦、『BB3』の緑豊かな新天地、『OV』のゲームパートの面白さとチップアニメの魅力、『悪魔娘』の朗らかさとしたたかさ、『勇者砲』のまとまり具合、そして『PD』でも惑星毎のサブイベントはそれなりに楽しかった。原画も、『DAISOUNAN』以来の紅村氏は傑出した水準だし、佐々木氏も『OV』は特に良かった。

  そういえば、『BB2』『勇者砲』『PD』と、浮遊城が三つも出ている。……趣味?

  近年のムービーだと、『BB3』が出色の出来。なにしろ井上氏が歌っているから。
  『OV』も細江氏の曲が本編全体のBGM群にアレンジされていて印象深い。

  キャラクターリストは『BB3』と『OV』がまだ書けていないが、それ以外はおおむね済んでいる。ただし、作中作が後回しになっているし、キャストの書き込みも出来ていない。

  一部のタイトルで、ムービー部分のスクリーンショットが撮れず(撮影しても黒画像になってしまい)、そのせいでクレジット(エンドロール)の書き取りが出来なくて困っていたのだけど、そういう時は外部機器を使えばいいのだということになかなか気づけずにいた。デジカメの動画録画でディスプレイを撮影するというのは、いささか原始的ではあるが確実な方法だ。



  08/06(Sat)
  青山ヴォイスも安玖深ヴォイスもみすみヴォイスも最初の台詞1秒で識別。こういう「聴き分け」はなんら本質的ではないが、出来たら出来たでちょっと嬉しい。


  【 てんまそ氏の絵について 】
  しかし、てんまそ氏の絵は、キツネ目がきついし、キャラのポージングは妙ちきりんなうえいかにも作為的で目に付くし、ファッションセンスも色彩感覚もアレだし、デフォルメ表情は安っぽいしで、オタクイラストの悪い癖が満載でつらい。意味不明に片手を肩の高さまで上げていたり、両手を胸の上に乗せていたり、感情表現と無関係に背面立ち絵になったり、かと思えば両腕を八の字に開いた棒立ちになったり、波動拳のように両の掌を前に突き出したポーズはもはや何がしたいのか分からない(残念ながら全然可愛くない)し、それ以外にもキャラクターの性格表現と連動しているようには到底見えないポージングが頻出する。腕組みの姿勢も生硬だし、両腕を左右に開いたポーズも、イラストならまだしも静止画立ち絵として使うには突飛すぎる。個人的に、どうにも褒められない(好きにもなれない)原画家の一人。AVGの画面作りに参与する原画よりも、自由な単発イラストに向いている方なのかもしれない。
  ただし、ポーズ変化の多彩さ(会話中でもわりと頻繁かつ適当に立ち絵ポーズ変化する)は、キャラクター立ち絵の生き生きとした感じをもたらしているし、今時オールドファッションな(みつみエピゴーネンな)巨大虹彩も、あのキツい色調と組み合わせることで、アイキャッチとしてはそれなりに有効なのかもしれない……と好意的に見る余地は無くもない。

『Magus Tale』 (c)2007 Whirlpool
右側のキャラは意味も無く左手を上げている。中央のキャラは、両手を腰のあたりに浮かせている。中途半端に開いた右手も居心地が悪い。左のキャラは両手を胸の上に置いているが、実際に試してみれば分かるようにこの姿勢はかなり無理がある。立ち絵としても不可解なポーズである。頭髪の流れ方もおかしいし、制服のエメラルドグリーンもきつい。

  手を腰に置いたり腕組みしたり片手を上げたりするのは、もちろん他の原画家にもあるけれど、この原画家の場合は頻度が尋常でないうえ、ポーズも堅苦しくて見ているだけで肩が凝りそうなのがつらい。

  イラスト単体としてはともかく、作品全体として見るならば、責任の半分は脚本とスクリプトにあるかもしれないが、しかしそれでも片手挙げ立ち絵はどうにも使いようがなかろうから、やはり原画側の問題が大きい。


  今日は、過去の記事群をいろいろと手直し(加筆)。これを書き足したい、この議論を追加したいといったことは、忘れないように手許にメモしているのだが、集中して執筆できるようなまとまった時間がとれないと、なかなか実行に移せない。自分で読み返すだけでも大変だからね……。


