はじめに(1ページ目)
第1章:アダルトゲームCGの基本的特徴とその構造的事情
第2章:修辞としての特殊なCG表現(2ページ目/3ページ目)
第3章:構造的な事情に基づく画風変化(4ページ目/5ページ目)
第4章:個別作品の総体的な画風選択(このページ)
1. アダルトゲームのCGワークの多様性
- 1) プロポーション
- 2) デフォルメ
- 3) 描線
- 4) 着彩
- 5) 一枚絵の構図
- 6) 立ち絵のレイアウト
- 7) 人物と背景
2. 個別作品における画風選択(7ページ目/8ページ目)
おわりに
第4章:個別作品の総体的な画風選択
前節までは、一作品内で複数の画風が現れる場合について、実例に即した類型化を行い、それぞれの意義について概観してきた。それに対して、一つの作品のグラフィックワーク全体が、一般的なアダルトゲームのスタイルから大きく逸れているという場合も、もちろん存在する。本節では、作品全体が特徴的なCGワークによって展開されている例をいくつか検討していく。
しかしながら、何をもって標準(一般的)とし、何をもって例外(特殊)と見做すかは、定義困難である。これまでのように、一作品内での明確な相違(比較対象)があるわけでもない。したがって、本節の分類は、他の章節にも増して恣意的である。ここでは、作品毎のコンセプトの認識に照らして、意味作用の違いが認識できるという程度のゆるやかな判断基準で、目立った実例とそれぞれの特徴をピックアップしていく。
【 1. アダルトゲームのCGワークの多様性 】
美少女ゲームのCGワークの多様性は、原画と着彩の双方の次元で考えることができ、しかもそれらを分類する軸も無数に構想することができる。アダルトゲームの一般的なスタイルの範疇に収まるものの中でも、たとえば、a)人体のプロポーション、b)デフォルメ度合い、c)描線のあり方、d)着彩様式、e)一枚絵の構図、f)立ち絵レイアウト、といった点で様々な相違がある。以下、特徴的な傾向とそれぞれの代表的なクリエイターをごく簡単に概観しておこう。
1) 人体のプロポーション
人体をどのようなバランスで描くかの選択は、アダルトゲームにおいては、キャラクター表現(萌え要素)と性表現(アダルト要素)の双方の趣味嗜好に深く関わるため、きわめて重要である。例えば聖少女、M&M、こもりけい、嘉臥深らは高頭身のマッシヴな骨格を描いているし、その一方で、むにゅう、野々原幹、瑞井鹿央、curaらは低頭身キャラに焦点を当てたタイトルに数多く参加している。
とりわけバストサイズに関しては様々なアプローチがあり、高橋レコード、牛乳戦車、オギン☆バラのように極端に豊満なバストを描くイラストレーターもいれば、河田優(ら~・YOU)、大槍葦人、一河のあのようにスレンダーな体躯の美しさを追求している原画家もいる。
『デモニオン』 (c)2012 astronauts
原画家M&Mの描くキャラクターは総じて頭身が高く、とりわけアダルトシーンの一枚絵においてその厚みのある肉体の魅力が発揮される。目元も引き締まっており、虹彩も意志的であり、さらに唇の厚みや鼻筋もはっきり表現されている。それでもなお、オーキッドピンクの頭髪やパフ(肩)デザイン、そして着彩のスタイルから、アダルトゲームらしさは窺われる。
『デデンデン!』 (c)2013 One-up
このブランドの作品にはバストサイズ98、112、133、145といったキャラクターが多数登場し、左記引用画像の「美幸」もB105である。しかながら、原画オギン☆バラの描くキャラクターは、あどけない表情や楽しげな笑顔を湛えており、その誇張的なバストにもかかわらず美少女ゲームらしい可憐さと愛嬌を保っている。
『まいてつ』 (c)2016 Lose
超低頭身の非人間キャラを売りにしているブランドであり、本作でもヒロインの「ハチロク」(画像の右から二番目)は124cm、その左隣の「れいな」も113cmである。立ち絵のサイズは厳密ではないが、身長差は常に強調されている。原画はcura。
『お兄ちゃん、教えて……』
(c)2015 アンモライト
小柄/低頭身/低年齢に対するアプローチも様々である。このブランドでは一河のあ原画の下、スレンダーヒロインの魅力をアピールしている。設定上は低身長のヒロインだが、立ち絵サイズは大きく表示しているのは、キャラクターの存在感やプレイヤーに対する距離感(親しみ)を重視しているためであろうか。
2) デフォルメの流儀
とりわけ白箱系のキャラクター造形に際しては、オタク文化(萌え文化)全般に通じるスタイルの画風が好まれている。いやむしろ、90年代末から00年代初頭にかけてのアダルトゲーム分野こそは、現代の萌えキャラスタイルの主流的様式の一つを基礎づけた存在である。現在のアダルトゲーム分野においても、人体のプロポーションはともかく、頭部(顔面)の造形に関しては、可愛らしさを強調した特有のデフォルメが支配的である。すなわち、丸々とした頭蓋骨をベースにして、先端まで繊細に描き込まれた頭髪はしばしば非現実的なまでにカラフルな色彩(赤髪や紫髪など)に塗り分けられ、大きくつややかな両目はかなり下寄りに置かれ(頭部の下半分にまで降りていることも稀ではない)、睫毛は目蓋と一体化して黒い縁取りとして描かれ、かぎりなく細い両眉(その微細な差分変化で表情変化を表す)と、かぎりなく小さな鼻梁、そして唇をほとんど描かない小さな口、ストレートな垂直から折れ曲がって顎先へと収束していく頬の輪郭、といった特徴が、多くの作品に共通している。
