2015年2月の雑記。(→3月/1月)
02/28(Sat)
丸二日で主要な部分はクリアした(ほぼ全てのED到達&全てのレシピ開発)。
まだいろいろと、することはあるが。
[ bug-system.com/ ]
「バグシステムって何だよ、地雷ソフトの系列か何かかよ!」と心中ツッコミを入れたが、検索してみたら、脚本の丸山氏は本当に地雷ソフトでいろいろされていた方だった。『終奏』の方は買ってないが。背景画像の目が怖いけど、丸新氏の原画なので、買う心づもりでいよう。
似たような方向性では、LAZYCREWというブランドもあった。
[ www.lumpofsugar.co.jp/product/rensou/character/character001.html ]
夏峰氏主演なので買います。
倉田氏は、私の個人的な聴取体験としては、なによりもまず「まひるちんの相方」だったけど、『ピリオド』や『プリミティブ リンク』や『オト☆プリ』や『あかときっ!』で、本当に明るく楽しげなキャラクターを演じておられた。また、『花と乙女に祝福を』や『終わりなき空 永遠なる音律』でも、面白い役を演じられていた。その200本近い出演作を、私自身はあまりプレイしていなかったが、こうして振り返ってみると、このひとまずの区切りとしてはやはり、感謝の言葉しか出てこない。
「大波が瞬間凍結」という話で、「ピリらじ」のプレ放送を思い出した。
大「ラフ画集に、設定書いてないですね、あはは」
ま「一年生じゃない!」
大「一年生でした、あはは………………」
ま「大丈夫? 大丈夫こなみちゃん、固まってきたわよ?」
(凍結の意味が違う)
シナリオが、というかドラマが無きに等しいな……。主人公も、自分からは何もしていないし。
At:いちゃいちゃしていたら、嫉妬するようになりました。
Sa:ヒロインが窮状に陥る→向こうから抱かれに来て、いちゃいちゃしました。
Mf:ヒロインが一人で煩悶→向こうから抱かれに来て、妙な形でいちゃいちゃしました。
Ky:ヒロインが一人で煩悶→向こうから抱かれに来て、いちゃいちゃして解決しました。
Km:発情期を鎮めて、いちゃいちゃしました。
Ra:返り討ちにして、いちゃいちゃしました。
Ma:店員にして、いちゃいちゃしました。
……やまなし、おちなし、いちゃいちゃ。外面的なドラマではなくヒロインの心理的解決(家庭的背景や職業的アイデンティティ)を重んじている、と言うこともできるが、たぶんそういう次元ではない。一枚絵に関しても、マゥさん(販売)やクムさん(料理)の一枚絵が定期的に出てくるおかげでそれなりに密度感があるものの、複数ヒロインのいる日常イベントの一枚絵も「交流会」(ただしヒロインは遠景)と「料理大会」だけだし。しかも、『ブラウン通り』では季節イベントが豊富だったのに今作では皆無だし。もったいない。
『エンジェルゲーム(Angel Game)』のタイトルロゴが『THE GOD OF DEATH』のそれに煮ているような気がしたが、見比べてみたら全然違っていた。どちらもごつごつした縦長の英字フォント(前者は髭文字、後者は独自?)で赤黒基調の配色というだけの類似だった。
02/26(Thu)
[tw: 570049451961634817 ]
おお、なんだか「やすらぎの館」(藤子F)を連想させられる。
[tw: 569889410545688577 ]
えっ、そうなの? くつしたなの? 九九なの? らくがきお面なの?
残念ながら、ブルゥマーの魅力は、私にはまったく分からない。何が良いのか、どこが良いのか、もはや「頭で理解する」というレベルですら、意味が分からない。まず現実的にいえば、「健康的」というイメージはそれなりに分かるし、衝撃保護や防寒の面では効用もあったかと思うのだが、シルエットも色合いも野暮ったいし、ちっとも良いものとは思えない。汗蒸れなどのマイナスイメージもあるし、ブxセxのおかげで卑俗かつ下品なイメージもある。そして、フィクション等における表現上のそれに関してもやはり、デザイン上も機能上もアドヴァンテージが見出せない。質感表現の点でも明らかに不利だろうし。
現実の学校でも、90年代のうちに全国的に消滅していったようなので、2015年現在で20代半ばくらいまでの世代(1990年生まれ以降)はそもそも実物を見聞乃至着用したことが無いということになるし、したがって、経験(学習)に基づくフェティシズム喚起ということも――フィクション等における再生産がなければ――無くなっているということだ。
そしてオタク/フェチ分野の中でも、年長世代のブルマ拘泥をまったく顧慮しなかったり、あるいはそれを煩わしく思ったりする若年層は、いよいよ増えていくのではなかろうか……というか、そうしてとっとと淘汰されてほしいと願っている。もちろん、一つの趣味嗜好の絶滅をそれ自体として願うつもりは無いし、それらを好む人たちを憎んでいるわけでもないのだが、私個人が享受できる表現物の嵩には限りがあるので、その有限なリソースの取り合いの問題として捉えるかぎり、私がそれを目にする頻度が落ちて、別の(特定の何かを好んだり推奨したりするわけではないが)なにかもう少しましなものに置き換えられていってくれる方がありがたい。
とはいえ私も、たとえば「眼鏡キャラやポニテキャラや褐色肌キャラやケモキャラの魅力を他人が理解できるように――そのような深度で――説明(説得)してみよ」と言われたとしても、やり通せる自信はまったく無いし、趣味嗜好の選択は多分にそのような個人的主観的なものだということは分かっているのだが。
『下級生2』の声優は非公開だったかと……あ、アニメ版はそういうキャスティングなのか!