  #130、いったいどうやったらここまでのトークになるのだろうか。

  沢「高橋さんは海行く?」(02:23-)
  大「たっ(笑)、高橋さんは海…行っ、あんま行かないけど」

  沢「可愛く生まれてきたんだから白[の水着を]着ればいいよ」(05:10-)
  大「あ……あ、ちょっと褒められてる……じゃあ、挑戦する! 嬉しくなっちゃった」

  沢「[CDを]聴く聴く、もう今日絶対、帰ったらすぐやります。もう帰っていいですか」(09:42-)
  大「駄目ですーお願いします一人にしないで下さーい」

  沢「(ランキングに)エイラ入ってるといいね」(12:58-)
  大「そうだね。う゛ー…、まあいいや」

  沢「[眼鏡を]スチャッと」(15:22-)
  大「スチャッと。へー」
  沢「世を忍ぶ仮の姿だから、彼女はずっと」
  大「へー、はー」
  沢「仮の姿でもう十年やってきてるからね」
  大「はー、そうなんですかねぇ」
  沢「おい、興味を持って」

  大「ウスベニタチアオイの根っこを切ると、ネバネバしたマッシュルームの素が出てくるから、
      それを抽出して、コネコネして、マッシュルーム作るの」(22:38-)
  沢「なんだろう、あたしたち、結構そろそろ社会的にはいいお年になってきたけど、
      そのキャラで行きます、この先も? 確認です」
  大「(大笑い)いや……なんか、このまま来ちゃったんだよねー、みゆきちゃん。
      なんか……なんかこのまま来ちゃったんすよ」
  沢「ってことは行けんのかなぁ、この先も」
  大「ま、大丈夫、見た目大人だからさ」

  沢「どこにも入ってなかったね、『マッシュルーム』」(24:48-)
  大「マシュマロだよ。マシュマロ」
  沢「うん」
  大「合ってるよ合ってる。合ってるよー合ってるよー」
  沢「合ってた?」
  大「そんな目で見ないで合ってるよー合ってるでしょ?(笑)」
  沢「合っ…てた?」
  大「合ってるでしょ、すーげー合ってるでしょ。ウスベニタチアオイの木を使って、ね」
  沢「まあ、合ってる?」
  大「根っこの液抽出して、作るんだから。
      はい、大橋歩夕はこの先もこのまま行きたいと思います」



  08/05(Fri)
  いろいろ検索していたら、「藤咲ウサさんは神聖にして侵すべからず」というフレーズが目に入り、気持ちは分からないでもないがそこまで言い切れるのはすごいなあと思ったが、よく見てみるとそれはやはり「藤咲氏[の芝居]は『神聖にして侵すべからず』[というタイトル]で聴いた」云々という話だった。
  これがありなら、もちろん「夏野こおりは神聖にして侵すべからず」とか「井村屋ほのかは神聖にして侵すべからず」とか「羽鳥空は神聖にして侵すべからず」とか「青山ゆかりは神聖にして侵すべからず」とか「涼織藍音は神聖にして侵すべからず」とか「かわしまりのは神聖にして侵すべからず」といったフレーズを文中にしれっと紛れ込ませることもできてしまう。ただし、問題点が二つあって、それはべつにわざわざ言わわなくてもいいことだし、また、私はタイトルには二重括弧『』を付けるようにしているので実際には上記のようには書けない。


  メモ。南向春風氏のSDを取ってきたいのだが、手許にはSSが無い。『いたじゃん/R』は現PCには正常インストールできなかったし、『カラフルBOX』は持っていないし、『Kanoso』はプレイしたことはあるけどSSは持っていないし……。


  うーん、知人のtwアカウントが、非常に口汚い政治的罵倒の投稿をRTするようになっていて、ちょっとつらい。ご本人は知的で冷静で公平な人物であり、そしてブラックジョークを解する(そして適切にあしらえる)懐の深さがあるのだが、そういう類のどぎつい発言を周囲にまで広めてしまうのは、さすがにいかがなものかと……。


  愛媛みかん氏は当然愛媛県のご出身に違いないと無根拠に思い込んでいたのだが……!?