もちろん、そうした中でも時代毎の流行り廃りがある。例えば頭髪表現に関しては、「エアインテーク」と俗称される誇張的な前髪表現(特にâge)や、頭頂部に跳ねたいわゆる「アホ毛」が人気を博した時期もある。また、頬の描き方に関しては、下頬の柔らかな膨らみを強調する90年代風のいわゆる「ぷに絵」もあった。目の描き方についても、90年代末頃にはみつみ美里風の上広がり下窄まりの大きな虹彩の宝石のような美しさが大きな影響力を持ったが、10年代では丸みのある虹彩の中心にはっきりと瞳孔を描き込むものが増えている(例えば『your diary』[CUBE、2011])。キャラデザに関わるレベルでも、眼鏡、カチューシャ、リボン、ツインテール、ポニーテールなど、外見上のデザインの趣向にも流行り廃りがある。金髪ツインテールも、アダルトゲームがその普及に一役買ったキャラデザ類型である。その一方で、他分野からのアイデア流入もあり、例えば目の中にハートマークを描き込んで歓喜の面持ちを表現する手法は、アダルトゲーム分野では例えば『大帝国』(alicesoft、2011)の頃から始まっているが、おそらくは他分野(アダルトコミック/同人漫画/ネットイラスト)に由来する表現ではないかと思われる(cf. 拙稿「瞳孔表現の変化についてのごく私的なメモ」)。
そうした中で、佐野俊英、望月望、吉澤友章、綾風柳晶、杉菜水姫、市川小紗らのように大人びたキャラデザを得意とする原画家もいれば、その一方で蔓木鋼音、織澤あきふみ、〆鯖コハダ、光姫満太郎、みけおうらのようにいわゆる「萌え絵」風デフォルメの典型的特徴を先鋭化させているスタイルの原画家もいる。
ゲーム原画家の出自乃至本職は、アニメーター(横田守、木村貴宏、竹井正樹、ぷれしゃすている、ぽよよんろっく[渡辺明夫]など)、漫画家(門井亜矢、龍牙翔、和馬村政、唐辛子ひでゆ、紅村かるなど多数)、イラストレーター(駒都えーじ、みやま零、refeiaなど多数)、グラフィッカー(八島タカヒロ、羽鳥ぴよこなど)のように、多岐に亘る。また、キャリアにおいても、他分野から起用された者や、美大や専門学校を出て原画家になった者(例えば山本和枝、MIN-NARAKEN、西E田、ぎん太、日向恭介、恋泉天音は美大/芸大卒とのこと)、同人から転向してきた者など、様々である(――そもそも同人サークルが商業メーカー化するのも、00年代初頭以来の一般的な経路である。例えば、現在のういんどみる[有限会社アレス]の前身はサークルうさぎ倶楽部であるし、AUGUSTのチームはサークル王宮魔法劇団から出発している)。中には、作曲や歌唱も行うさっぽろももこや、本職声優の成瀬未亜のような例すらある。そうした見地からも、参入の敷居が比較的低いアダルトゲーム分野がその画風において豊かな多様性を持っているのは、むしろ当然と言うべきであろう。
『DOOP ADVANCE』
(c)2003 MBS Truth
前節で紹介した画像。頭部を大きく描きすぎず、引き締まった縦長のシルエットに造形する望月望の画風は、アダルトゲームの中では、典型的な萌え絵らしさとは路線の異なるスタイルであり、その中でも最も洗練された成果の一つである。
『殻ノ少女』 (c)2008 Innocent Grey
杉菜水姫は、前作『pianissimo』(2006)の頃から、コミカルな表情デフォルメを急速に減らし、シックな衣装に身を包んだクールな美少女やスタイリッシュな成人男性キャラを好んで描くようになった。それは「ミステリィ」を標榜するブランドのシリアス志向と歩調を合わせたものでもあったが、杉菜はさらに、淡彩の全年齢百合ジャンルへと進出していく。
『白銀のソレイユ』 (c)2007 SkyFish
思い切った角度に身体を反らしているポージング、おおぶりなパフスリーブやリボン、別パーツ化したような前髪の突出、ゴージャスな巻き髪、巨大な眼球、両目の間が大きく離れたヒラメ顔、風船のように膨らんだバストなど、蔓木鋼音の描くキャラクターは二次元イラストの記号的誇張のキュートさに溢れている。
『リヴォルバーガール☆ハンマーレディ』
(c)2012 KAI
小さめの胴体に比して、頭部や手先が非常に大きく描かれており、キラキラと過剰なまでに輝く虹彩や、ロングの金髪がほとんどデザイン的に広がっている様子も含めて、萌え絵風のデフォルメに満ちている。原画は〆鯖コハダ。
『マブラヴ オルタネイティヴ』
(c)2006 age
頭髪がまるで自動車や航空機の吸気口(エアインテーク)を載せているかのように多角形に広がっていたり、ツインテールが重力に反して上向きに尖ったりしている。侵略的異星人との戦争を緻密に描くSFシナリオとのギャップが激しい。
3) 描線の質とその扱い
個人制作のイラストでは、イラストレーター本人が、レイアウトから着彩までの全ての工程を独力で(時には行きつ戻りつしながら)制作するのが通例である。しかし、規模の大きな商業ゲームCG制作は、標準的には「状況設定→ラフ制作(レイアウト/トリミング)→線画クリンナップ(※背景は別途制作されることもある)→パレットに従った着彩」のプロセスで行われる。したがって、原画パートと着彩パートは、工程においても人的担当においても分業化されており、しばしば不可逆的な進行になる。広報レベルではしばしば原画家の名前が大きく扱われるが、CGの最終的な完成度を担保しているのは、むしろ社内のCGチーフであるということも多いようだ。そうした状況下で、原画と着彩の間の関係、例えば原画サイドがどの程度までクリンナップした線画を提供するか、あるいはグラフィックスタッフが原画の描線をどのように扱うかは、完成品のテイストを左右する。
α)原画の描線を強調するタイプ。原画の描線をできるかぎり残して、その繊細なゆらぎとニュアンスを掬い取るようなアプローチもある。例えばLittlewitch(『Quartett!』[2004])、light(『タペストリー』[2009])、feng(『ちいさな彼女の小夜曲』[2013])のように、デリケートな情趣を重視するタイトルで、このアプローチが採用されがちである。00年代に入って、アンチエイリアス技術が十分浸透したことにより、このような繊細なCG表現が可能になっている。