『花嫁と魔王』は、見せつけ天国、公然行為天国なのだよね……。
02/25(Wed)
今回の非全画面背景の記事。私が何年もずっと考え続けてきた「AVGの文体論」(個別作品の表現様式の検討)が、ようやく曲がりなりにも具体的な形を取れそうだという手応えがある。演出技術論の頃から、演出の問題は様式選択の問題だということもくりかえし述べてきた。今回は、「帯」という具体的要素を手掛かりにすることができたので、(相変わらず印象論依存の傾向はあるとはいえ)わりと良い感じで書けている。最後まで丁寧に書ききろう。
ちなみに、第二回「青山ゆかり祭」開催地にすることもできたのだが、今回はそういう邪念は捨てよう。『LJ』『めぐひら』『朱』『MD』『IL』『あるぺじお』『姫狩り』に出演されているので、うまくすれば最大7キャラを出すことができたのだが……。(未練)
Terralunarの視聴覚演出について、まとまった形で紹介したことは、まだ無かったのだっけ。実写、SD、カットイン、着彩変化、スクロール、擬音文字表示、タイポグラフィ、多重音声、等々、あまりにも多岐に亘るので、整理して説明することは難しいのだけど。
それにしても、ほんの一つのキャプションを書くのに、ほとんどゲーム全体のレヴューを一つ書くのに等しいくらいの精神力を使うな……。知性と感性を十分に活性化させておかなければ問題の急所に手が届かない。しかも、このままのペースだと、1万字オーバーの規模になってしまう。
というわけで、「非-全画面背景」記事はようやく完成。カウントしてみたら18000字弱だった。
登場した男性キャラクターは、2ページで1+8=9人。有島さん、かっこいい。
ちなみに――画面レイアウトの話をしているから、というわけでもないけれど――各セクションは、縦900ディスプレイのfirefox最大表示でぴったり一画面内(まで)に収まるようにしている。つまり、スクロールしなくても、それぞれ引用画像とテキストの全体を一望できるような形にしている。実際には、『MERI+DIA』あたりはぎりぎりだし、閲覧環境によっては意味を成さない話だが、ひそかな自己満足として。
和葉氏は『闇の声II』(2002)がデビュー作のようなので、キャリアはかなり長い(ベテランと呼ぶのに不足は無い)のだが、残念ながら出演作をほとんどプレイしていない。
西口有香氏と西沢広香氏を(アイデンティティをではなく、単純にお名前を)なんとなく混同しかけていた。どちらも、美少女ゲームやその移植タイトルに出演歴のある方で、PS2版『あかね色』ではわずかながら共演もされていたようだ。さすがに井口裕香氏やいのくちゆか氏までは間違えないけれど。
たしかにchoco-chip氏は、開いた口の中の「舌」をしっかり描かれる。白い歯も、わりと頻繁に見える。大多数の美少女キャラ絵は、上唇部分はほとんど直線一本に簡略化されていて、唇の厚みも描かれないし、その背後にある筈の歯列も滅多に描かれない(――ただし、八重歯のみは例外だが)。口内の舌も、一般的な萌えキャラ画像では、具体的な立体感や質感をもって描かれることは少なく、たいていは記号化された単純な曲線の塗り分けだけで処理されている。
そういえば山本氏も、小さく開いた口の中を、赤系の色ではなく白で塗っておられることがある。これも、おそらく白い歯を見せているという扱いなのだろう。このような、白い歯を見せる笑いは、山本氏以外のイラストレーターも時折描いているが。
……という話を、実例を挙げて紹介してみたいのだけど、これだとどうしても18禁CGばかりになってしまうのが困りもの。
02/24(Tue)
はあ……クムさんと仲睦まじく暮らしたい……。萌花ちょこヴォイスというのも素晴らしい。
SHCでの萌花ちょこ氏は、『BB』シリーズのメリル役に続く褐色肌キャラ担当か。ひたすら嬉しい。褐色肌というと『BB3』のタマガもいて、そしてその声優――渋谷氏――つながりで、『王賊』のネイ(獣人族)もたいへん魅力的だった。
『MapleColors』新作か!と喜び勇んで公式サイトを見に行ったけど、前2作からずいぶん趣を転じてきた模様。とりあえず期待して待とう。(ところで、ヒロインたちの名前から、なんとなく実在のPCゲーム声優さんたちを連想してしまうのは私だけだろうか。如月某さんとか、羽●空さんとか、比留●さんとか、他にも……。)
『朱』はSSを撮っていなかった。どうしたものか。画面レイアウトとしてはあまり上手く行っていないと思ったが、たしか話者表示の無い――つまり、限りなく字幕風の――スタイルが特徴的ではあったので、なんらかの形で紹介しておきたい。一番良いのはパッケージを取り出してくることだが……どこにあったかなあ。
『朱』のディスクを発見。インストールして、まあ、冒頭だけプレイしてSSを撮ればよかろう。
今回の非全画面背景の記事、上手くするといわゆる「男祭」にすることも出来るな……いやしかし、不必要なアップロードは差し控えて、既存掲載画像の再利用で賄えるものは再掲で済ませることにして、できる範囲で男性キャラSSを使うことにしよう。全画像に男性(美男子)キャラがいるようにSSを選別して持ってくることも、もちろん可能なのだが、そこまでするものでもないし……。
それと、キャプションを大量に書いて画像の横から溢れた時にどうなるかを試してみたが、うーん、これでは不格好かもしれない。もっとレイアウトとテキスト分量の自由度を高めたいのだけど、なんとかならないかなあ。
『Imitation Lover』は再プレイしたくなる。脚本としてはそんなでもないのだけど、泉氏の絵はたいへん良いものだし、一ノ瀬響は青山氏の演じた魅力的なヒロインたちの中でもトップクラスのキャラクターなので(――少なくとも私の中では、確かにそうなので)。
うぐぅ。疲れたので、非全画面背景記事の続きは明日にしよう。
