第3話「消しえぬ炎」
原作漫画の第5話の最初から、第7話の冒頭(1巻167頁)まで。サブタイトルは、原作134頁の「こんな火で焼き消されるものか」という決意から取られている。
脚本は佐藤寿昭(6話と8話も担当)。2010年代からのキャリアがあり、『貴族転生』(2025)ではシリーズ構成も務めている。絵コンテ&演出は安部祐二郎(第7話も担当)。『この素晴らしい世界に祝福を!』(第3期)などで監督経験もある。
(00:00-)アバンタイトルは、前話の最後の場面をリピートしている、ほんの数秒のシーン。
(01:40-)モンゴル帝国の伸張についての歴史叙述から始まる。原作漫画では、「モンゴル帝国の主力部隊は、ペルシア遠征の途上にあった」云々というキャプションがある。馬上のトルイに太陽の後光が射しているのはアニメ版独自で、彼の資質の輝かしさを原作以上にはっきりと強調している。このシーンは、原作では二重フキダシでモンゴル語であることを示しているが、アニメ版はさすがに通常の言語(つまり日本語)のままで喋っている。絵コンテ(画面レイアウト)は、おおむね漫画のコマを模倣しているが、画面の縦横の広がりや背景作画などをアニメ媒体に合わせている。場面転換に垂れ幕演出を使っているのは、気の利いた遊戯的演出。
そして前話の最後の、シタラと通訳男性のシーンに戻る。ここでは星空の浮遊感や、夜の密談の緊張感、草原の心許ない広さ、シタラの後ろ姿の不気味さ、そしてシタラが拳を握るカットなど、絵コンテのレベルでこの重要な場面を力強く構築している。奴隷として連行されてきた主人公が、ここで初めて自らの意志と目標を確かめる一大転換の瞬間である。夜空と草原を煌々と照らす青い満月も、アニメ版は好んで描いている(※月の存在感は、おそらくシタラの精神的バックグラウンドであるイスラム教を示唆している)。弦楽器の軋むような劇伴とともに、陽気な男性と怒れる女性の間の奇妙な会話が展開される。
(07:40-)一夜明けて、トルイに謁見する場面は、BGMも激しいリズムで興奮と緊張を高める。このシーンでも、現地語(モンゴル語)音声がそのまま使われている。ここで主人公は、亡き奥様の名前を借りてファーティマと名乗る(※以下、本稿では主人公のことを基本的に「ファーティマ」と呼称する)。
面会を終えて、荒野に立つ姿も、彼女にとって憎むべきモンゴル文化(異教の儀式)の代表である松明を睨み付けるカットも、アニメ版は全画面で印象的に描いている(※漫画版には、松明をにらむ絵は無い)。強風とともに火が煽られ、そこから遠くを歩くドレゲネへと視界(カメラ)が移動するのも、アニメ版の巧みな絵コンテ。雄大に広がる青空がくりかえし描かれるが、トゥースの街から遠く離れた異郷の地で戦う決意をした主人公の孤独を強調しているかのようだ。
足元のタンポポ(?)に目もくれずに立ち去っていく主人公と、後からそれを摘むドレゲネは、アニメ版独自の描写。「あなたの敵です」という台詞は、原作ではオゴタイに向けて発した台詞のように読めるが、アニメ版では独り言のような形で扱われている。
(11:20-)時間が進み、1221年秋のモンゴル帝国の動き。ファーティマの旅路の中で、アニメ版は馬、羊、山羊、牛などの家畜をたくさん描いて、その生活感の手触りと、モンゴルの本拠地への接近を示唆する。「手伝う します」や、「わたし、理解……」といった、学習中のつたないモンゴル語をアニメ版は描いている(※原作では、カタカナ台詞として表現されている)。
今回のサブタイトルにも関わる灯火の赤炎は、アニメ版のいくつものカットで鮮やかに燃えており、そしてそれと対比されるかのように、「私たちに必要な賢者です」の直後からは雨が降り始める(原作漫画では降雨描写は無い)。同じ言葉の分かる行政官チンカイは、今後も重要な役割を担っていく。そして回想のムハンマド少年は、ふたたび赤いバラの花とともにある。
(20:30-)数ヶ月後、モンゴルの本拠地に到着し、ソルコクタニ(トルイの第1妃)と対面する。