β)原画の線を残しつつCGとしての完成度を上げるタイプ。studio e.go!(『神楽』シリーズ[2003-])、ういんどみる(『ツナガル★バングル』[2007])、May-Be Soft(『遊撃警艦パトベセル』[2007])、PULLTOP(『てとてトライオン!』[2008])などのように、シンプルに整理された線画をブラウンなどの中間色ではっきり残しつつ、全体をカラフルに彩色して、親しみやすさを印象づけるものもある。アダルトゲームの大多数は、このアプローチを基礎としていると言ってよいだろう。非常にクリアな印象を与えるアプローチであり、キャラクター表現の記号的性格にもマッチしている。なかでも、さえき北都、泉まひる、片倉真二らは、非常にくっきりした硬質な描線によって特徴づけられる。その一方、着彩の仕方次第ではたいへん緻密なCGを作り上げることもできる。
γ)入念な彩色の中に原画を溶かし込むタイプ。ORBIT系列(『きると』[2005]、『PARA-SOL』[2010])、Leaf(『ToHeart2 X-RATED』[2005])、ωstar(『美少女万華鏡』シリーズ[2011-])のように、入念な塗り分けの中に原画の線が溶かし込まれている場合もある。色彩設計、多重塗り、グラデーションなど、比較的高度なCGスキルが要求されるが、完成したCGは繊細さと重厚さを併せ持った見応えのあるものになる。灰村キヨタカ原画の『Hotel ergriffen』(maple、2001)や『水都幻想』(wing、2003)は、この路線の最もめざましい成果に属する。
以上の分類はあくまで概括的、観念的なものであり、それほど截然と区分できるものではない。また、ブランド毎に常にいずれかの一つのアプローチだけが使用されるというわけでもない。原画とCG班の組み合わせによって、あるいは作品コンセプトに照らして、あるいは場面ごとの演出効果のために、複数のアプローチを取捨選択して適用したり、あるいは様々なウェイトで融通無碍に混淆したりするのが通例である。
同一の原画家でも作品によってCGのテイストは変化する。一例として大槍葦人の原画参加タイトルを見てみると、メランコリックな雰囲気に終始浸されている『白詰草話』(2002)では、にじみの多いウェットな彩色が施されているが、その次の『Quartett!』(2004)はイタリアを舞台にした軽快なコメディ基調のタイトルであり、原画の軽やかな描線を活かしつつ、明るく薄味の彩色になっている。さらにファンタジー世界ものの『少女魔法学 リトルウィッチロマネスク』(2005)では、前二作の中間のようなスタイルで、原画の線はかなり整理されつつ、塗りも厚みのあるものになっている。学園恋愛ものの『ピリオド』(2007)もそれに近いが、原画の描線がよりいっそう闊達になっており、朗らかな学園ものに相応しい開放的なムードを作り上げている。さらに『シュガーコートフリークス』(2010)では、描線はほぼ均質な太さになっており、彩色面でも標準的なアダルトゲームの流儀とほとんど変わらないものになっている。『英雄*戦姫』(2012)でもCGワークは似たようなものだが、SLGのシンボリックなキャラクター表現に合わせてか、固定立ち絵の輪郭は太く縁取られて、アイコン的性格を強めている。これらの作品毎の変化は、原画家とグラフィッカー双方の十年間の成長でもあるし、また、アダルトゲーム分野全体(またはオタク界全般)の美意識の変遷と影響しあっているところもあると思われるし、その都度の人的/経済的な諸事情にも規定されているが、何よりもまず、個々の作品のコンセプトに合わせた着彩のチューニングとして捉えられるべきだろう。
『Quartett!』 (c)2004 Littlewitch
多様性という観点で、大槍葦人原画作品を取り上げてみよう。左記引用画像では、頭髪の描き込み、顎の下の陰影、衣服の縦縞柄などが、原画の描線を活かすように繊細なグラデーションで彩色されている。上記分類でいえばα)の特徴がはっきり現れていると言える。
『英雄*戦姫』 (c)2012 tenco
同じ原画家による固定立ち絵(差分変化しない)の作品。その記号性、象徴性を際立たせるかのように、キャラクター画像には極太の縁取りが施されている。着彩それ自体は、標準的なアダルトゲームの塗り(上記β)に近づいている。
『白詰草話』 (c)2002 Littlewitch
ここでも大槍原画のアナログな筆触は残されているが、全体としては頭髪の塗り分けや衣服の陰影などは、ほとんど彩色パートに委ねられているかのようである(上記γ)。画面右側のコマの背景も、原画無しのフリーハンドであっさりと描かれている。
『終末の過ごし方』
(c)1999 abogadopowers
終末ものを大袈裟にではなく儚げにミニマルに表現するという企画コンセプトと、短期間制作ゆえの簡素な塗りの組み合わせが奏功して、小池定路原画の柔らかさと構図の美しさを際立たせるものになった。上記α)を参照。
『翠の海』 (c)2011 Cabbit
さえき北都によって精密に描き込まれた原画に対して、グラフィッカーが巧みな色彩表現と正確な質感表現をもって応えている。現代アダルトゲームの正統派的手法のすぐれた成果の一つである。CG統括(「グラフィック監修」)はコバぴょん。
『てとてトライオン!』 (c)2008 PULLTOP
たけやまさみの清潔感のある線画が、完成CGでもくっきりと見える。フラットな彩色が、アニメ作品のような軽みとクリアさを伴いつつ、原画の造形美を最大限に引き出している。上記β)を参照。左手に撮影ブレ表現が加えられているのは、ゲームの一枚絵としては珍しいが、全身の落ち着きぶりを引き立たせるアクセントになっている。