キャプションテキストから逆L字型にテキストを伸ばしていくべきか。それとも画像部分と解説テキストを完全に分離してしまう方が良いか。逆L字型にすると、引用画像の右側も充填されるし、テキストと画像の距離が縮まるというメリットがある。ただし、見た目があまりきれいではない(かもしれない。とりわけテキスト量が中途半端になった場合には)。他方で、両者を切り分けてしまうと、無駄なスペースが空いてしまうし、画像とテキストが上下に分離してしまう。ただし、テキスト単体としては、読みやすくなるだろう。
02/22(Sun)
田島優さんのフリートーク、短いけど楽しい! 「私は、対魔師の役をやった!」
新記事:「非全画面の背景画像」
暫定的な展望整理と、個別事例の(普段よりももうちょっと詳細な)検討をするつもり。
声優さん(に対する評価)に外見は関係ないというのは確かだけど、しかし、ご本人のブログを訪れてみたら眼鏡っこさん姿の写真があったので今まで以上に好印象を持つようになったということがあってもいいじゃないか良いじゃないか実に良いことじゃないか。
ちなみに、人によるしデザインにもよるけど、眼鏡を掛けた方が若やいで見える(あるいは若めの服装がうまくマッチするようになる)ということはあるので、眼鏡着用はできるだけ積極的におすすめしていきたい。(誰にだ)
春休みに入ってからあやうく昼夜逆転しかけていたのだが、無事に朝一でゴミ出しすることができたので、安心して寝ることにしよう。
わりとどうでもいい覚書集:「blggrについての雑感」
バトミントン、アボガド、シュミレーション……。
「透明+枠無し」の現代風テキストボックスは、話者顔窓表現との相性が悪いと思う。なんでもない空間に、話者フェイスだけがいきなり生えているように見えるので。縁取りの無い透過テキストボックスにするのだったら、話者顔窓やコマンドボタンなどの余計なものを極力排してシンプルにする――その究極的な形態は字幕型だろう――のが筋だし、他方で話者フェイスを使うなら、それを表示してもおかしくないように、その周囲はきちんと枠で囲っておく(そして枠それ自体にもきちんと装飾を施しておく)べきだろう。最近では「透過(透明)+枠無しテキストボックス+話者顔表示」というのも多いのだが、個人的には、それらは無策あるいは無思慮な設計だと思う。典型的なのは戯画あたりだろうか。
同様に、基本的にキャラクター立ち絵を一つしか表示しないのに、わざわざ話者顔窓を出す(しかも表情差分変化も立ち絵と顔窓で一致させている)というのも、無駄でしかないだろう。テキスト表示領域のすぐ近くに顔窓が置かれていることで、あまり視線移動をしなくても楽に読み進められるようになるというのは、メリットといえばメリットだが、それで肝心の立ち絵が顧みられなくなるとしたら、本末転倒だろうし。
そういえば、『OV』で、立ち絵よりも話者顔窓の方が縮尺が大きかったのは、いったいどういう考えでそうしたのだろうか。2014年の作品なので、もちろん立ち絵も十分大きなサイズなのだが、話者顔窓の方はそれに輪を掛けて大きくて、縦のサイズがテキストボックスの2倍ほどの大きさで、テキストボックスを突き抜けて表示されていた。まあ、表情変化がよりいっそう分かりやすくなったという効用はあるし、顔窓が大きくてはいけないという理由も無いのだが、どうも釈然としない。
「クロノクロック」って、駄洒落レベルだよね……。買うつもりだけど。
こぶいち氏について:「美少女描きのスキルと擬人化のテクニック」
べっ、べつに、こぶいち氏の褐色肌キャラに狂喜乱舞したとかじゃ、ないんだからねっ!
なんだかタイトルが『プロ倫』みたいになったけど、まあいいか。
お○○ごぅる氏、『聖騎士ML』に参加されているのか。
しかし、『銃騎士』のディスクを送ったら云々というのは、筋違いじゃないのかね。まともな商品としての水準に達していないというのなら回収&返金するという対処しかあり得ない筈だし、『銃騎士』購入者へのサービスなのだとしても、『聖騎士』を手に入れるために『銃騎士』ディスクの方を手放さなければならないというのは理屈に合わない。というのは、双方は「交換」が成立するような関係ではない筈だし、『銃騎士』購入を証明させるだけならアンケート葉書でも何でもいい筈なのにあえてディスク本体を要求するという対応はかなり異様に映る(――要するに、正式な回収返金以外の形で体良く『銃騎士』を市場から取り戻したいんじゃないのかという疑念がある)。
わりと良い感じの文章を書いておられるブログさんを見つけたのだけど、記事一覧も何も無くて、ただべったりとログが日付順に並んでいるだけという残念な仕様だったので、涙を飲んでタブを閉じた。おそらくは情報提供を意図したブログではなく、単なる個人的な備忘録的なものとして使っておられるのだろうけど、閲覧者側としてはなんとかしてほしいよ……。一応、検索窓は用意されていたけど、どのような記事があるのか無いのかすら分からないのでは、使いようがないし。
登場人物たちの個性がきちんと確立されて、ちゃんと「生きた」動きをしていてくれさえすれば、あとはもう、彼等がどんなことをしていたって、ただ見ているだけで楽しいよね。強引にギャグ展開を挟んだりしなくたっていいんだ。
話者欄遊び、面白いなあ。
02/20(Fri)
第2話の今週は丸呑み(しかもギャグ)で来たか……それでいいのか?(笑)
格ゲーで、女性キャラとして初めて魅力的だと思ったのは、あー、えーと、バイスさんでした。
なんといかにも中学生メンタリティ真っ盛りの当時であったことよ。
それに続いてアーケードのGGXも来たのだが、その頃すでにオタクとして目覚めかけていたにもかかわらず、「ふっ不謹慎よっ! こんなあざといキャラたち、私は絶対に認めませんからねっ」という態度をとっていたと記憶する。今でも、キャラとしては別にそんなでもない。
新記事:「音声台詞による特殊な演出」
これまでのSSの再掲や過去記事への言及だけでずいぶん賄えるようになっ(てしまっ)た。
