2026/08/16

『天幕のジャードゥーガル』原作漫画とアニメ版の比較対照:第2話

 第2話「サファルに咲く薔薇」

 原作漫画の第2話の途中(1巻54頁あたり)から、第4話の終わりまで。
 サブタイトルは、原作第2話冒頭のエピソードから取っている。満開を迎えられずに、2月(サファル)に咲きかけたまま終わってしまったバラのイメージが、主人公たちの境遇に重ねられている。
 今回の脚本は、前回に引き続いて加藤還一。絵コンテは山田尚子総監督。演出は山田尚子と藤倉拓也(※藤倉氏も、第1話からの連続)。


 (00:00-)「遊牧民」の襲撃に備えるトゥースの人々。シタラ「はい、お守りします!」や、奥様「ここにいると時の流れが止まったように感じるわ」、シタラ「大事な本だって無事です!」などの追加も含めて、台詞は整理し直されている。地下の隠し部屋での会話は、燭台の明かりに柔らかく照らされつつ、親密に内心の思いを打ち明ける――最後の――場面でもある。奥様の言葉を聞いて、シタラが涙を滲ませる様子も、アニメ版は正面から印象的に描いている(※原作では、涙を拭う小さなコマだけで婉曲に表現している)。地下室の入り口が明るく開かれるところで、原作は「私の人生は もしかしたら 光に満ちているのかもしれない…」というモノローグを被せているが、アニメ版は台詞を使わず、シタラの夢想を彩り豊かに描くことによって、無言のうちに語らせている。そしてトルイの登場も、アニメ版は逆光で不気味に、そして怖ろしげに演出している。

 (4:10-)ここでOP映像が初めて登場する。草原を一人歩き続ける主人公、トゥースの人々との思い出、ドレゲネとの出会い、他の妃たち、赤いオーロラを背にしたオゴタイ、黒衣のまま必死に駆けていく主人公、主人公とドレゲネが決意とともに手を取り合う瞬間、等々。
 馬や羊の家畜たちが中央の星につながれて回転しているカットは、原作4巻90頁(第25話)のオゴタイの世界認識から持ってこられた絵である。物語を先取りすると、ここでオゴタイは草原の伝承に基づいて、夜空の星々は不動の北極星につながれて回っていると述べる(つまり、唯一の支配者の下で万物がコントロールされているという世界認識と捉えてよいだろう)。それに対して主人公は、それを非科学的だと、昂然と批判する。とはいえ主人公自身の認識も、実証志向の科学に立脚しようとしていると同時に、その自然の摂理は「神の御業」によってもたらされたものだと信じているという点で、信仰や民族を超えた普遍的な真理にはなり得ないままである。
 主題歌とED曲の歌詞についても、作品内容に照らした分析をすることができるが、本稿では割愛する。

 (05:40-)シタラを突き飛ばして地下室に入っていく兵士(通訳者)や、ファーティマの台詞「逆らっては駄目よ」など、アニメ版はこの状況が危機的なものであることを強調している。その一方で、兵士が地下室の菓子を無遠慮につまみ食いするシーンなども描かれている。BGMは小さい音ながら浮遊感のある、落ち着きのない曲調で流れている。トルイが、地上全体に対する所有権を傲慢に宣言するくだりで、原作漫画は正面からの大ゴマでその不遜な姿を描いているが、アニメ版はいささか奇妙なことに、主人公たちに背を向けたままの全身として描いている。そしてトルイがついに向き直って「恐怖」をもたらそうとするところでは、アニメ版はカメラを斜めに傾斜させて(いわゆるダッチアングルを連続させて)、その悲劇の瞬間を映像化している。その後の略奪シーンで、原作漫画は「自分を外から眺めているみたいだった」と、おそらく性的蹂躙があったことを示唆しているが、アニメ版は窓外からの月の光に照らされて、蟻がもがくように歩いていくカットによって、彼女の尊厳が貶められたことを暗示している。賑やかだった街と、それが破壊された風景の対比は、原作では左右のコマを並べる形だが、アニメ版はトランジションの二重写しとして表現している。
 仲間の奴隷たちと合流するところでは、あらためてシタラが着ている深紅の衣装の鮮やかさが際立つ。絵コンテのレイアウトは、このあたりはおおむね原作漫画を踏襲しているが、大きな馬が闊歩していくその隣(下)にシタラたちがうずくまっている様子は、強大な武力による街の蹂躙をくりかえし印象づける。家族の遺骸に駆け寄ろうとする女性が射殺されるカットから、重苦しいBGMが入ってきて、彼女たちの状況の救いのなさを明示する。

 (13:30-)ここから原作の第3話に入り、場面はいったん切り替わる。原作では、「2月」に対して「サファル」とルビが振られているが、アニメ版のナレーションでは「サファル月(づき)」としている。3月(ラビー アルアウワル)についても同様。アニメ版では、先輩奴隷ズムッルドたちの存在が強調されているが(会話内容も増えている)、原作漫画ではほとんど名前も出ないままである。3月のバラは、原作では蕾のコマのまま終わってしまったが、アニメ版はいっそう無残に、白バラが咲く瞬間に画面が真っ赤になる。
 早朝の炊き出しは、もはや街ではなく、暗い払暁の草原での食事になる。「私たちにはまだ一つだけ残されているの」に続いて、原作漫画では「日常の続きが…」という台詞があるが、アニメ版では二人が食器を両手で包み込む動きを強調するという形で、無言でその希望を示唆している。「それぞれに喜びや悩みを抱えた人生を持っていた人たち それが今は 過去からも未来からも切り離されてここにいる」という悲痛な慨嘆のシーンを描いているが、アニメ版はこの数ページ分を割愛している。
 トゥースの街から、東のタールカーンへの地図は、アニメ版独自のフォロー。チンギス・カンは、原作でも明確には描かれず、このアニメ版でもオオカミのイメージで代用されている(EDクレジットによれば玉鷲一朗が、モンゴル語でチンギスの台詞を喋っている)。アニメ版はここでも、ムハンマドを赤いバラで象徴させているが、このシーンでは花びらが儚く吹き飛ばされていくイメージで描かれている。
 ズムッルドの逝去は、原作から順序を入れ替えて、ここに挿入されている(原作では炊き出しの直後)。もう一人の同僚奴隷アニースの最期についても、「もう、ときめかないな……」というミステリアスな台詞がアニメ版で追加されている。
 通訳シラとの出会いは、原作では真っ暗な夜の闇(つまり黒ベタ)で描かれていたが、アニメ版では青い星空の下に置かれている。