  08/02(Tue)
  緑茶新作も来るし、『ヴァルプルギス』はシリーズ最終章とのことだし……。


  出演タイトル数からして、「巻田彩乃」氏と呼んだら一番通じやすいだろうか。
  個人的には、「杜若桔梗」という名前も好き。


  これまで現/旧ブログ上で画像引用してきたタイトルの発売年を調べてみたら、面白い傾向があった。2001年までは各年5本以下だが、2002年発売タイトルが8本、そして2003年からはいきなり21本に増えて、それ以降2009年までは各年20本以上(最多は26本)のプラトーが続く。2010~2013年は10~15本と一段下がって、2014年以降の新作はまだ一桁本数(8本、7本、2本)。
  これは、対象に起因するというよりは、明らかに私自身の個人的な事情によるものだろう。ちょうど2003年頃からPCゲームのSS撮影をするようになっており、したがってSSを出せるのもその時期からということになる。もちろん、最新タイトルばかりではなく旧作もできるだけプレイしてきたが、過去の(とりわけ90年代の)タイトルはなかなか経験が追いついていない。また、私自身の年毎のプレイ本数では2008~2014年が比較的多いので、そこから少し遡った発売年のものが多いということだろう。2010年頃からは、白箱系業界の整理に平行してピンク系と低価格帯の台頭があり、それで画像引用が減っているのかもしれない。さらに、当然ながら、ごく最近のものはまだプレイできていないタイトルが多いので、画像引用できる本数も少なくなっている。


  2009年の『ましろ色シンフォニー』 】
  いろいろな覚書や記事を書いたりする中で、各タイトルの発売時期に関する時間感覚も更新するようにしているのだが、2009年発売の『ましろ色』がすでに7年前のタイトルだというのはなかなか受け入れられない。あの当時、「ああ、白箱系の新しいセンスが現れたな」という感じがあって、しかも驚くほど完成度の高いものだった。ストーリー面でも、キャラ造形とキャラ配置の点でも、そして美術面(ぱれっと塗り)でも、2010年代の白箱系シーンを予告するようなもので、本当に衝撃的だった。しかしそれも、もう7年前とは……。その当時すでに印象として持っていたオーパーツ感が、現在でも私の中の時代感覚のギャップとして残っているようだ。和泉氏原画の次作『恋がさくころ』が2014年発売と、間が5年も空いてしまっているのも、そういうズレをもたらしている一因かもしれない。これ以外のアダルトゲームタイトルは、それぞれ発売年なりの捉え方が出来ているのだが、唯一これだけは、自分の中でうまく定着しない。
  2009年というと、例えば私のプレイした中でいうと、『パンドォラ』『星メモ』『花と乙女』『大統領』と同じ年なのだが、しかしlightがようやく『タペストリー』を出したばかり、IGは『クロウカシス』を発売し、PSは『Signal Heart』、ゆずは『天神乱漫』、どみる(Oasis)は『カンパネラ』、そしてLW(『フェアリース』)もSB(『桜吹雪』)もSymphony(『Tiara』)もFizz(『さくらテイル』)もTOPCAT(『アトリの空』)も健在だった時代だ。どう考えても時代が合わない!
  先進的というよりは、美意識が洗練されすぎているということかもしれない。現在の目で見て、絵に古さを感じることが全然無いわけではないけれど、しかし2016年現在でもこの塗りは完全に通用するだろう。


  『セイクリッド・プルーム』のディスクを無事発掘。音楽CDのタワーに紛れ込んでいた。そういえばCD-ROM3枚組だったね……。2003年中はまだDVD-ROMへの移行は進んでいなかったが、その理由はプレス料金の問題よりも、ユーザーのPC環境にDVDドライヴがまだ十分普及していなかったことの方が大きいかもしれない。
  無事、正常起動した。ひととおりプレイしつつ、適当なSSを撮っておきたい。13年前のタイトルだが、MA@YA氏デザインの3D-RPGという贅沢品で、ゲームとしての出来は程々だが。3Dモデルにポーズを取らせて静止画の立ち絵や一枚絵を作っているので、キャラ立ち絵のヴァリエーションは多彩だし、ポージングも個性的なものが多いし、一枚絵も立体的な雰囲気があって面白い。


