2023/04/04

ダンジョン防衛系ゲームの歴史的展望(仮)

 ダンジョン防衛系ゲームの流れについて。『カオスシード』についても。

『巣作りカリンちゃん』(Karin Project / ソフトハウスキャラ、2019年)。侵入者を撃退する防衛戦SLG。何十ものユニットが乱戦する多対多オート戦闘が、華やかで賑やかな視覚的表現を与えられている。


 ダンジョン防衛SLGは、現代では一つのジャンルとして定着しているように見受けられる。こういったゲームシステムorシチュエーション設定は、どのような経緯で発展してきたのだろうか。

 私の知る範囲では、1996年の『カオスシード』(SFC)と『刻命館』(PS)、それから海外メーカーの『ダンジョンキーパー(Dungeon Keeper)』(1997-、PC)が先駆的だったように思う。部分的には1997年の『AZITO』(PS)も。ひとまずはこの時期、これら一連のタイトルによって一つの見通しが形成されたように見受けられる。

 1996年以前にも、防衛戦SLG/ActGが存在した可能性はある。当時のデジタルゲームの表現技術としても、多対多ゲームは構成可能だったろうし、ゲームシステムのアイデアとしても発想容易だろうから。例えば、最も原始的には、侵略的エイリアンを撃退するSTG『スペースインベーダー』(1978年)や、一画面マップの防衛戦ゲーム『平安京エイリアン』(1979年)も、この流れに含めてよいかもしれない。とはいえ、ここまで遡ると、システム上の連続性を見出してよいかどうかは疑問がある。『インベーダー』は防衛ゲームというよりは「原始的なSTG」という方が適切なように思うし、『平安京エイリアン』も、都市防衛はあくまでゲーム外部のストーリー設定であって、動画で見るかぎりはファミコン時代にもあったような固定画面ACTGに分類されそうだ。海外の『ダンジョンマスター(Dungeon Master)』(1987年)も、ダンジョン内を徘徊するRPGだったようだ。
 
 ここで考えているのは、そういった簡素な防衛ゲームではない。定式化するなら、
- プレイヤーがダンジョンを自ら構築&増築していき(※ただ与えられたマップだけではない)、
- リソース管理などの経営的要素があり(※アクションだけでなく、計画的運営の要素もある)、
- 抽象的なゲームパートだけではない(※ADVパートなどで、防衛戦に意味を持たせている)、
というゲーム像だ。その点で、やはり『カオスシード』『刻命館』は独自のパラダイムを作り上げた存在だと言ってよいと思う。
 
 1996年からかなり空いて、00年代半ばには『巣作りドラゴン』(2004年、PC18禁)と『Zombie Vital』(2004年、PCゲーム)が現れた。これらのシステムは、明確に上記のフレームワークに棹さしている。この時期には、「コンシューマJRPGの普及と陳腐化が進行し、魔王サイドに状況を転倒するアイデアも広まった」、「ダーク系アダルトPCゲームの悪役主人公が浸透した」といった文化的事情もあり、ダンジョンを統治するダークサイド主人公も成立するようになっていた。防衛戦SLGが改めて注目されるようになったのは、こういった当時の文化的事情も影響しているかもしれない。『勇者のくせになまいきだ。』(PSP、2007年)も、まさにその延長線上に捉えることができる。
 また、リアルタイム進行をベースにした機能的な迎撃SLG、いわゆる「(狭義の)タワーディフェンス」系ゲームシステムが成立したのは00年代末だとされている。この流れも合流して、現在に至る「ダンジョン防衛SLG/ActG」分野が形成されてきた……という感じだろうか。

 ゲーム媒体だけではない。10年代に入ると、ネット小説の分野でも「ダンジョン経営もの」が扱われるようになった。つまり、その頃には「ダンジョンの主(ダンジョンマスター)になって、ダンジョンを発展させたり、侵入者たちと戦ったりする」というのが、すでにごく一般的な発想の一つになっていたと言えるだろう。この路線は現在でも、ネット小説の大ジャンルの一つとして展開されており、漫画化されたタイトルも多い(『絶対に働きたくないダンジョンマスターが惰眠をむさぼるまで』『人食いダンジョンへようこそ!』『魔王様の街づくり!~最強のダンジョンは近代都市~』『魔王になったので、ダンジョン造って人外娘とほのぼのする』など)。
 ゲーム分野に話を戻すと、アダルトゲームはとりわけ悪役主人公と親和的なこともあり、(迷宮)防衛戦SLGがいくつもリリースされている。ソフトハウスキャラの一連の作品――『門を守るお仕事』(2012)、『その古城に勇者砲あり!』(2015)、『その大樹は魔界を喰らう!』(2018年)、『巣作りカリンちゃん』(2019/2021)――の他、『デモニオン』シリーズ(2012/2014)や『悪堕ラビリンス』(2014)などがある。『ママトト』(1999)も、システムは簡素ながら防衛戦の体裁のSLGである。
 10年代半ば以降は、インディーゲームも含めて多数の防衛SLGが制作されており、もはや簡単な展望で済ませることは難しいほどである。
 