寝取られものが良いのは、そういうシーンで男性側の身体を無理矢理フレームアウトさせるようなことが無い――実際にはむしろ積極的にフレームインさせている――という点にある。そのおかげで、一枚絵には、よりいっそうの自由度が生まれ、あるいは絵として安心感のあるものになり、あるいは人体の絡み合いがしっかり描かれることになる。
webラジオを聴いていたら遅い時間になってしまった。……たまにはいいか。
もちろん昔の作品も良いし、よくプレイしているが、最近の作品の方が、なんというか、「手が伸びやすい」。環境面(OS面)でほぼ確実に動作するという安心感もあるし、予断に惑わされにくい(素直にプレイし始められる)というのもあるが、やはり10年代半ばのセンスで生きている私には10年代の作品が最もフィットしやすい。00年代半ば頃のタイトル(つまり十年前ということだが)では、「あれ、ここでああせず、そちらに行くのか」「こんな構図もCGもあったのか」といった驚きが――ポジにもネガにも――かなり多い。
[ www.a-kaguya.com/products_bb/chupet/chara__syuri_seihuku.html ]
「ななつき」でこそないものの、「なつきしゅり」という人物(ゲーム原画家)が実在するのですが。
不幸な偶然と言うべきだろうか。
「構造論としての統辞論と、価値論としての美学論を、媒体論乃至機能論としてのシステム論の中で結びつけることができれば」というのが、現時点での、演出論と名乗ってきたものを分解した綱領的目標。結局のところ、最初からずっと私は――オタクとしての私も――システムの話ばかりをしている。例えば「黙説」記事も、単なる言語的修辞の話ではなく、システマティックな拡張的表現の議論として読まれたかった。(どろどろ)
ウイルスバスターを入れているが、美少女ゲームが誤判定で削除されたことはほとんど無い。記憶ではpajamas softとASa Projectのゲームがそれぞれ1回ずつ引っかかった(実行ファイルを強制削除された)ことがあるが、もちろん復旧させてそのままプレイした。ゲームの動作を阻害するほど重くなることも無い。アンチウィルスソフトとしての性能は判断のしようが無いし、またFWの仕様が少々特殊であるらしいが、とりあえず「ゲームを邪魔しない」という観点では満足のいく選択肢になっている。昔はNORTONを使っていたが、ウィルスセキュリティ目的というよりは、削除乃至上書きされたデータ(セーブデータとか)を復旧させるのにずいぶん重宝していた。
02/17(Tue)
『1/7の魔法使い』(2015/01)と『紙の上の魔法使い』(2014/12)を、頭の中で混同しかけていた、というかそもそもきちんと識別していなかった。どちらも買っていないのだが。そして、しかも、この二作以外には「~の魔法使い」というタイトルは無いようだ。なんという(不幸な)偶然。
【 美少女ゲームと料理 】
『悪魔娘』『なついろレシピ』は、漫画/アニメで料理ものや美食ものが好評を博していることを受けての企画と思われるが、これら以前に料理ネタがメインの作品があっただろうかと考えてみると、そういえば喫茶店/ケーキ屋/レストランものが多数存在するのだった。そうしたタイトルでは、たいてい料理人ヒロインも存在し、厨房でのシーンも当然存在する。それなりにしっかりしたケーキ描写のある古典的タイトルとして、『パティシエなにゃんこ』(2003)がある。作る側ではなく食べる側を、つまり美食ネタを明示しているタイトルは、『美喰』(※未プレイ)が典型的だろうか? ちなみに『雪影』『カルタグラ』『SinsAbel』『3days』『霞外籠』『ク・リトル・リトル』などでは、人類最大のタブー食材――つまり同族――を口にするシーンがある。
SLG作品の中で具体的な料理開発やメニュー表現のあるタイトルとしては、『ブラウン通り』は商品開発で新メニューを作れる。飲食系メニューは計96種あり、そのうち58種が開発可能メニュー。もちろんそれぞれに専用画像(アイテムチップ画像)がある。同様に、『2度咲き! タルトレット』はケーキ開発+経営SLGだった。紅茶でヒロイン調教するという、『魔法のミルクティーにお願い』なる面妖なSLG(調教AVG)作品もあったようだ。アクションRPGの『D+VINE[LUV]』にも、寿司などの飲食物アイテム(回復用消耗品。たまに毒も)が多数登場した。
具体的な料理CGが多数用意されているタイトルというと、おそらく――これまたソフトハウスキャラの――『DAISOUNAN』『雪鬼屋』が双璧。まさに「必要なのはわかるが、そこまで沢山作る理由がわからない」。テキストを読むかぎりでは、脚本兼企画の内藤氏が料理に詳しいという気配は感じられないのだが、案外、美食家だったりするのだろうか。
うきゃきゃきゃ。(萌えている)
言葉もなく陶然となる種類の感興もあれば、狂騒的に叫びたくなる種類の感興もある。
ん……? この声は、緋乃とおこ氏って……みすみ氏じゃないか! よし、買う、買った!
(もとより田島さんも出演されているのだが、これで買うべき理由が180%になった。)
というわけで新記事:「みすみ氏について」
02/16(Mon)
『恋春』は、壁埋め(壁を貫通して人体が埋まるシーン)の一枚絵があるんだよね……。わりとしよーもないバカゲー(つまり優秀なバカゲー)らしいのだけど、EGScapeでちらりと視界に入った、ASa Proのような雰囲気だというコメントがいささか懸念材料。
【 小説家出身のゲーム脚本家 】