  【 映画館、コンサート、美術館 】
  映画については、ほとんどが評判を見てからディスクで買うだけになっている。
  映画館のメリットは、1)安い(場合が多い)、2)映像と音響の迫力がある、3)最新のものを観られる、4)ディスク化されない場合も多い、といったところ。ディスク視聴するメリットは、1)後からでもアクセスできる、2)ものによっては安い(特に繰り返し視聴する場合)、3)TPOを制限されずにゆっくり視聴できる、4)字幕/吹き替えや巻き戻しなどが自由に出来る、など。
  個人的には、映画館の環境があまり好きではないというのが最大の理由。特定の施設にわざわざ足を運んで、時間を限定されて、窮屈な場所にたくさんの観客が押し込められて、見たくもないCMを見せられて、うるさすぎる音響で視聴させられるというのが、すべて苦手。最新の映画を観てみんなで感想を共有するという習慣も無い。円盤は円盤で、発売が遅いとか、信頼できる評価を知るのが難しいとか、ものによっては割高になる(一枚5000円以上のものもある)といった難点があるけど、一度買っておけば「いつでも観たい時に」「何度でも」「自宅の落ち着いた環境で」「一人だけでゆっくり」鑑賞できるというのは、私にとっては大きなアドヴァンテージだ。場合によっては、おすすめの作品を知人に貸すことも可能だし。映画に関してはそれほど趣味としてコミットはしていないので、ディスク販売の方が選択肢が広くて助かる。

  その一方、音楽や美術はそういうわけにはいかない。CDだけでは足りず、定期的にコンサートに行かなければいけないし、画集で観るだけでは足りず、美術館に足を運んで実物を見なければいけない。音楽(※この場合はクラシックの話)では、本来どのような音で演奏されているかの感覚をきちんと保っている必要がある。個々の楽器がどのような音量であるかは、CDを聴くだけでは分からない。そして、それらがどのようなバランスになっているか、現実の空間の中で混じり合ってどのように聴こえるか、そうした音そのもののデリケートさと迫真性は、ヘッドフォンとは桁違いだ。さらに、とりわけオーケストラなどでは、各楽器がどのように配置されており、どの部分でどのパートが動いて(演奏して)いるかが、聴覚だけではなく視覚的にもよりいっそう明確に理解できる。
  美術作品も同様だ。印刷物は、実物の色合いとは大きく異なるし、筆のタッチも視認できない。また、小さく縮小された画像では、その作品本来のサイズが分からない、あるいは実感できない。もちろん画集でもキャンバスのサイズが注記されているが、作品の圧倒的なサイズや、あるいは意外なコンパクトさは、実物を見なければ十分には分からない。また、ものによっては、展示方法それ自体にも意味があるという場合があるが、それは画集の写真だけでは再現できない。また、立体物(彫刻作品など)の場合には、その立体的、空間的な造形をきちんと認識し享受するにはやはり実物を見るしかない。もちろん、様々な角度から見ることもできるようになる。
  映画と、音楽/美術との相違は、実物に接近することができるかどうかの違いであり、そして、実物が存在するかどうかの違いでもある。元来、古典的な音楽演奏や美術作品は、 そのありように関して複製的性格がビルトインされたものではなく、しかも実演乃至実物と複製物(CDや画集)の間には、あまりにも大きな質的懸隔がある。
  現代の映画には、本来の音量というものは無い、あるいは、映画館の音は本来の音に近づくようなものではない。映像の質に関しても同様だ。ただし、同一の楽譜に基づいた複数の実演があるように、同一のフィルムに基づきつつも映画館毎に音響/映像のクオリティを独自に調整したアウトプットは、それ自体、独自の上演(実演)と言えるかもしれない。
  この論点は、ゲーム作品にも、敷衍しうる。例えば、原画は「元々のもの」であるが、しかしそれは作品としての最終的な完成状態ではない。だから、原画展や原画集は、 あくまで参考にすぎない。また、ディスプレイサイズに関しても、とりわけPCゲームでは、制作者側は何も決定できない、あるいは、誰にも決定することはできない。ユーザーたちが各々のプレイ環境で目にするもの、それこそがゲーム作品の現れそのものになる。それ以上のものは無い。一枚絵のデータ上の原寸が、ゲーム上では数分の一に縮小表示されているのだとしても、その「原寸」はあくまで素材の寸法であるにすぎず、やはりゲーム上で現れたありようを基準として評価しなければならない。私はそう考えている。



  08/01(Mon)
  虫などが入ってくるのが嫌なので窓を閉め切っている。そのため、扇風機だけで寝ていると寝苦しくなることがある。室温28度設定でエアコンを効かせておけば、PCファンもうるさく回転させずに済んでいるので、自宅にいる時はむしろ日中の方がまし。実際には、26度設定くらいにした方がよいらしいのだけど、きつい冷房は苦手なので。暑さはそれなりに耐えられる体質だと思うが、それでも実際には作業効率は落ちているのかもしれない。

