2026/08/17

『天幕のジャードゥーガル』原作漫画とアニメ版の比較対照:第6話

 第6話「メルゲンの民」

 原作漫画の第11話から、第13話の途中(2巻133頁)までを描いている。時代設定は1229年だが、後述のように1204年頃の出来事を回顧している。
 サブタイトルは、メルキト族の異名(あるいは名前の由来)の「メルゲン(=弓の名手)の民」から取っている。
 脚本は佐藤寿昭(3話、8話も担当)。絵コンテは安藤雅司。複数のジブリ作品で作画監督を務めた実力派で、主に劇場アニメ制作で活躍しており、クール制TVアニメでの仕事はかなり珍しいようだ。しかしその力量は、この話数でもシャーマンの踊りで発揮されている。演出の松永浩太郎は、他の作品でも演出家としての仕事が中心のようだ。


 今回は、中途半端なアバンタイトルは使わず、いきなりOPから入る。

 (01:30-)Aパート。時代は25年前、つまりオゴタイ即位(1229年)から遡って1204年頃であろう。原作漫画の記述によれば、「アルタイ山脈を西に臨む美しい草原に 私[ドレゲネ]の故郷ナイマン族の国があった」。きれいな川沿いの穏やかな平地に、一族は牧歌的に暮らしている。家畜の羊たちの平和的な様子や、丘の斜面を吹く柔らかなそよ風、そしてドレゲネを遠くから呼ぶ家族の声など、アニメ版は彼女の幼時の故郷を優しく描きつつ、そこからの別離の寂寥も匂わせている。川沿いに緩やかにパンニングするカメラワークも美しい。
 山と森を越えて、婚礼の馬車はメルキト族の居住地に辿り着く。今回のサブタイトル「メルゲンの民」が、ここで表示される。「寂しいところね」という感想を裏打ちするかのように、画面は高い針葉樹に囲まれて、空はほとんど見えない。原作の描写もほぼ同様なのだが、アニメ版の色彩感はその森の深さをよりいっそう強調する。族長ダイルは、ややきつめの方言で喋っている。これも原作どおりだが、声優石田彰が、このキャラクターの不器用ながら誠実で真率な振舞いを掬い取って滋味豊かに 演じている。その一方で、若きドレゲネの困惑を反映するかのように、弦楽器の劇伴は捉えどころなく沈んだ音を緩やかに響かせている。
 早朝なのか、薄紫に染まった林の中を逃げ出そうとするドレゲネ。しかし、朗らかな性格の義娘クランに窮地を救われて、結局メルキトの村に戻ることになる(おそらく前妻の娘だろう)。そして彼女の世界はふたたび彩りを取り戻す。瑞々しい川と明るい草地、そして広い青空がアニメ版で着彩されている。
 北極星に関するメルキトの伝承は、後に言及されるモンゴル族の伝承とは異なっている。アニメ版が「自分じゃ見たことないくせに」と言わせているとおり、この伝承もまた、世界の真理を捉えようとする一つの視点である。もちろんこれはファーティマの知る科学的な認識手法やモンゴルの伝承とは異なる性質のものだが、のちに族長がカム(巫者/巫術師)の業によって一族の未来を知る(!)ように、これもまた、メルキトのエスニック集団が培ってきた「知」のアプローチの一つだと言えるだろう。

 (08:40-)しかしモンゴル族が、いつもの重々しいパーカッションの劇伴とともに来襲する。族長は、巫者「川(ウスン)」として、一族の未来を精霊に尋ねる儀式へ赴く。どこかの低山の山頂で、ダイルは瞑想的な踊りに没入する。原作漫画では、静かに瞑目するようなコマが描かれるだけだが、このアニメ版では30秒以上に亘る神秘的な踊りをアニメーションさせている。強い山風に吹かれつつ、太鼓を一心に打ち鳴らしながら旋回し続けると、朝日とともに神秘的な光の鳥に導かれ、族長は世界の真理に繋がった何事かを見て取る。物語中盤のクライマックスに相応しい、中央アジア民族文化の秘奥を描き出す印象的なシーンである。
 族長の判断に抗してクランをかばおうとするドレゲネ(小清水亜美)の叫びは、痛切に心を打つ。そして、それを抑えるクランの台詞も、幼いながらきれいに覚悟を決めたトーンで族長に応えている。メルキトの女性たちの身分保障を担当官に強く要求するダイルの姿は、原作では小さなコマでいささかコミカルに描かれているが、アニメ版では担当官の胸を何度も指先で押しながら、強い責任感を滲ませた声色で念押しして言質を取っている。ちなみに、クランが被ったモンゴルの縦長帽子は、ボグトグ帽という。
 細かな違いだが、ダイルたちの反乱は、アニメ版では「その日の夜」となっているが、原作漫画では「それから何日か経ったある日の晩」とされている。漫画版では、「初めて言われたわ 私がいて楽しいだなんて」、「嵐なんかいらない ダイル様やクランと穏やかに暮らしたかった」というドレゲネのモノローグを乗せている。
 いずれにせよ、反乱は起こされた。血のように不気味なオーロラは、実際にモンゴルなどで発生することがあるらしい。赤い光幕の下に俯くオゴタイの風景は、アニメ媒体のおかげでよりいっそう鮮烈な画面になる。カメラはオゴタイから空へティルト(パンアップ)していき、そして今度はオゴタイの視線とともにドレゲネの足元から顔の表情へと劇的にスライドする。クルトガンたちの反乱が撃破された後に、かれらの弓が無常にも踏みにじられるカットも、アニメ版の残酷な追加である。

 今回描かれた一連の出来事、すなわちナイマン族やメルキト族が1204年にモンゴルに追い詰められ、ダイル・ウスンのウアス氏族がモンゴルに降り、娘をチンギスカンに輿入れさせるが、のちに反乱を起こして鎮圧されたというのはすべて史実に基づいているようだ。
 
 (20:20-)そして回想から、1229年現在のドレゲネの天幕に戻る(ここから、原作第13話に相当する)。最後の「二人でなら嵐も起こせましょう」という瞬間に赤いオーロラをオーバーラップさせるのも、アニメ版のショッキングな演出である。