小説家出身の(美少女)ゲーム脚本家って、どなたがいたっけ……。ライター仕事以前に小説での単著業績のあった方だと、水無神氏(『装甲戦闘猟兵の哀歌』)や三宅章介氏(『黒魔法ラブラブ大作戦!』)は、オリジナルのLN(とPBM)の実績があって美少女ゲームに来ている。桑島氏も、wkpdによれば商業デビューは小説だったようだ。たかなみ氏や木村航氏のように、ゲーム原作のノヴェライズから出発してゲーム脚本も手掛けているという方もいる。『精霊天翔』(と『塵骸魔京』もそうだったようだ)の海法氏も多分野で活躍しているが、ただしそれぞれの発売時期がどうなっているのかは分からない。桜庭氏や竹宮氏は、ゲームと小説のデビューがほぼ同時期なので、小説家出身と呼ぶにはちょっと微妙なところがある。『ANGEL CORE』の井上氏も、ちょっと違うか。やはり、最大のビッグネームはあかほり氏(『らいむ色』)だろう。逆に、ゲームライターからアニメ脚本家やLN作家に仕事を広げた(あるいは移住していった)クリエイターは多数に及ぶ。LNへの進出として注目を集めた最初期の例は、ヤマグチ氏だろうか。
このような点を考えると、90年代から00年代に伸張していた(と言ってよいだろうか)頃の美少女ゲームは、人材の点でも――つまりその年齢、世代、背景等に関して――非常に若々しい分野だったのだろう。他分野からの人材流入としては、小説よりも、なんらかの形でゲームの素養のある人たち、すなわち同人(特に二次創作同人小説、いわゆるSS)とPBMの出身者が、様々な形で斯界に刺激を与え、あるいは業界を牽引してきたように思われる。00年代前半までは、フラグ管理やCG指定といった小説とは異なる技術(しかも共同作業)が要求されることが、小説家たちを(あるいは小説家たちから)遠ざけていたのかもしれない。そして00年代前半以降、分岐管理の負担が減少していった時期には、画面演出への要求も高まっており、また他分野から供給せずとも美少女ゲーム分野の中に十分な人材が存在するようになっていただろう。
02/13(Fri)
昨日の記事。見直していたら、「あれ……これ、水鼠氏じゃなくて了藤氏なんじゃ……」という気がしてきた。なんという節穴。クレジットの順番からして水鼠氏がトップヒロインを担当していない筈がないし、最近の『Re;Lord』を見てもおそらくこの延長線上にあるし、他方でこの時期の了藤氏の他作品でのイラストを見てもたぶん違うだろうとは思うのだが、しかし了藤氏の実力及び画風からしてこの絵を描くこともあり得そうで……。間違っていたら「オタ道不覚悟切腹よ♪」のつもりで、水鼠原画だと書いておこう。
梱枝氏は、先日の記事でも言及した顔面造形に関しては明確な趣味を現しているし、LOS作品で見ることのできる色彩感覚も美少女ゲームには珍しいタイプでわりと好みだし、服装デザインも平均以上の出来でもあるのだが、ただしそれらは守旧的なセンスに強く根差したままでもあり、そしてそれが臆面もなく毎度現れてくるので、何枚ものイラストを続けて見ていると苛立たしさを覚えることがある。
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先日加筆した「エンディング」記事に関して。『アトラク』EDが本編には無かった出来事をセピア色で示したのは、まさにこれと通底する話だろう。私の言葉ではうまく言い表せなかったが、そう、「実現しなかった夢の光景」ということだ。
もっとも、『アトラク』それ自体については、「通俗的なところが良い」あるいは「通俗的だが良い」という側面もあるのだが。
そういえば『霞外籠』の司書さんの義腕も球体関節だったか。ククリク様とか、リリクスさんとか、キルシュさん(@『青空がっこ』)とか、あやめさん(@『AYAME』)も。
『SV』は木村氏とルネ山氏の共演なのがたいへん嬉しいのだけど、サンプルCGで男性主人公が他のヒロインといちゃついているのを見て「浮気すんなー!」と素で憤慨しかけてしまった私は、この作品をコンプリートできるのだろうか。
モノクル男装の銀髪執事キャラを桜川氏が演じていたタイトルがたしかあったと思うのだが……ここ5年くらいの、Peassoftかensembleっぽい絵の……何だっけ? 『シャルノス』じゃなくて……いや、もしかしたら桜川氏じゃなくて……蕪木氏の方でもなくて、『姫様限定!』の北見キャラとかでもなくて……えーとえーと。
『夏の終わりのニルヴァーナ』体験版の不明クラシック曲を思い出した、「アルルの女」のメヌエットだ。後は冒頭の「ユーモレスク」から「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」まで、わりとメジャーなところが多かった筈。それにしても、pajamas softの大作は本当に重厚な力作なので、軽々しいプレイすることができない、つまり、なかなかプレイすることができずにいる。
あっぷりけ新作も、主人公が他人の「痕跡」が見える特殊能力持ち。先月のMOONSTONE新作といい、今月のminori新作といい……他人の感情を「色の付いたオーラ」として見ることができる『らぶKiss!アンカー』(2007)は、早すぎたのだろうか。主人公が超常の認識能力を持つというだけならそこそこあって、このブランドの旧作『CN』も似たようなものだし、『とっぱら』の見鬼能力もそうだし、『愛cute!』の妖精「チョコ」もそうだった。『DEEP VOICE』もあったか。
『とっぱら』では、妖怪が見えない友人(人間)のための実験として、妖怪が急須にお茶を注いで持ってこさせたところ、通常の人間はその行為をそのままの形では受け入れることができず、そのため「誰か別の人(人間)がそれをしたのだ」という形で認識してしまう、というシーンがあった。妖怪の実在を信じている人間(常人)の場合には、妖怪そのものは見えないが、急須が宙に浮いてひとりでにお茶を注いだというように認識する。
『愛cute!』でも、妖精の姿は主人公の肉眼でしか見えない。第三者(人間)には見えないし、また、妖精を指でつまんだところを鏡に映してみると、主人公自身も鏡の中の像としては妖精を見ることができなかった。オーソドックスではあるが、なかなか面白い描写だった。
[ necosaba.com/Ayaka_Kimura/ ]
あらためて気づいたけど、このページのバナー集、木村キャラばかりじゃないか!