  気温の高さは、身体よりもむしろパソコンやCDの耐久性の方が心配。CDは90年代から持っているので、そろそろ20年を超えているものもあるし、高温は低温よりもディスクメディアへのダメージが大きいと思われるし……。PCゲームも、例えば『雫』『痕』(1996年発売)のディスクはちょうど20年になっている。

  夏場のこの環境では、もう模型は作れないなあ。5月末以来、何も作っていないけど。

  秋野氏も冷房無しなのか……たしか小林氏もそんなことを仰っていた。
  声優さんの場合、喉の保護という考えもありそうだ。


  新記事:「恋愛と純愛


  【 なんとかクロニクル2は買わなくていいと思う 】
  『ぼくたちの美少女ゲームクロニクル』は第1巻も中味はそれほどではなかったけど、2冊目はサンプルを見るかぎりでは「画像を一枚絵しか掲載していない」のは本当に駄目な点だと思う。これでは、どのような絵が描かれていたかは分かるが、どのようなゲームであったかがまったく分からない。ゲームの通常画面はどのように構成されていたか、テキストはどのように表示されていたか、ゲームパートはどのようなシステムであったか。そうしたことを含めての「ゲーム」であり、そしてプレイヤーはそうした側面を経験している筈なのだ(――それでいて、著者は今後のアダルトゲーム業界のために、「『新しいゲーム性』の模索」が必要だなどと嘯いている[第1巻、116頁]。ゲーム性を軽視している人物にこんなことを言われたくはないなあと思ったのを思い出した)。
  もう一つ苦言を述べておくと、引用画像の比率が高すぎる。一ページにつき一タイトル(+関連タイトル)を紹介している体裁だが、紙面の6~7割は一枚絵画像で占められており、テキストは一ページにつきせいぜい2割程度(文字数にして200字程度!)しか書かれていない。画像引き写しが多すぎて「引用」の範囲を超えているのも問題だが、そのせいで個別タイトルについての文字情報が乏しすぎるのが致命的だ。
  この著者は、一枚絵を何のために掲載するのかを再考すべきだろう。そもそもブランド公式サイトや通販サイトが一枚絵ばかりを大量に掲載しているのは、「きれいだから」「売れるから」「訴求力のあるアダルト画像だから」「アダルト画像をはっきり見せたいから」「立ち絵は別途ちゃんと紹介しているから」だ。つまり、セールス上の都合にすぎないのだが、資料性を重視しているはずの書籍でそのスタイルを無反省に踏襲しても何の意味も無い。ゲームから切り取られた一枚絵をただベタに並べるだけでは、説明をしたことにならない。第1巻の記述を見ても、知識量は相当なものであることが窺われるだけに、この作り(編集)の拙さはあまりにももったいない。

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  目次はこうなっているようだが、やっぱり疑わしい。ちょうど上に書いていたように、この時期までは白箱/黒箱の区分はそれほど明確ではなかったので、それではっきり章別にしてしまうのは実態に合わない。例えば『エスカレイヤー』は典型的に黒白混淆スタイルだし、『燐月』のアダルトシーンも多少強引な傾向だが黒箱系とは言いがたい。『おまえのなつやすみ』(※私は未プレイ)も、ピンク系ではあるがけっして蹂躙系ではなかったと思う。その一方、『白詰草話』『顔月』『ヤミ帽』などを「萌え系」に分類するのは説得力に欠けるし、『沙耶の唄』を萌え系にするのも完全に見当違い(それとも、ココ笑ウトコロ?)。白黒の枠組をこの時代に適用することの不適切さが露呈している。私自身、黒白の分類は大雑把な見通しとして使うことはあるけど、このように書籍の構成のレベルで無批判に使ってしまうのはかなりまずいと思う。
  ちなみに、非AVG系のチャプターで、alicesoftから3本も挙げているのにEscu:deが一本も触れられていないのには恨みを持った。またEscu:de無視かよ!(ついでにCYCやpajamas softも無視されている) 2005年まででも、変身ヒロインものの先駆的な『プリマヴェール』に『メタモルファンタジー』、アイデアの秀逸な『とびっきりRUIN』、本格派SLGの『ジュエルスオーシャン』『英雄×魔王』といった影響力のあるタイトルを継続的にリリースしていたのだが……。紙面の制約もあるし、取り上げられていない重要タイトルを指摘していくときりが無いが、それでも構成上欠けているのはおかしいというレベルのものはある。逆に、PIL(『MIH』『SF』)、key(『Kanon』『Air』、その前の『ONE』も)、AUGUST(『月は東に』『夜明け前』)、nirtro+(『Phantom』『斬魔』)、ねこねこ(『みずいろ』『ラムネ』)、きゃんでぃ(『姉』『つよきす』)は、似たような作りのタイトルがダブっているので、それぞれ片方をカットしても良かっただろう。戯画のACTで、シリーズが続いている看板タイトル『BALDR』ではなく、後発&単発の『DUEL SAVIOR』の方を挙げているのも不可解。
  「新しいジャンルの開拓者たち」とある章も、むしろフォロワーのいないオンリーワンなタイトルばかりで、「新しいジャンル」の広がりを示すようなものになってはない。『ONE』『Kanon』『Air』をべったり並べている時点で、構成と整理がまともに出来てないのは明らかだが。
  全体として、「クロニクル」と言いつつ、内容はただ単に個別タイトルを年代順に並べているだけというのも無策すぎる。第1巻では、そうした個別タイトルの紹介文の中に断片的な言及がちりばめられてはいたが、独立の文章として全体の見取図や業界内の流行を提示するといったことはほとんど為されていなかった。おそらく今回も同レベルだろう。第1巻では、巻末の網羅的なカタログに資料的価値があったが、今回はそれすら無くなっているので、本当に役に立たない。