『美少女万華鏡 呪われし伝説の少女』
(c)2011 ωstar
繊細な刺繍の描き込み、ドレスの素材感表現、的確な光源による立体感、等々が相俟って、この吸血鬼ヒロインの魅力と迫力を作り上げている。ここでは原画(八宝備仁)と着彩を区別することは最早ほとんど不可能であろう。上記γ)を参照。
『水都幻想』 (c)2003 wing
油彩を思わせるスタイルの塗りで、背景の建物やモブは大胆に簡略化されている。左の女性の頭髪や服装を見ても、ごく簡単な原画からそのまま着彩されたかのようである。しかし、巧みな色彩設計と画面構成、適切な光源処理によって風景の美しさは十二分に描き出されている。原画は灰村キヨタカ。
4) 着彩
着彩(塗り)単体で取り上げても、アダルトゲームCGには大きな広がりが見出される。ただし、それらを包括的に捉えて体系化するのは困難であり(少なくとも筆者には不可能である)、またいくつかの個性的な作品については後述する(本節2款参照)ので、ここではほんのいくつかの実例を紹介するにとどめておく。
現代のアダルトゲームCGのありように対して最も大きな影響を及ぼしたのは、おそらくF&C系列であろう。主に90年代末から00年代前半にかけて『Piaキャロットへようこそ!!』シリーズ(1996-)や『Canvas』シリーズ(2000-)などのタイトルを多数リリースしたこともあるが、多くの人材を発掘し起用していった功績も大きい。F&Cで業績を上げたイラストレーターやグラフィッカーがアダルトゲーム分野に拡散していったことは、業界全体の底上げにもつながっていただろう(cf. 1章2節)。
F&Cグラフィックの巧みさは、色彩のコントロールの巧みさでもあった。16色や256色の時代を知悉しているメーカーであったからか、闇雲な描き込みに走ることはせず、CG毎の見せどころを的確に把握したディテール付与をおこない、画面がうるさくなりすぎないように色数をコントロールしていた。そうしたバランスの良さは、イベントCGの表現効果を高めることにもつながったし、全体として都会的な洗練とともにあった。それに対してkey、minori、Clochette、AUGUSTのグラフィックワークは、過剰な光源表現、極彩色の背景描き込み、息苦しいクローズアップの構図、空気遠近法の欠如、質感表現の不足、人物塗りと背景塗りのアンバランス、色彩設計の拙さといった欠点によって、残念ながら表面上の豪華さとは裏腹にしばしば野暮ったい画面になっている。
00年代半ば以降のグラフィックワークとして興味深い存在は、FAVORITEとInnocent Greyである。FAVORITEに関しては、すでに旧ブログの記事「FAVORITEブランドの美術設計について」および「FAVORITEブランドのキャラクター着彩について」と「舞台設定における田舎趣味と都会趣味」ですでに何度か論じている。ここではその要旨だけを繰り返しておくと、「一見するときわめてフラットな塗りであるが、すぐれた統一感のある巧みな色彩設計や、画面全体を見据えた繊細精妙なグラデーションといったグラフィック技術によって、非常に印象の強い視覚表現をエレガントに成立させている」と言えるだろう。出世作と目される『ウィズ アニバーサリィー』(2006)から『星空のメモリア』(2009)はこうした美質を発揮してきたし、さらに近年の『いろとりどりのセカイ』(2011)や『アストラエアの白き永遠』(2014)では陰影の濃い背景画像にも注力することで、作品世界によりいっそう重厚な雰囲気をもたらしている。
Innocent Greyも、デビュー作『カルタグラ』(2005)以来一貫して、そのCGワークが高く評価されているブランドである。『カルタグラ』本編中の設定年代は昭和26年、続く『ピアニッシモ』(2006)は昭和11年、『殻ノ少女』(2008)は昭和31年と、レトロ志向の舞台設定を自身の魅力の一つとしており、登場人物たちも時代がかった濃色の和装が多く、背景画像でも上野駅前や弁天堂などを重々しく緻密に描いている。復古的なミステリ志向や杉菜水姫原画の色気もこのブランドの魅力であるが、美少女ゲームとしてはいささか珍しいシチュエーション設定でハイクオリティな背景美術を展開してみせたことも大きい。なお、同じように20世紀前半(大正~昭和初期)の日本を舞台にして趣向を凝らした時代ものとしては、『宵待姫』(ネル、2004)、『エーデルヴァイス』(inspire、2006)、『魔都拳侠傳 マスクド上海』(Liar-soft、2008)、『仏蘭西少女』(PIL、2009)などもあり、それぞれ意欲的な彩色を施している。
原画家本人がCG彩色まで行っている例もある。社内原画家がCG統括を兼ねる場合もあるが、原画家自身が全て(あるいは大半)のCGを塗っている場合もある。キリヤマ太一(CODEPINK)、八宝備仁、瑞井鹿央などが本人塗りを行っているとのことである。キリヤマに関しては、所属ブランドのwebラジオから。八宝備は、「基本はグラフィッカーとタッグでやっていますが、最終的には全部自分で仕上げる体制は変わっていません」とのこと(『クラ☆クラ 八宝備仁アートワークス』コアマガジン、2012年、131頁)。また瑞井も、自ら彩色していることを示唆している(『瑞井鹿央イラストワークス』茜新社、2006年、70頁、78頁)。このように原画家自身が彩色を行い、あるいは最終仕上げを行っている場合には、はっきりした個性を持った統一感のあるCG群を制作することができる。すなわち、原画家自身が、彩色段階のことを念頭に置きながら線画のディテールを調整することができるし、また、当然ながら線画段階での意図を正確に把握して彩色を行うことができるからである。作業量が莫大なものになるため、現代のフルプライス商業作品では、全てのCGの原画制作と彩色を完全に独力で行うことはきわめて難しいが、卓越したイラストレーターの意図が原画彩色の双方で貫徹されるとき、作品は一貫した美意識を備えたものになる。
