2013/10/06

「ネタバレ配慮」が持つ問題

  「ネタバレ配慮」のために言論に制約を掛けることはよいのかどうか。


  最近では「"ネタバレ配慮"って本当に害悪だなあ」と思うようになっている。それは、対象(作品)の内容に関する重要な事実に対してきちんと言葉で向き合うことを放棄する姿勢をほぼ不可避的に伴ってしまうから。言うべき重要性があると考えるにもかかわらずそれを言わずに済ませていては議論は何も深まらないし、ただ既読者同士で「うんうん」と目配せとうなずきを交わし合うだけでは何も残らない。「ネタバレ」の具体的内容には口を噤みつつただそれを匂わせるだけで筆を擱く文章は、読み手にとってみれば、最後に重要らしそうな論点に言及しかけたところで梯子を外されたかのようなものだし、「なんだ、作品の分析ではなくて作品の広告を読まされているだけだったのか」とがっかりさせられる。

  「口コミの重要性(※それは今ではむしろ口コミにでも頼るしかないという消極的な意味でしかないよね)」とか「新作の売れ行きへの配慮(※アニメキャプチャーサイトの時代すら過ぎて、tw実況が常態化しているのに今更何を?)」とか「隠れた名作の紹介(※それ自体きわめていかがわしい姿勢だが)」とかいった(一応の)建前は、結局のところ、慎重かつ詳細な検討と議論が積み重ねられる筈だった空間に清めの塩を撒いたつもりで不毛の土地にすることにしか役立っていない。

  というわけで、今後このブログでは、ネタバレ配慮は一切行わないようにする。ただし、「ネタバレ」と呼ばれるのは通常は「物語の結末」あるいは「物語全体に関わる重要な仕掛けであって、最初のうちは明示されていないもの」のことであり、そして作品に関する言論の視座設定は必ずしも物語のオチに言及する必要は無く、そしてPCゲームに対して私がしばしば採る視座は「ネタバレ」(つまり物語第一主義的な側面)にはあまり関係してこないが。たとえば誰が死ぬとか生き残るとか、あるいは誰々の正体は何者であるとかいった話は、議論の中で必要があれば遠慮なく説明するし、論旨に関係無ければただ言及しないというだけだ。視覚効果演出については言葉やSSだけでは説明しきれないところもあるのでやむを得ず「実際にプレイしてほしい」と述べることもあるだろうが、しかし「物語の結末はみなさんに確かめてほしい」などというちゃちな宣伝文句めいたことは今までも言わなかったが今後もけっして言わないだろう(――もちろん、誰彼構わずそうするというわけではないが。特定の誰かに対して特定の作品をおすすめするような場面では、オチを話して興を削ぐようなことはしない。しかし、このブログは「おすすめ作品紹介」のためのブログではないし、訪問者にもその方針はおそらくすぐに察せられるだろうから、議論のためのブログとして不合理な「ネタバレ」タブーなどはここでは持たないということだ)。



  後日追記。この論点を一般化したものとして、別掲記事「ネタバレ忌避なんてやめてしまえ」。