(ただし、全てというわけではないが、極力そうあるように選択されている。)
素晴らしい……圧倒される……心が震える……心拍数が上がる……感涙に咽び泣く……。
02/12(Thu)
新記事:「顔の描き方:頬と鼻」
といったようなことを、珍しく読んだ「チャンピオン」新連載からつらつら振り返っていた。
cf. [tw: 565792649236316160 ]
ああ、ローブを羽織っているキャラも可愛いなあ。
語りうることを語らずに黙するのは不誠実としか考えられない性質なので、ネタバレ配慮はあるべきルールなどではないし正しいモラルでもないと考えており、実際にこのブログでも読み手に対するネタバレ配慮は一切しないことにしている。しかし、いくつかの考慮をすることはある。
1)当然ながら、不必要には言及しない。悪意と見做されるようなネタバレ行為はしたくないし、また、引用(スクリーンショット掲載を含む)の際の一般論としても「必要性」は当然の要件だろう。
2)制作者の利害には配慮することがある。例えば、最新作の重要な仕掛けに関わるものは、差し控える場合がある。ただし、あくまで制作者の利益に対する配慮であって、私以外の読者(ゲームの場合、プレイヤーだが)のネタバレフォビアに付き合うつもりは無い。
3)バレなければネタバレではない。ストーリー上、ギミック上の重大なポイントに関わるものであっても、それが具体的に何であるのかが分からないような言及であれば、構わず行う。ここではSS掲載のことを念頭に置いているのだが、ストーリー終盤からのSSであっても、当該作品を未読の者にはその意味が分からないのであれば、つまり、どのあたりに位置するどのような内容のシーンであるかの全体が理解乃至推察できないようなものであれば、それはそもそもネタバレではない。
4)その他。もちろん、ネタバレ配慮をしてはいけないと言うつもりは無いし、他の人々が各自どちらで振る舞おうとも構わない。例えば、特定の作品の購入を促すために、あらすじの途中までで紹介を止めておくという戦略は、あり得るだろう。ただし、例えば、批評を名乗っておきながらネタバレを気にして口を噤むのは、まったく無意味(あるいは欺瞞的)だと考えるが。
私がこのように考えるのは、実際に自分の目で確かめるのでなければその作品を知ったことにならないと考えるからだ。個人的にも、伝聞だけでは満足しないので、内容をあらかじめ知らされても、私自身の体験(の可能性)が致命的に損なわれたとは考えない。しかし、「知識と体験」の論点と並ぶもう一つの論点として、「予断を形成してしまう」という問題もあるだろう。不確かな予断に攪乱されたくないという心理は、それはそれで尊重されるべき余地がある。ただし、私自身の考えとしては、「作品そのものに関する体験は、断片的な事前ネタバレとは比較にならないほど圧倒的なものなので、懸念には及ばない」「個々人の作品受容は(換言すれば個々人の感性や関心のあり方は)、ある程度の振れ幅が出るものなので、いくらかの事前情報があろうと、実際にはネタバレによって個人の受け止め方が決定的に規定されてしまうという心配には及ばない(――ちなみに、簡単に要約できるような特定のネタにしか意味が無いような作品は、それ自体、心配する必要が無いほど価値が低いと思う)」「どのような事前情報がいくらあろうと、個々の読み手はその都度自らの意識の中でそれらを参照しつつも自分なりの判断を下せるものなので、参考になることはあっても、阻害要因になることは少ないだろう」と考えている。
「エンディング演出」の記事は、もう本当に一切の躊躇なしにエンディングやエピローグの画像を掲載しているが、これはエンディングの位置づけを語るという目的からして必要だからそうしているまでのことだ。
refeia氏がイラスト指南本の中で、両目の間隔は空けた方が可愛さが出るといったことを書いておられたのを思い出す。一つのアプローチとして有効なのは分かるが、やりすぎてホームベース+ヒラメ顔になるのはさすがにいただけない。
ケモキャラのイラスト、長耳が頭部の上側に生えているものが多いが、昔は「それじゃあ、人間の耳がある側頭部はどうなってるんだ、のっぺりしてるのか? それとも耳が4つあるのか? 外耳が上にあるなら内耳は脳髄を貫通してるのか?」と気が気でなかった。この疑問それ自体としては、「描かれていないものは考える必要が無い」あるいは「フィクションにおいて医学的正確性は美的卓越性に対してなんら優位を持たない」という形で解消されたが、しかし現在でも、佐々木氏の描く長耳造形――大ぶりなケモ耳が側頭部から生えるスタイル――は上手い手法だと思う。『巣作り』のユメ、『王賊』のネイ、『門を守る』のツクリはいずれもこのタイプ。『BUNNYBLACK2』のコナも、いかにも「あり得そうな」形の耳だった。
ALcotのあれ。いくらワイド画面だからって、フキダシ型テキストボックスで横23文字というのはやり過ぎだと思った。不格好すぎ、大きすぎて、かなり違和感があった。ただし、フキダシの中に鉤括弧「」が付いていることに関しては、問題だとは思わないが。というのは、そもそも漫画的フキダシの模倣を意図したものではないのだろう(おそらくは可読性配慮からテキストボックスを立ち絵追従させているのだろう)と考えることができるから。
「"我が家のヒメガミさまっ!" "キュウリ"」の検索結果……あれ、ほとんど出てこない。
とある方のtwアカウントを見ていたら、私が以前にプレイしたタイトルの、あるキャラクターのベッドシーン一枚絵(のSS)が出てきて、どきっとした。いったい自分は何故、何に驚いたのかと考えてみると、それはおそらくは、私個人が完全に個人的な経験の範疇で――要するに自宅で、私一人の空間で私一人の活動として――体験したその場面が、他人の(これまたその者の個人レベルの体験としての)手が及ぶ世界についての出来事でもあったということを感じたからだろう。それがいわゆる「ひめごと」に属するシーンであったことも、その印象を強めている。 そしてこれは、同時に、言うなれば、おそらくは、「寝取られ」に近い感情でもあるのかもしれない。うーむ。
02/10(Tue)
オリーブオイルはケチケチしなーい!