これらのほか、ゆずソフトのいかにもきめ細やかな素肌表現、softhouse-sealの裸体CGの熱っぽいグラデーション塗り、あるいはWaffle作品の光沢表現の驚くべき輝かしさ、Luxury作品におけるポップな色彩と濃厚な性描写の取り合わせなど、ブランド毎のCGワークの個性を挙げていけばきりが無いだろう。例えば体液表現ひとつをとっても、アトリエかぐややTinkerbellのようにリットル規模で派手に塗りつけるブランドもあれば、ま~まれぇどやminoriのように粘度の高いジェルの滴りをCGで執拗に表現するブランドもある。また、時代を遡れば、撫荒武吉が手掛けた名高い『スタープラチナ』(カスタム、1996)を初めとして、16色時代や256色時代の巧緻なCGも、アダルトゲーム分野が生み出した歴史的財産である。
『Piaキャロットへようこそ!!3』
(c)2001 F&C
原画家4人、一枚絵185枚を投入した、当時のF&Cの代表作。頭髪の上品な塗り分け、虹彩のきれいな艶、デニム生地の質感、涼しさを印象づける木漏れ日表現、白く色を飛ばしている頭上の明るさ、背後の木々のディテールなど、この大作に相応しく見どころの多いCGである。
『星空のメモリア』
(c)2009 CROSSNET / FAVORITE
(図1:)一見すると、ただ原画どおりにフラットに塗られているように見える(実際、同色に見える箇所はほぼ完全にフラットである)。しかし、逆光構図に合わせた的確かつ鮮烈な色彩設計や、画面下側の微細なグラデーションが、CGのクオリティを高めている。CGチーフは氷山あずき。
(図2:)この一枚絵も、塗り分けという観点では極端に簡略化されている。しかし、左上から右下へ掛けてのごく微妙なグラデーションが、画面を単調さから救いつつ、プレイヤーの視線を画面左上(キスシーン)へと自然に誘導し、さらにこの画像全体に上品かつ神秘的な印象を与えることに成功している。
『いろとりどりのセカイ』
(c)2011 FAVORITE
(図1:)このブランドは本作以降、背景美術の水準を飛躍的に高めた。左記画像は、微妙にぼかした彩色によって空気の存在を感じさせ、また、趣のある日陰を豊かに描き込むことで、作中世界を照らしている光をプレイヤーにも強く意識させる。
(図3:)屋内の背景画像も緻密に造形されている。窓枠に当たる夕陽、ガラスを通して壁に当たる輝きの変化、床への照り返し、電灯のディテール、窓外の植物とその影、遠景の風車と夕焼けなどが、アニメ的デフォルメでもなく単純な写実でもない独自の美的空間を作り出している。
『アストラエアの白き永遠』
(c)2014 FAVORITE
(図1:)ごく普通の教室風景も、濃い陰影と鈍い外光の混じり合いを巧みに表現して、冬季の張りつめた空気を伝えてくる。背景画像のありようが、作品世界の基調を形作り、そして作品体験を決定的に規定している。
(図2:)人物部分は、これまでと同様、フラットな着彩と型通りの光源操作で、記号的に処理されている。このことは、空気感と明暗の広がりに満ちた背景との間に、不思議なギャップを生んでいる。
『カルタグラ』 (c)2005 Innocent Grey
(図1:)コンクリート建築の重厚さとそのデザインの堅固なディテールが、CGでリアルに表現されている。2005年当時のアダルトゲーム分野において、本作の背景画像のクオリティは画期的なものであった。
(図2:)真冬の学園の廊下。上記FAVORITEの廊下背景や教室背景と見比べてみると、どちらもきわめて高い水準のCGワークでありながら、入光表現や木の質感表現の仕方、奥行きの表現やレイアウトなどが様々に異なっていることが分かる。
(図3:)遊郭の一風景。本作では、登場人物も大半がリアルな黒髪であり、着衣も色の濃いシックなものばかりである。これらは、美少女ゲームジャンルとしてはむしろ際立った個性として作用している。左記画像のキャラクターは遊女であり、立ち絵の着物の柄や帯の模様が緻密に描き込まれている。
『宵待姫』 (c)2004 ネル
前作『碧ヶ淵』(2004)ともども、原画家瑞井鹿央が、みずから彩色まで引き受けているタイトルである。イベントCGは80枚とやや少なめであるが、線画の扱いなどが、普段のゲームCGではなかなか見られないような興味深いバランスになっている。
『すくみず食べ放題』 (c)2012 Waffle
Waffleのグラフィックワークは、『汁だく』シリーズ(2007-)では入念な液体表現、『なう』シリーズ(とりわけ『ぞく!真希ちゃんとなう。』[2015])ではダイナミックな光源表現を追求している。本作では、濡れた水着の素材感が、真に迫った着彩で表現されている。なお、元画像は1280*720サイズであるが、この引用画像では画面左側をトリミングしてある。
5) 一枚絵の構図選択
一枚絵(イベントCG)をどのようなレイアウトで切るかも、原画家によって、あるいは作品の趣旨に照らして、様々な考慮の下で設計されている。とりわけアダルトシーンの構図選定は、漫画などの隣接諸分野と相互作用しつつ、大量の試行錯誤が重ねられてきた。どのようなポーズ(アダルトシーンの場合は体位)で描くか、どのようなカメラ位置(距離/角度)で描くか、描くべき状況のどの瞬間を切り取って描くか、どのような差分を制作するか。そういった無数の要素を常に念頭に置きつつ、個々の一枚絵は作画されているであろう。
