2026/08/14

2026年8月の雑記

 2026年8月の雑記。

 08/13(Thu)。

 カプセルトイ論議については、「品質」、「商品価格」、「射幸性」という3つの側面があり、それらを区別して論じることで見通しが整理できるだろう。以下、私見ながら。

 1) 品質。300円なり500円なりの価格にしては非常に出来が良く、ちょっとしたアクセサリーとしても楽しいのは確かだ。根付や携帯ストラップといった既存の慣行とも親和的なので、人気が出るのは理解できる。これについて、「射幸性に目をくらませているだけの短絡的なガラクタ」のように語っている人たちを見かけるけど、それはさすがにトイとしての価値や面白味が見えていないように見受けられる。
 ここで重要なのは、カプセルトイの楽しみはギャンブル性(だけ)ではなく、グッズとしての魅力そのものにあるという視点だ。これほどまでに多種多様で選択の余地が大きく、それでいて商品内容が確定しているわけではないという不確定性も伴っているのは、娯楽として優れている。ちなみに、ここでいう「不確定性」は、ギャンブルのことではない。例えば料理趣味が、どんな味わいや見た目に出来上がるかが不確定であるが故に楽しかったり、旅行でどんな体験が出来るかのゆらぎがあったり、プラモデルがどのように完成するかが完全には予見できなかったりするのと同じことだ。

 2) 商品の価格。ショッピングモールなどにカプセルトイコーナーが増加しているのは確かだ。言い換えれば、ワンコインショップ並の低価格商品ばかりが場所を席巻しているということだ。これは、消費者たちの購買力の縮小を反映したものだと捉えるならば、非常に物悲しい風景になる……部分的には確かにそうだろう。DAISOなどの100円ショップが各地に乱立するようになったのは、00年代あたりだっただろうか(?)。そこからさらに悪くなっているのは確かだ。
 ただしそれは、カプセルトイ産業のせいではない(製造会社や出店者の倫理的問題ではない)。あくまで市場の問題であり、経済の問題だ。目の前のカプセルトイだけを憎悪しても、根本の問題は解決されない。その点を見誤ってはいけない。
 また、ランダム数種の中から目当ての対象を引こうと思ったら、数千円くらいはすぐに飛んでいく買い物でもある。一個だけの単価を見て「安い買い物だ」と考えるのは、それ自体、商品の性質を見誤っている(※ただし、これは射幸性に煽られた場合に限った話であって、一概には言えないが。これについては次節で後述)。
 なお、カプセルトイのテナントが相次いでいるのには、出店サイドの事情もあるようだ。つまり、高額な設備投資をしなくても、すぐに店舗運営が始められるらしい。フロアスタッフも極小人数でよい(一人いれば済むし、無人コーナーすらある。まあ、無人店はトラブった時の返金処理が大変だし、基本的に「見えている地雷」だけど)。

 3) 射幸性。個人的には、カプセルトイのメカニズムに対して、ギャンブルの楽しみは感じていない。基本的には、「ランダムの中のどれが出てきても良い(あるいは確率的に我慢できる)と思える場合にだけ回す」くらいの意識だ。もちろんハズレを引いてしまったら悲しいが、それはギャンブルの浮き沈みというよりは、ただ単にランダム性に含まれるネガティヴ要素にすぎない。だから、これを刹那的な賭博性(射幸性)に煽られたシステムのように語っている人たちの意見には、私としてはあまり首肯できない。
 しかし、比較的高額な――といってもせいぜい千数百円だが――のものもあり、当たりがごく少ないものもある。そうした場合には、射幸性の契機が発生している場合もあるだろう。しかし、そうしたことを問題にするならば、カプセルトイよりも邪悪な類似ビジネスはいくつも存在する。例えば、「一番くじ」スタイルのものや、ゲームとしての公正さが疑わしいクレーンゲームや、ランダム性のある「トレーディング」グッズや、オンラインゲームでの「ガ○ャ」システムなど。それらの方がはるかに、消費者の理性を失わせる邪悪なシステムだし、価格や規模も大きいし、倫理的にも「賭博」に近い。
 ちなみに、トレカショップにも類似の問題があるかもしれないけど、私はTCG分野は詳しくないので立ち入った評価はできない。

 歴史の話もすると、カプセルトイそれ自体は、2000年頃にはすでにかなり普及していたよね。店舗内の空いたスペースを有効利用できるもので、商品のあり方としてはそこそこクラシックなものだ。もちろん、それが何百台も大量に並べられているだけの近年の商業空間は確かにグロテスクなのだが、繰り返すように、経済が縮小して所得が減少して、テナントで入ってくれるような新事業が出てこない状況下で、その隙間に入り込んで出店しやすい形態の事業がたまたまカプセルトイだったというだけであって、別のブームになっていた可能性もある(例えば、回転の早いファストフードとか、受けの良い観葉植物とか、時計やジュエルなどのグッズとか、リサイクルショップとか?)。

 というわけで、例のカプセルトイに引っかけたディストピア論は、実態を知らない素人による牽強付会な空論っぽいなあと。


 物語を完結させることについて。
 「最近の作品は、終わらせ方が上手くない、あるいは物語を上手く締め括るノウハウが発達していないなあ」というのを、ぼんやりと感じている。あくまで印象論だし、最近の話に限ったわけでもないだろうけど。
 漫画は、過剰な引き延ばしと不本意な打ち切りの間で、あまりにも多くの作品が失敗し続けてきた。そもそも漫画家としては、飯の種を「終わらせる」ことに消極的だろう。
 ノヴェル分野も同様で、とりわけ10年代以降のネット小説は、結末までの全体展望を欠如したまま続けられていることが多い(※ただし、近年の女性向けでは、エンディングまできちんと構想した中規模作品が増えているようだ)。
 原作付きのアニメも、1クール(12話)の範囲内でできるところまで映像化して、適当なところで物語を放り出してしまうという無責任体制だ。2クール以降を続ける場合も、基本的には同じだ。
 ゲームだけは例外だったが、MMORPG以降のオンラインゲームでは、作品のエンディングというものが本質的に存在しない場合がほとんどだろう。

 そうした状況下で、コンテンツの終わりがいよいよぎこちないものになっているように感じる。一方では、物語を締め括る創作ノウハウの欠如(未発達)。その一方で、作品のディテールが精緻化しているため、筋の通った結末を描く負担がどんどん大きくなっているという事実。
 近年のアニメでも、最終話で満足のいくカタルシスを得られた経験が非常に乏しい。冗長で退屈なハッピーエンドだったり、結末に責任を持たずに曖昧に放り出していたり、かと思えばこれまでの描写を全て取り込もうとして過剰に説明的な最終回になったり……。ビターエンドを嫌ってハッピーエンドに目配せしすぎるのも、迎合しすぎた悪しき風潮だと思っている。