既存(有名)絵画の構図に倣った一枚絵というようなものは、相変わらずほとんど見かけない。クリムト風の臀部表現やスーラ風の河畔一枚絵があっても良さそうなものだが……。私が気づいていないものもあるだろうけど、いかにも《それらしい》構図であればそれなりに気づけるつもりではいる。もちろん「世界の起源」は幾度となく描かれているが。(定番のおばかネタ)
水鼠氏は、「すいそ」ではなく「みずねずみ」と読む。
「エンディング演出」に加筆。
というわけで、『看板料理』の「魔スターアップ」は嬉しいが、体験版はサイトが混雑していてまだDLできない。まず間違いなく『ブラウン通り』系統のゲームシステムなので、枠組そのものは大きな問題も無いと思われるが(――ゲームを成り立たせるうえで重要なのは、ゲームバランス[すなわち収支バランス]と、AVGイベントフラグの配置だろう)。
[ softhouse-seal.com/product/136-inrangirls/ ]
さすがのseal。コンセプトといいタイトルといい、身も蓋もない露骨さだ……。
02/08(Sun)
『じゅーにんかんり!』のヒロインたち。古式ゆかしく、「市(1)ノ瀬」「双(2)葉」「御(3)船」と数字シリーズの名字にしているのかと思いきや、それ以降は全然そういう体ではなかった。ちなみに、公式サイトを見ると、全部で54枚もイベントCGを公開する予定のようだ。私の知るかぎり最多。原画担当もやたらと多い(8人)が、サンプルCGはお腹がぷくぷくと柔らかそうな絵がたくさんあって、わりと好印象。
『アルスマギカ』、絵の雰囲気も作品コンセプトもあまり好みでない方向性だが、田島さんを起用されているので、支援のためにも買うべきだろう、うんうん、そうしよう。……とはいえ、このブランドの過去の作品はろくにプレイしていないのだが。いや、今回をその機会とすることにしよう。それにしても佐倉氏、大和氏、御苑生氏、手塚氏、桃也氏という顔触れは、ここ最近の出演数トップクラスの方々ばかりだなあ。
今回の「インターフェイス」記事といい昨年11月の「田舎/都会」記事といい、手許のSSアーカイヴ全体を使い切る(つまり大量に見直して大量に投入する)総力戦を立て続けに遂行しまったので、当分の間、もっと軽いかたちでやっていきたい。あるいは、松永さん祭とか金松さん祭とか桜川さん祭みたいなので。(懲りてない)
今週中(正確には先週末も含む)に4つの〆切が……春休みとはいったい……うごごご。
まあ、ここまで引っ張ってしまったのは自業自得ではあるのだが。
ストレスの掛かっている時は、BGMが楽しいAVGを起動してバックグラウンドで流しっぱなしにしておいたりする。弾力的に跳ねるリズムと、つややかな音色(一般的には三要素の一つになるのは和音だが)と、やさしいメロディが心を慰めてくれる。『ひめしょ!』のような完全な(つまり主人公にも音声のある)フルヴォイス作品であれば、オートモードで流しておくのも一興。
『神楽』新作。御琴さんの初敗戦時には、ユニットが倒れ伏すアニメーションの際に、あるいはその後のイベントシーンで、髪飾りの椿の花がボトリと落ちるのだろうか、というしょーもない想像をしてしまった。それにしても、このシリーズはいったいどうしてああも頑なに、治療役を人間でない存在にしたがるのだろうか。当初の設定では、妖怪たちの「陰の気」を消滅させるために「陽の気」を当てるには人間(の男性)でなければならなかったのだが。ストーリー上は、人間であっても一向に構わない筈なので、SLGパートで男性主人公(?)をユニットとして出すかどうか――そしてそのユニットが撃破された時にどのような扱いにするのか――が問題になるのだろうか? 特にローグ系作品では、巫女二人以外をユニットとして出すことが困難で、「男性が(同行してはいるが)戦えない」ことについてなんらかの(設定上の、物語上の、そしてプレイヤーとの関係での)エクスキューズを提示する必要が出てくる。性に積極的な双成神様というのは面白そうなので、それ自体としては文句は無いのだけど。
02/05(Thu)
[ green.ribbon.to/~erog/Note011.html ]
この記事を読み返して、個別の指摘には頷くところも多いのだけど、ベースにある価値観の違いも意識させられる。このN氏や、プログラマーのW氏に対しては、その識見の確かさは深く信頼しているのだけど、個別のトピックに関してはしばしば私とは正反対の立場になるのが面白い。
Nさんは2014年に入ったあたりから、twでの活動もなさらなくなってしまったようで、現在ゲーマーとしてどのようにしておられるのかまったく分からないけど、お元気だといいな。tw時代にはいろいろとお世話になったし、上記サイトのように(私と同じくユーザーサイドから)美少女ゲームの表現技術に関心を持たれて刺激的な論点抽出と浩瀚な調査をされている貴重な人物でもある。
『彼女は高天に祈らない』は、最初に起動してタイトル画面を見た瞬間に、大いに感激し大いに興奮したなあ。『ワンダリング・リペア!』の頃からずっと、ゲーム全体のグラフィックデザインのクオリティは、Escu:de作品の最高の部分で、しかも美少女ゲームの中で最高のものだと思っている。本編は――これもEscu:deの遺憾な伝統で――テキストが少々アレだったが。
先日の記事で掲載した『巣作り』の画像は、たしか所持金ハイスコアを狙った時のもの。実績としてはこのとおり64万(×百万)程度だが、計算上は、高額冒険者が毎週来てくれるようにS/Lすれば100万を狙える筈。
自転車ヒロイン。『TH2』にはマウンテンバイクのヒロイン(特殊立ち絵あり)。『まじの』は機動的な折り畳み式だったか(カットイン画像あり)。『腐り姫』にも、自転車を引いている特殊立ち絵があった。『WHITE ALBUM』にも自転車キャラがいたが、CGがあったかどうかはちょっと憶えていない。『ヨスガ』は一枚絵あり。『こんそめ!』『るいは~』『斬死刃留』はバイク。文字通り『RUN』というタイトルもあった。『片恋い』にも友人(男性)キャラの自転車乗り立ち絵があった。先日の記事で引用掲載した『てとて』にも自転車一枚絵。『奥巫女R』にもヒロインの自転車一枚絵。「君と自転車二人乗り」は『R.U.R.U.R』でも使われていた。
二人乗りの一枚絵などはまだいろいろな作品にあった筈だが、なかなか思い出せない。
[tw: 562611413516951553 ]
あ、買ってなかった。
「出演情報」さんのサイトからのリンクで関連のbbspinkページを見に行くというのを習慣づけようと試みたが、結局挫折した。全体が見づらいうえ、はしたない広告がたくさん出てくるので……。それに、そこで書かれているとされるものが閲覧できないという事象も起きている。なんらかの原因でデータ上の実態と私のブラウザ閲覧との間でラグが生じているようなのだが、ページ更新をしてもちっとも反映されないという不可解な状態になっている。
02/04(Wed)
というわけで青山ゆかり祭開場。(青山キャラは12人。探してみよう!)