これも、大規模な実証調査と慎重な検討が必要とされる問題であるため、本稿で正面から取り上げることはできない。一例として、アダルトゲームに特徴的な論点として、主観視点構図と客観視点構図の使い分けを指摘しておこう。一般に美術作品では、描かれている画像に対する視点を担保する存在のことは意識されない。しかし、ゲームのメディアにおいては、ユーザーがプレイヤーとしてみずからゲームの生成進行に参加していき、しかも美少女ゲームにおいてはしばしばプレイヤーから主人公に対する「感情移入」が問題とされる。そうした分野的前提の下で、とりわけアダルトシーンにおいては、主人公の視界に擬せられるような構図(主観構図)でのイベントCGは、大いにリアリティを強める効果がある。また、アダルトシーン表現では、しばしば男性主人公をフレームアウトさせる(あるいは少なくとも、過剰に目立たせない)という慣例がある。このことも、主観構図の採用を後押ししていると思われる。
実際、主人公の目からヒロインを見ているかのような構図を好んで採用する原画家がいる(例えばchocochip、のり太など)一方で、アダルトシーンにおいても当事者から距離をとって男女双方を画面に入れるタイプの原画家(例えば☆画野朗、やくりなど)もいる。ただし、構図選定に関しては企画または脚本からの指定がある場合もあるため、原画家のみの次元で一概に論じることはできない(――例えば、いわゆる寝取られものでは、ほぼ自動的に男性キャラクターの身体もフレームインすることになる)。また、大多数の場合は、その場その場の表現意図に応じてダイナミックな主観構図と広がりのある客観構図とが自由に使い分けられている。例えば、ヒロインが上に乗っているシーンや、ヒロインが主人公の局部を舐めるシーンなどでは、主観構図が採用しやすい。逆に主人公がヒロインを後ろから抱きかかえるシーンでは、客観構図でなければ状況が分かりにくいし、またヒロインが四つん這いになっている状況では、ヒロインの表情や胸部を見せるために、ヒロインの正面からの構図になる(そしてその臀部側にいる主人公もフレームインする)だろう。
もう一つ、動作環境の問題もある。基本的にパソコン上で動作することを前提にしているため、アダルトゲームの一枚絵は、ディスプレイサイズに合わせて横長の4:3または16:9のサイズで描かれるのが通例である。人物を描くには縦長キャンバスの方が適しているが、横長画面で制作しなければならないので、鉛直を外して斜めに傾けた構図になりがちである。
『すぽコン!』
(c)2012 アストロノーツ・アリア
(図1:)水着姿のヒロインが男性主人公に対して誘惑的に振る舞っているシーン。ヒロインの視線も明確に主人公の方(=画面のこちら側)を向いている。このようにプレイヤー(≒主人公)の視点に直接向き合っている構図を、仮に「主観構図(主観視点構図)」と呼ぶことができるだろう。
(図2:)それに対して、主人公自身の姿が画面内に登場する場合もある。主人公立ち絵が出現するのはかなり珍しいが、日常シーンの一枚絵では、このように主人公がフレームインすることもある。さらに、アダルトシーンの絡み合いでは、その場面毎の状況に応じて、主観構図と客観構図が融通無碍に使い分けされている。原画は丸新。
『翠の海』 (c)2011 Cabbit
美しい一枚絵であるが、背景の水面は約65度の角度で傾いている。これはかなり極端な例であるが、アダルトPCゲームではこの種の傾斜構図のイベントCGは(ほぼ不可避的に)頻出する。
6) 立ち絵のレイアウト
ゲームCGは、それのみで独立に鑑賞されるものではなく、基本的には、あくまでゲーム表現の一素材であり、あくまでゲーム作品を構成するための存在である。したがって、現に存在するゲームCGを我々が評価する際には、それらがゲーム本編の中でどのように位置づけられているか、どのようにして表示されるかという要素を無視することはできない。稿を改めて慎重に論じるべき大きなテーマであり、部分的には以前の記事群の中で取り上げてきたが、ここでは一例として、立ち絵画像の使い方についていくつかの視点を提供しておくきたい。
α)人数。画面内には、常に一人までしか表示しないというタイトルもあるが、それに対して二人あるいは三人を横に並べて表示するタイトルもある。画面に余裕を取って中央に一人のキャラクターだけを大きく表示すれば、キャラクター(立ち絵)の魅力を最大限強調することができるが、同時に、画面演出に融通が利かなくなるというデメリットもある。現代のアダルトゲームでは2人以上のキャラクターを並べて表示するのが一般的であるが、『ちょこっと☆ばんぱいあ!』(Meteor、2006)、『ピリオド』(Littlewitch、2007)、『あるぺじお』(SIESTA、2007)のように、一人ずつの立ち絵表示にしているタイトルも少数ながら存在する。
β)高さ。作品によって、キャラクター画像を大写しにする胸上(バストアップ)立ち絵もあれば、逆に膝あたりまでを表示するものもある。現代のアダルトゲームでは、立ち絵のポーズ変化を行うのが通常であり、またファッションによる性格表現なども行っているため、太腿の途中あたり(つまりスカートが認識できるあたり)までを立ち絵表示するのが最も一般的であろう。次のγ)で述べるように、立ち絵の空間的配置を行う作品では、足先までの全身立ち絵を活用することになる。しかし、立ち絵のサイズ変化による空間的表現を行っていても、通常の会話シーンでは大きな立ち絵を使うというタイトルもある。例えばぱれっと(『さくらシュトラッセ』[2008]、『ましろ色シンフォニー』[2009]など)やHARUKAZE(『ノラと皇女と野良猫ハート』[2016])。ワイド画面が支配的になるにつれて、立ち絵の位置が低くなる傾向が生じた可能性も考えられる。
