2013/10/08

softhouse-sealと女性主人公

  softhouse-sealの女性主人公たちについてのちょっとした雑感。


  【 softhouse-sealの主人公たち 】
  softhouse-sealの何が楽しいかというと、もちろん飯野汐里氏出演作の多さやツリ目キャラの多さもあるけれど、もう一つ重要な点として女性主人公が多いというのもある。これはフルプライスでは手を出しにくい領域で、ロープライスならではの強みを活かした一側面でもあるが、それだけでは説明しきれないほどはっきりした、同ブランドの作品傾向だと言っていいだろう。同社ラインナップの中には、もちろん男性主人公タイトルもいくつも存在する。例えば『ぜったい~大発明!!』の発明家主人公や『淫力吸しゅ~!』の魔王主人公あるいは『冬馬小次郎』連作の探偵主人公のように。しかしその一方で、「くノ一」シリーズなどのACT作品群に代表されるように、多くのタイトルが男性主人公という窓口を媒介することなくじかにヒロインたちを――つまり女性キャラクターたちの魅力を――描くことに成功している。

  【 恋愛AVGにおける主人公の性別とその作用 】
  恋愛AVGにおける受け身の主人公であれあるいは黒箱系タイトルにおける野心的な主人公であれ、それら男性主人公はどうしても「ヒロインではないにもかかわらず、基本的にあらゆる場面で出ずっぱりでいなければならないという、不幸な特権を背負わされたアクター」なのであって、それらは一方ではアダルトシーンにおける活躍という観点ではユーザーを満足させるために登場しそして実際に満足させるのであろうが、しかし他方でキャラ萌えの観点では夾雑物になってしまう危険の前に自身を常に晒さざるを得ない。もちろん、白箱系においては『処女はお姉さまに恋してる』(2005年)を現代コンピュータAVGにおけるその嚆矢とする女装主人公乃至"男の娘"主人公が案出され、また黒箱系においても古典的にはアイル『脅迫』(1996年)から近年では(ミドルプライス以上では)『虜ノ契』『触装天使セリカ(無印/2)』『RGHL』(いずれも2012年)に至るまでの女性主人公はたびたび試みられそして常に一定の支持を得てきた(……筈だ)。SHSの女性主人公タイトル群も、そのような潮流の中に位置付けられる時、現代のPC(アダルト)ゲームシーンの中で占めるそのユニークさと奇怪さがよりいっそう際立ったものとして映る。

  【 恋愛表現との関係で 】
  興味深いのは、女性主人公を採用するにもかかわらず、あるいは採用するがゆえに、そして採用しつつ、SHSの物語作りは「純愛」観念をまったくどうでもいいものとして扱っているように見えるという点だ。たとえば、ストーリー進行上不可避的なシーンの中で触手に純潔を奪われた後でも、彼女たちは夢見ていた幸福な初体験の可能性が閉ざされたことにしばらくは落ち込むものの、すぐに頭を切り換えて次の目標へと前向きに突き進んでいく。このブランドにとって「純愛」というのは、せいぜいそのような一時のスパイスでしかないかのようであり、そしてその暫時の逡巡と哀憐を除く他のすべての部分は、基本的に性表現要素かバカゲー要素(あるいはその双方の共存)によって占められている。その軽さはそのテキスト描写の簡潔さと相俟って物語に不思議な開放感をもたらしつつ、同時におそらくは女性主人公のアイデンティティ表現それ自体を男性的欲求の下に傅かせることをも可能にしている。その点では、コミカルな物語の俎上に精神的に自立した健康的なヒロインたちを自由に花開かせながら同時にゲームパート(ゲームシステム)を通じてプレイヤーとの(まさに文字通りの)共犯によって彼女等を無惨に手折っていくことを可能にしているstudio e.go!/でぼの巣製作所の二重性と、どこか似通っているようにも思える(――この観点でのe.go/でぼの個性については神楽シリーズについての雑感も参照。私は黒箱系タイトルのプレイ数が致命的に不足しているが、それでもあえて述べるなら、これがLiLiTHであればおそらく純愛などそもそも気配すら見せないと言っていいだろうし、Tinkerbellの触手ものであれば純愛などというものは蹂躙描写に供物として捧げるための絶望の前段階の一つでしかない。Black Cycであれば物語進行の重要な一点に打ち込んで強烈なコントラストを披露してみせただろうし、Guilty系列であれば意外にも率直に美しいものとして扱っている)。

  【 女性同士の友情関係 】
  そのような暗い側面ばかりではない。ドラマの梃子になる人間関係として、男女間の愛情や恋愛感情を採用することを放棄した代わりに、このブランドは女性主人公たちの間の友情を採用する。それは、世間的な意味での「百合」表現のようなものではなく、例えば『欲情トマランナーズ』のように率直で朗らかな友愛関係として描かれ、あるいは『異触の檻』のように三人の少女たちの間の信頼と相互扶助の協力関係――時には自己犠牲すら厭わぬほどの――として描かれる。そのような関係が、男性向け(とされる)アダルトゲーム分野の中で衒いなくストレートに描かれるのを見られることは、(それが時としてバッドエンドの陰惨さを引き立たせるために用いられることがあるとしても、)幸いとすべきだろう。