 おおまかには、だいたいこのような歴史的経緯だったと考えている。このように見てくると、『カオスシード』は、「人間社会と対立する主人公による、防衛戦+経営ゲーム」としてきわめて先駆的だが、ゲーム分野における直接的な影響力は限定的なものだったように思える。『刻命館/影牢』シリーズの方が、インパクトが大きかったのかもしれない。また、国際的には、おそらく『ダンジョンキーパー』の影響力が最も大きかっただろう。
 
 技術的観点では、防衛戦SLGは比較的作りやすいのかもしれない。マップ表示を基本とするので、大掛かりな視覚演出素材はそれほど必要とされないし、個々のキャラクター(ユニット)もかなり使い回しが利く。侵入者のセットと迎撃メニューを調整すればよいので、ゲームデザインや難易度調整も考えやすいだろう。『巣作りドラゴン』『その大樹は魔界を喰らう!』のように、プレイヤーが侵入者を能動的にコントロールできるようなメカニズムを組み込んで、ゲームシステムを拡張していくこともできる。
 イベント発生についても、ターン経過や特定ユニット撃破など、フラグを絞り込みやすく、それでいてストーリー進行と結びついた表現にすることができる。そういった意味でも、設計しやすいゲームだと思われる。



 『カオスシード』のゲームシステムとその魅力について、簡単に紹介しておこう。

 今風の言葉で言えば、ダンジョンマスター主人公のアクションRPG/SLG。主人公はダンジョン内をリアルタイムで歩き回って、自力で洞窟の部屋を作っていくのだが、壁に手を置いて十字キーを逆向きに引っ張ると、部屋を作るメニューが出る。まず、その「引っ張る」アクションの操作感が気持ち良くて、たくさん部屋を作りたくなる。ゲームにおける操作性、つまりユーザーインターフェイスの体験的クオリティがゲームにおいてきわめて重要であることは、多くのクリエイターが意識するようになっているが、本作はそれを高度に実現している。
 主人公が作り出す各部屋には、いくつかの種類(機能)がある。エネルギー生産部屋、資材産出部屋、配下召喚部屋、一定範囲の他の部屋に瞬間移動できる転送部屋など。それらを上手く配置/配分しながらダンジョンを拡大していく。プレイヤーが歩き回りやすいように、管理しやすいように意識しながら、部屋を自由に配置していく。
 各部屋は、エネルギーが尽きたり侵入者に破壊されたりすると機能停止してしまう。侵入者に破壊された部屋を復旧させるには、修復スキルのある配下を召喚(作成)する必要がある。配下ユニットを作るには、資材が要る。また、エネルギー部屋も生産量が少ないので、強化するために資材が要る。だから、資材部屋も作る。「エネルギー」と「資材」に抽象化された経営SLGだ。

 そして、侵入者を排除していくのは、アクションゲームの側面になる。侵入者が出現したら、転送部屋ですぐに直行して撃破していく。だから転送部屋と索敵部屋も要る。戦闘は、見下ろしマップのダンジョン内で、シームレスに戦闘に入る。部屋配置+バトルのきれいな連続性が、また良い。侵入者との多対多アクションバトルも、なかなか出来が良い。リーチの長い双剣戦士、頑強で一撃が痛い兵士、背後から回り込んでくるシーフ、遠距離から魔法攻撃をしてくる道士、強力な騎士などがいろいろ混じっていて、リアリティとヴァラエティがある(ただし、難易度は低め)。