γ)サイズとその変化。どのくらいの大きさで立ち絵を表示するか。あるいは、サイズ変化による距離感表現などを行うか。とりわけâge(『マブラヴ』シリーズ[2003-]など)と、すたじお緑茶(『片恋いの月』[2007]、『恋色空模様』[2010]など)は、全身立ち絵のダイナミックな空間的配置と、スクリプトによるそれらの動的操作を積極的に行ってきた(cf. 演出技術論Ⅰ章2節、Ⅲ章1節2款など)。
δ)差分変化。現代のAVGの多くは立ち絵を差分変化させて、ポーズ変化や表情変化を視覚的にも表現する。しかし、立ち絵はキャラクター毎に完全固定画像(一種類のみ)という作品もある。後者の場合は、表情変化はテキストボックスの脇のフェイスウィンドウで顔だけを差分変化させるという対処が多い(――例えば『英雄*戦姫』[tenco、2012]や『Evenicle』[alicesoft、2015]など、SLG作品に多いようである)。
『もしも明日が晴れならば』
(c)2006 ぱれっと
標準的なレイアウトの立ち絵配置。膝上乃至腰下あたりまでの高さにデザインされるのが通例である。立ち絵が一人のみの場合は、通常は中央に表示される。多人数の居合わせている場面では、二人乃至三人まで立ち絵を同時表示するのが一般的である。四人以上の場合は、適宜立ち絵を入れ替える。
『ましろ色シンフォニー』
(c)2009 ぱれっと
複数のキャラクターが居合わせている場面では中サイズ(膝上:左記引用画像の右側のサイズ)の立ち絵を並べ、一対一の会話シーンなどでは大サイズ(腰上:左側の立ち絵サイズ)で表示する。2010年代のアダルトゲームはしばしば、このような柔軟な立ち絵コントロールを行っている。
『恋色空模様 after happiness and extra hearts』 (c)2011 すたじお緑茶
多数の立ち絵を、エンジン側でサイズを適宜変更しながら、背景画像に嵌め込むように空間的に配置していくスタイル。当然ながら、立ち絵素材は全身画像が用意されることになる。
『夏神楽』 (c)2003 studio e.go!
SRPGパートを持つ作品。AVGパートのキャラクター立ち絵は、腰上どころかウエスト上で大きく表示される。山本和枝原画の魅力を最大限活かすための画面構成だと考えられるが、これはアダルトゲーム分野の中でもきわめて珍しく、studio e.go!自身も他の作品ではこれほど極端なレイアウトにはしていない。
『ピリオド』 (c)2007 Littlewitch
キャラクター立ち絵は非常に大きなサイズで設計されている。大槍葦人原画のディテールをよく見せるためにこのスタイルが選択されたのか。それとも、単一立ち絵システムのおかげで画面横幅に余裕が出来て、キャラデザやポージングの自由度が高められたと見るべきか。
『水平線まで何マイル?』
(c)2008 ABHAR
テキスト表示形態を含めた画面構成上の要請から、立ち絵は画面左側に一人のみ表示される。ワイド画面対応の比較的初期の作品でもあり、立ち絵は腰上サイズで大きく表示される。
『すぽコン!』
(c)2012 アストロノーツ・アリア
2010年代に入ると、アダルトゲームでもワイド画面(16:9比)が優勢になっている。そうした中で、丸新やピロ水は4:3レイアウトの可能性を追求し続けている。本作では、運動系部活ものに相応しく、ヒロインのスポーティーな全身(膝上)のプロポーションが立ち絵でも堂々と披露される。
『女装山脈』 (c)2011 脳内彼女
この作品でも、ヒロインの立ち絵は膝上まで表示される。これはまさに、「男の娘(女装した男性)ヒロイン」という作品コンセプトに対応した画面設計であろう。ヒロインたちの立ち絵は胴体が長く、よく見ると肩幅もがっしりしている。このような男性的なプロポーションをはっきり認識させるのが、この膝上立ち絵のレイアウトである。
『魔王のくせに生イキだっ!』
(c)2012 Luxury
本作では、キャラクター立ち絵は、左右に向き合う形で配置される。このような対向レイアウトを適切に表現するために、画面構成上の要請に基づき、立ち絵も斜め向きの角度で制作されている。
『Evenicle』 (c)2015 alicesoft
全身立ち絵は固定位置で、原則として差分変化しない(特定装備などで変化することはある)。フキダシ状にデザインされたテキストボックスの左側にフェイスウィンドウがあり、ここで笑み、驚き、怒りなどの表情変化が賄われている。
7) 人物と背景
これまで見てきたように、アダルトゲームの通常画面は、「人物画像(キャラクター立ち絵)+背景画像」のモンタージュ的組み合わせによって構成されるのが通例である。アダルトゲームはキャラクターコンテンツとしての性質を色濃く帯びているジャンルであり、したがって画面構成上も、人物部分をできるだけ際立たせるように、人物部分と背景部分は異なったスタイルで着彩されることが多い。また、工程上も、しばしば人物部分の作画及び着彩と背景部分のそれとは、それぞれ別の担当者(しばしば外注)に分業化されている。とりわけ00年代前半以降、アダルトゲームの背景美術はひたすら高品質化の道を辿ってきている。ただしそれは必ずしもキャラクター作画と歩調を合わせた発展ではなく、現在でも、大手ブランドによる過度に華美な背景美術が、デフォルメされた人物部分との間で様式的不整合を露呈する場面も生じている。また、街中風景であっても、背景部分にはモブキャラクターは一切描かれないという場合も少なくない。
AVGの通常画面は、おおまかに主人公の視界に近いレイアウトで作られていることが多い。すなわち、背景画像は、一般的な成人男性のアイレベルに近い高さ(地面から165~175cm程度)、またはヒロインを水平に見られるような高さ(150cm前後)で、正面をまっすぐ見通した構図で制作されていることが多い。また、人物画像も、上下左右の極端なアングルは付けず、たいていは正面向きで、一般的な対面状況で視野に入る範囲、すなわちバストアップ(胸上)からウエストアップ(腰上)で表示されることが多い。