  ついでに言うと、「ぼくたちの~」というタイトルのセンスも、私の趣味からは遠いので第1巻購入も気が進まなかった。まず、「ぼくたち」を主張する内輪馴れ合いの感覚が嫌い。私は美少女ゲームをプレイするのが好きなだけであって、べつに美少女ゲーマー同士で仲良くしたくはない。また、「ぼく」たちという男性的気配も気に障る。女性のアダルトゲーマーだってそれなりにいる(――制作者サイドにも、女性スタッフは2割程度いるらしい。特に女性原画家は多いし、それ以外の職種もライターからグラフィッカーまで、結構いるようだ)。


  2010年の京都SFフェスのあれもひどかったからね……。司会者の無能は折り込み済みだったとはいえ、冒頭からパネリストたちが「自分が最初にプレイしたアダルトゲームは」の話題で盛り上がるわ、鋼屋氏が「(虚淵の)旦那が」「旦那が」を連呼するわで、「ぼくたちの内輪なムード」が物凄くきつかった。しかも、聴衆は必ずしもアダルトゲームに詳しくないSFファンたちだというのに……。もちろん、参考になる話もいろいろあったが、全体としては非常にサムかったのも確かだ。
  当時の感想は[ twilog.org/cactus4554/date-101009 ]のあたりを参照。


  Escu:deの見落とされっぷりは、いったい何なんだろうね……。変身ヒロインものを先導した『プリマヴェール』『メタモルファンタジー』はきわめて重要だし、『ふぃぎゅ』のように分野外にまでリーチしたタイトルもあるし、『英雄×魔王』『プリスター』のような本格派のタイトルもあるし、最近だと『あかときっ!』以降の脱衣ものはそれなりに注目されていると思うのだけど。SLG系アダルトゲームブランドが語られる時に、alicesoft、SHC、Eushully、最近だとninetail系列までは出てくるのだけど、何故かEscu:deが漏れていることが非常に、非常に多い。何故だ! 歴史の長さ、制作本数、看板タイトル、技術力と品質、影響範囲を総合的に見て、alicesoftにはまだ敵わないかもしれないとしても、それに次ぐ存在だと思うのだが……。
  ユーザー層もよく分からない。SHCだったら、どの作品も基礎となるアプローチは共通しているので固定客が多いと思われ、またSLG系ブランドとしての知名度もあるのでユーザー認知の裾野はわりと広いようだ。しかしEscu:deは、作品毎にいろいろなジャンルに挑戦しているため、「変身ヒロインもの」「計算派のSLGプレイヤー」「白箱系ユーザー」「バカゲー好き」などにバラけてそれぞれが思い思いに買っているのかもしれない。twを適当に検索しても、固定客(ファン)もなかなか見当たらないし、ライトユーザーからもあまり言及されていない。SLG系ゲーマーからも、しばしば上記の有様。謎だ……。