「インターフェイスデザインの実例検討1)」、「実例検討2」、「実例検討3」。
青山氏には、「ですわ」キャラがよく似合う……怖ろしいほどに。
ちょっと取捨選択して、準・一色ヒカル祭(5人)、兼、準・大波こなみ祭(4人)にも。なんという贅沢。ちなみに、『Garden』や『Chu×Chu』やSHC作品で良いSSがあれば、あるいは『夏神楽』の引用画像を差し替えたりすれば、正式な大波さん祭にすることもできたのだが、残念ながら論旨に合ったSSが手許に無かった。今回は青山氏にお譲りいただくとして、他日を期す。
妖狐の葉子さんは、『夏神楽』が一番美人だなあ。『鬼神楽』や『天神楽』での姿も底知れない感じがいかにもこのキャラクターらしくて良かったけれど。
そういえば、この限られた文字数のキャプションテキストを書くのをあまり苦痛に感じない(あるいはそれどころか取捨選択とテキスト切り詰めの楽しさすらある)のは、twでの活動が一種の訓練になっていたのかもしれない。twは最大140文字なのに対して、このブログでのキャプションテキストをはみ出さないようにするには、作品名表示の2-3行を別とすれば、4:3画像の場合であればだいたい145-160文字くらい、ワイド画像であれば105-120文字くらい。もちろん、この限界からはみ出ても構わないのだが(ただ単に、その画像の下に新たな行が出来ていくだけ)、それは不格好なので、できるだけ避けたい。
以前にアップロードした画像を再利用することが可能な場合には、できるかぎりそうするように努めている。しかし、1)探すのも面倒だ(あるいは忘れてしまっていることもある)し、2)誤って画像消去してしまった場合に全滅の虞があるし、3)著作権配慮に関してもそれ自体としては意味を成さないと思われるし、4)それによって「最適な新規画像」よりも「ほどほどに適した旧画像」を使うのであれば記事のクオリティに不満を持つことになってしまう可能性もあるし、5)正当な引用である場合には新規画像を使うようにした方がweb上の資源を増すことになると言うこともできる。こういった考えから、その都度最適な新規画像を使うという方針が理に適っているということも分かっている。
今回の記事だと、『ヴェルディア』『LJ』『coμ』が既存画像の再掲を含んでいる。『らぐな』『幼なじみとの暮らし方』『FESTA!!』『斬死刃留』『夏めろ』は、以前にアップロードした画像の中に使えなくもないものがあるが、論旨に対してより適した新規画像を使うことにした。『夏神楽』『めぐひら』をあえて新規画像にしたのは、私の趣味。いや、理由が無くはないのだけど。
02/03(Tue)
他人の攻略記事を読むのは楽しい。一般的な本筋進行攻略以外でも、データの構成の仕方とか、ユニット性能トークとか、特殊な制限付きプレイとか、見どころは多い。ただし、プレイメモのようなものにはまったく興味を惹かれないが。
『悪魔娘』、キャスト情報公開。嬉しいキャスティングだが、大波氏(1995?年デビュー/SHCとは2001年の『真昼』以来)を筆頭に、芹園氏(98-/08-)、青山氏(99-/01-)、新堂氏(03-/10-)、羽高氏(05-/05-)、萌花ちょこ氏(12-/12-)、綾音氏(13-/初)と、わりと年季を感じさせる顔触れ。特に大波氏と青山氏の共演は、本当に珍しくなってしまった(――SHC以外では、『英雄*戦姫』[2012/2014]や『絶対★魔王』[2009]のような超多人数タイトルと、マスコットキャラクターとしてのゲスト出演のあるEushullyくらいだろうか)。
眼鏡+ポニテなキャラは『Piaキャロ3』(冬木美春。眼鏡を掛けないことも)、『Wizard's Climber』(セリス。ただし差分の一種として)、『英雄*戦姫』(アリストテレス)にあった。眼鏡ツインテは……えーと、『MinDeaD BlooD』の一ノ瀬さんや、『南十字星恋歌』の九谷さんくらいしか思い浮かばない。どちらも、短かったり下すぎたりで、ツインテールと呼ぶには微妙だし。……そうだ、『ドラクリウス』のベルチェさんが眼鏡を掛けていた筈だ(特定の一枚絵でのみ)。あと、『3days』の広原月子も、見事な金髪ツイン眼鏡(+性格がアレ)だった。
暦さん[ sagaplanets.product.co.jp/works/karumaruka/img/special/cd_wall6_1.jpg ]が本編でちゃんと眼鏡をかけていてくれたら良かったのに!
『ピリオド』のパッケを発掘したのでいそいそとインストール。体験版はたしか期間限定公開で、現在はおそらくどこからも入手できないので、適当なSSを撮ってくるには、自分でなんとかするしかない。これで一色キャラか大波キャラのSSを撮れれば……。(邪念)
良いところも多い(とりわけキャスティングは、2007年の作品としては私の理想に限りなく近いし、ヒロインたちがみなスレンダー体型なのも嬉しかった)のだけど、なんだかどうにも好きになれないところもいろいろあって……。
そういえば背景制作はJC Staffだったか。ゲームらしくないと感じていたのはそのせいかも。
02/01(Sun)
よし、決めた、「インターフェイスデザイン」記事は青山ゆかり祭を目指そう!(得意満面)
作品のラインアップを見てのとおり、木村さん祭や大波さん祭や一色さん祭にチューニングする余地もあったのだが、今回は青山キャラに専心することにした。また別に機会はあるだろうし。いずれにしても、SSを選ぶのは楽しいなあ!
作品の選別はおおむね目処が立ったが、もっとネタになるSS――良い立ち絵とか、面白い台詞とか、今回でいえば青山キャラのいる画面とか――が欲しくなってきたので、自宅にあるパッケージを漁ったり体験版をDLしてきたりして、いろいろ再プレイすることにしよう。(いや、本末転倒というか、泥縄というか……)
数えてみると、その気になれば、スクリーンショットで青山キャラが最大9人、一色キャラなら5人、木村キャラでも6人、大波キャラは5人も掲載できる。それどころか、みるキャラ(3人)、まきいづみキャラ(4人)でも。どうしようか、うひゃひゃ。……実際には、ある程度切り詰めるつもりだが。画像引用が過剰になってもいけないし、ネタのために議論の精度を犠牲にすべきでもないから。
わふわふ!(『シンシア』再プレイ中) SEの使い方がたいへん効果的だ。
体験版等のDLは、Holysealかkokoronにお世話になっている。
新記事:「既読判定について」。あまり中身のない、備忘録的記事。
そういえばminori新作は、縁なしテキストボックスなのに既読マークを付けているそうな。
『よつのは』は凄いなあ。言うなれば『days innocent』の後の『days innocent』、『Garden』の前の『Garden』。そして形を変えた『crescendo.』。しかも、それらよりも遊び心に満ちている。技術的にはいささか至らないところも散見されたが、いずれもごく小さな瑕に過ぎないと言うべきだ。榊原ゆい氏主演作品としても、翌年の『Chu×Chuアイドる』『あるぺじお』(2007)に並ぶ存在感があると思う。というか、のんさんが可愛い。
波奈束氏についての記事に加筆。