たしかに、選択肢行動等によって主人公キャラクターを操作しつつ作中キャラクターとの架空恋愛物語を楽しむという(とりわけ白箱系の)ゲーム目的に鑑みれば、ゲーム画面を主人公自身の視界の(擬似)写実的再現として捉えるのは、いかにも自然な捉え方にみえる。しかしながら、現実に存在するゲーム画面の多様性は、そのような硬直的な見方ではカヴァーしきれない。
例えば、背景画面が画面全体に広がっていない非全画面背景スタイルのタイトルでは、背景画像はカットイン的性格を帯び、それとともに人物画像もしばしば抽象的/記号的な存在表現として捉えられるだろう(実例については拙稿「非全画面の背景画像」を参照)。また、立ち絵が画面中央には表示されず、左または右にずらした位置に表示されるタイトルもある(拙稿「立ち絵の左右ずらし表示」を参照)。これは、真正面に人物画像を置く平板さを避けるという審美的理由であったり(例えば『アトラク=ナクア』[alicesoft、1997])、あるいは縦書きテキスト表示との兼ね合いでの位置調整であったりする(実例は『果てしなく青い、この空の下で…。』[TOPCAT、2000]、『霞外籠逗留記』[raiL-soft、2008]、『水平線まで何マイル?』など。演出技術論Ⅳ-4-3-αも参照)。 ういんどみる、すたじお緑茶、ageのように、「全身立ち絵を様々なサイズに変化させ」、「背面立ち絵をも使用し」、「人物画像を背景画像の外観に合わせた位置に配置する」という手法で、ゲーム画面の奥行きを擬似的に表現するアプローチを採っている場合ですら、視界写実性では説明できないような画面がしばしば発生する。それどころか、主人公自身の立ち絵が画面内に登場することも稀ではない。次節で紹介する『Forest』や『LEVEL JUSTICE』(ソフトハウスキャラ、2003)のように、主人公のアイレベルとはまったく異なるアングルでゲーム画面が作られているタイトルも存在するし、そもそも主人公としての視点の特権性を持つキャラクターが存在しないタイトルもある。同様に一枚絵に関しても、視界写実性テーゼはまったく維持できない(本節第5項を参照)。
いずれにせよ、人物画像と背景画像の関係は、画風の次元でも、彩色の次元でも、レイアウトの次元でも、そして「ゲームの画面とは何であるか」という問に対しても、非常に興味深い多くの論点を提供している。
レイアウトの観点については、本章2節1項であらためて詳述する。また、「背面立ち絵、そのほか」、「AVGの画面構成と立ち絵の位置表示について」、そして演出技術論の各所も、併せて参照されたし。
『痕』 (c)1996 Leaf
16色時代の作品。背景部分はモノクロ画像であり、カラーの人物画像をよりいっそう鮮やかなものに見せている。ちなみに、SFCソフトの『かまいたちの夜』(チュンソフト、1994)は、これとは逆にカラー背景+単色人物(透過影絵)のスタイルを採っていた。
『Festa!!』 (c)2006 Lass
駅前や商店街のような、多くの人々が行き交っている筈のロケーションでも、背景画像にモブを描かないという作品も多い。これは、人物立ち絵との画風のギャップを避けるためかもしれないし、背景画像の汎用的性格に即したものだと見ることもでき、あるいはゲーム画面は記号的象徴的なモンタージュであるからだと考えることもできる。
『恋する夏のラストリゾート』
(c)2014 PULLTOP LATTE
日中/夕方/夜間の時刻変化を表現するように、背景画像は作り分けられており、またそれに対応するようにキャラクター立ち絵も、時刻毎に色調を変える差分変化を行う。拙稿「田舎と都会」も参照。
『プリズム・アーク』
(c)2006 pajamas soft
このブランドは、早い時期から背景制作に3Dモデリングを導入してきた。この精細な背景美術と、大野哲也の描くスタイリッシュなキャラクター画像との間の、明晰なコントラストと不思議な調和は、00年代半ばのアダルトゲーム表現空間の最も輝かしい洗練の一つである。
『蒼海のヴァルキュリア』
(c)2009 Anastasia
00年代半ば以降、背景画像はいよいよ緻密に描き込まれている。たしかにその密度と迫真性は、作中世界に対して説得力と魅力を提供しているが、萌え絵スタイルのキャラクター画像との間に落差を生じてしまう危険をも高めている。
小括
さて、ここまででひとまず、アダルトゲーム分野における美術設計の多様性について、駆け足に概観してきた。a)立ち絵のプロポーションデザインは、この分野に特有のキャラ萌え要素と性表現要素の双方に深く関わるかたちで行われている。b)様式化したデフォルメも、萌え文化やコメディ表現の要請によって、強力に普及してきた。c)原画パートと着彩パートの分業体制は、衝突や停滞を生むのではなく、むしろその都度の作品コンセプトに合わせて柔軟に美術的様式を選択乃至調整できるようにするメカニズムとして有効に作用してきた。d)着彩それ自体をみても、背景美術の長足の発達や、フェティッシュな表現の発信地として、様々な有益な刺激をもたらしてきた。さらに、e)一枚絵の構図選択は、場面毎の表現効果のために様々なアプローチが試みられているし、f)立ち絵のレイアウトも、その都度の作品コンセプトとの間にしばしば密接な関係を持ってその都度意識的に(再)設計されている。アダルトゲームにおけるCGワークの多様性は、アダルトゲームの視覚表現の多様性でもあり、アダルトゲーム分野が開拓してきた視覚表現技法の豊かさでもあり、そしてアダルトゲーム分野全体が持つ多様性の反映でもある。
次ページ(4章2節)に続く。