 そしてプレイ目的は、エネルギー生産部屋で「エネルギー」を抽出精製して、ダンジョンに還元すること(※特定の部屋にエネルギーを「振り込んで」いく)。それによって、周囲の大地の「気」を回復させる。そういう道教的な世界像、90年代らしい環境論的なモティーフも、本作のユニークな特徴だ。90年代は、そういうアジア的趣向や環境への関心が高まっていた時期でもあるが(例えば漫画でも、『3×3 EYES』『封神演義』『寄生獣』などが連載されていた)。
 ただし、普通にエネルギー部屋をいくつか作っていくだけでは効率が悪く、何十ターンも掛かってしまう。どうするか。実は、各部屋には木火土金水の属性(風水)も割り当てられており、それらのコンボによって各部屋の性能が飛躍的に向上する。具体的には、隣接する部屋どうしの属性関係が反映されて、それが一定条件を満たすと、特別な強化メニューで部屋を改良できるようになる。つまり、「各部屋の属性を考慮しながら上手く配置していき、強力なコンボメニューを発生させる」というシステムに気づくと、『カオスシード』の新たな面白さ――パズル的な配置設計の次元と、それによるダンジョン強化の快楽――が、一気にプレイヤーの前に展開される。実際、「エネルギー振込の期限があるので、特別メニューを早く開発してダンジョン振込効率を上げることが求められるマップ」や、「強力な侵入者を撃破するために、特別メニューで迎撃性能を上げなければいけないミッション」などもある。いくつかのマップを続けていく中で、5属性の風水コンボに習熟していく。

 その他いろいろ。アイテムを掘り出す「掘削部屋」や、マップ間でアイテムを引き継げる「倉庫部屋(異次元倉庫)」もあるが、細かいところなので説明は省略する。侵入者を撃破するとアイテムドロップすることがあり、その中には非常に強力なレアアイテムもあるので、アイテム収集を追求するプレイヤーもいるだろう。
 また、マップ上にはエネルギー生産や資材生産を伸ばしてくれる「因素」がランダムに存在する。因素を含まない位置に部屋を作ってしまうと、エネルギー収支がマイナスになって部屋を維持できなくなったりするし、逆に、因素をいくつも含むような位置に部屋を作ると、その部屋でのエネルギー生産や資材生産が大きく増える。なので、そういったことも考慮しつつ部屋の位置を決めていくことになる。このような、微妙に「ままならない」要素も、本作を何度でも再プレイできる魅力をもたらしている。

 『カオスシード』のゲームパートはだいたいこんな感じ。ちなみに、ダンジョン内外のストーリーパートもあって、そこではミステリアスな平行世界ものを基軸にしつつ、ユーモラスな小話や、侵入者たちのバックグラウンドを窺い知れるイベントなどもある。そういう作中世界の広がりも刺激的。グラフィックデザインも、SDキャラのアクションは可愛いし、ダンジョンのデザインも道教モティーフとサイバー要素を混在させたミステリアスな趣向になっている(※レトロな太極図的デザインと近未来的な集積回路的デザインを結びつけたような感じ。士郎正宗あたりの影響?)。SFC後期の洗練されたグラフィックワークも、本作の魅力の一つだろう。
 配下ユニットも、十二支をモティーフにしている。道教的-東アジア的な世界観の一環でもあるし、日本人に親しみのあるキャラたちでもある、そのチョイスも上手い。例えば、鳥(酉)ユニットは部屋を自動修復してくれるジュリアナ的ハーピーだし、馬(午)ユニットはケンタウロスのような姿で、戦闘では弓を乱射してくれる。蛇(巳)キャラは、上半身が人間で下半身が着ぐるみのような姿で這い回るキモかわキャラ。羊(未)キャラは気弱そうな魔法キャラで、特殊技が「大号泣」だったりする。

 まとめると、「道教的な世界像(主人公は一般人ではなく仙人)」~「ダンジョン経営目的(エネルギーを抽出精製して大地を回復させる)」~「主人公の位置づけ(仙人主人公は、町の人からは大地を汚す悪人だと誤解されている)」~「ドラマとバトル(様々な侵入者たちを撃退する)」~「ダンジョン開発(木火土金水の属性コンボ)」、これらが緊密に絡み合った作品コンセプトが、実に巧みに構築されている。
 個人的に、『カオスシード』からはゲームの面白さとゲームデザインの奥深さをたくさん学んだ。アクションゲーム+経営ゲームの楽しさ。作品コンセプトとそれを具体化する意匠のユニークさ。システム面の広がり。等々。「私が一番好きなゲーム」を挙げるなら、たぶんこれだと思う。世間的にはマイナーなタイトルのようだが、プレイした人は大抵激賞しているという、ユニークな作品。ちなみに私がプレイしたのはSFC版だけ。SS版は倉庫部屋や配下ユニット召喚の仕様が異なっているらしい。